IE9ピン留め


 ジョージ・ハリスンのドキュメント映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を観てきました。監督はマーティン・スコセッシ。彼が作ったボブ・ディランのドキュメント映画にも負けない3時間半。2部構成の長尺なもの。後述しますが、個人的には全然長く感じませんでした。(じっとしているのが苦手な自分はお尻が痛くなってきて、足を組んだりほどいたり、お尻をもちあげたりしましたが)。
 ビートルズに関心を持つ人を前提に書きますが、やはりビートルズと言えばジョン・レノンとポール・マッカートニーのソングライテングが大きすぎ、その中では取り立てて目立つ存在としてビートルズ初期は描かれてはいません。しかし同時に大きいな、と思うのは彼が最初期のオリジナル・ビートルズに参加した当時は何と17歳で、そしてあのビートルズの偉大な下積み修行時代であるハンブルグ公演にも参加していることです。

 第一部はビートルズ時代が中心ということもあり、彼自身のスポットライトを浴びる場面が想像以上に少ないのです。旧友のエリック・クラプトンや、ビートルズだったポール・マッカートニーがインタビューに応えますが、やはり当時のビートルズのフィルムはジョンやポールが歌う姿であり、MC役のポール・マッカートニーの姿なのです。
 また特定人物のドキュメントであるのに「面白いよなぁ」と思うのは、例えばドイツ・ハンブルグ興行で知り合った朋友で、後にソロになってからベーシストとしてジョージのアルバムに参加するクラウス・フォアマンがある場面においては主人公であり、また短命だったオリジナルメンバーのスチュアート・サトクリフが死んだアパートメントを訪ねて悲嘆にくれているジョン・レノンだったりするわけです。それらの場面ではジョージ・ハリスンは如何にも世間のパブリック・イメージである「第三の男」らしく、彼らの気持ちを汲んで背後に寄り添うような存在として目立たないけれども、安定性をもたらす存在として描かれています。
 エリック・クラプトンのインタビューも、ビートルズのオーラに圧倒された自分自身について主に語っているわけで、その時間の主役はクラプトンです。ですが、そこには話の媒介としてジョージの存在が通低しているわけで、ジョージ・ハリスンという人は同世代を生きたミュージシャン仲間に愛され、また生涯を通じて幅広い交友関係を持っていた人ですが、彼の立ち位置は座の中心と言うよりも、いろいろな人たちの良さを認めて全体の中のバランサーのように存在し、しかしその座の中心にいるという感じがありません。
 彼の自己を打ち出すエゴのようなものは、強力なジョンやポールの前でコンポーザーの仕事が認められず、その点で確かに苦悩していたことは他者によっても語られますが、しかし彼の活路は黄色い声を浴びてアイドルとして存在しているビートルズからアーティスト集団として変貌・変化する中で、シタール演奏家、ラヴィ・シャンカールとの出会いなどを通じて、インド音楽とインドの思想に触れることにより、グッと内面性を深め始めたビートルズの中でもかなりストレートに東洋思想の影響を受けて精神の安定とか、哲学的な発見の方向で自分のアイデンティティを掴んでいくことにより確固としたものになっていきます。

 映画のタイトル「リヴィング・イン・ザ・マティリアル・ワールド」は彼の2枚目のソロアルバムのタイトルでもありますが、まさに20代前半にして彼自身が物質世界と精神世界の両にらみの中で、特に世界の若者にとって精神的支柱であると同時に、消費者側としても最も崇拝されているビートルズというビックバンドの中に存在して、またそこにいたからこそ、物質社会の狂乱から逃れる術を精神世界に求めた感じがあります。ジョン・レノンにもその傾向はあったと思いますが、ジョージはビートルズの中心ではなかった分、より一層その精神世界への入れ込み方の自由度が高かったのかもしれない。また、映画ではビートルズ話では有名な、ある歯科医のパーティで飲み物に入れられたLSDというドラッグでトリップして知覚が広がり、そこから神のビジョンを得て、その後の東洋思想まで広がったというストーリーが暗示されていますが、実際にそういうところはあったようです。

また、シタール奏者ラヴィ・シャンカールの存在はどう考えてもジョージにとって大きい。一部、二部を通して伝統音楽と西洋ポップミュージックの違いはあれど、ミュージシャンとしてシタール奏法の手誰に対する偉大なレスペクトはあったろうし、そこからルーツを持つ伝統音楽奏者の背景にあるその音楽が発生する哲学や思想、宗教へとはまっていく流れは非常に分かる気がします。
 彼自身がその後ソロアーティストとして何を伝えていくのか、どんな表現をするのかという時に精神的に、また演奏技法的にもラヴィ・シャンカールを通じて学んだものは、彼が一人のソロアーティストになっていく過程の中でも特に大きかったのでは?と想像されます。


 二部は彼がソロになって以降の物語がほぼ中心となります。もう一度彼自身の年齢を考えれば17の時にセミプロとなり、ビートルズが世界のアイドルになった時はまだ21~23歳頃です。そしてビートルズがライヴをしなくなったとき、彼は24歳です。何と若いことでしょう。
 僕は長い間、彼の早熟ぶりや、精神的な成長の速さ、ソロになってからの他のリーダーだった二人をしのぐソロミュージシャンとしての勢い、そしてロックチャリティの先駆けとなった「バングラデッシュ難民救済コンサート」の主催者を手掛けた後のミュージシャンのトップ争いからの離脱、などを考える時に思うのは、普通の人間がもつメンタリティを守る常識人としてのジョージ・ハリスンという人はあまりにも人生の早い時期にいろいろなものを見過ぎてしまったのではないか、ということです。
 ジョン・レノンはそれこそ早くから異端児で野性的な強さがありますから、社会活動家的となり、その後はハウス・ハズバンドになることであの時代の若者たちのロールモデルとなりましたが、やはり早い段階からビートルズの喧騒を冷静に見ている自分があったと思いますが、それでもジョージとは年齢の開きもあり、ある意味で世間智があったかもしれない。それに比べ、ジョージは余りにも若くして人びとの狂乱と成功の結果をダイレクトに浴び、違和感や時には虚無感すら感じたかもしれません。それゆえの東洋思想への傾注だったのかもしれません。


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レンタル作品でいわゆるミニシアターでかかるような作品がぐんと減っている。
もちろん自分は反韓でもなんでもないのだが、レンタルDVDの場所をぐんと占める韓流モノは個人的には疎ましい。
◎オはマンガの貸本レンタルも始めたので、DVD中心の時代には、ますます置かれるDVDに関してシビアなのだと思われる。



ケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」は何時の間にかなくなった。
手に入った◎タヤでさえ、迷路に入ったように探して探して、アカデミー絡みでパルムドール受賞作品コーナーに一品だけ。おまけにDVDが旧作180円には参ったな。痛い。
この、店頭から撤去するタイミングはどこにあり、理由はどこにあるだろう?もちろん回転率が悪いのは用意に想像が付く。だから、僕はある時間の区切り目に立ち会った、というわけだ。
ケン・ローチといえば、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」もレンタルDVDがあったのに今はない。
タイトルは忘れたけど、東欧から移民した母子家庭の母親が職探しに苦労した末、人材派遣会社を起こし、そこでまた自分と同じような移民たちから搾取してしまう、とい悲劇の映画もあった。それもいつか観ようと思ったのに、すでに店頭にない。
北部炭鉱町の15歳の少年の苦闘を描いた名作「ケス」の同じ世代のワーキングクラスの15歳がゼロ年代により都会で孤立した厳しいサバイバルゲームに参加し、家族崩壊を食い止めようとするより深刻な悲劇、「スイート・シックスティーン」さえ置いていない。

僕のように、メジャーとは逆にマイナーなミニシアター系ファンには今のレンタルショップは厳しい。映画で何かを考えさせてくれるようなチョイスが圧倒的に減っている。それが実に短期間に起きていることなのだ。
こうなると、僕らの味方は図書館だけ。
無料でほぼ廃刊までネットで予約注文できるとは。まさにアンダーグランドな勝利なり(トホホ。。。)

話しはズレますが、一貫して社会派のケン・ローチ。ドキュメンタリータッチの映画、ドキュ・ドラマを作っていましたが、サッチャリズムの80年代はドキュメンタリー作家の方に移行していました。強力な炭鉱ストに関し、ストを推進する労働者側にたって撮影していた時代には、検閲などの目にあって不遇の時代だったようです。それで一時日本では知る人ぞ知る存在になったのですね。90年代以降、溜められた多方面のテーマが開花。「レイニング・ストーンズ」や「大地と自由」というような作品から精力的な創作活動が始まります。

ちょうど僕がケン・ローチ回顧展で彼の60年代、70年代の諸作品を纏めて見れたのは90年代の半ば頃。まさに時期というものがあり、自分にひっかかるシリアスな文化作品に触れるには、機会というものがあり、それを逸するととても残念なことになる。それはいま、しみじみ感ずることです。







「70年代半ばのマンチェスターは歴史に翻弄され見捨てられていた。近代世界の中心的存在で産業革命も起こした街。だが最悪の状況も引き起こした。当時は本当にさびれてすすけた汚い街だった」(元ファクトリー・レーベル社長・トニー・ウィルソン)

