ご案内の通りでございます。(一夜明けて)。

 私の昨日の投票行為は、小選挙区は社民党候補に。比例区は共産党と書きました。小選挙区に関しては自分が一票投じなくとも、民主が間違いなく当選することは事前にわかっていたので。私が投票した社民党候補は地元から札幌に出てきて日雇い派遣や契約社員をしていたという女性候補です。実は本人も見たことがないし、演説等の内容も知らない。死票になるのは分かっていましたが、こんな風に書くのは御本人に大変失礼なんですけど、一種の同情票です。このような立場が現代の若い人の普通の状況であり、そこから発信せねばならぬという意志に賛同しての一票でした。
 比例代表は、まぁマニフェストの完成度が一番高かったという点を評価(財源と防衛の現実性の薄さを除き)して、共産党に。こちらも残念ながら死票でした。

 最高裁信任投票はずっと事務方しか歩んでいない長官を不信任。特に不備なままのいまの裁判員制度を導入尽力した点を評価できない、ということで。そして、外務省出身でイラク戦争時に外務省北米局長で大きく従属外交に持っていった竹内行夫氏を不信任。他に関しては、裁判の評価と取り調べの全面可視化に関する見解の相違を併せて、二名を不信任。合計四名不信任にしました。こちらの方は相変わらず革命的な事態は起きませんね。当然かもしれませんが。特に竹内行夫氏の不信任による罷免が起きなかったのは残念なことでした。

 夜からCS朝日で選挙特番を。大衆不信どころの騒ぎじゃない、大衆蔑視に近い西部邁はとりあえず置いて(この人はこのような場にいると何かと乱暴なことを云いたがる人です。佐高信と対談しているときなどはそれなりに常識人的なことを語っているのに)、ジェラルド・カーティスさんが冒頭「小選挙区制は日本の風土に合わないと思っている。もともと二大政党制に関してはアメリカでは民主、共和のきちんとしたベースがある。それがない中での日本の政党内選択がなくなり、基盤を持たない二党制の中でスウィングしはじめている」といきなり小選挙区制反対を言い切ったのにはのけぞった。次に金子勝教授は「無くなった病院、無くなった雇用。夢を失った若者。その中で今の自民党の大物よ、お前ら地元に帰ってこい、この地方を見て謝れ。その上で落としてやる、という恨みつらみの発散だと思う。それはあまり健全なことだとは思えないのですが」と語り、半分くらいは現在の流れに対して冷や水。まぁ、ある意味「小泉純一郎」を市中引き回しさせたいと思っている(オイオイ!w)、俺は確実に不健全なところがあるねぇ。しかし、息子も当選させられる小泉さんちはもはやアンタッチャブルの域。結局、国民自身が自分で彼を選んだ感覚があるから、そこはもう、触れられない域なんだろうな。困ったもんだ。

 司会の小林良彰教授も「今回は自民党へのパニッシュメント。それが政策として期待する民主というよりも、自民へのおしおきとして民主に流れた消極的支持」と位置づける。かつ、少数政党に民意が反映されない(反映しない)選挙制度への危惧も。しかし、それを聞いているこちらとしては「おしおきとか、そんなものでいいのかいな?」と疑問が起きる。このように、この選挙期間中いろいろな方向に揺れていた自分の気持ち・観念を思い起こす。

 その後しばらく開票速報はNHKに変えて、遅い時間帯からは民放各局に変えて状況をみていました。深夜12時からはまたCSで『愛川欽也のパック・イン・ジャーナル・総選挙スペシャル』。午前2時まで。その大体15分くらい前で私の体はこと切れました(笑)。その中でも今日の報道で総称されていた「小沢ガールズ」への高い評価が話としては印象深く、ほう?やっぱ、そんなに人材としていいのかなぁ?と思った。昨日見た時点では東京10区で小池百合子を破った江端貴子さんは確かに真面目でしっかりした印象があったし、ちょっと見た九州で久間さんを破った肝炎訴訟の福田衣里子さんも、「おっ!この人はどこか違うぞ」と思ったので。そうそう、それから森元総理に挑んだ石川2区の田中美江子さんもずいぶんしっかりした語り口の人だな、と印象的だったのでした。

 本日、昼飯時に職場のテレビを見ていたら、その小沢ガールズが詳しく紹介されていた。彼女たち、総じて確かに公明の太田代表を破った青木愛さんのように若くて可愛い。だが、それだけではない感じがする。みんな真面目で純粋な感じがする。訴えも、雇用や生活弱者への問題に収斂されている感じがあって、いても立ってもいられないといった種類の切実感が感じられた。そこが好感を持てるところで、前回の郵政選挙のように、元同じ政党にいた人間のところに裏切り者潰しの如き「刺客」候補送り込むという倒錯したVシネマ的時代劇ドラマのような何ともいえないイヤ~な感じというか。退廃していて不快な感じをもよおす刺客候補たちとは違って、政治家になる必然性を胸に秘めた新人女性候補たち、という印象がありました。それはもちろん、小泉政権以後の生活者の苦しみをベースに持っているという訴えがこちらに短い時間の中でも伝わってきたからでしょう。そのことを若い女性が訴えているということが、より一層の説得力を与えたという側面もあったのではないか。少なくともそれを僕は感じた。

 前回の選挙はホリエモン出馬に代表される自分主義、個人主義者のエゴイズムを肯定するチルドレンでした。今回の可愛い新人ガールズたち(という表現は明らかに失礼ですが!)、明らかに社会のほうを向いています。それがこの4年の間にメディアから発信されずに来た大事な論点を、大物議員相手として各地方に入って訴え、共感を得たということなのでしょう。そしてその多くが若い女性たちであったということは深いレベルできっと意味あることでしょう。

