「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

ケン・ローチ『この自由な世界で』

d0134515_21252827.jpg


 前から観たいと思っていた英国の文字通り社会派映画監督、ケン・ローチの2007年の作品。バイト先の駐輪場が街の中心部にあるため、そこのツタヤ・レンタルで借りて見ることが出来ました。
 作品は流石最近充実期にあるケン・ローチ。今回も時代の社会経済状況に翻弄される主人公(今回はヒロイン)を描いて見事です。
 ストーリーは意外とシンプル。シングルマザーの主人公が勤務先の移民労働者の人材派遣会社を解雇されたあと、もういろんな会社にコマとして雇用されるのはたくさんだ、ということで自分が持ってる人材派遣業のノウハウや人脈、そして負けず嫌いな行動力で、能力がありながらも同じようにその能力が生かされないルームメイトの友人をパートナーにして自分たちも移民労働者を、日雇い労働者として人材斡旋する仕事をはじめる。

 周囲の人たち、パートナーの女性や自分の両親、特に父親、あるいは建築現場を切り盛りしてる知り合い等は彼女にその仕事は強引だ、もっと優しい仕事に戻るべきだと影に日向にアドバイスしている。それは注意深く見てると主人公の行動がどんどんエスカレートしていく過程の中で描かれている。

 しかし、彼女のなかでは自分が抱えている元々あった借金の返済や、自分の息子を引き取ってそれなりな中流な生活をしたい、という強烈な願望の前でその忠告はかき消されていく。

 だが、彼女の荒っぽい外国人労働者斡旋業(それはその日その日に仕事を求めて集まってくる人間たちの中で使えそうで、先に来た順番から労働現場に連れて行く、といういたって原始的なもの。おそらく山谷とか、そういうような飯場労働に近い感じ)は、斡旋先の銀行不渡りであっという間に行き詰ってしまう。

 行き詰った先に彼女が取る行動はもう戻れない人の道を外れていくもの。もともとは中東の政治犯で不法移民している家族の父親を働かせるために偽装パスポートを作った、一回切りの不法が今度は不法中心のものになり、最後は守ってあげたはずの家族の住むトレーラーハウスを、モラル市民グループだと匿名で名乗って追い出す側にまで廻ってしまう。
 机上の論理、アイデアと行動力だけの事業はあっという間に行き詰っていく。

 ケン・ローチ監督の主張は父娘の議論の中で、そして偶然知り合った肉体関係を持つに至る若いポーランド男性との会話の中で見出すことが出来る。

d0134515_22194171.jpg


 彼女にとってみれば、自分と息子のことで手いっぱい。矛盾がごろごろ転がっていても、世界は広すぎる。
 自分のやっていることが仕事にありつけない外人に対する単なる搾取じゃないか、自分と自分の子供だけが良ければいいのか、彼らにも家族がいるんじゃないのか?と父に諭されても、それらは全部自分への個人攻撃としか聞くことが出来ない。つまり、仲介者、もっと悪く言えば中間搾取者の彼女自身も余裕がない。仕事を持てないで切羽詰っている外国人と同じように。

 彼女を結果として悪人にしていくものは何か。賃金未払いで移民労働者から直接的な恨みを買う彼女に仕立て上げるその原因というか、構造は何なのか。ケン・ローチの描写はそれを考えさせる方向へと向かう。

 作品そのものを見やすく見せる。前作のアイルランドとイングランドの闘争を描いた『麦の穂を揺らす風』もそうだったが、最近のケン・ローチの作品は映画としてのわかりやすさ、ある種のエンターティンメント性を強めていて、メッセージを伝えるための手法に磨きがかかっているように見える。

 直近の作品、元マンチェスター・ユナイテッドのストライカー、エリック・カントナを準主役に据えた『エリックを探して』に至ってはほとんど生活に疲れた中年男性への人生応援歌にさえ、なっている。
 これは批判ではなくて、60年代から活躍していた監督ではあっても、ある時期からの作品に見えた娯楽性よりも社会性への傾斜の結果、やや大衆性を失っていた状況から、上手くバランスがとれて伝えたい表現が上手く伝えられるような良い意味でのメジャー性を手に入れたんだな、という感慨である。

 やはり映画界に良心的な監督の活躍の場はあって欲しい。80年代のサッチャーとその後の保守政治時代は検閲等もあって、ほとんど映画が撮れなかったという話を聞くから、なおさらそう思う。

 この本日記事のテーマ作品もバイクを乗り回して駆け回る美人女性が労働者仲介業をやっているという結構な設定のアンバランスさがいい意味でけれんみがあり、見る側への誘い効果がある。

 それにしても、思うはヨーロッパの労働者の力関係である。東欧で食べれない人たちがイギリスにやってきて、自国でそれなりの立場も頭脳もある人たちが下積み仕事をしなければならない現状。
 60年代、70年代、ケン・ローチは自国の労働者階級にストレートなシンパシーを持ちながらの映像作品をとっていたけれど、現在はヨーロッパグローバリズムの新しい搾取の力関係がある。勢い、視野も膨大にならざるをえないというところだろうか。
 最近のEUの困難に伴い、ギリシャ、スペイン、ポルトガルの人たちはドイツに仕事を求めるという話も聞く。 サブプライム以後で傷ついた英国自身だって同様な困難を抱えているだろう。

 ロンドンオリンピックへの盛り上がり?の影で何が起きているか。多少はその辺の想像力を働かしておくのも悪くはないのではないだろうか。





 優しげなインテリ系のケン・ローチ監督自身ですが、結構その作品には暴力的な要素があることにも注意。意外と激しいエモーションを持っている人なのかも?
[PR]

# by ripit-5 | 2012-07-04 22:09 | 映画

ビッグイシュージャパン・BN100

d0134515_20162564.jpg


 しばらく間が空いてしまいましたが、今回のビックイシュー・バックナンバー紹介は記念すべき第100号です。巻頭を飾るは香山リカさんと、ビックイシュー・ジャパン代表の佐野章二さんの対談。「とまどいを与えてくれる雑誌」と表現する香山さんの話はそれなり頷ける点も多いです。
 一点、インタビューの内容の趣旨とはずれてしまいますが、香山さんが当時(2008年・夏)の時点で秋葉原連続殺傷事件を引き合いに出し、今の若者気質を論ずるところ。
 「今の若い人は、平凡に暮らすのはいけなくて、何者かにならないといけないプレッシャーが強い気がするんですよね」「若い人達を見ていると、就職でも本当に好きなことや自分が一生できることをしなければという気持ちがとても強くて」「当たり前に生活をすることがそんなに悪いことなのかしら?って」と語られます。
 現下の社会情勢からこの時期の香山さんの印象を論ずるのは酷ですが、いま逆にすごく、とにかく働く場が欲しいんだというふうな、「夢も追えない」辛い状況が若者たちに生まれてきてるんじゃないかという気がするんですけどね。
 また仮に、「当たり前に生活することは悪いことじゃない」のは正しいと思うわけですが、とはいえ、逆に世の中のほうに目を向けるとその「当たり前」や「平々凡々」をお互いに尊重し、承認し合う社会になっているのだろうか?ということも同時並行で論じないといけないのではないでしょうか。そうでないと片手落ちの気がします。自己反省を含めてそう思うわけです。
 香山さんも、ならば皇室とか、著名人の心理とか、大きな世界を心理学的に分析するのは少々控えたほうが良いのでは?と思うのは意地悪な見方が過ぎるでしょうか。

 さて、第100号の特集は「戦争は克服できる」という大テーマです。
 見出しのリードに驚き。
 「人間の歴史を振り返ると、紀元前3600年から現在まで約5600年の間で、全く戦争のなかった平和期はわずか300年」戦死者は35億人にのぼり、そのうちの96%最近500年の戦争の犠牲者
 人は「進歩」とともに、戦争という殺人を極限まで押し進めている!と愕然とし憂鬱になります。
 もちろん2度の世界大戦を踏まえて「パリ不戦条約」や「サンフランシスコ条約」(1945年)などで武力行使を禁止しているわけですが、忌まわしくもアメリカの国連無視のイラク戦争を筆頭に、先進国自らが国際ルールを破り、空から民間人を未だに大量殺傷しているわけです。
 そんな国際法無視のアメリカの戦争に日本の小泉政権はすぐ追随したわけで、その子供でもわかるルール無視をほとんどかき消すのが目的の如き政府のプロパガンダをしていた国際政治学者が現下の防衛大臣になったわけで、いまの日本がどのような立ち位置にあるかを考えれば暗澹たる気持ちになるのは必定というもの。
 少し冷静にこの500年の戦争の規模の拡大と犠牲者の数の膨大さにせめてわれわれ日本人は気がついて本気で考えたほうが良いのではないでしょうか。

 すこし興奮してしまいましたが、まず取り上げられている平和活動家のアン・ライトさんの行動には勇気と希望を得られます。非道なイラク戦争を始めたのはもちろん民衆たちそのものではなく、政治家やそれに追随する人たちです。ところが国家を守る側つまり29年間陸軍に従事し、その後16年間外交官を務めたアン・ライトさんのような人もいたということ。彼女は外交官の職を辞する決断をしたのはアメリカがイラク戦争を始めた時がきっかけ。そのときから反戦活動家となるわけですが、実はその前からブッシュ政権とは大きな溝を感じていたという。アフガン攻撃中、アフガニスタンのアメリカ大使館設立に尽力していたライトさんは治安が混乱しているアフガニスタンに増員に期待をし、2003年のブッシュの年次教書演説を聞き愕然とします。
 「大統領はアフガニスタンについてひと言触れただけ。その後、イラン、イラク、北朝鮮を『悪の枢軸国』と言い放ち」アフガニスタン以外の別の国を脅している大統領の姿はとうてい受け入れられるものではなかった、と。
 「40年近く国に仕えてきたけれど、初めて『もうこの国を代表する立場にはいられない』と思いました。今回のイラク攻撃に向かう過程は、根本を揺るがすほど危険で間違ったものだと感じていました」

 不肖、僕自身もこの攻撃の過程は、まさに自身の中に、根本を揺るがすほどこの世界の危険を感じ取るものでした。僕自身のなかにどこかであった楽観主義を根底から翻す、法秩序の無視であり蛮行であり、世界一の大国の、しかも「民主主義」のリーダーを自認する国のありようを問い直させる自分の心の落ち着きどころを揺るがす戦争、否、攻撃だった。それがイラク戦争だったと。その思いは今も全然変わりません。

 「戦争」という非道で、しかし人間世界に埋め込まれた合理性のレジームの外に出ていこうとする本性に対抗するために「国際法」、つまり法という理性があります。
 理性を代表するのは「言葉」でしょう。事実を評価し、表現する言葉。そして人びとを感情の呪縛から「冷静な判断」に運び込むためにあるのが「ことば」。

