民主党と支える理論家の変節

 大変長い間ブログを放置しておりまして、大変申し訳ありません。
 時代を反映してどうしても書きやすいツイッターのほうに移行してしまっていました。
 ツイッターは日々何かしら書いております。

 さていま一つ盛り上がらないといわれていたサッカーのワールドカップ南アフリカ大会は日本がカメルーンに勝ったことにより事前のオランダ戦のテレビは異様な盛り上がりを見せておりました。結果として負けたとはいえ、4年前とは明らかに違うタイトで戦う意思が明確なチームはデンマーク戦まで引き続き盛り上がりを見せるでしょう。

 そのワールドカップ決勝の頃まで同時期にいよいよ参議院選挙が始まります。もう選挙なのか、という意外感と同時に私は昨年の歴史的な政権交代から鳩山政権崩壊後の驚くべき民主党の変節に大変な衝撃と、強烈な憂鬱に覆われています。そしてこれから選挙までどのような報道が日々されるのかそれを考えれば倦み、歯軋りする思いです。

 民主党にはすっかり裏切られました。「マニフェスト選挙」も「マニフェストを守る」も平気で反故にできる政権交代政党。「小沢支配からの脱却」「現実の変化」「ギリシャ、EU諸国の財政危機」「日本の財政再建」どんな言葉でもいい。
 要は政権を握って民主党は理想を捨てたのです。少なくとも菅首相は明確にそれを捨てた。これが政権交代といえるのか。彼がいう『第三の道』は要は介護・医療、環境、観光、農業云々に新たな成長軌道を描こうと(そこにだけ)夢を見ている所謂「上げ潮路線」に過ぎないでしょう。そこへ理念をという近辺の声を押し切り(例えば国民総生産よりも、国民幸福指数を指標としよう、という声)、「成長率」にこだわり、換算したがるところにその本性があります。

 財政規律と成長戦略。消費税の倍額にいたる増税。そこには非正規労働の痛みや格差社会の問題意識は遠く遠くなりました。鳩山首相が掲げた高邁な理念である「新しい公共」は消えました。鳩山首相が夢見た「凄いことをやるバカで孤独なひとりの裸踊り」をフォローすることはなく、国家の背骨は経済強国だという古典的な戦後的価値に舞い戻り、私たちが夢見た民主党の理想主義は打ち捨て、民主党の若手を中心としたもう一つの面である「構造改革派」が現状覇権を握ったのです。
 この流れのままで選挙に流れ込むでしょう。そして新党ブームに乗った「みんなの党」あたりに期待をかける都市中間層を取り込むでしょう。

 ある意味では「選挙対策内閣」であり、また「民主党の変化を象徴する内閣」でもある。

 個人的なことをいえば、私の民主党に対する憂鬱は極限にあります。なぜならそれを行う首相が少なからず期待をかけた「菅直人」という人であるということ。それが大きな理由であることはもちろん大きな一つ。

 もう一つは昨日の朝刊を読んで、愛読書であり自分の教科書にもしていた『生活保障』(岩波新書)を書かれた北大の社会保障論学者、宮本太郎氏の書かれた内容に明らかに信じられない文面が並んでいたことです。記事の整合性から私の疑問と異論はとりあえず本日は詳細書きませんが、私に言わせれば驚くほどステレオタイプな現状追認の文面が並んでいたのです。

 今の菅政権のやっかいさは長く良心的な立場を貫いていると思われた政治学者や経済学者が新政権の方向性を支持しているように見えることです。もしかしたら彼らが菅政権のブレーンなのでしょうか。ケインズ主義の小野善康氏。あるいは神野直彦氏、山口二郎氏、そして宮本太郎氏まで。
 ここにまさか湯浅誠さんまでが陣営に加わるとか?それだけは信じたくない、信じられない現実ですが!!
 こうなってくると日本の理想を語るオピニオンリーダーたちの全滅になっていく。マスコミはずっと自分たちの経済利益上前鳩山内閣を叩いて叩いて、叩きまくってきたのですから、こんな嬉しい事態はないでしょう。

 この現実はどこへ行くのか。参議院後の日本政治はどうなっていくのか。
 生意気に、とても大きなことを云えば、この日本という国の漂流と混迷は続くでしょう。
 1年後もどんな政治地図になっていくのかさっぱり見当がつかない。相当また違ったもの、組み替えられたものになっているのではないでしょうか。

 憂鬱ですが、反対の面から見るならば、ダイナミックな変化の前で面白く感じる人は感じるかもしれませんが。私の場合その頃はおそらく屍累々のなかのひとりとしてあえいでいるような気がするのですがね!

