Great Swindle?

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 オバマ大統領のノーベル平和賞授賞式の演説は、自分が知る限り今まで彼が演説してきたこと、書かれてきたことの中でも最悪なものだった。彼自身が「戦時下の大統領」と自ら認める状況下での平和賞の受賞、そしてアフガン増派というおそらく国防族らの意見に負けて派兵を決めてから、いままでの中で一番自己矛盾に満ちた心情の中で平和賞受賞などという式典での演説となったものだから、おそらくかくも目も当てられないものになったのだろうか。

 すでに「平和のための戦争を肯定する」という演説の核心は日本に伝えられ、失望の声が聞こえている。この中日新聞に掲載された演説の全文を読んでも、訳が上手ではないのか、あるいはオバマの演説の内容の中身に混乱があるのか、読んでも内容が不可解な、文学的な読み込みでも求めているかのような表現が多用されている。それは演説のポイントである「戦争と平和」について論じる部分で顕著だ。ある面ではオバマ氏自身の哲学が露呈したものかもしれないし、元々そのような議論があるのはよく認識していても、それをいまの立場に登り詰めるまでは、心底で信じていたことでは無かったのではないか?と受け取れるようなふしも無くはない。

 ただ、アメリカという軍事における超大国の大統領としてこのような「戦争と平和」の論者としてノーベル平和賞演説をした以上は、逃げ隠れなくこれが「オバマ大統領の価値観・哲学」であると世界に公認され、認知されたと云われても仕方がない。かくして、世界が待望した「オバマ大統領」のいままでの言葉は偉大な欺瞞であった、と。実は一人のリアリズム政治家にすぎなかったと。過去の評価をひっくり返されても仕方が無くなっただろう。(嗚呼!)

 私も偉大なる詐欺師のマジックに引っかかったのに過ぎなかったのか?あるいは、内省的なオバマにおいても諧謔味がありすぎるような、いやもっといえば論理が破綻しているような演説をせざるを得ない、オバマ自身が首根っ子を掴まれているような、すなわち命にかかわりがあるような現実がアメリカという軍国にはあるのか?という想像と、あるいはオバマ自身が実は自分を突き詰めると露わになる「キリスト教バーサス世界」という価値観があって、それがついにむき出しになったのだろうか?あるいはその両方なのか。考えたくも無い嫌なことに思いを致す。
 
 私自身のこの文章が混乱しているけれども、いままでのオバマには無かった言葉のパワーの後退ぶりは個人的にはただ事ならず。やはり今後オバマはアフガニスタンで、あるいは場合によってはもっと戦局を広げて戦争をやろうという覚悟を持ってしまった(あるいはもたされた?)という感じを持つのである。

 今年を象徴する漢字一字は何か?と問われれば、いまの僕は「欺」と答えたい。もちろん、普通そのような言葉は出てこないだろう。只、今の自分はオバマにせよ、日本の政治にせよ「欺かれた」という気持ちの状態にある。これがマイノリティのいかれた戯言に過ぎず、世間一般の気分へと今後とも合致しないことを祈るばかりである。

中日新聞オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説の全文

■「戦争と平和」

 
これらの課題は新しいものではない。戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった。その道義性が疑われたことはなかった。部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものだった。

 理想主義者、オバマにとっておそらく公にされた初めての「戦争自然」の論であろう。

  
歴史上、「大義のある戦争」という概念はほとんど実現していない。人類が殺し合う方法を新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みだ。そして外見の違う人々、異なった神を信仰する人々に対し無慈悲にその能力を行使した。

 とはいえ、過去自然の如く行われた戦争が、歴史的な経緯を踏まえても文化・文明の発達とともに、最も人間としての愚かさの発露であり、かつ戦争は自然現象とは違って人為的な攻撃であると。また、戦争遂行のスローガンに大義がある、ということはすでに嘘であることはオバマ当人にとっても認識済みのはず。つまり、この発言に見られる認識こそが正しく健全なものであるにもかかわらず。

 
われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい真実を知ることから始めなければならない。国家が、単独または他国と協調した上で、武力行使が必要で道徳的にも正当化できると判断することがあるだろう。

 なぜかリアリズム(アメリカにとってのリアリズム?いや、アメリカの軍事主義にとってのリアリズムにすぎまい。)が強調され、それどころか、「道徳的」という言葉を使える神経そのものがわからない。恐怖心の余りに止むに止まれずやることだ、というならまだしも。

 
しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない。私は現実の世界に対峙(たいじ)し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ。

 オバマのことばはついに抽象的な「悪」とか「正義」とか「敵」とかいう、あのブッシュ演説の路線にまで後退してしまった。。。ヒトラーと非暴力運動はつながらず、アルカイダの指導者たちは、あえていおう。ヒトラーとその軍隊ではない。そして肝心なことには、オバマは現実国家の指導者としてついにキング牧師の理想もガンジーの理想も排することを宣言した。良心の根から離脱することにより、ついに彼は自分の精神の自由を得た、のだろうか?