 私自身は社民、共産、国民新全てがヒトケタ台だというのは変だと思うし(特に亀井久輿氏の喪失は大きい)、民主の308という取りすぎには危うい感じを持ちますが、あえて現段階では社民や共産にかぎらず、これらの民主党の新人議員が小政党の代弁的役割を謙虚にやってくれるかな?という期待を持てる気がしました。もっといえば、祈念のような思いとして。

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 メディアに注目が集まった福田衣理子さん、確かに細い体にオーラを感じます。まぁ、相手が余りにも、余りな久間さんなので、そのためにやや、勧善懲悪時代劇チックな様相も。でも、真剣な若い人がいる。その姿は美しいですね。若い人のロールモデル足りえるでしょう。

 民主党の理念は大きくいえば、「市民社会の成熟化」と「お任せ政治ではなく、参加政治へ」でしょう。もちろん、それは政治の全体的なこと(マクロ経済運営、外交等)では無理なことで、その代わり社会で出来ることは政治に頼らず、一般の市民同士で動かそうというのがいま表向きは語られない、かの政党のメッセージでしょう。そういう市民自治による社会という構想なのであれば、今後、「自分の生活優先主義」というより、自分もともかくながら、社会的責務ということが求められるかもしれない。僕ら自身がそれを面倒に思わずに引き受けられるか、ということが今後目に見えないメッセージとして問われ始めるのでしょうね。

 その前にそもそも生活がズタズタになり、政治など考える余裕が無い、だがこうなったのはやはり政治に責任があるとしか思えないという普通の人びとに対する生活再建。これが最優先の課題。この課題が仮に上手くいったら、今度は市民参加の要請、というものが民主党の理念的メッセージとして出てくるのではないかなと今は思っています。

 そのためには「お前にだけは言われたくないよ」という政治家ではなく、今回当選したようなピュアで純白なフンイキを持っている1年生民主党議員の役割と成長は今後重要な意味を持つのでしょうね。
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by ripit-5 | 2009-08-31 19:47

本日は最高裁裁判官国民審査の日でもありますよん。

 投票、午前7時半くらいにすませてきました。選挙管理の受付の若者は皆今回はしっかりしていて元気。朝の挨拶がさわやかでした。どうもアルバイトの人たちとは違う気がするのだがな。。。
 比例代表の投票用紙と最高裁判所裁判官の国民審査の用紙が一緒に配られたのには一瞬の戸惑い。

 今回は最高裁判所の国民審査もぜひ考えて投票したいものです。ということで、ビデオニュース・ドット・コムは二つの放送を無料放送中。まず、宣伝でYOUTUBE画像を。



※特別無料放送。
最高裁国民審査を審査する - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局

もう一つ。こちらは今週分。最初のニュース・コメンタリー(Nコメ)は必見!

 本編は若者向けだけど、年齢構成比が完全に変わった現代の選挙を考える上で重要です。出来ればぜひ若い人に見てもらいたい対論です。(PS.この回の本編をいま、午後の時点で観ているんだけど。いろいろ異論はあるだろうけど、内容自体はかなり興味深くて面白いです。本編は長いので疲れるかもしれないけれど。 そして、いきなり中身の議論の感想で申し訳ないけど。後半の税制改革議論は累進課税の見直しがまずあっての、消費税でないといけないと強く思いますね。法人税も高いから企業は外国に逃げるという話も眉唾な感じがある。本当にそうなのだろうか?)

※無料放送回
これでもあなたは投票に行きませんか - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局

 長時間番組なので、本日この番組を見て今回の投票行動の参考にするのは難しいとは思いますが。まぁ、すでに投票された人などが改めて今回の選挙を振り返って考えてみるのにも良いのではないかと。
 そう思い参考番組として推奨いたします。
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by ripit-5 | 2009-08-30 11:47 | 社会

忘れてた、目まいのするような話。

 いま、どの政党でも先日書いたように労働者派遣業の中でも、特に製造派遣や登録派遣を問題視し、それらの派遣労働形態は無くす方向に向かっている点では一致しているはず。(それらの業態が無くなった後に失業してしまう人たちの救済案は後日自分なりに思うところを書きたい)。

 ところが、今朝のNHKニュースの解説で愕然とするような話を聞いた。
 なんと、今回の選挙で、あれはなんていうんだろう?有権者本人確認というのかな。投票用のはがきを受け取って、確認後に投票用紙を受け渡しする人たちがいるじゃないですか。あの作業をなんと各都道府県の中では、派遣会社に委託して今回の選挙で登録派遣労働者を使う予定の所があるというのだ。びっくりし、そしてやり場のない怒りが湧き上がった。
 何という屈辱、何という鈍感。仕事があれば何でも、という人たちをまさに搾取するような行為。

 確かにこの何年か、この投票用紙の受け渡し事務員はいかにも選挙管理委員会の人材とは思えず、特に前回参議院選挙ではその傾向を強く感じた。こちらから「おはようございます」といってももぞもぞしてるだけなんだもの。「ああ、アルバイトを使っているのかな。でも、選挙のような秘密投票である最大行事をアルバイトにまかせておいていいのかな?」と疑ったり。選挙管理委員に準じている若いボランティアかな、と善意の解釈をしたり。

 しかしまぁ、アルバイトはそれは仕方が無いとしよう。
 しかししかし、今度の選挙の一つの争点は使い捨て労働たる日雇い労働派遣問題も含まれているのだ。そんな状況の中での選挙で日雇い派遣労働者を使う神経というのは何なんだろう!