PS.
 宮本氏の記事に対する疑問については改めてしっかり読んで記事にします。リアルタイムに感じていることはツイッターのほうに結構ひんぱんに書いています。エキサイトブログもツイッターのリアルタイム書き込みをサイドバーに埋め込めるようになりましたので、そちらをチェックしていただけると大変ありがたいです。

PS(2).
ポール・クルーグマンの文章の翻訳をツイッターのフォローから見つけました。ここに書かれているのはまさに今の日本と同じじゃないですか、見事なまでに。タイトルも秀逸です。必読!
クルーグマン「気分はもう30年代」 - left over junk
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by ripit-5 | 2010-06-20 09:08 | 新政権

『シッコ』など見つつ。。。

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 先日レンタルの会員更新の時期が来たので年会費を払ってサービスの2本レンタル無料特典でマイケル・ムーアの『シッコ』と興味深そうな音楽映画『ヤング@ハート』を借りてきました。
 早速『シッコ』を見ました。見始めた最初は懸念通り社会告発のための分かりやすい逆プロパガンダ映画の様相だなぁ、映画の完成度はキビシイかも?と思ったのですが、見ている内にだんだんと。。。余りにもアメリカの医療制度というか、民間医療保険業界の問題でしょうね。それが酷すぎるので。思わずのめりこんでしまいました。
 ある意味アメリカ的なやり方というか、本当は深刻な問題なのにあえてポップミュージックなどをBGMに使いつつエンターティンメント要素を強めたドキュメントの体裁はあるのだけど、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のような軽味?も皮肉な笑いも無いというか、持ちようがないというか。
 端的に云ってシリアスです。

 見せ場となる911の被災地で救助のボランティアを行った人たちがその後救助の後遺症の医療費や医療待遇に苦しみ、医療に関してはアメリカ市民より厚遇されているキューバのグアンタナモ基地までムーアと一緒に船に乗って押しかけるシーン。当然の如く基地では無視され、その後すぐキューバに上陸して、仮想敵国のはずのモンスター国家(?)キューバで手厚い医療を受ける。善意に生きる善良なアメリカ市民の人たちが「これって何?ふざけてる!」って状態になるのは見ていてしみじみと切なく、哀しい。
 人間にとって一番大事なものが逆立ちしてますよアメリカさん、と思わずつぶやきたくなる。。。何のための、誰のための社会なのか。。。まして自国の市民の被災に実際に動いた人たちのその後の身体的後遺症なのに。

 おそらく他国との比較に関しては多少乱暴な面もあるのだろうとは思う。アメリカの医療と比較される形で映画で紹介されている国はカナダ、イギリス、フランス。制度の細かな使い勝手では医療費は無料、無料の話ばかりで3割負担の日本の健康保険制度もこの映画を見る限りカナダ、イギリス、フランスに比べれば肩無しな感じです。おそらくその通りのところもあり、同時に多少現実とは違うところもあるはず。マイケル・ムーアもそこは承知の上であえてそのようなドキュメンタリーに仕上げた面もあるのではないだろうか。彼が追求するのは「わかりやすさ」のはずだし、「わかりやすい」からといって「嘘」はついていないはずだ。おそらく制度の細部を端折っているだけで。それだけアメリカの医療制度が現実的に果たしている機能においても、その精神においてもおかしい、というところから映画の動機は始まっているであろうがゆえに。

 ムーアのマジックにあえて乗っかって見た場合、アメリカの国民は長い間ある種の先入観を持たされて来ているのではないかと思う。それはとてもとても深い部分において。そしてその先入観はこの21世紀の現代社会にマッチするものなのか?という根本的な疑問を起こさせる。医療制度という生活実感レベルの、かつドラマ性が薄い分野でそこまで考えさせるムーアの視点はたいしたもの。

