Great Swindle?

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 オバマ大統領のノーベル平和賞授賞式の演説は、自分が知る限り今まで彼が演説してきたこと、書かれてきたことの中でも最悪なものだった。彼自身が「戦時下の大統領」と自ら認める状況下での平和賞の受賞、そしてアフガン増派というおそらく国防族らの意見に負けて派兵を決めてから、いままでの中で一番自己矛盾に満ちた心情の中で平和賞受賞などという式典での演説となったものだから、おそらくかくも目も当てられないものになったのだろうか。

 すでに「平和のための戦争を肯定する」という演説の核心は日本に伝えられ、失望の声が聞こえている。この中日新聞に掲載された演説の全文を読んでも、訳が上手ではないのか、あるいはオバマの演説の内容の中身に混乱があるのか、読んでも内容が不可解な、文学的な読み込みでも求めているかのような表現が多用されている。それは演説のポイントである「戦争と平和」について論じる部分で顕著だ。ある面ではオバマ氏自身の哲学が露呈したものかもしれないし、元々そのような議論があるのはよく認識していても、それをいまの立場に登り詰めるまでは、心底で信じていたことでは無かったのではないか?と受け取れるようなふしも無くはない。

 ただ、アメリカという軍事における超大国の大統領としてこのような「戦争と平和」の論者としてノーベル平和賞演説をした以上は、逃げ隠れなくこれが「オバマ大統領の価値観・哲学」であると世界に公認され、認知されたと云われても仕方がない。かくして、世界が待望した「オバマ大統領」のいままでの言葉は偉大な欺瞞であった、と。実は一人のリアリズム政治家にすぎなかったと。過去の評価をひっくり返されても仕方が無くなっただろう。(嗚呼!)

 私も偉大なる詐欺師のマジックに引っかかったのに過ぎなかったのか?あるいは、内省的なオバマにおいても諧謔味がありすぎるような、いやもっといえば論理が破綻しているような演説をせざるを得ない、オバマ自身が首根っ子を掴まれているような、すなわち命にかかわりがあるような現実がアメリカという軍国にはあるのか?という想像と、あるいはオバマ自身が実は自分を突き詰めると露わになる「キリスト教バーサス世界」という価値観があって、それがついにむき出しになったのだろうか?あるいはその両方なのか。考えたくも無い嫌なことに思いを致す。
 
 私自身のこの文章が混乱しているけれども、いままでのオバマには無かった言葉のパワーの後退ぶりは個人的にはただ事ならず。やはり今後オバマはアフガニスタンで、あるいは場合によってはもっと戦局を広げて戦争をやろうという覚悟を持ってしまった(あるいはもたされた?)という感じを持つのである。

 今年を象徴する漢字一字は何か?と問われれば、いまの僕は「欺」と答えたい。もちろん、普通そのような言葉は出てこないだろう。只、今の自分はオバマにせよ、日本の政治にせよ「欺かれた」という気持ちの状態にある。これがマイノリティのいかれた戯言に過ぎず、世間一般の気分へと今後とも合致しないことを祈るばかりである。

中日新聞オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説の全文

■「戦争と平和」

 
これらの課題は新しいものではない。戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった。その道義性が疑われたことはなかった。部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものだった。

 理想主義者、オバマにとっておそらく公にされた初めての「戦争自然」の論であろう。

  
歴史上、「大義のある戦争」という概念はほとんど実現していない。人類が殺し合う方法を新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みだ。そして外見の違う人々、異なった神を信仰する人々に対し無慈悲にその能力を行使した。

 とはいえ、過去自然の如く行われた戦争が、歴史的な経緯を踏まえても文化・文明の発達とともに、最も人間としての愚かさの発露であり、かつ戦争は自然現象とは違って人為的な攻撃であると。また、戦争遂行のスローガンに大義がある、ということはすでに嘘であることはオバマ当人にとっても認識済みのはず。つまり、この発言に見られる認識こそが正しく健全なものであるにもかかわらず。

 
われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい真実を知ることから始めなければならない。国家が、単独または他国と協調した上で、武力行使が必要で道徳的にも正当化できると判断することがあるだろう。

 なぜかリアリズム(アメリカにとってのリアリズム?いや、アメリカの軍事主義にとってのリアリズムにすぎまい。)が強調され、それどころか、「道徳的」という言葉を使える神経そのものがわからない。恐怖心の余りに止むに止まれずやることだ、というならまだしも。

 
しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない。私は現実の世界に対峙(たいじ)し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ。

 オバマのことばはついに抽象的な「悪」とか「正義」とか「敵」とかいう、あのブッシュ演説の路線にまで後退してしまった。。。ヒトラーと非暴力運動はつながらず、アルカイダの指導者たちは、あえていおう。ヒトラーとその軍隊ではない。そして肝心なことには、オバマは現実国家の指導者としてついにキング牧師の理想もガンジーの理想も排することを宣言した。良心の根から離脱することにより、ついに彼は自分の精神の自由を得た、のだろうか?

