失敗!「ちりとてちん」の総集編が

前編後編に分けて昨日今日と「ちりとてちん」の総集編をやっていたんですね。
昨日、気がついて見たのは9時半頃。ちょうど四草が徒然亭に復帰するよう説得を受けているシーンでありました。

これじゃぁ、過去、なんだかんだとわかったようなことを書いても説得力がないね。僕がリアルタイムでかかさないで見だしたのは、ちょうど寝床での一門会が終わって吉弥さん(草原)がトナカイのかぶりものをしているシーンあたりからです。(笑)

本日こそと最初から総集編を見ましたが、かなり端折っていますねぇ。時間上とはいえ残念です。ちりとてちんは省くのが難しいドラマですよ。何度も書いたとおりディテール凝りまくりですから、写されていないシーンがいろんな伏線になっていて見落としどころがないですからね。
それだけに本編の省略がかなりあるのだろうけど、やはり少女時代から、そして小浜から大阪に出る喜代美のシーンをまるっきりちゃんと見ていないのは痛い。

なんにしても、後半の本日、初っ端からわかさの年季明けの話になっているのにびっくりしました。主人公の年季奉公のシーンがまったくないぞよ。
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by ripit-5 | 2008-05-06 10:37 | ちりとてちん

「ちりとてちん」はオルタナティヴ朝ドラだったのね?

朝ドラ史上最低視聴率を記録した(苦笑)「ちりとてちん」が終わってしまった。私はハッキリ言ってご都合主義・時計代わりのものと意地悪い目線で見てきた今までの「朝ドラ」と違って、このドラマにはいつも感動し、何度グッときたことか。目から汗が。何度も、ね。

だが、しかししかし!ラストはかなり広げに広げた風呂敷の閉じ方が粗い感じがして仕方なかった。

だが同時に僕はこう思った。すべて終わった後。これは今の時代における「生の肯定」のドラマであったのだろうと。後ろ向きな主人公(とはいっても、特異じゃないでしょう?普通の人間の内面はたいがいこんなものですよね?)の自己嫌悪、過去のこだわり、主観世界のドツボハマリ。そんな主人公も含め、個性的(それだけに癖がある)落語家一門の弟子たち、かの理想的な師匠も立ち上がるキッカケを廻りで作ってあげなければマジに“泪橋”を渡れなかったに違いない。(喩えが古いねw)。あるいは苦労人夫婦のの食事どころ溜まり場「寝床」、そしていろいろと愉快だけども同時にいろいろある小浜の家族や共同体。

主役がひたすら努力すれば報われて。最後は、仮に「女一代記」であれば、周囲をすべて善人に囲まれて、幸福な永い眠りにつくかのような。。。そんなハッピー・エンディングなんて現実世界ではまず稀有なことなのだと。ハッキリ前提を立てた上で、ではどこに感動の焦点を当てるか、という意味で。今回のドラマ新しかったですよ。「オルタナティヴ・朝ドラ」ですね。
そして、今回のドラマの見どころはすべての登場人物たちの内面的な歴史とか、こだわりの解消のプロセスなど。それらが一番の見どころだったと思う。主人公に強いスポットを当てず、むしろ群像劇をやった。そして脇役たちのココロの引き出し方が感動を呼んだのだ。

あえて挑発的に言えば、主人公の目線だけで上昇を目指して頑張り、立派にやっているとしても、何かをするということは誰かのココロにも何らかの影響を与えるという部分を今までは回避していたと思う。ハッキリ言えば、女性が社会的に劣位に置かれ、それをどうにかしなければいけないとか、それでもそれが難しい時代はドラマの主人公に自分の代わりを仮託するとか。もはやそんな時代ではないところで、若者らしくコンプレックスを持ち、突飛な行動をしては自意識の強さゆえに「どうしよう。。。」と落ち込んだり。そんな極めて等身大の人物がいま必要だったという見立て。その意味で現代的な朝ドラだったし、誠実な作品だったと思う。

