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ちりとてちん

朝の連ドラだけど、土曜日って、衛星放送で1週間ぶんまとめてやるんですな。
朝の連ドラなんぞ阿呆らしゅうって、と思っていてまともに見たことなかったんですが、今の連ドラは思わず見入ってしまいました。
何というのかな~。まぁ一言で言えば、ノスタルジックな理想というのがあるというか。
落語家一門という、プロを育てるんだけど、一緒に擬似家族を形成していかなくてはならない。その擬似家族が、濃密に理想の家族像に近づいていく。それが「笑いのプロ」を育成する家族のシリアスな関係というのがギャップがあって又良いと思うし。

職業者としての「笑わせる者」を目指すと言う、基本的に職人の擬似家族なわけだから、自分自身に返ると一人一人、自分のその仕事の能力に関してはみんな孤独なんだけど、同時にまた、その同じ方向で一人一人が自分の個性に応じて真剣であるだけに、お互いを思い、助け合う気持ちも強い。先輩後輩の関係があるとはいえ、みなこれから伸びて行く若者と言うことで、青春群像劇的な側面もある。
そこにまた、「師匠」とい存在がいる。まあ、古風にいえば「家長」でしょうか。(「師匠」というのも十分古風な響きがありますが)。

今日の放映分は、師匠のやり方と師匠の気持ちが父親的なモノとして発揮されていて、母親は「日本人だよねぇ」とかのたまっていましたが(笑)。まあ、かなりベタなノリなんだが、悪くはない。
それから、師と弟子、弟子同士においても目と目を向き合っていわば改まって話す場面が多いのが良い。「相手の目を見て話す」というのはハッキリ言って、現代のビジネスマンの一種のメソッド、技術になっていて、本気で相手の目を真っ直ぐに見て話をするというのは日本人の場合、よほど改まってなにかを話さなければならない場面しか考えられない。基本的に日本人は相手の目を見て話すというのは失礼に当たるという考え方だったんだ。というのは、相手に緊張感を与え、不安にさせるであろうという心遣いから。

ただ、メソッドや技術が定着すれば、それはビジネス場面では常識となって逆転現象(逆に相手の目をたまにきちんと見やらないと失礼に当る)があるということでしょう。

このドラマで相手の目を見ると言うのは、「改まる」ということで、相手と真剣に向き合って話したいという意志の表れ。だから、場合によると緊張が火花を散らし、真っ直ぐに対象者と対決してしまう可能性もある。それでも向き合うのは笑い芸の目標にみんながまっすぐだから。

そういう姿勢がまた、懐かしい理想の世界が描かれている感じがするんだ。

落語家一門、と言う素材も面白いね。落語家は公の場ではプライベートでは何にもないように、お客を笑わせることが最大の目的なんだから。昔は楽屋落ちは見せない美学だった。

オレなんて楽屋落ちみたいなことばかり書いているし、とてもこのブログで書いているようなことを人を相手に真っ直ぐに目を見て話すことなんてできません。(苦笑)。

そういえば、昔EX・TVという11PMの後に始まった深夜帯番組で関西は上岡龍太郎が司会をしていたとき、楽屋にいわば「隠しカメラ」を置いて、いろんな落語一門の「楽屋話」を聞かせるという企画があった。基本的に笑わせたい人たち。一門の師匠や先輩・後輩、あるいは自分自身をくさして笑う、という落語家の基本たる自虐笑いが基調だけど、そこには時に笑いとは?一門の中で笑いの方針とは?など真面目な方向に移行することも多かった。そこには先輩の考えもあれば、後輩の考えもある。先輩後輩も世代の違いでの差異もある。

ただ、そこにある総体としてみたときの幸福感・うらやましいな、という思いは、一門の持つ擬似家族性に何かを感じたのかもしれません。今思い返せば。

それらを全てバンザイ!といって賛美するわけではないです。一門と言う擬似家族は精神的にシンドイでしょう。やはり芸人として立つ、という目標があるから師匠のところで年季奉公から始めるわけで。ウットウシイことも多いと思う。でも芸人として残る人が偉いなと思うのは、それをも笑いに転化できること。
あたり前だけど、とても真似が出来ることではない。ツメの垢をいくら煎じて飲んでも。

ところで、こちらのお二人も弟子と師匠の関係ではないし、出自も違うけど、本当に腹を抱える先輩と後輩関係だ。
おっと、47分も(!)あるけど。時間がある人はどうぞ。趣味に会わない人も多いだろうかな、とは思うけれど。

PAPEPO・TV 1992-10-30

by ripit-5 | 2007-12-22 13:09 | ちりとてちん