これは天下の愚策だ!

Excite エキサイト : 政治ニュース
『政府・与党は29日、追加経済対策の柱とする予定だった定額減税(総額2兆円規模)について、現金やクーポン券などを直接支給する「給付金」に切り替え、所得制限も設けないことを決めた。』(エキサイト:政治ニュースより抜粋)

 これは一種の直接戻し税だろう。政府も認める通り、小渕政権時代に最も評判の良くなかった「地域振興券」という天下の愚策そのままの政策だ。それを総ての国民相手にやろうというわけだ。あきれる。一体、費用対効果がどれだけあるというのか?その計算の目安はあるのか?
 小渕政権においてもっとも愚の愚だった政策が公明党肝いりによる「地域振興券」だった。あれが日本の消費を押し上げたなどという話は聴かない。

 いわば、言葉を最大限悪く、そして乱暴に云えば、2兆円を1億人に配るわけだから、親が無意味に小遣いを子どもに2万円やる、というのに近い。それもその場限りの2万円だ。お金が無い人は貯蓄するだけだろう。逆に金持ちにとってその2万円にどんな価値を見出すだろう?もしも、2万円をもらったとして、それは国民の税金なのだ。つまり自分だけでなく、他人が払った税金をただ、2万円もらうということだ。このお金に普通の人はどんな「価値」を見出すだろう。そもそも、自分の労働の対価ではないものに対してだ。正直、恥ずかしくて使えない。かといって受け取らないぜ、と格好をつけることも現状では結構、難しい。これは冗談抜きに罪で暗愚な政策だ。国民に目の前にニンジンをぶら下げる。そしてあわよくば票にしたいと。

 このように、只の戻し税は最も策として考えの無いものだ。考えの無い政策を。あの小渕政権の「地域振興券」的なものが。またぞろ、フラッシュバックする。
 税の還付というものも人は社会的モラルを意識せずして意識する。その後に登場した小泉政権は今思えば、ウソかホンネかしらないが、「借金を未来の世代に廻せない」と言い切った。そこから派生した言葉が「痛みに耐えて頑張ろう」なのだ。実際、普通の人たちは痛んだ。小泉構造改革念仏をともに唱えた政治家も痛んでくれたかどうかは知らないが。それを、小泉政権で要職に就いていた現首相がまた小渕政権と同じことをしようとしている。天下国家論ぶった小泉路線を投げ捨て、こんな言葉を使いたくないが、「愚民化政策」にリバイバルする。

 結局、間違えてはいけないということなのだ。「緊急経済対策」も「構造改革」も同じ自民党内で行われ、自公政権で行われているのだ。緊急経済対策はすべきだ。だけれども、これでは方向性がおかしい。おかしすぎる!

 すべきは、これから増えるであろうまたぞろの社会不安に向けた対策だ。
 必要なのはセーフティ・ネットを張り直すこと。
 具体的には若年不安定労働者、高齢者、そして中間層では年収が約400万以下の世帯だ。

 まず、今や黒字となった雇用保険の受給資格を元に戻す。過去は6ヶ月で得た受給要件は社会保障削減でいまは1年以上勤務していないと受給要件を満たさない。これを6ヶ月に戻す。もうひとつはハッキリ減らされている給付期間を元に戻す。他には減らされた状態の教育訓練給付を増やす。この給付をよりきめ細やかにし、場合により、受給要件を緩和する。そして出来れば政府の職業訓練を大幅に受講できるようにする。いま「ICU入り」している金融の安定化対策と同じように、次に来たる失業者の増大に向け、前もって備えをしておくべきだ。

 繰り返すが、定額減税は愚策。一般人が税が政府によって使われるとするなら、社会の安定のために、と思うのが普通の感性だろう。ただお金を戻されて喜ぶほど馬鹿じゃない。であるならば無くなったことで苦しみが増している「配偶者控除」「高齢者控除」を復活させるべきだろう。そのほうが普通の人たちの懐が安定する。

 もうひとつは、政府が出来ない社会安定・社会福祉に寄与している非政府機関を支援する。ネットカフェ難民などのホームレス支援や、自殺予防支援をしているNPOなどの仕事の支援をする。自殺予防に関しては、秋田県方式を全都道府県に周知し、体制を作るように促す。

 少なくとも、定額減税をするくらいなら、定率減税をするほうがまだマシ。それ程愚策だと思う。税の使われ方でこれほど反モラリステックなものはない。納税した人たちにとれば、このような税の使われ方をするなら、いずれしっぺ返しをしたくなるだろうと思う。

