物語として時間を見る

日曜日というのは政治的な話が多い。
そういのを見ながら、「マンガ日本史」なんかを読んでた子ども時代の歴史感覚で、あの読後感に近いなと思わせる語り口に触れる。昭和の初期のような。
歴史を実証的に考察するのは大切だし、そこで事実の記述を確定し直すことも専門家やセミプロ的には必要なのは分かる。
だが、一庶民としてはアクションとリアクション、そのリアクションに対するアクションという図式で捉えると分かりやすいし、素朴な感情的人間行動論的にみている方が良い場合もあるのではないかと思う。
事象に対する議論は冷静にとはいいつつも、どこかで人間である以上、感情がはさまる。そこに変化を拒むお互いの意見の立脚点があれば生産されるものは少ないといわざるを得ない。結局、議論のプロレスを楽しむだけ。しかし、TVを通してみても、カメラの向こうにいる人は姿形を表して対立する議論をたたかわせるわけだから、どうしてもどこか冷静にはなりきれない。
 その場にいない僕らはすなわち傍観者だけれど、その傍観者の特権として、この議論の流れはどこかで聞いたことがあり、どこへ向かった過去があるのか「感じる」ことはできよう。
 竹内好や「近代の超克」とか言っていた人々...。
 物語として時間を見る。そこに人間的な何かがあり、そして、いま~未来的背景には環境・生態系・人口増加、反対に先進国の人口減少ということがある。
 何が似ていて何が違うのか。何が知られていて、まだ何が知られていないのか。
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by ripit-5 | 2005-05-29 09:42 | 社会

あらたしく

元来、「あたらしく」は「あらたしく」が正しかったんだそうな。
そういうわけだか、何なんだか。
HPをリニューアルしようと模索して、この方法を実験する。
へロヘロだ。
疲れました、へい。
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by ripit-5 | 2005-05-28 09:44 | 日々