 
私はこの点を提起したい。なぜなら今日、理由のいかんを問わず、多くの国で軍事力の行使に二つの相反する感情があるからだ。時として、そこには唯一の軍事超大国である米国への内省的な疑念が伴う。

 オバマはここで何を云おうとしているのだろう?この演説全体の中にいくつか意味不鮮明な箇所があるけれども、その大きなものの一つである。

 
そう、平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割があるのだ。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければならない。

 「平和のための戦争論」。ただ、それではいかにもまずいと思ったのか、後段の文章が付け加えられている。付け加えられてはいても、現実に彼は国家指導者としてその行為を行うし、そこに人間的な苦悩を加味しようとしても厳しく言えば付け足しに過ぎない。彼は本当に平和維持のためのアフガン増派を信じているのか?それとも違うのか?彼は前段の文章以外の言外の意味を読み解いて欲しいと思っているのか、あるいはそんなものは無いのか?

 
両立させるのは不可能に見える二つの事実に折り合いをつけさせることも、私たちの課題なのだ。戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもある。

 このような言葉もオバマの口から聞きたくはなかった。世界中のオバマのファンだった人間がみなそう思うだろう。

武力が必要なところでは、一定の交戦規定に縛られることに道徳的、戦略的な意味を見いだす。規定に従わない悪意ある敵に直面しようとも、戦争を行う中で米国は(規定を守る)主唱者でなければならないと信じている。これがわれわれが戦っている者たちと異なる点だ。われわれの強さの源泉なのだ。だから、私は拷問を禁止にした。グアンタナモの収容所を閉鎖するよう命じた。そして、このために米国がジュネーブ条約を順守するとの約束を再確認したのだ。われわれが戦ってまで守ろうとする、こうした理念で妥協してしまうと、自分自身を見失うことになる。平穏なときでなく困難なときこそ、ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払おう。
 
 この一連の話は何を意味するのか、ノーベル平和賞授与式においてどのような意味を持つ言葉なのかさっぱりわからない。何ら普遍性の無い話だからだ。「規定に従わない悪意ある敵」と戦争を行う米国は、交戦規定を守る意味で正しいのだ、ということを言いたいようだ。つまり想定はアルカイダであって、オバマの脳裏からまだ01年の911のイメージがそのまま消えていないことが露呈している。「戦争ルール」が人間の戦争の歴史の文明化の尺度のように戦争史を前段に語っているのは、テロという見えない敵との戦いはルール無用に見える相手側が悪だという論理を構築するためであろうが、おそらく具体的な「国」が相手であっても別の理屈は立てることだろう。何にせよ、「平穏な時でなく困難なときこそ」という肩に力が入った言葉の中に、すでにオバマの「危うい本気度」が見え隠れする。

 あえていうなら、この平和式典での演説が彼がアフガンで今後行う行動の免罪符演説ということなのだろう。私は簡単にオバマの平和賞受賞を賞賛したことが安易なことだったのかもしれない、とまた新たに反省を迫られることとなった。ノーベル平和賞を決めたノルウェー議会にとってもそうかもしれない。今でもオバマがこの「戦争と平和」演説で語ったことを心底信じてアフガニスタンに増兵するのだろうか?それが疑問に思いつつも、たとえば「ある者は殺され、ある者は殺すだろう」という表現などいかにも乱暴な言葉も散見される。まるで小説の一文を朗読するような第三者的な物言いに聞こえ、いままでこちらが思い込みしていたオバマのデリカシーに満ちた表現とは相容れない。

 あの冷静で沈着な、時宜にかなった発言を行って来た同一人物とはとても思えないこの演説。あのオバマはどこへ行ったのか?そして彼の真の心は戻ってくるのか?



