カテゴリ:音楽(洋楽中心)( 73 )

古い雑誌の事とか、ウェイラーズのこととか。

  いや~、先週は珍しく(笑)チト忙しかったです。忙しいのはキライ。そう、私は生活ルーザー(苦笑)。そんなことはいいんだけども。昨日、久しぶりに仕事帰りに学生時代から通ったことのある中心部から離れた古本屋さんに入った。昼で仕事が終わった後に。たまたま近場だったので。
 この中心から離れた古本店はいま、半分は中古レコード屋兼用になっていたのだけれど、雑然とした古書店的様相は変わらない。むしろ、そのような形態になったおかげで、より雑然となってしまったみたい(笑)。

 そしていまの書店の棚では考えられない雑多な本の並びかた、あるいは書店で今は見かけようもない、見る人によってはジャンクにしかみえない本が並んでいるのが楽しい。この粗雑な並び。これ、宝物探しみたいで面白いのです。子どもの頃あった子供だましの雑貨屋に入っているような感覚を思い出す。まぁ、雑貨屋といっても、今ではもはやイメージが湧きにくいかもしれないですが。こういう感じの昭和のフンイキが本当に好きだな。しかも昭和においても、昭和60年代にはすでに日陰者なんだよね(笑)。古書店って。そろそろブックオフみたいな形態の店が出てきた頃だし。
 まぁ割と安全な日陰感覚。とにかくこの様子の店内は、いまの若い女性はおそらく「汚い」とすぐ思うに違いない。

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 で、これはまだ私がロック雑誌といってもグラビア系の雑誌しか読解力がなかった頃の1977年の6月号、その当時の「ニュー・ミュージック・マガジン」(「ミュージック・マガジン」誌の前身。以下、『NMM』と書きます。)を購入しました。お得な200円。表紙はボブ・マーリーとピーター・トッシュの二人が並んだ顔のイラスト。何となく未来の方を向いております。で、特集は『都市の音楽VS田舎の音楽』。ポップ・ミュージックは、農業社会が近代化され、共同体が崩壊した後に都市化した流れの中で成立した、という仮説から出発して、主にアメリカンミュージック、ブリッテッシュミュージックのルーツと、1977年当時の現代性との関係、みたいな感じで論じていて。今読むと社会構造的に論じられていて結構批評のクオリティが高いのです。

 この頃ぼくはもちろん、こんな専門的な洋楽音楽雑誌は読んでいないけど、これから2年後くらいでしょうか。当時「ミュージックライフ」とか「音楽専科」なるロックグラビア系雑誌がありましたが、それに飽き足らない頃にワケも分からずに読み始めたのは好きなミュージシャンをわりと観念的に掘り下げてた『ロッキン・オン』という雑誌。そちらの党派?(笑)だった私は『NMM』誌はキライだったけど、いまは歳を重ねたせいか、いや~、値段以上に雑誌の内容に気概と調査の深みがありますわ。いま読むと文化批評としても成立していて面白い。まぁ、その後の時代状況を考えるとこの書きっぷりも良かれ悪しかれダヨナ、って感じもしますが、実に真面目で熱い。そしてこれも一部では有名な話かもしれないけど、読者欄も非常に熱いです。(中村とうようシンパさんも多くてね)。そう、僕はこの雑誌は中村とうようさんという人が代表していて、そのシンパみたいなもので構成されている傾向が嫌いなのでした。その当時のワタシはパンク・ロック一派のシンパだったもので。(笑)。意図は違うかもしれないけれど「ロッキン・オン」誌の「投稿者で雑誌を構成する」「投稿者こそがその音楽を本当に愛しているし批評眼があるはずだから、それで雑誌は売れるはず」という路線に共感していて、とうようさんサイドの今風に云えば「上から目線」というか、「教養主義」というか。それがキライで。というか、音楽的には無知なままだから(苦笑)。本当は敷居が高かったんですな。
 「ロッキン・オン」誌も80年代には結構方向転換しましたしね。ミュージシャン・インタビューが一番売りになってきましたから。

 しかし話を戻すと、読者さんの立派な文章に載っている意識から漂うものはロック/ポップに対する愚直で、まっすぐで、かつ反体制的な意識。まさに70年代的そのもの。今の若い人が読んだら、何だか奇妙に思うかも?そう思われるのも寂しいけどね。。。
 僕は今でも、というか逆にどんどんいまこそ(笑)、こういうのが好きになっていく。やばいよね。こうやって生活破綻者になるかもねw。でも、怖がりだから、ずるく立ち回るのか??

