ストーンズ来札

寒い日に。
諸般事情ありてかなり寒々しい気分のまま札幌ドームでのストーンズライブへ。
前座スルーして7時半過ぎに会場入りするも、8時過ぎてもコンサートは始まらず。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「イッツ・オンリー・ロックンロール」「レット・スペンド・ナイト・トゥゲザー」と、御馴染み曲が立て続けに3連チャンされると流石に熱くなる。
しかし、しばらくすると、しきりとザ・フーを見たときとの印象を比較し始める自分がいる。
やはり、ストーンズのコンサートは祭りだ。明日を活性化するための。ザ・フーはその場に「断層」を。。。
どちらがどうではない。今の自分にはもしも見るならば、ザ・フーのような音を欲するのだろう。ハートにダイレクトな活断層が欲しい。

とはいえ、ミックは凄い。これが62歳だって?6曲目辺りから、フットワークが断然軽くなり、ラストに向けて疾走、また疾走。スクリーンに映される彼らや、客の表情を捕らえる映像を見ていると、これがここ札幌で起きていることなのだろうか?と夢のようなカンジ。
キースはヨレてました(笑)。ギタリストふたりはやはりフーと違い、ルーズな音が持ち味だからなぁ。ミックのギターが一番上手いんじゃないかと一瞬思ったw。
それから彼のハモニカ。
なんだ、ミックばっかじゃん(爆)。
いや、それから、何と言ってもチャーリーでしょう。かの人のドラムスと、持ち味があってこそ、ストーンズではないかと。光るのはともかくもミックと、それからチャーリー。
今の気分ではやはり「アンジー」と、「無情の世界」が染みた。それから、まさか「黒くぬれ!」を演奏するとは思わなかった。これは燃えたね。
本当は最近の曲が一番やりやすそうだったストーンズだけども。
僕もそうだが、聞いてないんで。そうもいかないよね。
ボーカルコントロールする側としては、最近の曲が一番やりやすいのでしょうけれどね。ラストの「サテスファクション」はお定まりとはいえ、やはり煽られて燃えるね。ミック、信じられない。「ミック人」という特殊な人間として存在しているようです 。
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by ripit-5 | 2006-03-29 21:49 | 音楽(洋楽中心)

風景

音楽は風景かもしれない。
心象風景という言葉があるから、
こころのなかにおのおの風景があるのだと思う。
音楽がその風景をわが身に呼び起こす。
現実の風景を写す音楽があるだろう。
そして自分にとって美しいと思った「原風景」があるだろう。
そんな音楽がいずれ恋しくなるのではないだろうか。
それはその国の音楽とは限るまい。
もともと人は風景を、音楽に、絵に、写し取ろうとしたのではないのかと。
そんな気がする。
だれかが、あるいはだれもが、そんなことはすでに語っていることかもしれないけれど。
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by ripit-5 | 2006-03-25 21:51 | 音楽(洋楽中心)

おーるさん!安らかに。。。

サイト「新じねん」の作者、おーるさんが亡くなったとのこと。
たった2月にも満たないファンサイトだけど、ショックのあまり呆然とする。

答えの無い問いの前にまた僕らは立たされる。。。

おーるさん!巨大な力と、そして自分自身と闘い続け、そして決して屈しなかった。
貴方の人生は傍目には満点です。
安らかにお眠りください。
合掌。
http://csx.jp/%7Egabana/index.html
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by ripit-5 | 2006-03-24 21:52 | 社会

ノーマン・シーフ

経済的理由により、もっぱら音楽雑誌とサッカー雑誌は立ち読みと決めた。
この路線を続けよう。
音楽雑誌で言えば、レココレで連載されているピーター・バラカンさんの回顧録と、フォトグラファー、ノーマン・シーフのフォトエッセイがいい。
とくにノーマン・シーフのエッセイは、対象となるミュージシャンとのやりとりを自らの心象風景と常に照らしていて、文学的で素晴らしいと思う。
さらにその文才を証明するような素晴らしいミュージシャンの写真がある。
これだけで、一冊の本にまとめて欲しいと思うほどのものだ。
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by ripit-5 | 2006-03-23 21:53 | 音楽(洋楽中心)