 かなり真面目に、彼の価値観と同じくらい彼は自分自身の身体的恐怖を感じているのではないか?このような忖度は不謹慎に違いないけれども、それでも僕はそのように思っているのだ。馬鹿げていると思われてもいい。実際いつか自分が馬鹿だったと気づくときが来るほうが良いに決まっているのだから。
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by ripit-5 | 2009-12-12 17:05 | 911以後の世界に思うこと

2008年9月11日

 あの01年911テロから7年である。私の精神の中に大きな痕跡が残った。それはこの大きな世界の黒々とした巨大な穴のように感じた。日本人なのに馬鹿げているだろうか?本当にこの世界の矛盾を感じ、根本からの悲しみと無力感を感じた。

 いまやっと、あの暴力的な季節が、暴力的な酔いが少しずつ醒めていきつつあるようでそれだけは嬉しい。(もう一つの悪夢は05年の911郵政選挙だが)。とにかくブッシュ政権が終わる。それだけが唯一の救いだが、外交的にはオバマでないと困る。共和党のマケイン氏との相対的な関係ではそう思う。それでも。そうなってもまだこの世界の不安定性は続くような気がする。。。出来れば全てが私のナーヴァスブレイクダウンからくる妄想であり、杞憂であって欲しい。

 俺は弱くて幼稚。自己認識しているが、変えようがない。それゆえに生き難いのは十分承知だけれども。気質でもあり、後天的に学んだ一つのかたちであるがゆえに今更変えようがない。

 先のアフガニスタンの悲劇でいつ中村先生が当時、札幌に来られたか日記で確認しようとしたが、見つからなかった。10月に関して下旬まで記述がないので、その頃に来札されたと思うのだが。。。

 当時の、2001年9月の日記が改めて読み直すとなかなか興味深かったのでブログの方にアップすることにしました。当時はまだホームページなど持っていなかったっけ。高額のソフトが必要だったし、中古パソコンには容量にも問題があった。そして知識もある程度必要だったし。ましてブログなんてものもほとんど流通していなかったのであり、個別的な日記のようなものを発信することなど容易に考えにくかった。それを思えば本当に素晴らしい時代になった。(あ、でもBBSとかは利用していたっけ。もちろん2チャンじゃないけど)。

 宜しければ読んでください。ただ、楽しい日記とは対極なのですが。

 2001年9月の日記。

 
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by ripit-5 | 2008-09-11 21:49 | 911以後の世界に思うこと

こんな馬鹿げた話があるのか!

今日の夕刊の1面を見たら、イラクのフセイン元大統領が一両日にも死刑執行だと。
「こんなとんでもない話があるのか!」と即反応してしまった。

イラクの今の制度では死刑判決から30日以内に死刑執行するのだと。

あり得ない話だ。上級審も無い。いわば一審判決のみ→即執行のようなもの。
「疑わしきは被告人の利益に」の近代法概念のかけらもない。裏でそれを世界の近代先進国トップを自認するアメリカ政府が主導しているようなのだから、とんでもない話だ。なに?アメリカは関与していない?ならばアメリカは近代法概念をイラクに押し付けるべきだろう。戦勝国なのだから。いや、「侵略国」なのだから。

イラクはアラブ世界でも、実は最も世俗的な国だった。近代社会的概念でずっときていた。知的層もある。女性も教育を受けてきている。
アフガニスタンとは違い、女性が顔をベールで全面的に覆っていた国ではないのだ。もともと社会主義政策だったのだから。(もっともベールが文化の国では却って女性がベールを脱がされることに拒否反応する人もいるだろう。日本の戦前の着物姿の女性のように)。

フセインの罪はシーア派への弾圧だそうな。クルド人への弾圧罪が第一義ではないんだ?
確かにおそらくフセインは人を弾圧し、殺しもしてきただろう。しかし、前も書いたが、アメリカの政府も同罪なのだ。
ブッシュは戦争犯罪人だが、死刑にはならない。だが、キリスト世界では彼は間違いなく地獄行き決定だろう。

しかし、キリスト世界の発想は不思議だ。
最後の審判の時までみんな煉獄にいて、審判を待つのだという。死後の世界は物凄い渋滞なのだな。旧ソ連の配給を待つ人の列みたいなものかいな。

話がそれた。もしも、フセインの罪がシーア派に対してのもの(その実は、早いとここの世から消えてもらいたいというブッシュの青白い信念)だとしたら、スンニ派とシーア派の内戦に本格的にイラクは突入するんじゃないか?