 振り返って、今の「ミュージック・マガジン」は何か、乾燥されているというか、漂白されてすぎているというか。逆に熱が退きすぎていて、クールダウンしすぎに思える。もはや編集長自体がロックなんて特に好きでもないんじゃないの?って感じがどうしてもするねぇ。これ、そうとう暴論ですけれどね。まあ、雑誌として割とワールドミュージックを評価して大きく取り上げているのは、元々とうようサンの音楽的出自ともリンクする部分なので、「とうようズ・チルドレン」としてその部分に関してのみは継続性があるか。 
 対する「ロッキン・オン」もね。もはや批評誌ではない。ちょっとタワレコで無料で配っていた冊子に近いものになりつつありますね。
 確かにロックと批評、「洋楽と社会の切り結び」なんて、このI-PODでのシャッフル時代にナンセンス(死語)かもしれないけれど、まあ時代は変わるし。仕方がないか。

 でもやばいな。俺、またあの店に通って古い雑誌、少しずつ買い込みそう。するとどんどん偏屈に、親父くさく、閉じた音楽ファンになりそうだ。まあそれでもいいかな、と思う自分もずいぶん変わったもんだなという気がする。

 いろいろ云いたい放題のことを今日は書いたけれど、歳とともに変わってきちゃったと見放してくださいな。
 もちろん、今だって新人でハート直撃してくれる逸材が出てくるのを待望してるんです。渋谷陽一風に云えば「スター・システム」は我々の不幸の反映かもしれないし、別にそうともいえないのかもしれないけれど。(渋谷氏のこの発言も若い頃のものだったね)。



 この「ゲット・アップ、スタンド・アップ」はピーター・トッシュとバニー・ウェイラー在籍時のオリジナルメンバーによるウェイラーズのライヴバージョン。ラフでルードなノリはパンキッシュと云ってもいいほどです。ピーター・トッシュのバック・ボーカルとマーリーの絡み部分もエキサイティング。マーリーの声も実に張りがあって若々しい。そう、怒れるウェイラーズ、上を目指すウェイラーズの勢いがダイレクトに伝わってきます。(際立ってパーカッシヴな音も凄い)。特にこの3人の中ではピーター・トッシュが一番反体制的・不良的な気骨がありそう。3人の中で一番そのような個性だったんだろうな。

 もう一つ、オリジナル・ウェイラーズの映像から「コンクリート・ジャングル」。実にディープな演奏です。英国でのテレビライヴ。彼らの人気に最初に火がついたのも英国ですね。やはりアイランドレコードのクリス・ブラックウェルの60年代からのジャマイカン・ミュージック紹介の歴史が強い。クリス・ブラックウェル自身ジャマイカ出身ですしね。そして英国はジャマイカ移民が早くから住んでいたから白人のルード・ボーイが良く聞く音楽として異物感がなかったのが大きいでしょう。(若きウェイラーズのプロデューサーを手がけていたリー・ペリーなどもジャマイカ独立してすぐに英国公演に行っているしね。それから、少年時代のジミー・クリフなどもそう。)

 

 そして。やはりこの曲かな。「ノー・ウーマン、ノー・クライ」。d0134515_10243741.jpg
 スタジオでのオリジナル盤ではテンポの速いレゲエらしい作りだったけれど、実際に有名なのは75年の英国ライシアム劇場公演でのライヴアルバムで一躍有名になった超スロー・バージョンのほうですね。僕も彼らのことを、このスローバージョンの曲で初めて知りました。ボブ・マーリィを頭に冠したウェイラーズの大・代表曲といえばこれでしょうね。もはや、ゴスペルとか賛美歌の世界に近い。スピリチュアルそのもの。会場の狭い雰囲気が伝わる様子も手伝って観客との一体感がとんでもない感動を呼び起こします。オーティス・レディングのヨーロッパ・ライヴ盤での「トライ・ア・リトル・テンダネス」と共に、僕のライヴ盤2大精神浄化ミュージック。

 ライシアム公演の「ライヴ!」とは違いますが、前からおなじみの感動的な映像がずっとYOUTUBEで上がっていますが、ここではそれとは別の79年の余り見かけない珍しい映像をご紹介させていただきます。

 

 やはり凄いです。その一言あるのみ。
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by ripit-5 | 2009-08-23 08:37 | 音楽(洋楽中心)

メソメソしてるのは誰!? - それは私です(笑) /エレファントカシマシ



 最近のエレカシの才能と大衆性の調和は、実に幸福な結果で。私は本当にスゲエなぁとつくづく思ってます。ライヴの力強さで宮本の歌への没入への心地よさみたいなものからいまや彼らは「ピーク」にあることを感じ、久しぶりに映像をみまくっていました。

STARTING OVER

エレファントカシマシ / UNIVERSAL SIGMA(P)(M)