 どの政党が言いだしっぺなのかは大体想像つくけれども、いくら経済の緊急事態とはいえ、このような無為な方法は本当に止めて欲しい。僕が上記に書いたことのどこかにフォーカスするだけでも2兆円以上かかる、というのだとしても、僕はあくまでもばらまきではなく、政策的用途に使って欲しいと切に願う。頭を使えば絶対、2兆円の有効な使い道はあるはずだ。多くの人が「なるほど、これなら効果があるよね」というものが。

 ポイントは若年不安定雇用、後期高齢者、子どもを持つおよそ400万以下年収の中間層だろう。
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by ripit-5 | 2008-10-29 20:46 | 社会

昨日の話題と少し繋がるラジオ

 町山智浩さんという方は余りよく知りません。米国で映画評論を日本に届けている方らしいですが、確かに名前はどこかのサブカル(懐かしい響きかw)雑誌で見かけたことがあるような。
 私は丸激トーク・オン・ディマンドの無料放送回でその尊顔を拝することができました。何はともあれ、今のアメリカの経済状況に絡めて、アメリカの経済・政治思想の基盤は何かを伝えるこれは重要な内容のラジオレポート。ライトな感覚で話をされていますが、かなり内容はDEEP。そして分かりやすい。この話はアメリカの思想を知るのに大変いいと思います。また、「お笑いみのものた劇場」さまのブログから情報として拝借してしまいました。必見。もとい、必聴!約18分でわかるアメリカの政治経済の基盤思想(笑)。
町山智浩コラムの花道 経済政策からみたアメリカの右と左

 とはいえ、なかなかその国の基盤となっている思想を切り取るというのは難しいもの。ともすると「ユダヤの何とか」などの偏見を呼びやすいから。アメリカは移民の国なので、今移民として一番多数派のプエルトリカン系はプロテスタントか?という問題提起も出来ないことはないでしょう。ただ、いまだ「眠れる巨大な有権者層」ともいえ、ともかく現在のアメリカの白人層の保守的主流派を念頭にまずはおいて聞いてみると、分かりやすいし、この認識で正しいと思います。
(ただ、プエルトリカン系の移民の人たちは近未来のアメリカを今後変えていく人たちともいえるかもしれません。)

 例えばM・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は難しくて読んだことはありません。ただ、やはりプロテスタントでも過激、と日本人の私などには思えるカルバンの「予定説」は今一番鋭い批評家の一人になっている元外務省主任分析官の佐藤優・起訴休職外務事務官が自分が最初に出会った教会がプロテスタントのカルバン派で(日本では長老派と呼ばれるらしい)、予定説を信じていることを自叙伝的書物で書いています(『私のマルクス』)。
 佐藤氏のような現状認識が鋭いインテリも、そのような宗教思想を心の原風景として持っているということは、やはり高校の教科書で習ったようにカルバンの予定説は実際にあるということで、人は生まれながらに救済の選別が決定されているという思想は生きているということ。特にアメリカで生きているのだということを再認識させられます。それがアメリカの保守主義を支えている。

 おりしも、イギリス国教会がダーウィンの生誕記念に合わせ、ダーウィンに謝罪したそうです。ヨーロッパは進化論は正しいという考えが主流になってきている。少なくともイギリスはそう。だが、進化論か、神の創造かについては英米では数字が全く逆転しているとのこと。

 まずいないと思いますが、このブログで大学生や大学を目指している人がいれば、いま社会科学・人文科学は知的にスリリングな時代に入ったと思いますね。カルバンのようなキリスト教宗教思想家が何故生まれたのか。宗教と資本主義の関係は?とか。

 もちろん経済学も近代経済学の前提だけでのみ、というのが難しくなった。経済学もスリリングな時代に入ったかもしれないですね。

 勉強が好きな人にとって、いまは勉強の価値が高い時代に入りましたよ。と、思いますね。
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by ripit-5 | 2008-10-24 20:37

日常の中での非日常的な思考

 21世紀も10年近くに向かわんとして、分かり始めたことは、世界に起きることの感染力が異常に早く、それに関与しない別世界がほとんど無いということだ。

 20世紀の10年代に最初の世界大戦があれほど長く、広範囲にわたるとは欧州の人間は誰も思わなかったのではないか?確か英国では戦争が始まる年には「クリスマスまでには(戦勝して)家に帰ることが出来る」と喧伝されたのではないか。(間違いであったらご容赦を)。
 それが、大戦の始まりは馬で、最終局面ではタンクが登場し、毒ガス兵器が誕生し、未曾有の死者が生まれた。20世紀後半生まれの自分には想像つかないが、1945年までの2つの大戦で大量の死者が戦争により生じたのである。そして、「国家」の総力戦になり、民間人が大量に死んだ。私は60年代生まれだからそんなに遠い話ではない。両親にとっては戦争で死ぬことはリアルな話であった。
 おそらく、20世紀の前半までの人々は戦争をすることは特別悪だと考えていなかった節がある。当時の先進国であるヨーロッパの人間においてもそうだろう。戦争はロマンだと考えるインテリもいたようだ。これまた、現代の先進国の人間には共感しがたい考えである。

