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民主党と支える理論家の変節

 大変長い間ブログを放置しておりまして、大変申し訳ありません。
 時代を反映してどうしても書きやすいツイッターのほうに移行してしまっていました。
 ツイッターは日々何かしら書いております。

 さていま一つ盛り上がらないといわれていたサッカーのワールドカップ南アフリカ大会は日本がカメルーンに勝ったことにより事前のオランダ戦のテレビは異様な盛り上がりを見せておりました。結果として負けたとはいえ、4年前とは明らかに違うタイトで戦う意思が明確なチームはデンマーク戦まで引き続き盛り上がりを見せるでしょう。

 そのワールドカップ決勝の頃まで同時期にいよいよ参議院選挙が始まります。もう選挙なのか、という意外感と同時に私は昨年の歴史的な政権交代から鳩山政権崩壊後の驚くべき民主党の変節に大変な衝撃と、強烈な憂鬱に覆われています。そしてこれから選挙までどのような報道が日々されるのかそれを考えれば倦み、歯軋りする思いです。

 民主党にはすっかり裏切られました。「マニフェスト選挙」も「マニフェストを守る」も平気で反故にできる政権交代政党。「小沢支配からの脱却」「現実の変化」「ギリシャ、EU諸国の財政危機」「日本の財政再建」どんな言葉でもいい。
 要は政権を握って民主党は理想を捨てたのです。少なくとも菅首相は明確にそれを捨てた。これが政権交代といえるのか。彼がいう『第三の道』は要は介護・医療、環境、観光、農業云々に新たな成長軌道を描こうと(そこにだけ)夢を見ている所謂「上げ潮路線」に過ぎないでしょう。そこへ理念をという近辺の声を押し切り(例えば国民総生産よりも、国民幸福指数を指標としよう、という声)、「成長率」にこだわり、換算したがるところにその本性があります。

 財政規律と成長戦略。消費税の倍額にいたる増税。そこには非正規労働の痛みや格差社会の問題意識は遠く遠くなりました。鳩山首相が掲げた高邁な理念である「新しい公共」は消えました。鳩山首相が夢見た「凄いことをやるバカで孤独なひとりの裸踊り」をフォローすることはなく、国家の背骨は経済強国だという古典的な戦後的価値に舞い戻り、私たちが夢見た民主党の理想主義は打ち捨て、民主党の若手を中心としたもう一つの面である「構造改革派」が現状覇権を握ったのです。
 この流れのままで選挙に流れ込むでしょう。そして新党ブームに乗った「みんなの党」あたりに期待をかける都市中間層を取り込むでしょう。

 ある意味では「選挙対策内閣」であり、また「民主党の変化を象徴する内閣」でもある。

 個人的なことをいえば、私の民主党に対する憂鬱は極限にあります。なぜならそれを行う首相が少なからず期待をかけた「菅直人」という人であるということ。それが大きな理由であることはもちろん大きな一つ。

 もう一つは昨日の朝刊を読んで、愛読書であり自分の教科書にもしていた『生活保障』(岩波新書)を書かれた北大の社会保障論学者、宮本太郎氏の書かれた内容に明らかに信じられない文面が並んでいたことです。記事の整合性から私の疑問と異論はとりあえず本日は詳細書きませんが、私に言わせれば驚くほどステレオタイプな現状追認の文面が並んでいたのです。

 今の菅政権のやっかいさは長く良心的な立場を貫いていると思われた政治学者や経済学者が新政権の方向性を支持しているように見えることです。もしかしたら彼らが菅政権のブレーンなのでしょうか。ケインズ主義の小野善康氏。あるいは神野直彦氏、山口二郎氏、そして宮本太郎氏まで。
 ここにまさか湯浅誠さんまでが陣営に加わるとか?それだけは信じたくない、信じられない現実ですが!!
 こうなってくると日本の理想を語るオピニオンリーダーたちの全滅になっていく。マスコミはずっと自分たちの経済利益上前鳩山内閣を叩いて叩いて、叩きまくってきたのですから、こんな嬉しい事態はないでしょう。

 この現実はどこへ行くのか。参議院後の日本政治はどうなっていくのか。
 生意気に、とても大きなことを云えば、この日本という国の漂流と混迷は続くでしょう。
 1年後もどんな政治地図になっていくのかさっぱり見当がつかない。相当また違ったもの、組み替えられたものになっているのではないでしょうか。

 憂鬱ですが、反対の面から見るならば、ダイナミックな変化の前で面白く感じる人は感じるかもしれませんが。私の場合その頃はおそらく屍累々のなかのひとりとしてあえいでいるような気がするのですがね!

