加齢ってやつは。。。

必要性ありて、市が推進する健康診断を近くの医院でしてもらう。体重を量ることを忘れていた。恐ろしき現実に向き合う。とほほ。
以外にも、心臓がやや肥大しているのではないかとの診断。再診しなければどうこう、というものではないが。
 昨年の肺結核の疑いといい、歯の治療といい、加齢に向き合わざるを得ないことがやはり悲しい。が、不自然なことや人工的なことは嫌いだしなぁ。

話は変わるかどうかわからないが、雑誌・ミュージック・マガジン。今月号の特集がスクリッティ・ポリッティ。先月が確かフリッパーズ・ギター(苦笑)、その前がアズテック・カメラ、ポール・ウエラーだ、ニュー・・オーダーだと。そんな感じ。

時代を感じますなぁ。
というか、俺が10代の頃のMMといったら中村とうようの雑誌。何か教条的な感じで嫌いだったんだよなー。いや、中村とうよう色がね。全体にね。書き手も含めて。

まぁ、時代が変われば編集長の意向で雰囲気が変わるのもいいが、淡い表紙絵といい、80年代こだわりといい。なんつうか、俺らの世代に目をつけてるのか?と思うと、10代の頃、「親父向け音楽雑誌」だと思っていたMMのイメージが変わらないとすれば、今の中年親父は、これか(笑)。

何か、結局、俺らって頼りがいないんだよなぁ。(笑)。まあ、自分自身に関してはそれは否定しないけど。
にしても、ヤワな雑誌になったなぁ(苦笑)。中身も、ヘタすると今はブログの書き手の方が説得力のある情報を書いているからね。
総合誌はネットに負けない力が批評に必要ですな。大変だ。
ロキオンは現代と寝ないといけないから、表紙がずっと変わっていくんだけど、MMがネオアコやマンチェスターとはね。
生きるものです。諸行無常。

レココレの方がその点では面白いな。といっても、前のページだけ。バラカンさんのロンドン思春期コラムとフォト・エッセイのノーマン・シーフ。

特に、昔も書いたけど、ノーマン・シーフ。この人の体験と文章は本当にいい。何より、被写体というものがあるから、強い。後、中古屋さんの商売日記もリアルでいいですな。
これぐらいのクオリティがないと、音楽批評誌はキツイと思う。WIRE誌がやった「めかくしジュークボックス」並みのこととか。商品性がね。
立ち読みしかしない人間がよく言うよ。
スミマセン。
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by ripit-5 | 2006-09-30 21:21 | 音楽(洋楽中心)

本当に久しぶりに怖い夢を見た

他の人は知らないが、私はバイオレンスな場面が登場する夢をまず見ない。

なおかつ、最近は印象的な夢を見る機会はなかった。
また、見て「怖い」と思う夢は尚更まれだ。
ところが、昨日の夢は全く違った。
戦争が起こっているのは間違いないらしくて、しかも自分の目の前で惨劇が起き、自分自身にも身の危険が目前に迫っている。そんな夢だった。
しかも半覚醒になっている設定で(つまり、実際は覚醒状態に無い)、その夢から逃げても、まだ続きがある、というようなコワ夢から逃げられない最悪な状態。明け方頃に、本当に冷や汗をかいていた。こんなことは近来稀に無いことです。

何だろう?
愛国主義的イデオロギッシュな人が首相になった世相、それから昨日、帰りも一人で「失敗したー」と独りごちるほど後悔した仕事のミスゆえか?

おそらくその両面の意識が夢に反映したのだろうな。
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by ripit-5 | 2006-09-29 21:23 | 911以後の世界に思うこと

何故この人が帝王に?

