何故2時間サスペンスドラマは需要があるのか?

夜、帰宅すると茶の間でたいがい2時間サスペンスがかかっている。私はこれが嫌いなのだが、食事時、母親が見ているので仕方ない。
定型化された内容、犯人でないと一番思われるものが犯人であったり、それがたいがい女性であったり、犯人臭いものが必ず犯人でなかったり、刑事がかならず取調室で疑いのある者を机を叩いてどやしつけたり。よく警察庁は抗議しないものだ。密室の自白強要、脅迫になっているではないか。

しかし、そのようなリアリティを置いておいて、なぜかくも所謂火曜サスペンスとか金曜サスペンスがなくならずに人気を保つのだろうか?この種の番組は再放送を含め、BS民放も含めて毎日のようにやっている。
気づくと食事時は必ずサスペンスモノに遭遇することになる(苦笑)。

疑念、愛憎、わかりやすい真実、もろもろ。何かわれわれの原始心性を刺激するものがあるのだろうか
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by ripit-5 | 2007-02-27 13:05 | 日々

WOWWOW映画を見つつ。。。

実は最初から見ていないのだけど。。。
「その男ゾルバ」などを見ながら、これはギリシャのコルシカ島が舞台なんだけど、やはり英米圏の主人みたいな人の視点(若い)で描かれている。
ここに登場する現地の人々に対する映画の目。対等の人間としてみていないとしか思えず。
「ゾルバ」は64年のギリシャ・英米の合作映画だが、84年の英国映画「インドへの道」もインドの人たち(大衆)の描き方がどこか対等ではない気がした。
語弊があると困るのだが、西欧圏の人たちのカルチャー・ショックの視点が相対化されきれずにそのまま、の気がするのだ。

心情として他の文化が畏怖や野蛮に見えるのはわかる。だが、それがあからさまに映像化するのはどうだろうか。
それは同時に配給がどうしても英語圏が圧倒的に強いというのもある。

逆にインドやギリシャの映画で、西洋がそのように描かれたら西洋人はどう見るかと思う。人権侵害はなはだしいと思うのではないだろうか。残念ながら?インドやギリシャの現地製作映画はあたり前にこちらで見ることは出来ない。

そういえば「ローマの休日」もローマ、とタイトルに銘打たれているけれど、ローマ市民は風景のような扱いにしかなっていなかったなぁ。。。
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by ripit-5 | 2007-02-24 13:06 | 映画

課題

親父の癌、転移再発の可能性あり。
正直、ショック少なくなし。
親父は今年になってから狭心症の手術もあり、年齢からしても十分考えられること。ではあるが、可哀想である。
いや、本当のことをいえば動揺している自分自身が情けないのだ。
何と言うメンタル面の弱さだろう。
そう、メンタルの弱さは私がずっと引き続いて持ち続ける一番のアキレス腱だ。
年老いた両親をサポートする最低の大人気というか、経済的にはダメでも精神的に頼られるぐらいではないとダメなのに。

いま、というかここ一年ぐらいから必然的に、本当に自分の心根に大きな転換が迫られているはずだ。それをどこかで知りながら、逃げてきた。しかし時はいずれ訪れる。
ただ分かるのは切なさの意味ぐらいだ。それを超えなければ何にもならない。
いや、越えられない間は、まだ本当の課題となっていないのだろう。
予感のままなのだ。情けない。
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by ripit-5 | 2007-02-22 13:07 | 家の話

ピッグバッグ

この曲で盛り上がれる人は、それなりの歳で洋楽にハマッタことのある人でありましょうぞ。
映像なしのYoutube。
却って音のみに集中できますぞ。
12インチバージョンだ。
いけー!


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by ripit-5 | 2007-02-17 13:09 | 音楽(洋楽中心)