PS.
 宮本氏の記事に対する疑問については改めてしっかり読んで記事にします。リアルタイムに感じていることはツイッターのほうに結構ひんぱんに書いています。エキサイトブログもツイッターのリアルタイム書き込みをサイドバーに埋め込めるようになりましたので、そちらをチェックしていただけると大変ありがたいです。

PS(2).
ポール・クルーグマンの文章の翻訳をツイッターのフォローから見つけました。ここに書かれているのはまさに今の日本と同じじゃないですか、見事なまでに。タイトルも秀逸です。必読!
クルーグマン「気分はもう30年代」 - left over junk

# by ripit-5 | 2010-06-20 09:08 | 新政権

ほぼ一月ぶりのご無沙汰です。

 本当にお久しぶりになります。ブログが放置状態になったまま一月近くが立ってしまいました。何かと家にいる時もすることが増え、じっくり腰を据えて文章を書くのが難しかったのでした。
 しかしネットは良く活用していて、時流にあわすようにツイッターにはよく書き込んだりリツイートしたりしています。特に厚生労働省の山井政務官のツイッターは貴重で早い情報とヒューマニティが溢れていて良くチェックしているつぶやきです。やっぱ、価値は認めざるを得ないなぁ。初っ端は文脈が掴めなくて馴染めないものですが、文脈が判ってくるとついハマッてしまいます。

 さて、当地札幌は明らかに気象が変で、今日もとても寒い日です。こんな日が続いています。昨年は変だなと思うくらいの暖冬だったのですが。-これってどうも全国的な現象のようですね。

 自分が朝通っている際に通る中心部、大通り7丁目あたりから5丁目あたりはすでに桜が咲いているのですが「こういうのを寒桜っていうのでは?」と思うくらい、寒い中をけなげに咲いている状態です。どうせなら、見る側としてもぽかぽか陽気の中を咲いて欲しいと思うのが人情。

 そして帰宅後、夕刊に目を通すと20代、30代の自殺率が過去最高との話が一面及び社会面に載っていて自分の目をひきました。ある程度想像の範囲内とはいえ、やはりショッキングなことです。30代は職場の人間関係、20代は仕事が見付からないことも理由として大きいようです。そしてもうひとつ。家人の話によると、30代くらい?の飲酒率が男性を女性が抜いたらしいとのこと。(今、明確な資料はありませんが)。

 そこで最近思っていることと繋げて考えてみたのです。
 私らくらいの世代は、親が核家族の第1世代というところです。そして今の20代がその孫世代でしょうか。そして20代、30代は「核家族の時代」から「単身世帯の時代」に生きている、と書いてしまったら乱暴でしょうか。他人事とは思えないので良く考えるのですが、いまの若い人にとって、家族の履歴、由来、歴史は知られているのだろうか?果たして親もそのようなことを子どもと折に触れ話したりすることはあるのでしょうか。

 そもそも、親も「自分の親」の生い立ちを知っているでしょうか。つまり世代的には私と同じ40代、あるいは50代の人たちです。
 振り返ってみると、私は昔、長家にあたる叔父の家の位牌、仏壇、遺影が気味悪く嫌だったものです。ですが、こうして年経るにつれ何かそれらが懐かしいものに感じるのです。男も女も同じ立場で働かねばならぬ、又そう出来る時代になりました。あるいはそうせねばならない時代になったともいえるかもしれませんが、その際に社会に出て「腑に落ちる感じ」というか、外で働くストレスに耐える寄る辺について。わたくし共は率直に言ってその持ち合わせがあるでしょうか。モノ以外に。

 例えば、欧州一般の男女共に働くのが当たり前のような社会におけるストレスは、加重労働をワークシェアすることで防ぐという政策的手立てと同時に、その奥低ではキリスト経文化圏の持つ根底的重みがあるのではないかと想像するのです。私たちにとってそれに当たる自らの寄る辺は近過去においては大文字の宗教はなくて、長くご先祖さんや親の親たちから「見守られている」意識だったのではないか。

