新宗教支持者と選挙-ファビオ・ランベッリ教授の慧眼

 昼、横浜市長を辞める中田市長がテレビに出ているのを目撃した。マスメディアを偉そうに云々している私だが、職場で弁当を食べていると、かかっているテレビをつい見てしまうのだ(苦笑)。
 何だかファナティックな感じが怖かった。東国原知事や、橋下大阪府知事、そして中田氏。何故みんなこうもファナティックな感じなのだろう。思うに、中央政界の中心に居ない若い自分たち、という状況のなかにあって出来るだけ早く、どう自分たちの権力を中心部に向かって奪取出来るか。そういう非主流系保守政治家の改革者たち、あるいは革命思想家たちなのかもしれない。見ていると戦前の青年将校みたいでチト怖い。(見たことあるのかい!←自分ツッコミ)。そして何だか生活弱者に対してかなり危ういことも喋っていた。危ない危ない。

 最近僕が思うのは、地上波メディア・ポピュリズム政治というけれど、いまやその段階も過ぎつつあり、今はもう一歩、その先へ来てるんじゃないか、ということだ。例えばテレビで危ういことのギリギリの線を語る。誰も反対できない正論の中にそれをそっとまぶして喋る。そしてその時、イマドキの彼らはテレビの先のテレビ視聴者だけではなく、テレビを見ているネット愛好者もターゲットにしているんじゃないか?そんな気がするのだ。いや、むしろそちらこそいま彼らの本当の狙い目なのかもしれない。例えばネットの「2ちゃん実況板」みたいなものを。彼らはテレビで喋ったあとに、自分の時間でネットをつなぎ、自分の発言に対する反響を見ているんじゃないか。そこで盛り上がっていれば成功。いわゆる、よくぞホンネを云ってくれました、というやつだ。

 麻生さんは「2ちゃんって知ってる?」とかのたまっているけれど、ネット世論に政治家がはまってしまうとすれば、これも危うい。政治候補者の中にはすでにその危うい橋を綱渡りしている人もいるようだ。ポピュリズムは、ともするとネット界では低いところにどんどん流れる傾向性がある。するとバーチャル世界と現実世界とを画する強靭さを持つ政治家も徐々に減り、彼らの発言は自分でも失言なのかどうか分からないところにまで行ってしまう。。。そんな可能性。

 何にせよ、政治活動もすっかり新しくなった感慨がある。いまやどの政党も映像配信が当たりまえ。まさにYOUTUBEはもう一つのメディア革命であったということだ。何せイスラム原理主義(もとい、イスラム・ルネサンス)のタリバンたちもYOUTUBEを使っているとか。そんな時代になっているのだ。。。

 以上は話題一。本題は、今日は政治でも全く別の角度から。ファビオ・ランベッリという札幌大学の比較宗教学の先生が北海道新聞の夕刊の「魚眼図」という欄で定期的にコラムを書かれており、拝見するたび実に日本人の文化特性の深いところを良く認識されているな、といつも感心しているのですが。今回のコラムは今後の政治絵図の中でまだ見落とされたままの部分に光を充てた分析をしていて、大変感心させられました。
 またも申し訳ないですがこちらのブログにて引用させていただきます。新興宗教と政権党の蜜月の終焉の可能性を前提とした上での話。この場合、自民党を支持する各種の新興宗教のこと。その中にはすでに「新興」と呼ぶには歴史がある宗教も実際、多いともいえましょうが。
 ランベッリ教授は日本人は一般的に無宗教であり、そして宗教系政党の台頭と広がりは不可能と思われているかもしれないが、果たして日本人は本当に無宗教なのか?そして果たして宗教系政党の台頭は不可能なのだろうか、どうだろうか?と前置きされて、以下のように書かれている。

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by ripit-5 | 2009-07-29 20:08 | 社会

市場から社会へ



自民党のYouTube広報より。
失言癖謝罪の舌の根が乾かぬうちに。。。



 こりゃ、マジにあかん。この人は昨年11月の経済財政諮問会議でも、高齢者を十羽一からげにして「たらたら飲んで食べて、何もしてない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言したことがある。意図が伝わってないというより麻生さんの本心、世界観だろう。おそらくもはや失言ともいえない。
冒頭懇談会の謝罪は自民党議員のための謝罪でしかないことは明白であろう。

 それにしても麻生さんという人は過剰に人びとを一般化してしまう性癖がある。個々の人間の集まりという発想が余りにも無さ過ぎる。
 あの政権政党たる自民党がネガティヴキャンペーンを張り出すところまで来てしまったという驚きもあったので。その不快さもあり、今回は自分も一つ嫌らしいことをしてみました。ア~~。こんなの、やんなるね。

 24日の日の閣議で出された経済財政白書の報告はやはり驚かされるものだった。企業内失業が607万人という数字もそうだし、何よりも年収300万円以下の雇用者が5割を超えたという数字には「とうとうきたか!」という驚きがあったと同時に、いつかはこの日が来るのではという折込み済みの感じもあって、何ともいえないような気分に陥った。今後の見取り図を想像して暗澹たる気持ちになった。だが、こうなって来たからこそ、この世の中に対する見直し合意が得られやすい時代がやって来たのだ、と前向きに捕らえることも出来ないことはない。