 だが、「現に人間はそう考えていた」ということをどう捕えなおしたらよいのだろう?
 今でも、冒険は時おり人の心を躍らせる。しかしそれでも、僕の少年時代に比べて、「冒険主義」なるもののロマンは減った。そのようになってきたことに関する人の評価は知らないが、僕はそれはとてもいいことだと思っている。

 21世紀になり、世界を駆け回るマネー、金融市場、インターネット、ブロードバンド回線を通ずる映像が僕自身の家の中を含めてものすごいスピードで駆け巡る。それは良いことだったし、同時に信じられないほどとんでもないことを引き起こした。「経済」が国境を越えてメルトダウンしたり、あるいは本来の価値とは別の高騰をしたりする現象が起きた。おそらく、戦争が不思議に思わなかった20世紀初期の人間たちが、おそらくカッコつきの”未開地”は啓蒙をし、近代国家に「してやる」植民地化の方法を不思議に思わなかった時代と同じように、経済に関して不思議に思われなかった方法が普通の人間にとってみれば、「あれよあれよと」信じられない速さで悪性ウイルスのように世界を徘徊してしまった。

 おそらく、世紀が変わる中、人間にまた何か新しく「価値観の変化」がうながされている。そしてそれはどのように善導されるかは誰にもまだわからない。無神論者の私だが、「人は自分たちが設定したゲームのルールで自己崩壊を招く。それは運命的な局面をもたらす」。そんなことがあるのではないかとふと、思う。ゲームに乗らなかった人も割りを食う。しかしゲームに積極的に加担し、上昇と下降の落差に精神的なショックを受けた人との違いの意味では、まだしもその幅は少なく済んで良かったのではないか。それよりも許されざるべき「人為悪」は、住を奪われた生活難民の人がいる事実である。
 経済主義は社会という「お互いさま」を奪ってしまった。僕が生まれた時代から、それは基本的に変わっていない。(人が生きる限り変わらないのか?)

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 アメリカはある意味で欧州が懲りた失敗を引き継ぐ国となってしまった。先進国の大国で戦争を躊躇無くやる国はアメリカだけになってしまった。アフガニスタンの介入とイラク戦争。
 本質的な理由は「油」「天然ガス」という資源の収奪だったのかもしれない。
 そこに04年の大統領選挙で急速に浮上した現代とは思えぬ「キリスト教原理主義」と、「世界民主化革命」を唱える新保守主義(ネオコン)の急進行動主義が意味として一般に知られるようになった。
 宗教も、思想も、もちろん資源も、そして武器を消費してもらい新しい兵器開発をして商売したい軍需産業も、その記号を脱いで裸になれば、人間の「欲望」に行き着く。忌まわしい邪教を駆逐することも、言うことを聞かない宗教政党を打倒することも、偉大な神の御言葉を信じぬものたちへの福音のための制裁も、ぶっちゃけ商売先を見つけた軍需産業も、一皮向けば、人の欲望に尽きる。権力欲、権威欲、物欲、性欲、征服欲。

 21世紀前からの続きであった金融工学の経済も、おそらくアメリカの擬似帝国国家化のおかげで商人たちは自信を過剰に持ったに違いない。思えば詐欺商法に近いことも儲けと洗練された技術で数字のマジックに騙し、騙され続けた。
 今、アメリカの人々は、悲しみ、怒り、悔い、呆然としているかもしれない。どう考えたらいいか分からないほど立ちすくんでいるかもしれないし、膝が震えている人も沢山いるかもしれない。しかし、社会の建て直しのために次の方策を考えている人たちがいるだろうー同じやり方ではなく、人の道にかなったやり方で。
 そういう人がいるだろう。いつの時代も「失敗した社会」で、今まで日の当たらなかった人の中からリーダーシップを取る人がいるのだろう。

 オバマ氏が忽然として登場したときから、やはりどこか権力の魔物にすでにとり付かれている人とは違う清廉さが感じられた。確かに、同じ人間である以上リーダーシップの本物さはまだわからないところがある。
 だが、現職大統領のあまりのあまりさぶりを考えると、その清らかさの落差が大きすぎる。この物語性の大きさがいまだ世界の中心にあるアメリカという国のドラマテック性、劇的性を思わざるを得ない。

