カテゴリ:映画( 24 )

ペルセポリス

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映画「ペルセポリス」を観た。あらすじを記載するのは面倒ですのでこちらで確認をどうか。
ペルセポリス @ 映画生活

感想タイトルの中に「自分探し?」とか「戦争のある国のちびまる子ちゃん」というタイトルがあるけども、それはとても納得がいく。

確かに、イランという国のインテリ階級の娘にして、自分が住む都市も危険に晒され、イスラム原理主義の中に身を置かせるのを不憫に思う両親がフランス語に不自由しない娘をヨーロッパに留学させようとした気持ちが良く分かる。
だけど、幼少期を近代化独裁王政の中で過ごした娘にとって欧州の個人主義的な生活様式にも馴染めないし、少女から娘になる中で傷つき帰国した祖国にも自分が心地良く思う世界は無い。その意味では自分探しの映画とはいえる。

ただ、流行語ではなく、祖国が革命や戦争の中という欧州人(そして勿論観客の僕ら日本人)にはけして分からない、空疎な理想の言葉だけでは済まぬ状況を見て生きた体験を持つイスラム圏の娘が抱える深いジレンマであるからこそ、言葉本来の意味で「自分探し」といえるだろうな、と思う。だから、アニメ映画であることで明らかに救われています。

わからない世界の体験があったとしても、彼女の生活と悩み(恋愛や失恋、青春の楽しみ、素朴な束縛からの自由への渇望)は全く僕らと同じもの。アニメのデフォルメがその感情移入への容易さを助けてくれる。例えば、恋した男の浮気の発見後、その男との日々を思い出すときの相手の余りのブオトコな変質ぶり。こういう主観的な世界はアニメにしか出来ない。本人の辛い体験も可笑しさとなって伝わってくる。

祖国に帰ってもやはり祖国の自由を許さぬ空気にやはり馴染めず、結婚相手とも上手く行かず再び彼女は欧州=フランスへと向かう。欧州で自由と知的な空気を存分に味わってもらいたいと思っていた母は、「ここは貴方の住む国ではない」と言い切って「今度はもう戻ってこないように」と愛一杯に言い渡す。だけど、その母は別離の後、悲しみのあまり倒れてしまうのだ。

自分の心のままに生きていたいと思う戦場と思想統制の国に生きたちょっとプータレたちびまる子ちゃん風の普通の女性。彼女の記憶の想起という形で映画はモノクロ画面のアニメで続くけど、カラーはおそらくフランスでの空港での彼女の物思いの時。物思いにふける時に火をつけるタバコ、それを深々と吸う仕草が何だか懐かしい。それを明らかに周りの人間に煙たがられ、ムッとする。何かその反応が「バカヤロー!てめえらの国は昔はみんなこんな風にしてたじゃねえか」って感じに見えたりして(笑)。ゴダールの「勝手にしやがれ」でのJPベルモンドなんか部屋の中でタバコを吸っちゃそのまんまぽいぽい捨ててたもんね。

映画の冒頭で、巻いていなかったベールを巻いて空港の係員に「マダム、パスポートと搭乗券はございませんか?」と言われても何のアクションも起こさず(おそらく持っていない)、その場を離れる。そこから回想シーンが始まるわけだけど。
ラストの空港からタクシーに乗って運転手にどちらから?と訪ねられ「イランから」と答える場面で一応話は終わる。
話は最初から同じシチュエーションでつながっている?
その後の本当のラストは彼女のヒーローもとい、ヒロインであるお婆ちゃんのことば。

毅然として筋を曲げないおばあちゃん。
主人公の不機嫌顔が直っていないところを見ると、この後も自分探しの旅が長く続くことを予感させるけれど、映画全体を通じておばあさんの格言である「公明正大でいなさい」という言葉が響いている。

ペルセポリスで生まれた少女よ、公明正大に生きよ。
選ばれしものに与えられた言葉。-ちょっと違うか!
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by ripit-5 | 2008-02-07 21:58 | 映画

