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遅ればせ謹賀新年

 明けましておめでとうございます。
 新年早々風邪を引いてしまい、体調的には本日やっと完全復調という感じです。
 元旦の深夜、何故か暑く感じて布団を剥いで寝たために、喉が痛いと云う自覚症状が出た後はいつもの風邪のパターンどおり。二日の日は微熱で身体がだるく、クスリを飲んでじっとしてたり寝てたりし、3日の日も同じようにしている内に本格的に熱が出て来て8度台まで上がり、その後下がらずに8度台の上まで上がってきたときは「しまった、もしかしたらインフルエンザに罹ったか?」と思いましたが。幸い4日の朝までには熱が下がり、今はラストの鼻水パターン。(すみません、汚らしい話で)。すなわち、治癒の方向です。

 せっかく三が日の日和が良かったんで神宮参拝に行こうと思っていたのですが、行かずじまいでした。今日は結構冷え込みましたし、明日も雪模様なのでタイミングが合わず少々残念です。また、今日辺り昨年の講演とシンポの続きを書こうかと思いましたが、準備が出来ませんでした。出来ればそちらは週末辺りを目途に。

 結局寝てばかりいた正月でしたが、NHKスペシャルの「日本と朝鮮半島の2000年」シリーズの再放送の一挙大放映。これは非常に新鮮な正月らしい番組でした。僕が最近もっとも関心がある内容とかかわりがあるんじゃないか?と思うシリーズ第1回と第2回は2日から放送開始と思い違いして、時間遅れの録画を始めた結果見逃してしまいましたが、結果的には飛鳥王朝が出来る前後、蘇我と蝦夷の対立のあたりから豊臣秀吉の朝鮮出兵、そしてその後の江戸時代における朝鮮通信使の話あたりまでは自分が歴史で認識していたレベルをより深く掘り下げてくれる内容で、興味深く思うところが多かった、意義深いものでした。

 まず改めて再認識したのは日本の政体の変動もまだ西欧社会と太平洋の向こう、北米大陸が本格的に視野に入ってこない世界、すなわち中国大陸、朝鮮半島、日本列島(おそらく北海道は含まれない)の時代においても外国の政体の変動や動揺とかなりかかわりがあるということでした。

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 日本に仏教が伝来することにおける権力闘争も、国家鎮護の仏教となる過程も、律令制の導入も、大和朝廷以後の天皇家の権力闘争も、そして元寇も、逆に日本人を主とする海賊的な一団「和寇」も、そして朝鮮半島三国時代以来の侵略的行動である秀吉の朝鮮出兵も。
 それら力を持つ政治権力の外部へと向かう運動が朝鮮半島を境にし、時に関係を密接にし、時に関係を悪化させる。
 そして中国、朝鮮、日本。それらを総覧して見た場合、明らかに朝鮮半島が長いこの2千年の歴史の中でどう考えても一番ワリを食っているように見えるなあという現実でした。

 それにしても、秀吉の朝鮮出兵。特に慶長の役では兵隊でない普通の人々の鼻をもいだり、耳をそいだりなどの残虐行為が行われたということ。これは全然知らなかった事実で、非常に驚きました。女性や子どもも殺したり多数の拉致者を出しているとのこと。その後の朝鮮通信使も最初は秀吉死後、再度朝鮮出兵の意図があるかないかを確かめるためであり、かつ多数の拉致者を母国へ帰すための目的があった事実を考えると朝鮮半島が置かれている現在の南北分断の現実も伴って、いささか日本人としては身の置き所の無いような感じがしないではない。また正直、自分の無知な有様も恥ずかしい。日本はその後、明治以後の朝鮮併合の歴史もあるわけですし。
 ある国の人間が見知らぬ国に攻め入ったときは知らない世界の人々には平気で残酷になれる。そんなことが日本人にもあったのかなぁと思うと何だか憂鬱になってしまいます。

 どうしても「国史」観で行くと朝鮮史や中国史、特に朝鮮の辿っていた歴史的事情に疎くなる。まして日本政治史的観点から見るとどうしてもその傾向は強くなるし、また世界をパワー・バランス的に見る見方が強くなると強国の歴史の動きに注目しやすく、そこで翻弄される国の政体の変遷、またその変遷の結果歴史に名が残らない普通の人々の哀歓や喜び、怒りの感情に鈍くなるような気がします。

 その意味で自分なりに相対的にこの東アジアを見る観点を養う良い機会になったように思います。やや安直な表現かもしれませんが・・・。もう一つ言えば、レポーターが主に日本・朝鮮双方に愛情を持つ日本人であったり朝鮮の人であったりしたのがよいバランス感覚でした。そのレポーターたちも女性が主だったのがまた良かった。

 繰り返しになるけれど、僕らが日本史を習うときは時系列的にある時代ある時代にどういう人物が現れどう国を統治したか、あるいはどういう知識人が現れたかみたいな、いわば「点」のような、おおげさにいえばその時どきの時代の創造物のようなイメージを持ってしまうけれど、歴史はやはりあくまでも因果のつながり。しかも国際政治の影響を受けての全体的変容の中で、国内の変容というものが起きるものだ、それは欧米という新たな国際社会が本格的に日本に入ってくる前から常に起きていることなんだ、という理解が出来たのが一番大きな収穫だったのでした。
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by ripit-5 | 2010-01-05 20:15 | マスメディア