 日本という国に生まれ生きて、日本にはこのようなドラマは似合わないと僕はつくづく思い、そのような国に生まれていることを個人的には幸福に思っている。心底思っているのだが、それにしては余りにもどうなのだ?という気持ちだって正直起こる。日本の歴史は鎖国時代も含め、国内の歴史で沢山の栄枯盛衰を見てきて、歴史から学ぶ知恵が自然と身についていると思う。これ程までの国際社会だから、独自性容易ならざる点は格段に増えているけれど、それでも成功体験に酔いしれる人はそう多くは無い。「諸行無常は世の常なり」「おごる平家は久しからず」ということばが呪文のように体内に宿っている。

 話を戻せば、とはいえ、とはいえ、なのである。川の流れが澱んでいていいのだろうか。(ああ、いけない。書いてすぐ自分自身に戻ってきた!)
 日本の歴史の中で確たる断絶というのは日本国内のみで起こったことはほぼ無いのではないか。確たる断絶はいつも海の向こうとの関係で起きている。黒船から始まる明治維新へ。そして、第二次大戦の敗戦によるイデオロギーの変化。
 国内の中で議論が煮詰まって何かが内側から断絶的な転換が起きる、というのはどうにも想像しがたい。
 やはり、漸進的な変化が似合っている国なのだろう。
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by ripit-5 | 2008-10-23 23:14 | 社会

寺島実郎さんの残念な発言に思う。

 最初にお断りしておくと、私は日本総研の寺島実郎さんが好きである。というか、信用している。寺島さんは世論がイラク戦争でおかしくなっているときもテレビできちんとアメリカの行動を批判していたし、その後も格差社会を批判し、一貫して新自由主義的経済社会を問題にし、必要な批判を的確にしていた。時代の空気から考えるとかなり勇気のあることだったと思う。
 最近ではサブプライムローンの問題から世界を襲った原油高騰・食糧高騰をめぐり水野和夫と月刊誌で厳しい認識を共有する対談をしていたのは前も書いたとおり。
 だから、今の日本でのオルタナ・オピニオンリーダーとして自分のブログのサイドバーにも寺島さんの関連サイトをリンクしていた。

 その寺島さんが先のロス疑惑でアメリカで再度逮捕されロスに収監された後自殺された三浦和義さんに関してテレビでこのように印象批評していたのは正直ひどく悲しかったし、信じられなかった。この情報を知ったのは「お笑いみのもんた劇場」というブログさまから。間違いなく日曜日の関口宏の番組での喋りなのでちょっとかばいようがない。



 「サイコパス」とは、昔は「精神病質」と呼ばれたもので、「精神分裂病(現在では統合失調症)」とは違い、妄想や幻聴等通常の精神状況を失って行う犯罪者型性格ではなく、どうやら人間的な情緒や想像力に著しく欠け、著しく暴力的、あるいは極めて冷静に暴力的、あるいは暴力の快感に酔いしれる。時には劇場的な方法で社会をかく乱することを好む。まぁ、漫画でいえば浦沢直樹の『モンスター』の主人公を思い浮かべてくれればいいのだろうと思うが。詳しくはこちらの説明を。
サイコパス

 寺島さんはサイコパス「型」と云って、断定は避けているが、同世代でずっとウオッチしてきたといっているのでかなり確信を持った上での発言なのだろう。言葉の端々に嫌悪の感情がにじみ出ている。残念ながらそうとしか聞こえない。しかし、寺島さん、印象批評だけでここまで言ってしまって良いのだろうか?三浦さんが劇場型であると同時に、劇場型を喜んで取材しまくったのはマスコミだ。マスコミはサイコパスでないかもしれないが、劇場型の病気にかかってはいるだろう。最低限、それはいえる。そしてそれはそれを好んで見ている我らの心中にも潜んでいるといえないか。

少なくとも日本の裁判では最高裁まで争って三浦さんは無罪を勝ち取った。仮にどれだけ三浦さんが劇場的な人物でどれだけうさんくさく見えても日本の最高裁は彼を無罪にしたのだ。

 個人としてどう心の中で思っても構わない。心中で「あいつはうさんくさい」と思っても、口にしなければ誰もとがめようがない。しかし、公共のテレビで寺島さんのような、合理精神と健全な観察力で経済や社会に対して先見的な発言をし、政治家として待望されたこともある人が話す言葉であれば、社会的な影響力は大きい。
 残念ながら世の中、「あの人もそういっているし、やはりあれは○○だ」という自分放棄の判断をする人は多い。だから、僕は寺島さんを信用するものとして、この発言は余りにも不注意であった、とはっきり言いたい。そして、人間である以上、間違いを犯すこともあり、これはそのひとつであったのだと思いたい。