 あきれ果てて怒りを通り越して呆然とする。いくら自治体に金がないと言っても。つまりは、これがいまの現実の日本の姿なんですね。(もちろん、すべての選挙区ではありませんが)。
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by ripit-5 | 2009-08-28 23:01 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

前稿で連想したこと。その続き。

 前稿の補足のようになってしまいますが、日本にとっての「穏健な多党制」というのは、僕のイメージではいわゆるリベラルvs保守のそれなりまとまった勢力に、中道的な右派や左派が連立のキャステングボードを握る、という感じです。自分としては、あえていうなら大陸ヨーロッパ型の政権を頭に描いているのかもしれません。
 ただ、英米の二大政党制による政権と日本はやはり違うと思います。特に英国は明らかに労働党と保守党の支持基盤が違う。確かに、両党は時代の変化とともに労働者階級と中・上流階級の明確な分離が崩れ始めているかもしれません。でも、僕は基本的に英国人のアッパークラスが労働党に投票するとは絶対思えないし、コテコテの労働者階級の人間が保守党に投票するとも思えない。「階級」が存在するかどうかというのは、やはりかなり大きな問題で、例えばイングランド・ドリームの古典的なケースであるポップミュージシャンやサッカー選手が、彼らの成功後に英国人のアッパークラスの所作、振る舞いを簡単に身につけることはちょっと考えにくいことです。やはりほとんど国内で文化的な相違が明確にあるという不幸はあると思います。(それを不幸と云ってしまうのはこちらの勝手な傲慢かもしれません)。ただ、その分、同じ階級や階層内の連帯意識は強い(というか、まさに体臭の違いというべきか)だけ、またそのように見えないかたちで、おそらく所作や言葉のアクセントの違いなどの差異からも階級を読んでしまう。そのようにして、文化的、あえていえば人間的な一体感がないだけ、政治も社会保障を手厚くしないと階級闘争に発展するという危機感を本質的に内奥に秘めているお国柄なのではないかと推測します。

 翻って米国の二大政党制についてはどうなのでしょうか。こちらは私は英国以上に想像が難しいのですが、おそらく共和党のほうが建国時のフロンティア・スピリットに近いでしょうか?つまり自分たちで開墾し、自分たちの仲間で共同体的に生きる。政府というのは徴税を仕掛けてくる厄介な存在で、かつ見知らぬ他者も自分たちにとっては時に危険な存在で、基本的には自主独立。「ほっといてもらおう」という男くささの原型を留めている人たちがシンパシーを感じる政党。対する民主党はより見知らぬ他人が集まる都市での共同生活を前提において、より合理的・法的・社会政策的な手だてを基盤として、ルール重視で見知らぬ他者が集まる都市をお互いに気持ちよく生きていこう、と考える理念型の政党という感じを持っています。その意味では、日本はどちらの国とも近代化の過程が相当違うと思うのですが、英国のほうが一層社会的な基盤が違う気がしますね。ただ、同時に英国的なアイロニーやペーソスを理解する傾向がより強いのが日本人だと思うわけで、そこが面白いと思うところです。そこは自然成立国家と人工国家の違いなのでしょうか。かなり主観的で乱暴な認識なので、批判を請うところです。

 もう一つ、興味を覚えるのはドイツです。ドイツは恒常的に失業率も高く、それは日本よりも傾向的に長く続いているはずなのに、社会的には安定的に見えるからです。ドイツもグローバライゼーションの波にもまれているはずですが、フランスなどと協同でイラク戦争にも明確に反対の立場を国民の自主的な動員(反対デモ)を背景に打ち出すことが出来ました。
 それはやはり社会保障制度に対する真摯な取り組みと国を挙げての社会政策に対する研究への姿勢があり、90年代の前半から早くも「グローバリズムとローカリズム」というテーマで「グローバルと地方(地域共同体)」について考えている蓄積があります。その知的蓄積がEU成立のキャステングボードを握る国へと成り立たし得たのではないか。

 思うにそのように振舞うことが出来たのは、僕の思い込みでは「東ドイツ」を糾合しなければならない、そのためのソフトランディングをさせるにはどうしたらよいか、という政治課題があったからではないか。社会主義ドイツであった東を西側ドイツが二級市民扱いすることで一つのドイツが再び分裂する可能性を回避すること。それをするにはやはり、社会政策や教育、社会保障制度や社会福祉政策で東ドイツの有能な国民の怨嗟を生まないことが必要であった、と。
 トルコ系移民労働に頼ってきた中で東ドイツの国民の不満も出てくるかも知れぬ、ということで「ネオナチ」の登場がありながらも結局は上手く一体化することが出来た。思うに、ドイツでは知識人の政治提言が本当に要請され、かつ採用もされてきたような気がするのです。匿名の有能な官僚だけではなく。元々哲学的に物を考える国柄に哲学的な志向が政治に反映されているとすれば、羨ましい気がします。もちろん、ドイツ一体化の過程である壁崩壊から90年代前半はいろいろなドラマがあったことでしょう。しかし、そのドラマが日本ではほとんど伝わってこなかったのは残念なことでした。先のサッカー・ワールドカップの成功はいまのドイツという国の安定性を改めて思ったものでした。そういえば、夏・冬あわせたオリンピックのメダル数を合わせたらドイツは世界でベスト3はおろか、2位くらいにもなるのではないでしょうか。

 やはり萩原朔太郎じゃないけど、「フランスに行きたしと思えども フランスはあまりにも遠し」の世界なのでしょうか。大陸ヨーロッパは。これは現代では物理的距離ではなくて、精神的な距離の意味ですけれども。
 このぼくのドイツ印象もまさに主観的な心象に過ぎず、相当勘違いしているのかもしれません。
 しかし今の日本を考えた場合、何にせよヒント足りえる欧州の情報がほとんど入ってこない先進国ニッポンというのは、なぜそうなったのか。なぜそうであるのか。不思議に思うことしきりなのです。
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by ripit-5 | 2009-08-28 18:33 | 社会

いまの選挙制度って問題が多すぎないか?