ONCE - ダブリンの街角で

観ている最中も観終わった後も、ほんわかと暖かな余韻が残る本当に良い映画でした。

父の家業である掃除機修理の仕事を手伝いつつ、バスキング(路上演奏ー今ではどの都会にもいますね)。で小金稼ぎをやっている元ミュージシャン(?)の男と、その演奏に魅力を感じて主人公に強い興味を持ったチェコからの移民の女性。実は彼女はピアノの才能がある。この二人の音楽を通した友好から愛情へ?といった筋。大きなストーリーは特に無い。それだけに音楽の持つ力、人と人を結ぶ力、音楽に向かう真摯な姿勢がストレートに伝わってきました。

映像もドキュメンタリー・タッチでカメラも結構ぶれたり、きちんと固定されていないアングルだったりもして、そこがリアリティを醸し出していて良いです。
主人公の歌唱が熱くていいですね。そして素朴な人間関係。ほんの少し挿入される夜の人々の集まりで自然に中年女性の口から歌われ出すアイルランド民謡。演奏が続くうち、いつのまにか主人公もトラデッショナル曲のギター伴奏をしています。やはりアイルランドって音楽のくになんだな、と思ってしまいます。

主人公の住まいが質素ながらも割とこざっぱりとしているのに比べ、主人公が好きになっていくチェコ女性の住まいがやはり「移民の暮らす場所」というべき団地のようなもので、テレビを観に隣の部屋の男性たちが勝手に入ってくる辺りなど、結構生活が対照的。母も英語は喋ることがほとんど出来ない。そう、考えてみれば、主人公に声をかけた女性も付き合いを始めるまでは街角で花を売ったりして生活をしていたのだ。う~む。そう書くとマッチ売りの少女かの如き世界に思えるが、彼女には卑屈な様子は無い。主人公が掃除機修理で生活していると聴くと、昼間の街中に掃除機をむき出しにして修理を頼み、その場で直してもらおうとしたりする。工具がある彼の家までそのまま行く時も、途中のファストフード店で食事をする時も、ピアノを弾かせてくれる楽器屋に行く時も掃除機のホースを持ったまま掃除機を引いていくのだ。それが全然意に介してない様子がまたいい。後で主人公の曲のレコーディングの費用交渉の際、彼女は凄いネゴシエーション能力を発揮したりもする。

結末は観た自分としては少々意外な展開だったけれど、よく考えれば音楽で身を立てるという夢を果たすため、生きる力を取り戻した男と、彼や彼女を取り巻く現実とを、つまり夢と現実とをバランスよく見せるこのドキュメンタリー風味のファンタジーにはまっとうなラストかもしれない。
映画の主人公(ザ・フレイムスのメンバー)とチェコの女性を演じた二人のインタビューが実に良いので解説としてはこれが一番かと。

ポップミュージックが細切れでCMレベルで流れているという悲しい現実もあるけれど、同時にこのような音楽そのものの良さ(と、それを作り歌う人の誠実さ)が映画になってほんわか人の気持ちを暖かくする、という意味では、今ではポップミュージックが果たす役割はとても大きくなっているのだな、と思います。主人公の家も、あんなにリハでガンガン皆で演奏しても全然お父さん、非難がましいこと言わないんだよね。むしろ協力的。
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しかし何というか、北海道に住む人間として何故かアイルランドのこの雰囲気は親和性を感じる。勿論それは英米ロック/ポップのファンとしては彼らの心の故郷として重要な位置を占めるのがアイルランドだという予備知識のせいもあり、ヴァン・モリソンが言うが如く、ロックンロールのふるさとは「ブラックミュージックとヒルビリー」であるだろうからして。というのもあるけれど。
そういう個人的な嗜好の問題もあるけれど、何となく人や街の雰囲気があえていえば、イングランドよりもアイルランドの方が馴染めそうな。。。
人間も素朴な感じがする。もちろん、アイルランドの人はより直裁で情熱的だと思うけれど。北海道人は基本、寡黙ですから。その代わり素朴で余り計算高くない。そこら辺似てない?とか勝手に思い込んだりして。

