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ビックイシュー・ジャパン・BN67

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 ビックイシュー・ジャパンの07年3月1日号。表紙はニコラス・ケイジ。といってもハリウッドスターには疎い自分はおぼろに名前を知っているくらい。なんでも巨匠、フランシス・コッポラ監督の甥に当たる人みたいです。

 今回は話題は3点ほどに絞って。

 その前に自分でビックイシューを購入するまでの過程をお伝えしたい。これも長い前置きになるかもしれないけれど。札幌でいわゆる路上販売が始まったのかは正確にはわからない。ただ、おそらく08年のいつ頃かそれ以前か。いずれにせよ、その頃、冬の地下鉄大通り駅の東豊線から東西線に向かう地下歩道で販売されていたのは知っていたが、多少ものを知っている普通の人もそうだと思うのだけれど、僕も最初は購入するのに勇気が要りました。いつも朝のラッシュ時にもかかわらず元気な声で販売の方の売り声を聞きながら後ろめたい感じを抱きながら通勤してたものです。

 自分としてはビックイシューの存在を知ったのは早いほうだと思う。もともとビックイシュー発祥の地、英国でホームレス支援のための雑誌が販売され、こちらでもご存知の方法で路上販売されていることを知ったのは英国のロックミュージシャンの社会活動をロック雑誌で知っていたためだ。元々英国ロックのファンだった僕は例えば本国での創刊時の頃、英国の人気ロックバンド、ストーン・ローゼズ(今年再結成し、日本のFUJIロックで来日する)が雑誌に協力して表紙を飾ったとか、世界的なバンド、U2も協力しているとか。そういう情報が入っていたし、例えばオアシスのようなバンドの協力など、英国ポップスファンとしては早い段階から認識することが出来た新しいタイプの雑誌だったし、それがとうとう日本にも上陸し、そしてこの札幌にも、と心動かされていたのにも関わらず、勇気が出なかった。お金がなかったのではなく、声をかけて購入するのがためらわれたのだ。

 それが溶けたのが08年の冬、派遣村騒動が起きる少し前の12月中旬の北大での湯浅誠氏らを招いたシンポジウムであり、その場で北大の中島岳志氏が自分が札幌の世話人としてビックイシューの出張販売の呼びかけに応えて購入したのが始まり。それから通勤帰路で購入しはじめたら、販売員の方の丁寧な対応やその元気に目が開かれ、逆にその後は自分が元気をもらったり、気持ちを励まされるようになった次第。

 さて前置きが長くなりました。誌面記事を3点。
 一つは、「お、これは知らなかったな」と思ったのが、マイケル・ウインターボトム監督が『グアンタナモ、僕等が見た真実』という映画を撮ったという紹介記事。マイケル・ウィンター・ボトムって、硬骨漢というか、社会派だったのか、あるいはグアンタナモもという人権無視の収容所の存在の実態を知って怒りを禁じ得なかったのか。

 もう一フランスのパリ、サン・マルタン運河のおしゃれな一角にふたりの兄弟が私財約40万円ほどを投じて、運河沿いに約100のテントを設営し、裕福なパリ市民を招いて厳冬の一夜をテントで過ごしてもらうというイベントの紹介。そのイベントを行なったのはホームレス支援の「ドンキホーテの子供たち」と名乗る団体。
 このイベントの効果として、2007年4月のフランス大統領選挙で当初全然争点でなかった貧困問題がにわかに全国民の関心の的になった、とある。
 しかし、この頃はシラク大統領だったのだ。う~む時代を感じるなあ。このあとこの年から大統領がサルコジに変わったのだろう。たった5年前だけど遠い昔の気がする。
 もう一つは英国連邦のひとつ、スコットランドが03年に「ホームレス法」を制定していることが紹介されている。このフランスの動向をみながら、スコットランドの決定は、ヨーロッパ中の人たちに対して、このような法の成立も可能であると知らしめたという。
 なるほど。日本でもこのような法を制定し、アジアにこのような法の成立も可能であると知らしめられないかと思うが、最近の芸能人を利用した生活保護バッシングを考えれば遠い現実に思える。
 ところでこの記事の下に小ネタ?として、アメリカはニューヨーク市の人口約870万のうち、約120万の人たちが毎日、家賃を払うか、食料を買うかの究極の選択を迫られている、とある。リーマンショックが表面化する前だということを付け足しておこう。