ただ、ラストの2週くらいはかなり「取り急ぎ」な感じがあって、それは消化不良の感がある。

そして、上記したようにドラマの底流とあの結末の中に今の時代に対する勇気付けの要素はあったと思う。誰でも一度は通る顔が赤くなるような「おかあちゃんのようにはなりたくない!」という叫び(実際に口にするかどうかはともかく)。
しかし、やはり母は偉大なのであった。

前書いた「糸子さんの涙」の頃から思っていたのだけども、完結してつくづく思ったのはこのドラマの裏の主役は主人公の母、糸子さんだと。いや、真の主役とさえ思う。
なぜかといえば、残念ながら、主人公・わかさの心理描写、例えば自分がスポットを浴びることよりもスポットを当てる側に立つことの意味と価値、喜びの発見、すなわち生きる目的の発見に至るプロセスの演技がいかんせん。
 主人公が若いせいもあり、「成る程」と言外に伝わってくる要素が薄かったのだ。論理として、頭として、見ている側が理解できるという感じ。「これが私の最後の落語です」ということを高座で突然発言することの有無も言わさぬ納得。これを与える力はない。故にリアルな感想では無責任、社会人的なあり方の放棄という評価さえ散見されてしまった。

ところが、じつは糸子母さんも随分無茶なことをやっているのだ。娘の身体を思って徒然亭一門のオープンの番組から降りてもらうよう兄弟子(夫だが)に頭を下げるのも本来ありえない話だし、病気の師匠が心配になってずっと病気の師匠のために身辺にいてあげるのもリアルな観点では不自然だし、誤解を招きかねないはず。(常識的には、小浜の夫が快く思うわけはない。いくら話がわかる人でも)。だが、糸子を演じた和久井映見の演技はそれらのリアルなツッコミをはねのける実力と風格のある演技をやってのけた。これは糸子そのものになり切る覚悟がなければ出来ないことだろう。現実的なツッコミがあっても自分の行動の論理は据えているゾ、文句があっても揺るがないゾ、という演技力なのだ。これはやはり(こんな言い方では随分乱暴だけれども)、演技者としての体験の蓄積の賜物なのではないだろうか。

ともかく、今回のドラマはドラマの主人公らしからなぬ、トホホぶり、そしてラストは新しい命を宿した安堵の顔で終わったが、それでいいのだと思う。
主人公役もこれから20年後、和久井映見のようなぬかみそ臭い母親さえ堂々と演じる役者になればいいのだし。

「落語」だったのか、「自分の肯定=生かされていた自分=これから新しい命を育む自分」のドラマなのか、つまり職業モノなのか、女性性の物語なのか最後はあいまいになった気もしたが、むしろぼくは今の時代のほとんどすべての人がみな多かれ少なかれ感じていると思う「生きることの承認が今あるのか。あるとすればどんなかたちか?」という漠たる不安に対する「生の肯定のドラマ」だったのだと思う。ラストに至る風呂敷包みの方法はこれでよかったかどうかの議論はおいて置いて、過程の中で随分泣かせてもらった。随分提示してくれた。立川談志ではないが、落語は「人間の業の肯定である」。馬鹿やっているよ、阿呆だねぇーーー。だけど不器用でまっすぐだねぇ。。。それは自分自身の鏡であり、共感だった。

そのために脚本家の人は大分いろいろなものを読んできたと思うなぁ。想像するにマンガのたぐいから文学、その他モノを考える本等々。。。
とにかく、ありがとうございました!
藤本さんのメディア露出はないのかな?テレビで無くていい。活字メディアのインタビューでも良いから。人となりとかほんのチョットだけでいいんで。知りたいところです。
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by ripit-5 | 2008-03-31 21:09 | ちりとてちん

青空落語の場面を見て

 自分たちで常打ち小屋を建てるために(前、「常置小屋」と書いたのは間違いでした。すみません)、父の邸宅を売る決意をした小草若。めっきり風格が出た四草から「思い出が一杯詰ったこの家を売れるんですか」と訊ねられ、「売れるわけあれへんよ。だけど分かったんや」と。師匠(父)が、亡くなったおかみさん(母)との共有した願いをかなえるために奔走していたことを。彼は師匠であると同時に父であった草若への誤解が解け、そして彼らの大きな夢のためには家を売るのは十分に意味があることだと。