 仮に国家が国家として生産力が世界的1レベルであることを誇りたいとしても、国の生産の総和に寄与するのに一番力になっているのはミクロ単位の国民のはずだ。
 というか、それ以前に国民のための国家なのか?国家のための国民なのか?という根源的な問い。その答えを持っている国だったり政治なのか、ということに話は尽きる。これはわが国についても同じ問いが発生する場面。その意味では地続きの問いを呼び起こします。

 日本も「財政」問題で社会保障費における自己負担はじりじりあがっているけれど、それをどう見るかというときも「国」という上から見ていくのか「社会」というお互い様の水平目線で見るのかで随分と様相が変わると思います。もしも上からの負担と給付なら(実際は普通の人たちの負担と給付だけど)、その負担と給付額だって、その時代時代で恣意的に変えられるだろう。マジョリティが犠牲になるその寸前まで。

 その答えが最近ムーアが来日したときのインタビューでも強調していたけれど「資本主義でも社会主義でもない。大事なのは民主主義なんだ。民主主義が基本にない資本主義は危険だ」というところに尽きるのだと思う。ムーアの、母国アメリカに対する怒りをも超えてしまうような哀しみの源は、この「民主主義」の精神の危機と、善良な人たちの善良なるがゆえの犠牲に対する歯噛みするような思いなのではないだろうか。そしてこれもわが国にも通ずる話なんじゃないかと思う。

 「資本主義でも社会主義でもなく、民主主義の精神が大事」ということは英国の労働党議員、T・ベン氏の発言から影響を受けていると思うのだけど、この人の発言がこの映画では重みがあると思うのです。映画の内容から浮き上がって発言だけを書き抜くと唐突で極端な印象も与えてしまうけれど、映画の中で語られるこの方の発言は重みがあります。彼の話を書き抜いて見ます。

 「国家支配の方法は2つある。恐怖を与えることと、士気をくじくこと。
 教育と健康と自信を持つ国民は扱いにくい。
 ある種の人々は思っているよ。
 ”教育と健康と自信は与えたくない” ”手に負えなくなる”と。」

 「教育と健康と自信」。確かにこの3つが揃えば人は元気になれる。社会の矛盾とも戦える士気が生まれるだろうし、仕事においても自分で自分をコントロールすることが出来るだろう。
 それこそ、教育者は、「教育と健康と自信」が大事だと云うだろうけれど、現実の世の中は健康も教育も自信も根こそぎ奪ってしまおうという声が無いわけではない。
 まさにこの世の不条理か、あるいは単に人間同士のつなひきというか、おしくらまんじゅうが続いているというべきか。

 いずれにしてもアメリカさん。国の末永い平和を志向するなら、あるいは繁栄を志向するならまずは一人ひとりの人間が生きることにおける不安な状態を放置しないことだと思います。別に難しいことではない。すでに医療・教育においては互助精神で成功した先進国は沢山あるし、今でもそれで国が破綻したという話は聞きません。もちろん、社会保障制度を維持するために戦争をする国もありません。

 そして、でも自国のことを告発する勇気を持つ人が出てくるのもアメリカなんですね。『デモクラシー・ナウ!』のような独立系TV局もそうですが。
 これは自分の国、日本のことでもどこかで通じることであって。資本主義がどこを起源にしているのか、民主主義を基盤にしない資本主義はどこに向かうのか、生活のベースが安定しない競争社会が如何に社会にとってデンジャラスなものか。親切に教えてくれるような映画でした。医療の事情は違うけれど、医療から見えるその背景の思想は日本も反面教師として見習わないと、ということでしょうね。

PS.
高名な町山智浩さんのムーア最新作の批評も面白いです。なるほど、こういう観点もあるのか、と。
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by ripit-5 | 2010-01-11 19:58 | 社会

日本型レジームの転換とつながりの再構築(2)

 昨年12月22日に北大で行われたシンポジウムの続きです。まず前回の記述では北大の山岸教授の「安心社会から信頼社会へ」をベースにした基調講演に基づき日本社会のレジーム・チェンジを主に取り上げてみました。「安心」と「信頼」の違いを端的に述べるとすれば、信頼は「社会的不確実性」の中で相手の人間性ゆえに相手を信じることだが、安心の関係はそもそも「社会的不確実性」を考えない、ということ。
 山岸氏の新書によると欧米において「信頼研究」が行われるようになった90年代はまさにその「信頼」が揺らぎはじめているゆえであったが、日本の場合「信頼」の前に「安心」が揺らいでいるという。だから日本の場合はまず安心とは何かを考え、その上で信頼とは何かを考えなければならない二重の問題がある。

