美しき刺客たちは

みな、比例名簿一位でした。
納得。
だけど、北海道10区は3万票が目標らしい。
何か2万8千いくらか以下の投票数だと、比例名簿から抹消されるんだってさ
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by ripit-5 | 2005-08-29 21:01 | 社会

帰れない二人を残して?

よくもまあねじれもねじれたり。
「刺客」が知性派「マドンナ」とは。
このねじれが情報をコーラのように飲む人には美味しいことだろう。

ところで、落下傘候補があちこち地元から住民票を移して、他の土地から候補として出るのは如何なものだろうか。ー国会議員だから国政にかかわるべきだ。地方のひも付きがない。ー正しかろう。しかし真実は哀しいかな、二面性がある。とほほ。
地元を知らない伊豆の教育長が北海道にわざわざ馳せ参じる。
ヒロシマとゆかり無い堀江社長が立つ。
汚職と何らゆかりのない地元の人の気持ちが彼女ら・彼らにわかるのだろうか。これもやってみなければわからない賭けか。

いっそ、われわれも刺客のいるところ、自分が投票したいところに住民票を移したらどうか?
公示前に。
その暁は一種のプチアナキズムだろう。

マスコミはこの種の被選挙民・選挙民の間にある矛盾/問題をとりあげているだろうか(否定疑問文)。
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by ripit-5 | 2005-08-28 21:02 | 社会

おそらく、とんでもなく貴重な作

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元外務省主任分析官・佐藤優の『国家の罠』読了。というには...。通読、というのが正確か。何せ音楽をいつもかけっぱなしで、もう一冊、二冊の本と併読なので、精読出来たとは恥ずかしながらいえない。でも、非常に何というか...。ともかく強力な説得力である。ここが真実だろうという迫真性が感じられるのだ。こんなノンフイックス本は初めての気がする。(いや、もう一冊あるが)。最初は相矛盾する感情を持ちながら読んだ。所謂ムネオ問題の絡みで疑われている人だが、その明晰な知性や記憶力文章力、国家官僚としての才能に感心しながらも、やはり一庶民とはかけ離れたエリート特有の何かを感じたりもしたから。

ところが、この本は検察官とのやりとりが始まる第4章”「国策捜査」開始”、から俄然、言葉は悪いがスリリングになる。作者の学究肌や、情報分析力、誠実さに対応するかのように、検察官もまた率直の人となりであり、対立関係にありながらも、一種独特な共闘関係のようになっていく。ともに大状況を語り合う世界はぼくらが一般的に知らないで済ませている大きな現実世界を教えてくれる。取り調べ3日目にして「これは国策調査なんです」と語る検察官の真率さは普通はあり得ない気もするが、作者の知力・胆力に、ある程度腹の内を明かしても大丈夫、またはそこまで明かさないと先に進まないと思ったのか。

第5章のまさに国策変更の問題、それについて端的に裁判の被告人最終弁論で語った最終章の論述。これはまさに政界が動き、選挙が行われる今こそ読むべき意味があると思う。
その上で自分の立場を決すれば良い。また、この人の本を眉唾に思うのも自由だろう。作者は今、控訴中の人である。(無罪を主張中)。

今、選挙の話題は感情論と、マスコミの手の上(それは政府の手の上)で、いわば「ひとの歌や踊り」に市民が惑わされている段階だ。
ホリエモンがこの騒ぎの打ち止めのタマだろう。
これからこそが大事なのだ。冷静に、自分の利益と社会の利益を考えてみる時なのだ。どちらか優先するかという問題でもある。また、全体の利益を優先することが自分の利益になるという選択もある。この熱狂は選挙前に疲労に達する可能性もある。そこから先が大事なのだ。
おそらく自民党はもう「大きな政府か小さな政府か、その選択の問題」という事は言わないだろう。選挙が終わるまで。

一人の人間がある過程の中で、あるところに落ち込んで、そこから大状況も掬い取った。それを読めるという貴重なドキュメント。投票前までに読む価値は十分ある。
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by ripit-5 | 2005-08-25 21:04 | 本・マンガなど