 このところカーステで最新作の一つ前のこの作品を聴きまくり。確か去年の頭に出たと思うんだけど。本当に言葉とサウンド&ビートが調和するようになった。違和感がない。荒井由美の「翳りゆく部屋」のカバーも見事。何せ宮本は歌がうまい。しかし、相変わらず、アウトロ部分で叫んだり、唸ったりで大変、というか思わず笑っちゃうんですが。何せ過剰なるエモーションの宮本氏。どうしようもないのだろう。キーも高い曲が多く、時折声が裏返ったりかすんだりするんだが、それがまたロックバンドとしての切実さになっている。

 宮本のエレカシといえば、詩の叙情性と、相反するかの如しメッセージ性なんだが。この曲の世界などはロックでしかなかなか表現できない世界だろうと思う。いわば切実なる空想力の狂気(凶器?)。。。でも、うたの世界にしてはとてつもない詩だよ。とりあえずいまの日本のメジャー・シーンでは。



 今は第3の黄金期にあるエレカシ。だが、マスメディアに登場し、マスを本気で相手に勝負を始めたときにテレビでこの「孤独な旅人」を聞いたときの新鮮さ、驚きと喜びは無かった。



 紆余曲折ある彼らの。本当に大衆性を獲得する(あまり迎合せずに)頃の前夜でこんな曲もあったとは。そう、あったとナ。


 忌野清志郎なきいま、滑舌良く歌うロックミュージシャンといえば宮本しかいなくなったといえるのでは?彼ももう若手にレスペクトされる立場だと思うけど、いまだ「危うい」雰囲気はけして消えないことはライヴ映像を見てもわかるはず。この激しさは好き嫌いが分かれるかもしれないけど、叙情的な曲は彼を知らない人の耳も十分ひきつけるのではないだろうか。


 う~ん。やっぱ、この名曲のカバーもアップしておこう!(荒井由美をデビュー時から知っている人は後半、何か不安な気分になってくるかもしれませんが)。

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by ripit-5 | 2009-07-19 15:51 | 音楽(洋楽中心)

David Byrne & Brian Eno - Everything That Happens Will Happen Today

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 久しぶりに洋楽の話題です。このところずっと硬い話ばかり書いていたので。
 そしてこれがまた、超がつく久しぶりの関係ですが、元トーキング・ヘッズのデヴィット・バーンとブライアン・イーノとの共作アルバムがしばらく前に出ました。その内容の全編。太っ腹なことに彼らのマイスペースとオフィシャル・サイトで全曲聴くことが出来ます。

 僕はこのところ少し前からこのアルバムの楽曲を聴いていましたが、正直こんなに良いとは思いませんでした。この種のタイプの新作では最近ではもっとも完成度が高い気がします。トータルアルバム形式ではないのに全部通して聞けてしまうのが凄い。プロダクションと楽曲の質の高さゆえと思います。

 実は僕は80年代ニューウェイヴ小僧でして、特にUKニュー・ウェイヴ中心に聞いてきた人間です。トーキング・ヘッズも名作「リメイン・イン・ライト」まではかなり印象が良いバンドでした。ただ、その後特にですが、デヴィット・バーンのボーカルなんですけれども。彼自身のチャレンジがワールドワイドな広がりを見せたり、ちょっとルーツ系の音へ向き合ったりして、言葉は悪いですが音楽で遊ぶ、チャレンジングする若気あるロックの枠におさまらず、いろいろなスタイルに向き合いながら、基本的にオーソドックスなアプローチをするようになると、彼のボーカルが何となくフェイクっぽい感じがして。特に評論家筋の受けが良いと天邪鬼の気が出て、ますます「そうなのかい?」みたいな。。。

 簡単にいうと、「ボーカルがつらいな」って感じだったのですが。

 今作はいいです。非常にソウルフルというか、スピリチュアルな高揚するメロディが沢山出てくるのですが、どれもポップな仕上がりになっているのも感心。イーノとバーンどちらがどの程度のイニシアティヴをとっているのか分かりませんが、元々デヴィット・バーンはポップなメロディ、覚えやすい楽曲を書ける人ですから、メロディはバーンが、音響やアレンジメントはイーノが、って感じなんじゃないかと推測しますが。。。

 あ、僕は基本的にデヴィット・バーンの側の感覚から書いていますが、バーン&イーノの最初のコラボのイメージを持っている人も中にはいるかもしれませんね。実は80年代初頭の彼らのアルバムにある音響実験的な要素は本作にはほとんどないと云って良いのではないかと。印象としてはバーンのソロにイーノが深く係わったという感じです。

 何しろ、聞きやすくて、深い。そして、どこか初期XTCあたりもほうふつさせるニュー・ウェイヴチックな実験ポップ的なタイプの曲がアルバムの中に良いスパイスとしてあります。日本盤は出ないみたいですが、書いたようにマイスペで全部聞けますし、オフィシャルサイトではバーンのライヴEPも聞けます。そしてナント、アルバムのシート(というのかな?)も入手できます。もちろんタダ。音はそりゃ、CD、LPに比べれば比較できないでしょうけど、しかしこれだけのクオリティの作品を惜しげもなく提供してくれるとは。。。いやはや凄い時代だなぁと思います。