 とにかく日本は先進国の中で滑り落ちてしまった。OECD諸国でも相対的貧困率がアメリカを抜いて、とうとう日本は1位になった。つまり先進諸国でもっとも貧困率が高い国になった。

 いよいよ、市場から社会へ視点をシフトしなければならない。

 そして、この「中流幻想」を捨てるところから、新たな希望が生まれる可能性を考えるべきだと思う。先週見ていたCS番組でも語っていたが、今後の日本の社会経済を考える際、すでに去年の世界金融危機以前から歴史の転換点を迎えていたこと。つまり、先進国における重工業社会の終わりがあり、それに対応する際の対処として日本は新自由主義へシフトしたが、その方向性が完全に失敗であったということが財政の巨大赤字、低い成長率、格差の広がりと貧困層の増加という形で証明された。

 逆転の発想で「中流幻想」と「輸出産業依存の体質」を改め、身近な生活周りから経済を考え直そう。そのために社会保障制度をきちんと貼ろう。今後は限られた財源でどこにお金を使うかが本当に重要になる。細やかな配分と、地域に根付いた産業から見直していくべきではないだろうか。

 いままでの日本は「企業」を応援する政治であった。これからは直接人間へ。人間への直接投資をすることでスキルある労働者を育成することだ。そのような人材育成と同時に、地域のいわゆる「社会的企業」のような存在、すなわち行政ではどうしても見落とされる人たちをケアーする仕事、社会の末梢神経にあるぼくら一人ひとりへ細やかな目配りをするような仕事をする人たち。ソーシャルワーカーや心理療法士。そのような人たちが活躍できる、社会からこぼれ落ちそうな人たちと共に歩める場所が普通に存在する社会を築くこと。
 片方にめまぐるしく変わる産業構造転換に対応して、望む人たちがみな、幾つになっても普通に転換教育や再教育される機会が与えられる制度があり、もう片方には互助的な社会関係が築かれて存在する。

 ある程度裕福になり、文化的な享受を得る文化人になるスペシャリストたちが居て良いし、かたやある人たちは安心な人間関係でそこそこ食べるには困らない生活がある。そのような社会。競争を好む人も、競争を拒むところまで行かない人も、競争嫌いな人も。ともに生きていける社会。

 僕が考える理想のそういう方向に向かうには、勿論財源の配分を市場よりも生活に優先させるということなので、当然大きなコンフリクトが生まれるだろう。ただ、そこに向かう過程で一応リベラルを標榜する民主党が中心となって、より大きな社会変貌へ向かう展望の暫定的さきがけになるのが妥当というか、現実的というしかあるまい。激変緩和的な政党として。

 民主党はマニフェストが出来たようだが、その前の前段階の総論は雑駁な言い方だけど、筋が悪い政策ビジョンとは思えなかった。ともあれ社会保障、社会福祉、労働政策等々とプラス、教育投資に向かう態度には。(ただ、高速道路無料化には反対だ。あえて無料化するなら運輸、バス等のみ認めるべき)。

 いずれにせよ、今後中・長期的には「産業重視」から「生活者重視」になるしか我々の幸せはあるまい。それを明治維新以後のDNAである「富国主義」でいけば、中国やインドとのヘトヘトになるまでの消耗合戦しかない。そのDNAしかあり得ないという考えの人はそのような政治実現を狙っていただくしかない。

 自民党が作るマニフェストはこの春の有識者会合、『安心実現会議』を叩き台にするしか現在、民主党に対抗できる手立てはないはずだ。

安心と活力の日本へ
(安心社会実現会議報告)-PDF


 特にⅡ 人生を通じた切れ目のない安心保障の部分は読むに値する内容で、政府にとって不利なデータも冷静に揚げながら、「生活周り」に着目した提言となっており、この面を自民党が強調して政策実現を訴えれば、ボクシングで言えば「クリンチ」まで何とか持っていける処だろうが、如何せん、当の首相自体がこの体たらくなので。。。やはり一般人のことを分かっていないのは見えてしまっていて、選挙戦冒頭から自滅戦を演じている。勤労意欲の高そうなJCのメンバーたちも「皆さんたちと違って」なんていわれれば笑うに笑えないやね。そう、誰かが笑っているならまだしもあの会場では水を打ったように静かだったのが不気味。若き経営者たちはどう感じたのか。やはり良識的な人は複雑な心境になったんじゃないか。「何でああいう言い方になるのかな?」って。

 もう一つ。地上波メディアや大新聞社も大企業であるという前提で考えるべきだ。そこから真剣な情報を得ようというのは半分以上あきらめたほうがいいというのが今の僕の考え。新聞は官制報告、読みやすい官報だと思って読む。それはベーシック資料としてのみ活用する。見出しには惑わされないこと。
 地方紙を取っている我が家では、むしろ夕刊が面白い。大学の先生のエッセイや論壇、社会時評、文化欄からニュースの深層を読み解く。だが、今の時代ではそれだけでは見取り図を得られない。