これは単なるバンドの物語じゃない。一つの街の物語だ。
かつて産業が栄え、力強く輝き、革命的だった
それが衰退して30年後に突然 再び革命的な街として復活した
その変化の中心には数多くのバンドがいた。特にあるひとつのバンドが。。。



そのようなナレーションによって導かれる70年代末。歴史的なバンドとして登場したジョイ・デイヴィジョンのドキュメンタリー。アイルランドのU2に影響を与え、先ごろ残念なことに解散表明したアメリカの良心、R.E.Mにも影響を与えた先駆的なバンド。
レンタル80円で借りてみたのだが、予想を超えて素晴らしかった。

今更ながら、と思いつつも自分にとって10代の強烈な思い出。ボーカリストが自殺した英国北部マンチェスター出身のパンクロックに影響を受けたバンド。そのサウンドはファーストアルバム『アンノン・プレジャーズ』で知っていて、その神秘的な、端正でもあり、暗くもあり、どこかクールながらも情熱を内に秘めた、独特な深いエコーと効果音の中、そのボーカルは無機質な感じを持ちながらも、真実を宿した音楽だった。
パンク好きな自分が同時期、セックス・ピストルズを辞めたジョニー・ロットンが始めたバンドであるパブリック・イメージ・リミテッドや、異様に早熟でジャズやファンク・レゲエの素養を持つ10代のメンバーも含めたバンド、ザ・ポップ・グループとともに、「ポスト・パンク」の旗頭の一つとして、深い関心を寄せていた。

そのボーカリストが首を吊って自殺をした、というニュースはここ日本の新聞にも載った。当時の自分には酷く仰天するような「事件」だった。なぜなら、当時ジョイ・ディヴィジョンは日本との契約が無くて日本盤が出ていなかったし、知る人ぞ知る存在であったし、何しろ当時のロックのイメージから最も遠い死に方のイメージだったからだ。
ロックミュージシャンの死とは、今と違い当時では「無軌道の果て」。自殺めいてはいても薬物による中毒死、あるいは車を暴走させて死亡、無謀がたたった事故死等々で、「自らの意志による」死、というのはロックンローラーには最も遠いものの一つと思われた。パンクの残滓が残っていた時代にはなおさらで、それはジョイ・ディヴィジョンのサウンドに宿る重さ、突き詰められたような真摯さからイメージが「近い」がゆえに、また二重に驚きを増した。





以後、あの有名な「ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート」のあまりにも美しいポップなシングルを入手して吃驚したし、そのローマ風の嘆きのクローズアップ・モノクロ写真の説得力にも驚いた。そしてセカンドアルバム『クローサー』を手に入れ、そのすべてを予見している様なジャケットに符丁が合いすぎる偶然?にも頭がクラクラしたし、アルバムの内容、特に後半に至る遺書のような美しい暗さに浸りきり、のちに12インチで発売される、これまたメランコリックな名曲、「アトモスフィア」にヤラれ、毎日時間があれば夜、部屋を暗くして繰り返しジョイ・ディヴィジョンを聞き続けた秋から冬を思い出す。自分の思春期の暗い思い出のヒトコマだが、それでもそのこだわりはそのような時期であるだけに捨てられない。

マンチェスター・サウンドは89年頃のストーン・ローゼズやハッピー・マンディーズの活躍により“マンチェスター・シーン”として脚光を浴び、ジョイ・デイヴィジョン亡き後も残りのメンバーで再開したニュー・オーダーが80年代一貫して英国のシーンを牽引する質の高い活動を続けたおかげで「マンチェスター・サウンド」としても関心を寄せられたが、このドキュメンタリーはジョイ・デイヴィジョンというバンドの個的な活動履歴と言うよりも、「マンチェスター」という英国北部の元産業革命都市が衰退の中、パンクと出会った若者たちが無意識に「街の歴史」や「街の環境」を映しだす鏡として結果として存在していたことを証明するような印象を見事に伝えてくれる。素晴らしいドキュメンタリーに仕上がっている。

ジョイ・デイヴィジョンについて、あるいはマンチェスター・シーンについては、このドキュメンタリーの前に、有名なマンチェスターのインディ・レーベルやクラブを経営してたファクトリーレコードのオーナー、トニー・ウィルソンを狂言回しとした『24アワー・パーティ・ピープル』や、ムーディな写真家、アントン・コービンが監督したジョイ・ディヴィジョンのボーカリスト、イアン・カーティスを主人公にした『コントロール』があるのだけれど、個人的には今一つピンとこないところがあった。

その神秘探しの果てに、ついにこのドキュメンタリーに出会って初めて合点/納得がいった気がする。
このドキュメントではたっぷりオリジナルメンバーの3人、バーナード・サムナー(ギター)、ピーター・フック(ベース)、スティーブン・モリス(ドラムス)へのインタビューが聞けるし、ボーカリスト、イアン・カーティスが若い時に結婚し、妻との関係で悩み種となった知的な愛人も全編に渡ってインタビューに答えてくれている。これら関係者たちの語る内容が一つ一つ的を得ているのだ。というか、実に詩的な表現も多く、偶然か無意識化はわからないけれど、いかに彼らの作り出したサウンドやライヴでの表現がマンチェスターの当時の街の様子や、人びとの気分、心象風景を映し出す鏡の役割を果たしてくれたかを伝えてくれる。

子どもの頃を振り返ってギタリストのバーナド・サムナーはこう語る
「いつもきれいなものを求めていた。でも潜在的には---。9歳の時に木を見た。周りは工場ばかりできれいなものは皆無だ」

「初めて行った時、マンチェスターは家がびっしり並んでいた。次に行った時は瓦礫の山と化し、次に行った時はビルの建設ラッシュ。そして僕が10代になる頃にはコンクリートの要塞になってた。当時は未来的に見えた。でも“コンクリートの癌”が始まって醜悪になった
」(スティーヴン・モリス)

「サッチャーのファシスト的大量消費の時代も迫っていた。そんな中バンドはまるで地下組織の抵抗運動に見えた。まさにそうだ。あれはアートや文化での抵抗運動だった」(マンチェスター出身の映画監督)

アルバムが出た時、まるで私がいる場所の環境音楽だと思った。私にとって彼らはほとんど環境バンド。普通の音楽じゃない。住んでいる街の音(ノイズ)なの」(ファン)

「マンチェスターのSF的解釈だ。街の風景や心の風景や音の風景が音楽にある。驚くべきことだった。彼らはマンチェスターをコズミックにした」(ポール・モーリー・音楽評論家)

英国の都市は70年代の寂れから、サッチャー政権の新自由主義政策で労働集約的な産業を押しつぶした。その時に最も深刻な影響を受けたのが英国北部であり、マンチェスターもその街のひとつ。サッチャー政権が登場した79年にデビューしたイアン・カーティスと言う稀代のフロントマンを擁したジョイ・ディヴィジョンはその重く、かつ真剣なサウンドで英国北部に住む自分の街の暗い未来を予見していたかのようだったし、同時にそれに抗うような、ある意味見かけとは違ってパンク的な精神のグループであったのだろう。

詞は極めて抽象的でありつつも、また、些細な感情への注意深い観察のような、いささか神経質な感覚なものでありつつも、その他者との関係性への言及は広い意味で英国北部人の個人的な抵抗のあかしだったのかもしれない。
詩人はそのライヴにおける痙攣するようなダンスと、物憂げでうつろな目が時折カッと見開く「静と動」の激しく切り替わるパフォーマンスで、日常と非日常が交互にやって来るような特殊な経験を見せ、そのボーカリストである繊細な詩人はてんかんに悩まされ、愛人と妻の関係でも懊悩し、最後は自死を選んでしまう。



その後は残されたメンバーは強い個性を持つメンバーを入れず、より一層個性を殺しつつも、ダンスの機能性と、ジョイ・デイヴィジョン後期の美しいサウンドの両面を強調し、80年代に一層、街の風景の移り変わりを機能的に描写する匿名性が強いバンドになっていく。その方法論もまた、大成功であった。

昔、ある音楽評論家は言った。「ヒーローやスター・システムは我々が不幸であることの反映である」と。我々が欠乏や欠損の感情を抱えていなければ。ひとりひとりがヒーローであり、スターであれば。スターシステムは必要でなくなる筈であると。
この映画も、冒頭である政治家の演説が流れるが、この繊細で大胆なオーラを持つ自死を選んだボーカリストを生む、そんな社会環境がこの理想的な演説通りの社会であれば必要無かったのではないか?という仮説を提示しているようにも思えてくる。この冒頭の演説がドキュメンタリーのベースの一つをなしているように思われる。

演説:「神よ。公正な街の姿とはどのようなものでしょうか。
人がだれの犠牲にもならぬ正義の街
これ以上 貧困が増え広まることのない豊かな街
人の役に立つ行為によって 成功が築かれる友愛の街
美徳のみが名誉とされる街
序列が力に基づいて決まるのではなく 他者への愛で決まる平和の街
そんな街こそ 人びとに光と繁栄をもたらす偉大な母です」


この演説から遠い社会だったからこそ、届きそうな未来を夢見て殉教的にさえ見える現実の特殊な映し絵のようなサウンドと、パフォーマンスを披露できたのだろうか。。。?