 あの時代の音楽が好きだった人はぜひ聞いてみてください。おそらく加齢を加えたバーンの歌声も理解できるのでは。本格派シンガーではないけれど、ずっと自然体の歌声になりました。
 そして音のアレンジの素晴らしさですね。
 う~ん。これはやはりCDが欲しい。でもそれもすぐにナカナカとはいかぬところが苦しいところだなぁ、自分。でもナントカいずれ買おうと思っています。ミュージシャンにも失礼だしね。これだけクオリティが高いものを。タダ聴きするばかりだというのも、ね。

Everything That Happens Will Happen Today

David Byrne;Brian Eno / Todo Mundo


彼らのマイスペース

彼らのオフィシャルサイト
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by ripit-5 | 2009-06-21 17:42 | 音楽(洋楽中心)

ノラ・ジョーンズ

 市内の某チェーン型ラーメン店にて。
 店内のBGMではノラ・ジョーンズが流れている。

A「これ、ノラ・ジョーンズだろ」
B「うん」
A「すぐ分かるな。同じだもんな」
B「そうだね。考えると、どのサウンドも似てるよね。新しいものかな、これ」
A「俺、ファーストだけ持ってるけどな。似てんだよな。俺の持っているやつかなー」
B「違うんじゃないの?やっぱり普通は一発屋じゃない限り、新しいものだと思うけど」
A「同じだな(笑)」
B「似てるね(笑)。その意味ではエンヤみたいな感じだね」
A「タイプは相当違うっしょ。なんていうの?ピアノ・ジャズシンガーっていうのかい。エンヤはケルトでしょ」
B「まぁ。。。ケルトというのか、どうか。。。そこはちょっと、どうかと思うけど。確かにノラ・ジョーンズはジャズ、ブルース、ソウルの系統だよね」
A「そうかい?ブルースとかソウルってこんなけだるくないっしょ」
B「サウンドは結構、良く聞くとブラック・ミュージックの影響が感じられると思うけどね。確かにジャッジーな要素があるけど。意外とカントリーとか、場合によるとゴスペルっぽいなとも思うよ。うん。ただ、ノラ・ジョーンズの歌の雰囲気がさ」
A「そうそう。そうなんだよな。みんな同じなんだよ。マンネリ。これは演歌だべ」
B「ははは!演歌ときたか~。なるほどねぇ。確かに云われて見ればそんな感じもないとはいえないか」
A「そうよ。ただよ、演歌は芝居がかってるべさ。歌い方からして。クサイんだよ。ただこの人はクールだべや。だけどいつも同じなんだよな。自分の自己煎じだべよ」
B「う~ん(笑)。そこまでいうかな、っていう感じもあっけどな。俺。サウンドのほうを注目すると結構いろんなサウンドタイプに目配せ利いていると思うけどな。たださ、ところで、お前、ピーター・バラカンって知ってる?」
A「ああ。うん」
B「あの人、結構ノラ・ジョーンズ評価してるんだよな」
A「そうなのか」
B「と思うけど。あの人の音楽番組で結構ノラ・ジョーンズの曲がオン・エアされているよ」
A「お前、まだ洋楽とか聞いてるんだもんな。あの人の好みって今誰よ?」
B「と、誰って、結構いろいろかかるんだけど、最近はデレク・トラックスって人が好みみたいだよ」
A「デレク?トラックス?それどんな人?」
B「んん~~。俺も詳しくないし、余り好みじゃないけど、エリック・クラプトンみたいなタイプじゃない?まぁ、ギタリストだよ。ブルースの」
A「クラプトンなんだ?」
B「うん(笑)。いや、よくわかんないんだけど(笑)特に好みじゃないから」
A「へへへ。だけども。(汁をすすりつつ)いかにも、だな。大人でございますって感じで」
B「これ(BGM)かい?まぁBGMとして使われるくらいだから」
A「ラーメン屋のな」
B「しゃれたお店でしょ。」
A「しゃれたー?(笑)
A「ん、一応(笑)。だけども、ピーターさんの大人の生理には合うんじゃないの。落ち着いた音楽でそこはかとなくブラックミュージックの栄養やアメリカン・ミュージックの香りも感じて。ボーカルは一貫してクール」
A「(水飲みながら)聞くけど、黒人音楽って、もっとほら、感情的なんじゃないの?グアーって歌いこむじゃん。ノラ・ジョーンズのは明らかにスタイリッシュだべ」
B「スタイリッシュか。なるほど。俺はもっと、きっと本人の生理なんじゃないかと思うけど。ただ、ソウルの時代とかあると。それから考えたらかなり雰囲気は違うよね。アレサ・フランクリンとかとは明らかに違う」
A「そうそう。だから。ほら、オーティスとか。ジェームス・ブラウンとか。あとなんだっけ?ダンス天国の?」
B「ウィルソン・ピケットね。話し飛ぶけど、ソウルの前の時代って、黒人音楽が感情をむき出しに歌うのがはしたないって空気があって、自分たち自身も抑制するっていうのがエンターティナー的にはそういう気分が結構あったらしいよね」
A「そうなんだ」
B「何か、確か黒人の人が書いたソウルの本にそう書いてあったと思ったよ。それがほら、公民権運動があったりして、自分たちも強くなって感情も開放して。そしてほら、ゴスペルの伝統のスタイルも開放してって感じで」
A「で、ソウルか」
B「アレサ・フランクリンも感情をガーッて開放する歌唱法から、確か70年代前半のシンガーソングライター・スタイルがはやり始めた頃はそういうスタイルも取り入れたと思ったよ。でもノラ・ジョーンズのようにはいかないっていうか、やっぱ違うよね」
A「やっぱ、白人じゃないかって気がするな。それとやっぱおしゃれじゃん。それが同じでなー。この芸で今でもかってな」
B「俺はどこかそれはな。きっと演じてるとは思わないけど。だから、この人のリズムで、体質。生理なんじゃないかと。それにやっぱサウンドはさりげないけど、質は高いと思うけどね」
A「お前の得意のロック思想。音楽的冒険から見ると褒められないんじゃないか?」
B「まあね(笑)。そういう目でいくとそうだし。それに別に特別ファンじゃないから。ただ、街に流れる音楽としてはそんなに悪くないと思うけど。今日床屋でかかってた有線のJポップよりは少なくとも。もう、勘弁して、って感じだし」
A「確かに、Jポップは仕様がない。ただ、俺たちのために歌ってるんじゃないぞ。下手したらおまえ、おまえのガキがいれば、ガキの気持ちとして、お前、Jポップの気持ちがわかってなくちゃいけないんだぜ」
B「(苦笑)んん~。さて出ますか」