 今回、主人公若狭の提案はこの作品史上最もすばらしいものだった。「この家で落語会をやりませんか」、と。

 他の一門の噺家たちも見に参じて来たのは徒然亭の思いが伝染したゆえなのだろう。もちろん、亡くなった一門の師匠の面影を弟子たちが受け継ごうという心意気にも魅かれてのことだろうし。
 そして集まりすぎた人たちのため、急遽の青空落語会。このシーンが実に良かった。プロとかどうとかいうよりも、この世界を選んだ人たちがその原点を思い出したように、青空の下で、自分も笑わせたいという表現要求に駆られて。我も我もと参加を申し出る。

 風景が良かった。和式の家の縁側で語る噺家。庭先で大笑いする観客。その演者の声と笑い声に誘われるように覗きにくる人、また人。入り口に大きな塀と門があるのがまたいい。塀と門と庭と縁側というやや軽やかな敷居の中、この特別な日に門を閉ざすものもなく、金もとらず、笑いが人々を楽しくする。その周囲が告知されざる祭りの場となる。
芸の原点がこのようなところにあったという深層的な原体験を喚起する。

 確かに暗い地下に潜って、あるいは暗いところにステージにスポットを当てて非日常の世界にエンターティンメントが機能するのは意味がある。

 同時に、近世までは、あるいは近世初期には辻において話芸に秀でたものが声高く物語りをし、それを人々は足を止めて聞き、笑ったりしたのに違いない。
 時には神仏への物語。そして時に俗には物を売るための大道芸。しかし、きっともっとも純粋な形は話者も聞き手も、自分の話すことが大いに笑いを誘うことによって、そこに自分の表現が人々と共有できるのだと。そういう喜びに満ち溢れていたものだったのではなかろうか。

 僕らが生きる時代は、ブラウン管等(もはやブラウン管でもないか)を通して見る分節化された、例えば「笑い」なら「笑い」を、「感動」なら「感動」を、「政治に対する怒り」ならそれを、プレゼンスされた状態で提供されたもの。その提供する状況も計算がされている。そして、提供の方法もまた、たくさんの計算に張り巡らされているかのようだ。

 時にこの週末のちりとてのようにふと青空演芸の場面などに遭遇すると、もしかしたら青空学校とか、青空演芸とか、そのようなものこそが最も人の心に自然に染み込み、記憶に残るものかもしれないと。そういう思いに浸った次第です。
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by ripit-5 | 2008-03-23 22:02 | ちりとてちん

糸子さんの涙

ちりとてちんもいよいよ来週いっぱいということで、常置小屋問題を残して、おおむね広がっていった風呂敷(?)の回収に向かっているけれど、今日は小浜の家での糸子さんの幸福の涙がたまらなく良かった。

考えてみれば、このドラマ、主人公の大阪における青春群像劇=成長劇と同時に、故郷・小浜のいわば理想的な家族像(種々、家族である以上葛藤があるにしても)や共同体の話が大きな展開軸だ。二つを繋ぐのが「伝統」の現代における継承とは?なのだけども。

その中で、天然なおおらかさや世話焼きぶりで「おばさん臭さ」を全開させる糸子母さんこそがこのドラマの影の主役だと思うのだ。要所要所での登場人物たちへの影となる手助けは数が知れない。それでいて見返りを求めない。

ここにきてのうれし泣きは、ある意味では当たり前のことについての喜びの涙。故郷を飛び出した娘は何とか大阪という大都会で自分の生活が持てるようになった。息子は地元で教師になれた。義理の弟も無職ながら、甲斐性のある女性と結婚する決意をした。夫は職人として総理大臣賞を受賞する。
その夫の受賞祝いに集った家族の集まりに、「みんなの幸せ」と「自分のこころ掛かりの解消」の両方で感極まる喜びの発露なのだった。

