麻生首相って人は。。。

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 ETC搭載の車が高速道路1000円乗り放題が始まった。なぜETC搭載のみが恩恵を受けるのか疑問だったが、ETCは聞くところによると搭載すると割賦販売と同じで2年間かけて24月で返済するとか。まるで携帯の機種購入と同じ感じがした。結局、景気対策とETC普及の2段重ねか。この政策で誰かが得をしているのだろう。もちろん、一番ほくそ笑むのは投票してもらえる政党だが。確かに、北海道のように土地が広いと、例えば札幌から小樽に行くにも旭川に行くにも同じ金額ならば、得な気分は大きい。

 しかし、この種の政策はすでに民主党が云っていなかったか。そして民主党の政策は実現性がないとあれこれ言っていなかったか。麻生政権にとって未曾有の経済危機とは、そんな轟々たる激論の過程をもいとも簡単に忘れさせるほどの大盤振る舞いとつながるもののようだ。

 そして今度は麻生首相、贈与税減税を検討しているらしい。僕が何より悲しいと思うのは哲学や理念、否、そんな立派なものでなくとも単に合理的説明すら無いことだ。ただ、こんな風に首相は説明する。、
「息子なり、孫に渡して、家を建てる、車を買うなど消費の証明ができるものに限り、年度を区切って贈与税を安くする、ゼロにする案は検討させていただく値打ちがある」

 この分かりやす過ぎるあざとさは何だろう?小泉政権とは180度違う意味で一般庶民を軽く見ているとしか思えないのだ。生前贈与の問題点を今すぐ思い返せない自分が情けないけれど、何にせよこれも資産がある中流以上の高齢者にお金を動かして欲しい。自分が動かさないなら、せめて子や孫に動かさせようというあざとい意図がみえみえだ。

 麻生さんへの苛立ちは、ある意味でもう一つ、「いけいけ」政策だった小渕政権の説明なき政府支出にも通ずる。あの時期を思い出す。もっとどこか不快な形で。そして小渕政権の後に実質、反動として小泉政治が始まったことを考えなければならない。政府支出が大量に必要なとき、その説明をする国のトップの誠実さと真剣さが必要だと思うのだ。でないと、また「子や孫につけまわしできない」というリーダーが現れるに違いない。

 今政治家のポスターをたまたま見ると一人で映っているものがない。詳細は知らないが、いま時期あたりから今年の選挙のため、写真は一人で写せないらしい。自民党議員のポスターに麻生首相と映っているものを見かけない。

 そんな中で直接的に庶民の懐を潤すことが首相の目的になっているみたいだ。自分と2ショットしない議員にプライドが傷ついていると思うのだが。

 党内反麻生陣営も情けない。検察の勇み足としか思えない小沢秘書疑惑問題が出たところで、ここが勝負どころと首相批判の急先鋒だった中川秀直氏は早期の解散を語り(それはつまり麻生でいいということ)、同じく麻生批判の先鋭、武部勤は麻生政権でよしとする構えにあっさり転向してしまった。

 ここまで分かりやすすぎると却って呆れて苦笑せざるを得ない。
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by ripit-5 | 2009-03-29 21:35 | 社会

今年の年度末はどうなるだるう?

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 今週は雪が積もった日もある寒い週だったが、なんだかんだのうちに早くも年度末。来週の予報は雪マークもなく、春は遠くないと感じる。
 そんな中、やはり気になるのは今年の年度末。昨年年末の「派遣切り」に続く年度末派遣切りに遭う人たちがどれだけの数にのぼるのだろう?今年の年度末は法で定める3年間の契約期間の満了時期ともぶつかるのでそのまま契約延長に至らない人たちがどれだけの数になるだろう・・・?
 自分は幸いこの3月で契約解除はないけれど、いつどのような状況に陥るか分からない身分でもあるので、やはり気になる。

 一時社労士の勉強をし直していたときに意識していなかった自分にも悔いがある。なぜ1年ごとの労働契約だったものが3年ごとの労働契約に変更されたのか。きちんと考えなかった。また、初めて労働基準法を勉強した平成の初期は労働契約期間の期間の定めが基本的になかったと思う。それが普通だったのに。それと、やはり派遣法の改悪に無頓着すぎた。
 話が出ている雇用保険法の修正や改正はこの年度末にあわせたものになっているのだろうか。困ったことに、最近あまりニュースにのぼらなくなった雇用と失業の問題にかかわることだけに、非常に気になる。