あとは移民がイングランドではなく、アイルランドに流入していることも時代の変化があるんだな、と思いました。僕がアイルランドというと思い浮かべるのはIRAのテロとか、まあ英国との長い確執と闘争史のようなもの。それが今ではヨーロッパでも経済的な優等生になり、欧州人にとっても住みたい国のトップランクにあるというのはどういう秘訣があったのでしょうか。
このところ2代続けて国のトップが女性であるということも含めて、興味深いことです。

おそらく観光したい場所としてアイルランドは急浮上しているのでしょうし、そして多くの人にとってかの地の音楽がやはり魅力だと思います。その点、北海道は音楽の地ではない。(伝統としてない、という意味で)。何だろうね?やはり食を魅力として売るべきなのだろうか。自然以外には。後は水だね。これだけは自慢できる。
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by ripit-5 | 2008-01-29 21:35 | 映画

また映画に興味が出てきた

続きを少々述べれば、例えばエジプトのファラオ、中国の大墳墓、日本の古墳等々、時の大権力者の墳墓などは異様にでかい。そのでかさにその権力者の欲望と恐怖が如実に感じる。それと今の市場主義の欲望は結局似ている気がする。本質的に人間の持つ欲望か。私は資本主義は基本的に人間性悪説があるような気がして仕方がない。人間は欲望の動物であるという肯定主義。初期の資本主義を理論化した人はそういう風にしたくはなかったかもしれないが。アダム・スミスだってさすがにこの状態はびっくりじゃないですか?そんなことない?

ニヒリズムとペシミズムに覆われた社会経済は何とか変えていこうよ。みんなそう思っているはずだよ。一番数多い普通の人々は。

話転換。また映画を劇場で見たくなってきた(おっと、欲望w)。というのは映画の予告編でさあ、やっぱり映画って面白いかも、というか、最近また興味深い映画が出てきたかも、と思ったもんで。一つは「once-ダブリンの街角で」。これはもうすでに評判が聞こえている。アイルランドが舞台の音楽を媒介とした人と人とをつなげるポジティヴな映画(と思いますが)。もう一つは長編アニメ映画「ペルセポリス」。こちらはフランス作品のようですが、もとはイラン生まれの作者による作品のようで、イランの知識階級の娘で確か王室反対運動の家庭として生まれ、その後意外なイスラム原理主義革命に展開(所謂ホメイニ革命ですな)、困惑する家族、そして欧米に留学、欧米ではまた偏見に出会って。。。でも私は負けないぞ、と単純に図式化するとそんな映画らしい?
とにかく、アニメの絵柄とモノクロの取り方、アニメのユーモアの雰囲気が興味をそそられた。

問題は来月の中旬まで約4500円の可処分所得でどう二本見るか、だ。土曜の朝の1本目に出かけて割引で何とか見るしかないか。
他にも興味があるのはあるけど。
しょうがない、腹八分目で当面は行こう。
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by ripit-5 | 2008-01-22 20:58 | 映画

炎を燃やしてくれてありがとう、ジョー。

ジョーストラマーのドキュメント映画『ライフ・オブ・ジョーストラマー』を観てきた。
いやぁ~、感動した。ラストあたり、ジョーにとって最後のステージになっただろう、消防士のストライキのためのチャリティステージでミック・ジョーンズとのクラッシュ後、最初にして最後の同じ舞台で、そしてニナ・シモンの唄で、そしてジョーの人生哲学を語るくだりで、思わずこころの中で泣いていた。