 祖父母たちも亡くなってはいても、そのような家族の子どもたちへの愛情の記憶と、大人たちによるその伝承という形での繋がりの輪があって。それがこの世に存在する意義を私たちに与えていたのかもしれません。いまやっている昭和30年代中期以後を舞台とする朝ドラもどこかでその系譜をひいている気がします。

 もちろん、若い人たちの自死という不幸は経済社会の問題が一番大きいわけですが、何にもせよ、この厳しい現況で「頑張り」の由来がどこから来るものか、その検討がつかないとすれば、本当にそれは可哀想な心象風景だ。私もそのような思いにとりつかれたことがありますから、もしそうならば、その「途方に暮れる」感覚は痛ましくも、切なく感じます。

 いまふたたび湯浅誠氏を内閣参与に呼び戻し、失業中の人に仕事に就けるまで個別にカウンセラーなどがサポートする「パーソナルサポート」の構想は現実的問題の解決と同時に、仮にそのような心象風景にある若い人たちを対象にするならば、そのような人たちと「伴走」し、そして「あなたは大丈夫」と云える役割を果たす事ではないかと思います。そして、そのような気づきへ向かうほんのちょっとした何気ないことばも添えられたらいいと思います。
 ある意味ではお爺さんやお婆さんの役割です。父母というものは現実原則を伝える役割ですから、必然的に厳しさも伝えねばなりません。昔はその緩衝材の役割をお爺さんやお婆さんが果たしたのでしょう。「あなたはいい子だ」「心根が優しい子だ」という根本的な人間的肯定感を伝える役割を。それはジャイアンだろうが、キザ夫だろうが、のび太だろうが関係ありません。子どもは皆根本で乱暴であると同時にけなげでしょう。

 長い間実利の薄い大学の人文系学部でしたが、近年では国家資格として社会福祉士や臨床心理士があります。まして臨床心理士は大学院を卒業して資格試験を受けなければならない高度資格です。ですが、そのような資格を持つ人が今までその才を生かせて食べて来れたでしょうか?大いに疑問です。

 いまこそ彼らの出番だと思うのです。成熟社会に入ったいま。これからはヒューマンサポートの仕事でちゃんと人が食べていける時代にならないといけないと思いますね。


# by ripit-5 | 2010-05-13 22:04 | 社会

村木被告のことなど。

  ブログの更新が滞ってしまいました。4月に入り、多少忙しくなってきちんとした考えを纏める余裕が少しなくなってしまっていたこともあります。申し訳ないことです。ただ、この間も結構Twitterのほうは気楽に?書いていたのでやはりブログの持つ意味と価値を考え直さなければならないと思っています。
 とはいえ、Twitterから非常に価値ある情報がほぼリアルに入手出来る利点があるのはまた事実です。例えば前にも紹介させてもらった「郵便制度悪用事件」で被告とされた村木元労働局長のほとんど冤罪事件に関する江川紹子さんの裁判傍聴のTwitterによるリアルタイムのつぶやきです。このリアルさと検察の取調べの異常さは圧倒的なものです。

 そしてある意味それ以上に異常性を感じるのはニュース・バリューの価値の低さであり、この事件に関する世間の関心の低さです。
 検察が完全敗北した小沢民主党幹事長の不正献金疑惑もリーク等々大変にひどいものでしたが、今回はマスメディアでさえ検察の捜査、証人取調べも無茶苦茶さがあからさま過ぎるがゆえか、検察の暴走ぶりを報道しているのに、政治的関心層が高いように思われるTwitterユーザー層にもこの問題に関してはけして関心度が高いとは思えません。これはどういうことなのか?と私は首をひねります。
 村木被告が高級官僚のエリートだからでしょうか?あるいは応益負担という評判の著しく悪い「障害者自立支援法」の法案作成者だからでしょうか?
 おそらく両方とも違うでしょう。村木被告の事件が地味で政治的イシュー、政治的な興味にひっかからないためだと私は思います。

 しかし、私に言わせればこのような捜査を検事が行っていることの怖さこそ私たちが知らねばならないことなのです。

 前書きが長くなりそうです。では、以下に折りたたんで江川さんの法廷傍聴のつぶやきをそのままコピーさせていただきます。(時系列は逆なので、下から上に読んでください)。
 そして検察が暴走することの恐ろしさをどうか感じ取っていただきたいです。

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# by ripit-5 | 2010-04-16 21:53 | 社会