われわれの生活は退屈で平凡だ。
 だが良いライヴではたとえ1時間でも彼らの目を通して世界を見られる」
(トニー・ウィルソン)




日曜日に友人宅にて雑談。
2時間25分。特別なことはな~んにもありません。
文字通りお暇なマニアがいれば、どうぞ。
 ブログの更新がまたまた1月以上になった。
この3連休がいまひとつ天気がぱっとしないのと、少しずつ今の現場の状況が落ち着いてきたのも相まって、この休み、特に外に出ることもなく、読書とケーブルテレビを見ることで過ごしている。手に入れたiPad2も機能の10分の1くらいしか使えない状態が続く中、操作もよくわからないままダラダラYOU TUBEなどを見ていると時間があっという間に過ぎていく。

 職場の昼の過ごし方も少し余裕が出てきた。昼時に外に出て、近くに札幌では古くからの市民の憩いとか娯楽の場であった中島公園と言う場所があるが、その傍を鴨鴨川という小川が流れていて、鯉も泳ぐ本州の城下町風の風情を残している場所である。まぁほんの見立てに過ぎない場所だともいえるのだが、気持ちを和やかにしてくれるのも確かだ。
自分の本来の体質である静かなほとりでぼんやりする気質を、そこにもちこんだり、見ていて奇妙な、面白いなぁと思う建物をぼおっと見ているだけだが。

 しかし、これらの状況でいいのか、と心中では思っている。この個人的な平和、というより内に籠ったいつもの癖の中にあることは、いまの非日常性に末端とはいえ向き合う仕事からもどこかで逃避している様な気がするのだ。

 いま福島で起きていること、そしてより重要なのは、市民がどういう行動に移れば良いのか?ということに関して、専門家も明確な答えを出せない。その意味ではおそらく戦後日本では未曾有のことで、それは技術的なことは置いておいて、生活者、社会に生きる人々として、特に子どもを持つ親たちにとって海路のない地図のみを与えられたような、深刻な事態だろう。自由選択の社会だからなのか?
とするならば、自由の社会とは何と残酷な自律を強いる社会なのだろう。
 本当は違うのだ。本当に自由で自己選択が出来る社会ならば、正確な情報、幾つかの選択肢、そして平時ではない場所に住む人には特別な配慮をして、平時に生きる人と同じ機会と結果を与えるようにすること。それが自由社会の本質だろう。
 
 ところが政策を遂行する政府は、実態を知りつつ避難区域を狭い所から徐々に30km範囲まで広げるだけで、その後ホットスポットで線量が高い所を奇妙な名前の避難を将来的に呼び掛ける区域にしただけだった。しかも、「避難してください」というだけで、避難する場所も、避難した後の生活についても何の指針も示さないままだった。
 
今の問題は、それら避難後の生活の情報もインフラも、何も提供されないまま若き両親たちを悩ませるだけだ。そして自分で選択して時に家族は土地を離れていく。あるいは稼ぎ主を残してその他の家族は地元を離れていく。そういうことが起きている。そしてそれは、本当は世の中全体でこれはどういうことなのか?と考えるべきことのはずだ。

 前述したように、政府、あるいは政府よりも前に原子力安全保安院はメルトダウンを知っていた。政府だって多少情報のタイムラグがあったにせよ、早期にメルトダウンを知っていた。知っていて、「直ちに影響はない」とパニックを恐れて言いいい、誤魔化してきた。政府としてその事に関し、直接の謝罪がないにせよ、いま菅首相があの原発事故で自分の価値観の転倒を強いられたとして、原発に依存しない社会を作るという大方針を示したのは、その方針の中に福島住民への謝罪の意図が含みこまれていると私は考えている。

 それなのに、一国の首相が普通の国民が当たり前に感じている事に言及して「やっと」ではあったにせよ、「良く言ってくれた」と思うことに関して、内閣の中にいる人間も、マスコミも、しらじらとしているのはどういう訳だろう?首相会見の場に官房長官もいないのはなぜだろう?
 それは本当に、首相の人格に対する周辺の嫌悪感だけに起因するものなのか。人間は、(自分を基準にするのは間違っているけれども)意外と理念よりも感情に支配され、それは人びとを統率(あるいは支配?)する政治のトップリーダーたちの中にもあるのかもしれない、と見ることも出来なくはない。

 しかし、「それだけなのだろうか?」という疑念の方が私には大きい。

 福島原発の様相はいろいろありつつも、全般的には予定通り推移しているという。同時に、放射線の漂流・着積の結果、生活基盤への問題はいよいよ本格的に異様な状況が見えつつある。


 昨日はジャーナリストの神保哲生氏が主宰するビデオニュース・ドット・コムの311以後の津波震災と原発事故による専門家に話を聞いてまとめた一冊の本、『地震と原発 今からの危機』を読んでいた。この中ではビデオニュースの無料配信の回を含めて本をまとめているので、すべてが初見の内容ばかりではないのだが、京大の小出助教などからかなり早い段階で話を聞き、環境エネルギー政策所所長の飯田哲也氏には地震前から環境エネルギーについて話を聞いて早い段階から「原子力村」の存在を伝えてくれるなど、ジャーナリズムの良心が伝わる内容となっている。
 活字として読むと、より一層内容の濃密さが伝わってくる。

 そしてしみじみ思うのはやはりこれは戦後における「敗戦」なのだ、という実感だった。電気事業界・産業界・政界・マスコミ・原子力研究をしたい学者たち・立地地として狙われた過疎にあえぐ自治体。矛盾があり、意識の高い層にはその構造が見抜かれながらも、隠ぺいされた姿がすべて、白日のもとに晒された。
 それは『地震と原発 今からの危機』で神保氏が記述しているように、リーマンショック並みの隠ぺいや壮大な欺瞞の露見と同じクラスのものかもしれない。

 しかしその代償はあまりに大きく、それらのツケはほとんどが普通の市民にしわ寄せされる。今回の原発事故は内部被ばくの危険性から水俣病ともよく比較される。今後約30年後、沢山の訴訟が起こされるだろう。

 その頃、日本の社会は持っているのだろうか?私は楽観主義者でないけれど、国家が崩壊するか、などという議論に本気になったことがない高度成長時代に精神形成した子どもだ。しかし最近は本当に「日本という国は持つのだろうか」と思うようになってきた。
 ソ連の崩壊はアフガニスタンにおける長い見通しの立たない戦争に膨大な戦費を費やしたせいだ、という話を聞いたことがある。そしてしばらく時を経て、いや、チェルノブイリの原発事故のせいだ、という話も聞いた。
 おそらくアフガニスタンとの戦争の疲弊とチェルノブイリの事故の両方だろう。

 日本は、片肺を病んだ状態に今おかれた、と率直に認めたほうが良い気がする。見通しの暗い話ばかり並べ立てた気がするけど、それが真実の気がするのだ。
また久しぶりの更新です。
前回の更新が4月だから、あれからもう2月以上が経つ。

その間に自分の環境も変わった。NPOに関する基金訓練を受け始めた初っ端にたまさか今働いている事務局長にエレベーターの中でばったり出会い、そして現在の札幌市に被災で移動してきた震災被災の方々の生活支援のための情報提供や、相談などの仕事をしている。
ペーパー資格は持っていたが、実務経験が無かったため、企画力や支援のためのむすびや連携の方法論を持てずに苦労しているのだが、同時期に入った2人の同僚が非常に有能なので、私はどちらかと言えば今は裏方に回って内部の基盤整備、社会保険や経理などの事務的なことを中心に行っている。実はそちらも社会保険労務士の資格があるとはいえ、こちらもペーパー資格なので緊張し通しやら、小さなミスやらで大変だ。

どんな仕事であれ、仕事に自分の内面を託すなどということは難しいことを改めて学んでいる。
続けるためのポイントは事務局長の高い福祉マインドとボランティアスピリットにレスペクトしているのと、けしてリーダーとして叱責しない優しさのおかげでもある。

そういう環境でなかったなら、なかなか難しいと思う。
状況は動くし、既定の道はなく、作っていく作業がある。それは出来る才能を持つ同僚がいるので、自分はそれを見て学ぶ(とはいえ、見ているだけでは難しいのは確か)方向性しかない。事務屋さん的な仕事が常にあるというわけではないからだ。

もう一つは被災避難者の問題に関われる、という仕事の原点があることが大きい。
そのために情報を集めることは苦にはしないつもりだが、いかんせん、福祉の専門勉強も通信での随分前のことだし、伝える力の弱さを感じる。
ただ一つ自分に可能性がある分野があるとすれば、「聴く力」ということになるだろうか。

「聴く」というのは実は簡単な事ではないと思っている。語り手の思いの背後にあるものも含めて、聴くというのは表の意味も、その背景の意味への想像力も、両方必要になるからだ。本来、真剣に聴くなら、語り手の文化的な背景もおおげさにいえば、知っておきたい。文化的というのは、狭義の意味ではなく、広い意味でのその人が生きてきた環境への思いをはせるような感じだろうか。

大層立派な言い方になってしまうけれど、実はその力とて、自分はまだまだ全然だ。唯一可能性がある分野はそこだろう、と思う、という話だ。

しかし、今の仕事のように大きなグランドになると、そのような個別的な話を聴くことでカタルシスを得てもらうような状況にならないのも現実だ。

ところで、この夏を契機に福島県を中心に子どもたちを中心に北海道に受け入れようという動きが出てきている。
私は福島は大層危機的な状況にあるという認識を持っているし、本日の健康調査の話や、子どもたちに線量計を渡すような話が現実化していることを考えると親たちが深刻に移転を考えだすのは人として自然な感情のようにも思っている。

