カテゴリ:格差・貧困 & 中流崩壊?( 32 )

最低賃金と中小企業

 昨日は「反貧困北海道ネットワーク」のシンポジウムで最低賃金の引き上げについてと、同時に最低賃金引き上げに応ずるには大変に厳しい中小企業の現状を教えてもらうかたちのシンポジウムに出かけました。非常に難しい課題であり、司会役の学園大の川村先生も悩ましげな様子。-実は一昨日も民間というかNPO法人の勉強会に参加させてもらった折も、同趣旨の話を同じく川村先生がされていたので、この日のゲスト、つまり中小企業の経営者側である北海道中小企業家同友会政策委員長の方の話を事前に聞いたうえでの話だったのだな、と納得がいった次第。

 シンポの参加メンバーは北海道地方最低賃金審議会委員、労働組合総連合の人、そして上記中小企業家同友会政策委員長でもある中小企業の社長さん。

 政府は2020年まで最低賃金を平均1,000円。出来る限り早く(おおむね3年内)に800円に、という目標を掲げている。しかし企業側としては実質2%経済成長を見込んだ2020年の1000円はその経済成長率自体が現実的ではないと考える。急いで私の印象を言えば、その通りだろうナァと思える。経済成長を続ける日本、というものが想像できないのだ。

 やはり最低賃金の審議員のかたや労組側は賃上げを求めるわけだが、(特に組合の人は私にはやや硬直した運動論に見えるが)この日のメインは中小企業主の現実の会社運営の実態であり、その内容は聞くに値するシリアスな話であった。

 日本の産業にはとにかく仕事がなくなってしまった。同時に失業率がどんどん上がっているので、石狩港湾の工業地帯で行っているこの製造業会社もほんの前までは求人一人にひとりが応募してくる状態だったのだが、今では30人、40人と応募履歴書が送られてくるので吃驚しているという。
 会社の従業員の構成や従業員に対する福利は誠実に行っている会社に思えた。人格的にも真面目な方だと思える。この会場のひな壇には労使の立場の違い、役割の違いが言わせている何かがあるだけで、日本の産業の基幹を支えてきた中小企業、特に新規産業系ではない中小企業の問題は大変に深刻なのだ。最低賃金を上げよ、と要求し続けることだけで労働者側が問題を無視し続けることは難しいだろう。実際要求型の労組の人も中小企業支援も政治に要求しているのだ。

 それでも最低賃金が生活保護以下の水準にあるのもまた事実だ。これをどうするか。倒産と背中合わせの企業にも、それでも求められる最低賃金なのだが。それは統制企業でない自由市場社会では政治的要求では無理だろう。では逆に生活保護基準を下げろ、というのも本末転倒。

 それゆえに、経済成長戦略、という話になるのだが、これも自分にとっては21世紀のこの時代にどうなのだろう?というフィーリングがある。
 考えてみれば、新自由主義のさきがけである80年代から始まる英米のサッチャリズムは構造改革と新自由主義だった。北部を中心とする国営、公営製造業を大々的にリストラしたサッチャー政権のやり方はその後ブレア時代の繁栄の時代までには、「シティ」を中心とする金融立国で労働者階級に深い傷跡を残したあとに結構な成功を収めることになる。それは米国の90年代に引き継がれ、情報産業と手をつないで金融が世界を席巻していわゆるグローバリズムを生む。もちろんそこには東西冷戦の終焉もつながる。

 いま私が思うのは、行き過ぎた自由市場が世界展開していった結果、古典的な市場主義批判の素地が却って出来てしまった。アングロサクソン系が進めた80年代以降の世界戦略のこれは結果的に失敗の姿かもしれぬ、ということだ。固有文化や食糧、エネルギー等々を巡り、結果的に世界に保護主義的な傾向の意識をもたげさせる、萌芽を生みつつある結果を呼び込んでいるのではないだろうか?

 北海道は日本という国の明らかにマイナーな「地方」だ。その中で190万都市の札幌はとりあえず雇用の厳しさを除いては「地方」を実感させられることは少ない。しかし札幌以外の地方はどうか?地方の市はどうだろうか。腹の奥から地方の悲哀を感じているかもしれない。

 民主党が総括の儀式をてんやわんやでやったらしい。執行部の総括では消費税増税が唐突であったことを総括したらしい。しかし、最も問題なのは「地方の一人区で民主はなぜ大敗北したのか」ということだろう。地方の民主への怒りの票はもはや望みを持たない自民党に反動票として流れたことをどう総括するのか。

 実はこの点に関して誰も民主党の中で答えを持っていないだろう。というか、誰も彼もが持っていないのではないか。まずは少しずつ、公共事業否定論ではなく、大公共事業ではなく、地方の中小企業にお金が下りる「小回りの効く公共事業」を真剣に、より機動的に行っていくしかないのであろう。

 おそらく、この20年来、世界中で都市と地方のいろいろな格差が広がっているはずだ。日本に限らず。そこにはやはりグローバル企業の世界展開がある。このゲームのルールは何とかならないだろうか。
 何ともならないという落としどころが見付からない状況になり、それが極まるとき、一挙に庶民主導の保護主義、排外主義が世界を覆い始めるかもしれない。

 ラストは本題からずれてしまってきたが、憂いのある想像である。
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by ripit-5 | 2010-07-31 09:16 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

