民主党と支える理論家の変節

 大変長い間ブログを放置しておりまして、大変申し訳ありません。
 時代を反映してどうしても書きやすいツイッターのほうに移行してしまっていました。
 ツイッターは日々何かしら書いております。

 さていま一つ盛り上がらないといわれていたサッカーのワールドカップ南アフリカ大会は日本がカメルーンに勝ったことにより事前のオランダ戦のテレビは異様な盛り上がりを見せておりました。結果として負けたとはいえ、4年前とは明らかに違うタイトで戦う意思が明確なチームはデンマーク戦まで引き続き盛り上がりを見せるでしょう。

 そのワールドカップ決勝の頃まで同時期にいよいよ参議院選挙が始まります。もう選挙なのか、という意外感と同時に私は昨年の歴史的な政権交代から鳩山政権崩壊後の驚くべき民主党の変節に大変な衝撃と、強烈な憂鬱に覆われています。そしてこれから選挙までどのような報道が日々されるのかそれを考えれば倦み、歯軋りする思いです。

 民主党にはすっかり裏切られました。「マニフェスト選挙」も「マニフェストを守る」も平気で反故にできる政権交代政党。「小沢支配からの脱却」「現実の変化」「ギリシャ、EU諸国の財政危機」「日本の財政再建」どんな言葉でもいい。
 要は政権を握って民主党は理想を捨てたのです。少なくとも菅首相は明確にそれを捨てた。これが政権交代といえるのか。彼がいう『第三の道』は要は介護・医療、環境、観光、農業云々に新たな成長軌道を描こうと(そこにだけ)夢を見ている所謂「上げ潮路線」に過ぎないでしょう。そこへ理念をという近辺の声を押し切り(例えば国民総生産よりも、国民幸福指数を指標としよう、という声)、「成長率」にこだわり、換算したがるところにその本性があります。

 財政規律と成長戦略。消費税の倍額にいたる増税。そこには非正規労働の痛みや格差社会の問題意識は遠く遠くなりました。鳩山首相が掲げた高邁な理念である「新しい公共」は消えました。鳩山首相が夢見た「凄いことをやるバカで孤独なひとりの裸踊り」をフォローすることはなく、国家の背骨は経済強国だという古典的な戦後的価値に舞い戻り、私たちが夢見た民主党の理想主義は打ち捨て、民主党の若手を中心としたもう一つの面である「構造改革派」が現状覇権を握ったのです。
 この流れのままで選挙に流れ込むでしょう。そして新党ブームに乗った「みんなの党」あたりに期待をかける都市中間層を取り込むでしょう。

 ある意味では「選挙対策内閣」であり、また「民主党の変化を象徴する内閣」でもある。

 個人的なことをいえば、私の民主党に対する憂鬱は極限にあります。なぜならそれを行う首相が少なからず期待をかけた「菅直人」という人であるということ。それが大きな理由であることはもちろん大きな一つ。

 もう一つは昨日の朝刊を読んで、愛読書であり自分の教科書にもしていた『生活保障』(岩波新書)を書かれた北大の社会保障論学者、宮本太郎氏の書かれた内容に明らかに信じられない文面が並んでいたことです。記事の整合性から私の疑問と異論はとりあえず本日は詳細書きませんが、私に言わせれば驚くほどステレオタイプな現状追認の文面が並んでいたのです。

 今の菅政権のやっかいさは長く良心的な立場を貫いていると思われた政治学者や経済学者が新政権の方向性を支持しているように見えることです。もしかしたら彼らが菅政権のブレーンなのでしょうか。ケインズ主義の小野善康氏。あるいは神野直彦氏、山口二郎氏、そして宮本太郎氏まで。
 ここにまさか湯浅誠さんまでが陣営に加わるとか?それだけは信じたくない、信じられない現実ですが!!
 こうなってくると日本の理想を語るオピニオンリーダーたちの全滅になっていく。マスコミはずっと自分たちの経済利益上前鳩山内閣を叩いて叩いて、叩きまくってきたのですから、こんな嬉しい事態はないでしょう。

 この現実はどこへ行くのか。参議院後の日本政治はどうなっていくのか。
 生意気に、とても大きなことを云えば、この日本という国の漂流と混迷は続くでしょう。
 1年後もどんな政治地図になっていくのかさっぱり見当がつかない。相当また違ったもの、組み替えられたものになっているのではないでしょうか。

 憂鬱ですが、反対の面から見るならば、ダイナミックな変化の前で面白く感じる人は感じるかもしれませんが。私の場合その頃はおそらく屍累々のなかのひとりとしてあえいでいるような気がするのですがね!

PS.
 宮本氏の記事に対する疑問については改めてしっかり読んで記事にします。リアルタイムに感じていることはツイッターのほうに結構ひんぱんに書いています。エキサイトブログもツイッターのリアルタイム書き込みをサイドバーに埋め込めるようになりましたので、そちらをチェックしていただけると大変ありがたいです。

PS(2).
ポール・クルーグマンの文章の翻訳をツイッターのフォローから見つけました。ここに書かれているのはまさに今の日本と同じじゃないですか、見事なまでに。タイトルも秀逸です。必読!
クルーグマン「気分はもう30年代」 - left over junk
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by ripit-5 | 2010-06-20 09:08 | 新政権

湯浅氏の苦闘-権力の懐に飛び込んだ男

 ちょこちょこありまして、ブログの更新がしばらく延びてしまいました。
 その間、ツイッターは結構気楽に書いていて、そこに書いてしまうことにより今度はブログに書くための「溜め」が薄まってしまう。その引っかかり。そこに新たな問題意識もあることは、あるのです。

 このところ一番情報に接して感じたことは、とりわけ個人的には湯浅誠の内閣参与就任後100日を追ったドキュメント、「権力の懐に飛び込んだ男・100日の記録」でした。あれが最初に放映されたのが津波警報がずっと出ていた2月28日。その後改めて行われた再放送も見て改めて多々思うところがありました。結局、あの番組は短期間のうちに3回放映されたわけで、これも異例な感じがします。再放送はどれも遅い時間帯であったとはいえ。
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 そしてあのドキュメンタリーで映し出されたことは、まさに「縦割り行政の弊害」そのものでしたし、生活困窮者に対する対応の行政のスキルのなさに尽きます。偉そうな書きようで申し訳ないですが、あのドキュメントを見た人の誰もがそれを見てしまったのではないでしょうか。

 湯浅さんのこの期間の大きな仕事はハローワークをプラットフォームとする「ワンストップ・サービス」と年末年始の「官制派遣村」でしたが、どちらも湯浅氏が構想した形の理想からは遠いものだった、と総括せざるを得ないかもしれません。

 視聴者が湯浅氏の動きを通して見えてきたものは、行政が如何に具体的な細部に渡って驚くほど「待った」をかけるのか、というトホホな事実でした。

 ワンストップサービスを行うに当たっての省庁違いによる抵抗から始まり、行政の生活保護相談に対する抵抗、ハローワークで配布すべきチラシを配布しないアバウトさ(深刻味のなさ)、派遣村施設利用に伴う他省庁との折衝の煩雑。施設の館内放送一つ流す許可を得るために政務官同士まで話を上げないといけないという時間の無駄なロス、集った人たちに利用できるソーシャルサービスを伝えない相談員・・・。挙げればキリがないほど細部にわたる、というか細部に対する無頓着さぶりには驚きの連続でした。それら一つ一つのフォローのために具体的に自ら行動を起こさないといけない湯浅氏。まるで「内閣内ひとりNPO」のように、たった一人に覆いかぶさるこの負担は何なんだろう?と素朴に思いましたね。