アホやがな、ブッシュ政権は。ホンマに。
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by ripit-5 | 2006-12-29 17:06 | 911以後の世界に思うこと

フセイン大統領が死刑なら

ブッシュ大統領も当然死刑だよなぁ。
それが道理というものだろう。
大量破壊兵器がなかったのに、それがあると強弁し、国連安保理決議を無視し、世界の市民の反戦デモを無視し、イラクを攻め入れ混乱させ、多くのイラク市民を殺し、捕虜し、辱め、かつ戦後処理できずにいまだに母国の兵士の死も止まない。

フセインが「人道の罪」であるのと同じように、これが「人道の罪」でなくしてなんであろうか。

裁判官の雑さ、中間選挙直前に出された判決。おそらく実際にフセインは死刑になることはないと思うが、もしこれで中間選挙で共和党が優位にまた転ずるとしたら(いくらなんでもこんな手で、と思うが)心底やはりアメリカの一般庶民の民度を深刻に疑う、というしかない。
まがりなりにも民主主義の教育と制度が成熟している(かのように見える)国の選挙なのだから。まさか、な。

それから。
さかんに、戦後憲法は占領軍(つまりはアメリカ)の押し付け憲法だ、東京裁判は占領軍裁判だと首相以下懸命に語っている人たちは、このイラクの指導者裁判に対して、猛然と占領者主導の独断裁判だと批判しなければ全く道理に合わない。
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by ripit-5 | 2006-11-06 20:27 | 911以後の世界に思うこと

本当に久しぶりに怖い夢を見た

他の人は知らないが、私はバイオレンスな場面が登場する夢をまず見ない。

なおかつ、最近は印象的な夢を見る機会はなかった。
また、見て「怖い」と思う夢は尚更まれだ。
ところが、昨日の夢は全く違った。
戦争が起こっているのは間違いないらしくて、しかも自分の目の前で惨劇が起き、自分自身にも身の危険が目前に迫っている。そんな夢だった。
しかも半覚醒になっている設定で(つまり、実際は覚醒状態に無い)、その夢から逃げても、まだ続きがある、というようなコワ夢から逃げられない最悪な状態。明け方頃に、本当に冷や汗をかいていた。こんなことは近来稀に無いことです。

何だろう?
愛国主義的イデオロギッシュな人が首相になった世相、それから昨日、帰りも一人で「失敗したー」と独りごちるほど後悔した仕事のミスゆえか?

おそらくその両面の意識が夢に反映したのだろうな。
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by ripit-5 | 2006-09-29 21:23 | 911以後の世界に思うこと

911

もう忘れられているのかもしれない。
新聞休刊日のせいもあるか。
昨年は衆議員の解散選挙があり、本日が投票結果の日だった。郵政解散。小泉自民圧勝の日。
911といえば、WTC激突テロだが、あの日を境にアメリカが極めてエモーショナルになったように、日本もこのところ、ずっとエモーショナルになってしまった気がしてならない。
郵政解散の意味すら忘れられていないか?
そして今では時期総理の話題に移っている。
次は憲法改正に絡む911になったりするのか?
不安と緊張が続きそうな今後数年の秋になりそうである。空はこんなに晴れていても。
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by ripit-5 | 2006-09-11 22:14 | 911以後の世界に思うこと

こころ

いよいよ戦中世代が現役から離れ、浮世も逃れ、本格的な戦後派の時代がやってきて、自分と同世代などが、焼け跡世代などと対談しても、その議論の最初から(典雅な方の物言いで言えば”文学的な言い方”ですがw)、「すでに大きな社会集団に負けている」人たちが主流になってきた気がする。

恐れていた事態がやってきたな、と思う。
そして、もうそれはどうしようもないのだろう。

戦中世代の両親たちだって、思想も何も無い。ただ、戦争恐怖の「実感」だけはある。
いまの世界のどこかにあるような国のように、あの時代の文学者や思想家は硬いイデオロギストに変質したことは分かってる。
対して、戦中派の戦後政治家は右も左も、観念よりも戦争恐怖の「実感」はあった。

この実感の無さはどこにも罪はない、タイムトラベラーになれないのだから。
ただ、あるのは苦悩と恐怖。。。心理学的には「死の恐怖」に還元されるのだろうが、そこに常に敏感になっていないと、光と強さしか見ないおおらかなものを見失ってしまう世界が来ると思わざるを得ない。
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by ripit-5 | 2006-08-15 22:10 | 911以後の世界に思うこと