高村薫はやはり鋭い

社会時評を書いている作家の高村薫だが、この人はやはり本当に鋭い。というか、本当のことを書くことにためらいがないというべきか。
現代のゆとり教育見直しをとらえて、まずゆとり教育の思想が芽生えたのが約30年ほど前(1977年頃)で、当時重厚長大産業から情報通信産業への産業構造転換の政策意図があり、そこで個性重視の教育発想が生まれたのだと。
そして現在新にゆとり教育による「学力低下」が叫ばれるのは端的にアジアの台頭、日本の国際競争力低下が懸念され、知的集約産業の競争力強化の産業経済発展力の要請があると。そして、だがこのような現下の大人の要請でころころ変わるものを「学力」と呼んでいいのか?と疑問を呈する。ときには時代に抗う知性も学力と呼ぶべきであろうと。
そして、先端科学、たとえば応用物理、遺伝子工学、情報工学は現在巨万の富をうむ。
 習得の難しい最先端の医学のための医療器具、地震国に立つのっぽビル、それら技術の自己増殖が人間の身体能力や生活の必要な限界を凌駕していると。
コンピュータに依存する万能感の一方で、逆に人間社会のことが解決できないということが自覚され無力感も増大している。
こうした現実を見わたすのも「知性」であろうと。
義務教育で求められる学力は国家戦略であるだろうが、もっと必要なのは論理思考や言語能力、そして「学ぶ意味」と「意欲の獲得」であるべきだろうと。

まったく同感である。
目からウロコが落ちるほどだ。
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by ripit-5 | 2007-02-16 13:10 | 社会

おそらく僕ら人間は

わかっていないことが多すぎるのだと思う。
おそらく、百何十年か前に西洋を中心に「自分」が発見された。
自分は、世界の中心の軸となったのだろう。
そして「女性」が発見された。
「両性の平等」は恋愛の新しい形、進歩の発見であり、それが恋愛に惚ける新機軸の発見になったかもしれない。
そんな中で、「社会」が発見された。
社会には、自分や両性の平等を唱える余裕ある層には理解しがたい一つの別の他人たちだったはずだ。
人間が別の人間を発見して、同じとみなすのは難しい。きっとそうだ。
自分と同じ。共感及び友愛。
それを乗り越えると、新しい「それ」も歌い上げるようなロマンテックなドラマとなる。
そして異文化と異人種。
とても難しくなる。
「インドへの道」という映画を見ると、長い時間をかけて、結局収まりの悪さ、見解の不可解のみが残る。結局、西洋人にとってインドはわからないのでは?特に異文化の人を愛する異性にとって。そんな映画の1984年英国。舞台になったインドはもっともっと古い時代だ。では、作者は何故その時代を?
そしてそれらを乗り越えてもなお、今眼前にある分からなさは、人間を超える環境の問題。
これを前にすると、ぼくもそうだが人間として生きるそのありようそのものが不可知の場所に飛び込まざるを得ない気持ちになる。
そして、上述してきた幾層もの違いが普通の人々の、そして僕のような人間の、日ごろ意識せぬ価値判断や臆見によって積み重なってある。その上にこの経済体制の上で起こる環境問題がまたその上に積み重なる。
臆見の臆の字は臆病の臆だ。
なるほどと思う。
「インドへの道」に出てくる医者を犯罪者にしたてあげようとする勢力は怖れに由来する勢力だが、あの主人公の女性の不可解な心の動きは何に由来するのだろう?
臆病を超えてあるも、なお。
そのなお、の不可解。
私たち、否、私はこの経済体制とそれがいずれ遠からず引き起こすだろう世界環境の破壊が、異文化に接するあの老婆と若い女性のように何か新しいものに出会った際の戸惑い、世界に対する不安に似たようにあるような気がする。
ああ、上手く言えない。上手くいえないなぁ。


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20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント


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by ripit-5 | 2007-02-08 11:36 | 映画

ストーン

昨年の大晦日に風邪をひいて以来、また風邪をひいた。今回は尾をひいている。
同時に、精神的にど~んとストーンしてしまった。
今までの来し方に対する後悔やら、現在に対する不安やら。神経が疲れてそれらが一度に押し寄せた感じ。
だが、それがドラマテックにくるわけじゃない。ただ、何もしたくない。世間的にポジティヴに思うことに力が入らなくなり、ただ、眠っていることだけが快感。そう、本当に寝てばかりで、そして夢を見る。その時間が最高で。
今は午前中の清掃のみ。喉と鼻をやられているので、午後のコールセンターは休んでいる。
つい、マイスペのミュージック探しとか、昔のロック雑誌を読み返したりとか、ホント、何の生産性もないことをして過ごしている。
最近のバンドの連中は本当にインテリジェンスがあるなぁ。
いま、いわゆるフォー・ピースのバンドをやる連中って、かなり知的マイノリティの連中なのだろうかな?
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by ripit-5 | 2007-02-07 11:38 | 日々