政界の人気や一極報道も異常に思うが、もっと異常に思うのは、「みのもんた」のTVにおける露出具合である。

誰もそのことに触れているように見えないのがまた不思議だ。いや、わからん。週刊誌とかも読まないし、日刊新聞も読まなくなったので、その点を指摘するジャーナリズムもあるのかもしれないけれど。

少なくとも自分が生きてきた歴史で、これだけ一日にテレビに露出する人は過去いなかった。

テレビの作成の工夫能力も極端に落ちてきていないか?
その分、ネットに付随するものも含めて、こちらの世界の情報は非常に多彩だ。

その分、テレビは常識はずれに多様性を失ってきている気がする。
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by ripit-5 | 2006-09-25 21:24 | マスメディア

The Penelopes

SNSで知り合いになった宝塚のwatanabeさんのグループ、Penelopesの新譜が届く。

watanabeさんが、そのネットワークサービスで書いている内容、そしてレスポンスに対する誠実な回答ぶりから、実際にお会いしたことがなくとも、その音楽的趣味の卓越したセンスと、その意識化のための勉強振り、そして音楽の喜びを伝える真剣さは十二分に伝わるし、まず何よりも人として信頼できる。

届いた新譜にも、十分その人柄が伺えるものだった。特に歌われる言葉は英語だが、その日本語詞を読んで、「やはり」と思ったし、ある種の世代にはとても勇気をくれる詞だ。
ある世代にとって、これだけ瑞々しくあるというのは大変なことだ。まして、聡明なwatanabeさんのことだ。

非常に良い意味でパッシブな感受性と、ジェントルな知性の賜物なのだろう。うらやましい。

ここから伺えるのはやはりwatanabeさんがその原体験としてレスペクトを惜しまない(特に80年代前半の)XTC、エルビス・コステロ、スクィーズなどの影響である。そしてもちろん、ビートルズ。
メロディ重視のサウンドがいま果敢にあることも音楽文化の多様性に貢献していると思う。



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by ripit-5 | 2006-09-22 21:26 | 音楽(洋楽中心)

激しい風

午前6時台から台風の影響で激しい風。
結局、眠れず起きることに。
いま、やっと少し落ち着いたようだ。

ねじれの問題。
これは国家を考えるのが商売になっている連中だけが考えることではないだろう。

生活面でも、人々「より良い方向」を本当は求め、結局自縄自縛の結果を生んできた。
間違ってはいけない。
変革の期待さえ、常に戦後一貫して同一政党の中に求めたことを。(極稀の例外は新進党。戦後に民社党?だったか芦田内閣というのもあったくらい)

自民党という一党独裁の中でバブルが起き、バブル批判がされ、規制緩和が起き、自助努力が叫ばれ、格差社会が叫ばれ、それをまた問題視する。

それは全て同一政党の中で起きているのだ。
自民党は懐の大きな政党というが、同一の政党であることは忘れてはいけない。
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by ripit-5 | 2006-09-20 21:27 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

何やねんな。

昨日書いた日記が午後11ごろアップできんかった。
おかげであんまり政治的なことを書きたくないブログに書いた。

昨日は感情任せの気分があったかと自己危惧もあったが。

1日たってもやはりすっきりしない。
なので、blogにアップした。
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by ripit-5 | 2006-09-19 21:28 | 日々

次なる台頭勢力はパトリオシズムか?

一種の郷土主義。

日本は歴史的に閉鎖と解放の歴史を繰り返している。
現在の日本はまさに閉鎖系に入ろうとしているようにみえる。
(状況の違いはネット時代でソフトが完全な解放系にあること)。
おや?どこかの歴史浅い国も似ているな。
メンタリティは相当違うが。

象徴的な意味が深いかどうかは良く分からないけど、竹中氏の政界から身を引くことも、「新自由主義」の一定程度の後退を意味する気もする。それをアメリカはどう見るか。東京裁判を受け入れがたい歴史観の首相をどう見るか。

おそらく、ナショナリズムは、ゆえに今までは反北朝鮮、実は反中の大きな流れから、至極ゆっくりと反米へと流れを変えていく気がするのだ。この過激部分は左も合流してくるだろう。
いずれにせよ、「ナショナル」な話が前面に出つつも(また出るがゆえに)、その前衛はねじれにねじれ、屈折の度合いが深まり、保守も左翼も一種の思想的分裂が起きているのではないか?