 しかし、闘争(戦争)の当事者たちは「意味を巡る闘い」をしています。(国際法学者:安倍浩巳さん。p14~15)自分たちの正当性や、正義を主張する、その意味を巡る闘いに視覚・聴覚を含めた情報を提示しつつ、歪曲したことばが、今度は提供されます。
 
 本来、卑近に言えば「喧嘩両成敗」という言葉があるとおり、どちらかが絶対に正しく、どちらかが絶対に間違っているということはないでしょう。喧嘩はお互いに過失や瑕疵、誤解があるはず。しかし、戦争は平和裡の法の枠外にあるから、正義や正当性も自分たちの正当性を主張する力が強いほうがこれまた有利です。ゆえに現代では視覚効果も含むメディアプロパガンダが有効な方法となるわけです。

 その点では、イスラム圏は現代の先進国たちが意識的にやっている「意味を巡る闘い」に勝つために利用する「マス・メディア」の活用力において劣勢に立たされているように思われてなりません。

 しかし、そのような「法」とか、「意味を巡る戦いにおいて勝つためのツール」について思いめぐらすのも大事だと思うけれど、ダイレクトに僕の胸を打つのは人の行動の直接性です。やはりこれに叶うものはないと思います。
 例えばイラク戦争が始まる直前、アメリカの学生とイラクの学生がテレビ討論する番組がありました。どうも論理においてもアメリカの学生のほうが弱い(正当性がないだけに今考えれば当然ですが)うえに、マスメディアに影響を受けた言葉をたくさん重ねている印象がありました。その中で僕が鮮烈な記憶にあるのは討論の最後のほうでイラクの女子学生が語った言葉です。彼女は言いました。
 「ここであなたたちと討論する良い機会はこれが最後になるかもしれません。戦争が始まれば、私たちの上に爆弾が降り注ぎ、本日を最後にもう私はあなたたちと話す機会は永遠になくなるかもしれないからです」
 
そう真実の言葉を吐いた女学生がいまどうなっているか、在命しているのかと今でも気がかりです。

 アン・ライトさんの紹介インタビューの記事にはラストに広島原爆の被害者である高木静子さんと向き合って「私の国があなたにしたことを心からおわびしたいと思います。どうか許してください」とわび、涙をぬぐいながら高木さんを抱きしめた、とあります。

 大人の論理以上に、究極的には人の真情をさらけ出す強さが争いを止める最大の力かなあと思います。でもそれを究極の場面で自分にできるのか。
 イラクの学生の本音の言葉。アン・ライトさんの行動。何よりも強いのはそれで、それが出来ない自分にはまだ争いを嘆く力しかない、ということです。

 何だかビックイシューバックナンバーの感想からどんどん離れている気がしますが、まあ許してください。
 それだけの喚起力がある第100号という記念のバックナンバーでした。

 ちなみにビックイシュージャパンの創刊号は昨年惜しくも解散したアメリカの良心とインテリジェンスを象徴するロックバンド、R.E.Mが紹介されている筈。節目の100号も、R.E.Mの動向記事です。丁度オリジナルアルバムの最後となる作品の紹介インタビューでした。彼らも現代社会のムードや、マスメディアの脅威に警鐘を鳴らす、しっかりとした主張を持つバンドでもありました。



チャンネルを変えないで 省略していきなり結末にいくからね
[PR]

# by ripit-5 | 2012-06-07 21:56 | ビック・イシュー

ビックイシュー・ジャパン・BN51

d0134515_18244225.jpg


 ビックイシュー・ジャパンのバックナンバー、結構遡って51号。表紙はハリウッドスターではなく、個人的に馴染み深い英国ロックの新人バンド。これはいわば昔風に言えば、いわゆる「ジャケ買い」。当時、期待の大型新人だったアークテック・モンキーズ。もうこの頃には英国の新人バンドのロックとかは聞いてないんだけど、このバンドも現在どうなんでしょうかね?最新アルバムも出ているようですけど。ちなみに、雑誌の写真がチープですみません。写真心がないうえに携帯で撮ってるものですから。

 彼らのインタビューと、初来日に合わせたミニ・インタビュー。集合写真を見ると、ホント、フツーの(貧乏くさいw)若者たち。やはり、ボーカル&コンポーザーのアレックス・ターナーの二枚目俳優並みのルックスと、フロントマンを支えるバンドメンバーの普通のワーキング・クラスっぽさ(そのクラス出身かどうかはしらないけど)が、雰囲気としていいのでしょう。彼らの評判になったファーストアルバムは友人から借りて聞いたが、悪くはないけど、格別のめるほどではなかった。うう、すまない。オヤジだのう。昔パンクロックも既にロックファンだった連中から散々言われるか軽くあしらわれるかしたもので、そんな洋楽ファンを少年時代のおじさんは憎んだものだが、それそのものなオヤジにおじさんもなってしまったのだよ。すまない!

 さて、前2冊の紹介はかなりシリアスな内容だった。読み手にはちょいとばかり辛い内容でなんか申し訳なかった気がする。今号の特集は「女たちのサブカルチャー」。いわば女性おたくの紹介ですね。これは不得手な分野だ。よし、こころして勉強?するぞ、と読みました。

 で、読みました。読みましたが、う~む。どうも今ひとつ乗り切れない、理解しきれないところがあるなあというのが本音です、はい。
 自分も洋楽に前のめりで、普通の人から見ればその熱意?がチンプンカンプンであろうと想像できるのと同様、別の切り口で生きる充実になっている人がいるのは良く解る。わかるけれど、なんというのかなぁ。いわばファンタジーの持ち方がちょっと違う感じかなぁ。上手く表現できないけど。
 だからそこは価値の優劣はないと言い切りたいと思いつつ、どこかでそう思っている節がある自分がいやらしいなあ。
 で、女性のサブカル、おたくといっても、いわばマニアでしょ。自分もこだわりがある意味では洋楽マニアなんだけど、でも、紹介されている世界のほうが陽の当たる場所にある気がするのよw。そこが実は悔しいのかもしれないw。

 東京で3日開開催されるコミックマーケットは1日の来客数が10万人を越えるんだって。これは凄い。3日間で30万人です。
 「コミケの最大の特徴は出店する人、買いに来る人、それを支えるボランティアスタッフたち、みんなで盛り上げ、盛り上がるお祭りである。コミケは”ハレ”の場であり、マンガとそれを愛する人たちの祭りなのです」。
 う~む、すごい。おそらく、この盛り上がりは今でも続いているんでしょうね。

 取り上げられているのは「球体間接人形の人形作家」「10年連続出店のコミックマーケット(コミケ)家族」「池袋にあるボーイズラブコミックの専門店が軒をつらねる乙女ロード」「昭和レトログッズファンのイラストレーター」というところ。

 まあ、球体間接人形を作る人や、昭和レトログッズに惹かれたイラストレーターさんはそのまま自分の仕事に生かしているので、アーティストシリーズに含めてもいいかと思うなぁという感じで理解できるのですが。

 ああ、でも同人誌発行ファミリーの昔の少女漫画パロディ風の表紙もコミカルで笑えるかな。

 「お父さんはオタクだった/お母さんはオタクだった/すると子供たちもオタクになった/人はこれを因果はめぐる風車と呼ぶ」。

 こういう諧謔味は実にいいですね。かなりハイセンスな家族の楽しみと一体感。その余裕が多少妬ましくもあったりするわけですが。

 あ、嫌な人格だなあ。自分は。。。(苦笑)

PS.
 コミックマーケット、いわゆるコミック同人誌の展示販売会のイベントはなんと1975年から始まっているとのこと。今回初めて知りました。参加サークル32、参加者700名から始まってここに至る、となるとこれはもはやひとつの歴史を持つ世界と言える。いやあ、知らなかったですねえ。(@_@;)
 
[PR]

# by ripit-5 | 2012-05-28 22:00 | ビック・イシュー

ビックイシュー・ジャパン・BN67

d0134515_1950143.jpg


 ビックイシュー・ジャパンの07年3月1日号。表紙はニコラス・ケイジ。といってもハリウッドスターには疎い自分はおぼろに名前を知っているくらい。なんでも巨匠、フランシス・コッポラ監督の甥に当たる人みたいです。

 今回は話題は3点ほどに絞って。

 その前に自分でビックイシューを購入するまでの過程をお伝えしたい。これも長い前置きになるかもしれないけれど。札幌でいわゆる路上販売が始まったのかは正確にはわからない。ただ、おそらく08年のいつ頃かそれ以前か。いずれにせよ、その頃、冬の地下鉄大通り駅の東豊線から東西線に向かう地下歩道で販売されていたのは知っていたが、多少ものを知っている普通の人もそうだと思うのだけれど、僕も最初は購入するのに勇気が要りました。いつも朝のラッシュ時にもかかわらず元気な声で販売の方の売り声を聞きながら後ろめたい感じを抱きながら通勤してたものです。

 自分としてはビックイシューの存在を知ったのは早いほうだと思う。もともとビックイシュー発祥の地、英国でホームレス支援のための雑誌が販売され、こちらでもご存知の方法で路上販売されていることを知ったのは英国のロックミュージシャンの社会活動をロック雑誌で知っていたためだ。元々英国ロックのファンだった僕は例えば本国での創刊時の頃、英国の人気ロックバンド、ストーン・ローゼズ(今年再結成し、日本のFUJIロックで来日する)が雑誌に協力して表紙を飾ったとか、世界的なバンド、U2も協力しているとか。そういう情報が入っていたし、例えばオアシスのようなバンドの協力など、英国ポップスファンとしては早い段階から認識することが出来た新しいタイプの雑誌だったし、それがとうとう日本にも上陸し、そしてこの札幌にも、と心動かされていたのにも関わらず、勇気が出なかった。お金がなかったのではなく、声をかけて購入するのがためらわれたのだ。

 それが溶けたのが08年の冬、派遣村騒動が起きる少し前の12月中旬の北大での湯浅誠氏らを招いたシンポジウムであり、その場で北大の中島岳志氏が自分が札幌の世話人としてビックイシューの出張販売の呼びかけに応えて購入したのが始まり。それから通勤帰路で購入しはじめたら、販売員の方の丁寧な対応やその元気に目が開かれ、逆にその後は自分が元気をもらったり、気持ちを励まされるようになった次第。

 さて前置きが長くなりました。誌面記事を3点。
 一つは、「お、これは知らなかったな」と思ったのが、マイケル・ウインターボトム監督が『グアンタナモ、僕等が見た真実』という映画を撮ったという紹介記事。マイケル・ウィンター・ボトムって、硬骨漢というか、社会派だったのか、あるいはグアンタナモもという人権無視の収容所の存在の実態を知って怒りを禁じ得なかったのか。