 何より、このたびの三浦逮捕は日本で行われた裁判での一事不再理を翻す根拠が分からないのだ。国際法のルールが明確でない。しかし、基本的人権が最もストレートに現れる刑法事件で一事不再理の原則が適用されないとしたら、私たちは怖くてとても国境を越えられなくなってしまう。

 長くなるけどもうひとつの懸念。それは今後行われる予定の裁判員制度にも与える影響。アメリカで言えば、三浦ロス疑惑=再逮捕と全く逆の陪審員の判断がある。「OJシンプソン」の殺人容疑だ。こちらもある意味では三浦さんと同じような疑いと”劇場”性あった。結果は「無罪」。
 しかし、本当に無罪なのだろうか?という疑義は残った。

 今後心配に思うのは、裁判員制度でどれだけマスコミが大きな刑事事件の報道を自粛し、乱暴なコメンテーターの発言は良識で無視出来てもだ。例えば、良識の人と思われる寺島さんのような人がある思い入れで不注意な発言をしたらどうなるか?市民の判断が揺らがないことはないか?

 人の死刑は究極的な実存的問題である。簡単に云ってしまえば、人は人に対して「おまえは死に値する」と言い切ることが出来るのか、ということでもある。それはつまり、逆に云えば「俺は人からオマエは死に値する」といわれることを否定しないということだ。-これは普通の人はバカな、と思うかもしれないけれど、国家反逆罪とか何とか今後法令が変われば、思想犯で死刑を宣告されるということは無いとは言い切れないことでもある。
 もちろん冤罪も可能性の無いことではない。だからプロの裁判官は呻吟しつつ、プロとして裁きを下す。みな基本的に良心的な裁判官だと私は思いたい。だから、孤独で苦悩に耐えながら判断を下していると思っている。ついでにいうなら、検事も心中苦悩しながら、実刑以上の悪意を犯罪者に追及している芝居をしている。-そう信じたい。

 だからなのだ。

 そのような覚悟を、裁判員は迫られるということなのだ。だからこそ、あえて今回寺島さんの発言をとりあげさせてもらった。寺島さんを今のところ信用するが故である。
 そして、付け加えるなら、それこそ僕が裁判員制度に反対する大きな理由でもある。簡潔な訴状。分かりやすい証拠書面。そういうもので人が裁かれることの恐ろしさにおののきながら、私たちは裁判員をしなければならない。
 三浦和義さんの事件は何年もかけて、結局傍証しか得られず、完全な犯罪証拠を提出できなかったゆえだろう。プロの裁判官の目が、上級審に行くに連れ、手続きも含め煩雑な証拠物件を含めて吟味されなければいけない。それが殺人か否かを裁くこと。それが国家が死を宣告することもある殺人を取り調べることのはずなのだ。

 僕は裁判員制度は明らかに拙速だという気持ちにいささかも変わりなく、思いは強まる。
 それよりも、「傍聴員制度」を創設すべきだ。人を強制的に殺人事件に傍聴させる。どのように審議が行われているのか、裁判過程を強制的に結審まで傍聴参加させる。そして感想を書かせる。守秘義務は絶対。裁判員制度はそのような準備過程を経た上で実施したらどうだろう?
 このまま精神的準備が出来ぬままずるずる裁判員制度が発足したら、大型掲示板で裁判員が匿名の悪意ある文章を書き込むことが起きるーそんな予感がして仕方が無い。人はプレッシャーに耐えられなくなったらおそらくそんなことを起こすだろうと思う。人はそんなに強くないとしか思えないから。プロ信仰が強すぎるのかもしれないが、そのようなプレッシャーが前提でなくて何のための裁判官であろうか。

※附記。 関連資料です。社会学者:宮台真司の一事不再理推定無罪ロス疑惑。これが正答だと思います。すなわち、基本的人権としても最も大切な一事不再理。推定無罪。刑事法手続き。それから、付随して、属人主義と属地主義。
 TBSラジオのポッドキャストから。(こちらの資料も「お笑いみのもんた劇場」さんから勝手にいただいてしまいました。申し訳ありません。<(_ _)>)

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by ripit-5 | 2008-10-17 22:05 | 社会

二重基準

 このところの金融危機について最もまとまっていて、質量共に充実しているのは国際ジャーナリストの田中宇氏のレポートだと思うのだが、練られた考察の氏の記述さえもすぐにを忘れてしまうような市場のすさまじい早い動きだ。
 何にせよ、この期間、このような事態を予想していたのが経済学者でも経済ジャーナリストでもなく、田中宇氏のようなユニークで基本的に何にもおもねらないジャーナリストであるのがこの現実の面白いところであり、自分の観点を嗅ぎ取るセンスも問われてしまう。