 <この大転換期における僕のメディア利用法>
・マスメディアからオルタナティヴ・メディアへ。(CATVやネット放映)。
・独立型メディアへ。(ネットラジオやコミュニティラジオ)。
・ソーシャル・ビジネス・メディアへ。(”ビッグ・イシュー”などの雑誌)。

 マスメディアのアンテナから、映像も雑誌も自分の側からアンテナを引き寄せるしかないと思い定めた。
 今や、可処分所得の優先順位をそちらにもっていくしかない。意識的に見るテレビ、自分にとって価値あるTVメディアははタダではないのだ。
 後は政治に関しては政党が自分たちでビデオ放映をしている。それを見て自分の頭で考えること。
 自分の頭で考えられたら、こんなに自由で楽しいことはない。そこへ行く手立てとして、オルタナ&インディのメディアが必要なのだ。ビッグイシューも文字通り先鋭的なセンスを持つ雑誌である。
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by ripit-5 | 2009-07-27 20:08 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

やっぱりこのことは書いといたほうがいいと思うんだ。。。

 もうすでにどこかのブログで強く言われているのかもしれない。
 新聞でも批判しだすかもしれない。
 だからあえて自分が言挙げすることはないのかもしれない。
 でもやはり書いておかねばならないと思うんだ。。。

 でも。これは自分自身がおおいばりで書けることじゃないんです。
 自分自身、実は思いつきもしなかったことだから。人の口から聞いて、ハッとした。アッ、そうだよなって。
 人の口から聞いた言葉。山口県の暴雨被害。「何故、政治家は誰もあそこに行かないの?」って。
 「解散、関係ないんじゃない?」「解散したら、内閣ってなくなるの?」。
 いや~、内閣が無くなるわけではないわけで。。。

 各党のHPを調べてみたら、共産党は調査チームが現地調査に入ってます。
 内閣は防災大臣っていうのかな(?)。まあ兼任だろうけど、被災地に入っているみたい。だが、党のHPを見る限り、共産党以外は記述なし。いくら解散直後とはいえ、これは。。。確かにどうなんだ?

 いやな言い方だけど、このメディア政治の時代、いち早く例えば麻生さん、例えば鳩山さん。どちらか党首が行くのは総裁として国民を守るという意味では凄く大きいことだと思うのだけど。
 そして、例えば内閣。舛添厚労大臣、金子国交大臣、名前は知らないけど総務大臣、あるいは河村官房長官。なぜ被災地の状況を見に行かないのだろう。
 介護老人ホームの人たちが被害にあってかなりの方が亡くなっているんだ。
 なぜあれだけフットワークの軽い福島党首。志位さんや市田さん。鳩山党首や岡田幹事長。あるいは小沢さん。菅さん。行かないのか。
 本当に、被災地の方々には失礼な書き方だけど、次の選挙で政治を担おう、担いたいと願っている立場の人のうち、いち早く誰が行くか、ということがある意味、大きな選挙運動じゃないか?何にせよ、今のところ誰も議員が入ったって聞かないのは。この遅れってかなりまずいんじゃないのかな。あくまでも国民のための選挙、解散ですからね。

 実は僕も個人的なことで腰が重いままになっていることが一つあって。多少負い目もあり、あまり強い立場の人だからとはいっても偉そうには云いにくいのだけど。
 とはいっても、やはりこの被災の重大さを考えたら、政治家は何といっても、政治家なのだから。
 現地を見ていまの日本の自然状態も考えてもらいたいと。ここ何年か本当に変な気がするし。これからも。残念ながら今年も自然災害は起きるだろう。だから現地の調査と被災の状況を詳しく聞いてきて欲しい。そしてそのようなとき、何が必要か。情報収集してアウトプットして欲しい。
 そしてもちろん、被災者を何といっても勇気付けて、元気付けてきて欲しいのです。

 もしも天皇陛下が被災地に行かれるなんて、先に仰られたら。これはえらいことですよ。
 生意気ですが、何にもせよ、政治家は早く被災地に入るべきだ。
 まぁ、おそらく明日はさすがに誰か入っているとは思うのだけど。。。でも、中三日空いたのは大きいよ。

 何か「見つけた、見つけた」みたいな文章になって申し訳ないですけど、政治にとって大事なことだと思うので。救済活動している人たちを激励する役割もあるしね!
 そしてこのことに全然気づかなかった自分自身も反省。
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by ripit-5 | 2009-07-23 21:24 | 社会

ご案内の通り、「政権選択選挙」かと存じます。

 やっと今日で解散です。投票日まで40日なので真夏に長い選挙期間ですね。
 もう今日でね、似合わない「政局」語りごっこは一応封印しようと思います。まあ、期間が長いので時折書きたくなるかもしれないですが、誘導的な文章は出来ることなら、もうやめたい。
 しかし、今日のところは書いておきます。思い切り。
 自民党の懇談会は何か、凄いっすね。異様な緊張感。与党の解散前の集会というより野党の集会だなこれは。
 
 夕刊の見出しを見たら「政権選択選挙」と大見出し。これは今の段階ではどちらを選択するのか明らかでしょう。何かテレビを見てても「イジメ」に入ってきたみたい。ある意味、残酷だよな。。。

