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NHKの年金議論

いろいろな意味で知的刺激に満ちた、とも言える見逃せない番組だった。(表現が悪いかもしれないが)。

ずっとこのところ年金に関心を持っていたけど、3時間くらいの番組として全体的に自分の思っていた部分を議論として出しつくしていたようで本当によくやってくださった、と思う。

出演者たちがみんな、素晴らしかった。
もっとも真剣なのは玄人よりも(言葉は悪いが)普通の一般市民の人たち。
みんな、勉強しているぞ。
何故なら、生活、そして未来の社会像を考えることだから。

公的年金制度は昭和36年と昭和61年が大きな節目だが、そのどちらも高度経済成長モデルを前提にしているものだった。少子高齢化への想像力も足りなかった。ある程度致し方なかった面はあるかもしれない。ただ、それはS36年のほうだ。61年改正を持って、基礎年金化し、世代間扶養の意識を醸成させることになったのは、確かに少子高齢化時代の予兆を理解してのものだったろう。それでも、あくまで高卒・大卒男子が新卒社員として働き、そして定年まで勤め上げて老後の保障を受けると言うモデルだった。それは次世代も現役世代がこれから年金受給する世代を見るのと同じフィーリングであり、時代環境が変わる予見が弱かったのだ。
再計算する5年後に、本当はもっと抜本改正を考えるべきであった。バブルが弾けたとき。

実は景気が沸騰し、爛熟した果実が地に落ちようとするその時を予見すべきだった。予見していた人は予見していたのだから。これはバブルであり、いつかははじけると。

一番酷いのは間違いなく新自由主義、要は自己責任でやりなさいとなった小泉政権の竹中路線なのだ。年金は、その意味と、その意味の成果(見えやすい結果ー自分の負担が老後や障害、死亡遺族の給付に廻っている)、そして透明性(その年の負担額と給付率を透明化)が必要だ。
それには、同時に教育が必要なのだ。これは声を大にして言いたい。しかし現実はどうか。江角マキコにCMで自分が年金保険料を払わずして、年金を払わない人間を恫喝するようなことを言わせる。そこには「払えない現実」の視点が欠落している。そしてそこから派生した政治家の年金未納。小泉首相の架空第二号(働いていないのにサラリーマンの形での納付期間あり)等々、現実の政治家が年金の意味を明らかに軽視していた。与野党問わず。それどころか、政治評論家やオピニオンリーダーたちー例えば田原総一郎や筑紫哲也、そういった人たちも未納していた。彼ら、年金に頼らず生活できるものたちは時には国を頼らないと嘘ぶくかもしれないが、彼らが払う年金は僕らが払う国民年金保険料と同じく、いま現在の障害者や遺族の年金に廻っているものなのだ。インテリの彼らはそれを知らなかったのだろうか。知っていて未納していたとするならば。。。止めておこう。

つまり、大状況を語りたがる人たちは、じつは国家を語る場合に国民の生活保障の意味と言うことから離れ、足元を掬われるのだ。その顕著たる例は前・安倍首相だろう。かの人は新自由主義で生まれた格差という最大の内政の難問を解けないという自覚があったからこそ、国家論や、教育論、あるいは隣国脅威論に依拠して何とかしのぎたかったのに過ぎないのではないか。年金問題が国家を引っ繰り返すことは十分にありえると私は見る。これを契機に政治そのものが変わりえると。

財源問題を具体的に考える時、確かに消費税論議は無視できない。しかし物品税を復活する意味は十二分にあるし、環境負荷が高い商品は高額な税率をかける方法もありうる。
しかし、それら全て、あの(あえて乱暴に言えば)竹中路線の否定なのだ。自民党はある意味で最後の綱としてその路線に乗っかった。しかし、自民党の議員もすでにその路線で国民間に出来上がった「格差」という人々間の分断、そこから生まれる問題意識、それらは結局国民同士、同じアナのムジナで争わせる路線をとってきたのだが、そろそろ国民はそんなことばかりをしている場合ではない、と気づき始めている。現状顕在化してきている治安の悪化も含めて。
治安の悪化の意味は、戦後教育ではなく、自由主義経済の行き過ぎとセーフティネットの喪失による経済をめぐる仲間割れなのだと。(もちろん、それだけとはいわないが、現実の社会環境が事件の感情を作る十分なファクターであると自分は思う。事件と時代の関連性は無視できないと)。

気がついてみれば、政治家の背中には寒い目線が集まっていると言うことになる。
今までも公的年金は最初の段階の骨格を変えず弱い基盤に枝葉をつけてやってきた。
耐震偽造のように、その地盤は大きな揺れで倒れるかもしれないことに人々は気づき始めている。そして、それはレッセ・フェール、完全自由主義の年金改革案では立ち行かないと。

自分を頼りだ、と思う価値観の人でさえ、そう思う時代なのだろうと、昨日の番組を見ながら意を強くした。
最後に。
本当はこれらのことをしておかねばならなかったし、また今からすぐにでも、これだけのこと始めて欲しいと思う。

・高校、あるいは中学段階で年金制度の仕組み、そして確定申告の方法を授業する。(特に年金制度は、何故年金制度が必要とされたか、その歴史を教えることが絶対必要)。
・国民年金の定額納付制度を改め、免除ではなくても、半額納付を認める(14100円は無理。7000円台なら何とか何とかという声は若い人からも聞く)
・同時に2年間の納付期間の制度は撤廃。少なくとも学生特例や若年納付特例、免除制度のように最大10年間まで納付期間を広げる。
・25年の長期納付要件は見直す。

この現状の年金制度(過去と現在)をきちんとお互いの共通理解として、そこから先に税の議論に入ればいいと思う。もちろん、税の無駄遣いのこともある。守屋次官の話なんて、もうトンデモナイ話。

最後にワーキング・プアの問題と言い、今回の討論会といい、NHKは「らしい」仕事をしてくれている。本当はマスコミがなぜ今まで年金制度についてきちんと報道、あるいは教育してこなかったのか、という不満はある。しかし「楽しくなければテレビじゃない」。民放哲学である視聴率も含め、そこに甘えてしまった僕ら自身の責任もある。しかし、NHKは受信料をとっている以上、社会教育の必要や、現実世界がどうなっているのか伝える使命がある。それを今取り戻そうとしつつあると思うのだ。幾多の不祥事の果てに。それだけにイデオロギー的な対立で現会長を更迭しようという動きには、絶対に反対だ。NHKに民間的な思想を強く導入すべきではないと考える。

by ripit-5 | 2007-12-23 22:48 | 社会