 内閣参与ですから、本来アイデアを拝借した時点で政府がきちんと枠組みのベースは用意しておくべきはずなんですよね。その上で現場の問題を上手く回せないところをアドバイスするのが湯浅さんの本来の役割であるはずでしょう。それが企画も実現のための折衝も、公告も首相メッセージ映像をもらうことも、オリンピック会館での相談援助さえ全部一人で(横にはライフリンクの清水さんがフォローで入っていたとはいえ)やっている姿を見せられると、なぜ彼が一人で負担を背負わなけりゃならないの?と思ってしまう。それだけ現場感覚と行政の「新しい仕事」に乖離があるんですね。
 云っちゃ悪いが菅副首相もせっかく湯浅氏を招聘したのだから、もうちょっと権限を持つ力量あるスタッフをそろえてあげて湯浅氏がアイデアを具体化しやすいかたちにすべきだったし、その用意がされて無かったのは良くないことだったよ、と云いたくなります。

 あの番組を見ると「行政の縦割りというのは深刻だなぁ。行政官はフットワークが滅茶苦茶重いんだなぁ。全然当事者意識不在なんだなぁ」と思うことで、「ほら、行政ってこういうことなんですよ」と民主党の掲げる政治主導という旗を補完するようにも見えるけれど、同時に民主党の政治主導というのが如何にも行き当たりばったりの側面があるぞ、という面も見えてきてしまう。
 まぁ、一般人としては諸刃の剣のように見える番組でした。

 結局あの番組でも湯浅氏が1月下旬で内閣参与を辞任する意思を伝え、菅福首相が慰留しているということで終わりましたが、現実問題として湯浅氏はこの3月上旬に正式に内閣参与を辞任されました。本当に大変だなという感じが誰にとっても感じることですが、何卒民主党には「ワンストップ・サービス」の法制化だけはきちんと仕上げてもらわないと困りますね。でないと、また貧困問題が思い切り可視化されると思います。民主党は前政権の負の遺産の処理で大変なのは分かりますが、あれこれ打ち上げるばかりでなく、もう一度きちんと現実の社会情勢の上に立って政策の優先順位を決めて実行に移してくれないと困ります。それはマニフェストにこだわるのとはまた次元が違う問題だと思うんですね。それから、もうひとつは民主党の「政治主導」は省庁縦割りの打破にあるんじゃないか、ということですね。今後「中小企業特別対策」も打ち出されるわけで、その際も省庁横断が大きなポイントですから、ここでも縦割り行政が問題となるはずです。課題は大きいですね。

 もし仮にこのドキュメントをご覧になっていない方のために、こちらに番組の全体がアップされています。
NHKスペシャル ~権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録~(パンドラTV)

 そしてドキュメントを見た上でこちらの湯浅氏の内閣参与辞任に関するコメントをじっくり読んでいただけると彼の人の心の過程がよくわかると思います。ぜひ読んでいただければ。

湯浅誠辞職コメント

 何だかんだいって、誰にも出来ない大変な仕事を行える素晴らしい社会的人材なんですよね。
PS.しかし湯浅氏の辞任コメントの2.2)官民関係を読むと、あのドキュメンタリーが政府のせめてもの湯浅氏に対するプレゼントだったようにも見えてきます。(勿論、一番の問題は住まいと仕事を失った人たちをどう助けるか、ということなのですが)。
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by ripit-5 | 2010-03-13 19:38 | 新政権

小沢一郎研究

 気が弱い自分なんぞはこんなタイトルをつけること自体にちょっと勇気がいるんですけれども。フリージャーナリスト・魚住昭氏による小沢一郎とは一体どんな政治家であるのか?というインタビューを中心にした研究。
 魚住氏が主催するネットメディア上であの「国家の罠」で一躍有名になった外務省元主任分析官・佐藤優氏と、政治学者山口二郎氏へのインタビューが載っています。

 特に佐藤氏のインタビューから垣間見える点はかなり深く小沢一郎という政治家の本質を突いているような気がします。ただ同時にこの非常に深い考察の中に、小沢一郎を語る「佐藤優」という人の思想性もある程度まで理解していたほうが良いと思います。

 知性に劣り単純な自分には複雑すぎて分からないところの多い佐藤氏ですが、いまの時代には珍しく強靭な知性と思想性を持つ人であることはハッキリ認めてよいと思います。ぜひじっくりと腰を据えて読んで欲しいインタビューです。やはり権力を持つ人の発想はとんでもないものがある。それはインタビュー後半部分を読んで痛烈に感じることです。

思考解剖「小沢一郎」第3回
思考解剖 小沢一郎 第4回

佐藤は小沢に限らず、誰が指導者になっても日本が他国を食い荒らす帝国主義化は避けられないという冷徹な認識をしている。資本が高度に蓄積・集中化されると、余剰資本は新たな市場や投資先を求めて他国に向かう。その援軍としての海外派兵は歴史的必然というわけだ。ただし佐藤はそれを是認しているわけではない 。事態をきちんと理解し、そのうえで現実に影響を与える抵抗運動の必要性を佐藤は誰よりも強く感じている。
 
佐藤 だから国連に金もたくさん拠出してるから安保理の常任理事国になって、国連のアンブレラの下で積極的に海外派兵を行って帝国主義国としての正しい分け前を取る。これは、やっぱり小沢、鳩山さんの発想ですよね。
 
—その分け前とは石油利権であり、レアメタルであり、穀物であり……。
佐藤 はい。我が日本国家と日本民族が生き残るために、生存権を確保するために必要なものを取るということです。
 
—資本を海外に投下し、工場をつくったりして現地住民から搾取もする。
佐藤 そうそう。それで雇用が生じるわけだから、現地の住民は幸せなんだという考え方です。
 
—しかし、小沢さんご本人はそういうことを明確に意識して言っているんですか。
佐藤 わからないでやってるんです。
 
—えーっ(笑)。
佐藤 わからないで、フワーッとしてやってるわけです。それを理論化するのが我々のような周辺にいる人間の仕事でね。「先生がやっておられるのは、こういうことですね」「大体そんなところだろう」と。資本の蓄積を十分に遂げた、強い国家が普通の頭で生き残りを考えると、本能的に自分の分け前を増やす行動をとる ものなのです。それが(『改造計画』の)普通の国ということです。だから普通の国になれというのは帝国主義国になれってことなんです。第二次世界大戦後のアメリカの対日占領政策の目的は、日本を再び帝国主義国として立ち上がらせないということでしたね。今後、日本が露骨な帝国主義的行動をとると、当然それとは抵触す るんです。
 