この、日常の延長の当たり前ともいえそうな地に付いた幸せを心から喜べるということ。それが実に素晴らしいというか、当たり前に思える幸せを喜べる心の美しさが、見ているこちらに感動を与えてくれるのだ。和久井映見の演技がまた真実味があって、それがヨリ説得力を与える。

唐突に自分を重ねると、いまだにカッコイイ音楽やら観念的なことやら何やらで地に足がつかない自分でも本当の幸せの何たるものかは流石にわかる。わからないフリをし続けることが難しいくらいにだ。。。

故にこそ、和久井映見のこのドラマでの演技には、本当にありがとうといいたい。
彼女の演技を見て明日からの自分が変われるわけじゃないが、でも本当に美しいことって何かを教えてくれることだけでもありがたいですよ-その演技の中でね。

え~。何だか保守的な思考でございましょうかねぇ。。。まぁ、「年」のせいでしょう。

ところで、ドラマは回収に向けて、ところどころマンガチックな省略ゆえにツッコミどころもあるけれど、人の心に食い入るまぁぶっちゃけ人情噺の寓話だと思えば(それこそ落語の人情噺のように)突っ込む気にはならない。

しかしディテールにおいて「ある、ある」というツボは毎日けっこう散見出来るので楽しい。

泣いてグダグダの糸子母さんが目の前にあった夫の総理大臣賞の賞状で無意識に涙を拭こうとするシーン。
これは良くわかるなぁ(爆笑)。
自分なぞも相当オッチョコチョイで周りが見えない人なので、このテの日常振る舞いでの人様にかけるご迷惑はしょっちゅうでありますので。。。
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by ripit-5 | 2008-03-20 19:37 | ちりとてちん

正直、このような形で鉾が納まるのは?

 今週の木曽山(嘘山?)騒動の巻。一応の大団円、とは思えないけど円く収まるというのは。
 う~む。ちょっとあっさりした感じがしないでもない。
 木曽山君がこころ改まったのは一つには若狭が言った落語は個人芸ではなくお客との相互作用があってこそ、という重要ポイントと、草々師匠が土下座してお世話になった松尾氏演じる理髪屋さんに謝罪する姿を見て、如何に自分を取り巻く世界を甘く見ていたかを気づかされたこと、それと、純粋な正平君の真っ直ぐな優しさに打たれたというところなのだろうけど。

 それにしても、最初の高座が理髪師組合の人たちの前だというのがプライドとして許さないにしても、嘘が性癖になっているとはいえ、余りにもその嘘が回りくどすぎないか?その念の入れ様が分かりにくいほど手が込んでいる分、見るこちら側としては相当木曽山君の中に根深い何ものかがあるとうがってしまう。そういれこんでいただけに、割と常識的な納得をされたようで肩透かし?う~ん。本当は木曽山の筋で(笑)、相当突っ込んだドラマ展開が出来る気もするんです。だいたい、「父が僕の嘘の師匠です」って、いくらウケ狙いでも普通子どもは辛くてそんなことはいえないはずだがなぁ。
 残り後3週間でほかにも収束されないといけない問題があるので、これ以上は立ち入れないというところだろうか?

  まぁ、確かにプライドが高いのはあるみたいだ。名前が「子草々」と聞いたときの一瞬ガッカリした表情には師匠のくびきの下にあることが正直負担そうであるし。ああ、それから。徒然亭一門が復活するにはあの居酒屋に集う人たちのおかげというリサーチはなかったんだな。その意味では嘘はプロでも算段までは手が回らなかった若さがあったということでしょうか?w