朝ドラ「ウェルかめ」がとても良い。

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 NHKの連続朝ドラは前から家人が見ているもので、食事時にてBSでよく見ているというか、見せられてしまっている状況なのですが、まぁ昔から少々この”連続朝ドラ”というのは主人公チヤホヤのご都合主義なんじゃないかという批判的な偏見があったんですよね。それが一度決定的に翻ったのが関西製作の「ちりとてちん」。このエキサイトブログを始めた丁度その頃に放映していました。関東、関西で半年ずつ、変わりバンコの製作ですから、もう6作前くらいになるんでしょうかね?今でも加藤虎ノ介さんが検索ヒット率が当方のブログで一番。しかも一番検索ヒットするのはすでに削除されている彼が昼のNHKトーク番組に出たときの日の映像を貼り付けた記事だと思います。もう、加藤さんには深く感謝せねばならぬのですが、同時に真面目くさった事を一生懸命時間かけて書いている(書いていしまうようになった)当ブログの本意からすると、ちょいとばかり脱臼してしまうのですが(苦笑)。まぁ仕方がありませぬ。それで訪ねてくれるだけでも大変ありがたいことですから。

 で、その「ちりとてちん」後の朝ドラは自分としてはいままでは完全全滅で、多少期待かけては「だめだ、こりゃ」の繰り返し(すみません、生意気で)。特に関東製作の前回作に至っては目を覆うばかり。もう、NHKの朝ドラ製作者たちは完全に方向性が見失ってしまったか?としばらく絶望的な気分でしたので、現在放映中の「ウェルかめ」も最初の2週くらいはほとんどまともに見ていなかったはずです。それが3週目あたりなのかな?徳島で室井滋が編集長役を務める出版社に入社するという話の流れから俄然面白くなってきて、いまかなり真剣に見ています。

 特に先週の末と、本日の内容は本当に良くできていました。その前の海亀博物館の学芸員取材の話もかなり引き込まれつつ見ていたのですが、職業的な舞台が「編集者」という文系人間としては面白い設定だけど、ドラマとしては相当強引なことをしないとなかなか難しい設定を(おそらく)ちゃんと地味な編集者という仕事に関して地道に捉えているところがあるようで、好感が持てます。ドラマとしての骨格がしっかりしており、あまり無理筋なお祭り状態もなく、仕事の内容を伝えるところから自分に引き当てて考えさせられるところも多々あり。とまあ、そんな作りがとても良いです。

 先週末は仕事に慣れてきた主人公が自分の立てた企画で取材し、紙面化した少女の育ての親である祖父が孫を馬鹿にした記事だとクレームにやってくる話でしたが、クレーム者の怒りにヨリ火をつけてしまう軽率なひと言がどんなものであるか分かりましたし、それ以上に本日の番組を見て、そのひと言の「意味」の重さがやっと分かる、という内容でした。
 主人公が本日、記事にした少女とその祖父のやりとりを見て、いままでは「自分にとって満足のいく記事」で納得していて、その記事が持つ社会的な広がりまでは気づいていなかったということのようでした。

 編集長役である室井 滋が安易に人を記事にすることで被取材者が傷つく事とか、あるいはその関係者たちが傷つくかもしれないことへの想像力を「そもそも雑誌というものの媒体そのものが傲慢なもの」といった趣旨の表現をされていた。その言葉がやけに響くんですね。本当に室井滋さんという人は素晴らしい役者さんだと思う。後でNHKの公式HPを調べたら、室井さん、実際に雑誌の編集を手がけた時期もあるそうですね。役柄とは違う、とご本人は仰っていますが、どこかかしこかで、編集者の気持ちがわかるのではないでしょうか。役柄の気持ちというか。

 主人公が頑張りつつも、どこかツッコミを入れやすいボケ役であること、同じ徳島県に住んでいるとはいえ、生家が海辺の遍路宿ということで都会から離れており、主人公の家族のドラマと同時並行に進んでいく形式は「ちりとてちん」と似ています。貫地谷さんと比べると今回の主人公のほうが演技としては自然かな?顔での表情による感情表現等々、役者としての才能が高いような気がします。

 だけどあれですね。表現というものは思わぬところで誰かを傷つけたりすることがあるんですね。それは少しだけでも、どこか頭の隅に置いておかないといけないですね。ごく個人的な場でブログを書いている身ながらも。
 もちろんお金を戴いて買ってもらっている雑誌、ということではあっても、取材や表現が及ぼす読み手への波及効果についてきちんと言及したドラマが現れたことは嬉しくもあり、またなかなか勇気のあることでもあったと思います。

 タウン誌などではなく、メディアが巨大になれば読者や視聴者への感性は必然的に大組織の中では敏感ではいられなくなるのではないかと想像されますが、このドラマの先週や今日の内容を見てメディア当事者の方々はいろいろ考えて欲しいですね。
 むろん、自分も考えるように心がけたいと思います。

 (何だねぇ。結局またマジメなノリになってしまったよ(苦笑))
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by ripit-5 | 2009-12-01 20:25 | マスメディア