—小沢氏らの無意識がそうさせている?
佐藤 無意識です。ただ小沢さんの優れた才能はプラグマティストであること。プラグマティストが勝利する要因は、国民の中にある集合的無意識を抽出する能力なんですよ。
たしかに小沢は自由党末期の〇三年ごろから小泉構造改革路線の行き着く先や、格差拡大・地方切り捨てによって国民の間にひろがっていた不安や危機感を察知し、その対応策を考えている。山口が指摘したように〇五年に民主党代表となった前原が「自民党と改革競争をする」と口走っていたのとは、政治センスにおいて雲泥の差がある。

 この部分だけを引用してしまうと、小沢氏という政治家に非常な誤解を与えてしまうかたちになってしまうので、ぜひインタビュー全体を読んでいただきたいのですが、それでも権力者の思考は凄いものだなと緊張感を覚えます。もちろんこれは佐藤優氏が見る権力者の姿なのですが、それにしても。

 佐藤氏自身も元国家官僚として「要するに平均的な官僚、平均的な政治エリートが考えていることです。私が官僚だった時期に自らを置いてみると、小沢さんの論理が良くわかるのです。」ともいっておりますし、それは例えば平和主義を唱える元官僚の方のブログを読んでも時折垣間見えるものです。「政治について普通の人たちが考えないですむのが良い政治だ」というような。
 それは良い悪いではなく、国家官僚的なマインドというのがそういうものだ、そういう形で否応なく成立しているものだということなのかもしれません。私はだんだんそのように考え始めているのですが。果たして本当のところはわかりません。

 ただ、佐藤優氏に関して云えば、僕がどうしても特異に感ずるのは論理のキレの鋭さがあるにも係わらずいま一つ分からないところは、極めて冷徹といえるほどの国際関係のリアリズムを協調しながら、国家に対する抵抗の論理も述べているところですね。(インタビューの最後にうかがえます)。彼の本意の分からなさ、あるいはその内側にある両義性という点です。そういえば、菅谷さんと主任弁護士の佐藤氏を迎えたシンポジウムはムネオ塾で行ったのですが、その中でも極めて異彩をはなち、雄弁であったのが佐藤氏でした。(『菅家さん参加のシンポを見て』 09.08.02)

 ところで上記「山口が指摘したように」という魚住氏の挿入部分は山口二郎氏のことです。以下、山口二郎氏に対するインタビュー。

思考解剖 「小沢一郎」第2回

 何というか、昨年NHKで放映された「永田町権力の興亡」を見たときに感じたような生々しさを思い出しました。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。あてられて知恵熱が出そうになるというのが正直な気持ち。

 ただまぁこのように小沢氏に対する特別な関心を持ってしまうというのはおそらく小沢氏ご本人が自分のことをほとんど語らずに差配する力があるため。このような形でカリスマは作られる?と使い古された定理?を改めて思うのでした。
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by ripit-5 | 2010-02-20 17:44 | 新政権

権力が動くということは

 小沢氏が不起訴になったということで実質的に東京地検特捜部は敗北したといっていいのだろう。それにしてもこの期間のリークの嵐、新聞・テレビなどの偏向報道、「推定無罪」原則を無視した、まるで「疑わしいものは小沢」式の報道は異様であった。マスコミと検察一体となっての「影の日本の権力者」と云われる人物へのバッシングはひどすぎた。僕は個人的には小沢さんという政治家はどうにも好きになれないけれど、法のありように照らして、そして被疑的な段階(秘書の3人の方だって起訴されても被疑者に過ぎない。嫌疑も純粋刑法的には軽微としか思えない)での取り扱いに関して、随分検察は無茶苦茶なことをし、市民を捕らえる際の「用心深さ」を喪失したその姿は何とも見るに耐えない姿であった。
 そして一人の人間を過剰にバッシングし続けたマスメディアの質の低下の姿もはっきりみえた。(おそらく個別に有能な記者を生かさない慣習的な編集姿勢を変えられないままきた結果なのかもしれない)。

 これは2007年の社会保険庁の年金問題以来の官僚の大きな不祥事だと思う。官僚権力の暴走と官僚への信頼への国民に対する裏切りの意味で。年金は国民に直接関係のある事項だけに社会的な大問題だが、今回は検察権力の恣意的な権力行使の問題につながる。共産党さえ小沢氏の「政治的・道義的責任」を徹底的に追求するなどと云っているが、彼らは気づかないのだろうか。検察がその気になれば、つまり検察権力をしっかり監視しなければ、火の粉が自分たちに向くかもしれないということを。そういう想像力を共産党は失ってしまったのだろうか。

 だがおそらく見えてきたこともある。確かに去年の暮れくらいから前面に立って小沢氏が権力を誇示し始めた面はある。民主党を元締めるものとして、民主党内部でも、もともとあった「民主党らしさ」のために小沢氏のようなタイプの政治家が殷盛を誇るのは民主党にとっても良くないという思いも分からないではない。鳩山首相の極めて理念的な施政方針演説と齟齬をきたす面が象徴的に小沢氏に感じられるというのも。一言で云えば、政党イメージにとって良くないという気持ちも。

 しかしそれはもう少しのちに考えれば良いのではないか。僕が思うにこれは「政権交代」の余波であり、国家権力内の権力闘争で、それが外に見え始めたということだと思う。政権交代は限定された「政治」という舞台での与野党内の争いのみではなかった。検察権力やマスメディアとの大掛かりな葛藤・軋轢でもあったということ。そして民主党はそういうものに対してまだ野党的な態度に出てしまう面があるということ。政治権力を奪取してまだ日が浅いという意味では無理ないことかもしれない。天下に小沢VS検察の図を自ら作った小沢氏、そして行政府の最高責任者である首相がうかつに「戦ってください」と語ってしまった不注意を含めて、やはり野党的な被害意識が抜け切れない面はあった。

 だがハッキリ云えば、国民にとってはこの問題の筋に敏感であろうと、余裕なく関心が持てなかろうと、いずれにしても究極的には関係ない事柄なのである。要はいまの日本の基盤が今までの日本社会の意識のありようでは立ち行かないという厳然たる事実を前にして、その意識の変化を掬い取った、あるいは先取りしたあの理念的な鳩山首相の「施政方針演説」を叩き台にした国民たちのコンセンサスを巡る議論のほうが重要だ。

 いのちを守りたい、と冒頭2度繰り返したあの演説。生まれ来るいのち、育ちゆくいのち、働くいのちを守りたい。若い夫婦が経済不安で子どもを持つことをあきらめる社会を変えたい、居場所を失い孤立する人を作らない、孤独死してしまう老人を作らない、そのために現代社会の諸般の問題を位相の異なる科学技術や今までとは位相の異なる人間のための経済社会を作る腹積もり。それが鳩山政権が目指す目標ならば、僕には何ら異存はない。その政策の具現化を求めて応援する。だけど「異議あり」の国民もおそらく沢山いるのだろう。
 従来型の規模の成長から日本経済の質的脱皮による「いのちの成長」を唱える鳩山氏に対して、規模の成長が大事だと考える人々もいるだろう。僕は鳩山施政演説の前半部分を特に感銘して読んだけれど、政治は理念よりもいまの国益と現実主義だ、と考える立場もあるだろう。それこそが理念と政策を巡る対立だ。そしてその議論を通して自分が支持する政党を決める。それが民主主義。(もちろん、民主よりも革新性を唱える政党もあるわけで)。