 それにしても、木曽山君は何故に草々の弟子を志願したのだろうか?
 徒然亭に入門したいとして、子草若は頼りないと思ったというのはあるだろうな。四草は嘘を見抜く鋭さがあると思ったか。では、何故に一番弟子の草原ではなかったのだろうか?頼りがいも一番だろうに。
 う~む。頼りがいがあるというか、懐深い普通人のような草原もまた近寄り難かったのかな。まぁ、草々が一番単純そうに見えたという計算もあったろうか(苦笑)。それとやはりまだ思うんだけどね。この「熱血型・直情型」の師匠であれば、バシッと自分に言ってくれるのではないかと。どこかで僕はまだ、木曽山は誰かに「嘘つき」を暴いて欲しかったと。そして本心から嘘つき癖を矯正してくれる人を無意識に求めていたと。(この人の場合は嘘とほらが行き来するわけですが)。

 嘘つき癖の原因とか、彼と両親の関係とか、もっとリアルにいえば、嘘つきなのにもかかわらず、よく落研から破門されなかったな、とか(笑)。追求したいところもあるけれど、ドラマはドラマ。後はこちらの勝手な想像かな。

 ともかく、師匠がお亡くなりになる前から続いた各弟子のキャラクターの紹介や弟子の良いところを紹介する回想シーンが特に見事だったので、とにかく主人公の周りを世界が回るいつもの朝ドラと違い、主人公を取り巻く脇役ひとりひとりにスポットが当る、かなり手の込んだこのたびの朝ドラなので。脇役の人たちの思いや彼ら彼女らの来し方にも興味が湧くわけで。つい熱くなってしまった次第。

 正直、木曽山キャラは現段階では肩透かし。(というか、ドラマに感情移入しすぎ。w)
 まぁ、これから本筋とはまた違うところで彼の生地の描写もあるかもしれないのでそれも期待しよう。
 しかしちりとてちん、いわば「外伝」ものも存分出来そうなドラマだ。それも数パターンに渡って。
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by ripit-5 | 2008-03-08 22:09 | ちりとてちん

またしてもちりとてちん

 なまじ器用なだけに箸作りに関しても「心が籠もっていない」と素直に認める正平君。箸にかける伝統の重みも、ものが良く見える彼だからこそ。半端にかかわってはいけないと分かっている。だからこそ迷い道。
 一方、器用なんだから(器用にこなしてきてやってきている・あるいはやってきてやったから?)、オレにスポットライトをあてろよ、と思っているらしき木曽山君。故に同じく迷い道?なのかな?
 
 先週のA子は八つ当たりには違いないけど、一生懸命にやってきたのにという気持ちを弾かせてしまった。でもそれも恐らくB子である喜代美に対してであるからこそ。少女時代に初めて親友と思える相手としていられたからこそ。それ故に感情的に冷静になれないところがあっても、八つ当たりの形であれ、我侭に本音が言えた。お互い様の部分もあるだろうし。
 今週、B子の実家の塗箸工房を訪ねることが出来たのも、緩やかな和解へのしるしだと思った。

 むしろヨリ問題の根が深そうな木曽山君。とうとうこちらも常識では分かり難い形で、そして周囲が見えない形で本音が出たけれど、彼の心中にはもっと何か重いものがあるに違いないというのがやはり変わらぬ観点です。いろいろあれど、朝ドラの軸である「根から悪い人はいない」ケースでいうならば、いったい、彼の中には何があるのか。
 とりあえずは、彼の両親の影が全く見えないところが気になる。

 なんて、こんな「心理劇」風な推理=妄想を図って見てばかりいてはあきまへんな。

 松尾貴史って、本当に器用な人なんだよね。僕らの世代的には”キッチュ”名で出てた印象が強いのですが(笑)。
 故に器用で綺麗にこなせる分、テレビでは自分の癖を見せない力量があって、空気のような存在に見えてしまうときがある。その場の中に馴染んで埋もれてしまう感じね。おそらく彼にスポットを当てるとまた面白い緊張感が出るとは思うのだが。場合によると、山田五郎のように見えてくるのが損かな、と。いや、もちろん山田五郎さんも才能ある人なのですが。本当に。
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by ripit-5 | 2008-03-07 22:28 | ちりとてちん