 
私はこの点を提起したい。なぜなら今日、理由のいかんを問わず、多くの国で軍事力の行使に二つの相反する感情があるからだ。時として、そこには唯一の軍事超大国である米国への内省的な疑念が伴う。

 オバマはここで何を云おうとしているのだろう?この演説全体の中にいくつか意味不鮮明な箇所があるけれども、その大きなものの一つである。

 
そう、平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割があるのだ。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければならない。

 「平和のための戦争論」。ただ、それではいかにもまずいと思ったのか、後段の文章が付け加えられている。付け加えられてはいても、現実に彼は国家指導者としてその行為を行うし、そこに人間的な苦悩を加味しようとしても厳しく言えば付け足しに過ぎない。彼は本当に平和維持のためのアフガン増派を信じているのか?それとも違うのか?彼は前段の文章以外の言外の意味を読み解いて欲しいと思っているのか、あるいはそんなものは無いのか?

 
両立させるのは不可能に見える二つの事実に折り合いをつけさせることも、私たちの課題なのだ。戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもある。

 このような言葉もオバマの口から聞きたくはなかった。世界中のオバマのファンだった人間がみなそう思うだろう。

武力が必要なところでは、一定の交戦規定に縛られることに道徳的、戦略的な意味を見いだす。規定に従わない悪意ある敵に直面しようとも、戦争を行う中で米国は(規定を守る)主唱者でなければならないと信じている。これがわれわれが戦っている者たちと異なる点だ。われわれの強さの源泉なのだ。だから、私は拷問を禁止にした。グアンタナモの収容所を閉鎖するよう命じた。そして、このために米国がジュネーブ条約を順守するとの約束を再確認したのだ。われわれが戦ってまで守ろうとする、こうした理念で妥協してしまうと、自分自身を見失うことになる。平穏なときでなく困難なときこそ、ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払おう。
 
 この一連の話は何を意味するのか、ノーベル平和賞授与式においてどのような意味を持つ言葉なのかさっぱりわからない。何ら普遍性の無い話だからだ。「規定に従わない悪意ある敵」と戦争を行う米国は、交戦規定を守る意味で正しいのだ、ということを言いたいようだ。つまり想定はアルカイダであって、オバマの脳裏からまだ01年の911のイメージがそのまま消えていないことが露呈している。「戦争ルール」が人間の戦争の歴史の文明化の尺度のように戦争史を前段に語っているのは、テロという見えない敵との戦いはルール無用に見える相手側が悪だという論理を構築するためであろうが、おそらく具体的な「国」が相手であっても別の理屈は立てることだろう。何にせよ、「平穏な時でなく困難なときこそ」という肩に力が入った言葉の中に、すでにオバマの「危うい本気度」が見え隠れする。

 あえていうなら、この平和式典での演説が彼がアフガンで今後行う行動の免罪符演説ということなのだろう。私は簡単にオバマの平和賞受賞を賞賛したことが安易なことだったのかもしれない、とまた新たに反省を迫られることとなった。ノーベル平和賞を決めたノルウェー議会にとってもそうかもしれない。今でもオバマがこの「戦争と平和」演説で語ったことを心底信じてアフガニスタンに増兵するのだろうか?それが疑問に思いつつも、たとえば「ある者は殺され、ある者は殺すだろう」という表現などいかにも乱暴な言葉も散見される。まるで小説の一文を朗読するような第三者的な物言いに聞こえ、いままでこちらが思い込みしていたオバマのデリカシーに満ちた表現とは相容れない。

 あの冷静で沈着な、時宜にかなった発言を行って来た同一人物とはとても思えないこの演説。あのオバマはどこへ行ったのか?そして彼の真の心は戻ってくるのか?



 かなり真面目に、彼の価値観と同じくらい彼は自分自身の身体的恐怖を感じているのではないか?このような忖度は不謹慎に違いないけれども、それでも僕はそのように思っているのだ。馬鹿げていると思われてもいい。実際いつか自分が馬鹿だったと気づくときが来るほうが良いに決まっているのだから。
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by ripit-5 | 2009-12-12 17:05 | 911以後の世界に思うこと

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞決定

Excite エキサイト : 国際ニュース

<ノーベル平和賞>オバマ米大統領に授与 外交努力に功績で
 【欧州総局】ノルウェーのノーベル賞委員会は9日、国際的な外交努力に大きな功績があったとして、バラク・オバマ米大統領に09年のノーベル平和賞を授与すると発表した。

 同委員会は「国際政治の新たな潮流を生み、国連中心の多国間外交を強めた」と授与理由を述べた。

 さらに「核なき世界へのビジョンは軍縮交渉を鼓舞した」とし、「オバマ・イニシアチブによって米国は世界が直面する大きな課題に挑む建設的な役割を演じている」とした。(毎日JP)

 納得の受賞というところではないだろうか。
 今までにも書いてきたように、前大統領の能力との余りにも大きな落差を筆頭にして、あらゆる面においてサプライズの大きい大統領でもあるし、それゆえに国際政治において出来えたことも多かったと思う。そしてそれはまた、アメリカの普通の人たちの支持があってなし得たことだ。人びとの倦み疲れた心を慰撫し、ポジティヴな方向性を語り、その姿勢の崩れることがなかったことが重要な点であったと思う。
 国民健康保険で難航している難しさは社会背景や歴史背景も含めて存在することと想像するが、ある面では大統領になる前にすでにベルリンで大歓迎されたように、むしろ、もしかしたら本国以上に世界の方がオバマ大統領を切望し歓迎したという点もあるかもしれない。
 そして、日本で民主党が政権を握るその無意識の活性化となっていたと思うし、世界全体の動きのどこかにやはりオバマさんの影は漂っていると思う。それは人間として普通に健全なことだと思うのだけれど。。。