 具体的な今後の政治はこの理念を基盤にして、与野党で存分に相対峙して争って欲しい。いつまでも金権スキャンダルばかり持ち出していたら、野党は理念を持っていないのか?と思われるだろう。そのことを野党も考えたほうがいい。国会を生産的な場にして欲しい。これだけ「理念型」の政府方針を打ち出した内閣は無かったし、ならば野党は理念の具体性を問うていけばいいと思うのだ。

 そしてマスメディアもこの理念に反対ならどんどんスキャンダルや揚げ足取りをすればよい。いや、それっていうのも全然建設的ではないな!これは私の皮肉に過ぎない。(苦笑)。
 むしろ「理念なぞ現実には適用できないのだ。現実の経済社会の流れで、国家を富国とせよ」という論調(これもいろんな論の中の一つですが)で言論として対抗すれば良い。

 繰り返しになるけれど、今後は鳩山理念というものが、それが本気なものかどうかを含めて政治はその政策について争えばいい。

 マスメディアは自分たちの主張を持てばよい。記者クラブ制などにこだわって自分たちの既得権益にすがるようになってから、あるいは「社会の公器」などという幻想を振りまいた結果の現代的な帰結がこれである。むしろ、自分たちは野次馬の「瓦版屋」なんだというところから始めたほうがよほど権力監視的になれるんじゃないか。

 特捜部だってそう。妙なエリート意識が芽生えた結果妙なことになってしまったんじゃないのか。元々は「隠匿退蔵物資事件捜査部」というものであったという歴史的現実から出発したほうがいいのではないか。

 私はそう思います。
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by ripit-5 | 2010-02-05 10:17 | 新政権

どうも民主党が迷走しているように思われるのだが。。。

 不必要な事業の中にこっそり必要な事業も紛れ込む中で、劇場政治的に行われた事業仕分け、という印象を持ち、それを契機に私は民主党の政治姿勢に疑いを持ち始めているのだが。。。その事業仕分けの後は国家戦略局の出番なんですよ、と仕分け政治家は戦略局に託して(丸投げして?)まずは年度内2次補正予算で動く、と息こんでいたはずの菅国家戦略局長。この土日テレビに盛んに出て、いよいよ出番なのかと思っていたらとうとう今週末まで補正予算案は出てこずに、出てきたと思ったらここに至って亀井金融大臣が国民新党としてその補正予算額に難色を示し、また来週に先送りされた。

 話はぽんぽん飛ぶけれど、今の時代は本当に情報量が多く、流れが速い。むやみに年をとった唯一の価値は数多くの情報は長続きせずすぐ淘汰され、歴史に残る情報はごく少ない。そういうものに対するアンテナが立ちやすくなることだけが、確たる生産性のない人生においても多少は年取ることにおける意味のあること、と思ってきた。逆に言うと人生時間がそれほど長くは無いことを無意識裡に直感するから、時間の逆算から余り意味のない情報に振り回されたくなくなるのだ。そのような自信が少しついたと思っていたのだが、実はいまその点もぐらついている。

 民主党の最初の勢いはどこに行ったか?各大臣の就任から2週間ほどの矢継ぎ早の政策方針はどこへ行ったか?多くの話題を提供したが、はて、立ち止まって考えてみると目に見える成果は何かあったのか。私は自分が分からないことはコメントを避けたいと思いながらも、沖縄の問題も方向性だけでも見えているといえるだろうか。疑問である。

 そこでまた、事業仕分けである。事業仕分けは見直し項目は全体像として議論内容を読まないと断定できないものがあるので、「廃止」方針だけ列挙しよう。廃止予定は
年度途中の公共事業予算・生活路線の維持目的バス運行対策費補助(うち車両購入費補助)・マイカーからバス利用転換を図る対策事業・高速バス路線再編調査事業・次世代自動車導入加速モデル事業・農道整備事業・フードバンク活動を行うNPO補助・「マルシェ・ジャポン」事業・食糧輸入安定化対策事業・森林整備支援・若者自立塾・障害者保健福祉推進事業・学校ICT活用推進事業・地域科学技術振興・産学官連携事業・理科支援員等配置事業・研究環境国際化の手法開発・サービス産業生産性向上支援調査事業・産学連携による留学生向け実践的教育事業・温暖化防止国民運動推進事業・環境金融普及促進事業・EST、モビリティ。マネジメントによる環境に優しい交通の推進・地域イントラネット基盤施設整備事業・国際平和協力センター・欧州復興開発銀行TAM/MASプログラム・財務省電子申請システム
などなど。だ~~と列挙してみたが、まだ他にもかなりの廃止事業がある。

 なぜこんな目が疲れるような項目を列挙したか。それは事業仕分けで精査されたものがどのように民主党の政策に今後反映されるのか、それこそが一番重要だと思うからだ。一般の人たちの関心も実は本当はそこにあるはず。しかし、いまだその大方針、方向性は示されていない。

 私が上記に「情報の流れが速い」と感慨したのは、9月に発足した民主党が大丈夫かどうかの判断が早すぎるかもしれないと自分自身を懸念する故だ。だが、余りにも懸念の要素が多すぎる。
 「事業仕分け」に関しては本来、まず国家戦略局で今後の政治における具体的政策方針を示してから始めるべきであった。それが逆になったものだから、かつまた財務省主計官が論点整理してからの各種事業の仕分けであったから。(でないと、実は多くのネット中継を見た人たちも事業内容の無駄は分からなかったのではないか?実際に仕分けの議論は論点説明シートで整理された内容が一番分かりやすく、それに沿って行われた印象が非常に強い)。そこに各方面の疑念が残った。
 むろんそれ以上にマジョリティの盛大な拍手があった。しかし、その拍手はいわば「祭りばやし」のようなもので、感情の昇華が一番の成果だったかもしれない。あれから短期間だけど、自分の思うところでは国民の全体性的な感情側面から見るとそのようなものであったような気がしてならない。
 であるとすると、つまりあれがあえて乱暴に言うなら「政治的な祭り」でしかなかったとすると、国民の熱意はあっという間に醒めてしまい、次には民主党に対して「無駄をはぶいた結果、われわれに何が残るのか?」。というところに関心が行くはずである。

 そこで2次補正である。私は何度か書いたように厚生労働行政に関心が少し高い。裏返して言うと、それ以外に関しては無知なわけで、沖縄基地問題を巡る社民党と民主党のスタンスの違いによるギクシャク(この場合の民主党のスタンス、というのも、実はわかりにくいのだが)も正直なところコメントできるものは無い。
 その上で改めて補正を見ると正直にいうと、これが目玉だ、というのが見付からない。ここが来年度民主党による政権の先駆け的な政策であるべきなのだけど。そのような雰囲気を持つ政策がどうも見当たらない。
 あえて言うなら「住宅版エコポイント創設」「電線の地中化」くらいだろうか?新しい産業として政策的な投資は。そして厚生労働関係で言えばせいぜい「雇用調整助成金の支給要件の緩和」くらいしか目玉がないのだ。つまり、いま企業が存亡の危機にあるところに、その従業員を休業補償で守るという部分。確かにそこは非常に重要なことだけど、いま現在失業中の人たちの雇用を創出する政策で明白なものは出てこない。私は前倒しでも、年金問題の記録調査員を国策として一気に雇用拡充すればいいと思う。そうすれば、年金記録問題も解決へのスピードが速まる。