加藤虎ノ介

このところ風邪気味が続いていたのですが、昨日の朝の雪かき(もうええ加減にしてくれ、雪よ)した後、とうとうダウン。その後風邪薬を飲んで今日の昼まで寝ていました(汗)。

その後、今週のちりとてを見て、その後のスタジオパークに「四草(”しぃそう”と発音する)」役・加藤虎之助虎ノ介出演、発見す。

おそらく今このドラマで女性に一番人気があるに違いないと睨んでいた男。役柄といい、ミステリアスな雰囲気といい、同性としても興味深いんで録画して見ました。

ん~。蔭があるタイプというわけでもないけど。そうか、小学校に入った頃に大病している経験があるんだ。
脚本家の藤本さんの手紙にマジで嗚咽・号泣?といってもいいよね。号泣だった。これはマジだったね。こっちもグッときたもの。相当背負っていたものがあったんだなぁ、このドラマに対して。丁度番組のクランクアップにあわせての出演ということもあり、おそらく緊張が直前まであったこと、まだテレビメディア馴れしない状況と急な人気と緊張の記憶が相まって。その中で感謝の気持ちが堰を切って溢れたのかもしれないですね。(こりゃ、ますます女子ファンが恋焦がれるなw)。

最後は徒然亭の兄弟子ら生出演のフォローもあり、かなりクランクアップ名残りの感謝祭の雰囲気へと。

今週の番組だが、思ったよりも木曽山のキャラが狡猾のところがあり、当て外れかも(苦笑)。まだわからんけどね。

それにしても、やっぱり師匠の関係で行けば、桂吉弥さん、そして狂言の長い歴史の中での親子葛藤のあった茂山さん、そして内面に何かを持っていてミステリアスな空気を持ちドラマに陰影をつけている加藤虎ノ介さんと。しつこいけど、脚本家藤本さんのキャステングの妙もとんでもないです。
作家・藤本義一さんと血縁関係にあるんですか?という疑問もネットでは飛び交っているのですが、それも分かりますね。余りにも才能がありすぎ。

もちろん、多くの人が期待していると思うけど、藤本さんの出演ですよね。今後の一番のポイントは。
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by ripit-5 | 2008-02-25 16:30 | ちりとてちん

木曽山勇助

昨日のちりとてのラストで電話に出たわかさの驚きの表情。それに気づいた木曽山のおびえた表情。
A子も木曽山も、とても簡単には解決のつかない大きなものを背負った二人。もう土曜日1日しかないところまで引っ張って、1日でこの「嘘つきは辛抱の始まり」の決着はどうつけるねん?しかも根本的に根が深そうな木曽山の問題の方から先にくるのか~と。今週をどう締めくくるのかとハラハラして見ましたが。

やはり来週まで続きはありそう。しかも予告編を見る限り、問題の中心はA子のほう。
しかも、とうとうA子の本音爆発!---ちりとて、最初のほうを見ていなかったこと、悔やまれるな。

しかしなー。木曽山。「落語は嘘。落語家は嘘つきじゃないとできんやないですか」みたいな趣旨のことを言って思いっきり居直ったけれども、そこに本音があるとはまだ思えないんだなー。本日ラストのオチはそれを示唆しているけれど。(まぁ、あの感謝のハガキまで本人が書いた嘘手紙か?とまで流石に思いたくないがw。でも、助けられた人が住所を知っているというのも。木曽山、何で教えてる?)。

しかし、わかさ、こころが大きい。親友、順ちゃんのアドバイスがあったせいもあるけど、このような人も面白いじゃないですかと受け入れる度量。すっかりおかみさんが板についてきました。ちょっと師匠が四草を引き受けた場面を連想させるけれども(笑)、怪しい行動を最初に見破ったのもその四草だというのも納得だねw。しかも自分も同じことをしていたんだと事もなげ。その何気なさが独特の男ぶりを見せてるんだろうね。

単純(純粋)な草々が「鉄砲勇助は楽しい嘘や!」と怒鳴ったのは誠にごもっとも。
後悔する嘘って、周りも不愉快だけど、当人も後悔の蓄積があってね。。。
まあ、「嘘つくしかないときもあるわ」と吐き捨てるA子がいてくれてこのヒューマンドラマの幅を広げてくれるんだけどね。