どうしてこんなに良いと感じられるのだろう

先日書いたこととまるで矛盾するのだが、いろんな音楽、まあ基本的には洋楽全般なのだが、どうしてと思うほど、新鮮で素晴らしく聴こえる。
特に音楽趣味的に信頼している人が作ってくれたCD-Rに収録されたウィルコの「Jesus、etc」やラヴの「Always See Your Free」など。
他の方が送ってくれたホワイト・ストライプスの新譜もアグレッシブではあるけれど、ロックの革新性への歩を諦めず進めている気がして頼もしい(ってなんか偉そうに、スミマセン)。

ああ、音楽っていいな。
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by ripit-5 | 2005-08-24 21:06 | 音楽(洋楽中心)

情報偏食症状

情報を長い間食べてきた。
もう中年だ。この年になると、何でも食べても身体に自覚症状が出ないという風にはならない。
いや、若い自分も症状があったのだろうが、それを意識できないでいたというのが正しい。不快は別の情報で誤魔化す。
(この場合の情報とは、非常に広い意味で捉えてもらいたい)。
一体、身体に、つまり「脳」にいい情報とは何だろう?それは本当に分からない。ただ、我のみが知るものだ。食べてきた情報がどんな栄養になっているのかもさっぱり分からない。
栄養を現実の食べ物にできる人間には現実的に理解できることではあるだろうが。
音楽、映画、絵、文学、マンガ。ここで私は、私の感情と向き合っている。つまりはそういうことで、「情報を食べる」という比喩の意味はつまりそういうことだ。そして、私は私の感情を情報に操られたくないと思っている。
情報過食症や情報偏食症に陥っていることについて考えるのは、そのためだ。
私は過食症だったし、偏食症だった。今だってそうであるだろう。ただ、そこに懸命に気づこうとする過程にあるというところか。ときたま、自分のそのような生活が全て間違っている、全て捨てて、自然に帰らないといけない、と極論的な頭が首をもたげる。情報過食に陥った経験のある人は、一度はそう思ったことがあるのではないだろうか?
それも、脳のバランスが左右にブレている状態なのだろう。
ところで、食事だとて、誰が作っているのか?
愛している人、信用している人のものか。それとも誰とも知らない人のものか。
情報は?知っている人からのものではないのが一般人の普通だろう。
だから、自分の感情が見つめるものが大事だと思う。ぼくは、とりあえず音楽に関しては務めて自然なものが良いと思う。もちろん、自然なままで作られたものは音楽にはならないわけだから、それは「音」にすぎないのだから。
つまり、特定な感情のみを意図するものではダメだろうと自分の心の中は呼ぶ。もっと、「とらえどころのない全体性」が欲しいのだ。そういう音楽ってあるのか?って。あるような気がまだするのだ。でなかったらぼくの音楽鑑賞趣味は終わってしまう。
。。。クラシックは未だにダメだけど。この世にクラシックしかなかったら音楽は一生嫌いだったろう。ビートルズには感謝してもしきれないものがある。
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by ripit-5 | 2005-08-23 21:07 | 日々

駒沢、夏連覇!

なのに、一場面もリアルタイムで見ることが叶わなかったよ(T_T)
選挙のニュースはヤダ!ドロドロドロドロ。
誰だ?「刺客」なんて物騒なコトバを最初に言い始めた奴は?や~だねぇ。
ポピュリズムはエンターティンメントだけにしてくれたまえ。
そのためにエンターティンメントやアートはあるんだから。
政治は理性的にあるべき。
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by ripit-5 | 2005-08-20 21:08 | スポーツ観戦

ストロークス&哀しき郷土愛

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ストロークスのファースト借りてきました。
いやぁ!これはやっぱ、いいわ。
一枚40分にも満たないのも、潔くて好きだな。
(レンタル借りだからそんな余裕をかますのかもw)
それと、シングル曲の選択はやっぱ、当たってる。これはいい!

駒沢苫小牧、勝ったー!連続優勝までもうすぐだー。凄いぞー!わー!...馬鹿だね。
でも優勝しなくても、いいよ。これだけ感動をくれたから。
気張らず、明日も楽しんでプレーしてくれ。京都外大西高校も!