確かにボノが振り返るように、英国の76,77年は圧倒的な変化があった。日本ももちろんそうだったけど、ロックは長髪のスーパースターとギター・ヒーローの時代だった。それが革命的に音楽にとって詩が重要になり、ある種の倫理観が前面に出た。パンクロックの席巻。
面白いのは当時ピストルズから始まったこのファッションも含めた音楽的価値転換の革命に、ジョー・ストラマーは「意図的に」そのムーヴメントに乗った、ということ。少し世代が上のジョーは、乗り遅れたヒッピーだったし、長髪族のフーテン、住居不法占拠族、そして似たような仲間との割とレイジーなコミュニティの一員だったわけだが。クラッシュを始めた時、意図的に過去の仲間達を見捨てた。現代風に言えば、全てリセットして新たな人間としてスタートしたということ。だが、そこには彼のその後の理想主義と現実問題との折り合いがつかなくなったときに現れてしまう一種の非情さのパターンの予感を匂わせる。

だから後年、クラッシュ以後の低迷期を経て、新たに表舞台へと復帰するにかけて、元のジョン・メラー、あるいはウッディと人に呼ばせていた頃の自分に、ヒッピー思想もパンク思想も共に飲み込んで折り合いがつき、吹っ切れた感じで戻ってきたようになったのが泣かせる。本当にそこに戻れて良かったよなぁ、ジョー。

今回のジュリアンテンプルの映像は彼の得意のいろいろなコラージュ(当時のテレビ映像、古いフィルム、アニメ等々)が実に滑らかにそしてドキュメントとしては新しい雰囲気で流れて行く。ロックスタードキュメントとしての新境地だ。やったな、ジュリアン・テンプル!この人の映画に目立ちがちだった、けれんみも薄れている。テンプルの最高作だ。

ほぼ、ナレーションがジョーの声なのもいい。映画で言えば、「イマジン」のジョンレノンの声の手法だけど。これだけ多くの、ジョー・ストラマー自身の自分語りの肉声が残っているとは思わなかった。そう、それにクラッシュ時代を含めて、こんなにも見たことがない彼の映像があるというのにもびっくりだった。

文句なしのこの映画の中、あえて贅沢を付け加えさせてもらえれば、どう考えても「自由」がヒッピー的なもの、基本的に自分中心的だったように思われるジョーのスタンスが、クラッシュ加入後、『サンディニスタ!』にまで至って本来の人間としての自由、つまり権力の抑圧からの解放に至る普遍的説得力を持つ自由の訴えへと変わる、世界規模の問題を物語れる詩人としての知識をいつ頃に蓄え得たのか。そこが映画ではまだ分からないところである。あれだけ突っ走り、あれだけ新作に沢山の曲を詰め込んでクオリティが落ちなかった多忙な「クラッシュ」というグループ時代に、どうしてあれだけ倫理主義者とさえ思われる知的蓄積がジョーの中に出来あがったのか。学校では完全な落ちこぼれだった人なのに。

まあ、そのことはまたおいおい考えよう。彼のこの映画はロックファンだけの映画である必要はない。もちろん、ロック・イコンとして、象徴としてこれだけヒロイックな存在も少ないけれども、要はジョーに象徴される感性なのだ。それが僕らの少年性を震わせる。過多に感情的で、ロマンテックで、センチメンタルで。そして、間違いを犯しては落ち込んで。いわば「負のヒーロー」なのだけど、その純粋さが美しい。(いや、もっと純粋なのは実はミック・ジョーンズなのかもしれない。ストラマーはきっと純粋さの世界を無意識に演じきる才能が際立っていたのかも・・・純粋さの世界に没入できて、同時に現実にも戻ることが出来る才能と言うべきか)。

結局何が感動的なのか。おそらく、それは自分も含め、多くの子どもたちにとって思い描いていた夢や憧れの世界への探求者がこの映画で描かれているからではないだろうか。泥臭く躓きながらも。究極的にはへこたれることなく。

映画ラストの彼のメッセージをここに載せよう。

人は望むなら何でも変えることが出来るんだ。世界中の全てのものをだよ。
人は走り回り、自分だけの小さなトラックにはまってしまっている。
僕もその一人なんだ。
だけど、そんなネズミのトラックだけを走るのはやめないといけない。