 もう一フランスのパリ、サン・マルタン運河のおしゃれな一角にふたりの兄弟が私財約40万円ほどを投じて、運河沿いに約100のテントを設営し、裕福なパリ市民を招いて厳冬の一夜をテントで過ごしてもらうというイベントの紹介。そのイベントを行なったのはホームレス支援の「ドンキホーテの子供たち」と名乗る団体。
 このイベントの効果として、2007年4月のフランス大統領選挙で当初全然争点でなかった貧困問題がにわかに全国民の関心の的になった、とある。
 しかし、この頃はシラク大統領だったのだ。う~む時代を感じるなあ。このあとこの年から大統領がサルコジに変わったのだろう。たった5年前だけど遠い昔の気がする。
 もう一つは英国連邦のひとつ、スコットランドが03年に「ホームレス法」を制定していることが紹介されている。このフランスの動向をみながら、スコットランドの決定は、ヨーロッパ中の人たちに対して、このような法の成立も可能であると知らしめたという。
 なるほど。日本でもこのような法を制定し、アジアにこのような法の成立も可能であると知らしめられないかと思うが、最近の芸能人を利用した生活保護バッシングを考えれば遠い現実に思える。
 ところでこの記事の下に小ネタ?として、アメリカはニューヨーク市の人口約870万のうち、約120万の人たちが毎日、家賃を払うか、食料を買うかの究極の選択を迫られている、とある。リーマンショックが表面化する前だということを付け足しておこう。

 さて、特集のハイライトは「フリーターの今と未来は?ー出口なき若者たち」である。
 見出しのリードが刺激的だ。というか、先験的だ。”若者にとって、どんな働き方、生き方をしても安心できない時代になった””家なきフリーターの若者たちも増えている。都市全体が寄せ場化しているのかもしれない。正社員層はそんな現状を知っているからこそ、長時間労働に耐え、心を病む人も多い”

 この翌年の年末の派遣村騒動の前の年の春頃から、いわば労働現場の大震災の前駆的な揺れは此の頃から徐々に可視化され、問題が表面化しているのが解る。ーそれにしても、やはりビックイシューの問題意識は早かったと強く思わざるを得ない。雨宮処凛氏が日雇い派遣や、請負でネットカフェ、マンガ喫茶を根城にしている日雇い雇用の若者の実態をレポートしている。後に湯浅誠氏が「すべり台社会」と表現した現実がこの頃に起きていた。「一度正規のルートから外れた若者に社会はあまりにも冷たい」。そんな建設現場で働く若者は「労災にすると、たちまち現場を干された」。その若者の言葉を借りると「一個二個のつまずきで、もしくはスタート地点が違うってことで、服を買うお金も、牛丼を食べるお金もない」。
 「フリーターがホームレス化しやすい環境がある。寮生活の製造業だ」(雨宮氏)。「多くは3ヶ月から半年の短期雇用。景気の調整弁」。この警告が大げさでなかったことは、翌年末の「派遣切り」で表面化した。この時期から社会で問題が共有されていれば、と思う。

 現在進行形でもまだ気をつけて見ていかないといけないのは、大学の「奨学金」の返済の問題だろうか。大学の奨学生もこの時期、製造業派遣で働いていた。ある人は学費の借金のために製造業派遣で働く。大学を卒業すると同時にすぐ400万円の奨学金返済が始まる。
 これは現状、大学を出ても就職口がない若者たちにもいまものしかかる重たい問題ではなかろうか?

 この時期、派遣とともに、「請負」での労働も普通に行われていたのも興味深いというか、冷や汗が出る。偽装請負のケースを淡々とレポートされているが、まさに「偽装請負」問題が表面化したのはまだこのあとだったわけで、労働法の隙間でずいぶんの企業の酷さ、犠牲になった若者労働者がいたのは残酷な事実だ。そして今後もまだいろいろな手口で酷さは形を変えて続きそうだ。

 「フリーター全般労働組合」の結成者、タカユキさんの言葉が真に迫る。「考えるとつらくなることばかりですが、目をそらさず、見つめすぎて暗くなったりせず、何とか生きていく方法があると思っています」

 特集最後の雨宮処凛さんのインタビューに答える杉田俊介氏という人は自分は知らなかったが、実は現在やっと理解されてきていることを先駆的に語っている。ポイントの一つは旧日経連(現・経団連)が1995年に発表した「新時代の日本的経営」という提言書にある正社員、スペシャリスト、雇用柔軟型の労働者の3分類による労務管理の問題。ーこれは今も変わっていない。変わらないから、就職活動が現状も異様なかたちで続いているわけで。また、ホームレス支援の生田武志氏は「フリーターはこのままいくと、一定数が野宿生活者になるだろう」と。

 現在でも議論が活性化しそうな幾つかの論点も論じられる。「格差なのか、貧困なのか」「日本の場合、セーフティネットは家族が担う。その中に問題が集約されて孤立化していく構造がある。そのためひきこもり、家庭内暴力、リスカのようなかたちでの暴発が散発的に起きる。企業が福祉を担う日本社会では、企業に入れなければ家族を頼るしかない」
 そのような夢を持てないフリーターたちは「一発逆転しなきゃ、て気持ちが高まっていく」「あるいはもう一つは、普通の生活をすること自体が夢になっている。正職員で年収300万円くらいが夢になっていて。」
 しかし「もうちょっと社会性のあるような、豊かな夢を見てもいいのではないか」

 こういうような経営側の論理が大きな力を持つ中で、なお自分の側に問題がある、自己責任だと思う人には「それは自己責任でもなんでもないんだ、悪いものが一つだけあるとすれば『自分だけが悪いんだ』と思い込むことです」。

 国際競争が激しくなる中、外国人労働者に頼りきれなくなった中で自国の若者に代替を見つけた日本の企業。この構造的問題はいま現在進行形で動いているイデオロギーの気がするので、これまた背筋が寒くなる話。

 そういう意味で、この雑誌の問題意識の持ち方、速さは賞賛というとおかしいですが、そういうものに値すると思います。慧眼というか、本当の意味で「炭鉱のカナリア」のような雑誌だな、と思うところです。
[PR]

# by ripit-5 | 2012-05-27 20:23 | ビック・イシュー

ビックイシュー・ジャパン・バックナンバー66

d0134515_21272258.jpg


 久しぶりにブログ更新。最近、「ホームレスの仕事を作り自立を支援する」雑誌、ビックイシューのバックナンバーを集めて読み始めているので、ランダムにその感想を。最初のうちは簡単にはいかないと思うが、出来るだけやりながら考えて、手短に要約してブログにコメントしていける方向に持っていきたい。

 まずはビックイシューの日本版、第66号。この頃はまだ札幌でも路上販売が始まっていないのでは?と思う。正確にはわからないが。2007年の2月15日号。表紙はハリウッドスター、ドリュー・バリモア。映画E.Tでの子役やチャーリズエンジェルシリーズなどにも出演しているらしい。個人的にはハリウッド映画にはほとんど関心がないので、良くは知らない。しかし、当人自身も薬物依存の時期などいろいろ波乱万丈な少女期を過ごしてきたらしい。

 毎号巻頭を飾るリレー・インタビューはなんと羽賀研二。いろいろとマスコミに言われてきた方ですが、当人にもいろいろな事情があったのがわかる。「ターニング・ポイント」がインタビューの核なので、このリレー・インタビューも著名人にある内面の弱さなどが赤裸々に語られるのが特徴。今後「次長課長」さんの人もインタビューで語る思いの時もあるだろうなあ。

 アーティストの紹介として、フランス人のグラフティ(落書き)アーティスト、ブレック・ル・ライトという人を取り上げている。彼はフランスの1968年革命に大きな影響を与えたシチュエーショニズム(状況主義)運動の影響を強く受けている人。状況主義といえば、個人的にはセックス・ピストルズのマネージャーだったマルコム・マクラーレンや、ピストルズのレコードジャケット、グラフイック・デザイナーを手がけたジェレミー・リードらも強い影響を受け、その実践、実験としてセックス・ピストルズを利用したと言われる。(利用したのは、マネージャーのマルコムだが)。実際は状況主義の実験の思惑ははずれていったのだろうが、個人的にはそのような後の英國パンクの理論構築にも影響を与えたシチュエーショニズムという運動にもこうして雑誌で再度ことばに出会って関心を持つところだが、日本ではまずほとんどこの運動の理論に関する本はないので、関心の深めようがないのが実体的なところ。
 ビックイシューのインタビューに答えるブレックの言葉では「芸術の道を選んだ時、同時に社会的な方向に目が向いた。芸術のための芸術に興味はない」といいつつも、「グラフティ(落書き)の大きな問題は攻撃性。攻撃的になるのは避けたい。グラフティをやるにあたっての責任がある。メッセージを発信するわけだから、思いやりのあるメッセージでないと」と。大人な発言。1951年生まれのアーティストだけに大人の落ち着きが出ているのだろう。

 そしてこの号の特集は「自殺させない社会へー自死は防げる」。バックナンバーの選択の基準はやはり特集の内容にある。特集でインタビューに答える人たちは今や著名となったNPO法人・ライフリンク代表の清水康之さん。他に元日弁連会長の宇都宮健司さん(この時期はまだ会長選出前)、一般医ー精神科医ネットワークの石藏文信さん、京都で自死遺族の語り合いの場を提供している石倉紘子さん。

 一般医ー精神科医ネットワークを主催する石藏さんはうつ傾向を深めた患者さんがまずは一般医に身体的不調を訴えているうちに精神疾患を抱えている患者さんが多いことに気づく。「心臓の医者だから、心臓に異常がある患者さんには驚かないけど、目の前で『自殺したい』なんていわれるとどうしていいかわからない」と胸の内の動揺を告白し、精神科医を密に連絡をとるうちにわかったことは「精神科医と一般医の連携不足」だった、ということを踏まえ、精神科医と一般医の交流、一般病院に気軽に心の問題を相談できる機関を紹介できるかたちを実践する。「後ろに精神科医が控えてくれると一般医も安心して治療できる。その交通整理に着手したかったんです」。

 多重債務者救済のスペシャリストとして当時著名だった宇都宮健司弁護士。ある意味怖い話が語られる。それは消費者金融と生命保険の問題。なんと、「消費者金融の多くは債務者に生命保険をかけている」。結果、自殺する債務者が後を絶たないと。「ある消費者金融では、借り手が自殺するとみんなで拍手するという話です」。背筋が寒くなる話だが、いまでもこのような闇金融はあるのだろうか?