すると、幼児的な突破をめぐる、おそらく、政治テロもありえる?
これは暗い見取り図だが。
本日は見立てが重い文章で相済まない。
(かつ、直感に今は過ぎないので。杞憂であればよいが)
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by ripit-5 | 2006-09-17 21:31 | 社会

戦争が遺したもの

本日は丸一日かけて鶴見俊輔・小熊英二・上野千鶴子の対談集『戦争が遺したものー鶴見俊輔に戦後世代が聞く』を読む。
題名どおり、鶴見俊輔の歩みを後発の知識人二人が歩みを深く聞くというものである。この種のものは西洋の知識人にはあるケースだろうが、日本ではまだ珍しいものではないか?それほど、鶴見氏の個人史からの思考(思想)形成、社会活動とその総括、他の知識人や運動家への評価など、誠実かつ率直に問われ、答えたものはないと思われるからだ。

今年、鶴見氏の姉の鶴見和子氏が逝去された報を聞いたとき、まず思ったのは「鶴見俊輔氏は大丈夫なのだろうか?」ということだった。

今年、加藤周一氏の講演を聴きに行ったとき、驚くほど加藤氏が高齢化が進んでいることにビックリした。だが、弱った声の中でも、その世界と日本の分析は明瞭で全く知性は老いていない。しかし、私はおそらくこの場で加藤氏の話を聞けるのはまさに一期一会、最期だろうな、という複雑な気持ちが抜けなかった。

というのは、こちらも今生死のあわいにおられる河合隼雄氏の対談集で、鶴見氏自身、政治家の家系に生まれ、祖父が明治の後藤新平、その娘が母であり、その母の愛情による折檻から早い段階で「自分は悪党である」という強烈な自責感を持っており、精神的に完全に参っている10代前半を過ごし(それを本人は”不良少年だった”というが)、その後の鶴見氏の物事を受け止める基盤であり、行動原理になっている。
 そのような鶴見氏を救ってきたのは本当の最初の女性は姉の和子氏であったであろうことは間違いないと思われるからだ。晩年期の鶴見和子氏の活動や老人施設でのドキュメントで見た身としては、さもありなん、と思うような毅然とした女性であった。

 この対談は本当にその意味で「大人の誠実さ」が横溢している。若き俊才・小熊英二氏、そして女性問題に関しては容赦ない上野千鶴子氏。その二人の冷静にして、ときに厳しい問いかけにも実にありったけの誠実さで応えている。
 僕は鶴見氏の生き方は歴史年表的にしかしらない。べ平連も、「思想の科学」も、丸山真男も、60年安保も、全共闘も、岩波文化人系も、すべて記号としてしか知らないと言っていい。
 しかし、このような対談を読む以上は、人並みの興味はあったということなのかもしれない。その程度だ。

 だから、鶴見氏が一貫していう「ヤクザの仁義」という言葉こそ、らしく響く。鶴見氏のその比喩は、鶴見氏が「ガキデカ」や漫画の「共生虫」(だったっけ?)を評価するぐらい稚気な感じがするけど、それはどうでも良いこと。
 要は、この人は一貫して「義理と人情」が大事な人なのだ。それがつまらない意味合いではなく、高度な「倫理」にまで高まっていることが、素晴らしいと思うところなのだ。

 私も男性であるので、上野氏の鶴見氏に対する女性への共感意識へのありようについての問いかけはついていけないところがあるし、鶴見氏にそこまで問うのは厳しすぎると思うところがある。率直に言って、問う相手が違うだろう、という思いも湧きあがった。(本書あとがきに上野氏が書いているが、実は本には書かれない”重い沈黙”が流れた時間もあったらしい)
 しかし、鶴見氏が問いを一つもおざなりにしたことはない。おそらくぼくと似た世代の小熊氏は、「経験を知識としてきた」父親に問うような面持ちだ。やはり、男の私はそちらに似た感情を持つのは仕方ないところかと。
 いずれにせよ、自分よりもずっと下の世代に自分の失敗も、コンプレックスも全て晒しながら、思想家として、そして運動家として生きてきた歴史の生き証人の誠実さに深々と頭を下げて、ありがとうございます、といいたい気持ちだ。実は鶴見氏はこの種のフットワークが非常に軽い人なのだ。だが、下の世代に自分の生き様を晒すそのフットワークの軽さは、重い自責の原体験から出ていることも忘れてはいけないことなのだろう。心して、その点だけは見落としてはならないと思った。


