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言葉足らずにダラダラと。

SIGHT誌の中でも噛みがいのあるインタビューの一つ、佐藤優の話は、社会科学系学者の教授のような慧眼の連続で言葉は間違っているというか、受け手の感情としてこの表現は悪いけれど、「酔った」。

しかし、佐藤優、正統な社会科学系統の論者でありつつも、月刊現代で書き始められたノンフィクションを読んでも分かるとおり、(立ち読みですが)、元国家官僚として、外交のプロフェッションだった人間として、なかなか単純な人ではない。やはりどこか怪物的なところがある人物だと思う。(勿論、誉め言葉です)。

それにしても、社会の起源と国家の起源の違い、資本家と国家官僚の違いを本質的な論理で解き明かすところなどは本当にガツンとくる。細かな説明はややこしい。

ぜひSIGHTを立ち読みでもいいんで、読んでみてくださいな。

資本の論理は労働者との合意の上での搾取、しかし国家官僚は、徴税という形での「強奪者」だと。

この部分の乱暴な僕流の解釈論理だけだと絶対誤解を受けるけど。(前後の文脈抜きに書いてしまえば、当然の話)。

もう一つは、社会の起源は共同体と共同体の出会いによる「交換」。平和裡のうちに交換の共同体のふくらみが社会の成立与件。
それに対して、国家はある共同体の、他の共同体の征服、奴隷化。
だから国家と社会は起源が違う、と。
故に、国家官僚は社会という層と対立する関係にあると。かつまた、官僚は政治家と違い、国民が選択し、任命権を与えた存在ではない。
同時に現代社会は、社会保障制度が大きな中心になっているので、官僚の役割がそういうものだと思えなくなっているよね。だけども年金保険料の横領のようなことがあると、ナルホドとも思える。すでに官僚自体が、自分の出自を忘れていると思いますけどね。w

まぁ、いずれにしても言葉足らずだ。

話は一転。
ジョー・ストラマーの映画が上映されるけど、クラッシュのようなバンドが登場する時代の雰囲気が今のこのクニの若い世代にはジャストに共感できるような気がするんだ。もちろん、当時、70年代後半の英国には「階級」の縛りが強固にあったという違いはあるだろうけど。ただ、格差の世代継承が階級に移行することがありえるわけだし。

だから、格差社会はグローバル化しているから、ジョー・ストラマーやクラッシュの訴えはインターナショナル(基本的には先進国の)な説得力を持ち始めている気がする。

http://www.cinemacafe.net/news/cgi/review/2007/09/2440/
http://www.londoncalling.jp/

by ripit-5 | 2007-09-06 15:42 | 社会