しかし、避難する後にどんな生活が始めるのか、両親ともになのか、母親のみなのか。住まいは公営か、民間賃貸なのか、身寄りに住まうのか。
知らない土地でなじめるか。それら生活の細やかなことを深刻に考えての移転なのか、あるいは移転を呼び掛ける団体の深い想像力なのか、ということも考えてしまう。

あまり深い所まで踏み込んだことは今は書かないけれど、本格的な原発事故というこれこそ未曾有の事態を生みだした罪は深いというしかない。それは、東電から電力供給を得ている立場にない自分も負う罪だ。北海道には泊に原発があって、そこでだいぶ供給されているのだから。
やはり、一線を超えるものを日米安保に匹敵するほどの安全神話を作り上げてしまったものだから、余計にパニックを恐れて初動も遅れ、今も原発だけは明るい展望を描けないでいる。

今回の大震災のクライシスは、復興・復旧に向かう日本人の自然との長い身の処し方も踏まえ、襟を正さざるを得ないほどの被災地の人々の自生的な力に感心させられたけれど、残念ながら、「原発」に関してだけは暗い絵図として残ってしまった。

避難退避の動きは呼びかけ団体も含め、これからも少しずつ底流で動くのだろう。非常に残念ながら、今回の大震災において、もっともつらい歴史的記録のひとコマであるのだろう。
それだけに経産大臣がまだ終息しない福島原発の事故の渦中で、原発の再稼働をお願いするその空気の読めなさに慄然としてしまうのである。
福島原発の状況。過去チェルノブイリにしかなかったレベル7の最悪基準になり、にわかに福島原発1号機から4号機までの現在進行形の状態が気になる日々です。
NHKのニュース画面でもちらっ、と福島10㎞圏内にも警察の人たちが入って捜索活動を始めた映像が見えましたが、何度被災地の映像を見ても呆然とするしかない。まるで廃棄物処分場のような状態です。自然の力は圧倒的に人間が作った物理的構造を壊すんだな。まるで嘲笑うかの如くに。

私は、実利を考え、昔取得した社会保険労務士の復習を、現在DVD付きの教材で学び直しています。同時に考えているのは、既成現実からちょっとずれたところにニーズがある仕事が出来得るならという夢をいまだ抱えつつ、迷いながらも法律が持つ保守性と意味性の両方考えながら記憶の想起作業をしています。

それはともかくとして、労働基準法とそこから派生した労働安全衛生法をとりあえずおおむね終える段階ですが、この安全衛生法は機械や化学物質の取り扱いについて、あるいは元請けや下請けが登場する業界の法令的な取り扱いについてなど、もともと興味関心の外にある前から最も苦手な社会保険労務士の科目なのですが、いま現在、原発事故の発生地で働いている東電の協力社員(本当は下請けというべきでしょう)や日立、東芝など関連社員たちがどのような作業環境で働いているのかと考えると、もはやそれも法令的にもほとんど想定外と言うか、想像外な気がします。法令にも原子力発電所の有害業務について具体的に書かれていないので。。。この安全衛生法は労働災害の防止が一義的な目的なので、たまさか今回の原発事故の関連でも関心を持たざるを得ない科目となりました。(頭が痛くなるのは、やっぱりありますが)。あそこでの作業環境がどうか、など私も正直そうですが、みな普通の人は想像もしたくないでしょう。

それにしても、今回の原発事故はまだ自分にはあの津波の映像のようにどこかで受け入れられないような非現実的な感触が残っており、それは政治家も含め、この、人間たちが本来制御不能な怪物的な技術物を前に、どこかで一瞬ブラインドを降ろすような心理になったのだと思いますが、残念ながら案の定、初動の判断に生じた少しの迷いや躊躇があっという間の水素爆発まで発展するところまでいった。そのことは最悪から想定する癖が持てなかった人災であり、世の中の印象として、どこか「戦争の敗北」に比する何かがあるとすれば、やはりそれはきっと敗北であり、それは敵の無い、自分たちが作った技術の自然に対する明確な敗北でした。
今後の社会生活、経済生活をまず今、先立って考えようという立場に立とうと、立ち止まって考えよう、という立場に立とうと、「技術の自然に対する敗北」は明白に認めざるを得ません。
私はそこにまず、市民の共通認識に立つところから始めるべき、と考えます。



今月の岩波の月刊誌『世界』は大震災特集です。
この雑誌。日常的に云えば、極めて教養主義的、観念的、現実応用性が低い社会人文系の学問人や教師たちのための社会系専門誌と思う人も多いでしょう。私とて、日常的にはそう思っている一人です。時に難しく、時に教養臭が鼻につく時もある。
ですが、今号も最初はその気分はあったのですが、一つ一つと最初から読み進めるうちに、私の今の気持ちに言葉がすっと入ってきたのです。
内橋克人、坂本義和、宮田光雄、池内了、松谷みよ子、岩田靖夫、中野佳裕、木田元。いまの時代の言論人からいえば、保守系雑誌『文芸春秋』とならぶような革新系の「昔の名前で出ています」風情の書き手たちも多く、その意味だけで云えば、震災前に発行したのであろう復刊版の『朝日ジャーナル』のほうが遥かにアクチュアリティの書き手たちが揃っています。

ですが、この雑誌の書き手の文章の一つ一つが沁み入るような気がするのは何故なのか。それはまだ上手い言葉は見つかりません。ただそこに率直な「畏れ」の感覚がある、その意味で自分の気持ちと繋がり、自分の感性としていま、とても分かるところがある。そんな気がします。

中でも東北大学名誉教授の岩田靖夫氏の体験から始まる文章はとても考えさせられる文章でした。被災地、あるいは被災地の周縁にいるということはインテリとして学問の世界で生きていたとしても、津波や、津波で制御が利かなくなった原発のように、剥き出しの、裸の人間がそこではさらされてしまう。
すると、これは僕が勝手に感じた感想で書かれた本人には申し訳ないですが、高齢者で身近に他者の大きな救援の手が無いとほとんど日常の自分が持つ安定的基盤を失う、極めて心細い厳しい状況に置かれる。
幸い、岩田氏は仙台から娘さんが助けに来てくれたようですが。

自分に照らして、はたしてこのような巨大地震が起こりえる国で、いったいどのような自分自身のセーフティネットがあるのか?いまではなく、未来と近未来の中間あたり、つまり70代、80代になった自分が生きている時の前提を想像するとちょっと空恐ろしいものがあります。

阪神大震災の時も、というか日本はこの戦後世代中心の世の中において、2度の巨大地震に遭遇している訳ですが、ここ最近の猛暑や寒波も加えるならば、自然の力が大きくせり出している時代にどのような自分の生を全うできるのか、ということはやはり考えてしまいます。

テレビやその他、日常性の延長を続けたいという社会経済の思惑はあり、それは続くでしょう。しかし、私たちはどこかでその限界をしかと見てしまったと思いますし、私はもうここが限界だと思っています。

それでも、私はこの日常に喰らいついているのです。いつかは終わる、それが想像できるものは沢山ある。しかしそれらを断ち切ってはいないし、断ち切れないものもある。その関係性も両者ともに変化しながら移行していくだろう。
そんなことを改めて考えさせられます。

一言でいえば、自然の刃は危うい地盤の上に立つ僕らの現代社会に覚醒を迫りにやってきた。911とリーマンショックでアメリカが敗北したように、いま、日本は長い連れ合いである自然猛威によって、また敗北を迫られたのですね。
 陸中海岸は行ったことはありません。宮古、大船渡、陸前高田、気仙沼、相馬。まだ行ったことはありません。しかし、その地には確かに、職住一致していたような、共同体やコミュニティがあったでしょう。津波はそれらを一挙に押し流した。日本的なるコミュニティは再生するでしょうか。出来れば同じ場所でなくても、鮮やかに再生してほしいと思います。

 三陸の海で、例えば昼のNHKテレビで新鮮な魚をレポーターが食べる、それを照れくさそうに、でも少し誇らしげに釣り上げた漁師の親父さんがいたのじゃないか。

 確かに人は簡単なものではないので、風景の一点のように見てはいけないのですが、黙々と土と向き合ったり、魚場の世界は知らないけれど、自然と向き合ってふと夕焼けの風景に何とも言えない充実感を感じた人たちが、その感覚が分かる人たちがたくさんたくさん。あの広範な土地の人びとにあったのではないでしょうか。

 切れ切れにぼくは自分の一人旅をしてきた風景の瞬間瞬間が記憶から想起される。列車から見えた、たんぼで線路を走る僕を乗せた列車を見ながらおにぎりを食べていた農家の人たち。奈良の飛鳥路で、蘇我入鹿の墓所跡から見た、たんぼの真ん中にあった祠に手を合わせていた農家のご夫婦。明日香路を散策しようと駅から自転車で立て看の地図を見ていたら、「こっちだ。ついてきなさい」と自転車で先導してくれた名もない、でも曰くがありげなおじさん。彼は黙って飛鳥寺まで連れてきたら去って行ったっけ。

 山口県の萩市を旅した時、東萩から松下村塾に向かうこれまた農道の路を、球のように現れた地元の小学低学年とまだそこまでいかないと思われた姉妹たち。「一緒に行ってあげるよ」と全く屈託がなかった素朴な表情。

