芸術の森・男鹿和雄展&近美・砂澤ビッキの素猫等

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 昨日は今年初めての花火大会を見た。淀んだ心が少し洗われる気がした。不思議だな。花火を見ているとそんな気分になります。

 本日は札幌芸術の森にてスタジオ・ジブリの美術担当職人・男鹿和雄さんの特別展示を見に行った。いや~、不勉強で僕はこの方を存じ上げなかったのですが、「トトロ」以降、どれだけ宮崎監督や高畑監督作品に背景美術として貢献していることか。って、そんな人です。あのリアルな森や風景を描いていたのはこの人だったのか~。この背景があってキャラクターが動いていたのか。強烈な印象。とにかく凄い写実能力。

 ジブリに迎え入れられる前の作品には現代的な都市ビル街の絵なども描いていますが(「幻魔大戦」)、それらの描写も上手いし、何より自然を描かせたらそのリアルな事!あるいは「トトロ」に出てくるような和洋折衷の家などの実に正確な描写。おまけに室内の構造配置、住居の見取り図など、設計段階の絵も展示。どれだけリアルに考えられていたことか。「トトロ」だったかな。その室内家屋の構造は、富良野は麓郷にある「北の国から」における子ども時代の純と蛍の住んだ家を思わせる。絵を見てすぐ現実の古びた生活感のある家屋をこれだ!と思い起こされるとは。

 やはりジブリの作品において。主に日本の自然「トトロ」から「もののけ姫」あたりまでの写実的な美術は本当に上手すぎて、自然の霊気が宿っているようです。「もののけ姫」の美術を見ながら昔歩いたことのある、例えば「熊野古道」の自然のスピリチュアルな感じと怖い感じをありあり思い出させてくれて嬉しかった。
 それから個人的にとてもきれいで楽しかったのは「平成狸合戦」の長閑な風景。春の風景とか、明るい森の風景とか本当に美しくて、珍しくギャラリーでポストカードを買い込んでしまいました。それから僕は「耳をすませば」って作品が恥ずかしながらとても好きでして。あのラストの場面の背景。街を望む明け方前の風景と、朝日が昇る風景美術を見ることが出来て感無量だったです(笑)。

 アニメの美術だ何て馬鹿にしたらとんでもない。立派な画家の絵です。

 帰りは近代美術館に寄って常設展示を見る。レオナール・フジタの特別展示は何点か常設作品で見ることが出来るし、金も無いので。。。
 常設展の今期間の中心はアイヌの砂澤ビッキの展示。
この人は基本的に彫刻家なんだけど、今回の展示は素描を主に。アイヌの呪術的な文様のものが特に魅入られた。一瞬思ったのはケルトの文様。それから縄文時代の文様。
 王国や国家を築いた世界宗教が誕生する前の、自然に対する畏敬と呪術的な力が信じられた時代を再現するような作品が特に興味深かった。

 男鹿さんの作品も自然の写実だけど、ここまで徹底してくると自然の中に畏怖や畏敬を感じているような、そんな濃厚な気配が漂ってくる。

 こじつけかもしれないけど、両者にそんな自然との感覚への似た側面を感じました。表現方法は違うけど。芸術の森は、自然が多いので男鹿作品の展示会場としても最適でしたね。美味しい空気を存分に吸ってきました。
 金はかかったけどw。金って現代の呪術じゃねえか?ってね。
 またひとこと多い!(苦笑)
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by ripit-5 | 2008-07-26 20:35 | アート

立川談志10時間スペシャル

 これはとんでもないものを観てしまった。
 いかに異端に見えようとも、狂気とさえ見えようとも、天才には間違いない。
 もし、この世に「天才」といえる人がいるのなら。この立川談志師匠がそれ、そのものです。
 長大なドキュメントも含め、落語の大ネタその他を含めたこの10時間の世界全体が天才の足跡で、軌跡(奇跡)のごく一部です。否、ごく一部なのでしょう。
 奇跡。そう、同時代にこんな凄い落語家が居てくれたというそれそのことが。

