カテゴリ:映画( 24 )

おそらく僕ら人間は

わかっていないことが多すぎるのだと思う。
おそらく、百何十年か前に西洋を中心に「自分」が発見された。
自分は、世界の中心の軸となったのだろう。
そして「女性」が発見された。
「両性の平等」は恋愛の新しい形、進歩の発見であり、それが恋愛に惚ける新機軸の発見になったかもしれない。
そんな中で、「社会」が発見された。
社会には、自分や両性の平等を唱える余裕ある層には理解しがたい一つの別の他人たちだったはずだ。
人間が別の人間を発見して、同じとみなすのは難しい。きっとそうだ。
自分と同じ。共感及び友愛。
それを乗り越えると、新しい「それ」も歌い上げるようなロマンテックなドラマとなる。
そして異文化と異人種。
とても難しくなる。
「インドへの道」という映画を見ると、長い時間をかけて、結局収まりの悪さ、見解の不可解のみが残る。結局、西洋人にとってインドはわからないのでは?特に異文化の人を愛する異性にとって。そんな映画の1984年英国。舞台になったインドはもっともっと古い時代だ。では、作者は何故その時代を?
そしてそれらを乗り越えてもなお、今眼前にある分からなさは、人間を超える環境の問題。
これを前にすると、ぼくもそうだが人間として生きるそのありようそのものが不可知の場所に飛び込まざるを得ない気持ちになる。
そして、上述してきた幾層もの違いが普通の人々の、そして僕のような人間の、日ごろ意識せぬ価値判断や臆見によって積み重なってある。その上にこの経済体制の上で起こる環境問題がまたその上に積み重なる。
臆見の臆の字は臆病の臆だ。
なるほどと思う。
「インドへの道」に出てくる医者を犯罪者にしたてあげようとする勢力は怖れに由来する勢力だが、あの主人公の女性の不可解な心の動きは何に由来するのだろう?
臆病を超えてあるも、なお。
そのなお、の不可解。
私たち、否、私はこの経済体制とそれがいずれ遠からず引き起こすだろう世界環境の破壊が、異文化に接するあの老婆と若い女性のように何か新しいものに出会った際の戸惑い、世界に対する不安に似たようにあるような気がする。
ああ、上手く言えない。上手くいえないなぁ。


インドへの道 [DVD]

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by ripit-5 | 2007-02-08 11:36 | 映画

チャングム

NHKでやっていたチャングムの総集編を見た。
前から放映していたのを就寝前に映っていたのを一部見て、気になっている番組ではあった。

今回の総集編はかなりはしょっていると思うけど(それでも長時間だけど)、まさに大河ドラマというにふさわしい。
泣ける名作だった。

宮廷に関するラストの感慨も深い。
いや~。見てよかったです。
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by ripit-5 | 2007-01-07 16:02 | 映画

若者たち

ふと思い出したんだけど、少し昔、ケーブルテレビで60年代の映画「若者たち」3部作というのをやったことがあって、これがいろんな意味で面白かった。

両親がいなくて、兄弟だけが5人、とにかく貧乏暮らしなんだけど。上2人が典型的な肉体労働者、3番目が学生運動なんかしちゃうある意味鼻持ちならないインテリ、そして社会性にだんだん目覚めちゃう兄弟のうちただ一人の女性、そして予備校生の末っ子と。

とにかく家の中、絶え間の無い口げんかから取っ組み合いになるんだけど、上ふたりの生活実感主義と、大学生の社会機構議論(かなり観念的)、そして末っ子の「ちゃっかりやらせてもらいまっせ」価値観と。とにかく、5人のうち誰かと誰かが議論になるとそこに折り合いがつくかと思えば、別の誰かがまたクチを挟む。
AとBの議論がお互いの底まで食い込んでいくと、BにCが絡む。BとCの議論にDが絡む。。。最後はちゃぶ台がひっくり返り、取っ組み合いのけんか。

「ちゃぶ台ひっくり返し」。これは星一徹じゃない。一徹のイメージがあるけど、本当はこちらだろう、本家は。そして、「寺内貫太郎一家」は明らかにこれからパクっているはずだ。