 すでに先週木曜日には朝日新聞で「民主、300議席超す勢い」って世論調査で出てたらしい。地元、北海道新聞では昨日、共同通信の配信で同様の見出しが出た。地元の選挙区も地元の調査で、世論の現象は同じ。まさに4年前の郵政選挙と完全に真逆の現象だ。これって、どんなものだろう?今回はワイドショウもすでに長い期間、政治は政権の選択モードに入っていたこともあって、ネタが前回衆院選の「郵政」「刺客」の一番ネタではなく、トップネタは常に人身御供である「のりピー」だっただけに、なお一層不気味な感じがする。メディア誘導はあるにせよ、4年前のような熱狂へもちあげてるとも思えない。民主党党首のキャラも、格段煽りキャラでもないし。それだけ国民の間に「自民党さん、さようなら」の気分が横溢しているのも、確かなことかもしれないが。。。

 それにしても、オセロゲームのように右から左へ、一極集中になる状況ってどうなんだろう?
 小政党は埋もれ、死票は増え続ける。政党人の選択はバンドワゴンになり、バッファー効果は薄れ続ける。有権者としての合理的な選択肢が減っているがゆえだ。少なくとも無党派においてはそうだろう。では、組織票は?こちらは冷戦後世界が明確になった現在においては硬い岩盤組織も弱まり、相対的に無党派的な人が増え続けてるんじゃないだろうか?
 僕みたいに田舎が都会となった典型的地方都市で生まれ育った「宙ぶらリン・ランブリングマン」ほどではないにしろ、だ。

 CSチャンネル、朝日ニュースターの金曜日午後8時の『ニュースの深層』のキャスターを務める経済誌論説委員の辻広雅之さんは故・宮沢喜一さんが語っていたという「日本は穏健な多党制が似合う」という言葉を最近、良く引用している。僕も日本の政治的な文化はどちらかといえば穏健な多党制が似合うと思うのだ。ただ、やはり自民党独裁を終焉させる必要はあるから、まずはリベラル志向の政治にチャレンジすべきだし、その上でもう一度この問題を考えてみる必要があると強く思う。でも、単純に過去の中選挙区制度に戻すのがいいともいえないだろうし。難しいですね。選挙制度に関して、どなたか妙案をお持ちじゃないですかね?
 2大政党制はアングロサクソン系の国特有の事情があって成立したものでしょう。日本には日本の固有事情に適する民主主義選挙システムが必要なんじゃないかなぁ。それは僕ら自身が今後間尺に合うものとして、探し当てなければならないシステムなのでしょう。

 それから、今回の選挙は意図的に労働者派遣法の問題、特に日雇い派遣やいわゆるスポット派遣の問題、若者の雇用環境の問題が政策論争となっていない事に私は非常な違和感を覚えている。湯浅氏の出番は全くなくなった。あれほど各政党が神妙な顔をして彼らのような支援者たちの話を聞き、若者の労働環境を変えるために頑張ると誓いを立てる顔をしていたのに。派遣労働法改正や最低賃金引上げが、政策としてはあっても、政策論争の俎上にはあがっていない。政権を握った党の政策優先順位の中で一体どこら辺に位置づけられるのだろうか?

 もちろん、共産・社民はこの問題を中心に政策の軸を置いているのだが、マスメディアでは議論の俎上に司会者がのせないのだ。もう、ほとんど意図的にじゃないか?と思えるほどに。だから話は民主を軸に自民公明が反論する構図になっている。共産・社民はその議論に噛んでいくしかない。選挙は権力闘争の場だとつくづく思う。それは、政治家だけのものじゃなく、国民自身による利害の権力闘争なのだ。自分たち自身の利害の。いやはや、いやはや。つくづく考え込まされる事だ。。。

 昨年の「蟹工船」ブームとやらは今年は「太宰治の生誕記念」ブームに取って代わり、金融危機後の「わかりやすい」マルクス本ブームは勝間センセイの「断る力」に押し返される(笑)。いや、後者は冗談ですけど。

 繰り返しだが、政治も文化もオセロのように右から左に極端に動き、変わらぬトレンドをもつ人たちは少数派へと、壁の花。本当に、何か妙案はないものですかね?

 今回の選挙はもちろん、森喜朗並に「こりゃ、あかん」の麻生首相による内閣にウンザリだというのもあるけれど、本質的には小泉政権の総括選挙だと思うんだよね。
 麻生内閣が出来たときから実際には選挙管理内閣だったんだから。それが世界金融危機で延び延びになったおかげで政権担当能力に関するボロが次々と出た。
 だから2点なんだと思う。一つは自民党の「自滅」ということ。もう一つは小泉政権の社会政策無き自由競争路線への人びとの「NO」。その悲鳴に近い叫び。

 もうひとつ、個人的にはありえないイラク戦争への無条件追従、というのも怒りとしてお腹の中にはあるけどね。だから、選挙が終わったら評論家の誰か一人くらいは「これは小泉政権の総括選挙だった。長い9年間の総括だった」と語ってほしい。(ブッシュの8年プラスアルファ、という意味では似てるなァ~)。

 いずれにしても「選挙」とは実際始まってみるならば、層があつい有権者にばかりマスメディアを中心に「政策」が語られるわけだ。若者の不安とフラストレーションたるや、いかばかりか。今度の選挙で20代の投票率が下がったって、今回、自分は若い人を責める気にはなれない。(まぁ、実際には若い人の投票率も高くなると思うが)。
 ただ、彼らの票が自民、民主以外のところに世代層として一番流れるのなら面白いともいえそうだ。(この「面白い」という言い方はいろいろな意味で注意も含んでの表現なのだが。)
 しかし、ほぼ一人っ子のいまの若い人たちは人口構成上からも少数派。本当に若い人にとってはしんどい時代になった。だが、そういった中から必ず、社会の風穴をあける人材が出てくると信じる。あるいは社会の弱い部分を指摘し、手助けするオピニオン・リーダーが出てくると信じる。 
 すでに「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる30代の人たちでそのような人材が出てきているのだから。
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by ripit-5 | 2009-08-24 21:32 | 社会