 そして、愛媛県は松山市からほんの少し離れた城下町、大洲町の古い朝ドラの舞台になった「おはなはん」通りの時間が止まったような、至福なる古風な趣の小さな歴史的街づくり。その時の感覚はいまでも身体に残っている。今でも夢のように、甘美なものとして。
 そこで出会ったおばさんたちから路を教えてもらい「お気をつけて」と声をかけてくれた、独特な気品とその土地に長く生きた地に足がついた空気。

 また振り返って萩の街のきれいな庭のさま。京都の町衆の庭にかけるエネルギー。みんな早い時間から庭掃除をして丹精していたっけ。

 まだ世界遺産になる前に熊野の地、中辺路歩きの中途で継桜の峠の茶屋で放し飼いにされた犬がぼくを先導し、国道からとうとう古道の中まで入ってしまい、こちらが困り果てたこと。つかず離れずでずっとついてきたあの少し不細工な犬との道中二人。やっと見つかった公衆電話で継桜の茶屋を探して電話したら「ああ、また行きましたか。その犬は人について熊野大社まで行っちゃう犬ですからうっちゃっといてください」と言われて、力が抜けたこと。
 熊野市の「イザナギ、イザナミ」の神話とゆかりのある「花の窟」で独自の神話解釈をしてくれたどことも知れない知的なおじいさん。帰る時間が迫らなければ、もっとその解釈を聴いてみたかった。

 ひとり旅を年に1回、毎年続けた30代の頃、けっこう日本の原風景に触れたけれど、数は多くなかったとはいえ、確かにその土地に根ざした、風景の美しい点描のような人との一瞬の出会いがいくつかあった。それらはとても心地よい記憶として残っている。何故だかそれらはいつも晴れた日の記憶と繋がっている。

 おそらく、三陸海岸を旅する機会があれば、きっと似たような出会いはあっただろうと思う。絶対に。

 奈良の大麻時で中将の姫が一日で編んだという曼荼羅のタペストリーの模倣を見て、とても印象深い当麻寺を後にして、二上山に沈む夕日にアッ!と息を呑む美しさを思いだす。それは僕が幼少のころに見てとても綺麗だと思った夕日の沈む姿に近いものだった。中将の姫が編んだ二上山に現れた弥勒菩薩をきっと感じられたように、確かに二上山は美しかった。そこには僕の無防備な何かがあったように思う。

 とはいえ。僕は自然崇拝であれ、信仰の中には生きられない汚れた現代人だ、心の底から邪念なく「祈る」ということはもう出来ない人間となってしまったけれど、でも「綺麗さ」の前に一瞬自分の何かが止まった。そんな一瞬は確かに何度かはあったのだと。その記憶に嘘はないだろう思っている。

 その対極のような自然の猛威が僕の記憶の中に津波の濁流と、その後の被災地という形で、全ての時間が止まったような記憶への鮮明な焼きつきが確かにあったけれど。。。
 人々の日々の営みから生まれたような、自然の一点のような一瞬の交流はけして死なないと思いたい。

 自粛だ自粛だといいながら、今を生きる俗なる僕らの世界ではいまこのひと時、人の名前の連呼が激しいノイズを響かせながら、通り過ぎるけれど。そんな彼らの中にも一瞬、風景の美しさや人の小さな通わせてくれた心にふと立ち止まることが出来るのだろうか。きっと(当然)出来るのだろうと思う。

 一瞬、みんな立ち止まってみないか。春が絢爛になったら、旅に出ないか。大勢ではなく、ひとりで、あるいは気兼ねない本当にこころの分かるカップルで。静かに。沈黙を共有できる世界の中で。多くの人たちの無念に祈りをその時。ぜひ捧げたい。。。
 




 大変な地震が起きてしまいました。
 どこまでいっても、浮ついた言葉、手垢まみれの言葉にしかなりませんが、非災に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 生まれてから阪神大震災と言う凄まじい事態をテレビ画面の向こうで見てきており、利便性が高い快適な現代社会も、自然の一撃においてひとたまりもない、と不遜なことを思ったものでした。でもそれはどこかでずっと心に沈澱していて、いつでも飛び出す思考の何がしかでした。
 今回の地震の広がりにおいて、自分の身体に例えれば中枢を撃たれた、というか、根底から想像を絶するような事態を聞くばかり。正直、心理的に動揺しています。

 何しろ想像を絶する津波災害、今も予断を全く許さぬ福島原発、計画停電や買い占め騒ぎなど、都市住民のミニパニックも含め、これは日本全体に渡る大災害なのだと改めて実感しています。わからないではありません。静岡の地震も今回の3・11の地震との因果関係が分からないとなれば、もしかしたら東京でも?という心理状態に陥るのでしょう。こちら札幌では余震はもはや全くありませんが、関東ではあるでしょうから。
 いま、日本人の心理として、自分を支える安定感の基盤がどこか揺らいでいるのでしょう。少し時間がかかる。

 それにしても、もどかしい気持ちです。
 宮城や岩手の避難所の人たち、孤立した地域に避難している人たち、雪風の追い打ちをかける厳しさ。水、石油、食料、薬、テッシュペーパー、生理用品、情報。何とか届けられないのか。道路は通れないのか。実態はどうなのか。
 同じ日本人だからとかではなく、同じ国土に住む者として、ただ座視しているような今の自分のこの感じは何とも言えないざわつきがあるものです。

 福島県知事の怒り、わかります。青森県知事の内閣への陳情。強く心打たれました。県民の本当の気持ちを知事の人たちは分かっている。

 いつも巨大な地震の映像を見るたびに思うのは、高齢者が多い所や生活弱者が多い所を一番に直撃する、ということです。

 それを都市でミニパニックに陥った人は安易な言い方かもしれないが、想像してほしい。少なくとも直下型の地震が来ない限り都市住民は飢えはしない。

 でも、このままでいけば、東北の元々三陸海岸地域のような道路インフラも厳しそうな土地の孤立した人たちは、日本人が今まで想像もしなかった、「飢え」「寒さ」「病気」でお亡くなりになる高齢者や赤ちゃんが出てくる可能性があります。夏場でないおかげで悪性伝染病にはならないかもしれませんが、インフルエンザの流行も考えられます。そこに思いいたしたいものです。

 偶然にもなんの被害も受けなかった土地に住む人間として出来ることは今現在は思いをいたす、そのことしかないです。

 そして幸いにも現地の人からの声が届くならば、その声を一つでも多くマスメディアは届けてほしい。そしてどうすれば、その土地に必要なモノを届けられるか考える手立てを語り合ってほしい。

 「ジャパン・プラットホーム」という被災に関するNPOやNGOのプラットホームになっているNGOの方が言っていました。何か出来るとしたらまずは募金。そしてボランティアを現地でしたいと考える人はまず社会福祉協議会へ連絡を。社協はこのようなとき、ボランティアセンターを含め、大きな力を果たす組織なようです。
 そして足りないガソリンを補給するために、給油車を調達でき、現地に輸送できれば良いとの話。無駄な消費を抑え、ガソリンが被災地に少しでも届くようにしたいものです。

 食料に関しては。例えば、空中から食料は投下できないでしょうか?石油、ガソリン、水は無理ですが、パンやカップめん、糖分を含んだ菓子やジュース、缶詰、テッシュ、トイレットペーパー、紙おむつ、生理用品など空から投下できないものでしょうか。

 今なお多くの行方不明者がおり、痛ましい限りですが、いま現在困難に陥っている人たちを最大優先順位において動いて欲しいです。

 そして今後大きな課題は落ち着いた後。心理的ケアが大きいでしょう。今は生きるために必死な人たちも生き残った後の問題に直面する筈だからです。


 超お久しぶりです!ツイッターの簡便さにヤラレて、本当に久しぶりのブログ更新です。次の更新が早いかどうかは今のところ未確定ですが。。。なんとか頑張りたいです。もう年末ですな。

 けっこう前なんだけど、とても久しぶりにマンガ喫茶に行って手に取ったのがこの「特上カバチ」第22巻。思い切り引きこまれ、恥ずかしながら涙が出てしまいました。で、こちらのブログにも感想を書きたくなった次第。

 この巻の内容は子どものネグレストの話です。理不尽に捨てられた母が、その捨てた夫に似ているということで、愛してたが故に憎さ倍増になって元の夫の面影が顔に見える息子を虐待。
 それを良い意味でのおせっかいにより子どもの救済に向かう行政書士事務所勤務の栄田。
 彼にも複雑な家庭事情が背景にある。暴力をふるう父に育てられたのだった。であるがゆえに、理屈を超え、世間体を超え、彼が身体で知っている「真実」とともに走る!
 同時に彼は虐待する母親を責めたりしない。母親が置かれた経済的苦境や独りで子を育てねばならない苦しさ、それを受け止められない周囲や社会があることがわかるから。彼は母も「何か」の犠牲者だと認識しています。
 密閉された部屋でヒステリカルになった母親に折檻される子ども。謝り続ける子ども。それでも、そんな母親でも唯一、自分を守ってくれる存在だと疑わず、全面的に自己の身を捧げている男の子。そんな場面には思わずグッときます。
 そのようないたいけさに触れるとき、流石に母も自責をし涙するんだけど、やはり日が経つと同じ間違いに戻ってしまう。これも、現実にありそうな本当に悲しい事態。