疾走感ある「ハード・トゥ・エキスプレィン」

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by ripit-5 | 2005-08-19 21:10 | 音楽(洋楽中心)

2005年新人UKバンドの特徴

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PVとかに登場してくるUK・ニュー・カマーの音などを聴いていると、明らかに新潮流が生まれてきているな、と思う。思えば懐かし、70年代末から80年代初頭の所謂「POST PUNK」の音のルネサンスとでも言うべきもの。具体的にはギャング・オブ・フォーのファースト「エンターティンメント!」、ワイアーの2nd「Chairs Missing」など。後、初期(ミッジ・ユーロ加入前)のウルトラボックスのベスト盤などが手に入れば聴いてみるといいだろうと思う。音のしょぼさは時代性ゆえ仕方ないとはいえ、そのフォーマットを見事に裂いていく自由さは今でも十分刺激的。ギャング~の「アンスラックス」などは今聴いても前言同様、凄い。ワイアーの2ndは10曲目以降の流れが今でも前衛的なPop。(当時のLPでも15曲入り。すなわち、1曲ほとんど3分いかない潔さ)。

それよりもね~。実はきちんと聴いてないんだけど~。本当の意味でこの潮流が本格化するとすれば、ザ・ストロークスの貢献は多大だった!という結論に達するんじゃないかな?と僕は思う。ボーカルこそストゥージズ時代のイギー・ポップ風だけど、ガレージ風のサウンドにきっちりポップなメロディライン。彼らが斬新だったというより、「あの時代」の音のエッセンシャルな部分を理解した上での純粋な処理が斬新なんだと思うんだけど。とにかく、今の新人たちに与えた影響は間接的にデカイと思う。

僕の今年イチオシのザ・マジック・ナンバーズのような、むしろアメリカのフォークロック寄りにあるような美メロ&コーラスのバンドにだって、ストロークスがリバイバルさせたガレージ風サウンドの影響を受けてるように思うもの。

the wire (ロック・パラスト・ライヴ)

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by ripit-5 | 2005-08-18 21:13 | 音楽(洋楽中心)

続き

もしもこの手のサウンドのバンドたちが本格的な潮流になったとして。
自分が悪ぶうなレコ会社の人間だったら、トップページのCDの版権を取って日本盤を出そう。
「新潮流のオリジネーターたち、全44バンド、全44曲!」って銘打って。
ラフ・トレードの功績はやはりでかかった。
おそらく、この手のサウンドは日本のバンドも影響されて出てくると思うよ。
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by ripit-5 | 2005-08-18 21:11 | 音楽(洋楽中心)

お盆

日頃接点のほとんどない離れた家族が帰ってきて、墓参りだとか。今年は兄とその二人息子の弟の方が帰ってきた。

ぼくは日本人の信仰心というのは極めて曖昧で深層的なものだと思っている。所謂「教義・経典・象徴」の3点に縛られていない。昭和前期の一時期が極めて不自然なのであって、お盆とお墓参りといっても、われわれ、仏教者たちとも思えない(親近性はあるかもしれないが)。

そもそも仏教は本来、葬儀は行わないはずだ。まして祖霊信仰とも関係ないはず。すなわち、本来、釈迦が求めたものは当時のインドを覆っていた「輪廻思想」からの解脱であり、「私はここで輪廻から解き放たれた」。即ち涅槃、即ち、「これっきりですよ、この生で終わりです。安らかに終わります。輪廻終了」という究極の悟り。

つまり長い間、人間にとって「死」は究極のコンプレックスなのだ。おかげで何代かを経て、釈迦は像として作られ、祭られている。別に良い悪いではなく、人間はそういう形でこころの安心を得たいということだろう。

それに、日本人として、お盆が8月15日とぶつかっていることに強い意味を感じる。
狭義の信仰をもたないぼくら日本人が、一番「死」を思い、スピリチュアルな気分が高まるのがこの時期だと思うのである。

仏教に見える墓参りのこの種の風潮は、もともとは日本人の死生観にあった「御祭」の痕跡で、それを日本の仏教が取り入れて一般化した、という話を聴いたことがある。その中で江戸時代の檀家制度の及ぼした影響力は本当に大きかったんだろうなと思う。何回忌とか、いろんな祭りが負担になるほど存在するが(そして現代人の子孫はそれを継続するのが難しくなっているがー家制度の崩壊により)、それらのことを思うと、「江戸時代」はまだ残っているという気もする。もちろん、戦前もかなり残っているだろう。

だけど、灯篭流しとかはいいね。行く夏を思い、いろんな気持ちや記憶を再生しては戻していく感じ。

記憶を忘れやすいのが難点ですがね。水に流す、ってやつで。自分も含めて。
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by ripit-5 | 2005-08-15 21:14 | 日々