ビデオニュース・ドットコム開局10年記念・生コールイン(無料放送) 生放送 民主党政権への注文

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タイトル通りで本日生放送中です。生放送だけに、ダンドリ、いろいろ大変そうですが、非常に興味深い。
非会員の方も無料視聴できるので、チャレンジしてみては?

福山哲郎 外務副大臣 20:00~
大塚耕平 内閣府副大臣 21:10~
細野豪志 民主党副幹事長 22:40~
コーデネーター:神保哲生

「ビデオニュース・ドットコム開局10周年記念特別企画 生コールイン(無料放送) 生放送 これだけは言わせろ!民主党政権への注文 - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」
※現在、無料で再放送。時間が無い人は何回かに分けてどうぞ。

番組が終了して:
 いやいや、非常に面白かったです。元々野党時代の民主党の若手は説明能力は高いほうだとは思ったけれど、如何せん匿名性が高い人たち、という印象が抜けなかった。今は副大臣を担当していたりして、CS番組等を筆頭に政権担当者の立場として政策理念を語る状況を日々見る機会が増えると、権威性と象徴性だけが高かった今までの大臣職のイメージと随分違い、働く内閣責任者たちという感じで、格段に責任者としての顔が見えるようになった気がします。

 特に仕切りの神保氏の軽妙な語りもあり、各氏、忌憚ない喋りをしていたと思う。この正直な感じと目線の低さが現在のところの民主党政権の印象の良さでしょう。まぁ、内閣とか大臣とかは有難きものとして振舞うべき、帝王学ナリ。と思う向きには立場がこちら側に近いことに不満を感じる人もいるかもしれませんが。(いや、もはやそんな人はいないかな)。

 番組で電話で質問した人の質も非常に高く、ただ、神保氏を筆頭に質問を糸口にスタジオゲストとの会話が深々となり、質問者が30分くらい取り残されたりした状況は、ちょっと電話をかけた人は可哀想だったかな(苦笑)。
 番組の最初はダンドリが上手くいかずバタバタした状態でしたが、一向それを気にしない(?)所もいつもの神保氏らしくて良い。良い意味でのアマチュアリズム、良い意味でのリアリティ。

 まだマスメディアと独立系メディアの間は一般の人の認知度を含めて高低差は非常に高いのだろうけど、これからは急速にその差は縮まる。と希望をこめて考えたい。というか、新政権になって記者クラブ開放問題から始まり、グッと独立系メディアへの注目が強まりつつある気がする。

 いまコメディ映画として公開されている60年代英国のまさに「ボート船」から放送した海賊放送ラジオ、パイレーツ・ロック放送(ラジオ・ロンドン、ラジオ・キャロラインなど)の如く、既成のメディアに満足しない層は確実にあるはず。特にいつの時代も若い人を中心にしてそうだろうと思う。その海賊船放送のDJからBBC放送の音楽番組を長期に渡って支え、ロックシーンを支えた名物DJも生まれた。
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 まぁ、そういう現実もあるから、メディアに悲観するばかりでもないでしょう。
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by ripit-5 | 2009-10-30 20:33 | トーク・オン・ディマンド

足利事件

Excite エキサイト : 社会ニュース

 僕はこの足利事件は刑法事件の歴史に残る大変な事件であったとその後語り継がれるものになると思う。

 科学万能・偏重の捜査と司法判断。菅家さんは人生で最も充実する可能性があった45歳から17年の人生を奪われたのだ。普通であれば、いまこちら側の社会に出ても定年退職もするような年齢だ。その期間を冤罪でずっと刑務所で無期懲役で入れられていたのだ。いかに無念であったことだろう。親の臨終にも立ち会えずに!

 警察・検察はもちろんのこと、上級審の裁判所はいったい何をしていたのか。DNA鑑定の精度はその後どんどん上がっていたであろうに、再鑑定をいたずらに引伸ばした裁判所の判断は人権無視もはなはだしい。

 そして菅家さんの胸の奥から搾り出すような思いが強烈にこちらにも共感として響く。
 「私は絶対に私を取り調べた警察官と検事を許さない。絶対に謝罪させる」
 「私の親の墓前に頭を下げさせる」

 そうなのだ。私は近代司法のありかたを強く肯定するけれども、同時にそのような冤罪被害者の思いを考えるとき、いつも感じていた。検察も冤罪に追い込んだ警察官も刑事も誰も個人として裁かれたりしない。それがどうにも自分の胸に、いつも収まらないものとして、ある。
 彼らは組織者として組織人として、機関として謝罪するのみ。いや、組織が謝罪したりもするだろうか?
 検察の敗訴の弁はいつも紋切り型の「判決をよく吟味して」なおかつその数多くが「控訴も考える」などと強がって見せる。しかし、そのような公式見解をして、実際はひそかに敗訴を受け入れてしまうのだ。検察という組織のメンツはそこまでしないと保てないものであろうか?現代社会ではむしろ時代錯誤なのでないだろうか、公的機関の思想としても。

 その危うきときもある組織に「人間」はどこにいるのだろうか?人間としての責任と、個人としての痛恨、後悔、罪悪感、痛みはあるのだろうか。
 それは分からない。中には冤罪に係わったことで罪の意識で辞職したり、最悪な場合、不幸な経路もあるのかもしれないが。。。

 だが、改めて「人を裁く」ということを考えさせられる。今回は司法、裁判官も罪深い。
 司法の顔が見たい、司法の顔を見せよ、ということでこのたびの裁判員制度なのだろうか。

 その意味での利がふと頭によぎったけれども、私たち一般人が控訴審で冤罪だと分かったとき、その審理にかかわった市民が「その事実」に耐えられるだろうか。

 耐えるのが人間だというなら、私はそんな人間社会に住みたくはない。

 一緒に持ってくるのは余りに安易だが、光市事件の事件被害者の「私の手で罪を裁く」という腹の底からの声と同様の、冤罪を受けた側からの腹の底からの人間の声を聴いた気がする。
「私を罪びとに仕上げた個人よ、私の前に出て謝罪せよ」というのは。。。これは本気なものであろう。

 嗚呼、しかし罪は誰かが罪びとを探し、罪を罪として裁きの場所に出さねばならないのであった。。。
 それを私は出来ないひとりの人間としてその仕事に感謝し、心底リスペクトをしなければならないはずなのだ。本来的に、人間をきちんと・大事に・冤罪を起こす恐怖にわななきながら・罪びとを探し、罪びととして反省を促す人としての度量のある人の仕事であるならば。。。あるならば。。。

 いろいろと、考えさせられるものであった。今回のことは。本当に。

 菅家さん全会見(ビデオニュース・ドット・コム)

※元ボクシング世界チャンピオン挑戦前に冤罪者となったルービンカーターの物語を告発した、ボブ・ディランによる初期以来の、珍しくストレートなメッセージソング、「ハリケーン」。(映画にもなった。主演、デンゼル・ワシントン)。

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by ripit-5 | 2009-06-04 22:17 | トーク・オン・ディマンド