昨日のクローズアップ現代

 昨日観たクローズアップ現代。タイトルと内容の概略は「“言語力”が危ない~衰える 話す書く力」。

 今、若者の間できちんと説明ができない、文章が書けないなど、論理的にモノを考え表現する「言語力」の低下が大きな問題になっている。その実態と解決に向けた道筋を探る。(NHKの番組紹介より)。

 というものだったが、何となく釈然としないものが残った。最初に登場したのは高校生の就職のための模擬面接訓練。面接の定番の質問にはスラスラ答えられるが、想定外の質問には何も答えられない。次に登場したのは論述の問題。「私は・・・」以降、何も書けない。そして同様に違うケースの論述問題は答えた生徒の論理に明らかに目に見える飛躍が見られる。

 これらのケースを紹介して言語力や論述の能力が、いまの若者たちは落ちているという趣旨だ。確かに後者の論述には大きな問題はある。ただ、それはたまたま「悪いケース」の問題であり、一般的に論述能力が落ちているのかどうかの客観的評価は見ているこちら側には分からない。映像をそのまま鵜呑みにする愚を犯さない限り。まして、最初の面接のケースは所謂想定外質問での対応力を試す質問で、いまも昔もフツーの高校生が面接という緊張を強いられる場面で、そうそう想定外の質問に答えられるとも思えない。ゲストの先生がいうように、「想定になかった質問ですので、戸惑ってしまいました。そうですね~」という風につなげながら質問の答えを探る「大人な」臨機応変の対応をまだ純粋な高校生が当たり前に出来るものなのかどうか。  むしろこちらは「社会性」の枠組みで語るべき話で、「言語力低下」の問題なのか?という大きな疑問が残る。

 確かにケイタイ文化は私は馴染めないもので、そこでの言葉の省略文化も私は好きにはなれない。しかし、ケイタイによる省略コトバが個々の若者たちの言語思考能力の低下につながっているのかどうかは判別がつけられないと思う。むしろ、逆の側面から言えば、省略言語が受け手にキチンと伝わっていることの方が凄いことではないか。その中の言葉使いの一部が以心伝心の共通言語になるところに、相手の言わんとすることをキャッチする「高度な意味把握能力」を若者たちは持っている、ともいえまいか?それは中年の私にはわからないし、生理的に好きにはなれないものだけれども。かといってそれそのものが、言語能力の低下の原因とは決め付けがたい。

 その後、サッカー日本代表チームでの言語でのコミュニケーションの足りなさを問題視し、それを改善する取り組みをユースチームから行っている事例が紹介された。

 結論的に私が思うのはこういうことである。いまの日本の産業はサービス産業中心になった。というか、そこにしか具体的な活路をいまのところ見出せない。だからこそ、サービスや企画力、提案能力で差異化を図る。まぁ、日本のプレゼンテーション能力の話は結局事業仕分けにおける官僚側の応答に見られるような、単なる宣伝と説得のためのようで、本当の意味でのプレゼンテーションとは何か?という共有認識があるわけではないと思うけれど。

 いずれにしても説明能力が必要だ、大切だ、ということになっており、結論から言えば若者が言語能力が落ちたというよりは、企業が求める戦力は広範な説明能力なんですよ、そんな時代に「あうんの呼吸」は通用しませんよ、という暗黙の了解を無意識に持っていて、それをケイタイ等々の言語の省略文化と結びつけて言語による論理構成が弱い若者が増えているんですよ、という構成になってしまっただけなんじゃないのか?という疑問をもったのだった。

 この日の番組の中でも特に注目してしまったのは小さいときから「説明能力」を養っている小学校(?)だった。その授業では子どもたちにまず「私はこう思う」「私は○○が好きです」等々、結論から語らせ、それに続けて「なぜなら~」という言葉を必ず繋がせて、理由を語らせるようにする。

 その取り組みは非常にいいことのように映るのだけど、私がそれを観ていて何となく居心地悪く感じたのは、それが本当に子どもたちの内面化・身体化されたところからくる言語なのか?という疑問なのであった。
 率直に言って子どもたちが「私はこう思う。何故なら~」という語りを日常にされたら不自然に思うだろうし、一般的にそうだろう。(違いますかね?)

 子どもに対し、まず自分の思いを結論として語らせ、そこから「何故なら~」と理由を話させる教育は間違いはないだろう。しかし、それはその前に、まず前提として子どもたちが「なぜ?」と問える環境が存在していなければ筋としておかしいと思う。

 子どもたちが私はこう思う、何故なら○○だからだ。といえるのは、子どものなぜ?の問いに十全に大人が応答してくれる環境が無ければなるまい。それがなければ砂上の楼閣、もしくは人工の論理だ。結局それではテレビが問題視する「言語能力の低下」に歯止めをかけることにはならないだろう。 技術的な論述はその人となりを知ることにはならない。その人の本質を知るのはたとえ拙くても、その人の「心の中の本当の思い」だ。それは極論すれば、日本人の日常的な言葉の使い方、扱い方、あるいは言葉も含んだ身体的振る舞いというものに規定されている。