 最終的には折檻が高じて子どもが救急車で運ばれる事態にまで悪化してしてしまうのだけれど。。。

 その後の展開はこのマンガで確認してほしいですよね。

 このマンガの主人公は行政書士の田村くん。まだ書士になってからそんなにキャリアを積んでない(?)若者なんですが、極めて真面目な、だけど若いが故にまだ少し世間の深いところを知らないところがある。(人のことがいえるか!←自分にツッコミw)。
 しかし、彼の良さは失敗を糧として深く自省して次の段階に一段一段上っていくところ。おそらく一番サラリーマン層読むであろう、この「週刊モーニング」誌読者にとって、一番感情移入できるのは彼でしょう。

 しかし、この巻に限らず彼の先輩に当たる栄田氏は人情モノに関して主人公になると、実に泣ける、泣ける。特にこの巻は自分の子ども時代の具体的な家庭生活が記憶として描写され、そのシーンも泣けるのだ。
 男気に溢れ、細かな事務作業は苦手でも、他者が関わりにくい人の心の機微に触れるときは大概腹を据えて彼は入って行くんだけど、その時の馬力は半端ない。

 彼らの直の上司であるシゲさんは基本的に他人の家庭のプライバシーに法律家は踏み込んではならない、がポリシーであるので、一線を超えると栄田氏がその点で価値観の対立が先鋭化し、何度か辞表を用意するところまで行くんだけれど、このシゲさんという存在のバランス感覚と包容力も、実は影の読みどころ。

 原作者の田島隆さんは前も書きましたが、中卒後下積みの仕事を続けながら行政書士の資格を取り、そしてこれだけクオリティの高い等身大の人々のドラマを書き続けてきたのだから、本当に凄い。「カバチタレ!」で20巻くらい?同時にアフタヌーン誌で「極悪がんぼ」も長い。カバチタレ!の継続で「特上カバチ」が現在23巻で、私はこれだけの長期連載でこれほどクオリティが下がらない作品は他に知らないです。

 いままでこれだけの仕事をしてきたのだから、「ロックンロールフェイム」ならぬ「マンガの殿堂」入りしてもおかしくないと思うんだけど(笑)。
 ただ、画を描いているのが「ナニワ金融道」を書いていた青木雄二氏の直系の弟子の東風孝弘という人で、ゆえに絵柄が生理的にどうしても苦手だ、という人が多いのかもしれない。しかし庶民リアルな物語にこの絵はある意味合っているし、もはやこの絵でないと無理、とも思う。

 この東風氏の従兄弟が誰あろう田島隆氏で、故にコンビネーションも良いのでしょう。

 実はいまは亡き青木雄二氏は田島氏から法的な知識を吸収していたようで、「ナニワ金融道」ラストストーリーの圧巻である裁判官を騙す「ゼロ号不渡り手形」作成、というストーリーは田島氏のアドバイスがあったという噂があります。


 妻を亡くしたある大学教授。仕事にやる気を失い何年も講義内容は同じ。そんな彼の鬱屈した日常の中で借りていたアパートに不法に住み込んでいたシリア人の男性とセネガル人の恋人。彼らの出会いの中で、男性が持っているアフリカの民族打楽器を通して友情が生まれ、頑なだった教授のこころに揺れが生じ、変化が生まれる。。。
 静かで内面的で、かつ暗に米国の国家政策批判をしている作品。てっきり欧州作品だと思っていました。如何にも欧州風な淡々とした作りなので。ところがこの作品、アメリカで作られたもの。目を開かされました。アメリカの映画もこういうものが増えるなら観ますよ。
 米国映画の作風に変化が生じ、それが自国でも受け入れられているのだとしたら。
 07年の作品のようで、日本公開は09年のようです。オバマ政権誕生前の作品なのですね。
 NYの街に普通に氾濫する中国語の看板も現代的。時代の変化をしみじみ実感します。



 映画で友人となるシリア人の若者は「フェラ・クティ聴いたことあるかい?アフリカのビートを作った人だ。このバンドのトニーアレンのドラムは最高」といった趣旨のことを言います。フェラ・クティの映像は濃すぎますので、トニー・アレンのこのポップでゴキゲンなPVをご紹介。


 今年の夏はここ札幌においても初夏の頃からたびたび真夏日が訪れ、雨も降るときは激しく、例年とは一線を画す厳しい夏を迎えております。
 今年も8月15日を迎えました。幸い私の両親はいまだ健在ですが(父は二度ほど大きな病気をしましたが)、いわゆる「戦中世代」です。そして、これも幸いながら戦地の体験はありません。

 とはいえ、我が老親の世代。日頃いろいろなことを言いつつも、戦争そのものがいかに惨めで凄惨なものか、食えないことがいかにつらいものかを実感しています。
 問題は我々以降の世代でしょう。実感を持たぬ私たちは論理や後付のイデオロギー以外に実感を持って伝えられるものは無いのです。

 そのようなジレンマに対して、NHKは無料であの時代の歴史の生き証人たちの膨大な資料をサイトとして作ってくれました。これは大変立派な事業で、今後ずっと変わらずに残しておくべき事業だと思います。
 数奇な運命にさらされた兵士や市民たちのナマな証言をすべて無料で映像としてみることが出来るのですから。

「NHK 戦争証言アーカイブス」

 この充実したサイトは日々、長く、少しずつでも全体を視聴することによって、如何なる大義名分を持ってしても戦争行為は悲惨しかよばないことを(常識の感性があれば)見に沁みて理解できるものとなっている。そう思います。
 「8・15ジャーナリズム」という言葉もあるらしく、私も愚かにも若い頃はこのお盆の時期だけに先の戦争を振り返るジャーナリズムに胡散臭さを感じたりもしたものですが、しかし今では年に一度でも戦争を振り返る日があることの意味を肯定的に捉えています。そうでもしないとすべてが胸に響かず風化するのではないか、という思いもあります。

 同時に、今回のNHKのこのような事業によって先の大戦を振り返ることも「夏の年中行事」を越える力もあると証明できそうです。ここにはインターネットの力が奏功しています。
 何よりも戦争体験者の重みある証言を無視して平和を語るのは難しいですし、その逆もまして説得力がありません。幾つかの証言を以下にピックアップしてみました。よければご覧下さい。

昭和19年秋、フィリピン中央部にある熱帯の島、レイテ島で日本軍と連合軍の総力を挙げた闘いが行われた。日本の敗北を決定付けることになった“レイテ決戦”である。

関東地方出身の兵士を中心に編成された、陸軍第1師団。その、1万3千人の将兵の97%がレイテ島で亡くなった。

レイテ決戦は、その直前に行われた戦いで、日本軍が大きな勝利をおさめたという情報に基づき、決行された。しかしその情報は、誤りだった。大本営の認識とは裏腹にアメリカ軍は戦力を保っていた。

アメリカ軍に補給を断たれた、レイテの日本兵は、飢えや病で次々と倒れていく。

なぜ、誤った情報に基づく闘いが行われ、多くの命が失われたのか。陸軍第1師団の元兵士の証言から、レイテ島での過酷な闘いの実態に迫る。


[証言記録 兵士たちの戦争]フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~

対馬丸。乗客およそ、1700人のうち、800人あまりが、学童疎開に向かう子どもたちであった。

出航した翌日、対馬丸は、アメリカの潜水艦の攻撃を受けた。海に投げ出された子どもたちは、荒波の中で、次々と息絶えていった。

沖縄からの疎開は、国が勧めたものであった。アメリカ軍を迎え撃つ際、島の住民が、軍の足手まといになるという考えからであった。

対馬丸の沈没で犠牲になった人は、1400人以上。その半数が、疎開先へ送り出された子どもたちであった。なぜ多くの幼い命が失われたのか、生存者の証言をもとに、対馬丸の悲劇をたどる。


証言記録 市民たちの戦争]海に沈んだ学友たち ~沖縄 対馬丸~

 このような普通の市民層の負った不条理・無念・言葉にしがたい人間的極限を見た上で、当時の日本国国家の上層部の観念表出録音テープです。

翼賛政治會の創立|戦時録音資料

 その他、戦争資料映像や録音資料など、周辺資料も多数視聴できます。
 最後に玉音放送を。元からの音声なので、非常に明瞭です。
昭和天皇、終戦の玉音放送|戦時録音資料|

 戦争を考える場合、感情に訴えるところから当然始めるべきですが、同時にその矛盾の極限に至るまでにそこまで行ってしまった過程、幾つかの躓きの石となった局面があるはずで、そこまで理解を深めるためにはある程度、戦争が始まるまでの近代史を知っていく作業も必要になるはずです。
 また、南方戦線であれば当時のフイリッピンやインドネシアの国民の心情も本来ならば、知っておくべきはずです。

 戦争は残念ながら現代においても終わっていません。日本人が撮った『アメリカ・戦争する国の人びと』のように、ベトナムからひき続く戦争帰還兵の戦争による後遺的な外傷などでホームレス、薬物中毒、精神障害や社会適応障害などの問題も表層ではなく人間社会の深層を見るならば、現代社会においても戦争を続けている国においては戦争の傷痕がいまも強く残っていることに気づかされます。

 われわれは勇ましさ、強さ、勝利、成功うんぬんの元気印の刺激のほかに、その影として戦争と戦争の傷跡に今も苦しんでいる人のことをけして忘れてはいけないと思うのです。人の営みの光や明かりしか見ることが出来ないのは精神の幼児性を示している。そこまで云うのは言い過ぎでしょうか。