 上記の宇都宮弁護士の話のように、ライフリンクの清水氏は自殺の複合的な要因について語る。「多重債務、中小企業経営者の連帯保証人の制度、自殺で生命保険がおりる生命保険の問題、介護疲れの人たちの心中もあります」。まさに現実制度として「連帯保証人」の制度や「生命保険」と自殺の問題は手をつけようと思えば、つけられる制度的な問題。
 また、心理面では「追い詰められた時に弱音を吐けない。特に中高年の男性などはつらいことをなかなか言えない土俵など価値観の影響もあると思います。一概にはいえないが、制度的なことが影響しているのは間違いない」。

 自殺対策の現場も自分たちの活動で手いっぱい、横につながる労力をさけないと。今から5年前のこの発言と現在はどうであろうか。良い変化はあったのかな、と気になるところ。
 清水氏がNHKのディレクターだったのは知られている話。その清水さんの発想の根源には、「生き心地の悪さ」の正体を明らかにしたいということにある。「それがたまたま自殺の問題と出会った時にかなり符合しました。究極の形である自殺の問題を切り口にして社会を見ていくと、みんなが感じている息苦しさとか、焦燥感みたいなものの正体がわかってくるんじゃないかなと思ったんです」。

 個人的にはこの発言になるほどと思った。清水さんを動かす原点はこの自分自身が感じる生き心地の悪さの正体をつかみたいということではないかと。それはおそらく、その原点は今も変わらないのではないか。

 以上、まずはビックイシューのバックナンバー紹介の1回目は第66号。懇意にさせてもらっている販売員さんからまだ今後、過去のバックナンバーは購入したいと思っています。いわば自分、ちょっとしたビックイシュー、マニア域に向かっているようで、それもまた楽しいw。
 自分で購入し始めたのはローリングストーンズが表紙の108号頃から。それ以後のバックナンバーも含め、現在は191号だから、その頃のものから一冊ずつ紹介するだけでもネタは十二分にある。1回目は思ったとおり長くなってしまったけれど、今後は出来るだけコンパクトに紹介する技術も身につけていきたいと思っています。

 ひとつ言えるのは、ビックイシューはまさに現在の課題ーを一貫して先取りしてきたこと。それはバックナンバー(BN)を読めばまず間違いなく言える。
 最初は販売員さんのために、というボランティア意識で購入してたビックイシュー。今では社会的課題を考える、自分で問題意識を持って考える上で欠かせない雑誌になりました。ですから、一冊ずつ焦点を絞って読んだり、あるいは着目してなかったところを読んだり(けして社会的課題ばかりを追求する雑誌ではない)して、ブログでBN紹介できればと思います。頑張らずに、でも意識してこのブログを再活用しますので、良ければたまに立ち寄って頂ければ嬉しいですね。
[PR]

# by ripit-5 | 2012-05-26 21:46 | ビック・イシュー

ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

d0134515_21364331.jpg


 ジョージ・ハリスンのドキュメント映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を観てきました。監督はマーティン・スコセッシ。彼が作ったボブ・ディランのドキュメント映画にも負けない3時間半。2部構成の長尺なもの。後述しますが、個人的には全然長く感じませんでした。(じっとしているのが苦手な自分はお尻が痛くなってきて、足を組んだりほどいたり、お尻をもちあげたりしましたが)。
 ビートルズに関心を持つ人を前提に書きますが、やはりビートルズと言えばジョン・レノンとポール・マッカートニーのソングライテングが大きすぎ、その中では取り立てて目立つ存在としてビートルズ初期は描かれてはいません。しかし同時に大きいな、と思うのは彼が最初期のオリジナル・ビートルズに参加した当時は何と17歳で、そしてあのビートルズの偉大な下積み修行時代であるハンブルグ公演にも参加していることです。

 第一部はビートルズ時代が中心ということもあり、彼自身のスポットライトを浴びる場面が想像以上に少ないのです。旧友のエリック・クラプトンや、ビートルズだったポール・マッカートニーがインタビューに応えますが、やはり当時のビートルズのフィルムはジョンやポールが歌う姿であり、MC役のポール・マッカートニーの姿なのです。
 また特定人物のドキュメントであるのに「面白いよなぁ」と思うのは、例えばドイツ・ハンブルグ興行で知り合った朋友で、後にソロになってからベーシストとしてジョージのアルバムに参加するクラウス・フォアマンがある場面においては主人公であり、また短命だったオリジナルメンバーのスチュアート・サトクリフが死んだアパートメントを訪ねて悲嘆にくれているジョン・レノンだったりするわけです。それらの場面ではジョージ・ハリスンは如何にも世間のパブリック・イメージである「第三の男」らしく、彼らの気持ちを汲んで背後に寄り添うような存在として目立たないけれども、安定性をもたらす存在として描かれています。
 エリック・クラプトンのインタビューも、ビートルズのオーラに圧倒された自分自身について主に語っているわけで、その時間の主役はクラプトンです。ですが、そこには話の媒介としてジョージの存在が通低しているわけで、ジョージ・ハリスンという人は同世代を生きたミュージシャン仲間に愛され、また生涯を通じて幅広い交友関係を持っていた人ですが、彼の立ち位置は座の中心と言うよりも、いろいろな人たちの良さを認めて全体の中のバランサーのように存在し、しかしその座の中心にいるという感じがありません。
 彼の自己を打ち出すエゴのようなものは、強力なジョンやポールの前でコンポーザーの仕事が認められず、その点で確かに苦悩していたことは他者によっても語られますが、しかし彼の活路は黄色い声を浴びてアイドルとして存在しているビートルズからアーティスト集団として変貌・変化する中で、シタール演奏家、ラヴィ・シャンカールとの出会いなどを通じて、インド音楽とインドの思想に触れることにより、グッと内面性を深め始めたビートルズの中でもかなりストレートに東洋思想の影響を受けて精神の安定とか、哲学的な発見の方向で自分のアイデンティティを掴んでいくことにより確固としたものになっていきます。

 映画のタイトル「リヴィング・イン・ザ・マティリアル・ワールド」は彼の2枚目のソロアルバムのタイトルでもありますが、まさに20代前半にして彼自身が物質世界と精神世界の両にらみの中で、特に世界の若者にとって精神的支柱であると同時に、消費者側としても最も崇拝されているビートルズというビックバンドの中に存在して、またそこにいたからこそ、物質社会の狂乱から逃れる術を精神世界に求めた感じがあります。ジョン・レノンにもその傾向はあったと思いますが、ジョージはビートルズの中心ではなかった分、より一層その精神世界への入れ込み方の自由度が高かったのかもしれない。また、映画ではビートルズ話では有名な、ある歯科医のパーティで飲み物に入れられたLSDというドラッグでトリップして知覚が広がり、そこから神のビジョンを得て、その後の東洋思想まで広がったというストーリーが暗示されていますが、実際にそういうところはあったようです。

また、シタール奏者ラヴィ・シャンカールの存在はどう考えてもジョージにとって大きい。一部、二部を通して伝統音楽と西洋ポップミュージックの違いはあれど、ミュージシャンとしてシタール奏法の手誰に対する偉大なレスペクトはあったろうし、そこからルーツを持つ伝統音楽奏者の背景にあるその音楽が発生する哲学や思想、宗教へとはまっていく流れは非常に分かる気がします。
 彼自身がその後ソロアーティストとして何を伝えていくのか、どんな表現をするのかという時に精神的に、また演奏技法的にもラヴィ・シャンカールを通じて学んだものは、彼が一人のソロアーティストになっていく過程の中でも特に大きかったのでは?と想像されます。

d0134515_22759100.jpg

 二部は彼がソロになって以降の物語がほぼ中心となります。もう一度彼自身の年齢を考えれば17の時にセミプロとなり、ビートルズが世界のアイドルになった時はまだ21~23歳頃です。そしてビートルズがライヴをしなくなったとき、彼は24歳です。何と若いことでしょう。
 僕は長い間、彼の早熟ぶりや、精神的な成長の速さ、ソロになってからの他のリーダーだった二人をしのぐソロミュージシャンとしての勢い、そしてロックチャリティの先駆けとなった「バングラデッシュ難民救済コンサート」の主催者を手掛けた後のミュージシャンのトップ争いからの離脱、などを考える時に思うのは、普通の人間がもつメンタリティを守る常識人としてのジョージ・ハリスンという人はあまりにも人生の早い時期にいろいろなものを見過ぎてしまったのではないか、ということです。
 ジョン・レノンはそれこそ早くから異端児で野性的な強さがありますから、社会活動家的となり、その後はハウス・ハズバンドになることであの時代の若者たちのロールモデルとなりましたが、やはり早い段階からビートルズの喧騒を冷静に見ている自分があったと思いますが、それでもジョージとは年齢の開きもあり、ある意味で世間智があったかもしれない。それに比べ、ジョージは余りにも若くして人びとの狂乱と成功の結果をダイレクトに浴び、違和感や時には虚無感すら感じたかもしれません。それゆえの東洋思想への傾注だったのかもしれません。

More
[PR]

# by ripit-5 | 2011-11-22 21:52 | 映画

レンタルDVD

レンタル作品でいわゆるミニシアターでかかるような作品がぐんと減っている。
もちろん自分は反韓でもなんでもないのだが、レンタルDVDの場所をぐんと占める韓流モノは個人的には疎ましい。
◎オはマンガの貸本レンタルも始めたので、DVD中心の時代には、ますます置かれるDVDに関してシビアなのだと思われる。

d0134515_21101349.jpg


ケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」は何時の間にかなくなった。
手に入った◎タヤでさえ、迷路に入ったように探して探して、アカデミー絡みでパルムドール受賞作品コーナーに一品だけ。おまけにDVDが旧作180円には参ったな。痛い。
この、店頭から撤去するタイミングはどこにあり、理由はどこにあるだろう?もちろん回転率が悪いのは用意に想像が付く。だから、僕はある時間の区切り目に立ち会った、というわけだ。
ケン・ローチといえば、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」もレンタルDVDがあったのに今はない。
タイトルは忘れたけど、東欧から移民した母子家庭の母親が職探しに苦労した末、人材派遣会社を起こし、そこでまた自分と同じような移民たちから搾取してしまう、とい悲劇の映画もあった。それもいつか観ようと思ったのに、すでに店頭にない。
北部炭鉱町の15歳の少年の苦闘を描いた名作「ケス」の同じ世代のワーキングクラスの15歳がゼロ年代により都会で孤立した厳しいサバイバルゲームに参加し、家族崩壊を食い止めようとするより深刻な悲劇、「スイート・シックスティーン」さえ置いていない。

僕のように、メジャーとは逆にマイナーなミニシアター系ファンには今のレンタルショップは厳しい。映画で何かを考えさせてくれるようなチョイスが圧倒的に減っている。それが実に短期間に起きていることなのだ。
こうなると、僕らの味方は図書館だけ。
無料でほぼ廃刊までネットで予約注文できるとは。まさにアンダーグランドな勝利なり(トホホ。。。)

話しはズレますが、一貫して社会派のケン・ローチ。ドキュメンタリータッチの映画、ドキュ・ドラマを作っていましたが、サッチャリズムの80年代はドキュメンタリー作家の方に移行していました。強力な炭鉱ストに関し、ストを推進する労働者側にたって撮影していた時代には、検閲などの目にあって不遇の時代だったようです。それで一時日本では知る人ぞ知る存在になったのですね。90年代以降、溜められた多方面のテーマが開花。「レイニング・ストーンズ」や「大地と自由」というような作品から精力的な創作活動が始まります。