人は何でも出来る。僕もやっとそのことが分かってきたんだ。
お互いに悪いことをしているのは、人間関係が乏しいからなんだ。
そろそろ人間性をリングの真ん中に置く時だよ。そしてそれをしばらく見守っていこう。
欲望には何のいいところもないんだ。タイムズスクエアの大きな看板にそう書くべきなんだ。
人がいなければ自分は何の価値もないんだ。
それが僕の考えだよ。


映画のエンディングで書かれるのは実タイトルである「ザ・フューチャー・イズ・アンリトゥン」。
未来は書かれていない。ピストルズのイメージが「ノー・フューチャー」なら(実際、ジュリアン・テンプルが撮ったピストルズ映画のタイトルだ)、如何にもこちらがクラッシュや、ジョー・ストラマーらしい。
そうだ、上記のメッセージはまだ書かれていない。空白なのだ。
でも、みんなそう書きたいと願っているんだ。彼のメッセージのように。例えストラマーとは全く違うキャラクターであっても。(ほとんどの人間はストラマーのように激しくは生きられない)。

不幸なパラノイアにはまりかかる日々、そしてこの不幸な暴力が未だに襲いかかる世界で。
一瞬蘇るかのような勇気や感動を。おそらく音楽が好きなら、勿論ロック好きなら。この映画から手に入れられるに違いないと思う。

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by ripit-5 | 2007-12-28 00:21 | 映画

ビューティフル・デイズ

家人が入院してしまった関係で階下でNHK-BSで映画を見ることが出来るようになってしまった。功罪ある中での副産物かな。

インドネシアの映画をやっていた。
いわゆる青春恋愛映画で、まぁ女の子が見て喜びそうな内容ではあるが、青春期の純粋な思いが真っ直ぐで、おじさんが見てもなかなか楽しめました。うん、この真っ直ぐさがいい。

インドネシアといっても、若者のポップカルチャーはインターナショナルなものになっているなぁと実感。
洗練度はまだの部分もあるけれど、それだけ逆にスレてない。そこもいい。
http://www.movienet.co.jp/movie/opus01/beautifuldays/

詩を持って、愛を伝えるなんて70年代みたいでいいじゃないですか(笑)。好きだな。

明日はイスラエルの映画で、キブツが舞台のようだ。
今のイスラエルというと、国際政治の難しい舞台に立たされた国として脚光浴びることが多いけれど、古くは集団農場であるキブツという実験が脚光を浴びた時代もあった。そこは政治的なものと違う興味をそそる。また明日も映画を見ちゃうな。
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by ripit-5 | 2007-10-22 15:31 | 映画

大統領暗殺、とか。その他。

正直言って、混乱していた週の半ば過ぎから週の終わりだった。
行政書士の過去問題をやっているが、実際上十数年前とは格段に違う。やはり二つの資格を同時に再勉してやるというのは現実的ではなかったと認めざるを得ない。試験のレベルの格段な高さも。中には「記憶にない」のレベルではなく、「こんなことは初めて聞いた」という法令の問題もある。一般常識の設題、特に現代の政策システム上の問題は、脈絡が余りになくて、首を捻るけど、それをもって屁理屈を言うことも出来ない。そもそも、法令問題が分からないのだから。行政書士に関しては現状では完敗を認めざるを得ないだろう。

実は、個人的に家庭内のことがあって心理的に不安定で勉強も手がつかなかった。17日の日に父の白内障手術に付き添う母の顔面の表情がおかしく、その後、入院先の眼科の先生から脳外科か耳鼻科に行って欲しいとの話。正直、その表情からいわゆる脳をやられて「あたった」のかと。
その後、顔面神経麻痺との診断がおりたと。脳の方は全く異常なし、ということで安心したのだが、昨日病院で入院が必要であるとの話。顔面神経麻痺は現状、原因不明とか。