 戦争で傷ついた人たちのやり切れぬ思いを共有できないにしろ、「想像すること」が今後の人間がより理性的になるべき営みにとって大変重要ではないでしょうか。

 ツイッターをやっていて偶然掴んだ貴重なNHKのこのサイト。NHKの立派な情報公開作業として私は万雷の拍手を送りたいと思います。
 今後は東アジア全体の共同作業として、この戦争に巻き込まれた普通の人びとの証言集が一つのサイトでまとまって視聴できるようになったら、どれほど有益なことになるだろうか、と思います。
 昨日は「反貧困北海道ネットワーク」のシンポジウムで最低賃金の引き上げについてと、同時に最低賃金引き上げに応ずるには大変に厳しい中小企業の現状を教えてもらうかたちのシンポジウムに出かけました。非常に難しい課題であり、司会役の学園大の川村先生も悩ましげな様子。-実は一昨日も民間というかNPO法人の勉強会に参加させてもらった折も、同趣旨の話を同じく川村先生がされていたので、この日のゲスト、つまり中小企業の経営者側である北海道中小企業家同友会政策委員長の方の話を事前に聞いたうえでの話だったのだな、と納得がいった次第。

 シンポの参加メンバーは北海道地方最低賃金審議会委員、労働組合総連合の人、そして上記中小企業家同友会政策委員長でもある中小企業の社長さん。

 政府は2020年まで最低賃金を平均1,000円。出来る限り早く(おおむね3年内)に800円に、という目標を掲げている。しかし企業側としては実質2%経済成長を見込んだ2020年の1000円はその経済成長率自体が現実的ではないと考える。急いで私の印象を言えば、その通りだろうナァと思える。経済成長を続ける日本、というものが想像できないのだ。

 やはり最低賃金の審議員のかたや労組側は賃上げを求めるわけだが、(特に組合の人は私にはやや硬直した運動論に見えるが)この日のメインは中小企業主の現実の会社運営の実態であり、その内容は聞くに値するシリアスな話であった。

 日本の産業にはとにかく仕事がなくなってしまった。同時に失業率がどんどん上がっているので、石狩港湾の工業地帯で行っているこの製造業会社もほんの前までは求人一人にひとりが応募してくる状態だったのだが、今では30人、40人と応募履歴書が送られてくるので吃驚しているという。
 会社の従業員の構成や従業員に対する福利は誠実に行っている会社に思えた。人格的にも真面目な方だと思える。この会場のひな壇には労使の立場の違い、役割の違いが言わせている何かがあるだけで、日本の産業の基幹を支えてきた中小企業、特に新規産業系ではない中小企業の問題は大変に深刻なのだ。最低賃金を上げよ、と要求し続けることだけで労働者側が問題を無視し続けることは難しいだろう。実際要求型の労組の人も中小企業支援も政治に要求しているのだ。

 それでも最低賃金が生活保護以下の水準にあるのもまた事実だ。これをどうするか。倒産と背中合わせの企業にも、それでも求められる最低賃金なのだが。それは統制企業でない自由市場社会では政治的要求では無理だろう。では逆に生活保護基準を下げろ、というのも本末転倒。

 それゆえに、経済成長戦略、という話になるのだが、これも自分にとっては21世紀のこの時代にどうなのだろう?というフィーリングがある。
 考えてみれば、新自由主義のさきがけである80年代から始まる英米のサッチャリズムは構造改革と新自由主義だった。北部を中心とする国営、公営製造業を大々的にリストラしたサッチャー政権のやり方はその後ブレア時代の繁栄の時代までには、「シティ」を中心とする金融立国で労働者階級に深い傷跡を残したあとに結構な成功を収めることになる。それは米国の90年代に引き継がれ、情報産業と手をつないで金融が世界を席巻していわゆるグローバリズムを生む。もちろんそこには東西冷戦の終焉もつながる。

 いま私が思うのは、行き過ぎた自由市場が世界展開していった結果、古典的な市場主義批判の素地が却って出来てしまった。アングロサクソン系が進めた80年代以降の世界戦略のこれは結果的に失敗の姿かもしれぬ、ということだ。固有文化や食糧、エネルギー等々を巡り、結果的に世界に保護主義的な傾向の意識をもたげさせる、萌芽を生みつつある結果を呼び込んでいるのではないだろうか?

 北海道は日本という国の明らかにマイナーな「地方」だ。その中で190万都市の札幌はとりあえず雇用の厳しさを除いては「地方」を実感させられることは少ない。しかし札幌以外の地方はどうか?地方の市はどうだろうか。腹の奥から地方の悲哀を感じているかもしれない。

 民主党が総括の儀式をてんやわんやでやったらしい。執行部の総括では消費税増税が唐突であったことを総括したらしい。しかし、最も問題なのは「地方の一人区で民主はなぜ大敗北したのか」ということだろう。地方の民主への怒りの票はもはや望みを持たない自民党に反動票として流れたことをどう総括するのか。

 実はこの点に関して誰も民主党の中で答えを持っていないだろう。というか、誰も彼もが持っていないのではないか。まずは少しずつ、公共事業否定論ではなく、大公共事業ではなく、地方の中小企業にお金が下りる「小回りの効く公共事業」を真剣に、より機動的に行っていくしかないのであろう。

 おそらく、この20年来、世界中で都市と地方のいろいろな格差が広がっているはずだ。日本に限らず。そこにはやはりグローバル企業の世界展開がある。このゲームのルールは何とかならないだろうか。
 何ともならないという落としどころが見付からない状況になり、それが極まるとき、一挙に庶民主導の保護主義、排外主義が世界を覆い始めるかもしれない。

 ラストは本題からずれてしまってきたが、憂いのある想像である。


 北海道は日高地方、浦河町の「べてるの家」は精神障害を抱えた人たちが自立した生きかたをし、その生活の中での取り組みが全国的な注目を集めている。中でも中心となって活動しているソーシャルワーカー向谷地生良さんの発想や思想、実践のあり方は極めて斬新で、すでに当事者たちが実践を通して力強く外部に発信している。

 もはや「べてる本」と云われるほど多くのべてる関係の書物がでていると聞くが、私も図書館で2冊借りてきた。そのうちの一冊は『ゆるゆるスローなべてるの家』という環境活動家の辻信一さんと向谷地さんの対談本で、向谷地さんの子どもの頃からの歩みや人生哲学が披露され、大変興味深かった。かなり読みやすい本でもある。

 そしてもう一冊が向谷地さん自身の著書、『「べてるの家」から吹く風』である。こころの障害を持つ人たち自身が抱える病いとしての大変な厳しさを、べてるの家は根本からひっくり返すように逆転させてみせる。

 現在「出動!爆発救援隊」の章を読んでいるが、不謹慎を承知で書いてしまうが、爆笑の連続である。本来であれば病気の当事者とその家族の暴力も含めた、病気との過酷で熾烈な戦いなのだが、向谷地氏を介在した発想の転換にはどうしても哄笑的な何かを呼び起こさずに入られない。それは勿論エスプリの利いたユーモアというわけではないし、ジョークというものでもない。何といったらいいのだろう?もっと「本質的何か」であり、社会的なルールを反転させるような新しい観念とでもいうべきものだ。-この本質的な逆転思考はとても文才が無い自分には伝えにくい。べてるの家の活動の本を読んで面白く読める人と、全く逆の反応の人があるような気がする。

 そこにはやはり向谷地さんという人が持つキャラクターと思想の内奥に何かを感じ取るかをしないと「ふざけた話」に聞こえてしまうスクエアな人も十分ありそうな気がするわけだ。おそらく私だとて、べてる本を読む、というところで留まることにおいて距離を置いているわけで、ある意味では大変失礼な話ではあろう。

 失礼を承知であえて付け加えると、つたない喩えとして、水木しげる氏の持つ関心・興味のセンスに加えて、赤塚不二夫氏の爆発的なナンセンスのセンスの両者がべてるの家の(この我らの生活常識から見たら)騒がしい日々のなかにあり、それがどうしようもなく爆笑的なものを呼び起こす。

 全体すべて読み通す前に感想を書いてしまうのは大いに問題だが(軽率な私はしょっちゅうそういうことをしているが)、そのようなことを感じてしまう自分である。

 全てを読み通した暁には責任を持って全体の感想を書きます。
 大変お久しぶりです。また一月以上ブログ更新が滞ってしまいました。その期間、ツイッターはほぼ毎日何かツイートしたり、リツイートしたりしていましたが、思えばブログを書くときにいつのまにか内容を真剣に考えすぎるようになってきて、一種躊躇する心の働きが生まれてしまったのかもしれません。それはつまり、ツイッターの手軽さに呑まれていた面もあるかもしれず。元々ブログも気軽に書いていたはずですので、その原点に戻ろうかと思います。

 さて、今日は単館映画館、いわゆるミニシアターでドキュメント映画「アメリカ-戦争する国の人びと-」の一部を見てきました。一部、という訳は、このドキュメントは前編8時間に渡り、1日に3回に分けて上映するわけです。私はその中で午後の2時35分から約3時間に渡る”エピソード4~6「先住民」「見えない人びと」「ベトナムの記憶」”がアンテナに引っかかったので見てきたわけです。