ちょうど僕がケン・ローチ回顧展で彼の60年代、70年代の諸作品を纏めて見れたのは90年代の半ば頃。まさに時期というものがあり、自分にひっかかるシリアスな文化作品に触れるには、機会というものがあり、それを逸するととても残念なことになる。それはいま、しみじみ感ずることです。
[PR]

# by ripit-5 | 2011-10-09 21:13 | 映画

Joy Division ドキュメント

d0134515_222074.jpg




「70年代半ばのマンチェスターは歴史に翻弄され見捨てられていた。近代世界の中心的存在で産業革命も起こした街。だが最悪の状況も引き起こした。当時は本当にさびれてすすけた汚い街だった」(元ファクトリー・レーベル社長・トニー・ウィルソン)

これは単なるバンドの物語じゃない。一つの街の物語だ。
かつて産業が栄え、力強く輝き、革命的だった
それが衰退して30年後に突然 再び革命的な街として復活した
その変化の中心には数多くのバンドがいた。特にあるひとつのバンドが。。。

d0134515_2253583.jpg


そのようなナレーションによって導かれる70年代末。歴史的なバンドとして登場したジョイ・デイヴィジョンのドキュメンタリー。アイルランドのU2に影響を与え、先ごろ残念なことに解散表明したアメリカの良心、R.E.Mにも影響を与えた先駆的なバンド。
レンタル80円で借りてみたのだが、予想を超えて素晴らしかった。

今更ながら、と思いつつも自分にとって10代の強烈な思い出。ボーカリストが自殺した英国北部マンチェスター出身のパンクロックに影響を受けたバンド。そのサウンドはファーストアルバム『アンノン・プレジャーズ』で知っていて、その神秘的な、端正でもあり、暗くもあり、どこかクールながらも情熱を内に秘めた、独特な深いエコーと効果音の中、そのボーカルは無機質な感じを持ちながらも、真実を宿した音楽だった。
パンク好きな自分が同時期、セックス・ピストルズを辞めたジョニー・ロットンが始めたバンドであるパブリック・イメージ・リミテッドや、異様に早熟でジャズやファンク・レゲエの素養を持つ10代のメンバーも含めたバンド、ザ・ポップ・グループとともに、「ポスト・パンク」の旗頭の一つとして、深い関心を寄せていた。

そのボーカリストが首を吊って自殺をした、というニュースはここ日本の新聞にも載った。当時の自分には酷く仰天するような「事件」だった。なぜなら、当時ジョイ・ディヴィジョンは日本との契約が無くて日本盤が出ていなかったし、知る人ぞ知る存在であったし、何しろ当時のロックのイメージから最も遠い死に方のイメージだったからだ。
ロックミュージシャンの死とは、今と違い当時では「無軌道の果て」。自殺めいてはいても薬物による中毒死、あるいは車を暴走させて死亡、無謀がたたった事故死等々で、「自らの意志による」死、というのはロックンローラーには最も遠いものの一つと思われた。パンクの残滓が残っていた時代にはなおさらで、それはジョイ・ディヴィジョンのサウンドに宿る重さ、突き詰められたような真摯さからイメージが「近い」がゆえに、また二重に驚きを増した。

d0134515_2274276.jpg




以後、あの有名な「ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート」のあまりにも美しいポップなシングルを入手して吃驚したし、そのローマ風の嘆きのクローズアップ・モノクロ写真の説得力にも驚いた。そしてセカンドアルバム『クローサー』を手に入れ、そのすべてを予見している様なジャケットに符丁が合いすぎる偶然?にも頭がクラクラしたし、アルバムの内容、特に後半に至る遺書のような美しい暗さに浸りきり、のちに12インチで発売される、これまたメランコリックな名曲、「アトモスフィア」にヤラれ、毎日時間があれば夜、部屋を暗くして繰り返しジョイ・ディヴィジョンを聞き続けた秋から冬を思い出す。自分の思春期の暗い思い出のヒトコマだが、それでもそのこだわりはそのような時期であるだけに捨てられない。

マンチェスター・サウンドは89年頃のストーン・ローゼズやハッピー・マンディーズの活躍により“マンチェスター・シーン”として脚光を浴び、ジョイ・デイヴィジョン亡き後も残りのメンバーで再開したニュー・オーダーが80年代一貫して英国のシーンを牽引する質の高い活動を続けたおかげで「マンチェスター・サウンド」としても関心を寄せられたが、このドキュメンタリーはジョイ・デイヴィジョンというバンドの個的な活動履歴と言うよりも、「マンチェスター」という英国北部の元産業革命都市が衰退の中、パンクと出会った若者たちが無意識に「街の歴史」や「街の環境」を映しだす鏡として結果として存在していたことを証明するような印象を見事に伝えてくれる。素晴らしいドキュメンタリーに仕上がっている。

ジョイ・デイヴィジョンについて、あるいはマンチェスター・シーンについては、このドキュメンタリーの前に、有名なマンチェスターのインディ・レーベルやクラブを経営してたファクトリーレコードのオーナー、トニー・ウィルソンを狂言回しとした『24アワー・パーティ・ピープル』や、ムーディな写真家、アントン・コービンが監督したジョイ・ディヴィジョンのボーカリスト、イアン・カーティスを主人公にした『コントロール』があるのだけれど、個人的には今一つピンとこないところがあった。

その神秘探しの果てに、ついにこのドキュメンタリーに出会って初めて合点/納得がいった気がする。
このドキュメントではたっぷりオリジナルメンバーの3人、バーナード・サムナー(ギター)、ピーター・フック(ベース)、スティーブン・モリス(ドラムス)へのインタビューが聞けるし、ボーカリスト、イアン・カーティスが若い時に結婚し、妻との関係で悩み種となった知的な愛人も全編に渡ってインタビューに答えてくれている。これら関係者たちの語る内容が一つ一つ的を得ているのだ。というか、実に詩的な表現も多く、偶然か無意識化はわからないけれど、いかに彼らの作り出したサウンドやライヴでの表現がマンチェスターの当時の街の様子や、人びとの気分、心象風景を映し出す鏡の役割を果たしてくれたかを伝えてくれる。

子どもの頃を振り返ってギタリストのバーナド・サムナーはこう語る
「いつもきれいなものを求めていた。でも潜在的には---。9歳の時に木を見た。周りは工場ばかりできれいなものは皆無だ」

「初めて行った時、マンチェスターは家がびっしり並んでいた。次に行った時は瓦礫の山と化し、次に行った時はビルの建設ラッシュ。そして僕が10代になる頃にはコンクリートの要塞になってた。当時は未来的に見えた。でも“コンクリートの癌”が始まって醜悪になった
」(スティーヴン・モリス)

「サッチャーのファシスト的大量消費の時代も迫っていた。そんな中バンドはまるで地下組織の抵抗運動に見えた。まさにそうだ。あれはアートや文化での抵抗運動だった」(マンチェスター出身の映画監督)

アルバムが出た時、まるで私がいる場所の環境音楽だと思った。私にとって彼らはほとんど環境バンド。普通の音楽じゃない。住んでいる街の音(ノイズ)なの」(ファン)

「マンチェスターのSF的解釈だ。街の風景や心の風景や音の風景が音楽にある。驚くべきことだった。彼らはマンチェスターをコズミックにした」(ポール・モーリー・音楽評論家)

英国の都市は70年代の寂れから、サッチャー政権の新自由主義政策で労働集約的な産業を押しつぶした。その時に最も深刻な影響を受けたのが英国北部であり、マンチェスターもその街のひとつ。サッチャー政権が登場した79年にデビューしたイアン・カーティスと言う稀代のフロントマンを擁したジョイ・ディヴィジョンはその重く、かつ真剣なサウンドで英国北部に住む自分の街の暗い未来を予見していたかのようだったし、同時にそれに抗うような、ある意味見かけとは違ってパンク的な精神のグループであったのだろう。

詞は極めて抽象的でありつつも、また、些細な感情への注意深い観察のような、いささか神経質な感覚なものでありつつも、その他者との関係性への言及は広い意味で英国北部人の個人的な抵抗のあかしだったのかもしれない。
詩人はそのライヴにおける痙攣するようなダンスと、物憂げでうつろな目が時折カッと見開く「静と動」の激しく切り替わるパフォーマンスで、日常と非日常が交互にやって来るような特殊な経験を見せ、そのボーカリストである繊細な詩人はてんかんに悩まされ、愛人と妻の関係でも懊悩し、最後は自死を選んでしまう。



その後は残されたメンバーは強い個性を持つメンバーを入れず、より一層個性を殺しつつも、ダンスの機能性と、ジョイ・デイヴィジョン後期の美しいサウンドの両面を強調し、80年代に一層、街の風景の移り変わりを機能的に描写する匿名性が強いバンドになっていく。その方法論もまた、大成功であった。

昔、ある音楽評論家は言った。「ヒーローやスター・システムは我々が不幸であることの反映である」と。我々が欠乏や欠損の感情を抱えていなければ。ひとりひとりがヒーローであり、スターであれば。スターシステムは必要でなくなる筈であると。
この映画も、冒頭である政治家の演説が流れるが、この繊細で大胆なオーラを持つ自死を選んだボーカリストを生む、そんな社会環境がこの理想的な演説通りの社会であれば必要無かったのではないか?という仮説を提示しているようにも思えてくる。この冒頭の演説がドキュメンタリーのベースの一つをなしているように思われる。

演説:「神よ。公正な街の姿とはどのようなものでしょうか。
人がだれの犠牲にもならぬ正義の街
これ以上 貧困が増え広まることのない豊かな街
人の役に立つ行為によって 成功が築かれる友愛の街
美徳のみが名誉とされる街
序列が力に基づいて決まるのではなく 他者への愛で決まる平和の街
そんな街こそ 人びとに光と繁栄をもたらす偉大な母です」


この演説から遠い社会だったからこそ、届きそうな未来を夢見て殉教的にさえ見える現実の特殊な映し絵のようなサウンドと、パフォーマンスを披露できたのだろうか。。。?