WBC

見事日本優勝しましたね。
まずはおめでとうございました、と。

しかし。。。
・・・これは別に喜びに掉さすわけではないし、まさに、かの人のリーダーシップのおかげとも思うのですが・・・

どうも、僕の中でイチローのイメージが、う~ん。ズレが出てしまっているというか。。。あんなに熱い人だったんですっけ?というか。
まぁ、イチローも人間だから(笑)、ナショナルチームでの自覚というのか、リーダーシップを意識するというのか、そういうものがあったのかもしれないけれど、何か違うなぁ、印象として、そうじゃないんじゃないのかなぁ、というのが抜けませんで。

ここのところずいぶん前に出てきて喋るしねぇ。いや、これは実際ゲームをやっている主体者だからこその態度であり、あくまでもそれはただ見ているこちら側の問題。

むしろ、一生懸命の前にスタイリッシュであるべきか、というと僕も今はぜんぜんそう思わないから正しいとは思うのだけど。

それでも、今のイチローはちょっと違うんじゃないのかなぁ?と違和感を心のどこかで感じてしまう僕はやはり傍観者であり、真剣さというものをしらないだけなのかも。

ところで、今日は放送記念日の第二夜で、「テレビは誰のものか」という討論ということで楽しみにしてるのだが、司会は桂文珍らしい。話題がシリアスになってきたら軽いほうに逃げられないか少々不安。真面目な司会をぜひやって欲しい。
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by ripit-5 | 2006-03-21 21:55 | スポーツ観戦

松井浄蓮さんの映像を思い出す/放送記念日特集

いま、10年ほど前にやったNHK「こころの時代」で”土の上に人生をおく”と題して、NHKアナウンサーとの対話に登場された松井浄蓮さんの回を録画していたのをテープにしていたのを聴きなおし、MDに落とす作業をしている。

本当にこの方の趣き、ありよう、そして話すことの内容には深く打たれたものだ。野に人あり。文字通り。農に人あり、でもある。傲慢な言い方になってしまうけれど、本ものの人。人間は少ない。まさに数少なき人間ありだ。若き日の悩み。産業基盤の行く先は揺すぶられると常に考え、そして人の生老病死の無常観、そして人の感情の移り行きに悶々とされて、それから京都の一燈園での生活。それから自給農へと生きていく人生。本物のインテリジェンス、知性・知恵の人はこのような自給農の人にあった。

話は転換。
夜、NHKの放送記念日特集が興味深い。
放送と通信のせめぎあい。ブログのあり方。放送はもはや無自覚ではいられない。ネットメディアによってすでにそうある。
ブロードバンドの普及と活用も本格的だ。
同時に、アメリカではすでに政治の大会に動員されるブロガー。
日本でも、政権与党の憲法改正の研究会に人気ブロガーが招待されるという状況があるようだ。
元、大手通信会社の広報担当が政治宣伝担当を勤める。かの人にとって、この新手の作戦は躊躇なきものなのだろう。

世は常に常ならず。
松井浄蓮さんの話を今再生しながら、かつ先ほどの番組を思い出す。
音楽趣味と同じく分裂気味な自分のありようだが、この分裂を自分に認めて、どこに自分の足場があるのかさらに追求したいと思っている。馬鹿だから。
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by ripit-5 | 2006-03-20 21:56 | マスメディア

忘れていたこと

本当に久しぶりに野球を見た気がする。
途中からだけど。
おおむね、こんなラインナップなのかと。
一体、世間とのズレは歯止めが利かないところまできているかもしれない。
これでも、高校くらいまではテレビ中継が終了した後も、ラジオで実況を聞くくらい熱中していた頃もあったのだ。
みのもんたは「珍プレー好プレー」のナレーションまでは良かった。そんなことは関係なかった(苦笑)。

