7年ごとの成長記録

非常に興味深い番組が再放送される。
NHK教育の午後6時から。まずは本日から、来月1日まで。
元々、英国グラナダテレビが行った番組だ。
アトランダムに選んだ5人くらいの子どもの7歳が7年後、どのように成長したのかその記録を追うドキュメントだ。
ある意味で、人間そのものの成長実験記録なのだが(ただし、メディアが成長に関与しているわけではないことは確認しておきたい)、これを母国英国、アメリカ、旧ソ連の3国の子どもたちを対象にして追っている。
それぞれの性格、その性格のある程度の発展の結果としての社会的成長などが、当事者の7歳の頃の無邪気な発言から、いろいろな変化を経ながら、当事者を追い、その時々の年齢に応じたインタビューを重ねる。

本日の番組は、日本でも同じアイデアを実行したということだろうか?いずれにしても、今日は一時間半の番組だが。当時私が見た時は確か1時間くらいの番組。それらが続けて再放送される。
凄いのは英国で、アメリカと旧ソ連(その後ロシア)は21歳までなのだが、このアイデアの母国、英国では49歳までだ。
まさに激動の人生あり、順風の人あり、で人間学の素晴らしく、同時にある意味怖い番組だ。だが、見る価値が非常にあると思う。旧ソ連の子どもたちは特に体制変換という大きな節目がある。
母国英国ではホームレスまで落ちてしまった人もいる。49歳の時、彼はその経験に則し、市会議員になるのだが。

ひとりの人間を追うカメラは興味深く、時に残酷に思うが、西洋の人々は自分を7歳の時から「説明できる」。これが凄い。

事故死したダイアナ妃が長時間インタビューに相手の目をしっかり見て、どのような状況の末離婚に至ったかをとうとうと語っているのを見て、向こうの皇室関係者は特別なのか、あるいはダイアナ妃が特殊なのか?と思ったが、どうもそうではなく、西欧の人たちはもう早い時期から「自分の観察説明」が出来るということだろうか。
僕の推察はそこに尽きるところがある。
訥弁な日本人として。

だから、もしも日本でこの企画をやったとしたら、どのような展開になるか。
とりあえず、本日分を録画しておこうと思う。
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by ripit-5 | 2006-10-29 20:32 | マスメディア

身近に迫りよる政治

朝から「たけしのTVタックル」の再放送をしているとは思わなんだ。
三宅がこんなに調子に乗って暴論を吐くオヤジになってたとは。
元々は社会党系のシンパだった奴だったのになぁ。ここにも機会主義者の老害ひとり。

教育、保育、年金、高齢医療、官僚天国(逆に民間が労働法、社保法を守らないのは無視)云々。
共産党お得意の「くらし」に係わる政治を自民党が語る。それも、もちろん新自由主義と古典的な保守主義の(本来相容れない)セットで。役割分担を各自の論者がしながら。

安倍政権がいよいよ生活も政治的に変革しようとする意図が見える。アベイズムのブレーンたちの威勢はいつまで続くか。
今までも述べてきたように体制政党が作った退廃を。気をつけたほうが良い。教師、社会福祉従業者、看護師、医療者等々をスケープゴードしながら改変しようとしているぞ。

「総理太田・秘書田中」はこの番組のアンチテーゼか。
それにしても、安易な図式化はこりごりだけど、これは結局「ツチノコ」「UFO」「超能力」の”川口探検隊”と同じなんだよな。あのアナウンスのおどろおどろしいこと。

視聴者を舐めるな。
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by ripit-5 | 2006-10-28 20:34 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

保守主義の台頭

特に教育保守主義の台頭は、社会学的にももはや世界でも歴史的に証明されている「反動」であって、いただけないが、心情としてわからないでもない。

そこには、70年代後半からの校内暴力、暴走族の出現など、また教育委員会と日教組の対立など、真面目な生徒を置き去りにした政治的対立と、同時に教育の主役たる子どもの放置があった。悪く言えば。

それはマスコミの社会における主役へのせり上がり、80年代に向かって思想が大きく後退し、産業が第三次産業の台頭へと向かう方向があった。だからこその受験主義とおちこぼれだった。
その世代が、早期に結婚していれば、今思春期以後の親たちである。
精緻に分析されず、またどこかでない事にしているが、あの時代の何かを現代にひきずって、そして合意のないまま、超情報化社会だけが訪れた。