 もう一つの目玉はひと言で言えば中小企業の金融による下支えだろう。ここには国民新党のこだわりどころだと思うのだけど、亀井さんは今日の時点でストライキ。とうとう今週中に補正予算が通らなくなってしまった。亀井さんは弱小中小企業への思いは良いのだけれど、スピードが必要だということも考えているのだろうか?と、素人ながら不安になる。年内の資金繰りでやきもきしているところ、エコポイントで恩恵を受けると思うところ、それらが時を逸すれば、と固唾を飲んでいるのではないだろうか?
 そして、ここでも菅戦略局長の国家戦略像が見えなくなっているのである。

 話を突然飛躍させれば、ガソリンスタンドも私はかわいそうな気がする。暫定税率はどうなるのか?このサブプライム以前からガソリンスタンドのガソリンの値段は常に安定せず、心労いかばかりか、と週末ドライバーに過ぎない自分でも思う。

 要は、民主党政権の政権奪取後の政策的な方向性が政権奪取直後に比べて非常に見通しが悪くなり、説明能力とともに期待をかけられた新方針の実効性が見えなくなり、説明する人たち、特に大臣たちの発信力がなくなり、何より総理大臣の腹のうちが見えなくなっている。

 税収の見通しが厳しくなり財務大臣と亀井大臣の関係がいいものになっていない。そんな気がする人も多いのではないか。特に僕は事業仕分けが始まる段階で財務省主導を気にしたのだけど案の定その通りになり、最近財務省に対する目も厳しい。

 デフレも手伝い、世論も財政規律派と景気回復派に分かれるだろう。ここで民主党が筋を通さない(通せない)ままでいき、景気の二番底に陥れば、後に「事業仕分け」はこの高速情報時代、一挙に評価が反転し、民主党の逆風が強まる可能性があると考える。民主党は踏ん張りどころに立っていると思う。
 そしていま民主党がもろくも崩れ去るとしたら(そのときは小沢一郎氏が動くときだろう)、日本の民主主義の危機だ。その意味も含めての踏ん張りどころなのだ。
 それだけ、いま民主党にしか託せないという危うい日本の政治状況なのだから、と偉そうに言ってしまうのです。
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by ripit-5 | 2009-12-04 20:25 | 新政権

湯浅誠戦略室参与の最新インタビュー

 え~、前も書きましたが。最近Twitterにも手を出しておりまして。。。
このメディアは功罪イロイロあるような気もするのですが、その中で自分にとっての功のひとつは、非常な速度で最新の情報を入手出来ることです。特にマスメディア等を通さない、オフィシャルメディアではないメディア情報において自分にとって貴重だと思うものが、誰かの手を借りて入手できるのです。それがちょっとばかり凄いことだな、と思います。

最新のものでは内閣戦略室参与になった湯浅誠さんの参与になって以降の最新インタビューを手に入れることが出来ました。大変貴重であると同時に、想像通り相当仕事としても厳しい状況に置かれているようです。正しい理念も現場の現実の壁は非常に分厚いみたいです。 こういうところがやっぱ、あるんだなぁ。。。ぜひ読んでみてください。ナショナル・ミニマムが地方分権論に絡めとられて現実の困難を明確化出来ないという状況もあるようです。

内閣府参与の湯浅誠さん「ワンストップ・サービス・デイは一歩前進だが壁は厚い」 すくらむ
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10393986579.html

 『福祉サービスやセーフティーネットという社会保障は、これは自治体サービスなのです。となると、自治体の側は、サービス提供にあたって住民票要件をはめてきます。自治体は、「うちの自治体の住民じゃないと福祉サービスやセーフティーネットの受け手にはなれない」と言うのです。なぜなら、「その人たちはうちの自治体に地方税を払っていないから福祉サービスを受ける資格がない」と言うわけです。うちの自治体サービスを受けたいんだったら、住民票を設定してから1年とか2年以上たっていないとダメという要件をつくっているのです。』

『民主党は2007年の参院選から「国民の生活が第一」と言わざるをえなかった。それで総選挙でも勝ちました。ですから、この「国民の生活が第一」という側面をのばせるのか、それとも今回の「事業仕分け」で福井秀夫氏が事業仕分け人になってしまうような新自由主義の側面がのびていくのか、そこが拮抗点です。私たち運動の側が、「国民の生活が第一」という側面がのびていくように働きかけを続けていくしかありません。』(インタビューより一部抜粋)

 民主党の方向性が最近どうにも見えない、という気持ちを「事業仕分け」の流れの中、ますます自分の中で強まってくるにつれ、仕分けメンバーも小泉構造改革路線と非常に近い人脈の人たちが散見されることに実に不安な気持ちを抱くこの頃です。

 民主党の「政策新人類」と呼ばれた人たちと、生活者主権グループの中の目に見えない対立が垣間見え始めているのじゃないか?という気もするのですが、憶測が過ぎるでしょうか。鳩山首相の献金問題、沖縄の普天間基地問題と民主党自体の足元の危うさが意外と早く見え始めた気もするのです。

 菅直人氏が湯浅誠氏を招いたように、あるいは長妻氏が厚生労働大臣をしているように、おそらく生活者目線へのアピールを新政権のメンバーはしたかったのでしょうが、いま見えているのは小泉政権時代に鳩山さんや岡田さんが対抗軸とはならない対抗論として「私たちのほうがより改革を進めるんだ」という流れに再び「事業仕分け」以後、ハマり始めたかのようです。

 ともすると内部分裂の可能性を秘めた雰囲気の中、閣僚たちと仕分け担当議員たちなどの意思疎通はどうなのでしょうか?あるいは閣僚同士の意思疎通は?そして総理は本当にこれらの難題のリーダーシップをとれるのでしょうか。

 このような状況の中で首相の故人(個人)献金の問題は、今後落ち着かない難しい局面が続くと仮に想定した場合、この問題が最後の一押しになりかねません。ビデオジャーナリスト、神保哲生さんが懸念したとおりになりかねません。

 つまり野党、民主党党首時代と総理大臣では献金問題の意味は決定的に違う。民主党の党首時代に明らかにしておくべきだった。
 でも...できなかったんですね。そのことをどうこう言える義理は、根本的に”こずるいところのある”僕のような人間にはありません。とりあえず汚職ではないようなので。ただ、非常に危ういものを抱えたまま首相になってしまったのは事実のようです。

※ビデオニュース再掲・09.7.9日収録分(ちょっと嫌らしいかしら?)