 それが変わらない限り、結論ー理由の論述的学習は意味無しとはしないが、身体化された自然言語とならず、人工言語で終わるだろう。率直に言えば、子どもは「なぜ?私はこう思う、といわなくてはいけなくて(結論)なぜなら(理由)~といわなくちゃいけないの?」と質問する権利がなくてはいけない。

 観点を逆にすると、大人は子どもに何故?と「理由」を聞きたがる。 だが 大人は子どもの「なぜ?」の問いに答えられないことのほうが多すぎるのだ。 分からない質問と、分かっていても、答えられない質問と。その両方がある。この非対称性に大人が自覚的でなければならないだろう。
(子どもー大人のアナロジーは大人同士における情報の非対称性にもつなげて書いているつもりです)。
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by ripit-5 | 2009-11-26 19:45 | マスメディア

就任記者会見・雑誌記者にも開放

Excite エキサイト : 政治ニュース

 昨日の『ニュースの深層』での神保哲生と上杉隆のやりとりの続きめきますが。 鳩山新首相の就任記者会見は雑誌記者には開放するとの事。その中にフリーランスの上杉氏やビデオニュースの神保氏が入れてくれるのかはわかりませんが、昨日の番組では神保氏は「行きましょうよ。前から本人たち(鳩山氏ら)からは問題ないっていわれてたんですから」と上杉氏にけしかけていました。その場で断られたらその続報を配信するつもりでしょうね。

 元来首相の官邸記者会見に参加・質問できるのは「内閣記者会」という会に参加している会社の連中のみで、新聞社、通信社、テレビ(NHKと民放)、地方紙(北海道新聞や中日新聞、西日本新聞ら)で構成されており、それ以外のフリーランスジャーナリストや週刊誌記者、外国人ジャーナリストは結果的に排除されていました。
 昨日の番組での神保氏の説明では、元々記者クラブ制度は、戦後圧倒的に政治に弱い新聞ジャーナリズムが政治家に質問できるだけの力を身につけるためにメディアスクラムを組んで何とか対抗できるだけの力を、というところからはじまったものらしいですね。それが慣習化し、既得権化してしまった。

 本日のタイトルどおりの記事がありますので、それを転載しましょう。
  
民主党の鳩山由紀夫代表が16日の首相指名後に首相官邸で行う就任記者会見が、雑誌記者にも解放されることが、15日、決まった。記者会見の「オープン化」を理由に同党が申し入れ、内閣記者会が受け入れた。首相会見の取材は原則として、内閣記者会の加盟社と、一部外国メディアなどが対象のオブザーバー会員に限定されており、未加盟の雑誌記者が参加するのは初めて。
 首相が官邸で行う記者会見は、日本新聞協会に加盟する新聞、通信、放送各社でつくる内閣記者会が主催している。民主党は、内閣記者会に対し、16日の首相会見に雑誌記者10~15人程度、外国人特派員10人程度の出席を認めるよう打診。記者会側は特例的な措置として了承した。
 民主党はこれまでも、代表の記者会見に関し、メディアの取材制限を設けてこなかった。   (北海道新聞・第二社会面記事より)

 まさに「ご案内の通り」ってやつで、記事を読めば分かるであろうと思う。要するに内閣記者会が主催者で、彼らの側に慣例施行の特権があり、今回の一部取材の開放は民主党側、つまり鳩山氏側から申し入れがあり、それを「特例的な措置」として記者会が了承した、とある。「特例的な措置」、とはね。。。
 いかに既存のメディアが特権化していたか、ということがわかる。

 元々この「記者クラブ」問題は、田中康夫氏が長野県知事の時代に最初に衆人に認識された問題だったけれど、権力の中心に行けばいくほど、マスメディアも自分たちのサークルで差配してたというわけだ。
 神保氏の昨日の発言では、この「記者クラブのオープン/クローズ」の話題一つ、新聞に一行たりとも記事とならないのがまたややこしいことなのだ、一般の人たちはこの問題を知らないのだから、と嘆いていたが、当然のことだが、自分たち自身に都合の悪い記事を新聞社が書くわけはない。

 いまこれから、首相指名があるが、この後に行われる就任記者会見に、出来れば神保氏が参加できる状況であることを祈る。

PS.
今回の内閣で私が特に注目する顔ぶれ
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PS.2
 先ほど鳩山新首相就任記者会見を見たところ。最初は高揚感と緊張感のためか、いつも以上に過剰敬語が気になったり、言葉にどこか不自然なところがあったけれども。
 記者側の質問に入ってからは、けっこう忌憚のない質問があり、それなりにそつなく答え得たところはなかなかだな、と素朴に思いました。今後は記者のほうも、より質問自体が首相に対しても率直なものになる期待が出てきましたし、それに応える用意がある首相なんだ、とこちらにも期待が膨らみます。
 ある年代以上の人にとっては鳩山さんからイメージするのは細川連立政権の細川首相かと思いますが、細川さんが乗り越えられなかったところがこの内閣ではスタートラインなんだ、と国民が思っていることをぜひ感じて欲しいのです。大変でしょうが、頑張ってもらいたいです。(ジミー大西風に切り返されるなら、「おまえもガンバレヨ!」と云われるところだろうね・笑)。
 これからはマイナーメディアの質問にも答えてくれる首相になって欲しい。そして一年生議員たち一人ひとりに腰を低くして握手できる細やかさと謙虚さをどうか忘れないで欲しい。(結構そんなところに人としての育ちのよさを感じてしまったもので)。
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by ripit-5 | 2009-09-16 14:06 | マスメディア