加藤周一氏の講演

今や日本でも数少ない碩学、加藤周一さんの講演を聴きに行った。北大クラーク会館にて。かなり高齢であろうに、今でもかくしゃくとした人だなあと思っていたから、実際の加藤氏が明らかに高齢化が進行していることに正直驚いた。背中も大変曲がり、足元もかなり弱っていらっしゃる。声も張りが落ちたようだが、人間は全く外見では無い。その図抜けた分析力にすっかり舌を巻いた。繰り返しだけど、人間は全く外見ではない。頭と言うか、魂こそ美醜を決めると思った。

内容は「憲法9条の会」の立場から。

加藤氏は憲法9条は対外的な意味と対内的な意味があると言い、明日の講演(元医者の加藤氏は、明日は医療者憲法9条の会の講演に行く)は対内的憲法、今日は対外的な意味での憲法9条について話したいと前置きされた。

そして論旨の多くを北東アジアの今後の危機や脅威についてありえる可能性について話された。

その前に、前提として、9条改正論者と、「先の戦争はそんなに悪いことではなかった」という思いとは深いつながりがあると語っていた。

そして、9条問題の絡みで靖国問題にも触れ、例えば「日の丸・君が代」を外国は非難しない。非難するのは、自国に関することだ。つまり、先の戦争による被害国、中国・韓国にとって「日の丸」は自分たちの問題ではないが、靖国問題は自分たちの問題と捉えている。

で、論旨は今後ありえるのかどうかという北東アジア危機について。今騒がれている北朝鮮の行動は自分も含め、多くの人の関心に違いない。で、長距離弾道ミサイルのテポドン2号は失敗した。中距離ミサイルのノドンは日本海に着弾した。その結果、日本が騒ぐほど国際社会は脅威を感じているだろうか。核弾道を装丁してミサイルを発射すれば大変だろう。しかし、北にはその技術はないと言われる。仮に核弾道をつけて日本に着弾すればどうなるか。当然、日本は報復する。それが北のメリットになるか?全然ならない。場合によって北朝鮮は全滅する。もちろんそんなことは常識的に北は望んでいるわけはない。

ちょっと、自国中心の目から離れて、世界地図的な見方、鳥瞰図的に見てくださいと前置きされてそうおっしゃられた。
北の行動にいま一番神経質な態度をとったのが日本。しかし、中国はもちろん、ロシアも経済発展の中、戦争は望まない。アメリカの視野は中東に完全に向いていて、付き合い上、厳しいことを言っているが本音は6か国協議に任せたい。

それよりも、外交上日本が憲法9条を捨てさるときが北東アジアの一番の危機だ。日本は中国で儲けている。その意味で同じく日本で中国は儲けている。だから政府の考えは別かもしれないが、しかし中国の次代を担う若きエリート層、インテリ層は分からない。政府は彼らの意見を無視できないかもしれない。そのときは、本当に日本と今のように外交的距離がある状態では、一挙に緊張が高まるかもしれない。それは確実とは云わないが、可能性は否定できない。状況によって、緊張が高まるときというのは、一瞬にして高まる。

そして、緊急のとき一番日本が頼りにするのが米国だが、そのときが米国が日本を見放すときだろう。

(日本は今アメリカとのほとんど二国間外交状態だけれども)、中国は金輪際、一国だけとの付き合いと言うのは絶対にしない。なぜなら、これは加藤氏たち本人が1971年に周恩来首相に会って聞いた話らしいが、中国とソ連の関係が悪化したときがあった。その時、中国は先端産業をソ連に全面的に依存していたらしいのだが、極端な話、一日であっという間にソ連の先端技術者たちが打ち揃って母国に帰ってしまった。そのため、機械があっても操作できない。そんな苦い思い出があるため、中国は金輪際二国間関係は止めて、いろんな分野でいろんな国と付き合うようにしているらしい。
ー僕はこの話に一番深く打たれた。

後は質疑応答で最近のネットでの東アジアに対する感情的ナショナリズムの背景をどう考えるかという質問には、実に簡単。背景は日本人の流行癖。古くは「佐渡へ佐渡へと草木もなびく」最近では「みんなで渡れば怖くない」。特に新聞は半年ほど騒ぐ。一時学校のいじめが騒がれたことがあった。それはもう毎日いじめいじめ。それは良くないこと。だけど、半年経つといじめ報道はぴたりと止んだ。ところが現実はどうか。半年マスコミが騒いでいじめがなくなるか。現実には報道がとりあげなくなるほど劇的にいじめがなくなるわけがない。現実とはそういうもの。だから、そのような流行癖への対処は1年に1度でいい、その時々の流行を一つだけでも懐疑的に見て、それを徹底的に調べる。自分で調査してみて、自分で自分の答えを見つけ出す。暇な人はもっとやってもいいけど(笑)。そうして流されやすい自分たちの習性を考えて見たらどうだろうとおっしゃっていた。