湯浅誠氏が国家戦略室参与に。

Excite エキサイト : 政治ニュース
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「年越し派遣村」村長を務めた「反貧困ネットワーク」の湯浅誠事務局長が、鳩山内閣の国家戦略室メンバーに起用されることになった。菅直人副総理兼国家戦略担当の要請を受けたもので、湯浅氏が14日、明らかにした。菅氏は雇用対策も担当。非正規社員の厳しい雇用環境を知る湯浅氏を起用することで、昨年暮れの派遣村のような状況を繰り返さないという政府の姿勢をアピールする狙いもある

 もう昨日のニュースになってしまったけれど。
 やはりこのブログでも常に注目し、貧困問題のオピニオンリーダーとしていつも注目していた方であっただけに、このニュースは驚きだったし当然注目せざるを得ない。
 なんだかんだ言っても、今までの自民党の政権では考えられない抜擢だ。
 ただ、現在民主党の鳩山内閣の政策エンジンと目されたこの「国家戦略局」(しかしなんと物々しい名称だろう)が現在まだ実質的な機能を果たしているようには見えない以上、いまのところはシンボリックな意味でめでたいという感慨である。

 一番最初は週刊誌等で喧伝された「菅はずし」、「財務省主導」、実質的に国家戦略局で動いているのは行政刷新で動いている古川室長、という話が新聞にまで載りだした状況であると。実態が分からない今は、湯浅氏も内閣の中に取り込まれたまま、政策提言が思うように実行されないということだけはあってはならないと思う。

 菅直人氏は非常に「センス」がある人だと思う。センスあるアイデアマンという印象だ。ご存知の通り、菅氏の名を一躍とどろかしたのは厚生大臣時代だけれど、その後の「金融国会」で金融再生のスキームを作ったことに関しても印象が大きい。しかもその法案を「政局にせず」ということで自民党に丸呑みされてしまった。そしてセンスに関して言うと、後に整理回収機構に入った中坊公平さんに早くから着目していたのも菅氏だった。

 その後も「オリーブの木」構想や、村上龍の小説「エクソダス」からヒントを得てネットで国会にデモをしようと呼びかけて少し顰蹙を買ったり、英国の二大政党制の研究等々、常識に囚われないアイデアを出してきて、民主党内でも清新なイメージを与え続けてきた人、という印象がある。

 同時に、中坊公平氏に象徴されるように持ち上げられた人のその後、菅氏によって守られ続けただろうか、という不安感も多分にある。保守的な常識に囚われない菅氏の面目躍如、とでもいうべき今回のサプライズ人事の気はするが、それでもやはり大抜擢というか、新鮮な驚きには違い無い。

 それだけに今度こそ湯浅氏をぜひ守り抜き、貧困問題解決のアイデアを政治的に達成するためにしっかりとサポートしてもらいたい。本当に、守り抜いてもらいたい。

 おそらく反貧困運動の側としては現場の一番有能なオピニオン・リーダーが一端現場から離れ政治に入ることにおいて政治に対して良い意味で圧力をかける存在を失うわけで、貧困運動が政治的にあいまいに吸収されないだろうか、という危惧もあると思う。(ただし、湯浅氏の戦略室での役割はアドバイザーであり、『もやい事務局長』の立場は変更が無いらしいけれど)。

 そこら辺は今後どうなるのだろうか、という微妙な期待と不安は僕にもある。(オレごときが言うな、という話ではありますがw)。

 ただ、実際は良く知らないのだけど、いま機能している『政治家主導』という現在の政治運営も菅氏のアイデアを受けてのものであれば、同じく期待と不安がありつつも、政治家がみんな緊張感を持ちつつ、しかも生真面目に国民に向けて説明責任を果たしていると思うので、非常にフレッシュに感じている。確かに政治主導の結果が酷いものになってはどうしようもないが、現在非常に政治が面白く、政治家の顔を見ると昔であればチャンネルを変えたくなるのとは逆の現象が自分自身の中に起きているのは、政治家、特に副大臣クラスが毎日一生懸命に説明責任を果たしているからなのだ。(特に『ニュースの深層』)。

 これを「書生的」「青臭い」と見るならそれこそが古い観点なのではないだろうか。この青臭さ、学生くささ、あるいは誠実なセールスマン風情こそが一般の我々には今の政治の魅力になっている。

 政治観察のプロがどう思っているかは知らない。力もカネも無い弱い平民にとって、頼りになるのは自分の直感なのだ。そして往々にして、弱い人間の直感ほど鋭いものはない(河合隼雄)ということもあり得ると信じている。

 湯浅氏。ぜひ頑張ってもらいたい。そして国家戦略局よ、(やっぱり物々しい名称だなぁ)早く実働してもらいたい。
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by ripit-5 | 2009-10-15 21:45 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

NHKクローズアップ現代・「助けてといえない-いま30代に何が」再放送

 表題のクローズアップ現代の再放送が午前中にやっているのを改めて観た。最初の放送も3~4分くらい遅れてから観たのだが、作家の平野啓一郎氏をコメンテーターとしていま30代中盤以降で増加している、生活基盤を失われている人たちのケースを4人程度紹介してドキュメント形式で取り上げていた。うち、最初の一人は餓死してしまったという誠に痛ましいケースだ。