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by ripit-5 | 2009-02-28 21:11 | 音楽(洋楽中心)

The Beautiful South - The Rose Of My Cologne



父さんは地元の酔っぱらい
母さんは街いちばんのふしだら娘だった
兄貴はつまらないチンピラで
ハーレーダビットソンを乗り回してた

遠くの友だちや親戚が
みんな抱えてる問題を打ち明けたがる
姑の話から法律に反する話まで
彼女は彼らの絶望のタネを落ち着いて理解してやった

彼女は人生の小天使だった
給料の良くない仕事よ
地獄に行くはずの人たちを
天国に案内してやるなんて
ほんとうにそんな価値があったのかしら
時間と死だけが答えを出してくれるのかも

彼女は
その家の
レンガのいしずえだった
真の土台石
彼女は色であり
音であり
味であり
バラの香りのコロンだった

いとこのボビーは人殺しをして
荷物をまとめてリサ・ジェーンと出て行った
誰も落伍者で
逃げ出したきり 二度と顔を出さなかった
娘たちも息子たちも叔父たちもみんな
誰もが自分だけの問題を抱えていた
教授も司教も警官も
誰もがバラの香りのコロンを使おうとした

ついに彼女は決心して
荷物をまとめるのに30分もかからなかった
自分のオートバイにまたがると
さよならの手も振らず 一度もふり返らなかった

別離 妊娠
アルコール中毒者 痴話喧嘩
殺人 女漁り
全部まとめて バイクで崖から突き落としてやったのよ



かなりキツイ詞でしたので(^_^;)。 この曲でお口直しを。
これはゾンビーズの曲のカバーです。日本語対訳つき。

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by ripit-5 | 2008-10-10 23:10 | 音楽(洋楽中心)

エルヴィス・コステロ Clowntime Is Over

 きみの脅迫状に涙のあと
 身代金がわりに書かれた手紙
 爪の先が あの人はとてもいい男って言ってる

 道化の時間はおしまいだ
 お役目交代の時が来た
 他の連中がお喋りにうつつをぬかしている間に
 ひとり違う道を行っている奴がいる
 道化の時間はおしまいだ

 暗がりから声がきこえる
 奴の手下は気づいているぞ
 あいつは思惑通りには退かないって
 それ以外は無防備な男なのに

 道化の時間はおしまいだ
 お役目交代の時が来た
 他の連中がお喋りにうつつをぬかしている間に
 ひとり違う道を行っている奴がいる
 道化の時間はおしまいだ

 これはちょっと話がうますぎる
 誰にするんだ
 一体どうする
 誰もが隠し事をしている間に
 もう一度 恋人たちが安心して歩ける
 恋の道をこしらえているのは誰なのか