 さて、特集のハイライトは「フリーターの今と未来は?ー出口なき若者たち」である。
 見出しのリードが刺激的だ。というか、先験的だ。”若者にとって、どんな働き方、生き方をしても安心できない時代になった””家なきフリーターの若者たちも増えている。都市全体が寄せ場化しているのかもしれない。正社員層はそんな現状を知っているからこそ、長時間労働に耐え、心を病む人も多い”

 この翌年の年末の派遣村騒動の前の年の春頃から、いわば労働現場の大震災の前駆的な揺れは此の頃から徐々に可視化され、問題が表面化しているのが解る。ーそれにしても、やはりビックイシューの問題意識は早かったと強く思わざるを得ない。雨宮処凛氏が日雇い派遣や、請負でネットカフェ、マンガ喫茶を根城にしている日雇い雇用の若者の実態をレポートしている。後に湯浅誠氏が「すべり台社会」と表現した現実がこの頃に起きていた。「一度正規のルートから外れた若者に社会はあまりにも冷たい」。そんな建設現場で働く若者は「労災にすると、たちまち現場を干された」。その若者の言葉を借りると「一個二個のつまずきで、もしくはスタート地点が違うってことで、服を買うお金も、牛丼を食べるお金もない」。
 「フリーターがホームレス化しやすい環境がある。寮生活の製造業だ」(雨宮氏)。「多くは3ヶ月から半年の短期雇用。景気の調整弁」。この警告が大げさでなかったことは、翌年末の「派遣切り」で表面化した。この時期から社会で問題が共有されていれば、と思う。

 現在進行形でもまだ気をつけて見ていかないといけないのは、大学の「奨学金」の返済の問題だろうか。大学の奨学生もこの時期、製造業派遣で働いていた。ある人は学費の借金のために製造業派遣で働く。大学を卒業すると同時にすぐ400万円の奨学金返済が始まる。
 これは現状、大学を出ても就職口がない若者たちにもいまものしかかる重たい問題ではなかろうか?

 この時期、派遣とともに、「請負」での労働も普通に行われていたのも興味深いというか、冷や汗が出る。偽装請負のケースを淡々とレポートされているが、まさに「偽装請負」問題が表面化したのはまだこのあとだったわけで、労働法の隙間でずいぶんの企業の酷さ、犠牲になった若者労働者がいたのは残酷な事実だ。そして今後もまだいろいろな手口で酷さは形を変えて続きそうだ。

 「フリーター全般労働組合」の結成者、タカユキさんの言葉が真に迫る。「考えるとつらくなることばかりですが、目をそらさず、見つめすぎて暗くなったりせず、何とか生きていく方法があると思っています」

 特集最後の雨宮処凛さんのインタビューに答える杉田俊介氏という人は自分は知らなかったが、実は現在やっと理解されてきていることを先駆的に語っている。ポイントの一つは旧日経連(現・経団連)が1995年に発表した「新時代の日本的経営」という提言書にある正社員、スペシャリスト、雇用柔軟型の労働者の3分類による労務管理の問題。ーこれは今も変わっていない。変わらないから、就職活動が現状も異様なかたちで続いているわけで。また、ホームレス支援の生田武志氏は「フリーターはこのままいくと、一定数が野宿生活者になるだろう」と。

 現在でも議論が活性化しそうな幾つかの論点も論じられる。「格差なのか、貧困なのか」「日本の場合、セーフティネットは家族が担う。その中に問題が集約されて孤立化していく構造がある。そのためひきこもり、家庭内暴力、リスカのようなかたちでの暴発が散発的に起きる。企業が福祉を担う日本社会では、企業に入れなければ家族を頼るしかない」
 そのような夢を持てないフリーターたちは「一発逆転しなきゃ、て気持ちが高まっていく」「あるいはもう一つは、普通の生活をすること自体が夢になっている。正職員で年収300万円くらいが夢になっていて。」
 しかし「もうちょっと社会性のあるような、豊かな夢を見てもいいのではないか」

 こういうような経営側の論理が大きな力を持つ中で、なお自分の側に問題がある、自己責任だと思う人には「それは自己責任でもなんでもないんだ、悪いものが一つだけあるとすれば『自分だけが悪いんだ』と思い込むことです」。

 国際競争が激しくなる中、外国人労働者に頼りきれなくなった中で自国の若者に代替を見つけた日本の企業。この構造的問題はいま現在進行形で動いているイデオロギーの気がするので、これまた背筋が寒くなる話。

 そういう意味で、この雑誌の問題意識の持ち方、速さは賞賛というとおかしいですが、そういうものに値すると思います。慧眼というか、本当の意味で「炭鉱のカナリア」のような雑誌だな、と思うところです。

by ripit-5 | 2012-05-27 20:23 | ビック・イシュー