 湯浅誠氏流にいえば「五重の排除」のうちで最も難敵である「自分自身からの排除」ともいえるし、「自助努力の内面化」ともいえるもしれない。しかし、ゲストの平野氏がいうように自分自身が普通に努力もし、普通に上手くいかないことがあっても、それだけでこの番組のケースのように30代でホームレスになるというのは、とても個人の問題や責任に帰すことなど出来ないだろう。確かに団塊世代Jrの人たちは人口的にも多い層で、そこにバブル崩壊がのしかかって来たものだから、就職戦線が実に大変であったということの帰結であったけれど、同時にそれは政策的な不作為のためでもあったし、あえていえば僕自身も含め、社会的無関心の帰結であったということを反省しなければならない。

 北九州市の炊き出しの列はショッキングだった。「この日~」とナレーションされた日はいつの日なのだろう?もちろん年明けに決まっているだろうけど、直近のことなのか?100人以上炊き出しの列に集まった中に多数の若者、30代の人たちがいるというのがとりわけショッキングだった。
 政権交代後なので、あえて「特に小泉政権以後の自民党政治」のような憤りを込めて書く気は今のところないけれど、これは政治的無策の結果以外の何ものでもないだろう。

 自分のせい、じゃない。政治のせいなのだ。政策のせいなのだ。会社が人間を資本の一つとしか考えず、会社の費用を減らすために人件費を絞ったり、労働法制に圧力を加えて自由解雇し易い労働基準法の抜け穴となる労働者派遣法を作らせたことも、それを許し、そしてその結果生まれた社会的問題を放置したのは行政責任なのだ。行政と政治と自由放任主義に染まった会社の責任。そしてそれらを問題視してこなかった(あるいは、今もしている)マスコミの責任。

 競争激化の時代にあってむき出しの欲望を公で語り、その成果に拍手を送るような時代があった。それほど昔のことじゃない。だからこそ、その時代に社会に出ていった層はあのいやなレッテルである「勝ち組」「負け組」双方ともが「自助努力」「自己責任」を内面化した。あえて刺激的にいえば、マインドコントロールされてしまったといえるような気がする。このマインドコントロールから抜けるのは、誰にとってもなかなか容易ではない。その時代の状況のせい、その社会がその時代状況に打つべき政治政策を採ってこなかったせい、と我ら日本人はなかなか考えることが出来ない。「あんた自身のせいでしょ?」「自分が駄目だったから」。どちらもそこで思考停止してしまうなら、やはりそれは精神コントロールされた状態、マインドコントロールされた状態といえないか?そこから前向きな考えは生まれないし、建設的な思考も出てこない。

 社会的立場を持つ人たち、各方面のオピニオンリーダーたちが「それは違うよ」と言えなくてはいけない。でも、実際はそのような立場の人たちがそれを言えるかというと、言えない、あるいは言う回路を自分の中で育てていない人が多い気がする。経済界の成功者などは特にそうだろう。

 また逆に、「俺(私)はギリギリのところで頑張っている」とキリキリ日常的に思えば思うほど、自分がそこに落ちるのが怖いと潜在的に思っている人たちも居て、そのような人ほど暗闇の中で手足も出ないという人に厳しい目を向けるというような現実もある。そう、どこかで意識しているからだ。「私はそこに落ちるのが怖い」と。だが、徒手空拳になったとしてもそこでそのまま放置されるようなことなど無い政策があり、それに裏付けられた社会的合意や共通認識があれば、かような時でさえ厳しい言葉が待ち構えているというシンパシー無き時代の不毛も少しは薄れるのではないか。(しかし日本人として生まれて中年になってこんなことをあえて考えて書いたりするようになるとは思わなかった!)

 ホームレスになってしまっても身なりに気をつけて何とか社会人としての一線を保とうとする若者がいるのは、十分に社会の厳しい視線に晒されるのを意識しているからだ。

 そしてその社会の目は社会に存在する個々人の実は本音のものではない。おそらく深いところからのものでも、本気のものでもない。それは社会の潮流に流された目であり、言葉である。だが、それらの視線や言葉は当事者たちにどれだけ辛く届くことか。自助努力という言葉を上から流し込み、政治が自助努力すべき「社会政策」を放置した結果がこれなのだ。
 自分自身の意識のありかも含め、深く反省させられる思いを持った番組終了後の感慨だった。

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by ripit-5 | 2009-10-12 11:25 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

これは笑える!お見事、健康保険ロック

「Youtubeから聞こえるボイス・オブ・アメリカ」ブログさんにあがっていた笑えるメッセージソング。
ラモーンズとモダンラヴァーズを掛け合わせてパロッたような痛快なメッセージ・ロック(ってか?ってヨ!)
ヘルス・ケアの水準、日本は堂々?第10位のようです。ドイツ辺りが意外に低かったりする。先進国で順位が割と低いところが多いのには少々驚いた。上位は結構小国です。
そしてこれまた意外にも?イタリアが第2位だったりする。(嗚呼!イタリアの方々、申し訳ないっす)。

俺たちゃなんと37位、天下のUSA(どうなってんの健康保険ソング) « 100 voices

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 この人は映画も作っちゃうような才人のようでございます。
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by ripit-5 | 2009-09-24 22:11 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

忘れてた、目まいのするような話。

 いま、どの政党でも先日書いたように労働者派遣業の中でも、特に製造派遣や登録派遣を問題視し、それらの派遣労働形態は無くす方向に向かっている点では一致しているはず。(それらの業態が無くなった後に失業してしまう人たちの救済案は後日自分なりに思うところを書きたい)。