 道化の時間はおしまいだ
 お役目交代の時が来た
 他の連中がお喋りにうつつを抜かしている間に
 ひとり違う道を行っている奴がいる
 道化の時間はおしまいだ
                                  (対訳:山下えりか)

Clowntime Is Over '83 by 「TUBE」

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by ripit-5 | 2008-09-02 22:52 | 音楽(洋楽中心)

ポール・ウェラー「22ドリームス」-初聴き・感想の為の覚書

 
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 ポール・ウェラーの新作、「22ドリームス」。購入して早速聴きまくり。といっても2回と少し。
 なるほど、これは統一感が非常に高い。まとまった感想を仕上げるために、思いつくまま言葉を箇条書きしてみます。まだ聞き込んでいないので、当然最初の感想と変わってくる面が出てくるだろうと。ですので、まだまだ初期段階でのプリミティヴな印象です。

 ・今まで取り上げてこなかったブリテッシュ・アシッド・フォークについに挑戦。しかもオープニング曲だった。彼の武骨なボーカルはちょっと合わないかも。ただ、サウンドと音の鳴り、楽曲は良い。誰かに唄ってもらったほうがもっと良い仕上がりになった気もするが。。。

 ・ウェラーの今まで(全キャリア)の中で、一番温かくて、優しいアルバム。これが率直な第一印象。ザ・ジャムのテンパリの人がついにここまで来ました。

 ・最初に書いたように編集の妙。スムーズ。
 ・それゆえに時間もスムーズに流れていく。音楽に身を委ねて。
 ・ただ、それゆえに(同じ接続詞、失礼!)サウンドのスムーズな流れに対して、年齢を重ねて強くなったノドであると同時に、より個性が固まった武骨なボーカルが最初かみ合わない感じも時折。「スタジオ150」の時のように彼のボーカルタイプに合わない曲もあるかな?と最初思ったが。最終局面に向かうに従い、その感覚が薄れていく。特に⑯~⑳辺りの流れのイメージのせいか? ここら辺はまだ全体の聴き込みが必要。今のところ保留で。。。
 ・とにかく、この統一感は堂に入っていてかなりなもの。プロデューサーで何曲か共作しているサイモン・ダインの力量に負うところも多いか?

 ・楽曲、③は詩曲とも美しく慈愛ある。。。⑤、これも同様。⑪、これほど子どもに正直な思いを乗せた楽曲を聴いてファンとして感慨。。。⑯のピアノはポール自身とな?ミック・タルボットじゃないんだ?う~む。感心極まり。⑮、ファドかと思った。ナンチャッテw。ある意味、何でもアリという指摘は当たってマス(笑)。⑲の詩も子どもにあてたものだろうか?だが訳詩の読み手としては彼自身に対する僕らの気持ちを歌われているような気がしてこれにも深い感慨を感じました。⑳、これは技アリ。彼の歌はこういうタイプの曲や③のような曲になるとドンとはまる。

 ・日本盤解説者のコレクター趣味丸出しはご愛嬌?でもそろそろ別の人のライナーでもっと作品に即した解説を求めたい。そういえば、増井修氏はどこへ?

 ・とりあえず今のところ以上で。まとまりがなくて失礼。しかしこのアルバムはファンとして聴き返し甲斐のある作品だと思える。彼のチャレンジ、変わらないところ。その両面を感じながら。

 ・PS. 昨夜、寝る前にちゃちなラジカセCDで聴いたら却って音のキラキラ感と洗練に驚いた。スティーリー・ダン、あるいはドナルド・フェイゲン、どちらでもよいが。ふと思い浮かべた。ただ、ボーカルが野暮で無骨なだけで(失礼!)。う~む。プロデュース、アレンジの勝利、という感じがする。ポールにとっての「サージェント」&「アビー・ロード」というか。思いっきな風呂敷(笑)。

 しかし、一つのアルバムにイングリッシュサイケ・フォークからフリー・ジャズ、南欧=南米的な音まで、というのは普通ありえない多様性ですよね。だけど、なぜか統一感がある不思議な魅力。
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by ripit-5 | 2008-07-19 21:11 | 音楽(洋楽中心)

キヨシロー

癌が転移したという話だ。
だが、このような状況になることも想定していたという。
とはいえ、本音は「残念」という気持ちがないことはないだろう。
ただ、キヨシローは強いとうかおそらく社会性が高い人だろうから。。。
自転車で自然治癒を目指したキヨシロー。

「ブルースはまだ続くということだ」って意味合いのことを言ったんだっけ?
キヨシローが語る言葉だと説得力があるね。
もちろん、どんな無名の普通の人でも闘病をするひとの闘いは説得力があるわけだけども。
ただ、黒人音楽やリズム&ブルース、オーティス・レディングにほれ込むようなひとが「ブルースが・・・」という意味での言葉の力。