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by ripit-5 | 2009-11-26 20:58 | 新政権

一昨日の続き

 16日の水島広子元衆議院議員の講演とシンポ、そのシンポ部分からの連想をまた少し。まず北大の中島岳志氏が歴代総理大臣の就任時の世論調査における支持率の高さが今世紀に入ってからの首相がベスト5のうち4人(小泉、安倍、福田、鳩山)が入っていることを上げ、小泉政権を除き、前政権の支持が凋落した時点で新政権の就任時の支持率が急上昇するような状況を捉えて「世論の落ち着かなさ」と言われていた。
 これは僕が思うに我々の意識の側の問題で、そこには幻滅と幻想の感情のアップダウンの激しさがあると言えるかもしれないし、あるいは政治に「託して」は裏切られ、という中での社会構成員としての安定基盤の欠落が起きているとも言えるかもしれない。

 シンポの壇上に立つ人たちは端的に人びとの「余裕のなさ」という風に表現されていたと思うけれども。同時に宮本太郎氏が口火を切ったように中島岳志氏が一つの日本社会変転のキーとなる年が1995年であったということも僕は大いに同意する点であった。95年は言わずもがな、震災とオウム事件の年だが、バブル後の不況にあえぐ経済界から「新時代の日本型経営」という提言書が出され、そこから会社にとっての基幹社員、周辺社員、非正規社員の三層構造が動き始めた年でもあった。

 その後数多くの無差別殺人も起きたが、それは個人の病理性が色濃く垣間見えたものもあったし、同時に社会への無意識の誤ったコミットメントのような事件もあった。大きな意味で社会的アパシーの状態に日本が入ってほぼ10数年という感じで今もそれは続いている、ということではないか。そんな気がしている。

 そういう危機意識が何らかの意味で僕たちの無意識的な委託の感覚が小選挙区制の勢い、あるいは過剰バネとなって民主党に政治社会的に託されたわけだ。しかし、今回の講演の内容から推測されること、あるいは「事業仕分け」のような官の不効率は民間に、というまるで「聖域なき構造改革」を思わせるやりとりを見る中で、『劇場型政治』は終わっていないのではないか?ということを憂慮しながらの帰路となった。

 今の状況は政治素人には本当に分かりづらい。片方で「いのちを大切にする」精神を高く掲げる、言葉に説得力があり、節度ある態度をもつ首相が友愛政治を語りながら、片方で事業仕分けという公開の官僚バッシング(但し財務省は除く)。そして世論の落ち着かなさが続く状況-マスメディア、そしてヨリ高速化した情報社会を生きるネットメディアエリートたち。

 そして意図があったのかどうかは分からないが、民主党が次々と行う試みを世間が追いかけているうちに各大臣が就任したときに一斉に打ち上げた矢継ぎ早の政策提言はいつの間にかトーンダウンしているように見受けられる。

 確かに民主党が政権政党になったのは9月のことでまだ鳩山内閣は2ヶ月だ。すぐに結果を出せとはいわないけれど、方向性に関する一貫性がますますみえなくなっている気がしている。内閣として取り組むべき優先課題が各省各大臣や行政刷新の動きの中で「何が緊急性があることか」の期待の方向が僕自身の望みも含めてどんどん拡散しているような気がしてならない。

 僕自身の関心に即して言えば、例えば年越し派遣村からほぼ11ヶ月。この期間ほとんど状況が何一つ好転していないことに愕然とする。それは11月8日のNHKスペシャルで放映された「重松清・働く人の貧困と孤立のゆくえ」を見てつくづくそう思うところだった。
 確かに派遣村に集まった住居と職を奪われた人たちは生活保護を受給するところまでは来た。しかし、そこから先、職場を探す時点で未だ選ぶよりも見付かる仕事をと考えながら、それでも仕事を見つけることが出来ないでいる。逆に「名ばかり管理職」で異常な残業でうつ病になった若者がいる。重松清がラストでその2日も3日も不眠不休の過重労働、サービス残業を続けた20代の青年が1年半余りでうつ病にまで追い込まれたという当事者取材の記憶で感極まったのか、この若者たちの夢なき状況を東京派遣ユニオンの河添誠氏に「いま若者たちの働かせ方」に何が起きているのか質問というか、訴えのようなかたちで話している姿の中に重松氏の「この状況は何が何でもおかしいよ」、という思いが溢れていた。

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 この年末年始にあれだけのことがありながら、未だに派遣ユニオンの河添氏や、反貧困ネットの名誉村長・宇都宮健児氏などに派遣労働者の問題やワーキングプアにならざるを得ない状況を一から説明してもらわなければならない状況が、ひと言で言えば「政治的な放置」「政治の無策」を示している。
 つまり、僕にいわせればことの優先順位は今の子どもたちもこれから生まれる子どもたちも大切なのは無論のことだけど、何よりも今の労働環境がそもそも何も変化していないまま一年たとうとすることのほうが、本当のところどうかしている事態なんじゃないか?ということなのだ。

 またぞろデフレ認定日本において、今20代~40代の広がる格差の中でマジョリティとなりつつある低所得層に今後の展望がない、ということはどういうことか。もしも高度成長以外の夢、夢といわずとも安定。そのような社会の具体的な展望を描けないならば、この90年代半ば以降の社会的アパシーの加速はおそらく止まらない。

 民主党が水島元議員が言う通り、「1万6千円じゃ小さい。、もう1万上乗せしろ」の一声で財政試算が成り立っていた構想の練り直しを迫られ、結局は削減事業に民間人の「官から民」のイデオロギーを持つ人びとを多数仕分け人として採用して、数字の強さで心地よく官僚イジメをやって子ども手当ての財源に何とか充てようとしても。
 しかし、それ以前にいま社会の中核を担うべき構成員たちの社会的安定がない状態が続いていることのほうがヨリ大きな問題ではないか。

 そのような人にとっては政治は余裕を持って考えられる事柄じゃない。文化的な事柄についてもそうだ。「働いて眠るだけ」の生活に「考える余裕」なんてありはしない。逆に失業中の人たちにとっては社会や政治や、政策について考える手立てを持つ経済的余裕がない。

 シンポの一つのキーワードになっていた「余裕のなさ」は仮に自己責任を言い立てるのなら、自己責任の基礎となる「判断材料」がない。判断の素材の多さがなければ、文化にせよ、政治選択にせよ、みんなが選ぶものを選ぶ、という志向しかもてないのが普通であろう。

 今の時代で気になるものは文化ソフト(音楽、映画、書籍等々)に関しても、一部の大ヒットと多くの売れないモノたちの格差である。文化的な選択肢が落ちているような気がする。そしておそらく政治や政策の吟味も、いま同じ状況が生じているのであろう。
 「付和雷同」と片付けるのは簡単だ。簡単だけど、そういう結果になってしまった状況を生んだ原因は複雑であり、果たして今の政治家にそのような状況を解きほぐす力量があるだろうか。というよりも、解きほぐすことももしかしたら、あきらめているかもしれない。息の長い仕事はいまの時代にはどうもそぐわないかのようだから。

 何だかまたヘビーな話にクドクドと持って行ってしまった。
 いま即効性のある提案といったら、「感情を呼び起こす政治」に気をつけよう、ということと、非正規雇用と労働者派遣問題は終わっていない。まず急ぐべき政治的な手立てはそこだ、ということ。

 「子どもの貧困」に光が当たっているように、民主党の目玉政策である「子ども手当」を何とか公約どおり成立させようと、(言葉は悪いが)にわかに子ども子ども、と賑やかなのであるが、民主党議員の中には国のために子供を生んで欲しいということを直裁ではなくとも語り始めている議員がいるということもきちんと意識しておきたい。また、子どもの貧困を救うにはまず親の貧困状況を救わなければならない、という当たり前のことにもう一度きちんと政治は向き合って欲しい。