 ところが、今朝のNHKニュースの解説で愕然とするような話を聞いた。
 なんと、今回の選挙で、あれはなんていうんだろう?有権者本人確認というのかな。投票用のはがきを受け取って、確認後に投票用紙を受け渡しする人たちがいるじゃないですか。あの作業をなんと各都道府県の中では、派遣会社に委託して今回の選挙で登録派遣労働者を使う予定の所があるというのだ。びっくりし、そしてやり場のない怒りが湧き上がった。
 何という屈辱、何という鈍感。仕事があれば何でも、という人たちをまさに搾取するような行為。

 確かにこの何年か、この投票用紙の受け渡し事務員はいかにも選挙管理委員会の人材とは思えず、特に前回参議院選挙ではその傾向を強く感じた。こちらから「おはようございます」といってももぞもぞしてるだけなんだもの。「ああ、アルバイトを使っているのかな。でも、選挙のような秘密投票である最大行事をアルバイトにまかせておいていいのかな?」と疑ったり。選挙管理委員に準じている若いボランティアかな、と善意の解釈をしたり。

 しかしまぁ、アルバイトはそれは仕方が無いとしよう。
 しかししかし、今度の選挙の一つの争点は使い捨て労働たる日雇い労働派遣問題も含まれているのだ。そんな状況の中での選挙で日雇い派遣労働者を使う神経というのは何なんだろう!

 あきれ果てて怒りを通り越して呆然とする。いくら自治体に金がないと言っても。つまりは、これがいまの現実の日本の姿なんですね。(もちろん、すべての選挙区ではありませんが)。
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by ripit-5 | 2009-08-28 23:01 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

市場から社会へ



自民党のYouTube広報より。
失言癖謝罪の舌の根が乾かぬうちに。。。



 こりゃ、マジにあかん。この人は昨年11月の経済財政諮問会議でも、高齢者を十羽一からげにして「たらたら飲んで食べて、何もしてない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言したことがある。意図が伝わってないというより麻生さんの本心、世界観だろう。おそらくもはや失言ともいえない。
冒頭懇談会の謝罪は自民党議員のための謝罪でしかないことは明白であろう。

 それにしても麻生さんという人は過剰に人びとを一般化してしまう性癖がある。個々の人間の集まりという発想が余りにも無さ過ぎる。
 あの政権政党たる自民党がネガティヴキャンペーンを張り出すところまで来てしまったという驚きもあったので。その不快さもあり、今回は自分も一つ嫌らしいことをしてみました。ア~~。こんなの、やんなるね。

 24日の日の閣議で出された経済財政白書の報告はやはり驚かされるものだった。企業内失業が607万人という数字もそうだし、何よりも年収300万円以下の雇用者が5割を超えたという数字には「とうとうきたか!」という驚きがあったと同時に、いつかはこの日が来るのではという折込み済みの感じもあって、何ともいえないような気分に陥った。今後の見取り図を想像して暗澹たる気持ちになった。だが、こうなって来たからこそ、この世の中に対する見直し合意が得られやすい時代がやって来たのだ、と前向きに捕らえることも出来ないことはない。

 とにかく日本は先進国の中で滑り落ちてしまった。OECD諸国でも相対的貧困率がアメリカを抜いて、とうとう日本は1位になった。つまり先進諸国でもっとも貧困率が高い国になった。

 いよいよ、市場から社会へ視点をシフトしなければならない。

 そして、この「中流幻想」を捨てるところから、新たな希望が生まれる可能性を考えるべきだと思う。先週見ていたCS番組でも語っていたが、今後の日本の社会経済を考える際、すでに去年の世界金融危機以前から歴史の転換点を迎えていたこと。つまり、先進国における重工業社会の終わりがあり、それに対応する際の対処として日本は新自由主義へシフトしたが、その方向性が完全に失敗であったということが財政の巨大赤字、低い成長率、格差の広がりと貧困層の増加という形で証明された。

 逆転の発想で「中流幻想」と「輸出産業依存の体質」を改め、身近な生活周りから経済を考え直そう。そのために社会保障制度をきちんと貼ろう。今後は限られた財源でどこにお金を使うかが本当に重要になる。細やかな配分と、地域に根付いた産業から見直していくべきではないだろうか。

 いままでの日本は「企業」を応援する政治であった。これからは直接人間へ。人間への直接投資をすることでスキルある労働者を育成することだ。そのような人材育成と同時に、地域のいわゆる「社会的企業」のような存在、すなわち行政ではどうしても見落とされる人たちをケアーする仕事、社会の末梢神経にあるぼくら一人ひとりへ細やかな目配りをするような仕事をする人たち。ソーシャルワーカーや心理療法士。そのような人たちが活躍できる、社会からこぼれ落ちそうな人たちと共に歩める場所が普通に存在する社会を築くこと。
 片方にめまぐるしく変わる産業構造転換に対応して、望む人たちがみな、幾つになっても普通に転換教育や再教育される機会が与えられる制度があり、もう片方には互助的な社会関係が築かれて存在する。

 ある程度裕福になり、文化的な享受を得る文化人になるスペシャリストたちが居て良いし、かたやある人たちは安心な人間関係でそこそこ食べるには困らない生活がある。そのような社会。競争を好む人も、競争を拒むところまで行かない人も、競争嫌いな人も。ともに生きていける社会。