 麻生さんも真剣さを前から局面ごとにきちんと出せば良かったのに。いつもどこか真剣さを見せないできたように見えたのは不幸だった。負けそうなところには吹く風が厳しいね。メディアがそちらへとエンジンを加速させるしね。。。

 麻生さんがこの段階に至ってとうとう小泉政権との訣別を謳ったって。本当は国民怨嗟の主役は引退する小泉さんなわけだよね。俺がもしもメディアの大権力者だったら、小泉さんを引っ張り出して、一般人の前で公開で自己総括させるな。(オイオイ!(~_~;))ま、選んだわれわれ国民側の問題でもあったということだ。深刻に反省すべきことだよ。(注:反省はあやまることと同義語ではありません。言葉の本来の意味が全く失われている)。

 報われなかったこのマンガも(私もマンガが好き)ここ本日のみ、言霊を与えて成仏してもらおう。心ある人はどこか古本屋で捜し当てて購入してください。この作品が2004年の時点で「モーニング」誌で掲載されたとき、私、その勇気に心中拍手を送ったものでした。内容に関しては面倒なので今は触れません。この巻の舞台はテレビ局で日本の総理と一般人の公開対話というシチュエーションに一つのハイライトがある、ということだけは挙げておきます。

キマイラ 3 (モーニングKC)

戸田 幸宏 / 講談社



「あなたはいったい・・・・誰を幸福にしたいのですか?」
「?」
「あなたはこれまであいまいな言葉と巧みなメディア戦略だけで 国民の心理を操作してきた
あなたが掲げる「聖域なき構造改革」とは不思議な言葉です
いったい 何をどのように改革するのか そもそも「構造」とは何を指しているのか」
「つまり それは郵政三事業の民営化と 道路四公団の民営化と-」
「それは同じ民政党内に抵抗勢力が存在するというわかりやすい対立軸を示して
国民の関心を得ようとしているのに過ぎない-茶番だ
それによって国民にどういったメリットがあるのか 説明が一切欠落している
そしてその実現すらおぼつかない 数パーセントの富裕層を優遇して庶民に増税を課すあなたは
権力の亡者にしか見えない もう一度言います。
あなたは誰を幸福にしたいのですか?」 
「・・・もちろん言うまでもなく・・・・1億3千万人の国民全てです」
「国民は全て幸福になっていますか?浅沼総理・・・
はっきり申し上げます
あなたは○○者です」

○○の言葉は棘がありすぎるので引用はやめておきましょう。
繰り返しますが、この作品は「2004年」に書かれた作品です。その勇気。
そしてこの作品は最初から読んでいた人間は当然、話の流れから長編が予想されたのに、あと2巻くらいであまりにも唐突に打ち切り、終了したのでした。

作者たちの無念、いつか晴れるときが来るのでしょうか?報われなかった偉大なるカルト漫画万歳!
あとは小泉は一切無視すべきだ。本当にこたえるのは、今後誰からも相手にされなくなることなのだから。

付け加えれば、今回の選挙。私は小選挙区と比例区は投票する政党が異なるでしょう。
選挙後の第一党の絵が見えてきた以上、死票に泣く少数派の国民によるプロテストは小選挙区と比例区を使い分けること。私はそう思っています。
以上、政局関係の話題は「一応のこと」、これで終了に。

PS。
時にヒマにあかせてテレビに出てくるジャーナリストと自称する政局情報屋を観察するのも面白いかも。選挙後にどれだけの人間が「選択された政党」に入っていくのかなって。(嫌味な性格だなー。我ながらw)。
だって、あの連中の中には元政治家秘書とか結構いるんじゃんよ。
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by ripit-5 | 2009-07-21 20:54 | 社会

シュールで洗練されたディストピア/プリズナーNO.6

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 村上春樹の新作が売れまくっているそうですね。「1Q84」でしたっけ?
 私は一度も良い読者ではないので。。。オウム事件をルポルタージュ的に書いた作品しかキチント読んだことがないです。失業中に高村薫の「マークスの山」と村上春樹の80年代初期の作品を借りたんだけど、取合わせが良くなかった。「マークスの山」のあとに村上春樹の作品を見たら、あまりに軽すぎて駄目だった。日本人作家なのに翻訳調の文体がまた、生活感を感じなくて駄目だったんだなぁ。おそらく、自分の体質がちょっと合わないのだと思う。まぁ、ほとんど今の日本の小説で読みたい人も実際のところ、いないわけで。(時間があれば町田康のものは長編も含めて読みたいという気持ちはありますが)。

 初っ端から話が本題からずれてる。ヒネクレモノの自分は、それならば本家(?)、オーウェルの「1984」を読みたいと思った。古本屋を探してみたが、「動物農場」ともども見当たらない。結局、近くのショッピングモールに入っている書店で新訳の「1984」を購入。903円。ちえ。古本屋にあればもう少し安くすんだろうに。。。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫 オ 1-1)

ジョージ・オーウェル / 早川書房


 というのは、このオーウェルの作品も最初は余り期待していなかったせいもある。昔映画で「1984」が公開されたとき、面白くなくて途中で船をこいでしまった。僕の頭の悪さが明らかにあるけれど、それ以上にやはり映画の出来が良くなかったのだと思う。証拠に(?)この映画作品が後々積極的に紹介されたような話はまず聞かない。