繰り返しになるけれど、見た目は本当に老いた外見の加藤氏、さりながら、論旨は明快。将来への分析は鋭利。人の凄さは肉体とは別のものだとつくづく感じ入った次第です。
しかし、これがもしかしたら、あこがれ続けた人の最初にして最後の(遠くからの)対面ということになるのかもしれません


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by ripit-5 | 2006-07-21 21:25 | 911以後の世界に思うこと

豪快さんが通る/ポール・ウェラー

「サヴェイジズ」
野蛮人ども そうさ おまえらは野蛮人
神様がおまえらを
見下ろしてるって思わないのか?
野蛮人ども 子供たちは母親の元に逃げていく
その背中に弾丸を撃ち込むおまえら

腰抜けども わからないのか?
愛が訪れようとしてるって思わないのか?
おまえらに神様はいない
神様たちは みんな縁を切ったのさ
おまえらには愛はない
だから人に八つ当たりするんだ
人々の人生に起こっているいろんなことに
当り散らすことで活力を得ているわけだ
おまえらは野蛮人だから

野蛮人ども よく見せかけることはできるさ
そいつにイカシた名前と素敵な制服を与え
旗を掲げて
その陰に隠れるんだ
そこにある真実が
おまえらには見えないのか?

おまえらに愛はない
すべてはおまえらの上で冷たくなっていく
一度だって手にしたことがないから
愛が育っている人たちに八つ当たりするんだ
愛こそいちばん嫌いなものだから
おまえら野蛮人どもにとっては

おまえら野蛮人どものところにも
愛が訪れようとしてるってわからないのか?

「フライ・リトル・バード」
小鳥よ 飛んでおいき
君は飛べるのだから
ひたすらひたすら飛んでいくんだ

呼吸をし始めるとき
君は生きるためならどんな犠牲でも払おうとする
生き始めたとき
君は夢見るためならどんな犠牲でも払おうとする

だから小鳥よ 飛んでおいき
君は飛べるのだから
小鳥よ 飛んでおいき
君は飛べるのだから
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小鳥よ 飛んでおいき 君は飛べるのだから
おまえの道案内に従って
オレたちはそこに行かなきゃならないのさ
おまえは言った その言葉は愛だと
そして愛こそオレたちに必要なもの

小鳥よ 飛んでおいき
君は飛べるのだから

飛んでいくんだ

By:ポール・ウェラー (訳:沼崎敦子氏)


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by ripit-5 | 2005-09-28 22:22 | 911以後の世界に思うこと

う~む

気が引ける気もするが、親父も今最初の何合目かではじめて息が上がっている感じ。

2度目の霊園探しに付き合ったのだが、前の霊園の時も、そして今度の霊園探しも自分としては異様に思える調子のよさ。何かがおかしい。

強いものへの憧れをTVを見るたび強調し、「文句ばかりで一つも行動を起こさない!」と毒づく姿。政治ばかりではない。いまはあらゆることに苛立ちを覚える状況のようだ。
それは軽いとはいえ、やはり身体の軽い変調と、変調への予感が入り混じった不安と言うべきか。やはりガンというのは頭で分かっていても根源的な不安を呼び起こすのだろう。

自分はこんなことを書いて本当に残酷だと思うけど、今の言論界やら、社会意識やらが映し出すときに感じる気持ちが、親父を見てて納得を深めることがある。ストンとナルホドと思うことなのだ。すなわち”不安”ゆえのリーダー待望。あるいはリーダーらしくみせてくれること。

それからキューブラ・ロスが唱えた段階論がやはりあるのだろうということ。
フロイトいうところの、「無意識」というものの存在があるだろうということ。

こんな子どもとして酷なことを書いて。絶対、自分にお鉢が廻るに決まっているな。

でも、残酷かもしれないけど、いろんなことが飲み込めてくる。そんな気がしてる。
人文学の成果はやはり馬鹿に出来ない。
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by ripit-5 | 2005-09-26 22:23 | 911以後の世界に思うこと