 権威と実力は自分で判断しなければ。
 そういえば、医者が云っていた。医者は患者が風邪だといっても、その症状からの最悪なケースをまず想定してみなければならない。医者が患者の主観的な見立てにOKを出していたら失格なのだ。そのような観点からこの社会を覗いて見たり、観察してみればいい。無意味な楽観主義がどれだけ根拠のあることか、根拠の無いことか。医者の手法で社会を見れば、実際の因果の結果で、それでたいしたことが起きなければ御の字だった、ということなのだ。
 -これは我が師匠から教えていただいたことだけれど。

 それにしてもだ。よくよく考えてみれば、証券市場というものは得体が知れない。元々東京証券市場がバブル後、外資がその大部分を占めた。だから値が上がっていた。その外資の機関投資家が現金化を求めて必死で売っている。その結果どんどん値が下がる。それは単純な理屈としては分かる。
 しかし、それがすべてでもないだろうし、日本の経済生産。実体経済。それを見たとき、これほど下がる合理的な理由があるのか。一体、日本の実体経済のどれだけがかさ上げされ、そして今は実体そのものなのか。もっと低いのか。あるいは本来、もっと高いのか。その実体値は金額的にはどの程度か。
 市場はぬえのようにつかみ所が無い。

 そしてもう1点気にかかる。世界全体がグローバル経済ゆえに、どの国もいいところが無く信用収縮する。そのために政府が介入している。G7の金融担当相首脳会議でも協調介入を宣言して、危機を共有する。それは間違いなくいいことだ。
 だけど、市場はやれ「具体性が見えない」とか「サプライズが必要」とか云う。
 何か変だぞ?甘えていないか?認識が甘いというのなら、金融工学商法をやった人間は身包みごとすべて吐き出して、収縮価値を自己責任で補てんすべきである。

 これは前の日本のバブル処理のときにもすごく思ったのだけれど、あの時も同じような発言を政府に対してしきりに「市場」とかいうものがしていたのである。「金額が足りない」「金額が足りない」って。

 そういうことを金融危機のときに云う連中は、商売が上手く行っているときにはやれ「自己責任」だの「規制緩和せよ」だの、「自助努力が足りない」だのといって、実需を支える小さな製造企業などを泣かせ、貸しはがしをすることに拍手をする連中なのだ。

 おかしくないか?自分たちで商売に失敗したのだ。本来であれば、自己責任でことを収めるべきなのである。その気が無いなら、日頃から、自己責任だの、自助努力だの、何でも規制を撤廃せよなどというべきではない。そんな資格はないはずである。逆に云えば、今のこのときに悲鳴をあげてはならない、と。こうなる。

 だがむろん、そうすれば経済の心臓が死んでしまうので仕方なく政府は国のお金を出して市場に資金を供給する。そうせざるを得ないことを理解するがゆえに。 
 僕だってリーマン破綻をすべて「自己責任」に帰させてしまっtたのは、「それはやり方が違うんじゃないのか?」と生意気にも思ったのである。それは先見性があるんじゃなくて、単に僕が日本人でバブル処理の地獄(?)を時事ニュースとして知っていたからに過ぎない。(拓銀の破綻など)。

 だから本当は市場だけ特別扱いしたいわけじゃないのだろうが、そうせざるを得ないのがこの高度資本主義、ってやつなんだろう。
 ゆえに単純な僕などは市場は頭を垂れて、有難く政府に感謝して本来的な企業価値に見合う働きをすべきだ。-と思うんだけど、そーもいかねぇんすかねえ?ここら辺になるとあっしら無知な庶民にはわからねぇ。その市場の動きとやらがよう。

 まあいいや。一応云いたいことだけは上に書いたので。でも同じことは形を変え、これから何十年か後にまたとんでもないバカをやらかすのかねえ。なんてね。まだ来週が大変なんでしょ?そんな悠長な話をしている場合じゃございやせん、か。

 またぞろ経済とは何か?改めて考えるべき新しい時代に突入し始めている気がするんだがね。混沌として、なかなか大変なことでござんす。

 どうだね、たくさんの老スクルージたち。クリスマスにはまだ早いけど、過去現在未来の幽霊が夢見に立ってみたらどうかね、と思うんだけど。どうかね?
 