ぜひ見て欲しい!パシフィカ・ラジオの60年。

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 デモクラシー・ナウ!ジャパンで先月放映された、アメリカで初の視聴者が放送視聴料を払って聞く独立系ラジオ、パシフィカ・ラジオの60周年を記念して、同じく独立系TVであるデモクラシー・ナウ!が何年か前に映画化された、パシフィカ・ラジオのドキュメンタリーを記念として再度放映してくれました。このドキュメント映画のナレーションはアリス・ウォーカー。(『カラーパープル』の作者)。 これが実に感動的なのです!
 理想と現実的な問題との間の葛藤も赤裸々に。創設者のルイス・ヒルは30代で自殺してしまっていたんだ。。。と驚いたり。とにかくこんなに印象的な、”メディアそのもの”の成立と盛衰を描いたドキュメンタリーはまず観た記憶はないし、独立系メディアであるからこそ、アメリカの現代史の歴史的現場に常にいることが出来たんだなぁという事実に驚きさえ覚えます。映画のタイトルは『KPFA On The Air』。

 いま既存のマスメディアの経済的苦境を含め、マスメディア・ジャーナリズムの過渡期~転換期にあり、媒体が多様化しつつあるなかでのジャーナリズム・メディアに関心がある人や放送メディアに興味ある人すべてにお勧めできます。(リアル・プレイヤーをインストールしてくださいね)。

「リスナーのための放送局」パシフィカ・ラジオの60年
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by ripit-5 | 2009-08-23 14:33 | マスメディア

「骨太09」の記事を巡る新聞のわからなさ。

 そのまんま東のトンデモ発言と、そういう人物をポストもちらつかせて人気者だから自民党から出馬して欲しいと願う自民党の選対。もうこのドタバタ路線ですでに組織崩壊、すでに終わったと見ていい政党のことだから今さら云々する気も失せているんだけど。それ(政治)とちょっと絡んでちょっと違う内容で、新聞メディアの思考の迷走もワケが分からないので、その新聞メディアの記事のほうでひと言書かせていただきたく。

 景気対策と社会政策のバランスから言えば、あの悪名高い社会保障費の2200億毎年削減計画が頓挫したのを受け、北海道新聞・東京政経部の土田修三氏はこう書く。
 
「骨太の方針2009」は、歳出削減路線が大幅に後退し、骨を抜かれた内容となった。「骨太06」から引き継がれてきた社会保障費の2200億円抑制方針を撤回したことで、財政再建の道筋は全く見えなくなった。

 いつの時代のどんな状況を基準にしてこのような記事を書けるのだろう?と思う。それこそ時代の空気が全く読めていないように見える。この間、社会保障費給付を削減し続けたことで、どれだけ社会的弱者層の幅が広くなったことか。それこそ、湯浅誠氏が言う「ちょうちん型」から「ひょうたん型」の社会になるのを決定付けた政策だったのだ。このままこの社会保障給付削減策を続けたら、砂時計型の社会、すなわち中間層没落社会は決定的だったろう。あの年末の派遣切りを記者としてどう認識しているのだろう?唖然としてしまう。

 もう一つわからないで首を捻る記述が同記事にある。
 
内閣府幹部は「社会保障費が『蟻の一穴になり、収拾がつかなくなる』と危機感を抱く

 まるで社会保障費の削減という政策を転換することが日本の財政規律を緩める原因なのだというが如き記述だ。むしろ僕に言わせれば、多くの人が反対の声を上げている国立のマンガ博物館のほうが財政規律の緩んだハコ物行政の典型だろうと思う。しかも時の総理の趣味の延長で。(といったら乱暴すぎるか。)
 社会保障費を槍玉にあげるよりも、公共事業の見直しを進めるほうが財政規律の問題に得があるはずだ。そして、社会保障費の方が都市住民が直接自分の身に降りかかることのはずだ。

 そのくせ、社説では
「少子高齢化で増え続ける社会保障費にどう対処するのか。(中略)その道筋が示されなければ、生活の展望が見えないからだ。(中略)医療現場の疲弊は目に余る。もはや抑制が限界にきているのは明らかだ。」

 と、社会保障費抑制策は行き詰っていることを強く匂わせている。いったい新聞社の方向性はどこにある?という矛盾の状態。これは社説で人道的なことを述べていても、経済欄で全く人道性とは別の経済界の意向が反映した記事が載っているようなことの常態化ともつながっている。社説に基づいて社会や政治経済、外交、生活の一貫性ある紙面製作などしていないのが一般新聞なのだよ、ということを改めて考えさせられた今日という日だ。