ほぼ新年度ですね。

またブログの更新が2週間くらい延びてしまいました。
テレビなども朝のドラマが変わったり(ゲゲゲの女房!)、東京から登坂アナウンサーが来たりなど、すでにそちらに関しては新年度モードです。

私自身も多少新年度モードがありまして今後少々ブログの更新も滞る面もあるかもしれません。
お許しください。

最近流行のツイッター。私も例に洩れず、その気楽さや多くの著名な方々(政治家、ジャーナリスト、弁護士、医療従事者等)がはじめているため、そのリアリティと即時性に惹かれてついフォローしたり、自分に関してはその場での思いが簡単に書けてしまうため、そちらでの書き込みが増えてしまっているのは事実です。
ただこのツイッターもハマルと、本当にハマッテしまって時間が気づいたらいたずらに過ぎていた、ということもありますので気をつけねばなりません。

野暮で糞硬い自分も意外と新しいツールが好きで、今までもSNSであるMIXI、マイ・スペースとハマッて来て、いまはツイッターにものめりがちなわけで。

少し新年度からは抑制せねばと思っています。
といいますのは、出来ればまた改めて社会保険労務士の勉強を余りデテールにこだわり過ぎずに復習したいと懲りずに思い始めているのです。理想はこの3ヶ月間くらいをメドに”おおむね”な感じで全体を再度学びなおしたいと思っています。特に「働いてもらう側」ではなく、「働く側」に極力軸足を置いて。

後は行政書士の復習で憲法と行政法の復習が出来たらなと願望しています。(公務員試験の「行政法」講義のライヴを本にした良いブツを発見しました)。出来れば民法も、総則辺りまで。。。と贅沢な夢を描いて見ますが、それはまず難しいでしょう。やはり優先順位は労働社会法制と憲法、かな?

NPOのような「新しい働き方/新しいお互い様」にも関心があります。NPOで行っている「自由学校」が予定している「21世紀のセーフティネットを展望する」という連続講座にも出たいと考えていますし、我が母校の恩師が講師をする市民大学での「深層心理学」の講座も出ようと思っています。で、それらを自分の現実にどう生かせるか考えたいです。それから、「講師がモノをどのように伝え、教える努力をしているか、工夫をしているか」という角度からも学びたいと思っています。

人よりも迷いすぎて少し道がずれているような生き方をしている自分ですが、春になって暖かくなってきたら、今よりもほんの少しアクティヴになりたいと思っています。

ブログの更新が少し滞るところがあるかもしれませんが、お許しください。
出来ればツイッターのほうの書き込みをフォローしてくれるとありがたいです。

それから本ブログのリンク先は自分でも相当イイ、と思いますのでリンク先のブログも是非ご参照ください。
Exciteブログにリンクを貼らせていただいている方々のブログ新着記事はいつもチェックしております。今後ともよろしくお願いします。

# by ripit-5 | 2010-03-29 20:34 | 日々

湯浅氏の苦闘-権力の懐に飛び込んだ男

 ちょこちょこありまして、ブログの更新がしばらく延びてしまいました。
 その間、ツイッターは結構気楽に書いていて、そこに書いてしまうことにより今度はブログに書くための「溜め」が薄まってしまう。その引っかかり。そこに新たな問題意識もあることは、あるのです。

 このところ一番情報に接して感じたことは、とりわけ個人的には湯浅誠の内閣参与就任後100日を追ったドキュメント、「権力の懐に飛び込んだ男・100日の記録」でした。あれが最初に放映されたのが津波警報がずっと出ていた2月28日。その後改めて行われた再放送も見て改めて多々思うところがありました。結局、あの番組は短期間のうちに3回放映されたわけで、これも異例な感じがします。再放送はどれも遅い時間帯であったとはいえ。
湯浅氏の苦闘-権力の懐に飛び込んだ男_d0134515_20583536.jpg

 そしてあのドキュメンタリーで映し出されたことは、まさに「縦割り行政の弊害」そのものでしたし、生活困窮者に対する対応の行政のスキルのなさに尽きます。偉そうな書きようで申し訳ないですが、あのドキュメントを見た人の誰もがそれを見てしまったのではないでしょうか。

 湯浅さんのこの期間の大きな仕事はハローワークをプラットフォームとする「ワンストップ・サービス」と年末年始の「官制派遣村」でしたが、どちらも湯浅氏が構想した形の理想からは遠いものだった、と総括せざるを得ないかもしれません。