 何しろ、彼の知的能力の高さとバランス感覚は僕が知る限り今までの政治家にはなかったものだ。『合衆国再生』を読んで感じた感動と感心、そこに描かれた彼の政治の夢は当然の如くまだ全てかなったわけではないけれど、その哲学の発露だけでも十分に世界にインパクトがあったということだろう。鳩山さんの国連演説も大き~な意味で、オバマ氏の存在がありて、という感も拭えないのであります。ワタクシは。

 やはり何といっても、チェコ・プラハの演説が大きかったのは間違いない。ここで改めて先の演説を再掲させていただきます。





 いやぁ、私自身がもう一度この演説、改めてきちんと見直さなくては。

 そしてよろしければ、ワタクシが書きましたオバマ氏大統領になる前に書かれた『合衆国再生』の感想も読んでくれたら有難いです。彼の演説能力や行動力は勿論のこと、彼の文才も卓越したものなので、彼の書いた本は大部かもしれないけれど、難解ではないのでより広く、多くの人に読まれてもらいたいとものだと思います。
当ブログレビュー『合衆国再生』('08.2.20)

 もう一つ所有のブログより
合衆国再生-バラク・オバマ Bridge('08.2.19)

PS.
 一日経って新聞やネット世論(?)には結構「早すぎる、結果が出てない」とか「政治的な意図」ある選択だという意見も多いようだ。頷けないこともないのだが、私はオバマという人は国際世界にとっての触媒であり、未来への指針だと思っている。オバマが何をするかとか、結果を求められる足枷とか、オバマ個人に帰するのではなく、私たちが世界をどう認識するかが本当のところ重要なのではないだろうか。結局の処「オバマのメッセージ」をノーベル平和賞の選考者たちは評価したと考える。そのオバマのメッセージを普通の私たちがどう受け止めるかによって今回の受賞の評価が変わる。そして、同時にそれはいわゆる日々の「現実」の重さに呑まれているかどうかの私たち自身の指標ともなっている。
 現実の厳しさに打ちめされているか、あるいは現実を覆う力の波に乗らなければ生きていけないと思っている人々が多い社会集団にあっては、オバマの理想は皮肉な目で見ざるを得ないであろう。そのような社会集団は個々の人間の個別の問題というより、むしろその社会の構造に何か問題があると見るべきだといま自分は自分自身に対して思っている。
('09.10.10.AM8:16)

ニュース動画・'0910.10.AM9:56 up


PS.2
 あえて今回のオバマ受賞に政治的意図がある、と考えてみた。するとこの就任期間がまだ短い大統領に「ノーベル平和賞」を与えてしまうことで、「アフガニスタンのベトナム化」をさせてはならない、イランに戦争を仕掛けるような真似はするなよ、という手かせ足かせをかけてしまったともいえるかもしれない。つまり孫悟空の輪だ、うがった見方をすれば。
 ノーベル財団がそこまで計算してオバマ氏に授与を決めたかどうかわからないが、残念ながら(苦笑)理性的な頭を持つ現大統領は「ノーベル平和賞」という映えある自分の名誉と「ノーベル平和賞大統領」という世界の目線を引き受ける結果となった。

 今後アメリカにまた無茶な真似をさせないために、先に平和賞を与えてしまったのだとしたら、ノーベル財団、恐るべしである。(考えすぎか)。
('09.10.10 14:26)
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by ripit-5 | 2009-10-09 20:50

この数日の新聞記事から。

 今月は変形労働時間制で、一月の枠組みの中で12時間拘束の日が18日。休みが平日の日の今日、書き込みをしています。穏やかな秋晴れの日、散歩してネット巡回した後、ここ何日間かの新聞の切抜きして録画した「爆問学問」を見ながら昼食をとった後に昼寝。いまネットに向かっているところ。地元紙北海道新聞記事を読みながら直対応的な感想を加えた日記です。ゆえに特段深い意味をちゃんと伝える感じではございません。お気楽な感じですので、お許しを。ではまず。

9月6日・朝刊。「シリーズ評論・政権交代・6」今回の政変での意味、中島岳志さん。彼はまず今世紀に入っての「世論」の乱高下に懸念を示す。新政権ばかりでなく、今までの自民党党首の就任時人気と、その後の人気急下降も含めて。世論が激しく乱高下しているのだ。と。何かの拍子に「気分」が変われば、すぐに引きずり下ろす、と。彼は政治家もさることながら、「有権者は我慢することを覚えるべきではないか」「ぶれているのはむしろ国民の方である」「首尾一貫したモノの見方をして冷静な判断を重ねない限り、デモクラシーは成熟しない」と耳が痛い指摘。これはこのシリーズの第一回目でカン・サンジュンさんも懸念している話で、カンさんは「世論の温度の高低に政治家自身が引きずられている」「世論を高める政治家もいるが同じ政治家が世論の温度を急激に冷ましてしまい、政治家が結果的にぶれている」といった趣旨のことを語っており、こちらは政治家の姿勢を懸念する方向を示している。いずれも示唆的で、両者の観点が意味ある認識ならば、政治家に対する我々も。きっと、お互い様のところがあるわけで。何故このような「気分」の乱高下が起こり、政治家は何故にそれに歩調をあわせてしまうようになったのか。
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 いまの現状とこの現状に至っている過程を考える必要がありそうだ。もちろん、多くの人は「直感的」には何となく分かっていることなのだが、”それ”を、つまり90年代以後の「日本斜陽」時代に生きる我々一般人と政治家の感覚の両方を。理解している批評が出てくるのが待たれる。”それ”をわしづかみできている批評家の誕生を個人的には待望するところ。