女性はファッションに過敏になり、性的魅力が自分の「能力」のひとつと無意識に思い込む。
僕自身を含め、泥臭い生活感覚を失っている。

近代都市のパブリックは何度も言うが、市民が集う「公共性」によって培われるべきである。つまり、個人の主体性によるマナーが原点足るべきである。

それらの教育がある意味、何もなされないまま、復古主義で何とかしたいと思っても無理がある。

歴史教育を見直す会のような人たちも、現場の苦難を無視する教育イデオロギストのみならず(その連中の一部は元共産党だったりするから笑えぬお笑いだ)、教育現場の混乱(校内暴力など)でニヒリズムに陥った教師などもいるのだろう。

だが、それは「教育」だけでなく、70年代中期以後の「何等かの大きな空洞」隠蔽された「何等かの大きな混乱」が放置されたままの日本の社会総体の変化の波に飲まれているわけだ。
そこから、自由教育論から、修身的教育論まで、保守教育論は混乱したまま一致する。残念ながら不毛であろう。本来必要なのは、政治の季節終了後の70年代中期以後の日本社会の大人の社会意識の精密な分析こそがまずは必要だろう。

だから、いまの保守教育論は一足飛びの飛躍にしか見えない。
東大が調べた公立小中学校の、しかも現場トップである校長先生へのアンケートが教育改革論に多くが反対なのは、注目に値する。
いわば教育現場で最も保守的な立場の校長さえが納得していないのだ。
現場の現実はいまの保守教育論で何とかなるとは全然思っていないはずだ。
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by ripit-5 | 2006-10-23 20:36 | 社会

まぁ、今日も印象論

アーセナル、負けはしたが。昨年度のチームとの違いは如実に感じたな。
昨年度はサイド攻撃、リュングベリとレジェスの切込みからのクロスや、サイドからゴールをゲットするアンリの動きが印象に残ったが、今年のアーセナルはパス回しのサッカーだ。アンリが高く評価するセスクは今日のCLは良かったとは思えないけど、ロシツキは切れている。
今年はロシツキ、ブレイクするのではないか?彼はあの体つきで、ボールを奪取するのも上手い。一番献身的に動いていたし、動きがクレバーだ。
それにしても、CSKAモスクワは強い。決勝トーナメントで旋風を巻き起こしても可笑しくない気がする。

「美しい国」って何だ?
誰にとっての、どんな国だ?
そもそも、教師さえ”そこ”に加担する個人主義の国で、美しいとはどういう国家なんだ。
この矛盾がある限り、言葉は抽象的なまま、宙を浮く。米大統領さまみたいなメンタリティにどうか落ちないでくださいましよ。
とにかく「美しい」という形容詞が余りにも幅広い。
普遍的な意味を持たせよ。
伝統、道徳、それもよし。
しかし、時代にあった意味で使うべし。
美しいのは、結果であって、それはひとりひとりの人間が作った結果となるもの。
美しさを言うならば、いじめ自殺を放置した教師を刑法にかけよ。
多くの官僚、経済犯罪者たちを刑事罰にかけ、懲役にせよ。
昔の中国のように。
出来るわけもあるまい。

普遍的な美しさは定義が難しく、ひとりひとりの大人が、エゴイズムから脱却することからしか始めるしかない。
怪しい噂の多い現首相から、櫂より始めよ。
そもそも、幹事長が不倫をやっとって、何が「美しい国」か。
昔の軍人のダブルスタンダードのふるまいのようなことを言うな。
まして、先の郵政民営化選挙の時はこの幹事長、「これからはサッチャイズム、新自由主義で行く」と言い切ったくせに。それって、能力主義のエゴイステック個人主義だろうが。
思うに、いじめは、慢性的な子どもの能力査定に関するストレスが集団社会に噴出する力学だと思うのだ。いじめをなくすのには、数少ない資源の中で、のんびりと、自分の考えを伸ばすことからしかあるまい。
それを、国際競争力強化のコマとして使いたいのが本音だから、おかしな議論ばかり繰り返している。
どこからまた微妙転向が起きたのか?
機会主義者の跳梁跋扈はもう沢山。
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by ripit-5 | 2006-10-18 22:47 | 社会