 一応シンポの全体的なとりまとめを行っていた宮本太郎氏の最新の新書『生活保障-排除しない社会へ』は日本の社会保障制度を、特に就労現役世代の保障の枠組みを再構築する観点から書かれているので、日本社会のレジーム転換は、山岸理論を受けてそこからどう社会で「つながり」を再構築するかという問題意識へと繋がる。そして日本の現役世代における時代変化の波にもまれた状況を詳細に分析する。宮本氏の話や新書の内容、あるいは山岸理論を読みながら自分がしきりに考えたことは、昨年お亡くなりになった、『甘えの構造』を著した精神分析医・土居健郎氏の日本人論であった。

 土居氏によればこうなる。まず日本人の生活は一番内側に身内の世界がある。これは遠慮のいらない、甘えが通ずる世界だ。そしてその外側に「世間」がある。そこでは窮屈な心遣いが必要だ。すなわち社会性である。しかしその世間は「学校」や「会社」「会社の顧客・取引先」等々までで、その外側は茫漠としている。茫漠としてとりとめがない世界であるため、まったく遠慮も考慮もいらない「他人(よそ)の世界」となってしまう。「身内」と「世間」の外側がそのような世界ならば、平気で「無関心」にもなれるし、「旅の恥は書き捨て」にもなれる。-乱暴に云えばそんな感じだろうか。

 山岸理論を聞いて思ったのは「安心社会」とは「身内」と「世間」のことで、「信頼社会」が考えなければならないものとはこの「世間」の外側の世界か、ということだった。

 宮本氏の関心も同じようなところにあるはず。「甘えの構造」的な日本の会社社会が崩壊の過程にある中での今後の現役世代の生活保障はどうあるべきかということは、社会保障問題の政策に限られない。安心社会の崩壊にも意を介さざるを得ない。なぜなら社会保障制度を再構築するためには、社会的合意が必要になるからだ。そしてその合意を得るには社会の意識が大きく変容しているのだということも合意として必要となる。

 その合意、すなわち「つながりの再構築」のためにはまず、「日本型レジームの転換」、すなわち安心社会から信頼社会へ向かう時代の認識が必要だということから山岸氏に基調講演をお願いしたのだと思った。

 それでは宮本太郎氏の日本型生活保障の再構築の議論に入ってみよう。当日の宮本氏の話は短かかったので、以下の記述は主に新書『生活保障』に依っています。

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by ripit-5 | 2010-01-08 22:25 | 社会

日本型レジームの転換とつながりの再構築(1)

 さる12月22日、北大の人文社会科学系の教室にて『日本型レジームの転換とつながりの再構築』と題する基調講演とシンポジウムを拝聴してきた。基調講演は北大の社会心理学者、山岸敏男氏。シンポ及び手短な研究発表者として北大から宮本太郎氏、辻康夫氏、そして慶応大から井手英策氏。一番後ろの席に腰掛けた自分は全体の様子を見たところ、参加者のかなりの数が大学関係者で占められている場になっていることを認識した。場違いなことこの上ない(苦笑)。まぁそんなことはいいんだけど。

 ところでこの非常にイメージが湧きにくい会合タイトル『日本型レジームの転換』とは何だろう?思うに、基調講演者の山岸氏の「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)の示している著作の内容の社会への変化を示しているのかと思われた。
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安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

山岸 俊男 / 中央公論新社


 Andの「つながりの再構築」は前も紹介したけど最近上梓された宮本太郎氏の著作『生活保障-排除しない社会へ(』岩波新書)における日本の社会保障制度再構築への提言及び日本社会の経済的社会的変容過程を、センシティヴな観察のすえに深く考察された良書のその内容との間を接合したもの、と思われた。そこに他の二人の研究者の研究成果が織り込まれる。
 それ故に学術的でいささか抽象的な内容であったと言えるかもしれない。いまある現実の具体的な問題について話し合われるものではないので、その関心から言えば如何にも学者的な専門家議論ともとれるかもしれない。しかし、意外にその場はいち市民の私にとっても、自分の問題意識の表層だけではなく、深層を考える上での大変刺激的な内容の場であった。