 で、今日その原作のほうを読み始めたんだけど、これは結構面白い。少なくとも出足はかなり思った以上。心理描写もしっかしした小説で、映画がかなりその辺のきめ細かさを省いていたんじゃないかと今では思う。一回しか見ていないので確信してはいえないのだけど。

 「1984」がスターリニズム批判のみで語られるのは違うんじゃないかと今までも「3分の1」くらいは思っていたのだけど、やはりそれはそうだと思う。現代ではもっとメタファーは広げて解釈して読むと面白いと思う。全体主義批判というよりも、管理社会の問題。個人と集団の関係性の話。社会と人間の問題。ディストピアって理想社会の反対、アンチ・ユートピアを描く世界らしいけれども。確かに「1984」の管理手法の問題は現在では少々古すぎかもしれない。管理体制が一元化されているという部分では、現代先進資本主義社会のつかみどころの無さ、大衆社会性の問題は掴みきれていない。欲望が肯定されている社会における管理の問題が捕らえにくい。
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 その意味ではこちらも英国産、カルトテレビドラマ「プリズナーNO.6」のほうが60年代後半に製作されたものだけあって、もっと高度消費社会の人間関係における管理体制、いや、管理する/される関係性自体が見えにくい、あるいは管理されているとさえ思わない社会をすでに見事に描いているといえよう。もっといえば自分から自縄自縛の罠にはまっていく「ぬえ」のような社会を存分にイメージさせてくれる。そんな途方もないサスペンスドラマです。

 話の粗筋は元英国の秘密諜報員が何らかの理由でその職務を辞すると同時に催眠ガスで見知らぬ「村」に拉致されるところから始まる。



 その「村」は元諜報員と思われる人間たちで構成されているのだけど、村は一貫して平和で、人びとはカラフルなパラソルを日傘にして歩いていたり、太鼓を叩いて歩いていたり、まるで毎日がプチお祭り状態。とはいえ、躁状態ともいえない穏やかな、毎日が休日のような日々。

 その村を実際に管理しているのはNO.2と呼ばれる「顔の見える」トップ。

 NO.6と番号で呼ばれる主人公は自分の知恵や才能や体力、格闘能力のありったけを使ってその村の脱出を図るのだが、それはかなわない。しかしNO.2との心理戦中心のお互いのかけひき・つなひきを軸にしたドラマは徐々に変化をきたしていく。
 最初は「村」からの脱出を試みたり、人びとに「村」の中で眠りこけている状態から覚醒を呼びかけたりするのだが(NO.2からの提案でNO.2になるための選挙に打って出たりする。それは勿論最初から思惑があるのだが、「村の民主化のために出て欲しい」と頼んだりするしたたかぶり)、次第に余人よりも能力が際立っているNO.6の関心は顔の見えないNO.1の存在確認のほうへ向かっていく。NO.6が持っている「情報」が欲しいNO.2との間での攻防戦は、次第にNO.6のNO.2に対する揺さぶりが中心になっていき(NO.2は毎回「新しい」人材が派遣されてくる)、後半の回ではNO.2をただ混乱させることが目的のような話さえある。

 そもそも、NO.6はドラマのオープニングでいつも「番号で呼ぶな!私は自由な人間だ!」と叫ぶのだが、彼の実名は一度も明かされない。だから、主役のパトリック・マクグーハンの印象は強烈なのに、実際彼の出自も実名もわからない。最初から最後まで徹頭徹尾、NO.6のままだ。まるで脱出とプロテストの対象たる「村」も、憤りに任せて辞表を提出したロンドンも、共に同じ地続きの土地であるかのように。。。

 このドラマはいつもNO.1は誰か?が沢山の秘密に満ちたこのミステリー・サスペンスドラマにあっても最大の秘密であった。ラストの回でとうとうNO.2に勝ち続けたNO.6がNO.1に遭うときが来る。ビートルズの「愛こそがすべて」が唐突に流れるような最もシュールな回の一つだ。NO.1がかぶっているフードを剥ぎ取ったとき、彼の顔はゴリラ(サルだったか?)。その仮面も剥ぎ取ると、なんと現れるのはNO.6の顔。NO.6はそのNO.1をロケットに押し込んで宇宙へ飛ばしてしまう。
 

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by ripit-5 | 2009-07-20 22:45 | 映画

メソメソしてるのは誰!? - それは私です(笑) /エレファントカシマシ



 最近のエレカシの才能と大衆性の調和は、実に幸福な結果で。私は本当にスゲエなぁとつくづく思ってます。ライヴの力強さで宮本の歌への没入への心地よさみたいなものからいまや彼らは「ピーク」にあることを感じ、久しぶりに映像をみまくっていました。

STARTING OVER

エレファントカシマシ / UNIVERSAL SIGMA(P)(M)