 僕はしみじみと、あたり前のことだけど何にも分かっちゃいなかった。
 談志師匠が落語の世界で落語を語りながらその語りそのものを批評するような落語をするとんでもない人と言う程度の普通の認識はあったけれど、談志の頭の中にだけ住む「談志基準」に苛まれ、懊悩し、苦悶しながら、観客に自分が求めるものさえを要求して、そんな孤高の世界に冗談抜きに住んでいながら、そして老いとも向き合いながら、それでも高座の上で格闘を続けているということを。
 そんな天然人のまさに存在ドキュメンタリーを録画したビデオを3倍速のテレビ画面を通してみていてもぞくぞくとして、ざわりとする。怖くて、重くて、そして爆笑する。天然体の24時間存在落語家。存在噺家。存在天才。

 談志さんの落語を説明するなんてもうその道のツウ人でさえ至難なことだろうに、ど素人が説明なんか出来るわけないんだけど、とにかく過去より伝わってきた落語を基本に語りながら、それが批評と観念的なもの、そして非常に醒めたものと、落語の中の登場人物にぞくぞくするほど没入しながら、突如またも醒めた批評精神が顔を出したりしながら。渾然一体となって落語ストーリーの中で何もかもが交じり合う。

 談志落語はエンターティンメントどころか、我々の常識、否それどころか意識そのものにさえ攻撃してくるようだ。ここまで来ると落語という形を借りた、立川談志という存在そのものがバーッと眼前に剥き出しで表現される何ものかのようだ。
 談志さんは攻撃的で乱暴な口調ながら、メディアに出てくるいつものように、その言葉は極めてロジカルでしかも本質的なものだから、快感があると同時に何度もドキリとさせられる。ぶっちゃけ哲学的なことばかり考えておられる様子だから。

 そんな剥きだしの人間の皮と筋肉をつけた「談志存在」みたいなものが、上記したように大病後の長大ドキュメントも含めて全然想像が裏切られることなく(まんま想像通りの談志ね(苦笑))展開されるものだから。

 それはもう、圧倒されるし、ビックリするし、どこかでこの時代に昔まだいた異端の変人文人の如き化石(最大級賛辞)として、存在してくれているんだー!というホンマの感動もある。

 でも、やっぱり、正直、天才って、危険だし、怖い。怖いし、辛そう。天才って辛いよね。基準が自分だけ何だもの。自分が駄目だといっているかぎり、むくわれどころがないんだもんなぁ。
 故にこそ、自分に向けて精進する。だから天才が居てくれる有難さ、なんでしょうけどね。

 ファンになりたい、というには余りにゴーマンな気もするが。本物がこの時代に居てくれるだけでも、上手く説明できないが、何か生きていて良かったとさえ思ってしまいますです。

 談志さんのファンの人ってディープなんだろうなぁ。というか、そういう風にならざるを得ない構造になってますよね。

 何を書いているんだか、今日はさっぱり分からない。わやくちゃ。(苦笑)
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by ripit-5 | 2008-03-11 22:03 | アート

モンパルナスのモディリアーニとジャンヌ

日々初夏のような晴天の中にあって、本日めずらしく曇りで雲が開かない中、札幌芸術の森に「モディリーアーニと妻ジャンヌの物語展」を見に行く。野外美術館のある第2駐車場から下の本館へと。久しぶりにしばし、静かな木立の中を散策しつつ。

今回の企画はモディリアーニが主人公というよりも、若くして死んだモディリアーニの後を追うようにすぐ飛び降り自殺した妻・ジャンヌの作品が彼とほぼ同数並んでいるのが面白い。この中における妻・ジャンヌ。おそらく死亡した時も20代前半だと思うけれど、彼女のデッサン力の確かさに感銘を受けた。油彩になると少々辛いが、デッサンはモディリアーニの書きなぐるようなオリジナリティ確立後の作品と違って、端正で、フォルムも正確で、気品と繊細さがあって良い。※パスキンみたいな感じ?って思いつきだが。少々うそ臭くなるな(笑)。
※パスキンではなくて、マリー・ローランサン?まぁどちらにしても、いい加減にしか知らないということ!(汗)

モディリアーニといえば、独特の細長い顔、眼球が失われたような目、長い首などアフリカ古代彫刻の極一部を自分の中にオリジナリティとして確立したような一つの形式があるけれど、今回の企画展のチラシに使われたジャンヌの肖像画が明らかに違い、極めて写実的。眼球もきちんと描かれ、活気に満ちた生気と若々しさを見せた絵が本当に印象的だ。
http://www.artpark.or.jp/programs/art/index.html