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by ripit-5 | 2008-10-11 22:28 | 社会

The Beautiful South - The Rose Of My Cologne



父さんは地元の酔っぱらい
母さんは街いちばんのふしだら娘だった
兄貴はつまらないチンピラで
ハーレーダビットソンを乗り回してた

遠くの友だちや親戚が
みんな抱えてる問題を打ち明けたがる
姑の話から法律に反する話まで
彼女は彼らの絶望のタネを落ち着いて理解してやった

彼女は人生の小天使だった
給料の良くない仕事よ
地獄に行くはずの人たちを
天国に案内してやるなんて
ほんとうにそんな価値があったのかしら
時間と死だけが答えを出してくれるのかも

彼女は
その家の
レンガのいしずえだった
真の土台石
彼女は色であり
音であり
味であり
バラの香りのコロンだった

いとこのボビーは人殺しをして
荷物をまとめてリサ・ジェーンと出て行った
誰も落伍者で
逃げ出したきり 二度と顔を出さなかった
娘たちも息子たちも叔父たちもみんな
誰もが自分だけの問題を抱えていた
教授も司教も警官も
誰もがバラの香りのコロンを使おうとした

ついに彼女は決心して
荷物をまとめるのに30分もかからなかった
自分のオートバイにまたがると
さよならの手も振らず 一度もふり返らなかった

別離 妊娠
アルコール中毒者 痴話喧嘩
殺人 女漁り
全部まとめて バイクで崖から突き落としてやったのよ



かなりキツイ詞でしたので(^_^;)。 この曲でお口直しを。
これはゾンビーズの曲のカバーです。日本語対訳つき。

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by ripit-5 | 2008-10-10 23:10 | 音楽(洋楽中心)

何か感傷的なのだが(苦笑)

 昨日、たまたま学生時代の日記を見つけた。5年日誌になっていて、その後社会人になったころもたまに記載があるのだが。卒業してからの記述はほとんどない。また、学生時代の部分も4年次(実は自分は留年して大学在学は5年)のほぼ年頭の1月と年末の11月以後部分の記述だけなのだが。

 まず、文体とか文章形式が今とほとんど変わっていないことに驚いた。成長がない(笑)。それどころか、今の方が退化しているんじゃないだろうか?

 それから当時、ブログでもまだ恥ずかしくて書けないほどこの時期は人間関係が錯綜していて、それもあって大学も留年し、というのは嘘で(笑)。本当は2年の段階で留年が決まっていたのだが。(単位取得が少なかったため)。

 まぁ、いずれにしてもいろいろあってややこしい時期だったのだ。
 その内容を読んでいて、何だか同じ人物とは思えない。違う自分、若いやつの日記がそこにあるようで、自分を持ち上げるようで恥ずかしいが「うい奴じゃ」「いじらしいのぉ」と思ってしまった。
 何でこんなに純朴なのだろう?と自分で自分にびっくりしてしまう。

 時が馬鹿みたいに経ち、「こんな風に考えていたのか」と、初めて出会ったかのような文章にうい奴じゃのうと思うときもあれば、当時のことを思い出し、いじらしく感じることもある。

  自分のことながら、若いというのは良い。主体的に活動的だったのはこの頃がピークだったのは間違いなくて、その中でもがいている感じは今の自分がもがいている感じよりもずっと説得力があるように思った。俺もそれなりにやってた時期があったんだなと感じたりして。
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by ripit-5 | 2008-10-08 22:15 | 日々

続き

 彼の母君と連絡がつく。縷々電話で状況をうかがう。見当たる言葉なし。
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by ripit-5 | 2008-10-06 22:27 | 日々

俺は酷い男だ。あるいは現実的ということを知らぬ男だ。

 久しぶりに転院していた幼馴染の友人のところに二度目の見舞いに行く。
 最初転院してから、今日までの間にもう2ヶ月以上経っているのではないだろうか。
 このことの意味は、ひとえに、俺の弱さと怠慢から来る。
 というのは、転院してからの調子が今ひとつのようで、その後母君からお礼の電話の際に聞いた話だと、どうも彼の持病が進行中で調子が思わしくなく、良くなる方向は無いのではないか、という悲観的な話を聴いていたからなのだ。詳細はプライバシーなので書かないけれど、状況はなるほど、厳しいものだと思わざるを得なかった。

 それ以来、俺はビビッてしまったのだ。これは俺の言い訳だが、ずっと調子が悪くなっていく中で、悪い状況で自分が会いに行くことで、なお疲れと病院に収容されていることの不満が高まるのではないかと。。。そういう理屈を立てていたのだけれど。。。
 だが、本当のことを書かねばならない。俺は、遠ざけていたのだ。。
 ホンネを言えば、このところあまり元気になれない自分の精神状況の中では会いに行くのが負担だったのだ。
 そう、負担だったのだ。