遠い先の話ではあるけれど

自分にも起き得ることなんだよなぁ。
認知症。
呆けは死の恐怖から救う天の采配なんていうけれど。。。
迷惑するのは周りの人で。
全く、生きるというのは、人のおかげさまなんだよねぇ、大変だけど。
何かというと、有吉佐和子スペシャルだけど。

恍惚の人、現代版です。
三国連太郎、ムチャ、上手いよなぁ。
竹下景子はすっかり苦労症が身に付いたねぇ、演技に。

いやいやまぁ、大変なドラマだから、そんな軽口交えつつ。
本当に沢山たくさん歩いたねぇ。
こういったことが、生きることの一番大変で、一番大切なポイントなんだろうなあ。
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by ripit-5 | 2006-10-17 22:49 | 日々

懸念の新しき段階

今週は実用化可能かどうか知らないが、北朝鮮の核実験の問題で持ちきりだ。
勿論、懸念しないわけには行かない。

ただ、僕はおそらく普通の人とちょっと違った視点で考えているかもしれない。お許し願いたい。

北朝鮮が核実験などを強行するのは、やはり米国に対するアピールに違いない。
アメリカは勝てる戦争しかしない。
そして、北朝鮮はイラクやイランと並んで「ならず者国家」と名指された国だ。
つまり、米国は叩きますよ、と名指したのだ。
そしてイラクは事実やられた。
大量破壊兵器が実際は無かったことが問題になったが、政権中枢にとってみればある意味どうでもよいこと、むしろIAEAの査察によって「大量破壊兵器が無い」ことが証明されたからこそ、米国はイラクを攻めたのだろう。
大量破壊兵器がないからこそ、おそらく米国は(世界世論を無視してでも)安心してイラクに侵攻できたに違いない。
その前のアフガニスタンに至っては、言葉にもならない。すでに最貧国に爆弾をどんどん投下したようなものなのだから。
そのことをイランと北朝鮮は当事者として敏感に深刻に受け止めたのに違いない。
国際社会の意に反し、イランも北朝鮮も核保有にこだわる発言をし続けるのは、米国に軍事的対抗できる、ということの強烈なアピールなのだろう。

核のカードにより、アメリカは攻めることで却って政権がひっくり返るほどの犠牲者が出る計算をせざるを得ない。それを北朝鮮は読んだのだろう。テポドンが太平洋を越え、核兵器が開発可能になる。その時、アメリカは軍事的フリー・ハンドを失う。

それが北朝鮮の狙いではないか。
北がこだわる「二国間協議」というのはすなわち、古典的に言えば「和戦協議」あるいは「不戦協議」に応じてくれ、ということではないか。

どうやら流れはこぶしをちらつかせながら、それでも中国の外交力に応じる流れに進んでいるようだ。
やはり。。。対抗力があるというのは米国にとってやりにくい、そのはずだ。

勘違いして欲しくないのは、このような力の国際政治にぼく自身、納得していない、ということだ。
北朝鮮のもしも核保有ならば、冷戦後の「核拡散」の怖れが現実化しつつあるということだ。これは本当に憂鬱な事態だ。

その中で大きな流れでは日本の核保有こそ、むしろ米国が一番恐れるシナリオだ。

本来ノドンよりテポドンが北朝鮮にとって、重要なはずだ。
日本が余り独自に強硬的態度をとることで却って日本が外交的に逆の孤立をしなければいいが。

親米右派政権以上に恐れるべきは「反米右翼」の台頭であるはずだから。
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by ripit-5 | 2006-10-13 22:51 | 社会

「夢のもつれ」を読みながら

新聞夕刊に毎週連載されている鷲田清一氏の「夢のもつれ」という哲学的(?)エッセイを読んでいる。
いつも興味深く読めるというわけではないが、今週のはいたく感銘を受けた。

学校的なものの問題を指摘していたからだ。目からウロコが落ちるとはこのこと。
学校の「嫌さ」具合はどうも上手く説明できない苛立ち事項なのだけど、ここにはその学校の持つ奇妙な特性をずばり言い当てている。