湯浅誠「反貧困 これは『彼ら』の問題ではない」(グーグルビデオ・46分)

 この湯浅誠氏の講演のもようは昨年末のもの。丁度昨年12月中旬に聞きにいった際の講演のものと重なるので、どのような講演を湯浅さんがされるのか内容もおおむね重なるのでここにアップさせていただきます。興味のある人はぜひ見ていただきたいです。
 クールでソフトな語り口と実にクリアーな社会構造に関する絵解き。「反貧困」の理論からもうひとつ湯浅氏の新しい視点として僕がなるほどと思ったのは「社会的支出」という観点。中年期に増大する社会費用(教育費、高齢な両親の介護や自分たちの老後のための積立。)を個人に背負わせる負担からどう社会的な共用費用と転換していくか。そのための説得的な議論はどういうものか。それが今世紀の日本のいわばニュー・ディールかもしれないな、と思ったりする。価値転換の意味において。
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 さて、上記写真の本は昨年の岩波の2冊のベストセラーの著者、「ルポ・貧困大国アメリカ」の著者・堤未果氏と「反貧困」の湯浅氏二人の対談本。今年の3月に出ました。アメリカの中流崩壊。それが医療保険と絡んでものすごいことになっている事実には流石に驚く。両書の入門としても。対談なので読みやすくお勧めです。もちろん内容はシリアスではありますが。(タイトルも結構刺激的だけど。)
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 クライシスはチャンスでもあると。額面的な物言いですが、この若く誠実なお二人の議論であればそう云ってしまっても良いのではないか。感想はぜひいずれかの日に。

 ※おまけとして、堤さんの「視点・論点」から。こちらも貴重なお話。いま、若い世代が社会を動かし始めている。

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by ripit-5 | 2009-03-29 11:59 | 湯浅誠

週末充実の朝日ニュースター

 何だか宣伝臭が臭いそうなタイトルですね(苦笑)。しかし、実際CSの朝日ニュースターは週末、良質なジャーナリステックな討論番組や対論番組がありましてね。
 今朝は朝の「政治学原論」に自民党参議院議長の尾辻さん。この人は先の国会の冒頭質問で経済財政諮問会議や規制緩和委員会などの民間諮問会議の廃止を訴え、場合によっては自民党も野に下るのも恐れず、私も首相についていきます、と語った人。


経歴を見ても父を戦争で失い、経済的理由から防衛大学に入り、それから東大に転学したという。考えてみれば何の政治家になるコネクションを持たない市井人出身。何より厚生行政に通じており、国会代表質問の冒頭で自殺3万人社会の異常さを切に訴える情実の人だ。湯浅誠氏もこの人は認めているはず。ある意味では、このような人が総理になればよいと思えさえする。ただ、ご本人はシャイな感じな人だし、ボス猿争いばかりしている今の政界でトップになるのは残念ながら難しいのだろう。
 朝日の早野さんが聞き手だったが、この番組、残念ながら今月いっぱいらしい。ラストに尾辻さん。番組の良心を感じた。聞き手が早野さんだったのもいい。

 もう一つ、朝日ニュースターで気づいたときにはこの3月で終わりが決まっている加藤紘一の「もう一つの日本」。このところ、イデオロギー時代以後の政治とその社会の文化(「悪玉ナショナリステック」ではない文化)と、文化を見直した上でその国の政治に対する考察を深める形でフレキシブルにゲストを呼んでいた。前回は姜 尚中。加藤紘一と姜 尚中が深い対話をする。まさに時代の変化の可視化であり、加藤紘一の自民党における異色性(すなわち逆説的には先進性)を感じたりもしたものだ。今週は中沢新一。これまた異色な感じ。何だか、季刊誌「SIGHT」の企画のようである(笑)。
 加藤紘一もあの乱さえ起こさなければ今はおそらく首相経験者だったはず。惜しい人材が埋もれてしまった自民党だ。だが加藤紘一も明白な権力闘争を起こして敗北した以上、今は首相も、閣僚の目さえない。だがあの失敗と、その後の自宅放火事件で加藤氏をぐっと人間を大きくした。強くしたと思う。今後の政治が激しい嵐となれば、加藤紘一に目が全くないとは思えない。日本人はけしていつも馬鹿ではない。加藤紘一が与党内評論家程度でいいと思う人ばかりでもないだろう。

