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ひねもすのたりのたりかな?

 今日は代休にてお休み。実は来週から今月いっぱいの間、12時間拘束労働の日が続くので、休みの日しかネットにアクセスできないかもしれない。いつの間にか、私も結構ネット依存症になっているのだけれども。。。とはいえ、ネットから学んだことも多いというのも事実です。以下にも書きますけれど。

 実は、今日は個人的に腹立たしいことがありました。
 午前中、久しぶりに札幌市の東となりに位置する江別市大麻というところに「野幌森林公園」という自然林公園がありまして。毎年何回か僕はここに森林浴に来るのですが、今年は機会がなく、きょうの休みは快晴、しかも夏が戻ったような天気ということで久しぶりにドライヴを兼ねてそこへ出かけました。JR大麻駅の裏地を抜けると、ミニアンダーパスがあります。そこに入る本通りの手前に一時停止の標識があり、左右確認してから本通りのそのミニアンダーパスを通り抜けた。すると後ろで何か拡声器で呼びかけるような声が聞こえる。アンダーパスを抜け、北海道立図書館の前あたりに出ると後ろにパトカーが見える。まさか?俺?でも何の覚えも無いぞ。スピード出しすぎたか?と思った瞬間には向こうもフロントライトを点滅させている。まずいと思って車を止める。すると若い警官が降りてこちらによってくる。俺は自分が何をしたのかわからず、訝しく思いながら窓を開けると、彼が言うには「一時停止違反です」だと。思わず、「ええ!まさか!私はきちんと止まりましたよ」。「いえ、徐行しかしていないです」「そんなこと、絶対無いですよ。止まって左右確認したんですから。本通りに出るんですし」「いや、あれは一時停止したとはいえないですよ、お気持ちは分かりますが」「といったって、それはあなた達の主観じゃないですか?私はきちんと止まりましたよ。過去からもう、何度も通っている道なんですから。(学生時代にこのそばにある大学に通っていて、何度かこちらに住む友人を車で訪ねる習慣があった)。いまだかつて注意されたことは無いですよ。(自信が徐々に身に宿ってくる)」。「といっても、私たちから見たら徐行でしかないですから。気をつけないと(一歩も退かない様子)」「それはあんまりにも恣意的だなぁ」「シイテキってなんですか?(素朴な顔で聞かれる)」「いや、ですから。そもそも証拠がないじゃないですか。この種のことって証拠がないと客観性を担保出来ないじゃないですか。(旗色が悪いのは分かっているが譲れない)」「証拠は私たちが仕事として確認できますので。」「ですから、客観的な証拠とはいえないでしょう、それは。そもそも、まさか教習所で習ったとおりで運転するってわけにはいかないじゃないですか」「いえ、教習所で習ったとおり運転するのが原則です。」「(こんな教科書のような発言が帰ってきたのには驚く)そんなこと、出来るわけないじゃないですか。そもそも車には流れがあるんですよ。その流れに逆らって教習所で習った通りに走れって言うんですか?却ってほかの車の流れを阻害して、迷惑をかけるじゃないですか」
 と、まあいうべきことを言っても、警察相手に連中がそう決めたことには勝てるわけもなし。。。

 畜生!という思いと馬鹿馬鹿しい思いで思わず苦笑したままパトカーに乗り込む。もう一人の先輩みたいな警官が開口一番「一時停止が見えなかったですか?」という言葉にまたムカッとする。「見えたに決まっていますよ。それをあなた達が徐行でしかないっていうんだから」「ええ、あれは徐行です」「だからそれは主観でしかないでしょう?客観的な判断材料はどこにあるんです?写真とかで捕らえられますか?」と、自分でもびっくりするくらいに喰らいついている。敗戦決定、もはや逃げられず、これ以上感情的になったらどうなるか判らないけども、今の経済状況やら、自分自身への納得やらを考えると悔しくてならず。罰金7000円取られることなり、手続きを済ませるしかなかった。7000円かー。畜生、痛いなァ。デカイ金額だなあ。しかもこんな気持ちのいい日にこの理不尽かよ。
 ただ、云いたいことを十分言った以上は相手も耳が痛いことだったろうから。「不機嫌なことを言ってしまって申し訳ありません」とそこはしっかり謝った。「こちらで昨日死亡事故があったばかりですから」「そうですか」「以後気をつけてください」「わかりました」。結局、最後はそんなやりとりで別れた。

 公園のすぐそばまで来てのまさかのアクシデント!で久しぶりの快晴の森林公園。その中でも最も原生植物が生い茂っているお気に入りの道を歩いても、どうもさっきの件が頭から離れない。もう7~8年位前だろうか。紅葉を見ようと夕張の道道でイキナリネズミ捕りに捕まったときも同じように「昨日この通りで交通事故で死者が出ましたから」と言われたことを急に思い出した。ネズミ捕りって卑怯だよなぁと思っていたが、そのときはその言葉に「ああ、そうだよな、スピード出しすぎは良くないよな」と自分を納得させた。いま思えば、あの時とさっきの説得(?)は同じものじゃないか。ならば食い下がって、「では、昨日のここでの死亡の確認をおたくの署でさせてください。その記事は新聞に載ってなかったような気がするので」と言ってやれば良かった、そして本当に確認してくればよかった、などと思ったりして。(※実はウチの近くの大きな通りで昔、全く同じ場所でしょっちゅうネズミ捕りをやっていた。機械を置いて裏通りに隠れている警官を見ながらチャリンコ通勤していた自分はそのやり口のワンパターンさと姑息さを毛嫌いしていたのでした。いまその場所のすぐそばに大型ショッピングモールが出来て以来、ネズミ捕りをやっている様子はさっぱり無い。)