 このところカーステで最新作の一つ前のこの作品を聴きまくり。確か去年の頭に出たと思うんだけど。本当に言葉とサウンド&ビートが調和するようになった。違和感がない。荒井由美の「翳りゆく部屋」のカバーも見事。何せ宮本は歌がうまい。しかし、相変わらず、アウトロ部分で叫んだり、唸ったりで大変、というか思わず笑っちゃうんですが。何せ過剰なるエモーションの宮本氏。どうしようもないのだろう。キーも高い曲が多く、時折声が裏返ったりかすんだりするんだが、それがまたロックバンドとしての切実さになっている。

 宮本のエレカシといえば、詩の叙情性と、相反するかの如しメッセージ性なんだが。この曲の世界などはロックでしかなかなか表現できない世界だろうと思う。いわば切実なる空想力の狂気(凶器?)。。。でも、うたの世界にしてはとてつもない詩だよ。とりあえずいまの日本のメジャー・シーンでは。



 今は第3の黄金期にあるエレカシ。だが、マスメディアに登場し、マスを本気で相手に勝負を始めたときにテレビでこの「孤独な旅人」を聞いたときの新鮮さ、驚きと喜びは無かった。



 紆余曲折ある彼らの。本当に大衆性を獲得する(あまり迎合せずに)頃の前夜でこんな曲もあったとは。そう、あったとナ。


 忌野清志郎なきいま、滑舌良く歌うロックミュージシャンといえば宮本しかいなくなったといえるのでは?彼ももう若手にレスペクトされる立場だと思うけど、いまだ「危うい」雰囲気はけして消えないことはライヴ映像を見てもわかるはず。この激しさは好き嫌いが分かれるかもしれないけど、叙情的な曲は彼を知らない人の耳も十分ひきつけるのではないだろうか。


 う~ん。やっぱ、この名曲のカバーもアップしておこう!(荒井由美をデビュー時から知っている人は後半、何か不安な気分になってくるかもしれませんが)。

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by ripit-5 | 2009-07-19 15:51 | 音楽(洋楽中心)

政局はもう落ち着くべきだ-かつ、政治の第3極不在の辛さ。

 自民党の両院議員総会は開かれず、来週の休みあけ、議員懇談会で麻生総理が自己総括して選挙に向けて方針を発表するような感じだ。結局はそれで良いんじゃないか。麻生総理も何だか解散声明後はスッキリした語り口をしているように思える。権力の元締めというのはどんな人間でもその刀を抜けば強いものだし、麻生さん自身も抜いてみたら「おお、これは。腹を決め得るもんなのじゃのう」なんて思っているんじゃないかしら?
 とにかくいい加減、国民はうんざりしている。それでもマスコミ側から発信される政局の「今後の展開」やら「思惑」やらは床屋政談レベルではボクラ国民も楽しんでいるかもしれないが、見終わった後に感じるどこか虚無な気分は自分たち自身でよく分かっている。もう結構だよ、という感じだ。にもかかわらず面白いことに、政治分析屋がこの時期、当の政治家よりも元気ハツラツ・ハイテンションになっているように見えるのだ。それが面白うてやがて哀しき、ならぬ阿呆らしさ。そのまんま東さえ、笑えない。何という倒錯よ。何という浮き上がり方であることよ。

 心あるメディアであれば、むしろ自民党のゴタゴタなど取り上げなければいい。巨木が倒れるときは根元から腐り、キノコなどが生え、そこに虫たちが樹液で活発な生を得る。新陳代謝とは結局はそういうものなのでしょう。だから黙って無視し、黙って倒れる時を待てばいいじゃないか。

 あとは麻生と鳩山両党首でがっぷり四つで政策論争して欲しい。マニフェストも読みましょうよ!皆様。政党がそれを守れたかどうかの、のちの点検にもなるし、同時にいまの現実の問題を政党はどう捕らえ、何を優先課題としてそれを政策的にどう手当てをするつもりなのか。それを知ることが出来るわけだし。私たち自身が多くの課題を見過ごしているかもしれないわけですから、マニフェストを読むことで自分たち自身の勉強になるかもしれない。いや、勉強しましょうよ。(あえて云ってしまいました)。

その意味では政局論に関しては、本日の時点ではこちらのブログ様のご意見が最も言えていると思う。
きまぐれな日々- 東国原騒動は終わり、「麻生降ろし」も終わりが近いようだが

 むしろこのところの一連の自民党バタバタ劇で選挙の争点が国民の関心事からずれている事のほうが問題なのだ。今日、朝日ニュースターの「別刊朝日」に久しぶりに湯浅誠氏が出演されるようだ。この番組でどのような発言をされるか注目するところであるが、私たち国民にとって一番の関心はやはり景気もさることながら、社会保障制度と雇用であろう。景気回復ももちろんそうだが、不景気の中でどう生存権をベースにしたかたちでみなが生きていけるか、ということこそ普通の人たちの腹くれの無い関心事だと思うのだがいかがだろうか?