 夜、テレビの今を論ずるNHKの討論番組。相変わらず”過剰に中庸”な三宅アナを司会に使うのは不満がないといえないが、この「日本、どうする」は昨年の年金問題からずっと興味ある番組。

 僕は常々書いている通り、テレビに批判的なスタンスの哲学の持ち主。それは思春期の生理と感性に基づくものだろうと今振り返ると思う。

 一つは「豊田商事事件」という高齢者を巻き込んだ巨大詐欺事件があった。その際に暴力団まがいの人がメディア注視の中で豊田商事の社長を殺した事件があった。あの時、カメラマンたちは誰も日本刀を抱えた主犯とその子分を制止するどころか、殺人現場を取ろうと部屋の中にカメラを構えていた。どんな人間であれ、無法に人が殺される。それを制止する勇気がなかったことは今では責められない。だが、興味に乗じてカメラを向け続けるテレビマンたちの態度には行き場のない憤りを感じた。今でも感じる。それが思春期に初めてテレビ報道に疑問を感じた瞬間だった。

 もう一つはいわゆる芸能記者。具体的には「突撃レポーター」の登場である。家のインターフォンを鳴らし、車に乗り降りする芸能人に傍若無人にマイクを向けて質問の嵐を浴びせる。その象徴たる梨本氏。あるいはやたら「ファンにどう釈明するのか!」と自分の強引さを差し置いて居丈高に倫理を振りかざす芸能レポーター、須藤氏。(野党から選挙にも出た。)
 あのような人たちの傍若無人さと傲慢さに対する生理的な嫌悪である。あそこら辺から公共的にはとりあえず羞恥の感情が守らねばならない、という自分の倫理に傷をつけられた気がしたものだ。(もしかしたら欧米ではすでにパパラッチとして存在があったのかもしれないけど。情報が少ない時代に生きたものには覗き見趣味と、そんな自分を嫌悪する感情との矛盾を、平気で突き破る連中に思えた。)

 その彼らが「表現の自由」や「報道の自由」を振りかざすことのいやらしさである。

 自分は実際、嫌なやつで、教科書的な人間なのだ。 
 
 現在の最大の不愉快はズバリ、司祭者・みのもんたによる「みのポリテックス」である。

 今、冷静に言えばテレビっ子だった自分が有料チャンネルでないテレビに思う最大の感想は『映像情報の中央集権』になっているという感覚。そういうことになるかな。
 20代までテレビに恩がある自分にとっては残酷な感想だろうけど。今のテレビマンには申し訳ないけど、もう少し残酷なことをいえば壮大な無駄をやっている気がする。見ている側のレベルを低く見積もりすぎているのではないのかな???。一概には言えないのかもしれませんが。
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by ripit-5 | 2009-03-21 20:12 | マスメディア

「いじめの醜さ」伝えて

Excite エキサイト : 社会ニュース

 たまたま地元新聞でこのタイトルの記事を見かけて、いじめ自殺した高校生の事件のニュースを知ったのだけど、その自殺してしまった子の優しさに泣けました。
 普通、いじめを受けていたなら恨みつらみを書き残したいものだろうに!

 その子は遺書の中で「いじめの醜さを教えてあげて」「いじめられている子を助けてあげて」などと数十人の友人や教師らにメッセージを残していたという。
 いじめた子らの名前のほかにいじめを受けた子供についてもつづられていたという。父親は「死んでいじめを防ぎたかったのか。そんなこと考えなくてもいいのに・・・。そういう状況においこまれていた」と無念を嚙み締めているという。その子はパソコンで書かれた遺書に「暴言、暴力、いやがらせを浴びせられ、精神的に嫌になった」と記していたという。

 これを死と引き換えの高度ないじめに対する攻撃と受け止めるだろうか?僕はとてもそのように「うがつ」ことはできない。

 また、父親も非常に出来た人で、その対応が素晴らしい。父親は(いじめていた)7人の同級生の名前はあえて学校に知らせず、遺書のさらに詳細な内容については伏せているといい、「いじめにかかわった人は名乗り出て欲しい」と訴えているそうだ。

