ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

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 ジョージ・ハリスンのドキュメント映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を観てきました。監督はマーティン・スコセッシ。彼が作ったボブ・ディランのドキュメント映画にも負けない3時間半。2部構成の長尺なもの。後述しますが、個人的には全然長く感じませんでした。(じっとしているのが苦手な自分はお尻が痛くなってきて、足を組んだりほどいたり、お尻をもちあげたりしましたが)。
 ビートルズに関心を持つ人を前提に書きますが、やはりビートルズと言えばジョン・レノンとポール・マッカートニーのソングライテングが大きすぎ、その中では取り立てて目立つ存在としてビートルズ初期は描かれてはいません。しかし同時に大きいな、と思うのは彼が最初期のオリジナル・ビートルズに参加した当時は何と17歳で、そしてあのビートルズの偉大な下積み修行時代であるハンブルグ公演にも参加していることです。

 第一部はビートルズ時代が中心ということもあり、彼自身のスポットライトを浴びる場面が想像以上に少ないのです。旧友のエリック・クラプトンや、ビートルズだったポール・マッカートニーがインタビューに応えますが、やはり当時のビートルズのフィルムはジョンやポールが歌う姿であり、MC役のポール・マッカートニーの姿なのです。
 また特定人物のドキュメントであるのに「面白いよなぁ」と思うのは、例えばドイツ・ハンブルグ興行で知り合った朋友で、後にソロになってからベーシストとしてジョージのアルバムに参加するクラウス・フォアマンがある場面においては主人公であり、また短命だったオリジナルメンバーのスチュアート・サトクリフが死んだアパートメントを訪ねて悲嘆にくれているジョン・レノンだったりするわけです。それらの場面ではジョージ・ハリスンは如何にも世間のパブリック・イメージである「第三の男」らしく、彼らの気持ちを汲んで背後に寄り添うような存在として目立たないけれども、安定性をもたらす存在として描かれています。
 エリック・クラプトンのインタビューも、ビートルズのオーラに圧倒された自分自身について主に語っているわけで、その時間の主役はクラプトンです。ですが、そこには話の媒介としてジョージの存在が通低しているわけで、ジョージ・ハリスンという人は同世代を生きたミュージシャン仲間に愛され、また生涯を通じて幅広い交友関係を持っていた人ですが、彼の立ち位置は座の中心と言うよりも、いろいろな人たちの良さを認めて全体の中のバランサーのように存在し、しかしその座の中心にいるという感じがありません。
 彼の自己を打ち出すエゴのようなものは、強力なジョンやポールの前でコンポーザーの仕事が認められず、その点で確かに苦悩していたことは他者によっても語られますが、しかし彼の活路は黄色い声を浴びてアイドルとして存在しているビートルズからアーティスト集団として変貌・変化する中で、シタール演奏家、ラヴィ・シャンカールとの出会いなどを通じて、インド音楽とインドの思想に触れることにより、グッと内面性を深め始めたビートルズの中でもかなりストレートに東洋思想の影響を受けて精神の安定とか、哲学的な発見の方向で自分のアイデンティティを掴んでいくことにより確固としたものになっていきます。

 映画のタイトル「リヴィング・イン・ザ・マティリアル・ワールド」は彼の2枚目のソロアルバムのタイトルでもありますが、まさに20代前半にして彼自身が物質世界と精神世界の両にらみの中で、特に世界の若者にとって精神的支柱であると同時に、消費者側としても最も崇拝されているビートルズというビックバンドの中に存在して、またそこにいたからこそ、物質社会の狂乱から逃れる術を精神世界に求めた感じがあります。ジョン・レノンにもその傾向はあったと思いますが、ジョージはビートルズの中心ではなかった分、より一層その精神世界への入れ込み方の自由度が高かったのかもしれない。また、映画ではビートルズ話では有名な、ある歯科医のパーティで飲み物に入れられたLSDというドラッグでトリップして知覚が広がり、そこから神のビジョンを得て、その後の東洋思想まで広がったというストーリーが暗示されていますが、実際にそういうところはあったようです。

また、シタール奏者ラヴィ・シャンカールの存在はどう考えてもジョージにとって大きい。一部、二部を通して伝統音楽と西洋ポップミュージックの違いはあれど、ミュージシャンとしてシタール奏法の手誰に対する偉大なレスペクトはあったろうし、そこからルーツを持つ伝統音楽奏者の背景にあるその音楽が発生する哲学や思想、宗教へとはまっていく流れは非常に分かる気がします。
 彼自身がその後ソロアーティストとして何を伝えていくのか、どんな表現をするのかという時に精神的に、また演奏技法的にもラヴィ・シャンカールを通じて学んだものは、彼が一人のソロアーティストになっていく過程の中でも特に大きかったのでは?と想像されます。

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 二部は彼がソロになって以降の物語がほぼ中心となります。もう一度彼自身の年齢を考えれば17の時にセミプロとなり、ビートルズが世界のアイドルになった時はまだ21~23歳頃です。そしてビートルズがライヴをしなくなったとき、彼は24歳です。何と若いことでしょう。
 僕は長い間、彼の早熟ぶりや、精神的な成長の速さ、ソロになってからの他のリーダーだった二人をしのぐソロミュージシャンとしての勢い、そしてロックチャリティの先駆けとなった「バングラデッシュ難民救済コンサート」の主催者を手掛けた後のミュージシャンのトップ争いからの離脱、などを考える時に思うのは、普通の人間がもつメンタリティを守る常識人としてのジョージ・ハリスンという人はあまりにも人生の早い時期にいろいろなものを見過ぎてしまったのではないか、ということです。
 ジョン・レノンはそれこそ早くから異端児で野性的な強さがありますから、社会活動家的となり、その後はハウス・ハズバンドになることであの時代の若者たちのロールモデルとなりましたが、やはり早い段階からビートルズの喧騒を冷静に見ている自分があったと思いますが、それでもジョージとは年齢の開きもあり、ある意味で世間智があったかもしれない。それに比べ、ジョージは余りにも若くして人びとの狂乱と成功の結果をダイレクトに浴び、違和感や時には虚無感すら感じたかもしれません。それゆえの東洋思想への傾注だったのかもしれません。