 僕が考える理想のそういう方向に向かうには、勿論財源の配分を市場よりも生活に優先させるということなので、当然大きなコンフリクトが生まれるだろう。ただ、そこに向かう過程で一応リベラルを標榜する民主党が中心となって、より大きな社会変貌へ向かう展望の暫定的さきがけになるのが妥当というか、現実的というしかあるまい。激変緩和的な政党として。

 民主党はマニフェストが出来たようだが、その前の前段階の総論は雑駁な言い方だけど、筋が悪い政策ビジョンとは思えなかった。ともあれ社会保障、社会福祉、労働政策等々とプラス、教育投資に向かう態度には。(ただ、高速道路無料化には反対だ。あえて無料化するなら運輸、バス等のみ認めるべき)。

 いずれにせよ、今後中・長期的には「産業重視」から「生活者重視」になるしか我々の幸せはあるまい。それを明治維新以後のDNAである「富国主義」でいけば、中国やインドとのヘトヘトになるまでの消耗合戦しかない。そのDNAしかあり得ないという考えの人はそのような政治実現を狙っていただくしかない。

 自民党が作るマニフェストはこの春の有識者会合、『安心実現会議』を叩き台にするしか現在、民主党に対抗できる手立てはないはずだ。

安心と活力の日本へ
(安心社会実現会議報告)-PDF


 特にⅡ 人生を通じた切れ目のない安心保障の部分は読むに値する内容で、政府にとって不利なデータも冷静に揚げながら、「生活周り」に着目した提言となっており、この面を自民党が強調して政策実現を訴えれば、ボクシングで言えば「クリンチ」まで何とか持っていける処だろうが、如何せん、当の首相自体がこの体たらくなので。。。やはり一般人のことを分かっていないのは見えてしまっていて、選挙戦冒頭から自滅戦を演じている。勤労意欲の高そうなJCのメンバーたちも「皆さんたちと違って」なんていわれれば笑うに笑えないやね。そう、誰かが笑っているならまだしもあの会場では水を打ったように静かだったのが不気味。若き経営者たちはどう感じたのか。やはり良識的な人は複雑な心境になったんじゃないか。「何でああいう言い方になるのかな?」って。

 もう一つ。地上波メディアや大新聞社も大企業であるという前提で考えるべきだ。そこから真剣な情報を得ようというのは半分以上あきらめたほうがいいというのが今の僕の考え。新聞は官制報告、読みやすい官報だと思って読む。それはベーシック資料としてのみ活用する。見出しには惑わされないこと。
 地方紙を取っている我が家では、むしろ夕刊が面白い。大学の先生のエッセイや論壇、社会時評、文化欄からニュースの深層を読み解く。だが、今の時代ではそれだけでは見取り図を得られない。

 <この大転換期における僕のメディア利用法>
・マスメディアからオルタナティヴ・メディアへ。(CATVやネット放映)。
・独立型メディアへ。(ネットラジオやコミュニティラジオ)。
・ソーシャル・ビジネス・メディアへ。(”ビッグ・イシュー”などの雑誌)。

 マスメディアのアンテナから、映像も雑誌も自分の側からアンテナを引き寄せるしかないと思い定めた。
 今や、可処分所得の優先順位をそちらにもっていくしかない。意識的に見るテレビ、自分にとって価値あるTVメディアははタダではないのだ。
 後は政治に関しては政党が自分たちでビデオ放映をしている。それを見て自分の頭で考えること。
 自分の頭で考えられたら、こんなに自由で楽しいことはない。そこへ行く手立てとして、オルタナ&インディのメディアが必要なのだ。ビッグイシューも文字通り先鋭的なセンスを持つ雑誌である。
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by ripit-5 | 2009-07-27 20:08 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

奇妙な日々-無論国民不在で御座います。

 なんだか妙な感じがしている。テレビなどの報道系の番組だ。もっぱらトップは麻生首相の解散するのしないの、出来るの出来ないの、の話だ。
 少なくとも次の日にはトップニュースで取り扱われるかと思った鳩山献金疑惑は二次、三次だ。
 小沢秘書献金の頃と比べるとその扱いの余りの違いに奇妙な感覚が起きる。
 献金の質が違う、元々他人のお金じゃない、金持ちの鳩山さん自身のオカネだったということだけど、その段でいくと小沢献金だって収支報告にきちんと記載しているわけで。
 それほど問題じゃないんじゃないかとも思える。もちろん、西松建設という第三者の献金会社(もとい、政治団体)があるわけだけど。ダミーかもしれないけど。。。そうだ「推定無罪」、忘れちゃいけない。^_^;

 小沢が黒いなら鳩山さんだって黒いと責められるかと思いきや。もっぱら責められているのは麻生さんだ(笑)。でも、見ていると僕の今の結論はこういうものだ。「ああ、マスコミはいよいよ自民党を見限ったのだなァ」ということ。この自民党内の各自がてんでバラバラの発言、支離滅裂、そのまんま東のトンデモ東・勘違いぶりなどを見せつけられると、鳩山献金が多少怪しかろうと、もう自民党は駄目なんじゃないかと見限ったんじゃないかと直感する。あるいは麻生さんが駄目なんじゃないか、と見限ったというべきか。要は求心力が失われたからこんな状態になっているわけでね。
 ナベツネさんとかも、とうとうそう思ってますか?どうなんでしょうねえ。読売新聞の論説の傾向って今どうなんでしょうか?全国紙って最近まったく読んだことがないから分からないのですが。。。