 その子は動物好きで小学6年のときに捨て猫を拾ってきて「このまま放置していたら死んでしまう」と親に懇願して、根負けした親にその猫を飼ってもらうことにしたという。

 かくも優しい子が自分で死を選ぶような時代なのか。それも現実なのだとしたら、現実はかくも厳しいものであろうか。また、何にもせよ、自殺してしまうことは「弱者」の行為であろうか。

 戦争もなく平和な日本で、小さな悪意、攻撃性の刃がむき出している。それが哀しい。

 おそらく、いじめた子も何か精神的にストレスを抱えているのであろう。満たされないものが優しい抵抗をしない同級生に(本質的に)理由なき理由で攻撃の矛先を向ける。そして学校は気づかない。何と切ないことだろう。

 昔は「いじめっ子」というのがいた。「いじめられっ子」がいたと同時に「いじめっ子」がいた。そのような子はいわばそのようなレッテルを貼られその役割を負わされた存在であり、ある意味でいじめっ子同様に皆からスポイルされてしまった存在だったのである。ドラえもんでいえば「ジャイアン」であろうか。そして、そのような子はその役割を引き受けてしまったゆえのどこか孤独な物影があったのだ。確かにお山の大将で同級生をあごで使うのだけど、疎んじられ、自分が避られているのに気づいていたはずだ。
 そのような「いじめっ子」だって本当はみんなと一緒に感情を分かち合いたかったに違いない。コミュニケーションがうまく取れなくて力に頼るような事態になるような次第だ。

 だから気がついて自分が変われば、天狗になったりするのをやめるようになれば、その力強さで人に頼られる存在に変わることも出来た。
 先に自殺した子に関しては云うまでもない。将来の社会の貴重な人材が失われたのだ。

 現代の子供のいじめの病理は「いじめっ子」を引き受けないでいじめをする、ということにある。それは卑怯だという倫理がない。無知に基づくいじめなら変えられよう。
 しかし「なんでもない子」がストレスフルな子たち(一人で、ということはおそらくまずない)にいじめられるという不条理は本当に大きな社会問題だと僕は思う。
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by ripit-5 | 2009-03-16 20:34

日曜日の新聞書評欄から。内田樹「街場の教育論」

 評者は教育評論家の尾木直樹氏である。

 「たまたま書店でこの本を手にとってしまったら、できたら頁をめくらずにそのまま書棚にお戻しください。ぜひ」という書き出しでこの本は始まるらしい。現代において忘れられつつある”世間的良識”的なるもの、あるいは昔ながらの”大人的関係性”のようなものにつねに鋭い着眼をしている筆者らしい自負が逆に感じられる気もする。

 「せっかく人々が教育について論じるのに飽きてきた頃合」なので、「政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に任せて、放っておいてほしい」。しかも、それが本書で述べる「ほとんど唯一の実践的提言」だ、と言い切る。
 著者が言うとおり、「教育は惰性の強い制度」なので、小中一貫校、学校選択制、二学期制などと形ばかりをいじくる必要はまったくない、と論じている旨。

 内田氏はさらに、今の日本のように閉塞的な状況下で「競争を強化しても学力は上がらない」と断言し、「『よい教師』が『正しい教育法』で教育すれば、子どもたちはどんどん成熟するという考え方」は、「人間についての理解が浅すぎる」と批判する。
(大意要旨)。

 大きな失敗をした新自由主義は生活の隅々まで自由と選択という美名のもとでのイデオロギーが支配した時代といえるが、それはあからさまにいえば人間は欲望に忠実でいいのだ、と『欲望に忠実な人たち』が叫び続けた時代だとも言える。その世界観は我を張り、心理的に武装をしている個々の人間がいるだけで、「社会」がなかったといえよう。
 政策的にはすべて事後処理。事前規制を排除することで、法律が持つ事後の問題への予測を奪った。-乱暴な云い方をすれば、だが。
 また、永遠に日々の現在があるだけで、過去がない。過去がないから未来を描けなかった。そういうことなんじゃないのかな。

 別の切り口では作家の橋本治は大意、教育や勉強は束縛されて詰め込まれものだが、そこから逃げ切り自由を手に入れるもの、という趣旨のことをかつて書いてていたと思う。僕は大学で勉強をしなかったため、今となって後悔する身の上だが、高等教育のレベルでは生徒が教師とそのような(教える側と教えられる側の間の)素晴らしい緊張関係が育まれる可能性があるともいえよう。(理想を言えば)。

 生徒が教師を抜く瞬間のダイナミズムを喜べる教師こそが真の才能のある教師であろう。また、師を抜いた寂しさと有り難さを身にしみる生徒こそ、真の生徒だろう。

 何にせよ、教師としての才覚は永遠に学ぶ喜びにとりつかれた者にこそあるのだろうと思う。
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by ripit-5 | 2009-03-10 21:52

加藤虎ノ介を久しぶりに発見!