王さんがいい。巨人の監督をやっていた若い頃の悲壮感が抜け、本当に味のあるまさに「大人」となった感がある。
僕は明らかに王派で、長島教がさっぱり分からないのだ。娯楽が限られた時代のカミだけに仕方ないのか。

それより忘れていたのは、原田の引退だ。エゾっ子としては彼のソルトレークの大失敗ジャンプ、そして長野での団体一本目のまたもの失敗、そして2本目の頂上ジャンプ。「みんな最高だー」の男泣き。日ごろのコミカル味と、実際の競技でのあの上がったり下がったりのジェットコースターぶり。独特のキャラクターがドラマを(勝手に)作り上げていて素晴らしい選手だった。ある意味、今回のオリンピックでの事前の失格も、そのキャラの反映だろうか。

面白い人を失って、日本のジャンプ界は長い再建期間だろうか。甥っ子はジャンプをやっていて、下川高校に来たいらしいが。兄の影響で始めたジャンプだが、フイギュアと同じく、冬季スポーツで独特に華がある。冬季オリンピックも競技が拡散しすぎではないかと思う。それが逆に見る側のテンションを下げる。それより全てに「プロ化」が著しいのがもうひとつ。

PS.アナウンサーの異常なテンションは見ているとたまらない。普通の人間が普通に見られるアナウンスに徹して欲しい。
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by ripit-5 | 2006-03-19 21:57 | スポーツ観戦

源流

恩師と久しぶりに対面し、話を伺った後、シャベル、ツルハシ、鍬を使って雪割り作業。この2,3日で雪は大いに溶けた。だが日差しと地場が悪い自分の家の前は格別、残雪があり、処方をしておかないと家人が神経質になる。黙して身体を動かすべし、か。

漫画家・水木しげる氏の自分の半生を綴るエッセイはどれを読んでも抱腹絶倒であるが、彼の人のマンガ同様、そこには古代人の長老としか思えぬ精神があるように思われる。
水木氏は山陰の生まれだが、生死の極まで行った南方の部落がピッタリと自分に納まったように、きっと遺伝子的な南方の血が、アニミズムに生きる南方の血がたどり着いたのに違いないと思う。
古代日本で、海を渡ってポリネシア方面から渡って来たであろう血。
彼の人の云う「南方ボケ」は、元来自分の辿った血筋をその生理に蘇らせたものではなかろうか。妖怪との親和性も、きっと南方から海を渡って運ばれた椰子の実のようなものかも。

ワタシはおそらく朝鮮人の血であろう。現代ではなにかと政治的な議論が絶えないが、なんもだ、元来我々は縄文系でなければ朝鮮から渡ってきたような、すなわち渡り人の子孫に違いない。その中でもワタシは不細工系である。三上寛と渥美清を、青白く、生命感を酷く弱めたような存在である。
三上寛も渥美清も、土臭いとはいえ、その土臭さが生命力を見せるがゆえ、そのパワーを外に伝えるが、その生命力が弱いとなると見どころがない。そんなことはいい。
(笑)。

話は大転換、あるいはどっか接点があるかの小転換だが、都会はどこまでいっても不自然いっぱいである。思惑、含み、疑念、不可解な経済構造、実態の無い多額な資金による買収又買収。

ワタシはいまだにホンマモンの汗を流した人がカネを多く手に入れるべきだと思うのである。すなわち、トラックを手配するものより、実際にトラックを運転し、積荷を降ろし入れするものが高給たるべし、と思うのである。少なくとも同等には。
頭脳労働、なんぼのもんだ、と思うのがホンネだ。まあ、乱暴に言えばそんな感じを持つ。

最近のドラマが一向つまらないのは。昔のドラマがやたらリバイバルするのは。本当に大河の韓流ドラマが受け入れられるのは。すなわち、どうあれそこに本気(=自然)があるのではないのか。自然と人間が格闘したり、自然に抱かれていると気づいたり。
ぼくはドラマは見ないが、少なくとも、「本質」を探ればそこへ行き着く気がする。今やっている朝ドラなどは、単に情報マンガ、いや、ドラマである。あらゆる情報を投げ込むけど、根がない。人口花である。悪いけど、OLさんの世間話である。
深刻でもなければ、意識に突きつけるものもない。当たり前の話だが。ただ、ほんの10年位前の朝ドラも再放送を衛星でやっているが、もはや同じ国のものとは思えない。
それでも、生活感はあるのである。
いまや、生活感(観)をドラマに見ることなど出来るだろうか。