 精彩を欠いている菅副総理と長妻厚労大臣には特に頑張ってもらいたい。精彩を欠いているのは相応の理由があってそうなっているだろうことが十分想像がつくから。
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by ripit-5 | 2009-11-20 20:20 | 新政権

昨日の続き

 昨日は水島広子氏の講演とその後のシンポに関するレポのはずが「事業仕分け」の話にズレてしまった。私の文章はいつも、その時切るべきものは切り、必要なものを浮かばせるということが出来ず、まるで鬱蒼とした雑木林のようになる。

 最初に話を戻せば、精神科医・水島広子という人が民主党の元衆議院議員をやっていた、という何とは無しのクエッションマークが事前にあった。なぜ精神科医が国会議員だと不思議な気がするのだろう?医者が政治家をやっていても不思議には思わないし、現に党の要職や大臣になる元医者もいる。しかし精神科医だとどこかピンとこない。精神科医はむしろ「物書きへの転身」がピンとくる。なだいなだ、北杜夫、河合隼雄、香山リカ。。。要するに精神科医は人が見えすぎる。見えすぎるが故に行動者よりも観察者がしっくりくる。そんな固定イメージゆえに、だろうか。

 昨日の講演を聴いていても思ったのだが、水島氏のような職業的立場から政界を見たときに、やはり政治家のキャラクターは余りにも人間の平熱とは違うと気づかざるを得なかったのではないか?精神科医にとって、健全な人間の一般的な定義とは鬱の常態でもなく、逆に高すぎるテンションでもない、平熱の感情を維持する力を持つ人びとだろう。

 その意味では政治家の世界に身を置いてパーソナル・スタディをケースとして大いにフィールド・ワークできた貴重な経験をされたのかもしれない。私も偉そうなことを書いているが、けして健全な精神の持ち主だとは思っていない。結婚し子どもを育て上げる日々に力点を占める普通の常識的な生活人からすると、どこかずれている人間だろうな、と思う。

 それはそれとして、水島氏は政治家のタイプ分析を講演で述べられていた。一つは政治家という地位が欲しい人。親が政治家だったりして、政治家が「職業」や「家業」と不幸にして(?)思い込んだ人がこのタイプなのかもしれない。無事政治家に入職できました、というところだろうか。次にリーダーになりたいタイプ。人を引っ張っていこうとする権力者タイプかもしれない。上から目線。よく「国民の皆様は~」と口にする政治家。あなたは国民じゃないんですか?ってツッコミを入れたくなるタイプでしょうね。もう一つは所謂「政策通」。この種のタイプの人たちはリーダー志向の強いナルシステックなタイプではなく、純粋に自分が持つ専門知識を政治に反映させたいと思う人たちで心理的な問題があるわけではないが、逆に押し出しが弱い。それが政治家としてのネックになっているケースがあるとのこと。そして最後に「追求・野党型」。よくある「なんでも反対」のタイプなのだろうが、反対の素材がないと自我が安定しないという意味では野党にいることで価値を持つ存在かもしれない。(これは僕の勝手な解釈)。

 続けて有権者側の問題や、若者と政治の『分離』の問題も語られた。若者も時代を反映してか、政治に高い関心を持つ層と、全く関心を示さない、政治は無関係な存在だと思っている層との二極分解的なものが見られる。政治に無関心な若者の動機とはすなわち、政治家が「無責任な人びと」に見えるから。自分たちの将来への無責任(年金問題、格差社会、環境破壊等々)。これが「分離」を促進する。そして、若者と政治が分離すると、「民主主義の危機」の可能性がやってくる。これがまた一つ憂慮すべき怖いこと。

 もう一つは「小選挙区制度」の問題。小選挙区制は確かに政権交代を可能にした。その代わり、「カメレオン議員」がどっと増えた。小選挙区制度の下では過半数の有権者の支持を得なければならない。すると必然的に有権者の顔色を伺う。自分の信念とは別のことを平気でいう。そんな人がグッと増えた。中選挙区制も問題はあったが、中選挙区の元では20数パーセントの有権者の支持で当選することが出来た。そんな政治家にとって牧歌的な時代には、自分の信念を貫いて選挙を戦っても当選することができた。今は上からの考えを有権者に伝えるばかりで自分の信念に基づく主張が出来なくなっている。そして、小選挙区は「敵」「味方」の二元論の争いとなる。水島氏自身、そのような「敵/味方」の二文法による選挙戦を戦って学んだことが多いようだ。本来そういうものではないだろう、という意味で。

 水島氏の講演では以上の問題点を踏まえて展望としていくつかを述べられた。民主主義の質の担保のための政治の可能性とは。

・党議拘束をはずす。
・多党制のシステムを構築できないか(敵を作らぬ変革を。例えば北欧型の政治システムなど)。
・メディアが『分離』の促進に加担している状態の是正を。

 この後、北大の(まぁ)有名人、中島岳志氏と公共政策学の宮本太郎氏を交えてのシンポジウムに移行したのでしたが、また長くなってきましたので、シンポについては明日にでもまた続きを書きます。

 いろいろな思うところも含めて。
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by ripit-5 | 2009-11-18 21:06 | 新政権

水島広子氏の講演。その他、事業仕分けなど。

 昨日、北大で行われた元民主党衆議院議員で精神科医の水島広子氏の講演及びシンポジウムに出かけた。昨年の12月中旬に行われた湯浅誠氏の講演とシンポに参加した際に連絡先を記入したため、DMが届いたのだ。(昨年の講演は『脱「貧困」への政治』というタイトルで岩波ブックレットで書籍化されました。)

脱「貧困」への政治 (岩波ブックレット)

雨宮 処凛 / 岩波書店



 講演のタイトルが「政権交代の心理と論理-有権者・若者・政治家の心理分析」という、なかなかイメージが湧かないものだったのだが、結論から云うと、非常に講演内容に思いが共感、話の筋に同意の嵐だった。

 実は民主党に期待していた自分が最近少し「揺らいで」いる。彼らの政治手法が分からなくなってきている。

その端的な現象がいま行われている「事業仕分け」なのだ。水島氏の懸念も大きなものの一つとしてそこにあるといっていい。これは手法における理論というよりも、心理の問題なのだ。その手法、態度。水島氏は心理学の立場から、肥大化する「自己愛(ナルシズム)」とその裏返しとしての「怖れ」を強調していた。

 僕が最初事業仕分けの風景を見たときに感じたものは、何と形容したらよいだろう?断固とした態度、とか人民裁判的、とか云ってもいいのだろうけど、1時間1事業の判定という、ひとことで言えば余りに簡単な割り切りへの強い違和感なのだ。僕はそこに、いま人々に受けいれられている立場(特にインターネットと即時的な反応が出来るツイッター利用者たちなど)を最大限に利用した政治家及び民間仕分け人の無意識の優越的な立場の快感、ナルシズムのようなものを感じ取ってしまう。理論ではなく心理の憶測だから一笑にふされると思うけれど。

 だが、水島氏が言われるように明らかに公益性、公共性のある事業も仕分けの俎上に上がっている。もちろん多くの無駄な事業がある。今日一日休みだったのでずっとネットで事業仕分けを見ていたけれど、確かに明らかに説得力のない事業もある。しかしそのような事業に混じって、公益性に資するような事業もこっそり財務省は混ぜているようにしか見えない。特に厚生労働関連は弱者サポートに関する事業も普通に見直し事業の俎上に上がっているように見える。