ぜひ見て欲しい!パシフィカ・ラジオの60年。

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 デモクラシー・ナウ!ジャパンで先月放映された、アメリカで初の視聴者が放送視聴料を払って聞く独立系ラジオ、パシフィカ・ラジオの60周年を記念して、同じく独立系TVであるデモクラシー・ナウ!が何年か前に映画化された、パシフィカ・ラジオのドキュメンタリーを記念として再度放映してくれました。このドキュメント映画のナレーションはアリス・ウォーカー。(『カラーパープル』の作者)。 これが実に感動的なのです!
 理想と現実的な問題との間の葛藤も赤裸々に。創設者のルイス・ヒルは30代で自殺してしまっていたんだ。。。と驚いたり。とにかくこんなに印象的な、”メディアそのもの”の成立と盛衰を描いたドキュメンタリーはまず観た記憶はないし、独立系メディアであるからこそ、アメリカの現代史の歴史的現場に常にいることが出来たんだなぁという事実に驚きさえ覚えます。映画のタイトルは『KPFA On The Air』。

 いま既存のマスメディアの経済的苦境を含め、マスメディア・ジャーナリズムの過渡期~転換期にあり、媒体が多様化しつつあるなかでのジャーナリズム・メディアに関心がある人や放送メディアに興味ある人すべてにお勧めできます。(リアル・プレイヤーをインストールしてくださいね)。

「リスナーのための放送局」パシフィカ・ラジオの60年
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by ripit-5 | 2009-08-23 14:33 | マスメディア

古い雑誌の事とか、ウェイラーズのこととか。

  いや~、先週は珍しく(笑)チト忙しかったです。忙しいのはキライ。そう、私は生活ルーザー(苦笑)。そんなことはいいんだけども。昨日、久しぶりに仕事帰りに学生時代から通ったことのある中心部から離れた古本屋さんに入った。昼で仕事が終わった後に。たまたま近場だったので。
 この中心から離れた古本店はいま、半分は中古レコード屋兼用になっていたのだけれど、雑然とした古書店的様相は変わらない。むしろ、そのような形態になったおかげで、より雑然となってしまったみたい(笑)。

 そしていまの書店の棚では考えられない雑多な本の並びかた、あるいは書店で今は見かけようもない、見る人によってはジャンクにしかみえない本が並んでいるのが楽しい。この粗雑な並び。これ、宝物探しみたいで面白いのです。子どもの頃あった子供だましの雑貨屋に入っているような感覚を思い出す。まぁ、雑貨屋といっても、今ではもはやイメージが湧きにくいかもしれないですが。こういう感じの昭和のフンイキが本当に好きだな。しかも昭和においても、昭和60年代にはすでに日陰者なんだよね(笑)。古書店って。そろそろブックオフみたいな形態の店が出てきた頃だし。
 まぁ割と安全な日陰感覚。とにかくこの様子の店内は、いまの若い女性はおそらく「汚い」とすぐ思うに違いない。

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 で、これはまだ私がロック雑誌といってもグラビア系の雑誌しか読解力がなかった頃の1977年の6月号、その当時の「ニュー・ミュージック・マガジン」(「ミュージック・マガジン」誌の前身。以下、『NMM』と書きます。)を購入しました。お得な200円。表紙はボブ・マーリーとピーター・トッシュの二人が並んだ顔のイラスト。何となく未来の方を向いております。で、特集は『都市の音楽VS田舎の音楽』。ポップ・ミュージックは、農業社会が近代化され、共同体が崩壊した後に都市化した流れの中で成立した、という仮説から出発して、主にアメリカンミュージック、ブリッテッシュミュージックのルーツと、1977年当時の現代性との関係、みたいな感じで論じていて。今読むと社会構造的に論じられていて結構批評のクオリティが高いのです。

 この頃ぼくはもちろん、こんな専門的な洋楽音楽雑誌は読んでいないけど、これから2年後くらいでしょうか。当時「ミュージックライフ」とか「音楽専科」なるロックグラビア系雑誌がありましたが、それに飽き足らない頃にワケも分からずに読み始めたのは好きなミュージシャンをわりと観念的に掘り下げてた『ロッキン・オン』という雑誌。そちらの党派?(笑)だった私は『NMM』誌はキライだったけど、いまは歳を重ねたせいか、いや~、値段以上に雑誌の内容に気概と調査の深みがありますわ。いま読むと文化批評としても成立していて面白い。まぁ、その後の時代状況を考えるとこの書きっぷりも良かれ悪しかれダヨナ、って感じもしますが、実に真面目で熱い。そしてこれも一部では有名な話かもしれないけど、読者欄も非常に熱いです。(中村とうようシンパさんも多くてね)。そう、僕はこの雑誌は中村とうようさんという人が代表していて、そのシンパみたいなもので構成されている傾向が嫌いなのでした。その当時のワタシはパンク・ロック一派のシンパだったもので。(笑)。意図は違うかもしれないけれど「ロッキン・オン」誌の「投稿者で雑誌を構成する」「投稿者こそがその音楽を本当に愛しているし批評眼があるはずだから、それで雑誌は売れるはず」という路線に共感していて、とうようさんサイドの今風に云えば「上から目線」というか、「教養主義」というか。それがキライで。というか、音楽的には無知なままだから(苦笑)。本当は敷居が高かったんですな。
 「ロッキン・オン」誌も80年代には結構方向転換しましたしね。ミュージシャン・インタビューが一番売りになってきましたから。

 しかし話を戻すと、読者さんの立派な文章に載っている意識から漂うものはロック/ポップに対する愚直で、まっすぐで、かつ反体制的な意識。まさに70年代的そのもの。今の若い人が読んだら、何だか奇妙に思うかも?そう思われるのも寂しいけどね。。。
 僕は今でも、というか逆にどんどんいまこそ(笑)、こういうのが好きになっていく。やばいよね。こうやって生活破綻者になるかもねw。でも、怖がりだから、ずるく立ち回るのか??