水木しげるさんや、自分がおそらく弥生系人としてこの土地にやってきて以来、忘れていたことを考え直さねばならないところまで来ているのだろうか。
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by ripit-5 | 2006-03-18 21:59 | 日々

日本の基層文化を撮る姫田忠義氏

ブログで紹介した、民映研の姫田忠義氏。
その姫田氏に話を伺っているサイトの新しい対話編をブログに加えた。
読めば読むほど、深い。
ぼくがあの10年近く前に見た「日本の基層文化」「ピレネー文化」を見たときのショック、特にイヨマンテ、それから山の民の最後の習俗を残している人が仲間を連れて山へ分け入ってくれるところをとった瞬間のなんだか涙が出てきそうな驚きは、こんな対話の中にヒントがあるのかもと思った(一部抜粋しました)。

  **************
(姫田氏の作品が、日本の民俗的な祭儀が神話的、そしてある種劇場的なドキュメンタリーに見える、というドイツの評論家の意見に対し)

私のいっている神話というのは、過去に語り伝えられて、変化もしたでしょう、しかしいまあるものではなくて、過去のものとして語ってる、あるいは遠い他者のものである。ドイツ人がギリシャ神話を語っているかも知れない。そういうものですかと聞いた。

 僕は神話はそういうものじゃないと思ってる。あの「アイヌの結婚式」をね、見たこともない結婚式を伝承に基づいて見よう見まねに自分らなりに、伝承の断片をつなぎ合わせたかも知れないやり方で実践したわけです。それは神話が大事だからというのではない。いま生きてる人間が自分の充実感というか、自分のそれを充実させるために、行った行為なんです。その時にその行為は現実の必要性であるのか、神話であるのか、という設問は成り立たないわけです。両方だ、全部だ。(以下略)
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by ripit-5 | 2006-03-16 22:01 | 日々

風邪をひいて

昨日は一日床にふせっておった。
久しぶりに熱が9度近く出た。
どうも最近やたらと風邪をひきやすい。

夜には熱が下がったが、ダウナーな気分が晴れない。
そういうときは、ますますダウナーなものが読みたくなる。
で、何故か。
やっとメジャーアルバムが売れた時期のエレファント・カシマシがただ一誌、擁護し続けたロッキン・オン・ジャパンで掲載してきたインタビュー記事をまとめて本にしたものを読む。売れない頃の宮本浩次の思想的(?)苦悩にハマル(苦笑)。

もうええ年こいてロックにこだわる自分はなんだろうか?特にライブ命の人間でもないのに。そもそも、男でロックが好きになると実際バンドを始めたりするもんだ。
しかし、ワタシはそんな体験もない。ギター小僧とは縁遠い。

つまり僕は、詩としてロックを聴いてるんだ。文学しかなかったものを、体感を加えて聞いているんだ。そしてイキナリ事の本質に向かうような危険要素をロックに感じ、求めていた気がする。

プロの宮本氏は自分でも当然演奏できるし、歌の上手さでは日本のロック界でも屈指だ。
だが、彼の真剣になればなるほどの現実との違和感は古きよきミュージシャンシップとは異質だ。
僕は彼にパンクのミュージシャンと同じ魂を感じる。
「明日に向かって走れ」の前も後も、意欲と作品がどうしても今ひとつ幸福な出会いがないのがもどかしいが、エレカシ、忘れないでくれよな、という気がする。
彼の苦悩のありようも。
だが、彼の昭和的なモラリステックな悩み方って、ぜんぜん現代的ではないのかしらん?
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by ripit-5 | 2006-03-11 22:02 | 日々