ザ・スタイル・カウンシル - アワ・フェイヴァリット・ショップ

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 このアルバムが発表された1985年の英国はサッチャー保守党政権のいわゆる「小さな政府」路線の改革のひずみが英国伝統の社会構造である”労働者階級”へ激しい痛みとして直撃していた頃だ。ポール・ウェラーの出自である階級に対する仕打ちへの憤りと階級的同情の思いが歌詞全体を貫いている。

 アメリカのブッシュ政治、単独行動主義とマネタリズム、市場万能主義がついに破綻して、このアルバムで歌われる世界がこの日本でも現実性を帯びて響くようになった。
 実際、このアルバムの歌詞を読み返して今の時代のこととして歌われても全く違和感がない。そのことに驚かされる。皮肉なことに、日本においてはこのアルバムが出た1985年ころから輸出の好況とバブルの予兆が少しずつ見え始めて、スタイルカウンシルの音楽における本質的意図が見誤られたことは自分も含めて否定しようがない。つまり、日本ではこのアルバムのジャケットにに象徴される60年代モッズ・テイストあふれるカラフルさと、ハンサムなウェラーのスタイリッシュぶり、音楽の明るい洗練ぶりの方に集中して着目されるかたちとなった。

 しかし、実際のところ、彼ら自身の意図とは別にスタイルカウンシルというユニット自体、もともとパラドクシカルな(矛盾した)性格があったことは否定しがたい。ウェラーの「建設的であること」と、「清潔であること」が直結する生理的な傾向がきっと関係するところもあるだろう。しかし、それとともに、おおげさにいえばザ・ジャムで19歳でデビューし、20代前半で全英のトップバンドに登り詰めたウェラー自身が20代中期以後の精神的・社会的成長と音楽的な成長を求道的に求める時期に当たっていたことと、彼自身の中にあるモッズ趣味。つまり音楽を消費し、ファッションに喜びを見出す若者の自然な物質的な喜びが共存しており、その共存を自分の中に収めて、それを表現として提出する。そういう試みの小さな共同体そのものがスタイルカウンシルという、やや抽象性を帯びたバンドの形態的目標であったろう。それゆえに両義的な宿命を帯びていた。
 彼らの考えとしては、分かりやすい音楽と、使える自分たちの資源を通して、社会的メッセージを届けることの有効性へ賭けたのだろう。ただ、それらが周到な計算があったかどうかは疑わしい。むしろ計算より感情のほうが突出したからスタイルカウンシルというバンドはスリリングで面白かったといえる。

 日本に限らず、本国においてもどこでも、誤解と紙一重の綱渡りであったはずだ。そしてその試みはある面では成功し、ある面ではうまくいかなかった。成功例は端的にいって、このアルバムである。
 スタイルカウンシルとしてのこの2枚目のアルバムは音楽と政治批判の歌詞と、今となればウェラーらしからぬほどの柔らかなボーカルが全体として調和して、26歳の二人を中核としたグループの作品としては見事なまでに成熟している。

 この時期のスタイルカウンシルの成長は目覚しく、シングルB面曲にもアルバムに入れておかしくない良曲が量産されている。ポール・ウェラーには時折、このように飛躍的にメロディメーカーとして極めて生産性が高くなる時期があるのが特徴的なところだ。

 また、この頃の彼は同時期のフォークランド紛争、労働者のストライキなどに触発され、現実的な社会行動にも飛び込むなど、彼自身が音楽だけでなく、社会で起きていることに自らを投ずることで自己のアイデンティティを強く求めていた時期であったことも推測できる。
 だから、精神的にも活発な時期であり、こののち段々と空回りしていくバンド活動に苦しむことになっても彼自身の自己に対する根本的な強さ、社会に対する観点の基本的な見かたはこの時期があったからこそ極端に揺らがなかったのではないかと思う。

 考えてみれば、このアルバムも登場してからもう23年以上たつわけだけれども、いまの日本にあっては、長くファッショナブルな音楽として受けとめられたイメージと違って、歌詞のほうが今ではリアリティがあるのは、表現が悪いが面白いことだ。いろいろな意味で歴史的な価値を持つアルバムになってしまったというのが僕の評価だ。もちろん、楽曲の良さがなければ意味がない。このアルバムの楽曲は純粋にメロディとして際立っていて、ザ・ジャムの創造のピークに並ぶ、スタイルカウンシルとしての創造のピークがある。
 残念ながら、今思えばスタイルカウンシルのそのピークはここまでである。もちろんその後もいい曲は書いているが、アルバム全体としてはこの時期を越えることはなかった。この後、スタイルカウンシルは元々あったコンサバーティヴなファッションスタイルにソーシャル・リベラルなメッセージという両義性のマジックのバランスは崩れて、コンサバな印象がどんどん強くなっていく。

 そして僕自身もザ・スミスが解散した後、89年にマンチェスターから登場するストーン・ローゼズのルーズなファッションに新鮮なものを感じ、スタイルカウンシルのスクェアすぎるスタイルについに見切りをつけるような形に。。。

 ポール・ウェラーもソロになって変わっていく。ソロになってからの彼は中核的な意識は変わらなくても、より一人称的な詩人へと変貌していく。そしてより幅広い音楽的な冒険に、特に都会的洗練は置いて、より土臭いサウンドへと変化していく。そのひとりの人間として自分に正直になり自然体へ移行する彼の姿も、僕は当然のこと大好きである。

・With Everythig To Lose (『学校の運動場から不毛の荒地へ 希望は17歳で消える。床掃除をし、店員をし・・・11年もドブさらいを続ければ幼い頃の夢なぞ忘れてしまう・・・資格を与えられ保護を受けてもなお、すべてを失うしかない人々がいる』。
 こんなシリアスでヘビーな歌詞で貫かれたアルバムなのに、驚くほどどの楽曲も明るくて、力強い。そこに彼らの希望への希求がある精神性を感ずる。)


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by ripit-5 | 2009-01-25 20:30 | レビュー-Style Council