しかしいつも思うけど、この朝ドラは完全に今までの朝ドラの定型を破ったと思う。後続の連ドラがこの路線を継承できるのは難しいだろうけど。今までの朝ドラというと、ヒロインが幸せになるのにこともないような伏線のみが永遠と続く、という。これ、とんでもない毒舌かもしれないですが(笑)。そういう心地よさが心地いいという人は感じるのだろうけど。僕はそういうのはドラマに全く求めていないので。

逆に言うと、密度の濃さゆえ見返さないと見落としている場面とか、あるいはしばらくみていないと、ワールドサッカーとか競馬とかと同じで(笑)。その時期のストーリーが全く読めなくなってしまう可能性もある。-ちょっと比較が上手じゃないかもしれないけれど。

ひとつ写真を上げてみましょうか、僕は木曽山が好きだな。私の性格/行動傾向がバレるな(爆)

PS.木曽山勇助としての写真は現在のところなし。演者は辻本祐樹さん。おやおや、爽やかな青年じゃないですか。
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by ripit-5 | 2008-02-23 09:39 | ちりとてちん

嘘つきは辛抱の始まり

だったかな?今週のちりとてのタイトルは。
面白くて、とうとう録画にとって見るまでになってしまった。

ヒロインの夫、草々に弟子入りした木曽山くん。
なるほど、タイトルの意味はこの人の行動にあったのか。
見え透いた嘘が悲しいほど見え見えだけど、おそらく本当は悪意は無いのだろう。
「父も母も死にました」。掃除洗濯も姉が仕込んでくれた。その姉も「死にました」。
もっともらしくいう嘘が、きっとそんな嘘をつい癖のようにつく習い性なってしまった人なのではないだろうか。
あ~なんか、どこか判る気がする。悲しいな~。

おそらく、「父も母も姉も」死んでしまったという嘘をつくのは、きちんと仕込んでくれたしつけが木曽山くんにとってきっと自分では気づかない無意識なプレッシャーで、しつけ自体は身体が覚えているんだけど、無意識にそこから逃げ出したいという行動がすぐに出てしまうのではないだろうか。
ちゃんとやれる人が、すぐその作業から逃げ出してしまう。そして逃げて見え見えの嘘をつく。
落語に夢中になるのも、辛い自分を慰めるため、人が笑ってくれるのが嬉しいためかな?
師匠の練習している嘘つき・ほら吹き日本一を争う落語を食い入るように聴いているのがいとおかし。(かなし)。

小浜の友人の女の子がすべてお見通しのようなのが凄い。
「信じるとか信じないとかでなくて、親がしてあげられることは何や?愛情やろ」って。
電話だけで会った事も無い人間の行動パターンを推理できるなんて凄いな。


いずれにしても、もうたった今週2日くらいで木曽山くんの地金も出てしまうだろうし、頑張るいい子のA子の本音も出てしまうのだろう。
忙しい展開だけど、またこころに響く展開になりそう。
楽しみだ。
というか、この自分の想像(妄想)が全部ハズレだったらそうとう恥ずかしいぞw。
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by ripit-5 | 2008-02-21 22:23 | ちりとてちん

その道中の陽気なこと~

この2週ほどは病に倒れて地獄八景に行かれた師匠の独壇場、師匠の神の視点といったらおおげさか、師匠の視点での人間愛。そりゃあ泣けるさ。

しかし本当に良く出来ている脚本だし、役者はこういう作品に出会えたことを心から喜んでいるはず。

というか、朝の連ドラでこんなに密度の濃いことをやってもいいの?(笑)。
英断だよな。
久しぶりに名作ドラマ。DVD化希望。

1時間半。どっと疲れました。感情が揺れに揺れて。ドラ息子の恥さらしとして。
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by ripit-5 | 2008-02-16 22:52 | ちりとてちん