こちらはブルースを聴いて何かを感じることが出来ても、歌うことは出来ない。
やっぱりそこは画たるものがあると思った。
ただ歌える、ということとは違う意味で。
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by ripit-5 | 2008-07-14 23:02 | 音楽(洋楽中心)

サザンの活動停止

活動休止じゃないんだよね?
これいうと怒られるのかな、実質解散?
何というのかな。やはり良き聞き手ではなかったんだろうなとは振り返って思う。
「渚のシンドバット」は大好きでした。ハジケてましたね。パンクみたいに。
「いとしのエリー」、名曲でした。素晴らしいメロディ。

だがだが、桑田佳祐の素晴らしいボーカルそしてメロディの今まで無かった洋楽的な流麗さをしても、歌詞が判らなかった。
う~む、感情移入が出来なかった。

それ以上に、若さゆえに、サザンの人気の一極集中がわからなかった。
要は全体がそちらに流れることへの反発。
人々が誉めそやすことへのひねくれ。
きちんと理解する前にそういう状況が出来てしまうと、性癖でそこから距離を置いてしまう。

もちろん、どこでも彼の声は聞こえてきたし、耳にも入ってきた。
だが、カルト趣味な(?)僕はどこか「歌詞がわからないじゃないか。そこがクリア出来ないとファンになれないです」なんて、生意気です。

でも、つくづく一時代を築いたジャイアントな存在だなと改めて思う。
距離を置いて、覚めた目で改めて彼らのベストでもしばらくしたら聴いてみようか。
聞こえないものが、聞こえてくるかもしれない。
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by ripit-5 | 2008-05-25 22:31 | 音楽(洋楽中心)

蒼い音楽

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 ガソリンが安くなったのも幸いと、天気も晴れた今日、今年になって初めて車でちょっとしたドライヴをした。なに、目的地も湿っぽい。岩見沢から夕張を抜ける万字温泉というところを通っていく相当な地味コースだ。今年は非常に雪どけも早い。一人で来し方行く末を考える物思いのドライヴです、何て言ってみてもインチキ臭い。答えなんかは中身の無いところからは出てこないのだから。

 久しぶりにカーステに80年代の、これまた地味めのニュー・ウェイヴ系のサウンドのテープを乗せる。チャイナ・クライシスのベスト盤のテープと、2トーン出身のザ・セレクターのファーストアルバムのテープ。すでに積んであったのはシャーディのベスト盤のテープ。

 チャイナ・クライシスはいわゆるシンセ中心のサウンドの当時エレポップと呼ばれた括りに入るのだろうけれど、僕は彼らがなかなか好きで。明らかに派手さはないのだけども、どこか自分の心の琴線に触れるところがある。
 乱暴に言えば、エレポップもUK中心に80年代初頭当時からたくさん出てきた中にはバブルガムポップな路線や、ブライアン・イーノ的な音響路線、そしてエレクトロポップソングではあるが、どこか青春の淡さ、はかなさ、けなげさが漂う路線等々があって、チャイナ・クライシスは明らかに最後の路線だった。彼らの音の風景はどこかでその後日本でもマニアックなファンが多い「ネオアコ」にも通じる分野と似た感性を感じる。

 この彼らと同系に感じるバンドとしては、例えばオーケストラル・マヌーバス・イン・ザ・ダーク、まだ聴いたことが無いファーストアルバム時点でのティアーズ・フォー・フェアーズ、ロータス・イータス、そしてデビュー段階ではまだバブルガムポップ的な若い明るさだったデペシュ・モード。その中心メンバーだったヴィンス・クラークが抜けて出したセカンドアルバムのやけにしみじみとした味わい。まだ「ピープル・アーピープル」以後の筋肉質・グラマラス路線に転換する前の彼らなども限定一時期そうだった。

 その中でも僕が知る限りではこのチャイナ・クライシスが一番ジェントルな若者の心象風景をサウンドとそのボーカルの中に感じ取る。個人的にはセカンドアルバムになる「Working with Fire & Steel 」の楽曲こそがピーク、と思っていたが。今回車の中で一人じっくり聞いていると最初期のものもかなり捨てがたい。「ノー・モア・ブルー・ホライズンズ」とか。そして、セカンドではボーカルも含めてやや、所謂ニュー・ウェイヴに意識的になっているような気がした。「ファイア・アンド・スティール」などを聞いて。当時、日本ではテクノポップ、などともいわれたが、初期のディーボ、XTCその他パンク系のアーティストも含めて巻き舌で早口、そして語尾をしゃくりあげるような歌唱法。当時は僕もそういうスタイルが大好きだったし、いわばニュー・ウェイヴであることを聞き分ける記号のようなものだった。

