ほぼ一月ぶりのご無沙汰です。

 本当にお久しぶりになります。ブログが放置状態になったまま一月近くが立ってしまいました。何かと家にいる時もすることが増え、じっくり腰を据えて文章を書くのが難しかったのでした。
 しかしネットは良く活用していて、時流にあわすようにツイッターにはよく書き込んだりリツイートしたりしています。特に厚生労働省の山井政務官のツイッターは貴重で早い情報とヒューマニティが溢れていて良くチェックしているつぶやきです。やっぱ、価値は認めざるを得ないなぁ。初っ端は文脈が掴めなくて馴染めないものですが、文脈が判ってくるとついハマッてしまいます。

 さて、当地札幌は明らかに気象が変で、今日もとても寒い日です。こんな日が続いています。昨年は変だなと思うくらいの暖冬だったのですが。-これってどうも全国的な現象のようですね。

 自分が朝通っている際に通る中心部、大通り7丁目あたりから5丁目あたりはすでに桜が咲いているのですが「こういうのを寒桜っていうのでは?」と思うくらい、寒い中をけなげに咲いている状態です。どうせなら、見る側としてもぽかぽか陽気の中を咲いて欲しいと思うのが人情。

 そして帰宅後、夕刊に目を通すと20代、30代の自殺率が過去最高との話が一面及び社会面に載っていて自分の目をひきました。ある程度想像の範囲内とはいえ、やはりショッキングなことです。30代は職場の人間関係、20代は仕事が見付からないことも理由として大きいようです。そしてもうひとつ。家人の話によると、30代くらい?の飲酒率が男性を女性が抜いたらしいとのこと。(今、明確な資料はありませんが)。

 そこで最近思っていることと繋げて考えてみたのです。
 私らくらいの世代は、親が核家族の第1世代というところです。そして今の20代がその孫世代でしょうか。そして20代、30代は「核家族の時代」から「単身世帯の時代」に生きている、と書いてしまったら乱暴でしょうか。他人事とは思えないので良く考えるのですが、いまの若い人にとって、家族の履歴、由来、歴史は知られているのだろうか?果たして親もそのようなことを子どもと折に触れ話したりすることはあるのでしょうか。

 そもそも、親も「自分の親」の生い立ちを知っているでしょうか。つまり世代的には私と同じ40代、あるいは50代の人たちです。
 振り返ってみると、私は昔、長家にあたる叔父の家の位牌、仏壇、遺影が気味悪く嫌だったものです。ですが、こうして年経るにつれ何かそれらが懐かしいものに感じるのです。男も女も同じ立場で働かねばならぬ、又そう出来る時代になりました。あるいはそうせねばならない時代になったともいえるかもしれませんが、その際に社会に出て「腑に落ちる感じ」というか、外で働くストレスに耐える寄る辺について。わたくし共は率直に言ってその持ち合わせがあるでしょうか。モノ以外に。

 例えば、欧州一般の男女共に働くのが当たり前のような社会におけるストレスは、加重労働をワークシェアすることで防ぐという政策的手立てと同時に、その奥低ではキリスト経文化圏の持つ根底的重みがあるのではないかと想像するのです。私たちにとってそれに当たる自らの寄る辺は近過去においては大文字の宗教はなくて、長くご先祖さんや親の親たちから「見守られている」意識だったのではないか。

 祖父母たちも亡くなってはいても、そのような家族の子どもたちへの愛情の記憶と、大人たちによるその伝承という形での繋がりの輪があって。それがこの世に存在する意義を私たちに与えていたのかもしれません。いまやっている昭和30年代中期以後を舞台とする朝ドラもどこかでその系譜をひいている気がします。

 もちろん、若い人たちの自死という不幸は経済社会の問題が一番大きいわけですが、何にもせよ、この厳しい現況で「頑張り」の由来がどこから来るものか、その検討がつかないとすれば、本当にそれは可哀想な心象風景だ。私もそのような思いにとりつかれたことがありますから、もしそうならば、その「途方に暮れる」感覚は痛ましくも、切なく感じます。

 いまふたたび湯浅誠氏を内閣参与に呼び戻し、失業中の人に仕事に就けるまで個別にカウンセラーなどがサポートする「パーソナルサポート」の構想は現実的問題の解決と同時に、仮にそのような心象風景にある若い人たちを対象にするならば、そのような人たちと「伴走」し、そして「あなたは大丈夫」と云える役割を果たす事ではないかと思います。そして、そのような気づきへ向かうほんのちょっとした何気ないことばも添えられたらいいと思います。
 ある意味ではお爺さんやお婆さんの役割です。父母というものは現実原則を伝える役割ですから、必然的に厳しさも伝えねばなりません。昔はその緩衝材の役割をお爺さんやお婆さんが果たしたのでしょう。「あなたはいい子だ」「心根が優しい子だ」という根本的な人間的肯定感を伝える役割を。それはジャイアンだろうが、キザ夫だろうが、のび太だろうが関係ありません。子どもは皆根本で乱暴であると同時にけなげでしょう。

 長い間実利の薄い大学の人文系学部でしたが、近年では国家資格として社会福祉士や臨床心理士があります。まして臨床心理士は大学院を卒業して資格試験を受けなければならない高度資格です。ですが、そのような資格を持つ人が今までその才を生かせて食べて来れたでしょうか?大いに疑問です。

 いまこそ彼らの出番だと思うのです。成熟社会に入ったいま。これからはヒューマンサポートの仕事でちゃんと人が食べていける時代にならないといけないと思いますね。


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by ripit-5 | 2010-05-13 22:04 | 社会