 振り返って、今の「ミュージック・マガジン」は何か、乾燥されているというか、漂白されてすぎているというか。逆に熱が退きすぎていて、クールダウンしすぎに思える。もはや編集長自体がロックなんて特に好きでもないんじゃないの?って感じがどうしてもするねぇ。これ、そうとう暴論ですけれどね。まあ、雑誌として割とワールドミュージックを評価して大きく取り上げているのは、元々とうようサンの音楽的出自ともリンクする部分なので、「とうようズ・チルドレン」としてその部分に関してのみは継続性があるか。 
 対する「ロッキン・オン」もね。もはや批評誌ではない。ちょっとタワレコで無料で配っていた冊子に近いものになりつつありますね。
 確かにロックと批評、「洋楽と社会の切り結び」なんて、このI-PODでのシャッフル時代にナンセンス(死語)かもしれないけれど、まあ時代は変わるし。仕方がないか。

 でもやばいな。俺、またあの店に通って古い雑誌、少しずつ買い込みそう。するとどんどん偏屈に、親父くさく、閉じた音楽ファンになりそうだ。まあそれでもいいかな、と思う自分もずいぶん変わったもんだなという気がする。

 いろいろ云いたい放題のことを今日は書いたけれど、歳とともに変わってきちゃったと見放してくださいな。
 もちろん、今だって新人でハート直撃してくれる逸材が出てくるのを待望してるんです。渋谷陽一風に云えば「スター・システム」は我々の不幸の反映かもしれないし、別にそうともいえないのかもしれないけれど。(渋谷氏のこの発言も若い頃のものだったね)。



 この「ゲット・アップ、スタンド・アップ」はピーター・トッシュとバニー・ウェイラー在籍時のオリジナルメンバーによるウェイラーズのライヴバージョン。ラフでルードなノリはパンキッシュと云ってもいいほどです。ピーター・トッシュのバック・ボーカルとマーリーの絡み部分もエキサイティング。マーリーの声も実に張りがあって若々しい。そう、怒れるウェイラーズ、上を目指すウェイラーズの勢いがダイレクトに伝わってきます。(際立ってパーカッシヴな音も凄い)。特にこの3人の中ではピーター・トッシュが一番反体制的・不良的な気骨がありそう。3人の中で一番そのような個性だったんだろうな。

 もう一つ、オリジナル・ウェイラーズの映像から「コンクリート・ジャングル」。実にディープな演奏です。英国でのテレビライヴ。彼らの人気に最初に火がついたのも英国ですね。やはりアイランドレコードのクリス・ブラックウェルの60年代からのジャマイカン・ミュージック紹介の歴史が強い。クリス・ブラックウェル自身ジャマイカ出身ですしね。そして英国はジャマイカ移民が早くから住んでいたから白人のルード・ボーイが良く聞く音楽として異物感がなかったのが大きいでしょう。(若きウェイラーズのプロデューサーを手がけていたリー・ペリーなどもジャマイカ独立してすぐに英国公演に行っているしね。それから、少年時代のジミー・クリフなどもそう。)

 

 そして。やはりこの曲かな。「ノー・ウーマン、ノー・クライ」。d0134515_10243741.jpg
 スタジオでのオリジナル盤ではテンポの速いレゲエらしい作りだったけれど、実際に有名なのは75年の英国ライシアム劇場公演でのライヴアルバムで一躍有名になった超スロー・バージョンのほうですね。僕も彼らのことを、このスローバージョンの曲で初めて知りました。ボブ・マーリィを頭に冠したウェイラーズの大・代表曲といえばこれでしょうね。もはや、ゴスペルとか賛美歌の世界に近い。スピリチュアルそのもの。会場の狭い雰囲気が伝わる様子も手伝って観客との一体感がとんでもない感動を呼び起こします。オーティス・レディングのヨーロッパ・ライヴ盤での「トライ・ア・リトル・テンダネス」と共に、僕のライヴ盤2大精神浄化ミュージック。

 ライシアム公演の「ライヴ!」とは違いますが、前からおなじみの感動的な映像がずっとYOUTUBEで上がっていますが、ここではそれとは別の79年の余り見かけない珍しい映像をご紹介させていただきます。

 

 やはり凄いです。その一言あるのみ。
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by ripit-5 | 2009-08-23 08:37 | 音楽(洋楽中心)

マニフェスト比較

 公示日が近いのでいまのうちに各政党のマニフェストの感想を。

 マニフェストを単に政策の羅列でなく各政党の理念をベースとして表現されているものと考え、かつ理念だけではなく、同時に理念を具現化する政策を持つものとするならば、所謂「マニフェスト」単体においてその両面を満たしており、文章も読みやすいということ。その点で評価するならば、共産党のマニフェストが一番完成度が高いと思います。

 共産党の今回の選挙のアピールのポイントが「反貧困」「非正規労働の是正」「社会保障制度の再構築」のような、いわゆる雇用のありかたと社会保障、労働保障にポイントを絞ったのは現状理解が一番進んでいると云えます(その逆は残念ながら『自民党』)。特に現在の日本がOECD(先進国)諸国のなかで相対的貧困率が非常に高くなっている点のデータをきちんと揃えていて、説得力がある。文章を極力読みやすくし、その中に国際比較を上手に組み入れているのも上手い。

