おそらく僕ら人間は

わかっていないことが多すぎるのだと思う。
おそらく、百何十年か前に西洋を中心に「自分」が発見された。
自分は、世界の中心の軸となったのだろう。
そして「女性」が発見された。
「両性の平等」は恋愛の新しい形、進歩の発見であり、それが恋愛に惚ける新機軸の発見になったかもしれない。
そんな中で、「社会」が発見された。
社会には、自分や両性の平等を唱える余裕ある層には理解しがたい一つの別の他人たちだったはずだ。
人間が別の人間を発見して、同じとみなすのは難しい。きっとそうだ。
自分と同じ。共感及び友愛。
それを乗り越えると、新しい「それ」も歌い上げるようなロマンテックなドラマとなる。
そして異文化と異人種。
とても難しくなる。
「インドへの道」という映画を見ると、長い時間をかけて、結局収まりの悪さ、見解の不可解のみが残る。結局、西洋人にとってインドはわからないのでは?特に異文化の人を愛する異性にとって。そんな映画の1984年英国。舞台になったインドはもっともっと古い時代だ。では、作者は何故その時代を?
そしてそれらを乗り越えてもなお、今眼前にある分からなさは、人間を超える環境の問題。
これを前にすると、ぼくもそうだが人間として生きるそのありようそのものが不可知の場所に飛び込まざるを得ない気持ちになる。
そして、上述してきた幾層もの違いが普通の人々の、そして僕のような人間の、日ごろ意識せぬ価値判断や臆見によって積み重なってある。その上にこの経済体制の上で起こる環境問題がまたその上に積み重なる。
臆見の臆の字は臆病の臆だ。
なるほどと思う。
「インドへの道」に出てくる医者を犯罪者にしたてあげようとする勢力は怖れに由来する勢力だが、あの主人公の女性の不可解な心の動きは何に由来するのだろう?
臆病を超えてあるも、なお。
そのなお、の不可解。
私たち、否、私はこの経済体制とそれがいずれ遠からず引き起こすだろう世界環境の破壊が、異文化に接するあの老婆と若い女性のように何か新しいものに出会った際の戸惑い、世界に対する不安に似たようにあるような気がする。
ああ、上手く言えない。上手くいえないなぁ。


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by ripit-5 | 2007-02-08 11:36 | 映画