 その意味では、2大政党では飽き足らず、第3の極、第3の政党、それはやはり社民主義的政党ということになるだろうけれども。それに応答する受け皿が残念ながら現在の日本政治には見当たらないし、その部分に該当する社民・共産両党が支持基盤を弱めているというのが酷薄な現実だ。その点はその点として改めて自分自身でも投票行動を含めて考えてみたいが、今日は湯浅氏が出演するということで、あらためて湯浅氏が昨年の著書「反貧困」から、この年末年始の派遣村村長を経て、どのようなキー・ワード・タームを持って彼が僕らに何を発信してきたか改めて考えてみたい。

 民主党はとにかく「政権交代」「政権選択」がキャッチフレーズだろう。対する自民党は「景気が大事」。民主党では不況になりますよ、日本の景気のためには継続性が大事です。と、こんな感じだろう。この両党のスローガンではいかにも弱い。そう思いませんか?やはり短い言葉も腑に落ちることばというものは、現実を見据えて現実を正しく切り取っているものだろう。

 湯浅誠氏は秀逸なキーワード・タームをいくつか残した。これは今後社会学・社会福祉学・社会政策学にも残る大切な言葉たちだろうと思う。思いつくままに挙げてみる。

・溜め
・五重の排除(教育課程からの排除、企業福祉からの排除、家庭からの排除、公的福祉からの排除、そして自分自身からの排除)。
・(一応)先進国で最も大事な人間尊厳をおとしめる「自分自身からの排除」をしてしまった人における自己責任論の「内面化」。
・(貧困等の)可視化。
・居場所。(十分に休息し、そしてその上で発信や自己表現、就労できるという意味での居場所)。
・ライフプランを収入ベースではなく、支出ベースで考えるべき。(どれだけ稼ぐかではなく、どれだけの支出で社会生活が維持出来るかを政策的に考えるべき)。
・忘れられた貧困調査を実施すべき。(社会調査を重視せよ)。
・福祉運動と労働運動の協働を。

 等々。イメージが鮮明に浮かんでくると思うのですが如何?ここが湯浅氏が現場を見て理論を作り上げたところにある強さである。

 おそらく、湯浅氏も今回の選挙の動きを見つつ、今後の運動の展開を練るだろうし、また選挙に影響を与える提言も出るのではないか。その意味で本日の番組は楽しみにしている。(遠からず、10分だけ朝日ニュースターの映像サイトもアップされるはず)。↓ こちら。
別刊 朝日新聞 7月17日放送 「派遣村は何を残したか」(10分)

※溜めとはいったい何か?等々、湯浅氏の現場からの思考を下記の書籍から引用してみました。「More」機能を使いますので、続きを読んでいただければ嬉しいです。

「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ

本田 由紀 / 旬報社



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by ripit-5 | 2009-07-17 20:15 | 社会

感動というものは

 感動というものは当たり前かもしれませんが、「個人」が社会に対して倫理的なことを語る勇気です。
 そのような人が社会的な立場をもっていれば尚更です。
 もちろん、「感動」のすべてがそういうわけではないですが。。。

 オバマ氏がプラハで核廃絶を訴え、その際に自国の核を使ったことにあえて言及したことは、僕が知る限りその直後は、大きな感動の渦にはならなかったと思います。ですが少しずつ少しずつ、そして広く、最後には世界に大きな説得力を与え、いま現在に至っています。

 そして三宅一生氏です。オバマ氏に原爆記念日に参加するように呼びかけた。なおかつ、原爆で母上を失ったこと、ご自分も原爆被災者であることを告白されました。
 これは感動的な話であり、勇気です。
 
 そしてどうしても思いこまざるを得ないのでした。世界のイッセイ・ミヤケでさえもオバマ氏の演説に大きな触発を受けるまで、自分が被災者であるということを一般に語ることが出来なかったということ。

 かつ、僕は改めて思いました。人はどうしても人には語れぬ秘密があること。そして原爆被災というものが、三宅一生氏ほどの人物であってさえも語れぬ秘密(といっては表現が間違えているかも知れませんが)であったということ。その現実の「重さ」ですね。

 今年の夏の夢が一つ出来ました。オバマ大統領が原爆記念日に参列をされるという夢。
 仮にかなわなくてもいい。具体的な夢が一つ、頭に宿ったこと。それが「夢」となって想起できるようになったということが僕にとって重要なのです。

NHKニュース 三宅一生さん 米紙に被爆体験

 オバマ大統領と三宅一生氏に本当に感謝します。これは現実的な見地からです。本当に感動と勇気を与えてくれて感謝です。

夕凪の街桜の国

こうの 史代 / 双葉社


  今日は少し疲れているので変な文章になってしまいました。後で少し修正するかもしれません。
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by ripit-5 | 2009-07-15 23:36 | 社会

私の中で花開く病(ヤマイ)

 こんな政局もどきを書くブログに誰がした?ってもちろん自分がしているわけですが(苦笑)。
 しかし、庶民ならぬ愚民のひとりがこのような話題に興味津々たる様子はマスコミを笑えるわけもなく。間違いなく自分の中にある毒性が開花している結果でございます。どなたか読んでいる方がいたらこのタワケ者を反面教師としていただきたく。まぁ、反面教師にもならない愚にもつかない人間ですが。で、そういうことを云っているやつにかぎって、人から率直にその点を指摘されると著しくプライドが傷つくと。だいたいの場合、そうなっているわけでして。。。