 もう一点は、おそらく上記の記事は大蔵族の意向を反映した記者の記事だということを強く感じさせられるということだ。新聞の一面では”自民党厚生労働族の猛反発”と書いてある。これは誰のことかといえば具体的には「骨太09」に社会保障費2200億の削減を削除する文言を強く求めた尾辻自民党参議院会長のことだろう。しかし、これでは尾辻さんが何だか自分の利害を絡めてモノ申したように読めてしまう。
 尾辻氏は自分の族議員としての特性から2200億削減削除を求めたわけではなく、この年末年始の窮状や、非正規社員の増大に伴う社会不安の増大に対する強い懸念の表れがあったのだと見るのが常識的だろう。もう一つは尾辻さん自身、小泉政権の厚労大臣だったので、きっといまは忸怩たる思いがあり、その信念の元の譲れない一線なのだと思う。-2200億削減を自分の党の総務会に求めたのは。

 新聞記者も含めてすでに経済成長に伴う広く行き届く企業中心のセーフティネットの終焉、ポスト一億総中流の流れの中で、税収を元にした一定の財貨をどう配分するかという「成長から配分」の時代においては、言葉のレトリックを巧みに多種多様に用いながら、手に入れられる財貨に関するそれぞれの国民間の綱引きが今後始まるということなのだろう。えげつない書き方だが、そんな時代に入ってしまったに違いない。

 今のままだと自滅で民主党は黙ったままで勝てる。だが圧勝するならこういえばいい。「私たちの党はセーフティネットをきちんと貼ることを第一義とする。その上で景気対策をする」と。
 しかし民主党はおそらくそれは絶対いえない。それでは社民党だということになり、大マスコミを含めた財界人たちを味方にすることが出来ないからだ。これが現実というものの酷薄さだろうけれど、それでも少しずつでも変化していくしかない。ただ、このまま敵の自滅で民主党が政権を握ったとして、その足腰はどれだけ強いのかという気がする。

 どうあれ変わるアメリカを作っているオバマでさえ、彼の政治が始まるまでは足腰の強さが疑問視された。(だが、やはりオバマの足腰は現在、強い。)それほどのトップリーダーがいない民主党では確かにより疑問視もされるだろう。

 でも僕らは評論家じゃない。つまらないことに騒ぐよりも湯浅誠さんのような行動と理論が両輪として持つ人、声高でない社会的な実践者の働きこそ見るべきで、政治家はそこからは遠いけれど、それに近づく、少なくともそのような社会の動きを強く意識する人が相対的に多くいる政党に票を入れるしかない。その意味では僕は尾辻自民党参議院会長だって信用する。現下の政治的な争点においては。たとえ個人的には支持していない政権与党の人であろうとも。要は人間性の問題です。この演説を聴いてください。そして「そのまんま東」の上滑りした記者会見と比較してみてください。


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by ripit-5 | 2009-06-24 22:20 | マスメディア

大河ドラマとか、その他。

 実はいま大河ドラマを毎週見るようになってしまった。我ながらええっ!て感じですね。そして、個人的な好みがなぜか主人公直江兼続の主君、上杉景勝なんでありマス。ここ2回はこの主君を中心にしてドラマが展開していて、ワタシ的には非常に刺激的?なんである(笑)。
 先週はこの寡黙な主君の内面に始めてスポットが当たって大変思い入れが強まった。今週はなじまぬ京都でニューロティックになってしまい、これも「良くわかる」と深い納得。常識外の(?)寡黙さをリキを入れて演じている北村和輝の名演技に感心しています。景勝のなんと言うのか、生真面目な不器用さがあの顔で演じられると尚更説得力がありますよ。常識外の寡黙さなんて書いてしまったけど、実は周囲に計算ずくで処さない、不器用だがその場のごまかしをしない態度がワタシにはある種の畏敬を感じてしまうのである。自分のようにその場限りのごまかしで生きているような人間にとっては。畏敬、憧憬。
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 いや、はや~。俺はやっぱ精神的にホモセクシャルなんだろうねぇ、きっと(爆)。良くない傾向だ。

 駄弁はともかく、結構今回の大河は時代の気分をすくい取っている気がします。無骨で素朴な上杉景勝のような人間が無理をして、都会の真ん中で計算ずくの人間関係の形式世界に「これも地領のためだ」と懸命にあわせようあわせようとするんだけど、資質としてそもそも無理があって悩み倒れる場面などは。
 現代のサービス産業中心社会にあっては「コミュニケーション能力が高い」ことが他の能力(体力があるとか、知識があるとか)を越えつつあることをどこか象徴している気がするし、何しろ織田信長の「ニヒリスト」としての描かれ方がこの数年前とも随分違う。数年前なら、もっとヒーロー的な扱いだったように思う。
 時代の気分の静かな変質のありようを先取りしているような。

 主人公や信長のようなキャラ。両方とも違う存在として、語らぬ(語れぬー物事は、自分を取り巻く世界はそうは安易に語れぬ)上杉景勝のような存在は、忘れられていた何かを思い出させる。まだ若く、成長の途上であるという意味でも不器用さも含めて、私は個人的に魅力を感じています。