つまり、学校は「訊く」ことが逆転しているというのだ。
本来、「訊く」のは”知らない人”が”知っている人”に「教えて」と懇願するものであるのに、学校は知っている人=先生が、知らないかもしれない人=生徒に訊くというのだ。
つまり、学校では、質問とは、他人が知っているかどうか験す(ためす)場になっている。

験す言葉が教室の基本にある。それが恐ろしい。何故なら、験すのは「相手への信頼」を一旦停止しているからである。

教師が無邪気に「伝える/応える」という関係だと思っているものが、生徒には「験される/当てられる」関係にある物だと。そんな不信を前提にした関係にあることに、生徒時代の僕自身が気づかなかったのだ。おそらく、お互いがこれを読むまで、全く意識化されなかった事項だろう。

まったく、何と洗練された洗脳だったことか!これで学校時代にあった不安と、嫉妬と、競争心が渦巻く、楽しさとの無縁の意味が分かってきた。
しかも、世の中がますます”学校の延長化”しているだけになお息苦しい。

僕も実際かなり重度の「学校病」患者なのだ。それは常に意識されていないと、その病を病であると忘れてしまうのだ。

処方箋は?
おそらく上記の方法の逆を行けばいいのだろう。
先生が訊ねることは、生徒が知っていて、先生が知らないことであればいい。
そうすれば、信頼は回復する。おそらく。
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by ripit-5 | 2006-10-07 22:52 | 社会

キャラクター

人には個性というものがおそらくあって、
乱暴に言えば、相対的に言葉を行動より重きに置く人、逆に行動が言葉よりも優先される人、とみないろいろなキャラクターがあるのかもしれない。
そこに濃淡があるのだろう。
前者の人は考え深い人、後者の人は行動的
で割と淡白な人の印象を与えるかもしれない。

首相で言えば、前首相の小泉氏は言葉よりも行動の人に思えた。対人関係も淡白に見えた。良きにつけ、悪きにつけ、行為が言葉より優先されるタイプだったのだろう。

そしておおむね、言葉よりも行動を優先する普通の一般の人々にはそれが分かりやすく、かつ存在感があったのだろうと思う。

ただ、政治家、特に一国の長である総理大臣には「言葉と行為の思い離れがたき」人であってもらいたいもの。
なかなか、一人の人間、総理とはいえ、完全ではないが、出来るだけそういう人になってもらいたいものだ。
言葉と行為は、人間なのでいつも自己矛盾を伴う。いつでも「~すべきか、~すべからずか、それが問題だ」というハムレット的な仕事をみながしている。そこに深く沈む人と、割り切っていく人に分かれていくが。そしておおむね、割り切りの側に多くの人は向かうけれど。

さてさて、その意味で、今の首相はどうであろうか。何となく、言葉に重きを置く人、あるいは言葉に縛られる人のような気が何となくするのだが。

存在感優位中心の人気政治では、文化程度の国家レベルの低下だと思うけど、そういった現代的な現状では存在感で前首相に負けてしまう可能性はあるような気がする。

それを自覚した時、どのように人気を維持するか。
それだけ、政治は政党にお任せの時代から、良きにつけ悪きにつけ、大衆政治の時代になってきているのかもしれない。
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by ripit-5 | 2006-10-05 22:53 | 社会

批判のための批判はなんだし。

ともかくきちんと読んどくべー、所信表明。と、思って嫌だけど読んでみた。
う~む、格別に気になるようなことは書いていないか。逆に、確かに一部で言われる「総花的」な感じが強いな。

だけど、教育基本法から変えようという意欲が並々ならぬところが不穏でないの。
まずは子どもたちから変えよう。
とするとそれを教育する大人、教員が息苦しくなる可能性があるね。
教員も、教育力がないんじゃなくて、あるから困ると思っている場合もあるんじゃないの?

美しい国とか、日本人型の社会保障制度とか、本来持っている日本人の精神とか、抽象的な言い回しを多用して具体性をあまり語らない政治って、思うに宗教くさくない?正論は正論だけど、正論以外に対して攻撃的だと、どこかの大型新興宗教の組織みたいで、そこが私は怖いんだよ。
前の政権の自由放任も問題アリアリだったけど、そのバックラッシュってんじゃ、まるで5年以上かけた必要芝居だった、なんて思うのはこりゃ、うがちすぎか。
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by ripit-5 | 2006-10-02 22:54 | 社会