 で、やっと解散が決まりましたが、妙に計算が入った微妙な期日ですね。やっと自己決断した麻生さんの結局あちこちの声を考慮した微妙な日にちで。変な意味では絶妙ですね(苦笑)。
 そもそも選挙に勝った公明党が8月の上旬にまた選挙じゃ流石にマスコミにも「風」にも踊らされない強力サポーターがいるといっても、限界でしょう。あの人らも大変だよナァ。駆けて汗をかいて、またすぐに臨戦態勢。福運がつくのかどうか知らないけど、この暑さで倒れる人も出ると思うよ。可哀想に。いや、冗談抜きにそう思っているんですよ。

 それもともかく、この政局のドタバタの中で臓器移植法が「A案」で成立したのには驚いたし、大いに問題を感じています。これで法的に「脳死は人の死」となってしまった。そもそも15才以下の子どもに「臓器移植の意思なし」の自己決定出来る子はそういないでしょう。いるとしたら、選挙権を与えてもいいくらいだ(笑)。
 そうすると、必然的に家族、つまり親に突きつけられる問題となる。仮に不幸な事態となった場合は。

 子どもの臓器提供の問題が国内で考えなくてはならないということは医療技術の発展も含んで致し方ないのかもしれないが、これも裁判員制度同様に国民に大いに議論がされたという形跡はない。マスコミは残念ながら、個別の真面目すぎる話題は日ごろはとりあげず、法が動きそうな段階になってやっと騒ぎ出す。いたし方ないのかもしれない。みんな忙しくて、ややこしいことを考えるのは面倒だろう。それで「後期医療制度」「裁判員制度」「臓器移植法」とすいすい来たわけだ。で、動き出す段階になってから騒ぎ出す。私だって同じ。全ての人が政治家予備軍のわけもないしなー。

 だから、ニュースは仕方がないにしても、今のテレビに最も必要なのはジャーナル番組なのだ。昔で云えば、軍治さん(懐かしい!)の「報道特集」のような、争点をとことん追求する番組。そして、事件の追跡調査をする番組。そういう地道な積み上げこそ、もっとも社会の変化のための礎石となることなのに。
 視聴率のとりことなったテレビはニュースと「ジャーナル」ではなく、ニュースと「ニュース・バラエティ」になってしまった。

 正直、今回の選挙だって似ている。だから、少々間が空いた時期が出来た民主党も気を抜いたらしっぺ返しがあることは覚悟したほうがいいと思う。特に党首の献金問題は徹底的に突っ込んでくるだろう。それは認識しているんだろうとは思うのだけど。。。だって、この間のドタバタ劇の個別要件は、普通の人たちの目は皆冷静でキチンとした見方をしているからね。鳩山献金問題も納得を得られているわけじゃ全然ない。

 あと、先日みた葉千栄という人が司会していた討論番組を見ていたら最後のほうで登場していた評論家連中の一致した民主党政権獲得後の今後の政治動向の話は気持ちが寒々しくなる話だった。
 テレビで客観的な顔をした政治見学の長いベテランの人たちの短いコメンタリーの人の、素顔の本当の話。そのような彼らの一致するところは政界再編ということ。そして3分の2の安定多数で憲法改正と消費税増税をすること。根本はそれであり、枝として地方分権を含めると。

 おそらく、民主党政権成立後の大局的絵柄はそのように決まっているんだろう。彼らのような人たちが、日ごろの政治番組の顔でなくてもメディアの重鎮、メディアの古株としてそう涼しく、かつ真面目な顔をして語る以上はその路線は間違いないと見ていい。彼らは「それ」を求めている。だからこそ、今後はますます政治に要注意しなければならない。。。
(すると、似合わない繰り言を自分はまだ続けてしまうのだろうか?)
 まぁ、この話はもう少しきちんと考えてまた改めて書きたいです。(といいつつ、今まで改めたことはないのだがw)。

 鳩山由紀夫・邦夫ご兄弟の祖父、宰相・鳩山一郎さんが自宅で倒れたとき、その場に渡邊恒雄さんがいたんだって。先に紹介した文芸春秋での佐野眞一さんのレポで知りました。当時から政治家の自宅にマスコミ人が取材でもないのに居たっていうのも驚きというか、これが日本のマスコミなんだな、っていうビックリ感があるけれど。そう考えるとナベツネさんは民主党というか、鳩山家の総理でもOKなんじゃないの?

 どっかでマスコミは舵をきったんだと思いますね。民主党に。自民党は見限られたんだと思う。さて揺り戻しはありますかね?

<追加>
佐野眞一氏出演の「別刊朝日」出演映像(ダイジェスト・10分・7月3日放映分)

文藝春秋 2009年 08月号 [雑誌]

文藝春秋


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by ripit-5 | 2009-07-13 21:06 | 社会

明日はどうなるかわからない。

Excite エキサイト : 政治ニュース

という話です。
風を起こしたのはマスメディアか普通の人たちなのか。
まぁ、あまり騒ぎ過ぎないように、どうかひとつ。
といっても騒ぐし、何か起こるよなー、今週は。
どうか皆様、お元気で。
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by ripit-5 | 2009-07-12 23:08 | 社会