 もう一つはやはり小選挙区制の問題。中島氏は専門家などが指摘するとおりで、現行制度の有権者投票の数パーセントの違いで議席数が大きく開いてしまう小選挙区制度には弊害がある点を指摘する。そして中選挙区制の復活もアリではないか、との所見も述べている。この点では政治改革に最初にかかわった「新党さきがけ」代表だったムーミンパパこと、竹村正義氏の発言も興味深い。
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 竹村氏は最初「小選挙区250、単純比例区250」の半分ずつの形を考えていた。それが小選挙区300、比例区200になり、自民党の攻勢で比例区は「ブロック制」となった。竹村氏はこのブロック制に屈したのを悔やむ。彼の正論は単純比例制であり、単純に政党の得票数の配分による比例議席である。この内容はビデオニュースの「マル激トーク・オン・ディマンド」に武村氏が出演した回で詳しくのべられている。民主党政権が生まれた今、鳩山氏に最も早く新党参加を呼びかけ、同時に民主党への入党を「排除の論理」で蹴られた竹村氏の話は大変に興味深い。(恨みがましいことを云わない好い人だ。)有料視聴なのが残念。あとは9月末発売の季刊誌「SIGHT」も要チェック。武村氏とともにさきがけの生みの親であり、細川連立政権の知恵袋だった田中秀征氏のインタビューが載る予定。また、今秋のSIGHTは湯浅誠氏も初登場の予定だ。なぜ今までノー・チェックだったのか不思議に思うのだが。
(おまけ:民主党結党時の鳩山由紀夫代表)



 おなじく9月6日・朝刊。ロンドンでのG20財務省会議共同声明記事。その声明の中では「市場機能の透明性への改善」「IMFにおける新興国の発言力を大幅に高める」「銀行の高額報酬を制限する国際基準を作る」などとあるが、どうも時代が常に進歩を何でも”良し”とする限り、このような共同声明も何かのはずみにマネーの動きがまた活発になってくると、資本主義の錦の御旗でウヤムヤのまま反故にされ、同じ轍を踏むような気がする。本来はデフォルトとかスワップとか、為替相場とか。その種のマネー資本主義自体をちゃんと統制すべきなのだ。でないとまたぞろマネーが妖怪化し、世界中を徘徊しはじめる気がする。こちらも「世論の乱高下」の比喩じゃないが、数字に踊らされる乱高下がまたぞろ始まるのではないかと恐れる。いま、驚くほどに早く、ひと頃の金融資本主義批判が減っている。だが、金融経済の自由主義の弊害でいの一番に生活被害を受けるのは一般庶民なのだ。それを忘れるわけにはいかない。

 9月9日記事。北海道内小中学校の非正規教員の69%が「雇い止め」不安を感じながら働き、なんと、1週間の総労働時間が「過労死ライン」に該当する週60時間(!)以上の教師が46%を占めるという愕然とする記事。雇用期間は1年以内が一番多く、再雇用されるか怯えつつ、半分以上が過労死ラインで教職を務める非正規の教師たち。80%が正規教員になることを希望しているが、この長時間労働で正規採用のための勉強をする時間が取れないとの話。むべなるかな。余裕の無い教師に教わる子どもが幸せになれるわけはない。教師は教科を教えるが、子どもに夢を伝える仕事でもあるのだ。夢を伝えるには余裕が無ければ話にならない。余りに問題がありすぎてコメントすべき言葉も見付からない。新政権の大きな課題の一つでしょう。社民党の福島党首は「雇用担当」の大臣を希望しているらしいが。。。どうなるか。
asahi.com(朝日新聞社):福島党首の入閣決定 社民、雇用担当相を軸に検討  

 特別ピックアップしているわけではないのだが、何だか気持ちが暗くなる(苦笑)。最後は夕刊のエッセイ。円城塔という作家が中上健次が設立した「熊野大学」で研修を過ごした話。(9月9日夕刊)
 紀伊半島、熊野新宮市は確かに熊野三山に含まれる神域。新宮市の駅前には中上健次氏が土地の名士として大きく紹介されていた。
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 自分にとっても、和歌山県田辺市から熊野本宮を目指す「中辺路古道」を歩いた日が懐かしい。とてもスペシャルな体験だった。自分のように北海道で生まれて生きるものにとっては。
 熊野三山は熊野本宮大社、熊野新宮(熊野速玉大社)、そして那智の滝(熊野那智大社)が御神体となる。この三箇所を歩くことが中世からの庶民の身浄めの夢であった。ぜひまた古道歩きはしてみたい。今度は熊野から奈良の吉野へ抜ける一番険しい道を歩く日を夢を見ている。僕はまだ日本人の原風景を知りたい思いが強い。北海道が日本や日本人のイメージと少々違う感覚がどこか抜けないし、しかしどこかで幼少時から日本人的DNAも感じるからだ。日本的原風景を身近にほとんど感じなかったはずなのに。だから「風景」を確かめたくなる。中将姫伝説のある奈良の二上山に沈む夕日を見たときも凄く感動したなぁ。ああ、旅に行きたい!(笑)。現実逃避はいかんですな。
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 今日の新聞朝刊にはまだ載っていないが、いよいよオバマ氏が国民皆医療制度を提案し、国政最大の関門に立ち向かう構えだ。日本人には正直、何とも理解しがたい国民の反対の力だけれども、国民皆医療制度が動き出せば、絶対国民はその恩恵の重要さに気づくと思う。人さまの国のことながら、オバマ氏には是非頑張って皆保険制度の道筋をつけてもらいたいもの。