 まぁ、これもワタシのひねくれのサガですね。


 話が思い切り飛ぶようだけど。ヒネクレついでに。今回の民主党が設置した例の西松事件の第三者委員会の委員会報告。こちらも例のビデオニュース・ドットコムから貼り付けておきます。
 この報告は思い切りマスコミの取り扱いが小さい。なぜならば、検察の今回の捜査のあり方がどうもおかしいという指摘もさることながら、記者クラブの存在のありかたを含めたリーク報道などについて、行政とマスコミのある種の癒着があってはいけないよ、と。マスコミは権力批判を忘れてはいけませんよ、と。マスコミのあり方もまともに批判しているから。もちろん、民主党批判もしているんですよ。しかし、マスメディアにとって耳が痛いことはやはり大きく取り上げたりはしないんですな。ある面では当たり前だとも言えるかもしれないし、ある面でエラソウに云わせてもらえれば、すでにジャーナリズムの理想は喪失しているんじゃないか?という疑念も浮かぶ。

 やはり、もと検事の郷原さんのことばの説得力がありすぎるというのも、あるのかねぇ。。。
 小沢秘書疑惑、何だか「大山鳴動して鼠一匹」で終わる気がするよ。行政罰しか問えなかったら、強制捜査そのものが特捜史に残る汚点ということになるのだろうナァ。

 と思ったら。あれ?報告会の映像、なくなっていました。ごめんなさい。なぜかなあ?これもまた疑問なり。
 失礼!こちらにありました。
政治資金第三者委員会が最終報告を提出 - プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局
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by ripit-5 | 2009-06-14 22:39 | マスメディア

週末充実の朝日ニュースター

 何だか宣伝臭が臭いそうなタイトルですね(苦笑)。しかし、実際CSの朝日ニュースターは週末、良質なジャーナリステックな討論番組や対論番組がありましてね。
 今朝は朝の「政治学原論」に自民党参議院議長の尾辻さん。この人は先の国会の冒頭質問で経済財政諮問会議や規制緩和委員会などの民間諮問会議の廃止を訴え、場合によっては自民党も野に下るのも恐れず、私も首相についていきます、と語った人。


経歴を見ても父を戦争で失い、経済的理由から防衛大学に入り、それから東大に転学したという。考えてみれば何の政治家になるコネクションを持たない市井人出身。何より厚生行政に通じており、国会代表質問の冒頭で自殺3万人社会の異常さを切に訴える情実の人だ。湯浅誠氏もこの人は認めているはず。ある意味では、このような人が総理になればよいと思えさえする。ただ、ご本人はシャイな感じな人だし、ボス猿争いばかりしている今の政界でトップになるのは残念ながら難しいのだろう。
 朝日の早野さんが聞き手だったが、この番組、残念ながら今月いっぱいらしい。ラストに尾辻さん。番組の良心を感じた。聞き手が早野さんだったのもいい。

 もう一つ、朝日ニュースターで気づいたときにはこの3月で終わりが決まっている加藤紘一の「もう一つの日本」。このところ、イデオロギー時代以後の政治とその社会の文化(「悪玉ナショナリステック」ではない文化)と、文化を見直した上でその国の政治に対する考察を深める形でフレキシブルにゲストを呼んでいた。前回は姜 尚中。加藤紘一と姜 尚中が深い対話をする。まさに時代の変化の可視化であり、加藤紘一の自民党における異色性(すなわち逆説的には先進性)を感じたりもしたものだ。今週は中沢新一。これまた異色な感じ。何だか、季刊誌「SIGHT」の企画のようである(笑)。
 加藤紘一もあの乱さえ起こさなければ今はおそらく首相経験者だったはず。惜しい人材が埋もれてしまった自民党だ。だが加藤紘一も明白な権力闘争を起こして敗北した以上、今は首相も、閣僚の目さえない。だがあの失敗と、その後の自宅放火事件で加藤氏をぐっと人間を大きくした。強くしたと思う。今後の政治が激しい嵐となれば、加藤紘一に目が全くないとは思えない。日本人はけしていつも馬鹿ではない。加藤紘一が与党内評論家程度でいいと思う人ばかりでもないだろう。

 夜、テレビの今を論ずるNHKの討論番組。相変わらず”過剰に中庸”な三宅アナを司会に使うのは不満がないといえないが、この「日本、どうする」は昨年の年金問題からずっと興味ある番組。

 僕は常々書いている通り、テレビに批判的なスタンスの哲学の持ち主。それは思春期の生理と感性に基づくものだろうと今振り返ると思う。

 一つは「豊田商事事件」という高齢者を巻き込んだ巨大詐欺事件があった。その際に暴力団まがいの人がメディア注視の中で豊田商事の社長を殺した事件があった。あの時、カメラマンたちは誰も日本刀を抱えた主犯とその子分を制止するどころか、殺人現場を取ろうと部屋の中にカメラを構えていた。どんな人間であれ、無法に人が殺される。それを制止する勇気がなかったことは今では責められない。だが、興味に乗じてカメラを向け続けるテレビマンたちの態度には行き場のない憤りを感じた。今でも感じる。それが思春期に初めてテレビ報道に疑問を感じた瞬間だった。