われわれの生活は退屈で平凡だ。
 だが良いライヴではたとえ1時間でも彼らの目を通して世界を見られる」
(トニー・ウィルソン)



[PR]

# by ripit-5 | 2011-09-24 22:17 | 映画

Ustreamにて雑談、日曜日



日曜日に友人宅にて雑談。
2時間25分。特別なことはな~んにもありません。emoticon-0126-nerd.gif
文字通りお暇なマニアがいれば、どうぞ。
[PR]

# by ripit-5 | 2011-09-13 22:33 | 日々

片肺を病むように

 ブログの更新がまたまた1月以上になった。
この3連休がいまひとつ天気がぱっとしないのと、少しずつ今の現場の状況が落ち着いてきたのも相まって、この休み、特に外に出ることもなく、読書とケーブルテレビを見ることで過ごしている。手に入れたiPad2も機能の10分の1くらいしか使えない状態が続く中、操作もよくわからないままダラダラYOU TUBEなどを見ていると時間があっという間に過ぎていく。

 職場の昼の過ごし方も少し余裕が出てきた。昼時に外に出て、近くに札幌では古くからの市民の憩いとか娯楽の場であった中島公園と言う場所があるが、その傍を鴨鴨川という小川が流れていて、鯉も泳ぐ本州の城下町風の風情を残している場所である。まぁほんの見立てに過ぎない場所だともいえるのだが、気持ちを和やかにしてくれるのも確かだ。
自分の本来の体質である静かなほとりでぼんやりする気質を、そこにもちこんだり、見ていて奇妙な、面白いなぁと思う建物をぼおっと見ているだけだが。

 しかし、これらの状況でいいのか、と心中では思っている。この個人的な平和、というより内に籠ったいつもの癖の中にあることは、いまの非日常性に末端とはいえ向き合う仕事からもどこかで逃避している様な気がするのだ。

 いま福島で起きていること、そしてより重要なのは、市民がどういう行動に移れば良いのか?ということに関して、専門家も明確な答えを出せない。その意味ではおそらく戦後日本では未曾有のことで、それは技術的なことは置いておいて、生活者、社会に生きる人々として、特に子どもを持つ親たちにとって海路のない地図のみを与えられたような、深刻な事態だろう。自由選択の社会だからなのか?
とするならば、自由の社会とは何と残酷な自律を強いる社会なのだろう。
 本当は違うのだ。本当に自由で自己選択が出来る社会ならば、正確な情報、幾つかの選択肢、そして平時ではない場所に住む人には特別な配慮をして、平時に生きる人と同じ機会と結果を与えるようにすること。それが自由社会の本質だろう。
 
 ところが政策を遂行する政府は、実態を知りつつ避難区域を狭い所から徐々に30km範囲まで広げるだけで、その後ホットスポットで線量が高い所を奇妙な名前の避難を将来的に呼び掛ける区域にしただけだった。しかも、「避難してください」というだけで、避難する場所も、避難した後の生活についても何の指針も示さないままだった。
 
今の問題は、それら避難後の生活の情報もインフラも、何も提供されないまま若き両親たちを悩ませるだけだ。そして自分で選択して時に家族は土地を離れていく。あるいは稼ぎ主を残してその他の家族は地元を離れていく。そういうことが起きている。そしてそれは、本当は世の中全体でこれはどういうことなのか?と考えるべきことのはずだ。

 前述したように、政府、あるいは政府よりも前に原子力安全保安院はメルトダウンを知っていた。政府だって多少情報のタイムラグがあったにせよ、早期にメルトダウンを知っていた。知っていて、「直ちに影響はない」とパニックを恐れて言いいい、誤魔化してきた。政府としてその事に関し、直接の謝罪がないにせよ、いま菅首相があの原発事故で自分の価値観の転倒を強いられたとして、原発に依存しない社会を作るという大方針を示したのは、その方針の中に福島住民への謝罪の意図が含みこまれていると私は考えている。

 それなのに、一国の首相が普通の国民が当たり前に感じている事に言及して「やっと」ではあったにせよ、「良く言ってくれた」と思うことに関して、内閣の中にいる人間も、マスコミも、しらじらとしているのはどういう訳だろう?首相会見の場に官房長官もいないのはなぜだろう?
 それは本当に、首相の人格に対する周辺の嫌悪感だけに起因するものなのか。人間は、(自分を基準にするのは間違っているけれども)意外と理念よりも感情に支配され、それは人びとを統率(あるいは支配?)する政治のトップリーダーたちの中にもあるのかもしれない、と見ることも出来なくはない。

 しかし、「それだけなのだろうか?」という疑念の方が私には大きい。

 福島原発の様相はいろいろありつつも、全般的には予定通り推移しているという。同時に、放射線の漂流・着積の結果、生活基盤への問題はいよいよ本格的に異様な状況が見えつつある。

d0134515_12175875.jpg

 昨日はジャーナリストの神保哲生氏が主宰するビデオニュース・ドット・コムの311以後の津波震災と原発事故による専門家に話を聞いてまとめた一冊の本、『地震と原発 今からの危機』を読んでいた。この中ではビデオニュースの無料配信の回を含めて本をまとめているので、すべてが初見の内容ばかりではないのだが、京大の小出助教などからかなり早い段階で話を聞き、環境エネルギー政策所所長の飯田哲也氏には地震前から環境エネルギーについて話を聞いて早い段階から「原子力村」の存在を伝えてくれるなど、ジャーナリズムの良心が伝わる内容となっている。
 活字として読むと、より一層内容の濃密さが伝わってくる。

 そしてしみじみ思うのはやはりこれは戦後における「敗戦」なのだ、という実感だった。電気事業界・産業界・政界・マスコミ・原子力研究をしたい学者たち・立地地として狙われた過疎にあえぐ自治体。矛盾があり、意識の高い層にはその構造が見抜かれながらも、隠ぺいされた姿がすべて、白日のもとに晒された。
 それは『地震と原発 今からの危機』で神保氏が記述しているように、リーマンショック並みの隠ぺいや壮大な欺瞞の露見と同じクラスのものかもしれない。

 しかしその代償はあまりに大きく、それらのツケはほとんどが普通の市民にしわ寄せされる。今回の原発事故は内部被ばくの危険性から水俣病ともよく比較される。今後約30年後、沢山の訴訟が起こされるだろう。

 その頃、日本の社会は持っているのだろうか?私は楽観主義者でないけれど、国家が崩壊するか、などという議論に本気になったことがない高度成長時代に精神形成した子どもだ。しかし最近は本当に「日本という国は持つのだろうか」と思うようになってきた。
 ソ連の崩壊はアフガニスタンにおける長い見通しの立たない戦争に膨大な戦費を費やしたせいだ、という話を聞いたことがある。そしてしばらく時を経て、いや、チェルノブイリの原発事故のせいだ、という話も聞いた。
 おそらくアフガニスタンとの戦争の疲弊とチェルノブイリの事故の両方だろう。

 日本は、片肺を病んだ状態に今おかれた、と率直に認めたほうが良い気がする。見通しの暗い話ばかり並べ立てた気がするけど、それが真実の気がするのだ。
[PR]

# by ripit-5 | 2011-07-18 12:11

311から3か月が過ぎ

また久しぶりの更新です。
前回の更新が4月だから、あれからもう2月以上が経つ。

その間に自分の環境も変わった。NPOに関する基金訓練を受け始めた初っ端にたまさか今働いている事務局長にエレベーターの中でばったり出会い、そして現在の札幌市に被災で移動してきた震災被災の方々の生活支援のための情報提供や、相談などの仕事をしている。
ペーパー資格は持っていたが、実務経験が無かったため、企画力や支援のためのむすびや連携の方法論を持てずに苦労しているのだが、同時期に入った2人の同僚が非常に有能なので、私はどちらかと言えば今は裏方に回って内部の基盤整備、社会保険や経理などの事務的なことを中心に行っている。実はそちらも社会保険労務士の資格があるとはいえ、こちらもペーパー資格なので緊張し通しやら、小さなミスやらで大変だ。

どんな仕事であれ、仕事に自分の内面を託すなどということは難しいことを改めて学んでいる。
続けるためのポイントは事務局長の高い福祉マインドとボランティアスピリットにレスペクトしているのと、けしてリーダーとして叱責しない優しさのおかげでもある。

そういう環境でなかったなら、なかなか難しいと思う。
状況は動くし、既定の道はなく、作っていく作業がある。それは出来る才能を持つ同僚がいるので、自分はそれを見て学ぶ(とはいえ、見ているだけでは難しいのは確か)方向性しかない。事務屋さん的な仕事が常にあるというわけではないからだ。

もう一つは被災避難者の問題に関われる、という仕事の原点があることが大きい。
そのために情報を集めることは苦にはしないつもりだが、いかんせん、福祉の専門勉強も通信での随分前のことだし、伝える力の弱さを感じる。
ただ一つ自分に可能性がある分野があるとすれば、「聴く力」ということになるだろうか。

「聴く」というのは実は簡単な事ではないと思っている。語り手の思いの背後にあるものも含めて、聴くというのは表の意味も、その背景の意味への想像力も、両方必要になるからだ。本来、真剣に聴くなら、語り手の文化的な背景もおおげさにいえば、知っておきたい。文化的というのは、狭義の意味ではなく、広い意味でのその人が生きてきた環境への思いをはせるような感じだろうか。

大層立派な言い方になってしまうけれど、実はその力とて、自分はまだまだ全然だ。唯一可能性がある分野はそこだろう、と思う、という話だ。

しかし、今の仕事のように大きなグランドになると、そのような個別的な話を聴くことでカタルシスを得てもらうような状況にならないのも現実だ。

ところで、この夏を契機に福島県を中心に子どもたちを中心に北海道に受け入れようという動きが出てきている。
私は福島は大層危機的な状況にあるという認識を持っているし、本日の健康調査の話や、子どもたちに線量計を渡すような話が現実化していることを考えると親たちが深刻に移転を考えだすのは人として自然な感情のようにも思っている。

しかし、避難する後にどんな生活が始めるのか、両親ともになのか、母親のみなのか。住まいは公営か、民間賃貸なのか、身寄りに住まうのか。
知らない土地でなじめるか。それら生活の細やかなことを深刻に考えての移転なのか、あるいは移転を呼び掛ける団体の深い想像力なのか、ということも考えてしまう。

あまり深い所まで踏み込んだことは今は書かないけれど、本格的な原発事故というこれこそ未曾有の事態を生みだした罪は深いというしかない。それは、東電から電力供給を得ている立場にない自分も負う罪だ。北海道には泊に原発があって、そこでだいぶ供給されているのだから。
やはり、一線を超えるものを日米安保に匹敵するほどの安全神話を作り上げてしまったものだから、余計にパニックを恐れて初動も遅れ、今も原発だけは明るい展望を描けないでいる。

今回の大震災のクライシスは、復興・復旧に向かう日本人の自然との長い身の処し方も踏まえ、襟を正さざるを得ないほどの被災地の人々の自生的な力に感心させられたけれど、残念ながら、「原発」に関してだけは暗い絵図として残ってしまった。

避難退避の動きは呼びかけ団体も含め、これからも少しずつ底流で動くのだろう。非常に残念ながら、今回の大震災において、もっともつらい歴史的記録のひとコマであるのだろう。
それだけに経産大臣がまだ終息しない福島原発の事故の渦中で、原発の再稼働をお願いするその空気の読めなさに慄然としてしまうのである。
[PR]