Excite エキサイト : 国際ニュース


「オバマ大統領、医療保険改革で演説」 News i - TBSの動画ニュースサイト
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by ripit-5 | 2009-09-10 16:34 | 社会

感動というものは

 感動というものは当たり前かもしれませんが、「個人」が社会に対して倫理的なことを語る勇気です。
 そのような人が社会的な立場をもっていれば尚更です。
 もちろん、「感動」のすべてがそういうわけではないですが。。。

 オバマ氏がプラハで核廃絶を訴え、その際に自国の核を使ったことにあえて言及したことは、僕が知る限りその直後は、大きな感動の渦にはならなかったと思います。ですが少しずつ少しずつ、そして広く、最後には世界に大きな説得力を与え、いま現在に至っています。

 そして三宅一生氏です。オバマ氏に原爆記念日に参加するように呼びかけた。なおかつ、原爆で母上を失ったこと、ご自分も原爆被災者であることを告白されました。
 これは感動的な話であり、勇気です。
 
 そしてどうしても思いこまざるを得ないのでした。世界のイッセイ・ミヤケでさえもオバマ氏の演説に大きな触発を受けるまで、自分が被災者であるということを一般に語ることが出来なかったということ。

 かつ、僕は改めて思いました。人はどうしても人には語れぬ秘密があること。そして原爆被災というものが、三宅一生氏ほどの人物であってさえも語れぬ秘密(といっては表現が間違えているかも知れませんが)であったということ。その現実の「重さ」ですね。

 今年の夏の夢が一つ出来ました。オバマ大統領が原爆記念日に参列をされるという夢。
 仮にかなわなくてもいい。具体的な夢が一つ、頭に宿ったこと。それが「夢」となって想起できるようになったということが僕にとって重要なのです。

NHKニュース 三宅一生さん 米紙に被爆体験

 オバマ大統領と三宅一生氏に本当に感謝します。これは現実的な見地からです。本当に感動と勇気を与えてくれて感謝です。

夕凪の街桜の国

こうの 史代 / 双葉社


  今日は少し疲れているので変な文章になってしまいました。後で少し修正するかもしれません。
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by ripit-5 | 2009-07-15 23:36 | 社会

本当の環境政策とは

 昨日の北海道新聞の読書批評欄に思想家の内山節さんの文章が載っていた。オバマのグリーン・ニューディールは環境政策として捕らえるのは無理がある、何故なら彼の政策は環境を雇用と経済のための政策で立てているからだ、と云う。そして環境問題を考えるとはすなわち、経済成長ではなく、如何に自然と共生して人間が生きていくのか考えていくべきだと。
 話の筋としては、間違いなく内山さんの論の立て方のほうが正しいのである。しかし、おそらくオバマも頭では分かっていてもやはり経済雇用政策としての「環境ビジネス」として政策を立てざるを得ないのではないだろうか。そうでないと、資本主義を守りながらの国家的政策誘導が出来ないから。オバマの環境ニュー・ディールはまさに「ニュー・ディール」なのだ。ある部分でクリントン政権の「インターネット・ハイウェイ構想」と同じ性質のものでもあるのだろう。

 現代の社会はモノの需要を喚起するためにきわめて不自然な人間のためのマテリアルワールドを作り上げている。気づいている人はその作為性について気づいていて、しかし致し方ないとも思っているだろう。ある意味では、人間として本当の意味の物理的な需要は「三種の神器」で終わっている。しかし、人々に需要の喚起を呼びかけながらの生産は、地球環境に多大な負荷をかけつつ伸ばされてきた。
 だから、オバマは環境に負荷をかけない生産物そのものを付加価値としようとしている。内山さんが考えることを私の言葉に置き換えるなら、それは不自然な世界にもう一段の不自然を重ねることで、地球への負担も減らしていこうということで、人間が物理的満足を喚起し、探し当て、幸福を物理的な喜びにとどめ置く価値観を簡単に変えることが出来ないからこそ、アメリカはその方向へ舵をとる。おそらくそうだろう。
 そして失業者や財布の固くなった人たちを緩めて社会を活性化しようとする。その方向性が短期的な、資本主義的な意味での効果が見えにくいから、新しいビジネスモデルに首をひねる人が多いけれど、より本質的に、内山さんが考えるとおり「それは環境政策ではない」といえば、まさにそうであろうと思う。

 僕も最近、日本的なアニミズム的な思想も含めて環境を考えるとき、そしてまた合理性・効率性・利便性に依拠する現代社会のモデルにかなりの違和感と不自然さを感じるとき、内山さんの考える「経済成長ではなく自然と人間の共生の方法を考えるべきだ」という考えはアイデアとして全くそのとおりだと思っている。と同時に、おそらく間違いなく僕も含めて、先進国に住む人の多くも現在の姿から離れた自然共生モデルに移行する価値観は持ちにくいのではないだろうか。オバマの環境立国は自然の上に築かれた不自然さの上にまた不自然さを重ねるようなクリーン政策だろうけど、それはそのように人工性の上に生きざるを得ない僕ら大衆の悲しい姿の現実かもしれない。だから今世紀の本当のインテリ文化人とは、読書を中心として知性を築いた都会に住む人ではなく、「自然と共生出来る人」なのかもしれない。