僕は気持ちが落ち着かなくなると、逆にシリアスなものを求める不思議な傾向がある。ぜんぜん見る予定を組んでいなかった「大統領暗殺」を見に行く。ブッシュ大統領が暗殺されたというシチュエイションで映画は余りにも本当らしいドキュメンタリーで構成されていく。余りの緻密さゆえ、人によってはよりまして悪意、あるいは悪趣味を感じて不愉快になるかもしれない。おそらく客の半分以上はそう感じたのではないか。僕も心中複雑な思いで劇場を後にしたのは否めない。それは前も書いたとおり、フセインが処刑なら、ブッシュも死刑に値するという心中の僕の本音と、どこまでも「それ」を架空のドキュメントとしてシリアスに構成するというものを見ることで、自分自身のココロを投影されてしまうからかもしれないし、ブッシュ=チェイニーラインは良いとしても(どちらにしてもこの作品の監督は彼らのブラックリストに載るのだろう)、例えばシリアのアサド大統領の心中はどうか、あるいはイスラム圏の人々の心中は?というのもある。
アメリカンエスタブリッシュ対スポイルされたイスラム圏の人々以外の真犯人、それは信じたものに裏切られた犯人(おっと、これ以上はネタバレなのでやめなければ)という構成はなかなか重い。重いという意味では、今のアメリカの病理が浮き出しになるという重たさでもある。

それと、イスラムヴァーサスアメリカ中心社会というメディアイメージの固定化を見越した上での製作の意図というのが、僕らが無意識のうちにメディア至上主義に陥っていることを暗黙のうちに覚醒させる。

作品はイギリスの作品だが。これも中間選挙以後のブッシュレイムダックがなければありえない公開だ。しかもこれがシネコンで上映されているのだから。客は少なかったけど。それに、もちろん前宣伝も少ない。まあ、状況としてはこの程度がいいのだろう。

一番見てて心中穏やかでない気がしたのは例えばアメリカで言えばPBSやCNN、英国で言えばBBCやグラナダテレビという辺りのドキュメンタリー製作者ではないだろうか?
そして鋭い製作者はこの手法の次にいかねばならない、と思ったのでは?

実はこのドキュメンタリーの手法は上記米英の公共性が強いドキュメンタリー番組作りのスタンダードとなった手法に実に忠実に作られているのだ。
僕が見る限り、このドキュメンタリー手法はけして古いものではない。90年代以降になってから一般化した手法だと思う。そして今ではロック界でもミュージシャンのドキュメンタリーで同じ手法が使われている。

ドキュメンタリーも時間の制約がある以上、世の中の真実を伝えるにも編集の作業があるということを伝えるという二次的な側面もこの映画は明らかに主張している。
その意味では「メディア・リテラシー」を考える映画にもなっていて、この映画のポジティヴな意味は一番にはそこにある、といっていいと思う。
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by ripit-5 | 2007-10-20 15:29 | 映画

スクール・オブ・ラディカル

蒸し暑いやら、にわか雨が降るやら。
最近、天気の話題でどうも。
社会人の挨拶です(笑)。

午後の仕事が休みの本日、昼飯を食べてまずは昼寝。私は昼寝をする時はたっぷり2時間!寝てしまうのだが、扇風機でセットしたタイマーが2時間丁度で切れた時点で余りの蒸し暑さに目が覚めた。その後、4時前後に雷とともににわか雨。

こう暑いとやはり勉強も進まず。
夜、ストイック疲れが出て、近場のゲオでDVDレンタル。「スクール・オブ・ロック」。最高!爆笑して、正しい。ジャック・ブラック、最高。
学校とロック、まるで水と油のようだが、なるほどこれだけ説得力がロックにはあるのだな。
いやいや、本当に良く出来ている。
バックでかかるサントラも実にクールな選曲だ。

映画でギタリスト役の子どもが作曲したという設定での曲、子ども自身が歌うとまるでジャナサン・リッチマンの世界。

名作です。
久しぶりに心底気持ちよい。

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by ripit-5 | 2007-08-07 17:00 | 映画

ヘレン・ミレン

例によって帰宅後の食卓にかかっているテレビの話だけど。珍しく2時間ドラマではなく、外国のサスペンス物をやっている。
女性警視モノのようだけど、流石に向こうのモノはシリアスだねぇ、それにしても、アメリカモノにしてはやけに淡々と見せるねぇ、というかね。リアルな感じがして、アメリカモノを馬鹿にしてはいけませんなぁと思ってみてたら、舞台は英国で、イギリスモノでした(笑)。ヤハリカw?