# by ripit-5 | 2011-06-18 22:44 | 社会

戯れの果て

福島原発の状況。過去チェルノブイリにしかなかったレベル7の最悪基準になり、にわかに福島原発1号機から4号機までの現在進行形の状態が気になる日々です。
NHKのニュース画面でもちらっ、と福島10㎞圏内にも警察の人たちが入って捜索活動を始めた映像が見えましたが、何度被災地の映像を見ても呆然とするしかない。まるで廃棄物処分場のような状態です。自然の力は圧倒的に人間が作った物理的構造を壊すんだな。まるで嘲笑うかの如くに。

私は、実利を考え、昔取得した社会保険労務士の復習を、現在DVD付きの教材で学び直しています。同時に考えているのは、既成現実からちょっとずれたところにニーズがある仕事が出来得るならという夢をいまだ抱えつつ、迷いながらも法律が持つ保守性と意味性の両方考えながら記憶の想起作業をしています。

それはともかくとして、労働基準法とそこから派生した労働安全衛生法をとりあえずおおむね終える段階ですが、この安全衛生法は機械や化学物質の取り扱いについて、あるいは元請けや下請けが登場する業界の法令的な取り扱いについてなど、もともと興味関心の外にある前から最も苦手な社会保険労務士の科目なのですが、いま現在、原発事故の発生地で働いている東電の協力社員(本当は下請けというべきでしょう)や日立、東芝など関連社員たちがどのような作業環境で働いているのかと考えると、もはやそれも法令的にもほとんど想定外と言うか、想像外な気がします。法令にも原子力発電所の有害業務について具体的に書かれていないので。。。この安全衛生法は労働災害の防止が一義的な目的なので、たまさか今回の原発事故の関連でも関心を持たざるを得ない科目となりました。(頭が痛くなるのは、やっぱりありますが)。あそこでの作業環境がどうか、など私も正直そうですが、みな普通の人は想像もしたくないでしょう。

それにしても、今回の原発事故はまだ自分にはあの津波の映像のようにどこかで受け入れられないような非現実的な感触が残っており、それは政治家も含め、この、人間たちが本来制御不能な怪物的な技術物を前に、どこかで一瞬ブラインドを降ろすような心理になったのだと思いますが、残念ながら案の定、初動の判断に生じた少しの迷いや躊躇があっという間の水素爆発まで発展するところまでいった。そのことは最悪から想定する癖が持てなかった人災であり、世の中の印象として、どこか「戦争の敗北」に比する何かがあるとすれば、やはりそれはきっと敗北であり、それは敵の無い、自分たちが作った技術の自然に対する明確な敗北でした。
今後の社会生活、経済生活をまず今、先立って考えようという立場に立とうと、立ち止まって考えよう、という立場に立とうと、「技術の自然に対する敗北」は明白に認めざるを得ません。
私はそこにまず、市民の共通認識に立つところから始めるべき、と考えます。

d0134515_22551032.jpg


今月の岩波の月刊誌『世界』は大震災特集です。
この雑誌。日常的に云えば、極めて教養主義的、観念的、現実応用性が低い社会人文系の学問人や教師たちのための社会系専門誌と思う人も多いでしょう。私とて、日常的にはそう思っている一人です。時に難しく、時に教養臭が鼻につく時もある。
ですが、今号も最初はその気分はあったのですが、一つ一つと最初から読み進めるうちに、私の今の気持ちに言葉がすっと入ってきたのです。
内橋克人、坂本義和、宮田光雄、池内了、松谷みよ子、岩田靖夫、中野佳裕、木田元。いまの時代の言論人からいえば、保守系雑誌『文芸春秋』とならぶような革新系の「昔の名前で出ています」風情の書き手たちも多く、その意味だけで云えば、震災前に発行したのであろう復刊版の『朝日ジャーナル』のほうが遥かにアクチュアリティの書き手たちが揃っています。

ですが、この雑誌の書き手の文章の一つ一つが沁み入るような気がするのは何故なのか。それはまだ上手い言葉は見つかりません。ただそこに率直な「畏れ」の感覚がある、その意味で自分の気持ちと繋がり、自分の感性としていま、とても分かるところがある。そんな気がします。

中でも東北大学名誉教授の岩田靖夫氏の体験から始まる文章はとても考えさせられる文章でした。被災地、あるいは被災地の周縁にいるということはインテリとして学問の世界で生きていたとしても、津波や、津波で制御が利かなくなった原発のように、剥き出しの、裸の人間がそこではさらされてしまう。
すると、これは僕が勝手に感じた感想で書かれた本人には申し訳ないですが、高齢者で身近に他者の大きな救援の手が無いとほとんど日常の自分が持つ安定的基盤を失う、極めて心細い厳しい状況に置かれる。
幸い、岩田氏は仙台から娘さんが助けに来てくれたようですが。

自分に照らして、はたしてこのような巨大地震が起こりえる国で、いったいどのような自分自身のセーフティネットがあるのか?いまではなく、未来と近未来の中間あたり、つまり70代、80代になった自分が生きている時の前提を想像するとちょっと空恐ろしいものがあります。

阪神大震災の時も、というか日本はこの戦後世代中心の世の中において、2度の巨大地震に遭遇している訳ですが、ここ最近の猛暑や寒波も加えるならば、自然の力が大きくせり出している時代にどのような自分の生を全うできるのか、ということはやはり考えてしまいます。

テレビやその他、日常性の延長を続けたいという社会経済の思惑はあり、それは続くでしょう。しかし、私たちはどこかでその限界をしかと見てしまったと思いますし、私はもうここが限界だと思っています。

それでも、私はこの日常に喰らいついているのです。いつかは終わる、それが想像できるものは沢山ある。しかしそれらを断ち切ってはいないし、断ち切れないものもある。その関係性も両者ともに変化しながら移行していくだろう。
そんなことを改めて考えさせられます。

一言でいえば、自然の刃は危うい地盤の上に立つ僕らの現代社会に覚醒を迫りにやってきた。911とリーマンショックでアメリカが敗北したように、いま、日本は長い連れ合いである自然猛威によって、また敗北を迫られたのですね。
[PR]

# by ripit-5 | 2011-04-14 22:57

感傷的な文章。

 陸中海岸は行ったことはありません。宮古、大船渡、陸前高田、気仙沼、相馬。まだ行ったことはありません。しかし、その地には確かに、職住一致していたような、共同体やコミュニティがあったでしょう。津波はそれらを一挙に押し流した。日本的なるコミュニティは再生するでしょうか。出来れば同じ場所でなくても、鮮やかに再生してほしいと思います。

 三陸の海で、例えば昼のNHKテレビで新鮮な魚をレポーターが食べる、それを照れくさそうに、でも少し誇らしげに釣り上げた漁師の親父さんがいたのじゃないか。

 確かに人は簡単なものではないので、風景の一点のように見てはいけないのですが、黙々と土と向き合ったり、魚場の世界は知らないけれど、自然と向き合ってふと夕焼けの風景に何とも言えない充実感を感じた人たちが、その感覚が分かる人たちがたくさんたくさん。あの広範な土地の人びとにあったのではないでしょうか。

 切れ切れにぼくは自分の一人旅をしてきた風景の瞬間瞬間が記憶から想起される。列車から見えた、たんぼで線路を走る僕を乗せた列車を見ながらおにぎりを食べていた農家の人たち。奈良の飛鳥路で、蘇我入鹿の墓所跡から見た、たんぼの真ん中にあった祠に手を合わせていた農家のご夫婦。明日香路を散策しようと駅から自転車で立て看の地図を見ていたら、「こっちだ。ついてきなさい」と自転車で先導してくれた名もない、でも曰くがありげなおじさん。彼は黙って飛鳥寺まで連れてきたら去って行ったっけ。

 山口県の萩市を旅した時、東萩から松下村塾に向かうこれまた農道の路を、球のように現れた地元の小学低学年とまだそこまでいかないと思われた姉妹たち。「一緒に行ってあげるよ」と全く屈託がなかった素朴な表情。

 そして、愛媛県は松山市からほんの少し離れた城下町、大洲町の古い朝ドラの舞台になった「おはなはん」通りの時間が止まったような、至福なる古風な趣の小さな歴史的街づくり。その時の感覚はいまでも身体に残っている。今でも夢のように、甘美なものとして。
 そこで出会ったおばさんたちから路を教えてもらい「お気をつけて」と声をかけてくれた、独特な気品とその土地に長く生きた地に足がついた空気。

 また振り返って萩の街のきれいな庭のさま。京都の町衆の庭にかけるエネルギー。みんな早い時間から庭掃除をして丹精していたっけ。

 まだ世界遺産になる前に熊野の地、中辺路歩きの中途で継桜の峠の茶屋で放し飼いにされた犬がぼくを先導し、国道からとうとう古道の中まで入ってしまい、こちらが困り果てたこと。つかず離れずでずっとついてきたあの少し不細工な犬との道中二人。やっと見つかった公衆電話で継桜の茶屋を探して電話したら「ああ、また行きましたか。その犬は人について熊野大社まで行っちゃう犬ですからうっちゃっといてください」と言われて、力が抜けたこと。
 熊野市の「イザナギ、イザナミ」の神話とゆかりのある「花の窟」で独自の神話解釈をしてくれたどことも知れない知的なおじいさん。帰る時間が迫らなければ、もっとその解釈を聴いてみたかった。

 ひとり旅を年に1回、毎年続けた30代の頃、けっこう日本の原風景に触れたけれど、数は多くなかったとはいえ、確かにその土地に根ざした、風景の美しい点描のような人との一瞬の出会いがいくつかあった。それらはとても心地よい記憶として残っている。何故だかそれらはいつも晴れた日の記憶と繋がっている。

 おそらく、三陸海岸を旅する機会があれば、きっと似たような出会いはあっただろうと思う。絶対に。

 奈良の大麻時で中将の姫が一日で編んだという曼荼羅のタペストリーの模倣を見て、とても印象深い当麻寺を後にして、二上山に沈む夕日にアッ!と息を呑む美しさを思いだす。それは僕が幼少のころに見てとても綺麗だと思った夕日の沈む姿に近いものだった。中将の姫が編んだ二上山に現れた弥勒菩薩をきっと感じられたように、確かに二上山は美しかった。そこには僕の無防備な何かがあったように思う。

 とはいえ。僕は自然崇拝であれ、信仰の中には生きられない汚れた現代人だ、心の底から邪念なく「祈る」ということはもう出来ない人間となってしまったけれど、でも「綺麗さ」の前に一瞬自分の何かが止まった。そんな一瞬は確かに何度かはあったのだと。その記憶に嘘はないだろう思っている。

 その対極のような自然の猛威が僕の記憶の中に津波の濁流と、その後の被災地という形で、全ての時間が止まったような記憶への鮮明な焼きつきが確かにあったけれど。。。
 人々の日々の営みから生まれたような、自然の一点のような一瞬の交流はけして死なないと思いたい。