 90年代末、新聞社で清掃してた頃、ごみとして出される経済紙『エコノミスト』の巻頭コラムを書いていたのが内山氏だった。そろそろ自由放任主義に依拠する規制緩和論と構造改革論が出始めた当時の経済紙の巻頭に書かれた思索と自然を考える内山さんの長期にわたるコラムは雑誌本体の中身からすると明らかに異色であり、それは雑誌が売りモノとしての価値観の鷹揚さを示す態度だったかもしれないし、実はそれ以上に雑誌そのものが持つ自己の体臭をどこかで清めたい意識が強かったのではないか、と今では思う。

 日本人のどこかで土とともに生きた歴史の記憶があり、また宗教なき僕ら日本人にとってどこかで常に意識される「清浄感覚」への憧憬があり、それが内山氏の異色なコラムを経済紙の中にすんなりと、そしてどこかリードする知的感覚として必要とされたのかもしれない。だから東洋経済やダイアモンドみたいな雑誌よりずっとエコノミストは身近に感じた。
 ・・・いずれにせよ、この市場主義経済の読み方などは結局ついぞ読み解けなかった僕なのだから。まぁ、内山さんの文章が理解できる程度でよかったのだ。

PS.
 オバマさんはとにかくまずは外交で大きな舵取りの変化をしているみたいですね。やはり動いているなぁという気がする。年齢とともに保守的になっているのか、急進リベラルの人ほどには理想的には考えていない自分だったけどそれでもかなり外交の修正をやっている気がする。
 外人から見た場合、分かりやすいところではついアメリカ外交から見てしまうところがあるので、僕は評価すれば(えらそうだなー。すみません!)かなり頑張っているなという実感。
 でも見る人が見たら、歯がゆいと思う人も多いのかもしれない。

 
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by ripit-5 | 2009-04-20 22:19 | 社会

権威的人物もそれに値する人たちがいるものだと。

 今週のニュースで感動的な米国と日本の二つの権威的存在の人たちの話題にこころが熱くなった。

 まず米国のオバマ大統領。彼の「核兵器のない世界」構想でのチェコでの演説。僕はアメリカの大統領がいずれ語らねばならず、語る可能性がある人物がいるとすれば彼だろうと思ったけれど、まさかこんなにも早く自国の過去の過ちをオバマが語るとは思わなかった。彼は核のない世界構想を打ち上げるための具体的な提言(包括的核実験禁止条約の批准、兵器用核分裂物質生産禁止条約交渉推進等)をするにあたって、
 「核保有国として、核兵器を使用した唯一の国として米国に道義的な責任がある」と語ったのだ。これはブッシュの8年にすっかり精神を吸い込まれた日本人としては驚くほどの新鮮な発言である。
 僕はこの文章を書く前は”間接的であれ、ついにアメリカは核の反省を口にした”と思っていたのだが、いまこれを読み返せば、ほとんど直接的な反省の弁だと気づかされる。核兵器を使用した唯一の国として自分の国には道義的な責任がある、とはつまり日本に対して責任を感じているということにならざるを得ない。
 オバマとてまさか、日本に核使用をして申し訳ない、ということは云えまいと思っていたが、この発言の流れでいけば今後日本に対し直接的な核使用を反省する発言が出てきてもおかしくはない気もする。

 もし、年内にも予定されているオバマ来日が、予定の中に広島・長崎への慰問が含まれ、そこで謝罪があれば日本人にとっても大きな価値転換を迫られる事態である。何より、アメリカ人の自己防衛精神的なアイデンティティにも触れる文化的/歴史的な快挙にもなりえるだろう。理性的な態度としての。
 このオバマのチェコでの発言があまりメディアで大きく取り上げられないのは残念で寂しい。しかし、この種の発言が米国内で大論議を呼んでいるという報道も聞かない。余裕が失われているせいもあるかもしれないが、やはり米国人の精神も平常に戻り、戻ったところではオバマのことばは常識的なものだと受け止められているのではないか。
 明確な典拠は忘れたけれど、間接的にかオバマ大統領は先住民族の虐殺にも反省を込めて語っているとも聞いている。アメリカの姿勢が心理的な面から変わろうとしている機運が感じる。その意味でリーダーにオバマがいることの意味は非常に大きいと思う。

 もう一つは日本。平成天皇の結婚五十周年記念に係わり、記者会見の全文が出ていた。これを読んで、平成天皇の大変なバランス感覚と知性に舌を巻いた。もっといえば、深い余韻が残る感動を得た。僕は皇室報道にまつわる天皇皇后をめぐる周辺の過剰な持ち上げ(あるいはその逆な態度)に惑わされて、ご夫妻の真の思いや行為に思い至らなかったのだと気づかされた。

 最初に国民生活の厳しさの中で自分たちの金婚式を祝われるのは心苦しく感じると語り、成長の影にあった公害問題に言及することを忘れない。天皇は家族生活を知らないできたことを率直に語り、それを反省として皇后をいたわり家族に思いをはせ、日本国憲法における天皇とは何か、そして元来天皇のあり方は戦前の憲法ではなく、現下の憲法の中での位置こそが伝統にかなうと思うと語り、いつも「象徴としての天皇のあり方はどうあるべきか」考えてきた、と語る。
 皇后は、天皇が今の時代の人々に思いを寄せてきたと語り、伝統がその国や社会に豊かさをもたらすと同時に、型のみが残った伝統は伝統の名の元に古い慣習で人々を苦しめることがあり、この言葉が安易に使われるのを好ましくないと感じている、と語る。