バルカン半島の内戦も伏線と絡んでいるらしい。お疲れさまな女性キャリアウーマンの主人公がおかっぱ頭でその疲れ顔が妙にリアルだしねぇと見ていたら、ムム、これってもしかして、今年のアカデミーで主演女優賞にノミネートされた映画「クイーン」の人じゃないの?と段々思えてきた。似ているかなぁ?と。「クイーン」見てないんですけどね。

で、リモコン借りて番組表をみたら、確かに主演はヘレン・ミレン。クイーンを演じた人、ですよね?

お疲れさまなシリアス表情がトム・ヨーク並み(笑)なので、そのままで存在感がありますんで、変に顔を手で覆ったり、天を見上げたりしなくてもいいと思うけどね。そのまんま東にリアルですからw。

「第一容疑者」という映画でした。
興味深いけれど、最初みていないし、内容をきちんと追うには大変なので、途中で切り上げてこちらで音楽を聴きながらのこの意味なし雑文です。


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by ripit-5 | 2007-06-27 22:15 | 映画

今年のアカデミーの主役は

司会の女性とジャック・ニコルソンです。
なんつって。
しかし、主演男優賞はアミン大統領役、主演女優賞はエリザベス女王役か。面白い。
二人とも風格があっていい。そう、風格が必要なのだよ。なんつって。

しかし、スコセッシの喜びよう。あの人欲しかったんだー、アカデミー賞。意外ー。
長編ドキュメント賞はあげてもいいよね。昨年ならディランの映画。一昨年ならブルース・プロジェクト。

スコセッシがもらうなら、キューブリックも生きているうちになぁ。。。
まぁ、イギリス拠点だしなぁ。

しかし、「クイーン」の映像の中の風格(似すぎ!)、そして受賞後の落ち着き。私はあの人に惚れました。見ようかなぁ。「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」Byセックス・ピストルズの強力な刷り込みがあるけん、ナニだが、「女王」という存在の孤独感も滲んでいる感じじゃないの。
そこら辺が演じてくれるんじゃないかと思って。俄然興味が湧いてきた。
ゴホン、ゴホン。(セキ、止まず)
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by ripit-5 | 2007-03-03 23:06 | 映画

WOWWOW映画を見つつ。。。

実は最初から見ていないのだけど。。。
「その男ゾルバ」などを見ながら、これはギリシャのコルシカ島が舞台なんだけど、やはり英米圏の主人みたいな人の視点(若い)で描かれている。
ここに登場する現地の人々に対する映画の目。対等の人間としてみていないとしか思えず。
「ゾルバ」は64年のギリシャ・英米の合作映画だが、84年の英国映画「インドへの道」もインドの人たち(大衆)の描き方がどこか対等ではない気がした。
語弊があると困るのだが、西欧圏の人たちのカルチャー・ショックの視点が相対化されきれずにそのまま、の気がするのだ。

心情として他の文化が畏怖や野蛮に見えるのはわかる。だが、それがあからさまに映像化するのはどうだろうか。
それは同時に配給がどうしても英語圏が圧倒的に強いというのもある。

逆にインドやギリシャの映画で、西洋がそのように描かれたら西洋人はどう見るかと思う。人権侵害はなはだしいと思うのではないだろうか。残念ながら?インドやギリシャの現地製作映画はあたり前にこちらで見ることは出来ない。

そういえば「ローマの休日」もローマ、とタイトルに銘打たれているけれど、ローマ市民は風景のような扱いにしかなっていなかったなぁ。。。
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by ripit-5 | 2007-02-24 13:06 | 映画