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日本人的なもの云々を法的にどうとか

するというのは、非常に難しいことだと思う。
おそらく、現実的には対外問題だと思うが、教育基本法にしても、憲法にしても日本人の価値というとき、まずはそれは法案を作る人たちがその価値の規範を示さねばならないと思う。

それこそ、ファンタジックな「むら」があり、「むらおさ」、長老が治めるくにならば、通用する方法かもしれない。何故なら、そこには基本的にはほとんどプライバシーがない、村おさの姿かたちが示した長老会議の(しかも延々と長い)議論の果てに衆知一致の法として成立したろうから。

愛とか気概といった、上手い表現が無いから倫理的価値的規範といってみるが、そのような規範をいうなら、それをいう長、議員が自分の家庭の姿を天下に示し、「これである」というのを見せるべきだろう。

しかし、それは近代/現代国家では出来ない。育児・子育て・育った結果はプライバシーとして保護される。代議士であろうと。当たり前のことだ。

では、そのようなプライバシーの基盤に触れるようなものを憲法や基本法の基盤に現代入れる意味と価値は?

そのようなことを考えるのもけして無意味とは思えない。

本来、倫理学者とか道学者が語ることを法文にするには近代社会の一般大衆がどう合意するのか。
やはりそれは方法としては選挙しかないのだろうな。

by ripit-5 | 2007-01-09 11:45 | 社会