 まぁ、巨大マスコミも財力を持つオピニオン界の権力ですから、この政局選挙という権力の一大決戦の場でそうそう支持する政党が右から左へとは行かないとは思うんですが、考え込まされているんでしょうねぇ。。。

 ということで依然鳩山さんは現在敵失で救われているように見える状態。

 悪いが一番笑えたのが自民の細田幹事長。つい先日までは臓器移植法は重要法案だから、その法案が参議院で審議が尽くされて法案が通るまで会期を延ばしてでも成立だ、と云っていたのに。本日ただいまは、「解散が近い。みんな地元に帰れ」なんて云っている。そういえばこの人は去年の秋も「解散が近い。もうすぐだ」と叫んでいたなァ。可哀想に。首相に結果的にだまされっ放しだ。今にキレルんじゃないかと思う。同様にいまや自民党はみんな言うことが四分五裂、かつ自分の云うことも朝令暮改(この比喩はおかしいですねwスミマセン)。結局のところ、右往左往していて混沌たる様相がすさまじい勢いで見えてくる。
 まるでジェット・コースターのようだ。落ち着きどころがないのだ。

 しかし、政治家が政局をもてあそんでいるというか、政局にかかりきりになっている間に失業率は上昇中で戦後二番目。年収200万円以下の人びとが1千万人時代に加えてプラス、完全失業者が347万人。政権交代してもやはり普通でない金持ちの党首を抱える民主党は、この状態をどう救うのか今のところ全く語られていない。
 元東大総長(!)の政治学者、佐々木毅氏にさえ「民主党の最大の課題は雇用をどうするかにかかっている」といわれてしまっている。


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ビッグイシュー日本版|バックナンバー6月15日号



 ビッグ・イシュー日本版の6月15日号は天下一柔和な顔の鶴瓶(この人こそ人格も含めて本物の「タレント」というべきだろう)の気持ちが涼やかになるインタビューに対し、特集は「日本の子どもの貧困」という深刻なもの。この記事を感情的ではなく、冷静に読んでいても、もはや日本は先進国とはいえないと普通に思う。
 「社会」という側面からみた場合、先進国から滑り落ちてしまった。とにかく読めば読むほど、日本の子どもや母子家庭が不憫でならない。(上から目線のようで、すみません)。販売員の方がおられる大都市にお住まいの方はぜひ手にとって欲しい。300円で十分に密度の濃い雑誌です。オレが書いている日刊ゲンダイの5流版マネゴト記事とは質が決定的に違う(笑)。

 民主党は社会を立て直すことを真剣に考える政党なのか。そのための制度、仕組みを考える政党なのか。マニフェストも見ながら良く考えてみたい。政策論は好きそうな政党だし、まぁ長妻さんとかレイホウさんとか、外交・防衛の考えは良くわからないが、社会保障制度に関心が高い人が何人かいることまでは分かるので。今後はまぁ、ここのとこいろいろブログに書いたりして考えている自分の関心に関して、一定の答えを持っている政党か?と言うことですよね。それはマニフェストを見て確かめたいと思っています。
 政権を維持している自民党はすでに社会に対して無関心なのは分かっていることなのですから。

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

阿部 彩 / 岩波書店



 この本の著者、阿部彩さんもビッグイシューのインタビュー記事に登場。実はこの本購入したけど初っ端でつまずいたまま読んでいないんです。社会調査の結果とかデーターとかが苦にならない人にはなんてことないかもしれないけど。その手のものに弱い自分にはちょっと読みにくい感があるのは否めない。。。
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by ripit-5 | 2009-07-02 20:54 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

社会構造を変ええる可能性を考える(2)

 さてそのような中、この秋以降の恐慌前夜の流れの中で、またその前段であったネットカフェ難民問題等で、派遣や非正規労働が社会問題として「せりあがって」きたために、運動の側もやっと気づいたというか、見えなかったものが見え始めた。

 また、日本の社会構造のもう一つの重要な切り口として、「家族の縮小」がある。核家族化と「核家族の経済格差」が世代間の貧困継承を生み出し始めている。
 その流れの延長上には「単身者社会」の大きな流れがある。単身者の若者、あるいは配偶者を失った単身高齢者の増加である。日本の、あるいは日本企業の住宅政策一つとっても基本に「家族」の住居、という考えがある。だから、単身者の住居の問題という部分が欠落している。

 これらの長い長い社会背景の変化の話を経た上で(苦笑)。
 今後はいよいよ、社会福祉を企業が肩代わりする社会から、社会全体で扶助機能を果たしていかなければならない。
 それは具体的には、住宅扶助、教育扶助、失業扶助、資産形成扶助、職業訓練扶助である。
 現行の社会保険制度の条件では、こぼれ落ちていく層が増えていく。企業福祉と社会保険(労働雇用保険と医療年金保険)での生活扶助形態が終身雇用制度の崩壊とともに崩れた以上、一挙に生活保護に陥る前の社会保障制度がバッファーになり、安全ネットにならなければならない。

**************************************

 大変に長くなってしまったが、僕にはこれらが日本の一般市民層の大枠で、安心である生き方の今後を考える大きなポイントだと切実に思う。
 今までは生産性のイノベートの話しかなかったが、もちろんそれも重要な話だが、まず根本的に人間が安心して生きられる暮らしが土台にないと、すべてが成り立ち得ない。人が生きる意欲を持てなければ、生産性もあがりようがないし、アイデアも消費意欲も起きないだろう。