 視聴者が湯浅氏の動きを通して見えてきたものは、行政が如何に具体的な細部に渡って驚くほど「待った」をかけるのか、というトホホな事実でした。

 ワンストップサービスを行うに当たっての省庁違いによる抵抗から始まり、行政の生活保護相談に対する抵抗、ハローワークで配布すべきチラシを配布しないアバウトさ(深刻味のなさ)、派遣村施設利用に伴う他省庁との折衝の煩雑。施設の館内放送一つ流す許可を得るために政務官同士まで話を上げないといけないという時間の無駄なロス、集った人たちに利用できるソーシャルサービスを伝えない相談員・・・。挙げればキリがないほど細部にわたる、というか細部に対する無頓着さぶりには驚きの連続でした。それら一つ一つのフォローのために具体的に自ら行動を起こさないといけない湯浅氏。まるで「内閣内ひとりNPO」のように、たった一人に覆いかぶさるこの負担は何なんだろう?と素朴に思いましたね。

 内閣参与ですから、本来アイデアを拝借した時点で政府がきちんと枠組みのベースは用意しておくべきはずなんですよね。その上で現場の問題を上手く回せないところをアドバイスするのが湯浅さんの本来の役割であるはずでしょう。それが企画も実現のための折衝も、公告も首相メッセージ映像をもらうことも、オリンピック会館での相談援助さえ全部一人で(横にはライフリンクの清水さんがフォローで入っていたとはいえ)やっている姿を見せられると、なぜ彼が一人で負担を背負わなけりゃならないの?と思ってしまう。それだけ現場感覚と行政の「新しい仕事」に乖離があるんですね。
 云っちゃ悪いが菅副首相もせっかく湯浅氏を招聘したのだから、もうちょっと権限を持つ力量あるスタッフをそろえてあげて湯浅氏がアイデアを具体化しやすいかたちにすべきだったし、その用意がされて無かったのは良くないことだったよ、と云いたくなります。

 あの番組を見ると「行政の縦割りというのは深刻だなぁ。行政官はフットワークが滅茶苦茶重いんだなぁ。全然当事者意識不在なんだなぁ」と思うことで、「ほら、行政ってこういうことなんですよ」と民主党の掲げる政治主導という旗を補完するようにも見えるけれど、同時に民主党の政治主導というのが如何にも行き当たりばったりの側面があるぞ、という面も見えてきてしまう。
 まぁ、一般人としては諸刃の剣のように見える番組でした。

 結局あの番組でも湯浅氏が1月下旬で内閣参与を辞任する意思を伝え、菅福首相が慰留しているということで終わりましたが、現実問題として湯浅氏はこの3月上旬に正式に内閣参与を辞任されました。本当に大変だなという感じが誰にとっても感じることですが、何卒民主党には「ワンストップ・サービス」の法制化だけはきちんと仕上げてもらわないと困りますね。でないと、また貧困問題が思い切り可視化されると思います。民主党は前政権の負の遺産の処理で大変なのは分かりますが、あれこれ打ち上げるばかりでなく、もう一度きちんと現実の社会情勢の上に立って政策の優先順位を決めて実行に移してくれないと困ります。それはマニフェストにこだわるのとはまた次元が違う問題だと思うんですね。それから、もうひとつは民主党の「政治主導」は省庁縦割りの打破にあるんじゃないか、ということですね。今後「中小企業特別対策」も打ち出されるわけで、その際も省庁横断が大きなポイントですから、ここでも縦割り行政が問題となるはずです。課題は大きいですね。

 もし仮にこのドキュメントをご覧になっていない方のために、こちらに番組の全体がアップされています。
NHKスペシャル ~権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録~(パンドラTV)

 そしてドキュメントを見た上でこちらの湯浅氏の内閣参与辞任に関するコメントをじっくり読んでいただけると彼の人の心の過程がよくわかると思います。ぜひ読んでいただければ。

湯浅誠辞職コメント

 何だかんだいって、誰にも出来ない大変な仕事を行える素晴らしい社会的人材なんですよね。
PS.しかし湯浅氏の辞任コメントの2.2)官民関係を読むと、あのドキュメンタリーが政府のせめてもの湯浅氏に対するプレゼントだったようにも見えてきます。(勿論、一番の問題は住まいと仕事を失った人たちをどう助けるか、ということなのですが)。

# by ripit-5 | 2010-03-13 19:38 | 新政権