 問題はやはり財源でしょう。共産党は一貫して防衛費削減と大企業の増税を財源とするとしていますが、現状、それこそが一番難しい聖域でもある。一挙の飛躍はちょっと現実味に欠ける。
 それから、この「一冊の本」といってもいい程出来の良いマニフェスト。どこかデジャヴ感があるなと思ったら、それは湯浅誠氏や雨宮果凛氏等々の「若き反貧困運動者たち」が書いてきたり、語ってきたりしてきたものからのダイレクトな影響なのでした。彼らに対してちゃんと引用のお礼はしているのかな?(笑)

 社民党は公示日前はまだマニフェストの詳細は出さず、現段階はマニフェストの概要のみ。それだけ見ると、今までの野党公約、「あれやります、これやります」「あれに反対、これに反対」が目立つばかりで見劣りがするところ。社民党のためにエクスキューズするとすれば、「社民党の理念」も同時に読むことをお薦めます。(両方とも勿論党のHPで読めます。ただ、社民党のHPは発表当初マニフェストがどこにあるのか見当たらず、少々読みにくい感じがした)。

 ところで、理念とマニフェストを見ればおそらく多くの人が思うことだと思うけど、どうして社民党と共産党は共闘を組めないの?という素朴な疑問ですね。いまや両党共に問題意識に違いはほとんど無いはずだから。あえていうなら、社民党のほうが「平和」に対するこだわりが強いという程度だと思う。
 とにかくも、「社・共対立」の歴史的経緯を知らない若い世代にはこの両党の違いは首をひねるばかりでしょうね。

 民主党のマニフェストについては、財源論はともかくとして、前も云われてた気がするけれど、「政策の羅列で理念が無いんじゃないか」「バラマキなんじゃないか」との批判に関して。民主党の理念に不足を感じる向きには、マニフェストもともかく彼らの政策集、「INDEX2009」を読むことを強くお勧めします。なんと、目次と索引含めて60ページくらいある大部のものだけど、国の政策の各方面に渡って民主党の政策変更面が詳細に書かれています。現実の社会や制度で「なぜこうなの?」「ここが変だな」と思うことに関しておおむねその疑問に答え、その疑問に応える政策を書いています。細部の政策に関して、変えることの理由がきちんと書かれているので、民主党の理念はおおむね、これを読み進める中で見えてくるでしょう。政策のつぎはぎ感覚が薄く、統一感が見えてきます。(とはいえ余りにも大部ゆえ、実を言うと私もまだ全部は読みきれていないのですがw)。

 ただ、個人的には政策に反対点もある。FTAの自由化、高速道路無料、比例代表80議席減(これは少数政党に不利すぎる)。またついでに言わせていただくなら、高額所得者に子ども手当ては必要ないでしょう。一律子ども手当てではなく、ある程度以下の所得の人を対象にすべき。ただ、彼らの姿勢として子ども政策として「生まれてから社会に出る年齢まで」は政治が経済的に支援するというメッセージはとても良いメッセージだと思います。

 最後に自民党。正直マニフェストも苦しい。確かに後出しジャンケン色が拭えない。自民党の3本柱は「安心」「活力」「責任」だけど、僕が読みながら書いたメモも眺めてみると、「民主にあり」(社会保障カードなど)、「民主に有り、しかしより抽象的」「抽象的」など。あるいは「今までの政策からの撤退」など。一言で云えば、攻めの政策がないのです。あえて彼らの特色を云えば、麻生節である社会保障に関する「中福祉・中負担」。-これも具体的な像が見えない。あるいは来年度後半には2%の経済成長、今後3年間での40~60兆の需要創出とあるが、これも具体的にどのような方策で、という点が見えない。他の政党が書いていないブロードバンド過疎地への言及も、あろうことか、ブロードバンドゼロ地域の「解消の実現」というヘンテコな日本語です。(苦笑)。この表現は単に「ブロードバンドゼロ地域を無くす」、あるいは「ブロードバンドゼロ地域解消」でいいんじゃないか。細かいことだけど、表現が変です。せっかく他党が書いていないことだったのに文章がヘンになったために損をしてしまいました。

 そして自民の今回の独自色は、意外にも経済よりもむしろ外交と教育でしょう。これは民主の目指す方向との違いが明確。教育は経済保障的政策では民主に近いけれど、ただ、価値観については「道徳+生きる基本」、「歴史・文化伝統を重んじる」と今までの自民党の文教的価値に忠実。

 もう一つの忠実が、外交における「日米安保体制の強化」「防衛対策の強化」。北朝鮮を仮想敵とする「弾道ミサイル防衛の推進」「北朝鮮への断固たる対応」といったところ。この外交防衛に関する路線は他党に比べて自民党が一番強硬に見えるところです。

 ただ、この政策は現状からズレてきているのではないか。というのは米国がオバマ政権になり、いまの米国政権はもっと多極的な対話外交に転換しているように見えるからです。特に国債引き受けが多い中国とアメリカの関係の緊密化、北朝鮮もクリントン元大統領の突然の訪問などで、ブッシュ政権時代をイメージした日米関係観を持っているとしたら、外交における状況の立ち遅れた認識を露呈するかもしれません。すでにその兆候は今の政権でも現れていると思うけれど。まぁ、今はあえてこれ以上は立ち入りません。

 まとめとしては、結局一市民としての「自分」が政治政策の結果を反映する社会をどのように認識しているか、というのを元に考えると、マニフェストの出来が一番文章としてよく出来ているなと思ったのが共産党。

 民主党はマニフェストよりも、政策集(Index2009・PDF)を熟読するほうが新しい国の方向性が見えてくるという実感があります。
 民主党は実に、左から右への両翼のウイングが広いんだなぁという当たり前のことの再認識と、しかし政策的には一貫した具体的かたちが作られているんだなという素朴な驚きはあります。(それが実際、実現できるのかは今は神のみぞ知るの世界だけど)。いわば、マニフェストは商品で云えばカタログ、政策集が詳細なマニュアルといったところかな?あまり的確なたとえではないけれど。。。