 いまだ当方のブログのアクセスキーワードとして常に人気上位の加藤虎ノ介。
 アクセス稼ぎをかねて(?)"^_^"

 久しぶりに彼がドラマに出演しているのを偶然発見しました。
 NHKのハイビジョンでやってた、何故か緒方洪庵の若いときを舞台にしたドラマ。
 もう、ラストのほうでしか見ませんでしたが、世の中を変えるためという野望のために(すげーな)洪庵の師匠の医師と洪庵(若き洪庵はアキラって名前のようですが)を、秘密を知りすぎたってんでともどもに殺しちゃおうというハードボイルド?まぁ、エンタメドラマですな。残念ながら虎さん、女剣士にあっけなく?殺されちまいます(笑)。

 そもそも、このドラマ、かなり奇想天外なところもあるような感じでして、なぜ緒方洪庵で、なぜ彼がいつもハードなシチュエーションに置かれているのかも良くわかりません。
 ただ、最近のドラマを見てて思うのは、つくづく女性陣が強い。
 いつでも男性陣をリードしている。

 にしても、加藤の虎さん。「ちりとてちん」で大ブレイクしたのだから、その後も、と思ったら意外と地味な個性派悪役にちょいと。もっと場所を与えて欲しいものだ。
 まさか今もフリーターをやってるわけでもあるまいに(笑)。
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by ripit-5 | 2009-03-06 22:19 | マスメディア

天地人

 駄目だなぁ。前回の大河ドラマは少しくさすようなことを書いておいて、結構今週の「天地人」はハマッて観てしまった。旧聞に属するバブル世代には阿部寛があのような個性派の大型俳優になったことだけで凄く感動的に感じるわけでもあり。だって、昔はメンズノンノあたりの表紙を飾るフェミニンモデルだったんだから。。。
 上杉謙信って、本当にあんな「義」のために生きる、いわば求道者的な侍大将だったんだろうか?確かに武田家を破った後、織田が一番警戒したのが上杉で、その大将、謙信が亡くなったのは織田信長にとって安心材料であったと同時にライバルの死を悼むところがあったと戦国時代を描いた「歴史マンガ」で(苦笑)知るところなんだけども。
 歴史にもしも、があれば、上杉が天下を取ったらどうなったろうね?近世への移行は遅れた?それとももっと精神的に強い国民性が生まれた?徳川はどうなった?とか。。。

 だが、いずれにしても謙信に実子がなく、二人の養子、景勝と景虎で結局周りが巻き込む形で一つ、世継ぎをめぐるお家騒動になりそうな展開なんだけど。。。
 二人の養子、これがなかなかヒューマニティがあるような描かれ方で、この二人の存在も興味深いんだ。出来すぎ、特に景虎が出来すぎなのが気になるところ。
 主人公の主人、景勝が個人的に思い入れが出てきてまして(笑)。最初は長島の息子が演じてるのかと思ったけど(笑)。寡黙というには、余りにも自分の中の何かを抑えているような節が個人的には理解できるようなところと、本当には何を思い考えているのか?と思わせる。その個人的な抑制による緊張に支配されている様子の演技がなかなかうまいな、と思ってみています。少年時代の子役もうまかったな。

 集団というか、組織的に生きざるを得ない人間の生活を描く場合に望まざるもお互いが信と不信に揺れ動く。また戦国時代にどんな大義名分と旗を持って生きられるか。中心を制覇した人でなく、周辺のところから描くのは大河ドラマの今後の成熟した方向性というか、要素になっていくべきだという感じがします。その意味では大河はこのところだんだん中心から微妙にずれた人たちにスポットを当てるようになってきてるよう。ならば観ようかな、という気になります。まだこれぞ、というところにまで到達してない気はしますが。贅沢をいえば。
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by ripit-5 | 2009-03-01 21:50 | マスメディア