この作品を見たとき、おそらくモディリアーニの中に妻・ジャンヌの美しさと愛を一番感じ取った瞬間だったのではないかと思う。もう一作、こちらはまるで「聖母像」のようなジャンヌの作品もあった。
作品の選択もあったかもしれないけれど、やはり妻・ジャンヌを奧低で愛していたのではないかと思う。こんな作品を書いてくれたら、それは妻としては幸せでしょう。

逆に病床のモディリアーニの寝姿のデッサンを書けるのも妻ならでは。そこにはこの二人の美男・美女カップルの素顔が赤裸々。(モディリアーニは逆に般若みたいな目つきのジャンヌの絵も書き残している)。

久しぶりに絵を見た後、隣の無料のアフリカの仮面と彫像展に。こちらこそ今興味深い展示なのに、こちらは人少なし。おかげでゆっくり堪能。ミステリアスながら、完成された世界がある。

その後、芸術の森敷地内に移設された有島武郎の札幌旧宅にお邪魔。こちらも無料。冷気の強い旧宅の中、札幌やニセコ等々の描写された小説の一部分を読む中で、やっぱ段々ふるさと意識が自分の中に強まっているのかな、という気がしてきた。

見慣れた世界を対象化された文章という中で。有島武郎は今度きちんと改めて読んでみたい。正直、「宣言一つ」意外、小説はまだ読んだことが無いんだ。

というわけで、本日は野暮な勉強は一日お休み。下でNHKの三宅というアナウンサーが煩い。彼が仕切る討論は嫌いなんだよね。
故に、階下のテレビ音から逃れるため、モディリアーニのチラシを見ながら、久しぶりにオムニバス・「ブリュッセルより愛を込めて」を聴いている。最近、オリジナルカセット盤がCD再発されたという噂を耳にしたような気がするのだが、本当だろうか?
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by ripit-5 | 2007-06-23 22:25 | アート

美術館常設展示-水辺の風景

久しぶりに近代美術館で絵を鑑賞する。
今は特別展示で唐招提寺・鑑真和上像展が行われているが、「高い・一度現地で見たことがある・込み合うに違いない」理由でスルー。
客の入らない常設展示一本に絞る。
ところが展示物見学料が450円。その高さに一瞬たじろぐ。前は300円だった。一挙150円の値上げ。
しかし、展示物は大いに満足できるものだった。
今回の展示のテーマは「水辺」。僕もどちらかといえば、緑の多い森閑とした森の風景が好きだが、先日行ったニセコの帰り、高配の多い道を上り下りしながら、岩内の日本海の広がる風景に出会ったときの安心感は、自分の原初のこころの風景に出会うようだったことを思い出した。あるいは山歩きの中途の渓流など。
水辺をテーマに具象的な絵画から抽象的な絵画まで。日本画から洋画まで。漁民と言う労働の場から見る海。神秘の摩周湖。岩内に住み、自分の生きる土地から絵を紡いだ木田金次郎。テーマにそってみれば、非常に抽象画でも面白いものがある。これでテーマが設定されていなければ、余り面白くないかもしれない。例えば、一般的な認知の少ない画家でも非常に印象深い作品もあった。1階最後に飾られた根室・落石海岸の絵画は特に印象的だった。絵心のない私は全く知らない人だが。素晴らしい作品であることはわかる。ずっと見続けていたい感じ。

2階のアールデコのガラス工芸も昔はさっぱりどこがいいのか分からなかったが、今はその試みの高さが分かる気がする。自然が新しかったアール・デコの作家にとって、日本の江戸末期の浮世絵の自然描写は大いにインスピレーションを与えたのだろう。
楽しく、自分にとって自然をふり返るいい機会だった。面白いのは、自然を見て感じたことを、画家の目(しかも手法の多彩な絵)で見て、新たにまた自分の中で自然を見る新しい観念が芽生えそうだと思えたこと。このような咀嚼というか、繰り返しと言うか。自然を見、自然の観察の結果を見、改めて自然を新しい目で見る。フィードバックするのが人間なんだなぁと思う。

帰りは久しぶりに豊平川サイクリングロードを。豪雨・薄曇りの日々は終わり天気は晴れ、風は爽やか。水面(みなも)は澄んで実に美しい。これ間違いなく幸福な光景でした。

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by ripit-5 | 2006-07-22 21:22 | アート