 講演・シンポについては当日の内容の再現的なまとめをする能力がないので、山岸敏男氏と宮本太郎氏の新書の内容を基本に、自分なりの解釈で思うところを書き記したい。故に講演内容の本義からはずれてしまうかもしれない。悪しからず。

 まず「安心と信頼」に関する山岸氏の基調講演は日本人の「他者への信頼感」に関する一般的通念を打ち破るデーターの披露から始まった。ある世界的調査の中で日本人は「世の中のほとんどの人を信頼できるか」その逆に「ほとんどの人はチャンスがあればあなたを利用しようとしていると思うか」という設問に対し、前者に関しては「信頼できない」と答え、後者に関しては「そう思う」という比率が非常に高いということだ。この結果はトルコ、バングラデッシュ、マリ等々いわゆる後進国等あるいは現在内紛のある国並みの水準で、先進国の中でも際立っている。それだけ他者信頼度が低い国民意識を明示している。これは一体どういうことであろうか?
 日本人が政治に対して信頼度が低いとするなら、それは政治に対する知的水準を示すものかもしれないが、実は(僕も含めて)日本人は一般的な意味で他人を信頼する姿勢もまた、かなり低いのである。

 集団意識が強く、同調圧力が強いと一般に思われている日本人のこの他者不信の強さは何を表すか。そして実はそもそも日本人は見知らぬ他人を信頼しているのだろうか?そういう根本的な疑問に向き合わざるを得ない。

 そこで山岸氏は実は日本人は長い間、「信頼社会」ではなく「安心社会」の中で生きていた、と仮説を立てる。では安心社会とは何か。信頼社会とは何か。「安心」と「信頼」の違いは何であろうか。僕ら日本人はこの二つの語法をほとんど同じような心理表現として使うので混乱してしまうが、整理されなければならない。

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by ripit-5 | 2009-12-30 11:56 | 社会

「骨太09」の記事を巡る新聞のわからなさ。

 そのまんま東のトンデモ発言と、そういう人物をポストもちらつかせて人気者だから自民党から出馬して欲しいと願う自民党の選対。もうこのドタバタ路線ですでに組織崩壊、すでに終わったと見ていい政党のことだから今さら云々する気も失せているんだけど。それ(政治)とちょっと絡んでちょっと違う内容で、新聞メディアの思考の迷走もワケが分からないので、その新聞メディアの記事のほうでひと言書かせていただきたく。

 景気対策と社会政策のバランスから言えば、あの悪名高い社会保障費の2200億毎年削減計画が頓挫したのを受け、北海道新聞・東京政経部の土田修三氏はこう書く。
 
「骨太の方針2009」は、歳出削減路線が大幅に後退し、骨を抜かれた内容となった。「骨太06」から引き継がれてきた社会保障費の2200億円抑制方針を撤回したことで、財政再建の道筋は全く見えなくなった。

 いつの時代のどんな状況を基準にしてこのような記事を書けるのだろう?と思う。それこそ時代の空気が全く読めていないように見える。この間、社会保障費給付を削減し続けたことで、どれだけ社会的弱者層の幅が広くなったことか。それこそ、湯浅誠氏が言う「ちょうちん型」から「ひょうたん型」の社会になるのを決定付けた政策だったのだ。このままこの社会保障給付削減策を続けたら、砂時計型の社会、すなわち中間層没落社会は決定的だったろう。あの年末の派遣切りを記者としてどう認識しているのだろう?唖然としてしまう。

 もう一つわからないで首を捻る記述が同記事にある。
 
内閣府幹部は「社会保障費が『蟻の一穴になり、収拾がつかなくなる』と危機感を抱く

 まるで社会保障費の削減という政策を転換することが日本の財政規律を緩める原因なのだというが如き記述だ。むしろ僕に言わせれば、多くの人が反対の声を上げている国立のマンガ博物館のほうが財政規律の緩んだハコ物行政の典型だろうと思う。しかも時の総理の趣味の延長で。(といったら乱暴すぎるか。)
 社会保障費を槍玉にあげるよりも、公共事業の見直しを進めるほうが財政規律の問題に得があるはずだ。そして、社会保障費の方が都市住民が直接自分の身に降りかかることのはずだ。