 自粛だ自粛だといいながら、今を生きる俗なる僕らの世界ではいまこのひと時、人の名前の連呼が激しいノイズを響かせながら、通り過ぎるけれど。そんな彼らの中にも一瞬、風景の美しさや人の小さな通わせてくれた心にふと立ち止まることが出来るのだろうか。きっと(当然)出来るのだろうと思う。

 一瞬、みんな立ち止まってみないか。春が絢爛になったら、旅に出ないか。大勢ではなく、ひとりで、あるいは気兼ねない本当にこころの分かるカップルで。静かに。沈黙を共有できる世界の中で。多くの人たちの無念に祈りをその時。ぜひ捧げたい。。。
 

[PR]

# by ripit-5 | 2011-04-08 18:34

想像を超えた世界

 大変な地震が起きてしまいました。
 どこまでいっても、浮ついた言葉、手垢まみれの言葉にしかなりませんが、非災に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 生まれてから阪神大震災と言う凄まじい事態をテレビ画面の向こうで見てきており、利便性が高い快適な現代社会も、自然の一撃においてひとたまりもない、と不遜なことを思ったものでした。でもそれはどこかでずっと心に沈澱していて、いつでも飛び出す思考の何がしかでした。
 今回の地震の広がりにおいて、自分の身体に例えれば中枢を撃たれた、というか、根底から想像を絶するような事態を聞くばかり。正直、心理的に動揺しています。

 何しろ想像を絶する津波災害、今も予断を全く許さぬ福島原発、計画停電や買い占め騒ぎなど、都市住民のミニパニックも含め、これは日本全体に渡る大災害なのだと改めて実感しています。わからないではありません。静岡の地震も今回の3・11の地震との因果関係が分からないとなれば、もしかしたら東京でも?という心理状態に陥るのでしょう。こちら札幌では余震はもはや全くありませんが、関東ではあるでしょうから。
 いま、日本人の心理として、自分を支える安定感の基盤がどこか揺らいでいるのでしょう。少し時間がかかる。

 それにしても、もどかしい気持ちです。
 宮城や岩手の避難所の人たち、孤立した地域に避難している人たち、雪風の追い打ちをかける厳しさ。水、石油、食料、薬、テッシュペーパー、生理用品、情報。何とか届けられないのか。道路は通れないのか。実態はどうなのか。
 同じ日本人だからとかではなく、同じ国土に住む者として、ただ座視しているような今の自分のこの感じは何とも言えないざわつきがあるものです。

 福島県知事の怒り、わかります。青森県知事の内閣への陳情。強く心打たれました。県民の本当の気持ちを知事の人たちは分かっている。

 いつも巨大な地震の映像を見るたびに思うのは、高齢者が多い所や生活弱者が多い所を一番に直撃する、ということです。

 それを都市でミニパニックに陥った人は安易な言い方かもしれないが、想像してほしい。少なくとも直下型の地震が来ない限り都市住民は飢えはしない。

 でも、このままでいけば、東北の元々三陸海岸地域のような道路インフラも厳しそうな土地の孤立した人たちは、日本人が今まで想像もしなかった、「飢え」「寒さ」「病気」でお亡くなりになる高齢者や赤ちゃんが出てくる可能性があります。夏場でないおかげで悪性伝染病にはならないかもしれませんが、インフルエンザの流行も考えられます。そこに思いいたしたいものです。

 偶然にもなんの被害も受けなかった土地に住む人間として出来ることは今現在は思いをいたす、そのことしかないです。

 そして幸いにも現地の人からの声が届くならば、その声を一つでも多くマスメディアは届けてほしい。そしてどうすれば、その土地に必要なモノを届けられるか考える手立てを語り合ってほしい。

 「ジャパン・プラットホーム」という被災に関するNPOやNGOのプラットホームになっているNGOの方が言っていました。何か出来るとしたらまずは募金。そしてボランティアを現地でしたいと考える人はまず社会福祉協議会へ連絡を。社協はこのようなとき、ボランティアセンターを含め、大きな力を果たす組織なようです。
 そして足りないガソリンを補給するために、給油車を調達でき、現地に輸送できれば良いとの話。無駄な消費を抑え、ガソリンが被災地に少しでも届くようにしたいものです。

 食料に関しては。例えば、空中から食料は投下できないでしょうか?石油、ガソリン、水は無理ですが、パンやカップめん、糖分を含んだ菓子やジュース、缶詰、テッシュ、トイレットペーパー、紙おむつ、生理用品など空から投下できないものでしょうか。

 今なお多くの行方不明者がおり、痛ましい限りですが、いま現在困難に陥っている人たちを最大優先順位において動いて欲しいです。

 そして今後大きな課題は落ち着いた後。心理的ケアが大きいでしょう。今は生きるために必死な人たちも生き残った後の問題に直面する筈だからです。
[PR]

# by ripit-5 | 2011-03-16 19:58 | 社会

特上カバチ 第22巻

d0134515_8332778.jpg


 超お久しぶりです!ツイッターの簡便さにヤラレて、本当に久しぶりのブログ更新です。次の更新が早いかどうかは今のところ未確定ですが。。。なんとか頑張りたいです。もう年末ですな。

 けっこう前なんだけど、とても久しぶりにマンガ喫茶に行って手に取ったのがこの「特上カバチ」第22巻。思い切り引きこまれ、恥ずかしながら涙が出てしまいました。で、こちらのブログにも感想を書きたくなった次第。

 この巻の内容は子どものネグレストの話です。理不尽に捨てられた母が、その捨てた夫に似ているということで、愛してたが故に憎さ倍増になって元の夫の面影が顔に見える息子を虐待。
 それを良い意味でのおせっかいにより子どもの救済に向かう行政書士事務所勤務の栄田。
 彼にも複雑な家庭事情が背景にある。暴力をふるう父に育てられたのだった。であるがゆえに、理屈を超え、世間体を超え、彼が身体で知っている「真実」とともに走る!
 同時に彼は虐待する母親を責めたりしない。母親が置かれた経済的苦境や独りで子を育てねばならない苦しさ、それを受け止められない周囲や社会があることがわかるから。彼は母も「何か」の犠牲者だと認識しています。
 密閉された部屋でヒステリカルになった母親に折檻される子ども。謝り続ける子ども。それでも、そんな母親でも唯一、自分を守ってくれる存在だと疑わず、全面的に自己の身を捧げている男の子。そんな場面には思わずグッときます。
 そのようないたいけさに触れるとき、流石に母も自責をし涙するんだけど、やはり日が経つと同じ間違いに戻ってしまう。これも、現実にありそうな本当に悲しい事態。

 最終的には折檻が高じて子どもが救急車で運ばれる事態にまで悪化してしてしまうのだけれど。。。

 その後の展開はこのマンガで確認してほしいですよね。

 このマンガの主人公は行政書士の田村くん。まだ書士になってからそんなにキャリアを積んでない(?)若者なんですが、極めて真面目な、だけど若いが故にまだ少し世間の深いところを知らないところがある。(人のことがいえるか!←自分にツッコミw)。
 しかし、彼の良さは失敗を糧として深く自省して次の段階に一段一段上っていくところ。おそらく一番サラリーマン層読むであろう、この「週刊モーニング」誌読者にとって、一番感情移入できるのは彼でしょう。

 しかし、この巻に限らず彼の先輩に当たる栄田氏は人情モノに関して主人公になると、実に泣ける、泣ける。特にこの巻は自分の子ども時代の具体的な家庭生活が記憶として描写され、そのシーンも泣けるのだ。
 男気に溢れ、細かな事務作業は苦手でも、他者が関わりにくい人の心の機微に触れるときは大概腹を据えて彼は入って行くんだけど、その時の馬力は半端ない。

 彼らの直の上司であるシゲさんは基本的に他人の家庭のプライバシーに法律家は踏み込んではならない、がポリシーであるので、一線を超えると栄田氏がその点で価値観の対立が先鋭化し、何度か辞表を用意するところまで行くんだけれど、このシゲさんという存在のバランス感覚と包容力も、実は影の読みどころ。

 原作者の田島隆さんは前も書きましたが、中卒後下積みの仕事を続けながら行政書士の資格を取り、そしてこれだけクオリティの高い等身大の人々のドラマを書き続けてきたのだから、本当に凄い。「カバチタレ!」で20巻くらい?同時にアフタヌーン誌で「極悪がんぼ」も長い。カバチタレ!の継続で「特上カバチ」が現在23巻で、私はこれだけの長期連載でこれほどクオリティが下がらない作品は他に知らないです。

 いままでこれだけの仕事をしてきたのだから、「ロックンロールフェイム」ならぬ「マンガの殿堂」入りしてもおかしくないと思うんだけど(笑)。
 ただ、画を描いているのが「ナニワ金融道」を書いていた青木雄二氏の直系の弟子の東風孝弘という人で、ゆえに絵柄が生理的にどうしても苦手だ、という人が多いのかもしれない。しかし庶民リアルな物語にこの絵はある意味合っているし、もはやこの絵でないと無理、とも思う。

 この東風氏の従兄弟が誰あろう田島隆氏で、故にコンビネーションも良いのでしょう。

 実はいまは亡き青木雄二氏は田島氏から法的な知識を吸収していたようで、「ナニワ金融道」ラストストーリーの圧巻である裁判官を騙す「ゼロ号不渡り手形」作成、というストーリーは田島氏のアドバイスがあったという噂があります。
[PR]

# by ripit-5 | 2010-12-25 08:37 | 本・マンガなど

映画「扉をたたく人」

d0134515_1921307.jpg


 妻を亡くしたある大学教授。仕事にやる気を失い何年も講義内容は同じ。そんな彼の鬱屈した日常の中で借りていたアパートに不法に住み込んでいたシリア人の男性とセネガル人の恋人。彼らの出会いの中で、男性が持っているアフリカの民族打楽器を通して友情が生まれ、頑なだった教授のこころに揺れが生じ、変化が生まれる。。。
 静かで内面的で、かつ暗に米国の国家政策批判をしている作品。てっきり欧州作品だと思っていました。如何にも欧州風な淡々とした作りなので。ところがこの作品、アメリカで作られたもの。目を開かされました。アメリカの映画もこういうものが増えるなら観ますよ。
 米国映画の作風に変化が生じ、それが自国でも受け入れられているのだとしたら。
 07年の作品のようで、日本公開は09年のようです。オバマ政権誕生前の作品なのですね。
 NYの街に普通に氾濫する中国語の看板も現代的。時代の変化をしみじみ実感します。



 映画で友人となるシリア人の若者は「フェラ・クティ聴いたことあるかい?アフリカのビートを作った人だ。このバンドのトニーアレンのドラムは最高」といった趣旨のことを言います。フェラ・クティの映像は濃すぎますので、トニー・アレンのこのポップでゴキゲンなPVをご紹介。


[PR]

# by ripit-5 | 2010-10-03 19:16 | 映画