 しかし、彼らの場合本当に普通の、所謂文系青年たちの印象が大きい。いい曲を書くし、サウンドの鳴りがすごく繊細だし、温かみがあるし、そして折り目正しい節度を感じる点で、その点での知性を感じる。ネオアコではチェリー・レッドのミュージシャンが持っているものに近い気がする。もちろんニュー・ウェイヴ的なサウンドということで「パンク以後」の影響での音楽ということになるが、この蒼さ、若さの熱さと同時にあるもう一つの局面。若さの清潔さ、ある種の潔癖さ、デリケートな要素。これがニュー・ウェイヴのもう一つの面としてチャートのいろいろなサウンドの中で場所を占めることが出来たら面白かったよな、とも思う。

 その後の彼らが時代が所謂ニュー・ウェイヴ期も過ぎ、所謂「ブルー・アイド・ソウル」等が席巻した時代にはその伴奏の大きな要素だったエレクトロキーボードを逆利用してブルーアイド・ソウル路線に進む。例えば、「ユーディド・カット・ミー」とか。
 彼らの瀟洒な味わいでブルー・アイド・ソウルをやり始める。かたやポール・ヤングなんかがいる。そして、スクリッティ・ポリッティはグリーンの中性的なボーカルを利用して大々的に派手なエレクトロファンク(というほどでもないが)をやる。その中で、例えば、この「アリゾナ・スカイ」などはどうか?難しいかもな。。。でも今回聞いたら、結構そのセンスの良さに感心したんだよね。。。車の中で(苦笑)。

 セカンドの「Working with Fire & Steel 」収録の「ウィッシュフル・シンキング」という名曲が売れたらどうであったろう?これもまた別選択肢、ひっくり返った若者の反抗のあかしになったかもね。
わかりにくいかな?
ただ、この曲、「ブラック・マン・レイ」は古典になれるだろう。古典といってもいい曲だろう。覚えやすい洒脱な本当に良い曲だ。

 チャイナ・クライシスや、リバプールの青春ポップをかなで始めたマイティ・ワー!トッドラングレンの秀逸なカバーをやった「ムード・シックス」というバンドとか。面白い、地味だけども蒼い痛痒感を埋めてくれるようなサウンドがあったんですよね。

 てな感じで盛り上がったところで、ザ・セレクター。う~む、今回聞いたところではメロディの良さに比べるとリズムの単調さがかなり気になった。だが、セレクターは2トーンの中でも最も2トーンらしかった気がする。はかなさを感じた。熱い、パンキッシュなサウンドだが、とても刹那な感じがした。これは退廃的な意味ではけしてない。ここで、このサウンドでやりきらざるを得ないような刹那感だ。その意味ではパンクバンドに喩えると(かなり苦しいけれども)、クラッシュのファーストアルバムに近い感じがする。
 例えばこの曲(「ミッシング・ワーズ」)などはその典型だ。どこか泣きがある。

 ではパンク比喩でいくと、当然、2トーンの頭領、スペシャルズはピストルズ、やけに聴かせる技を持つザ・ビートはさしずめダムド。じゃぁ、マッドネスは?う~む、その後本性は別にありということを合わせるとさしずめストラングラーズか?なんちゃって(苦笑)。

 ところで、2トーンはそのサウンドの傾向ゆえにセカンドでどのバンドも苦戦したが(当然セレクターも凋落)、スペシャルズは別格。セカンドアルバムとその後しばらくして出したラストシングル「ゴーストタウン」まではシングルも含めてすべて必聴です。オリジナル・スペシャルズはすべて聴く価値あり。

 長くなった。木の城たいせつを失った栗山町を含め、本当に空知圏は大変だ。今日は万字温泉から先は残雪のため通行止めだったが、何年か前、万字温泉を抜けて田舎道を超えて現れた夕張の寂れた風景に軽くショックを受けた記憶がある。寂れた家屋に張られた東宝系の映画ポスターがなんともうらぶれてさびしかった。

 セレクターにはルードボーイの今風に言えば、痛い、寒い、青春の刹那感がある。どんづまり感では厳しい地方の風景に似ている。(現実の風景と重ねあわせるのは無神経なのだけれども)。
 チャイナ・クライシスはジェントルな意味で可能性は高いが、でも青春の風景を超えるパワフルな構造がなかったかもしれない。

 いま、あの時代のこの種のサウンドではロイド・コール&ザ・コモーションズあたりが一番耐久性があるのかもしれない。

 シャーディには触れられなかった。最近、ちょっとこの人の初期にも再度再評価的興味があり。

PS.
チャイナ・クライシス、おじさんになってもやっているねぇ。楽しそうに頑張っている。
しかも曲は「ユーデット・カット・ミー」。原曲にもかなり忠実だ。現役なんだろうな。蒼い青春は蝉の如し、というわけでもないようだ。
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by ripit-5 | 2008-04-06 21:51 | 音楽(洋楽中心)