 映像は映画向けというよりも、完全なドキュメント。簡単なハンディビデオで取材したような、もっぱら「語られる内容」に価値が置かれる作品です。(ただ全編を見たわけではないので断定はしにくい)。
 バックグランドミュージックも一切なく、ノンフイックションを通り越し、生々しくさえもある。特に帰還兵を中心に祖国に帰っても社会適合できず援助団体や、自助グループ的に生きているホームレスの人たちの生活ぶりや語りは、感情を外側から注入することや、リアルの中に飾りを施すようなことは一切排しているがゆえに、却ってその当事者たちの生活ぶりや背負った傷を思わせる話の内容にこちらは受身でいることは出来ず、耳を澄ませていかねばなりません。


 それが頂点に達するのは第二部のラストエピソードであるエピソード6「ベトナムの記憶」と題するベトナム帰還兵の体験談と現在の自分の生活感情を語る部分です。3人のベトナム帰還兵が自分の戦争体験と現在も背負うPTSDについて語りますが、特に最初に登場する黒人男性の印象が非常に強く、固唾を呑んで話を聞いてしまいます。彼は言語表現能力にとても秀でた人で、戦場体験とPTSDの関係についての自己分析能力も大変高く、ひとりの普通の人間として戦場というものがどれだけ非日常で異常なものであるか、そしてそんな普通の人間にとって戦場のど真ん中の体験がどれほど心に深い傷を負わせるものなのか、嫌というほど思い知らされる。その思いがふつふつと湧き上がります。このエピソードには私自身、洗練されないリアルで簡素な映像と相まって、緊張感の高まりを感じていました。館内も感情が喚起されるというか、居心地が悪くなってくるような感じというか、一人の語りが終わると誰ともなく、具体的な対象もない、苛立ちに近い言葉が洩れていました。おそらく私も同じ気持ちだったはずです。

 普通の若者をPTSDに追い込み、その後中年期がだいぶ過ぎてもその戦場体験に悩まされる不条理はやはり大きく云えばそれを強いた国家への怒り、ということになりますが、アメリカ人でもない自分がやり場のない苛立ちを感じるのは何故でしょう?それは先のアフガニスタンやイラクへの侵攻に日本も武力には寄らないといえ、間接的に加担しているという居心地の悪さゆえもあるのだと。自分自身に関して云えば、そんな思いゆえだと思います。

 多くの場面で「ヤク」という言葉が飛び交います。特に戦場体験者の多くは自分の恐怖心から逃れるためにドラッグに頼っていたのは間違いないようで、日本人から見たら第二次大戦後、朝鮮戦争から始まり、ずっとアジア、バルカン、アフリカ、イスラム圏と戦争を日常的に続けているアメリカという国はどれだけ多くの薬物中毒者を出しているのだろうか?と考えると頭がクラクラしそうです。

 戦争は本当に恐ろしい。そしてそれは戦場での恐怖もさることながら、戦地における心理体験が日常生活をも奪うほどおかしなものに引きずり込んでしまうことがまた恐ろしい。
 率直に言ってここで見るアメリカの影の部分は何度も何度も同じ間違いの再生産をするという上で(先住民虐殺から始まる)、僕らには理解不能な「病い」のようなものさえ感じてしまいますが、その国が持つ先進的なダイナミズムも同時にあるわけですから、我々日本人は、冷静に考えると、不思議な愛憎感覚をアメリカに対して持っている、といえるかもしれません。

 ある意味では愚かなブッシュ大統領という人物が21世紀に登場したおかげで、そのアメリカの影の部分が10年経ってやっと普通に見せることが出来るようになってきた面もあるといえるかもしれません。現在最も良好な国際関係を持っている日米の関係性から見たら、日本にとって米国を反面教師として真面目に受け止める内容。それがこの映画だ、と言っていいかもしれません。

 アメリカにも自己批判的な番組として「デモクラシーNOW!」のような番組もありますから侮れません。この映画も日本人が作った、という点で大きな意味があるといえるのではないでしょうか。
 ただ、大急ぎで付け加えるなら、世界情勢の力学の変化によって日本人が単純に今度は反米や嫌米の感情を持つようになることは気をつけねばなりません。やはり私たちは基本的に内弁慶な民族性を持っているでしょうから。

 大変長い間ブログを放置しておりまして、大変申し訳ありません。
 時代を反映してどうしても書きやすいツイッターのほうに移行してしまっていました。
 ツイッターは日々何かしら書いております。

 さていま一つ盛り上がらないといわれていたサッカーのワールドカップ南アフリカ大会は日本がカメルーンに勝ったことにより事前のオランダ戦のテレビは異様な盛り上がりを見せておりました。結果として負けたとはいえ、4年前とは明らかに違うタイトで戦う意思が明確なチームはデンマーク戦まで引き続き盛り上がりを見せるでしょう。

 そのワールドカップ決勝の頃まで同時期にいよいよ参議院選挙が始まります。もう選挙なのか、という意外感と同時に私は昨年の歴史的な政権交代から鳩山政権崩壊後の驚くべき民主党の変節に大変な衝撃と、強烈な憂鬱に覆われています。そしてこれから選挙までどのような報道が日々されるのかそれを考えれば倦み、歯軋りする思いです。

 民主党にはすっかり裏切られました。「マニフェスト選挙」も「マニフェストを守る」も平気で反故にできる政権交代政党。「小沢支配からの脱却」「現実の変化」「ギリシャ、EU諸国の財政危機」「日本の財政再建」どんな言葉でもいい。
 要は政権を握って民主党は理想を捨てたのです。少なくとも菅首相は明確にそれを捨てた。これが政権交代といえるのか。彼がいう『第三の道』は要は介護・医療、環境、観光、農業云々に新たな成長軌道を描こうと(そこにだけ)夢を見ている所謂「上げ潮路線」に過ぎないでしょう。そこへ理念をという近辺の声を押し切り(例えば国民総生産よりも、国民幸福指数を指標としよう、という声)、「成長率」にこだわり、換算したがるところにその本性があります。

 財政規律と成長戦略。消費税の倍額にいたる増税。そこには非正規労働の痛みや格差社会の問題意識は遠く遠くなりました。鳩山首相が掲げた高邁な理念である「新しい公共」は消えました。鳩山首相が夢見た「凄いことをやるバカで孤独なひとりの裸踊り」をフォローすることはなく、国家の背骨は経済強国だという古典的な戦後的価値に舞い戻り、私たちが夢見た民主党の理想主義は打ち捨て、民主党の若手を中心としたもう一つの面である「構造改革派」が現状覇権を握ったのです。
 この流れのままで選挙に流れ込むでしょう。そして新党ブームに乗った「みんなの党」あたりに期待をかける都市中間層を取り込むでしょう。

 ある意味では「選挙対策内閣」であり、また「民主党の変化を象徴する内閣」でもある。

 個人的なことをいえば、私の民主党に対する憂鬱は極限にあります。なぜならそれを行う首相が少なからず期待をかけた「菅直人」という人であるということ。それが大きな理由であることはもちろん大きな一つ。

 もう一つは昨日の朝刊を読んで、愛読書であり自分の教科書にもしていた『生活保障』(岩波新書)を書かれた北大の社会保障論学者、宮本太郎氏の書かれた内容に明らかに信じられない文面が並んでいたことです。記事の整合性から私の疑問と異論はとりあえず本日は詳細書きませんが、私に言わせれば驚くほどステレオタイプな現状追認の文面が並んでいたのです。

 今の菅政権のやっかいさは長く良心的な立場を貫いていると思われた政治学者や経済学者が新政権の方向性を支持しているように見えることです。もしかしたら彼らが菅政権のブレーンなのでしょうか。ケインズ主義の小野善康氏。あるいは神野直彦氏、山口二郎氏、そして宮本太郎氏まで。
 ここにまさか湯浅誠さんまでが陣営に加わるとか?それだけは信じたくない、信じられない現実ですが!!
 こうなってくると日本の理想を語るオピニオンリーダーたちの全滅になっていく。マスコミはずっと自分たちの経済利益上前鳩山内閣を叩いて叩いて、叩きまくってきたのですから、こんな嬉しい事態はないでしょう。

 この現実はどこへ行くのか。参議院後の日本政治はどうなっていくのか。
 生意気に、とても大きなことを云えば、この日本という国の漂流と混迷は続くでしょう。
 1年後もどんな政治地図になっていくのかさっぱり見当がつかない。相当また違ったもの、組み替えられたものになっているのではないでしょうか。

 憂鬱ですが、反対の面から見るならば、ダイナミックな変化の前で面白く感じる人は感じるかもしれませんが。私の場合その頃はおそらく屍累々のなかのひとりとしてあえいでいるような気がするのですがね!

PS.
 宮本氏の記事に対する疑問については改めてしっかり読んで記事にします。リアルタイムに感じていることはツイッターのほうに結構ひんぱんに書いています。エキサイトブログもツイッターのリアルタイム書き込みをサイドバーに埋め込めるようになりましたので、そちらをチェックしていただけると大変ありがたいです。

PS(2).
ポール・クルーグマンの文章の翻訳をツイッターのフォローから見つけました。ここに書かれているのはまさに今の日本と同じじゃないですか、見事なまでに。タイトルも秀逸です。必読!
クルーグマン「気分はもう30年代」 - left over junk