 
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 二部ではビートルズを離れた後、より一層幅広い交友関係の人びとがインタビューが聞けます。これ以上書くと映画の内容が見えてしまうので控えますが、自分もファンであるモンティ・パイソンへの偏愛がもう一つの素顔のジョージを表していて面白い。モンティ・パイソン映画「ライフ・オブ・ブライアン」の製作費を自分の家(というか屋敷)を抵当にしてまで工面した話は初耳。それほど彼はブラックユーモア好きでもあったわけです。精神性の高さとブラックユーモア好きの両立が如何にもイギリス的です。(本筋とは関係ないですが、モンティの実質的リーダー、ジョン・クールズがモンティ映画は神の信仰への冒涜だととなえる人物に対して論理的な反駁をしているシーンが格好いい)。
 しかし、ソロで自己確立していく二部においてもジョージの存在に「俺様」的なるものが見えないところが面白い。確かにガンに倒れた後にもかかわらず、自宅で暴漢に襲われるところの妻のオリビアの回想など、ドラマテックな見どころ聞きどころは多いのですが、面白いのはジョージを触媒として自分のことを語っている、という感じがいろいろな人のインタビューの中に見えるような気がするのです。
 ジョージ自身が反メディアなところがあったように思うので、基本的にソロ時代もライヴやインタビューが少ないためもあるでしょうが、やはり印象通りクワイエット・マンというべきでしょうか。
 彼がいつも大事にしていた人間関係や誠実さの証ゆえなのか、多くの人が彼の思い出を素敵なものとして語ります。しかし、彼の人を惹きつけるそのオーラの出所はどこからくるのか。それは映画ではなかなか説き切れない謎でもあります。
 私が3時間半でも短くないと思う理由はそこにあります。むしろまだ多くを観たい。6時間でももっと多くの声を聞きたい。資料を知りたい。

 私は何故か、ビートルズファンになって以降、聞き込み始めてから一番のファンになったのはジョージ・ハリスンでした。何故なのか。確かに彼の曲はビートルズの中にあって、もっともソロの匂いがするものでした。あの顔、あの声、あのギター。そして分かりにくいが好きものには惹かれてしまう独特の曲調。いまは改めてそれらを聞くと、彼自身の音楽の造形ぶりや勉強ぶりに驚くほど感心させられますが、ドーンとくるジョンやポールの楽曲に比べると確かに分かりにくい所もあるでしょう。
 するめのような音楽であり、ツウが聞いてニヤリとするような曲調やアレンジだったりもします。
 そしてそれだけではない。聞くと、独特の哀愁や精神性を感じるのは確かです。その不思議な魅力をもっと知りたい。

 この映画を見てますますそう思いました。もっと知りたい。これはまだジョージのイメージの範疇なんじゃないか。このイメージの奥にまだ何か潜んではいないか。だから、6時間でも観てみたいという気にファンとしてはなっていくものでした。
 いわば、この映画はジョージファンだった自分の抗いがたいジョージ好きの印象に新たな火をつけてくれて、もう少しカタルシスを得たい、と思うインスピレーションを与えてくれるもの。それが彼の精神性への源流をもっとたどって欲しいという思いなのか、あるいは逆に彼の人間臭さの追求なのか。それはわからないのですが。



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ジョージ・ハリスンのソロアルバム第1作目。『オール・シングス・マスト・パス』。哲学的な詞と素晴らしい楽曲である表題曲がすでにビートルズ時代に出来ていたにもかかわらず、アルバムにも採用されなかったように、多くの楽曲がすでにビートルズ時代に出来ていたと思われます。ビートルズラストアルバム「アビー・ロード」「ヒア・カムズ・ザ・サン」が収録されていたように、それらの曲に近いクオリティが全体を占める名作中の名作です。
 ビートルズがソロになってからもポール・マッカートニーのソロに次いで発売され、当時のLPで3枚組という大作であるにもかかわらず、第三の男の才能に皆が驚き、一番あの当時売れたアルバムであるのも深くうなずけます。
 かように書いている自分も今年の初秋に中古レコード屋で現在CD2枚組になっているものを1350円で購入し、そのクオリティの馬鹿高さに驚いた次第。特にCD1枚目の1曲目のボブ・ディランとの共作から始まってラストの「オール・シングス・マスト・パス」まで捨て曲なしのハイクオリティ。いやいや、驚きました。これだけの能力がビートルズで認められなかったとなれば、それは爆発するよなぁ。ジョージのボーカルは”線が細い”というけれど、それを補う彼の唱法の味わいは何とも言えません。誰か研究してほしいくらい。本当にこの歌声はファンにはたまらないんだ。本人も好きなんだと思うけど、メロウな楽曲においては特に生きるんです。
 


ファーストアルバムの中からノリのいい一曲。バングラデッシュ難民救済コンサートから。この時のジョージはまだ28歳ですよ。風貌はもはやキリスト様w。しかし、格好いい楽曲です。
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by ripit-5 | 2011-11-22 21:52 | 映画