 そんな思いが積み重なって、もうこんな良い日和が少なくなると思われる今日、意を決して行ってみたら、彼はもはや重体だった。
 部屋は集中治療室じゃないし、前と同じ部屋だからまだ何とか、と思ったら手には管を抜かないようにグローブをされ、口には泡が溜まり。正直、しまった、と思った。昨日前もって母君に様子を伺ってから来るべきだった。そうすべきはずだったのに、また手を抜いてしまった。

 彼の目が何かを訴えている。その訴えが何を求めているのかどうしてもわからない。片手に盛んにテレビ側を向けて口を開けて目で何かを強く訴えているだが、わからない。どうしようもなくて、また改めてお母さんに様子を聞いてくるよ、絶対遠からずくるよ、と彼の訴えが分からない手をせめてと思って、とったり握ったりしても、そうすると余計に彼の目の訴える力が強まり、そして身体は固まり、何かを訴える手で首を前に横にするしぐさ。それが何を意味するのか。看護師もそばにいない状態ではどうしても分からない。しかし彼の意識はしっかりしているのだ。それは間違いない。

 結局、一方的に病室を出た格好だ。
 この現実を前に整理がつかない。つかなかった。いい年をして、身近な人の重体の姿というものを知らない。経験したことがない。父の心筋梗塞の直後のICUでもここまで深刻な状態ではなかった。(その意味で寝たきりのご老人と同室の普通病室に置かれている彼の立場になんだか腹が立ってきた。ー八つ当たりだが。。。)
 いつも格好つけたようなことを書いていながら、彼の必死な目が何を訴えていたのか皆目検討がつかなくて、混乱したままなのだ。お笑い種、とんだ恥さらし、と自分をナルシステックに見ても仕方がない。そんなセンチメンタルなのはいまさら止めなければ。
 
 彼の身体はシリアスでも、彼の意識はしっかりしている。だから。
 問題は、彼が俺に何を訴えたかったのか、ということなのだ。それ、そのことなのだ。

 彼の家、母君のところに電話をするが一向につながらない。病院に行っていてまだ帰ってこないのだろうか。
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by ripit-5 | 2008-10-05 22:02 | 日々

個室ビデオ店 放火事件

 実はこのような業態のサービス業があったなんて全く知りませんでした。
 最初は社名のイメージからカラオケ店の出火事件だと思ったんです。それにしては、死者の数も多すぎるし、いくら煙にやられたにしても逃げ切れない人がそんなにいたのか?とトンチンカンの理解をしたんです。
 しかし、いわばネットカフェのような役割を果たしている場所だったんですね。
 1500円で住まう簡易宿泊施設に順ずるようなもの、か。
 建築基準法上の問題がこれから語られるのではないかと思うのですが、業態が宿泊施設ではないとすると、防災法上の問題はクリアしているとなると、非常にやっかいだ。

 同時に、とてもナイーヴな現代的問題ですね。湯浅誠さんがいう「貧困ビジネス」とは意味が違うでしょうが、”住”の問題を抱えた人のニーズを結果的に果たしていたことになる。

 僕はずっと前に自分が住む区の大型スーパーの跡に出来た複合レジャー施設、そこはネットカフェ、カラオケ、マンガ喫茶、ゲーム場で成り立つ大型店で、それが出来たときテレビで持ち上げ、その際に使われた表現として「時間消費産業」という言われ方がされまして、何だかその言葉にとても強い違和感を感じた記憶があります。(05年10月1日の日記)

 しかし、「時間消費産業」は今や意味合いを逆転し、まさに生きるための(寝るための)時間消費産業の場所に、それと類似の店がなりつつあったのだと。

 寄場とか飯場とかそんな差別的な表現は使いたくないけれど(そもそも、これらの言葉は漢字変換がされない。明らかに差別用語だからでしょう)、意匠は多少綺麗であれ、そういうかたち、形態で過ごさざるを得ない人がいるということにまた改めて気づかされ、愕然とするのです。

 目に見えない形で衣食住の基本に関る安心からも滑り落ちている人がいる。本来その「衣食住」という原則を基盤に福祉措置というものがあるべきはずですが、そういうものが目に見えないところにわき置かれ、変わりに民間のエンターティンメント産業における隙間的な部分が、あくまで結果的に住に困る人を救う形になっているのかもしれない。
 しかし、もちろん福祉住宅のわけではないから、宿泊施設に必要な設備は無い。。。

 う~む。。。本当に重たい話だ。やはり政治として本来考えなければならないことで、「見えない貧困」の一つのケースを(また)見せられたような思いにさせられた。
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by ripit-5 | 2008-10-01 22:02 | 格差・貧困 & 中流崩壊?