 列挙するだけでも・若者自立塾(ニート支援)廃止、入院時食事・居住費見直し、障害者工賃倍増5ヵ年計画予算半減、フリーター等正規雇用化支援事業化見直し、そして派遣労働問題で役割が増している「個別労働紛争」事業対策費も見直し対象にならなかったとはいえ、議題にあがっていた。

 今日見たものでは午前中のものは特に荒っぽいと思った。社会福祉医療機構廃止、高齢・障害者雇用支援事業見直し。前者はホームレス、母子家庭、DV家庭への支援、NPO活動の支援など、本来民主党が掲げる「生活者優先」のものとも繋がるものだ。
 しかし、その基金事業に天下りの人間がいるということで廃止事業の対象になってしまう。「天下り」問題と「政策問題」がバッテングしているのだが、仕分け人たちにとってはそのどちらを選択するかにほとんどためらいや躊躇がないように見えるところが怖い。

 水島氏の講演と上手く話が繋がらないかもしれないが、彼女の懸念も同じところにあるのではないだろうかと思われた。彼女が言うに「敵」「味方」の『分離』の態度は危ない。『分離』の心理は何ものかを一括りにして語る姿勢を作ってしまう。大事なのは分離ではなく、つながりなのだと。政治は思いやりによる妥協であると。(それは家庭を思い浮かべればよい。家庭では自然に相互に違いが合っても譲り合いと思いやりがある。時に譲歩もある)。

 さあそこで難しいのは、いま民主党の立ち位置はそこではないはずだ、という現状のコモンセンスだ。僕もそう思う。いま「静かで平和な革命」が進行中、という人もいる。まして民主党的な論理で行けば、最大の問題は「官僚政治」ということになり、彼らとは「対峙しなければならない」。これがコンセンサスになりつつある。僕にもそういうところがある。水島氏も予算編成の過程が透明化すること、そのこと自体は良いことだと語っている。
 そうなるとポイントは普通の人間がああいう場を見て、「何か変だ?」と思う直感である。そんな気がする。僕も最初は「人民裁判」という余りたちの良くない言葉に共感せざるを得ない直感があったがゆえ、精神科医として05年まで当該民主党議員を続けた水島氏の発言だけに意を強くした次第なのだ。自分の直感に間違いはないのではないか?と。

 ただ、逆の面を繰り返すとやはり事業に対する態度が明らかに雑だ、という事業もある。だが特に午前を中心にして、この事業は廃止なのかあるいは必要事業なのか、という両極端な選択肢はつけ難いものだった、と云っていい。
 そしてハッキリいおう。事業仕分けに「見直しの必要なし」という結論はまずない。ほぼ全てが「廃止」か「見直し」の結論となると云っていいだろう。つまり、『最初に結論ありき』と言ってしまっていいようなのだ。財務省の下請負人化。厳しく言えばそうだ。そのような状況なのに、彼らは実に(言葉が汚くて申し訳ないが)居丈高なのだ。
 そしておそらく僕らの多くはこの様子に溜飲を下げる構図だ。

 で、一部の人たちが「これで大丈夫なのか?」と思っている。

 公共事業も福祉事業もフラットに、費用対効果、効率性、金と数字。彼らは官僚たちに鋭い口調で矢継ぎ早に質問を並べ、返答に窮すると言葉を重ねる。「それでは角度を変えて訊ねましょう」などといいつつ。まるで疑問のための疑問を問うように。そこまで追求するのに、彼ら仕分け人たちの判定の結果理由に関して、仕分け人たちが自分の結論を深く掘り下げて官僚に説明するわけではない。
 一歩間違えると官僚の深い恨みを買うのではないかと思う。官僚だって人間だ。頭脳と頭脳がぶつかりあっても、そのシチュエーションで感情的に傷を負うことも考えられる。政治家は今後政府に入る人材だから、後々のフォローが必要だろうけれど、一過性の雇われた仕分け人はそこでサヨナラなら自分が元気いっぱい仕事をやって良かったね、て気分良く帰るだけだろう。それは双方にとって幸せなことだろうか。

 正直に白状する。僕は小泉政権の経済財政諮問会議のようなものが戻ってきたような印象を持つ。そのときも当時厚生労働大臣だった尾辻さんのような人は、民間人議員にガンガンやられ福祉予算が削られる現場に立会う結果となり、唖然とさせられたそうだ。
 いまの事業仕分け人たちはホリエモンの時代ではないんだよ、僕ら国民のための仕事をしているんだよ、というだろう。しかしそのような仕事であったとしても、手法が当時と似ていれば僕は危ないと思う。役人のプレゼンテーション能力が試されるよな~、という意見もあるけれど、個別のプレゼン能力の違いだけで、ある事業の結論が大きく動くのでは困るのだ。政策予算の見直し項目なので、説明者が下手だったからということで片付けられたらたまらない。

 その中でも別のグループで行われた「裁判員制度啓発事業」の事業仕分けの議論はとても良かった。裁判員制度の啓発のありかたのみならず、裁判員制度そのものまで議論が深まっていたし、そこには官僚が持ち寄ったものを仕分け人たちがみんなで考えよう、という姿勢が感じられた。裁判員制度そのものにも問題提起された福嶋浩彦さんのような存在がいることで違ってきたのだろうか。やはり仕分け人も「人」によって違うのではないか、と思う。厚労行政に係わるものは生活問題に繋がるものが多いので、事業の目標・目的。もっと云えば哲学まで及ぶ仕事のはずだが、そのような理念的なことはほとんど語られず(午後の介護・保育では少し違ったが)、もっぱら数値や費用対効果を求める「数字の話」に終始している様子だったのが残念だし、幻滅感があり、そして小泉政権の再来では?という疑いを持たざるを得ない手法に見えるのだった。

※私の悪いクセが全面展開しまして、文章がまとまっていません。
 水島さんの討論とシンポジウムについては近々改めてブログに書きます。
 また、「どんなもんだろう?」と思って始めてみた「ツイッター」に思わずハマッてしまい、ブログの間隔が開いてしまいました。中毒性があり、その場の感情満足が出来てしまうメディアで楽で楽しいものですが、自分自身を深く堀りさげることには向かないメディアです。もう少し自分の中で溜めたものを出すのに適合的なブログメディアをきちんと考えなければならない、と思い直しています。反省。
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by ripit-5 | 2009-11-17 20:56 | 新政権

鳩山内閣総理大臣所信表明演説-平成21年10月26日

全くもって、今更ながら。

僕にとっては夢や理想がおいしい御菓子さ。
霞だっていう人もいるけれど。まぁ、半分は当たっているんだろう。
でも、もう半分くらいのところで味が感じられるかどうかということなのさ。

第173回国会における鳩山内閣総理大臣所信表明演説

同テキスト版

※少々古くて恐縮ですが。演説に対するコメント。
『美辞麗句を並べただけ』 鳩山邦夫元総務相
『やや冗長で感傷的な演説』 谷垣自民党総裁
『具体論なし。聞くに堪えない』 町村信孝元官房長官
『人間のコンパスは心です』 アタクシ(ウエルかめより拝借)

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by ripit-5 | 2009-11-04 22:55 | 新政権