 もう一つはいわゆる芸能記者。具体的には「突撃レポーター」の登場である。家のインターフォンを鳴らし、車に乗り降りする芸能人に傍若無人にマイクを向けて質問の嵐を浴びせる。その象徴たる梨本氏。あるいはやたら「ファンにどう釈明するのか!」と自分の強引さを差し置いて居丈高に倫理を振りかざす芸能レポーター、須藤氏。(野党から選挙にも出た。)
 あのような人たちの傍若無人さと傲慢さに対する生理的な嫌悪である。あそこら辺から公共的にはとりあえず羞恥の感情が守らねばならない、という自分の倫理に傷をつけられた気がしたものだ。(もしかしたら欧米ではすでにパパラッチとして存在があったのかもしれないけど。情報が少ない時代に生きたものには覗き見趣味と、そんな自分を嫌悪する感情との矛盾を、平気で突き破る連中に思えた。)

 その彼らが「表現の自由」や「報道の自由」を振りかざすことのいやらしさである。

 自分は実際、嫌なやつで、教科書的な人間なのだ。 
 
 現在の最大の不愉快はズバリ、司祭者・みのもんたによる「みのポリテックス」である。

 今、冷静に言えばテレビっ子だった自分が有料チャンネルでないテレビに思う最大の感想は『映像情報の中央集権』になっているという感覚。そういうことになるかな。
 20代までテレビに恩がある自分にとっては残酷な感想だろうけど。今のテレビマンには申し訳ないけど、もう少し残酷なことをいえば壮大な無駄をやっている気がする。見ている側のレベルを低く見積もりすぎているのではないのかな???。一概には言えないのかもしれませんが。
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by ripit-5 | 2009-03-21 20:12 | マスメディア

加藤虎ノ介を久しぶりに発見!

 いまだ当方のブログのアクセスキーワードとして常に人気上位の加藤虎ノ介。
 アクセス稼ぎをかねて(?)"^_^"

 久しぶりに彼がドラマに出演しているのを偶然発見しました。
 NHKのハイビジョンでやってた、何故か緒方洪庵の若いときを舞台にしたドラマ。
 もう、ラストのほうでしか見ませんでしたが、世の中を変えるためという野望のために(すげーな)洪庵の師匠の医師と洪庵(若き洪庵はアキラって名前のようですが)を、秘密を知りすぎたってんでともどもに殺しちゃおうというハードボイルド?まぁ、エンタメドラマですな。残念ながら虎さん、女剣士にあっけなく?殺されちまいます(笑)。

 そもそも、このドラマ、かなり奇想天外なところもあるような感じでして、なぜ緒方洪庵で、なぜ彼がいつもハードなシチュエーションに置かれているのかも良くわかりません。
 ただ、最近のドラマを見てて思うのは、つくづく女性陣が強い。
 いつでも男性陣をリードしている。

 にしても、加藤の虎さん。「ちりとてちん」で大ブレイクしたのだから、その後も、と思ったら意外と地味な個性派悪役にちょいと。もっと場所を与えて欲しいものだ。
 まさか今もフリーターをやってるわけでもあるまいに(笑)。
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by ripit-5 | 2009-03-06 22:19 | マスメディア

天地人

 駄目だなぁ。前回の大河ドラマは少しくさすようなことを書いておいて、結構今週の「天地人」はハマッて観てしまった。旧聞に属するバブル世代には阿部寛があのような個性派の大型俳優になったことだけで凄く感動的に感じるわけでもあり。だって、昔はメンズノンノあたりの表紙を飾るフェミニンモデルだったんだから。。。
 上杉謙信って、本当にあんな「義」のために生きる、いわば求道者的な侍大将だったんだろうか?確かに武田家を破った後、織田が一番警戒したのが上杉で、その大将、謙信が亡くなったのは織田信長にとって安心材料であったと同時にライバルの死を悼むところがあったと戦国時代を描いた「歴史マンガ」で(苦笑)知るところなんだけども。
 歴史にもしも、があれば、上杉が天下を取ったらどうなったろうね?近世への移行は遅れた?それとももっと精神的に強い国民性が生まれた?徳川はどうなった?とか。。。

 だが、いずれにしても謙信に実子がなく、二人の養子、景勝と景虎で結局周りが巻き込む形で一つ、世継ぎをめぐるお家騒動になりそうな展開なんだけど。。。
 二人の養子、これがなかなかヒューマニティがあるような描かれ方で、この二人の存在も興味深いんだ。出来すぎ、特に景虎が出来すぎなのが気になるところ。
 主人公の主人、景勝が個人的に思い入れが出てきてまして(笑)。最初は長島の息子が演じてるのかと思ったけど(笑)。寡黙というには、余りにも自分の中の何かを抑えているような節が個人的には理解できるようなところと、本当には何を思い考えているのか?と思わせる。その個人的な抑制による緊張に支配されている様子の演技がなかなかうまいな、と思ってみています。少年時代の子役もうまかったな。

 集団というか、組織的に生きざるを得ない人間の生活を描く場合に望まざるもお互いが信と不信に揺れ動く。また戦国時代にどんな大義名分と旗を持って生きられるか。中心を制覇した人でなく、周辺のところから描くのは大河ドラマの今後の成熟した方向性というか、要素になっていくべきだという感じがします。その意味では大河はこのところだんだん中心から微妙にずれた人たちにスポットを当てるようになってきてるよう。ならば観ようかな、という気になります。まだこれぞ、というところにまで到達してない気はしますが。贅沢をいえば。
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by ripit-5 | 2009-03-01 21:50 | マスメディア