 昨日の夜のNHKスペシャルでの2人の姿と行動がその発言を裏付けている。天皇陛下の自然体が思った以上にざっくばらんなのにも、正直新鮮で驚きだった。
 今は言うべきことではないけれど、プライベートな時間におけるこのお二人のごく普通の姿を見ると、やはり普通の人が持つ人権が奪われていることがかわいそうに思えて仕方がない。

 本日は非常にナイーヴな話題で、うまく語れないことに身分不相応に触れてしまったので気分を害される方もおられるかもしれない。

 ただ、今週、日米の大きな精神的にも権威的な存在(ただし、日本の陛下は政治的な存在ではないけれど)が常識以上に健全な精神的力量を持っていることに感心して感想を述べた次第。

 大変失礼な発言、どうかご容赦願います。
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by ripit-5 | 2009-04-11 16:50 | 社会

オバマの施政方針演説

 いやぁ~。地元紙、北海道新聞の今朝の朝刊でその全文が掲載されたのには驚いたですよ。
 日本の首相が施政方針演説をすれば掲載するのは当然だけど、自国でないのにすべて掲載されるとはね。だけど、これがまた大変立派なものなんだ。改めて思うところを書ければと思います。
 とにかく、外国の大統領の演説の全文が載るとは凄い。また、「政治は台所から」じゃないけど、細部への目配りと、反省的な姿勢は前政権とのコントラストが格段に大きいですね。
 オバマの演説の内容から、アメリカの理念がかいま見える気がした。ということは、前政権がむしろ現実に目を背けて夢の中に生きていたんだという気がしますね。

 私も他者のことは言えない。映像にて。(YOUTUBEでは破格の53分)


オバマ施政方針演説の全文(朝日新聞のネットより)
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by ripit-5 | 2009-02-26 22:45 | 社会

PRIDE(In The Name Of Love)



One man come in the name of love
One man come and go
One man come here to justify
One man to overthrow
In the name of love!
One man in the name of love
In the name of love!
What more? In the name of love!

One man caught on a barbed wire fence
One man he resists
One man washed on an empty beach
One man betrayed with a kiss

In the name of love!
What more in the name of love?
In the name of love!
What more? In the name of love!

...nobody like you...there's nobody like you...

Mmm...mmm...mmm...
Early morning, April 4
Shot rings out in the Memphis sky
Free at last, they took your life
They could not take your pride

In the name of love!
What more in the name of love?
In the name of love!
What more in the name of love?
In the name of love!
What more in the name of love...






より公平を期すとするならば、こちらのブログも是非。
マハティール前マレーシア首相のオバマ大統領あて公開書簡 Blog(ブログ) [公式] 天木直人のブログ
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by ripit-5 | 2009-01-21 21:47

いよいよ明日、オバマが就任だけども

 イスラエルのガザ地域攻撃の停戦。なんというか、両者勝手に停戦を結んだというかたちのようだけれども、ここにもオバマ大統領がどう出るのかイスラエル、イスラム側両者から熱い目線がそそがれているようだ。

 ついでにいえば、ロシアとバルカン、ヨーロッパを結ぶウクライナなどの資源問題。ここにもオバマ新大統領の外交を伺う側面があるようだ。

 なんか、日本の首相も別に本人と語り合ったわけでもないのに、「オバマ大統領と協調して」なんていっているようですが(笑)。

 オバマさんは就任式の翌日にイラクから16ヶ月以内撤退を指示するようで。とにかく、アメリカの内憂外患に対する、オバマへの期待度が異常なほどアメリカ国内と世界全体で高すぎるような気もする。

 確かに前大統領とのコントラストが激しすぎるゆえ、オバマ・スター性への憧れはOKだがオバマに「クレクレタコラ」するのもどうかと思うなぁ。一人の人間。どれだけ立派な人でも限界がありますぜ。やはり、オバマをよしとする世界の潮流があるなら、世界の指導者もオバマを助けるような顔ぶれになっていかないと。当然のこと、オバマは世界の大統領ではなく、アメリカといういち国家の大統領なんだから。

 しかし、僕はいつもオバマとゴルバチョフの登場がだぶる。ゴルバチョフは民衆の中に入って、民衆と議論していた。それはその前のソ連書記長、ブレジネフのように服に勲章をがばがばつけて王様に自分を模していたようなのとは決定的に違った。凄く新鮮な印象があった。

 そのゴルバチョフ氏もある意味、使い捨てられたのだ。時代と。民衆や世界に。だが、僕は忘れない。オバマもどうあれ、人間的な指導者として僕の記憶にいつでも焼きつく存在にぜひなってほしい。アメリカの場合大変なのは、民衆と議論が出来るようなお国柄ではないことだ。飛び道具があるのは怖い。オバマの時代に銃規制は出来ないかなぁ。8年続ければその路線に持っていけれないか。いろいろな人間がいるから難しいのだろうが。
 これからセキュリティが厳重になれば、オバマの魅力が薄れるし、オバマが積極的に人々に入っていくと命があぶない。(現状では)。