 自分は日ごろ自転車と徒歩が多く、車の運転は月に6~7回くらい。長いこと自転車中心だったが、最近はダイエットを考え、時間がある時には1万歩歩くようにしている。すると徒歩者にとって自転車が横を抜ける怖さも分かるし、自転車に乗るときの歩道・車道における気の遣い方の必要性、小道から自転車を想定しない車が頭を出す時の怖さ(これで私は3回飛ばされた)、逆に車で走るときの自転車の斜め横断など。それぞれの場面/状況のヒヤリ・ハットは重々知っているつもり。(一度真冬にひき逃げされたこともある)。

 なぜこんなことをクドクド書くかというと、実は森林公園の散策の帰り、大麻から抜ける道路でまたも巡回パトカーで同じ連中を見たからだ。つまり、彼らは今日は「お仕事の日」なのだろう。「点数稼ぎ日」が今日に当たっていたのだ。思い起こせば、前回も今日も平日だった。そう思うとまた無性に悔しさがぶりかえし、いまタイピングしている次第。ケツの穴が小さいといわれようが、悔しいものは悔しい。せっかく森林公園で「いつまでも根に持つクセはよそう。一人歩きしているからそこに頭が戻ってしまう。風景を見れば、あれはもう何年前になる?札幌を襲った台風で無残に倒壊されたり、倒壊する危険のある木を伐採した後の寂しいほどのあちこち空き地のような風景はほとんど消えて、相当景色は回復してるじゃないか。」と自分を慰めていたのだが。

 自然公園の中途の木材ベンチで図書館で借りたレイ・ブラッドベリの「華氏451度」。NY金魚様のブログで紹介された本で、興味を持っていたのです。本当に久しぶりに集中して小説を読む。前半のハイライト、管理社会から自由な少女との最後の会話、そして主人公の上司による焚書に至る歴史の話を読みながら、これはまさに4年前、郵政選挙のプロパガンダと同じだ、有権者で「B層」と位置づける人びとをターゲットにして、そこにアピールする広告屋の手口と同じじゃないか、と。諸々なことを考えさせられる。そんな知的な刺激を受けた後だっただけに。

 帰りにもう一度、あの連中とすれ違うとは運命的な不幸だ(モロ、オオゲサですがね(苦笑))。
 しかし、警官さんという仕事はそりゃ大変だと思うんだけども。同時にいつ仕事があるんでしょうか?という気もするんだよね。よく考えると。仕事が無いことが本来はいい状態なんだからね。自分なんかは貧乏性だから、仕事がない手待時間ってやつが本当に苦手なんです。すぐに「仕事がないんだったら、だらだらしてないで解放してくれねぇかな」と思ってしまう。
 で、解放されたら、沢山の仕事仲間たちがケイタイと向き合っているのが何だかとても不気味に見えるんだよね。

 華氏451度に出てくる少女のように、あるいは署長がいうように、少数派には居場所がなかなかないんだよね。(もちろん、そういう風に自分を特別視してみる根性が、人間としての器の無さ加減だという自覚がないわけではないのですが)。

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

レイ ブラッドベリ / 早川書房



 こちらも連続借り出しだから、何とか日曜日までに読んで返さなければ。というか、これは購入するつもり。最近、基礎能力も無いのに政治社会的なことばかり考えすぎて新聞の切抜きやら何やらで時間をとりすぎた。読みたい本を読むようなことがしばらくありませんでした。

 とはいえ、肝心なことを書き忘れていたのに今気づいたので急いでつけたすと、私は昔はもっと警官とかには従順だったと思う。それが自分の中で何か変わった。それはやはり足利事件という現実に触れて、「やはり現実とは、そういう世界なのか」と確信したりとか、いろんな社会系のブログの人たちの卓見とかに触れたのが大きかったと思います。
 もっと少しは自分の考えに自信をもっていいんじゃないか、あるいは言うべきことは言わないと自分が損になるんじゃないか。その代わり、言ってしまったことによる結果が出た後は、相手は気持ち良くないはずだから、その非礼はきちんとお詫びする。
 こんなことは中年として当たり前の心構えかもしれないけれど、今更ながらやっと、自分に内発的に宿り始めたものかもしれないと思うことでした。

ところで、政治社会的なことでいえば、昨日。
民主党は鳩山論文が問題になっていたけど、何のことはない。これは立派な論文ですよ。NYタイムズに特定の部分だけが抜粋引用されたようですが、典型的な文脈無視の記事なのでしょうね。
 というか、この鳩山論文は本当にしっかりした立派なもので、次期首相の哲学が本当にこのようなものに根ざしているのであれば、私たちは次期首相の哲学を誇っていいのではないでしょうか。(とはいえ、やはり僕などは、優しすぎてこの人はぶれるんじゃないか?と正直、心配する部分もあるわけですが。ともかくまずは見守りましょう)。
2009年8月10日 「私の政治哲学」 鳩山由紀夫ホームページ
※「きっこのブログ」様から情報を得ました。御礼申し上げます。

by ripit-5 | 2009-09-02 17:27 | 日々