Lost Control

あの79年頃から目立ち始めたポスト・パンクの代表的なバンド、ジョイ・ディヴィジョン。そのバンドの象徴であり、カリスマイメージを背負ったイアン・カーティス。23歳にして自死を選んだ彼を主人公にした映画。それが映画「コントロール」。観てきました。

当時、彼の自殺のニュースは新聞の片隅にも載った。日本では輸入版でしか手に入らず、その後もニュー・オーダーで軌道に乗るまでは日本盤も出ていなかったジョイ・デイヴィジョン。その当時のサウンドからもミステリアスにして、シド・ヴィシャスとはまた別の、よりショッキングな死の報道だった。恥ずかしながらかなりガキだった自分はそのまるで海外放送のような神話に酔って、そのミステリアスな彼らのサウンドにどっぷりハマッた時期もありながら、ジョイ・ディヴィジョンとイアン・カーティスの実像についてはほとんど分からないことだらけのままであった。

今回の映画で実質それで新しい何かが解けたわけではない。よって、あくまでもこの映画の視点で話を進める。
とはいえ、この映画はストーリーとして事実部分(多少脚色もある)以外の人物心理描写はかなり省略されている。彼が自死を選択するに至る過程の最初に、自分のコントロールを超えて物事が進み始めていることを思い悩む詩人らしい繊細な懊悩をつぶやくコンパクトなモノローグがあるくらいだ。

それよりも一番雄弁なのは、今回初めてわかった彼の歌の詩世界と、あの独特なパフォーマンス。(演奏が高揚してくると長い手を奇妙に振り回し、上半身のみで痙攣するようなダンスをする)そのようなトランス状態に陥るステージ。それが一つの引き金を呼んだかもしれないてんかんの発作についてだ。

あの独特なドラマテックなサウンドに乗る彼の詩は、明らかにパンク時代の「システムに対する抵抗」ではなく、自分の内側を凝視したもの。あるいは人と人との間の一瞬の感情が発する際の鋭敏な感性の発露が昇華された言葉だ。

僕には、この映画に添えば、その詩がもたらす独自性のありかも、もしかしたら彼のてんかんがもたらす孤立感、すなわち心や脳のコントロールを超えて身体が発作をもたらすという他者と共有できない痛烈な断絶のためではないか?と想像する。

それを、その悩みを自分でコントロールする機会を持てぬまま、状況がどんどん大きくなっていく。素朴で純粋で繊細な彼にとってはそれらを上手く立ち回ることは到底困難なことだったのかもしれないと。その思いつめた結果が、彼を究極的な孤独な選択をもたらしたのだろうか、と。

イアン・カーティス役のサム・ライリーはそのステージパフォーマーとしてトランス状態に入っていく彼と、日常に上手く適応できない繊細な若者の姿の二面性を実に上手く演じていて、名演だ。

特に若者として傑出した詩を書き、それを歌うステージの彼の演技をジョイ・ディヴィジョンの映像を見たことがある者はみな「良く似ている」と誉めるだろう。

だが、実際、彼の自死によってメンバーはもちろん、当時のファクトリー・レーベルの所属アーティストにも大きな動揺と暗い影を落としてしまったのも事実なのだ。
やはり、自死は残されたものに深い禍根を残す。たとえ、イアンに底知れない実存的な不安が深く渦巻いていたとしても。残されたものはどこかで自分に何か非が無かったのか、彼らに何かしてあげられることはなかったものか、と思わせるものだ。

イアン・カーティスがバンド活動を始める前に職業安定所でハンディのある人に職業紹介をしている仕事をしていたのは知らなかった。役者の名演でもあるのだが、職業紹介の仕事をしているときの彼は暖かく、落ち着いた物腰で、出世はしなくても誠実な官吏になれたろうと思わせる。

死者の悪口を言うものはいないが、特にイアン・カーティスについては「いいやつだった」という意見が多い。あるいは例えばドゥルッテイ・コラムのヴィニ・ライリー、スクリッティ・ポリッティのグリーン・ガートサイトなど、繊細なミュージシャンとの友好が深かったことを考えると、本当に惜しい。

願わくば、結論を急がず、例えば職安でハンディのある人の職業紹介の仕事などを続けつつ、詩人としてペンを持つような人として安定した生き方も可能だったのではないか。
私には分からない病だが、てんかんとも上手に付き合っていければ、イアンは今も生きていて、感性は成熟し、何かを廻りに与え続けることが出来たのではないだろうかと思う。

しかし、時代や状況が、彼の性急な結論を導き出したのだろうか?
ユニークな音楽と詩、そしてリアルなパフォーマンスが彼のある一面のみを増幅させてしまったのだろうか?

それらのことを考えさせるがゆえに、当時のニュースに感じた、シド・ヴィシャスの死とはまた違う、リアルなショックはロックファンタジー世界とは全く別の悲劇を感じたという意味で当時の印象を反復させる。イアンは普通の人間として今も生きていけることが出来たはずだと。

けしてドラマテックではない別の意味でのロック殉教者であろうか。それだけにやはり暗い気持ちを解くことはできないのである。

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PS.
 映画でもステージパフォーマンスで演じられるシングル曲「トランスミッション」の素晴らしい映像はユー・チューブでも容易に発見できるし、今後上映予定のジョイ・デイヴィジョンドキュメンタリーでも使われそうだ。トニー・ウィルソンの「OGHT」での「シャドウ・プレイ」の映像も有名で、映画でもそのままに演じられたが、今回発見したこの海賊映像?は貴重だ。
 映画におけるサム・ライリーの演技も見事だが、やはり当時の本物のジョイ・ディヴィジョンの迫力はすさまじい。

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by ripit-5 | 2008-04-26 22:03 | 映画