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by ripit-5 | 2006-09-17 21:30 | 本・マンガなど

やはり

前のローマ法王、ヨハネ・パウロ二世がどれだけ偉大だったか、ということだよな。

で、偉大な人はマイノリティの側からしか出てこない。
精神の地獄を見て、そこから「それでも!」という本物のポジティビティのところからしか出てこないんじゃないのかな。

何か親鸞みたいな話になってしまったが(苦笑)
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by ripit-5 | 2006-09-16 22:10 | 日々

東京の高卒求人倍率4.41倍!!

ホントカヨ!?
対して北海道は0.29倍。最低の青森0.17倍、次の沖縄0.21倍。
格差社会は個人の格差だけでなく、地方間格差に及んでいることが歴然としている数字ではないだろうか。

安倍、谷垣、麻生3氏が大通り公園に集結して演説したそうな。5年前の総裁選で小泉が来た時に比べて盛り下がったそうな。そりゃそうだろう。すでに結果が見えているんだから。

5年前は恥ずかしながら、自分も見に行った。たぶんに高揚して見に行ったことを自省を込めて白状せねばなるまい。あの時は橋本元首相が最有力と言われていた。しかし、大通りに集まった一般の空気は明らかに違った。地から何かが変わる、マスコミの読みよ、外れてザマーミロ!という思いもあった。あの時はマスコミが遅れたのだ。ザマーミロ。

小泉は声がガラガラだった。確かに「自民党をぶっ壊す!」と叫んだ。俺は何を期待したのか?その前の「加藤の乱」に期待したのだ。森首相にうんざりだったのだ。そして、それを引き継ぎ、デフォルメし、高揚化させたのが小泉氏だった。当時の。だが、演説の上手さも考慮せねばならない。彼は際立って上手かった。彼は昔風にいえば、「香具師の口上」の上手さがある。
おそらく戦前の中野正剛の断固たる口調と、寅さんのようなズッコケ芸の合わせ技をもっていた。カリスマ性の演出と庶民性の演出の上手さ。

小泉の最初の国会も良かった。「民主党とだって組めますよ!」エキセントリックに叫ぶ小泉。そして、誰とも国会終了後握手も交わさず退席する小泉。孤高さが、まあ単純に格好よく映ったわけだ。

いつから小泉は危ないと思ったか。ハンセン病訴訟を上訴しないと決めた月までは良かった。
このひとはヤバイと思ったのは確か池田小学校に乱入し、子どもたちを大量殺傷した事件のときのコメント以来だ。予防拘束のようなものを必要だ、といい始めて以来だ。この人は大衆の俗情に訴える政治家なんだな、と思った。
それ以来、口なりの発言がどれだけあったことか。

いずれにしてももう過去のことだ。
この次は新しいタイプのアジが始まるのかもしれないが。まぁ、アジ屋の迫力不足は誰も否めないな。
札幌の人間が醒めるのは幾つも自分の中で納得できる理由が思いつく。
だが、新聞に出てた六十代の女性の声は驚く。「小泉さんは希望とか高揚感とか、たとえ錯覚でももたせてくれた。」

僕はこの錯覚こそが危険、と思っていたのだが。錯覚を満たすために、エンターティンメントに錯覚感情を閉じ込める、そう思った。
だが、現実の錯覚が希望、という考えもあるのだ。
今はわからないこういう考えだが、こういう感情が世間を動かしているのもまた確かだろう。
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by ripit-5 | 2006-09-14 22:12 | 社会