炎を燃やしてくれてありがとう、ジョー。

ジョーストラマーのドキュメント映画『ライフ・オブ・ジョーストラマー』を観てきた。
いやぁ~、感動した。ラストあたり、ジョーにとって最後のステージになっただろう、消防士のストライキのためのチャリティステージでミック・ジョーンズとのクラッシュ後、最初にして最後の同じ舞台で、そしてニナ・シモンの唄で、そしてジョーの人生哲学を語るくだりで、思わずこころの中で泣いていた。

確かにボノが振り返るように、英国の76,77年は圧倒的な変化があった。日本ももちろんそうだったけど、ロックは長髪のスーパースターとギター・ヒーローの時代だった。それが革命的に音楽にとって詩が重要になり、ある種の倫理観が前面に出た。パンクロックの席巻。
面白いのは当時ピストルズから始まったこのファッションも含めた音楽的価値転換の革命に、ジョー・ストラマーは「意図的に」そのムーヴメントに乗った、ということ。少し世代が上のジョーは、乗り遅れたヒッピーだったし、長髪族のフーテン、住居不法占拠族、そして似たような仲間との割とレイジーなコミュニティの一員だったわけだが。クラッシュを始めた時、意図的に過去の仲間達を見捨てた。現代風に言えば、全てリセットして新たな人間としてスタートしたということ。だが、そこには彼のその後の理想主義と現実問題との折り合いがつかなくなったときに現れてしまう一種の非情さのパターンの予感を匂わせる。

だから後年、クラッシュ以後の低迷期を経て、新たに表舞台へと復帰するにかけて、元のジョン・メラー、あるいはウッディと人に呼ばせていた頃の自分に、ヒッピー思想もパンク思想も共に飲み込んで折り合いがつき、吹っ切れた感じで戻ってきたようになったのが泣かせる。本当にそこに戻れて良かったよなぁ、ジョー。

今回のジュリアンテンプルの映像は彼の得意のいろいろなコラージュ(当時のテレビ映像、古いフィルム、アニメ等々)が実に滑らかにそしてドキュメントとしては新しい雰囲気で流れて行く。ロックスタードキュメントとしての新境地だ。やったな、ジュリアン・テンプル!この人の映画に目立ちがちだった、けれんみも薄れている。テンプルの最高作だ。

ほぼ、ナレーションがジョーの声なのもいい。映画で言えば、「イマジン」のジョンレノンの声の手法だけど。これだけ多くの、ジョー・ストラマー自身の自分語りの肉声が残っているとは思わなかった。そう、それにクラッシュ時代を含めて、こんなにも見たことがない彼の映像があるというのにもびっくりだった。

文句なしのこの映画の中、あえて贅沢を付け加えさせてもらえれば、どう考えても「自由」がヒッピー的なもの、基本的に自分中心的だったように思われるジョーのスタンスが、クラッシュ加入後、『サンディニスタ!』にまで至って本来の人間としての自由、つまり権力の抑圧からの解放に至る普遍的説得力を持つ自由の訴えへと変わる、世界規模の問題を物語れる詩人としての知識をいつ頃に蓄え得たのか。そこが映画ではまだ分からないところである。あれだけ突っ走り、あれだけ新作に沢山の曲を詰め込んでクオリティが落ちなかった多忙な「クラッシュ」というグループ時代に、どうしてあれだけ倫理主義者とさえ思われる知的蓄積がジョーの中に出来あがったのか。学校では完全な落ちこぼれだった人なのに。

まあ、そのことはまたおいおい考えよう。彼のこの映画はロックファンだけの映画である必要はない。もちろん、ロック・イコンとして、象徴としてこれだけヒロイックな存在も少ないけれども、要はジョーに象徴される感性なのだ。それが僕らの少年性を震わせる。過多に感情的で、ロマンテックで、センチメンタルで。そして、間違いを犯しては落ち込んで。いわば「負のヒーロー」なのだけど、その純粋さが美しい。(いや、もっと純粋なのは実はミック・ジョーンズなのかもしれない。ストラマーはきっと純粋さの世界を無意識に演じきる才能が際立っていたのかも・・・純粋さの世界に没入できて、同時に現実にも戻ることが出来る才能と言うべきか)。

結局何が感動的なのか。おそらく、それは自分も含め、多くの子どもたちにとって思い描いていた夢や憧れの世界への探求者がこの映画で描かれているからではないだろうか。泥臭く躓きながらも。究極的にはへこたれることなく。

映画ラストの彼のメッセージをここに載せよう。

人は望むなら何でも変えることが出来るんだ。世界中の全てのものをだよ。
人は走り回り、自分だけの小さなトラックにはまってしまっている。
僕もその一人なんだ。
だけど、そんなネズミのトラックだけを走るのはやめないといけない。

人は何でも出来る。僕もやっとそのことが分かってきたんだ。
お互いに悪いことをしているのは、人間関係が乏しいからなんだ。
そろそろ人間性をリングの真ん中に置く時だよ。そしてそれをしばらく見守っていこう。
欲望には何のいいところもないんだ。タイムズスクエアの大きな看板にそう書くべきなんだ。
人がいなければ自分は何の価値もないんだ。
それが僕の考えだよ。


映画のエンディングで書かれるのは実タイトルである「ザ・フューチャー・イズ・アンリトゥン」。
未来は書かれていない。ピストルズのイメージが「ノー・フューチャー」なら(実際、ジュリアン・テンプルが撮ったピストルズ映画のタイトルだ)、如何にもこちらがクラッシュや、ジョー・ストラマーらしい。
そうだ、上記のメッセージはまだ書かれていない。空白なのだ。
でも、みんなそう書きたいと願っているんだ。彼のメッセージのように。例えストラマーとは全く違うキャラクターであっても。(ほとんどの人間はストラマーのように激しくは生きられない)。

不幸なパラノイアにはまりかかる日々、そしてこの不幸な暴力が未だに襲いかかる世界で。
一瞬蘇るかのような勇気や感動を。おそらく音楽が好きなら、勿論ロック好きなら。この映画から手に入れられるに違いないと思う。

d0134515_0415535.jpg

[PR]

by ripit-5 | 2007-12-28 00:21 | 映画