 それから繰り返しだけど、共産党と社民党の政策的な違いの無さという不思議ですよね。やはりこれは残念なこと。何しろ、年収200万円以下の人びとが1千万人を越え、年収300万以下が勤労世帯の半分を超えてしまった時代です。OECD、ILO(国際労働機関)などからの国際比較で、相対的貧困率や労働条件の悪化を指摘されている日本なのですから、いまや社民、共産の問題意識が一般のマジョリティと切り結んでいる時代でもあるということなのです。
 そういう意味では僕らの側もその理解があったほうがいいと思うし、両党に関しても誰のための政治なのか、ということを再考していただきたいものです。政策に強い共産党、平和と憲法にひたむきな思いを持つ社民党が協力することが長い目で見たときには、私のような(変な話ですけど)「マイノリティ心情」を持つものには大きな希望になることなのですが。。。
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by ripit-5 | 2009-08-16 20:14 | 社会

南方で、本土で。

 お盆の墓参で午前中に小樽に行っていましたが、今日はいうまでもなく終戦記念日です。
 このところしばらくの期間、NHKハイビジョンは1日の中でもずいぶんの時間を割いて戦争の特集をやっていたようです。
 残念ながらハイビジョンテレビは私の家族の持ち物なので、食事時にちらちら見ることが出来ただけですが、とにかく日本本土の「核」を含む空爆も凄まじいものですが、同時に南方戦線においては、不毛としか言いようが無い作戦、合理性のかけらもない軍事活動は唖然とさせられるもので、南方に送られた兵士たちはほぼどこにおいても自分の身一つを守ることさえ手一杯のような状態で、まともに戦争をやる前に自滅してしまっている。その意味で南方戦線は兵士と兵士による戦争というよりも、人災被害じゃないのか。そんな感想を持ちました。とりあえず、それらの映像から、幾つか。





 それから、こちらはマイミクさんでもあるPENLOG・ブログのwatanabeさんがMIXIで紹介してくれた空爆後の大阪、神戸、広島、長崎、東京の映像です。文字通り言葉を失い、慄然としてしまいました。
 これは何も無いところから街が立ち上がる映像ではありません。言葉通りの焼け野原にはその前にちゃんと都市の風景があったはずです。そう思うと、空爆という物理的な力は実にすさまじいことで、頭がくらくらしそうです。

 
 南方戦線での前線兵士の証言、そして空襲後の都市の惨状。これがたった64年前の日本の姿です。
 こういったものを見てしまうと、いま、仮想敵をイメージしながら熱く、勇ましいことを語る一部の人たちというのは危機意識の現われかのような言動とは裏腹に、実は「平和ぼけ」の世界だからこそ語られる議論、あるいは幻想的な発言だとしか思えなくなってきますね。
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by ripit-5 | 2009-08-15 22:17 | 社会

個人から始まる力。

 
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 7月9日の記事で書かせてもらった、環境問題につながる「ブッシュ政権の石油利権の置き土産」と云われるユタ州大規模石油ガス採掘計画に反対する大学の学生が、ひとりで石油ガス採掘権入札の場に入り込み、入札額をつりあげることで入札自体を不調にさせるという挙に出たユタ大学の学生だったティム青年。そのティム・デクリストファー氏へのインタビューの日本版がデモクラシー・ナウ!ジャパンのサイトに上がってきました。たった一人のアイデアと勇気。そこから見えてくる意味あることば。エイミー・グッドマンのインタビューでぜひお聞きください。(リアル・プレイヤーのインストールをお願いします)。
「ユタの大学生 原野を救うため飛び入り入札で権利買い占め」

 デモクラシー・ナウ!現地本放送は広島・長崎の原爆投下特集です。こちらは英語放送。リアルプレイヤーのインストールは必要ありません。そのまま画面をクリックすることで始まります。被災者の声として笹森繁子さんという方も登場されます。
「Hiroshima and Nagasaki A Look Back at the US Atomic Bombing 64 Years Later」

 それにしても、ユタ大学学生だったティム氏。改めて聞いても冒険的気分から行われたものではない、理性がありながらも、止むに止まれない心情から行われた行動を語ることばは、若さの純粋さを強く感じさせてくれ、見るこちら側を感動させてくれます。

 それから、日本。こちらは一個人の行動とは違いますが、年末年始の年越し派遣村。村長としての湯浅誠さんが著書『反貧困』ともども、オピニオン・リーダーとしての貴重な顔として社会的発言者として有名になりましたが、この年越し派遣村はこの別刊朝日で朝日の記者さんと湯浅氏も指摘されている通り、貧困救済運動をされている湯浅さんのグループと同時に、派遣労働者の個人加盟組合『東京派遣ユニオン』の力が大きかったことを、私は以下のドキュメントを見るまで知りませんでした。(この番組をアップしてくれた人に感謝します)。
 この個人加盟労働組合『東京派遣ユニオン』は専従職員がひとり、ボランティアふたりで活動をしている極小といってもいい組合なのですが、その活躍や年末の派遣村を企画する危機のサーチ能力と行動力は表に表れることはなくても実に賞賛されるべきことでした。

 「派遣切りと闘う~東京「派遣ユニオン」の1か月」~ Free Videos - Watch Online Videos - Guide Veoh Video Network
 (なお、veoh videoは5分まで。ただ、会員登録をしてビデオインストールすれば、長時間放送も見ることが出来ます。この番組は28分程度。登録等は非常に簡単。詳細についてはこちらのサイトを)。

 このような、目立たない、しかし当事者性に則って困っている人に手を携えていく人たち。そのリード役を買って出る人がいるということが、困難な状況の中でも世の中を前向きに見る大きな力になってくれています。

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by ripit-5 | 2009-08-11 22:09 | 社会