「自分が大事か対社会が大事か」でツッコミを入れまくる大学生が山本圭。頭がいいけれど。。。教科書的。そして長男が田中邦衛。これがぜんぜん後の邦衛さんのイメージと変わりが無くて。悪いけどまずこれが最初に笑える。家長気取りの自己満足的家族仕切り屋なんだけど、それは本当は家族を思ってのこと。いかんせん12歳から働いているせいか、独善的に見られて兄弟たちからは著しく評判がよろしくない。でも人はいい。(泥だらけの演技をやるのが何と言ってもこの人ですw)
次男の橋本爪も何だか笑える。「ぬりかべ」みたいな身体。粗野な怒鳴り声。ある意味、今の時代一番化石的(笑)。しかしこれはこれで。。。みたいな。

三作シリーズの最後の方では、喧嘩になりそうなムードになると、飯類をかき集めてテーブルがひっくり返る臨戦体勢備えてる(笑)。意図なのか、いやそうじゃないだろうな。食い物がとにかく大事だという意識が映画には中心にあるから。これはまるまる寺内貫太郎で演じるキキキリンさんの演技に繋がってるw。

実際、ここまで相手にずけずけと入り込むぐらい「生活」が深刻で、なおかつ、「大変革を起こす」ことを信じ込んでいる。そんな作品だ。
徹底的に真面目なのだけど、それだけに変に細部が可笑しい。

経済成長と共に、外部不経済として公害問題が発生した。現代は経済成長のために、人間が外部不経済にされている。
公害は不特定多数の人のからだに被害を及ぼした。現代は多くの人に経済的・心理的被害を与えつつあるといえるだろう。

光が強調されれば、影を意識せざるを得ない。不均衡や不自然があれば。

社会中心主義の理想は死んだが、対抗軸がやはり政治にもなければやばいのではないだろうか。

突然だが、アメリカのピュアプロテスタント主義は、社会主義の自滅と共に、次は近い異教徒としてイスラム経を標的にしてしまったのだろうか。

永遠に対立構造は終わらないどころか、作られ続けるのか?
そんなことを書く、
とりとめのない今日だ。否、今日も、だ。w

PS.
監督が「フジテレビ」の人とは驚いた。何せ「楽しくなければテレビじゃない」の局、オニャンコやひょうきん族、バブル時代のトレンディドラマの局のイメージがあっただけに。
でも、オレ、そういうの全部、見まくってきたんだよなァ・・・。(オニャンコは見なかったか、あんまり)



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by ripit-5 | 2006-04-13 20:56 | 映画

ローマの休日

オードリ・ヘプバーンは気高い(笑)。
んで、この映画のグレゴリー・ペックはラストが嫌いだ。今回観ても、やはり好きになれんかった。
大体、ああいう別れ方をして、それでも取材陣の中にいることが無神経に思えて仕方ない。
特にあのカメラマン野郎の無神経さはなんだ!(怒)
そういう友人と付き合ってるような奴なんだから、王女さま、もう少し男を見る眼を養ったほうがいいですぜw。

ローマの休日は本当に僕には神々しいような映画なんだけど、今回見て脚本とか監督とかではなく、やはりカメラとオードリーに尽きるのでは?と思った。

ラストでの再会はいいだろうとしても、あのアメリカ人カメラマンの馬鹿っぷりは興ざめだ。あれがユーモアとか思ってるんだろう?
(それでも僕には今の土管図鑑のハリウッド映画よりもずっと良きアメリカ映画ですけど)。
ローマの人も描かれてないよ。結局観光地として使われているだけだったんだな。。。
にしも、ラストの決然とした表情を見せてもらえるだけでも、馬鹿な男たちの再登場の意味はあるかな。

グレゴリー・ペックは「アラバマ物語」で見直したけれども。
あと、「尼僧物語」って映画の主人公もオードリーなんだなー。若老け役にびっくり。
尼僧ってのも、大変だよなぁ。こういった神におつかえする世界は本当に分からんです。

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by ripit-5 | 2005-12-25 14:00 | 映画