 タテ割り行政を横断的に組み立てなおす。いわばヨーロッパ的なやり方はドラステックなので、どう考えてもいまの政権では無理だろう。

 ネットの社会系ブログなどでは、湯浅誠さんを政治に、という声も結構あるようだが、ぼくはいつもそれはどうなんだろう?という疑問符があった。本人も迷惑であろうと。

 ただ、今後日本が極まるような状況になれば、と僕自身が少し気持ちが変わってきている。
 例えば、内政に限って、救国的な、というと大げさだけどもそのような社会保障制度を組み替える大きな仕事をする内閣を作って、制度をヨーロッパ的に組み替えるなら、かくすべきかたちを作るために長妻議員や、湯浅氏、河添誠氏のような若い人たちがこの国の社会保障制度の新構築のために働いてくれるなら、人々の信任を十分得られながら進め得ると思うのだ。
 そして一仕事を終えたとき、また現場に戻ってくれたら。。。

ニュースの深層「広がる貧困に歯止めは?」湯浅誠 宮崎哲弥 (49分09秒)

 今回の派遣村が画期的だったのは、今までしがらみがありお互いに葛藤もあるらしいナショナルセンターである連合以外の組合も一括結集し、与野党政治家も動いたことだという。小さいながら(?)坂本竜馬的な活躍を派遣村のスタッフはやってみせたことになる。この動きを契機として、まずは人々の安心を守る社会保障制度再構築の動きまで継承させてほしいと願うのだ。

 以上、えらく大上段に構えたタイトルでだぼらを吹いてしまいました。ソーリー!

 それから、コメントは承認制で受け付けることが出来るようにエキサイト・ブログ、なりました。こちらも承認制にしましたので、何か有益なご意見やご批判等があればお伝えください。
では、延々と失礼しました。


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by ripit-5 | 2009-02-08 12:10 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

社会構造を変ええる可能性を考える(1)

 古い船には新しい水夫が 乗りこんでいくだろう
 古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
 なぜなら古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを 
(「イメージの詩」・吉田拓郎)

 CS朝日ニュースターの番組『ニュースの深層』に「現代の貧困」(ちくま書房)の著者、岩田正美日本女子大教授が出演した。
 総体として、いまの日本の一般庶民が安心して生きていくには、日本の新しい貧困の現実を見極め、新しい日本の社会保障制度を大胆に構築する必要を強く感じた。
 方向性を与えてくれて、何だか風通しが良い気分である。
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 まず司会者が貧困の定義を教授に聞いた。いまの日本に例えば飢餓や生死を分かつような事態が常態としてあるとは思えないのだが?と。
 それに対し、貧困の基準は基本的に社会が決めるもの、という答えであった。貧困とは社会の価値観である。確かに僕に言わせれば、明らかに日本はソマリアやスーダンのような飢餓と背中合わせ、命と背中合わせの貧困国ではない。
 しかし、先進国として、先進国の市民として一般的に常識的な生活水準というものが当然あるだろう。その常識的な水準からみての「貧困」である。その意味で、貧困者はネットカフェ難民や適切な教育を家計上受けられない若者たち、生活ギリギリの年金生活者たちも入るだろう。国保料を納められず、病院に行くのを我慢して生きる人たち、ましてや年金保険料など論外、などという人たちも、それが生活の常態ならば、首相が「日本はGDPが世界で第2位」と胸を張る国では「先進国の貧困問題」というしかない。

 実は日本はOECDの調査で貧困率が第4位の国である。(1位メキシコ、2位トルコ、3位アメリカ、5位は韓国)。数字そのものはある程度データ抽出の条件にもよるし、相対的な部分もあり、かつこのような調査もそれほど昔からのものではないとのことだが、このようなデータがあること自体一般に認知されているという話は聞かない。

 また、「貧困調査」の問題もある。日本も戦後、何もかもを失ってから高度成長に入るまでは貧困調査をやっていた。しかし、高度成長から安定成長、バブル期という流れの中、ある時点で政府は貧困調査をやめてしまった。同時に、それゆえか貧困は日本では「無いもの」とされてしまった。そのために、社会にとってどこが「貧困ライン」で、「低所得者層とは誰か?」という基準が分からなくなってしまった。今後はいろいろなデーターを活用していかなければならない、でないと政策を施行する方針を立てられなくなってしまう、と教授は言う。

 確かに生活保護基準が貧困ラインという一つの線引きにはなる。また、低所得者を「非課税世帯」から推し量るということもある。しかしそこまでいかなくとも、貧困というべきボーダーライン層がある。
 貧困層はいろいろなものを引き連れていく。それはまず、就業機会を奪われる、という決定的な社会関係からの排除である。例えば派遣村に来るような人にとって、住居の不定は就職を得る時点での最初の大きなハードルである。また、基礎的資産がなければアパートに入居できず、悪循環すると日雇い派遣の状態から抜け出せない。そのような人たちは往々にして「ボイスレス、パワー・レス」である。昔は”無辜の民”と呼ばれた人たちである。すなわち、社会の他者から働けばいいのに、と上から目線で云われても声をあげられない。権利を主張できない。同時に社会の側は「上から目線」から往々にしてそのような立場の人を非難したり、軽蔑したりする。そのような思考の背後には抜きがたい自己責任論があるかもしれない。
 湯浅誠氏がいうように、本人も自己責任を内面化するから、自己評価の著しい低下と社会からの撤退、という極北に行き着く。