 まったく、この期待の超大物はイキナリ突きつけられる課題が多すぎる。
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by ripit-5 | 2009-01-19 20:59 | 社会

アメリカの大統領選挙が終わって思うこと。

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 いよいよアメリカ時間で4日にアメリカの新大統領が決まるということで、これまた歴史的な瞬間になるだろうと思い、今月だけ英・BBC・TVのワールド・ニュースによる選挙特番を見ようとケーブルでBBCに加入しました。一昨日の午前8時から午後3時までの特番で、後で9時からにしておけばよかった。失敗したな、と思ったのですが、8時から午後2時までビデオ3倍速録画にしておきました。
 夜寝る前に5時間近くまで先に飛ばして見てみると、日本時間の午後1時丁度くらいにオバマ当選の報が入り、その後マケイン候補の敗北宣言演説があって、ちょうどオバマ氏がシカゴで演説をするため登壇するところ。まさに肝心要のところでテープが終わってしましました(涙)。  ただ、オバマ氏の演説の内容は帰宅後、各テレビチャンネルで見ることが出来たので。

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 それより、私はマケイン氏の演説にも感銘を受けました。勝者を称え、オバマ氏の元に新たに団結しようという呼びかけでしたが、BBCのレポーターが云うように、本来リベラルな側面を持つマケイン氏の素の一面が出ていたのかもしれません。同時に、オバマ氏が持つ独特の誠実な空気と包括性を志向する言論に影響を受けて、賛同の気持ちが率直に現れていたようにも思いました。

 オバマさんはやはり独特のカリスマ性がある。落ち着きある態度と同時にゼスチャーもオーバーではなく、言葉に真実味を感じます。ただ、彼の持ち味はやはり言葉の力で、その言葉は「なるほど」と思わせる巧みさが感じられます。ある種”詩的”な語り口であり、ある種哲学的なムードもあります。言葉のリズムも非常に音楽的ですね。
 昨日の演説では例えば、一呼吸おいて「今夜、私の脳裏に浮かぶのは106歳で投票に行った女性のことだ」と云って、僕らの気持ちを惹く。何を語るのかな、って。すると、彼女は黒人で差別の時代と投票権がない時代を知っている、アメリカの波乱の歴史を知っている。キング牧師の時代を知っている。彼女はどういう風にすればアメリカが変わるか知っている。そう、やれば出来るのだ。その証明がいまここにいる、と言う調子。

 もしかしたらキング牧師のスピーチなどからも栄養を得ているのかもしれませんが、あるアメリカの女性がいた。いま、その女性が私の胸中に宿る。
 そんな、小さな物語を始めるような語り口から大きな世界の物語へと聴衆とともに高まっていく。そんな話術。ここらあたりが本当にオバマの巧みさだと思うところです。オバマさんがソーシャル・ワーカーや社会的に恵まれない人たちの弁護活動をしてきた中でいろんなことを培いつつ、深くモノを考えてきた賜物なのでしょう。それは著書『合衆国再生』などを読んでも思うことでした。

 それにしてもです。マケイン氏にしてもオバマ氏にしても、アメリカの大統領というのは単なる行政の長を超えて、人々に人格的/精神的なリーダーとしても求められているだなぁ、と思いますね。今回は余りネガティヴキャンペーンの酷さが伝わってこなかったし、アメリカ事体が未曾有の危機で、国民が求めている人の足を露骨に引っ張る時代状況ではない、そんな余裕が無いということもあるかもしれませんが。
 いずれにせよ、一人の人間の人格、精神性も、踏み込んで人々から求められているものがあるというのは、もしかしたらアメリカ特有の現象なのかもしれませんね。まさに人種のるつぼですから、リーダーは精神的な役割も背負わされるのかも。それが一極主義のゲームに乗る人間だけを相手にするリーダーで動けばブッシュ的になるかもしれないですし。これからオバマ氏になる場合、基本は内政重視になるに違いないと思いますが、その中でも多様性が一頃よりも広がっていくのではないでしょうか?

 マケインの敗北宣言、オバマの演説の後にわが国の首相のコメントが入ると何だか一挙にスケール感が落ちますが(苦笑)。日本は基本的に均質性と、皇室というシンボルやら伝統的な文化のほのかな残り香やらがあって、これはこれでまた日本的なぬるい安心感があって(笑)。要は、権力者的なリーダーが出にくい構造になっていますよね。ウルトラ権力者型は上手く行かないのが日本の政治文化で、またそれが政治に求める大衆の深層心理なんだろうなと思います。その点では明らかにアメリカとは違いますね。

 僕はそれはそれでいいと思い、自分の実感の肌合いには合います。
 ところが、このところとても気になること。元国交大臣の中山さん、今回の空自幕僚長の論文、両者ともに確信犯的で、パブリックな存在でありながら自分のプライベートな思想を明らかにしてなんとも思わない人が立て続けに出てきた。これは怖いことだと思います。まさかこれらの人たちがネット文化などの影響でなし崩し的に自分の「公人性」の位置取りが分からなくなってきているとは思いたくないですが、こう続くと明らかに「公人としての立場の怖さ」を忘れているようです。

 今の日本の問題は政治においては内閣の総理や各大臣が睨みをきかせる力や権威を失っていることなんじゃないかな、という気がしてなりません。
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by ripit-5 | 2008-11-07 22:14 | 社会