 この傾向、つまり貧しいということに対する本人の「恥」の意識と、社会の差別意識との並立は日本に固有の傾向だろうか?という問題設定はどうやら「YES」という答えとしてあり得ることのようだ。深層心理的にはもっと根深い何かがあるかもしれないけど、とりあえず、それは普通、貧困となる原因を突き詰めていくという風土ではなく、かつ、社会構造の問題ととらえることができないわれわれ一般庶民の意識のありようがあるのではないか?と僕には思えた。

 また、貧困の撲滅のための社会運動がなぜ日本では起きず、起きてこなかったのか。日本は社会運動や労働運動をする人々にも、実はどこかで貧困は本人の原因だと思う傾向があった。まして労働運動の中では労働市場に入ってこれない人は運動を共にする仲間と思ってこなかった。
(これがまさに「貧困は見えない」ということでもあろう)。

 *続きます。
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by ripit-5 | 2009-02-08 11:48 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

政治学原論感想

 最近書いているように、CS朝日ニュースターという局のおかげでだいぶマスメディア不信が解消できている。正確にはこの局。マスメディアというよりオルタナティヴメディアというところだろうが、番組の司会者の顔ぶれなどは豪華だ。普通の民放などに出ている論客もこちらで本当に言いたいことを言っている感じだ。また、僕自身が一人手探りで考えていることも整理して提示してくれるので、「何だ、この考えで良かったんだ」と思うし、孤立感に陥らないですむ。

 今日の午後2時に放送された政治学原論という番組のゲストは共産党の小池政策委員長。録画を見た。年末年始のニュースを占めた派遣村に通いつめていたレポートが前半の話。元医者だけに聴診器を首にかけてボランティアをしていたらしい。
 私はイデオロギーのメガネにさらされやすい共産党においても、この小池さんとか、穀田さんとかにどうしても悪感情や、他意を感ずることが出来ない。メディアを通しても人間味を感ずるからだ。

 とくに本日の1時間のレポート&インタビューにおいて聞き手の朝日新聞の論説委員である早見さんという人がまた柔和な雰囲気の人で、冷静な小池さんの派遣村の状況に淡々とした共感を示す。けして熱に浮かされた雰囲気ではないのだ。

 小池さんの話しぶりはおそらく相互作用とでも言うのだろうか、湯浅さんのような人から無意識に語り口を学んでしまっているような印象だ。ある種の強いインパクトを、おそらくそこに集った人たちの人間的なインパクトを感じたのに違いないと感じた。

 つい、聞き手の早見さんが阪神大震災を引き合いに出したように、これは人災だけど、その被災者と、その人たちに何とか助かってもらいたいとの善意の自発的な流れの話を聞くと、僕も同じような印象を持たざるを得なかった。

 行政の迅速な動きにも率直に敬意を表し、けしてイデオロギッシュになるところがない。共産党は党名を変えて、本当に経済的弱者のための政党になればいいのに、と思う。
 ところが、同じ方向性を持つ社民党は共産党とは相容れないという。何だか最近の共産党は議会でも優等生だし、困っている人たちとの互助組織に上から目線の口出しもないし、むしろ黙々と動くことを了としているようで、何だか却って社民党の党首のかたくなさが良くわからなくなってしまう。

 佐藤優の自叙伝によると、社会党の正当な嫡子は社民党のようなので、その昔ながらのなんらかのいろいろないきさつが両党の間にいまだしこりが残っているのか。だが、そんないきさつだの、イデオロギーだのという自分たちのアイデンティティにこだわり、せっかくの一般大衆支持を集める力を拡大できないとしたら日本の悲劇だと僕は思う。

 湯浅さんに特別に政治的な役割を期待するような声も僕は間違っていると思う。かの人に党派性はないに違いないから。かの人を突き動かすのはやむにやまれぬ心情だろう。政治活動ではない。それをあたかも政治活動にのみこまれるが如く騒ぐのは逆にウブだと思う。80年代のサッチャー時代に反旗を翻したニュー・ウェイヴのロック・ミュージシャンに浴びせた批判と同じ種類の、すでに語られてきた芸のない芸当だ。

 困窮者救済のためなら、言葉は悪いが派遣村の人たちはいろいろな社会資源を使うだろう。それが社会福祉のいわば援助活動における教科書的な動きでさえある。ソーシャル・ケースワークであり、ソーシャル・アクションであり。

 それにしても、日本もとうとうこんなところまで来てしまったのだな、と何度目かの思いを新たにする。嘆いても詮無いことだけど。

 自由主義経済学中心主義はついに終わり、公共政策学の出番が待っていると思う。
 もうひとつ、それにしてもと思う。こうも小泉竹中、ブッシュやイスラエルが手のひら返したように悪し様にいわれるとは。何も天邪鬼で言っているわけではない。ただ、小泉礼賛した人たちが手のひらを返し、その口であの時と正反対のことを言っているのが信用できないのだ。
 やはり、政策が失敗だったのなら、それを批判する人は一貫して日の当たらないところに追いやられていた知識人たちがいうべきことで、マスコミも根底から人選入れ替えが起きないと結局変わらないと僕は思う。
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by ripit-5 | 2009-01-18 22:18 | 格差・貧困 & 中流崩壊?