 そのくせ、社説では
「少子高齢化で増え続ける社会保障費にどう対処するのか。(中略)その道筋が示されなければ、生活の展望が見えないからだ。(中略)医療現場の疲弊は目に余る。もはや抑制が限界にきているのは明らかだ。」

 と、社会保障費抑制策は行き詰っていることを強く匂わせている。いったい新聞社の方向性はどこにある?という矛盾の状態。これは社説で人道的なことを述べていても、経済欄で全く人道性とは別の経済界の意向が反映した記事が載っているようなことの常態化ともつながっている。社説に基づいて社会や政治経済、外交、生活の一貫性ある紙面製作などしていないのが一般新聞なのだよ、ということを改めて考えさせられた今日という日だ。

 もう一点は、おそらく上記の記事は大蔵族の意向を反映した記者の記事だということを強く感じさせられるということだ。新聞の一面では”自民党厚生労働族の猛反発”と書いてある。これは誰のことかといえば具体的には「骨太09」に社会保障費2200億の削減を削除する文言を強く求めた尾辻自民党参議院会長のことだろう。しかし、これでは尾辻さんが何だか自分の利害を絡めてモノ申したように読めてしまう。
 尾辻氏は自分の族議員としての特性から2200億削減削除を求めたわけではなく、この年末年始の窮状や、非正規社員の増大に伴う社会不安の増大に対する強い懸念の表れがあったのだと見るのが常識的だろう。もう一つは尾辻さん自身、小泉政権の厚労大臣だったので、きっといまは忸怩たる思いがあり、その信念の元の譲れない一線なのだと思う。-2200億削減を自分の党の総務会に求めたのは。

 新聞記者も含めてすでに経済成長に伴う広く行き届く企業中心のセーフティネットの終焉、ポスト一億総中流の流れの中で、税収を元にした一定の財貨をどう配分するかという「成長から配分」の時代においては、言葉のレトリックを巧みに多種多様に用いながら、手に入れられる財貨に関するそれぞれの国民間の綱引きが今後始まるということなのだろう。えげつない書き方だが、そんな時代に入ってしまったに違いない。

 今のままだと自滅で民主党は黙ったままで勝てる。だが圧勝するならこういえばいい。「私たちの党はセーフティネットをきちんと貼ることを第一義とする。その上で景気対策をする」と。
 しかし民主党はおそらくそれは絶対いえない。それでは社民党だということになり、大マスコミを含めた財界人たちを味方にすることが出来ないからだ。これが現実というものの酷薄さだろうけれど、それでも少しずつでも変化していくしかない。ただ、このまま敵の自滅で民主党が政権を握ったとして、その足腰はどれだけ強いのかという気がする。

 どうあれ変わるアメリカを作っているオバマでさえ、彼の政治が始まるまでは足腰の強さが疑問視された。(だが、やはりオバマの足腰は現在、強い。)それほどのトップリーダーがいない民主党では確かにより疑問視もされるだろう。

 でも僕らは評論家じゃない。つまらないことに騒ぐよりも湯浅誠さんのような行動と理論が両輪として持つ人、声高でない社会的な実践者の働きこそ見るべきで、政治家はそこからは遠いけれど、それに近づく、少なくともそのような社会の動きを強く意識する人が相対的に多くいる政党に票を入れるしかない。その意味では僕は尾辻自民党参議院会長だって信用する。現下の政治的な争点においては。たとえ個人的には支持していない政権与党の人であろうとも。要は人間性の問題です。この演説を聴いてください。そして「そのまんま東」の上滑りした記者会見と比較してみてください。


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by ripit-5 | 2009-06-24 22:20 | マスメディア

再契約、あるいは再確認をして欲しい。

 民主党の党首選挙も終わっていよいよ僕らのほうにバトンが渡ったというか、選挙で選択モードに完全にスイッチが入ったといえるのだろう。民主党の顔がどの程度、あの二人のうちどちらが有利かという話はまぁここまでにしておこうと思う。(自分のこころの中で。)
 僕はずっと社会保障制度や社会福祉政策に関心があるし、一般の世論調査においても一番は社会保障制度への関心だ。政府与党がそちらへの関心が低い以上、今後政権掌握の可能性がある民主党側にどれだけ感度が高いのか、という話になる。

 官僚制度を盛んに問題視するが、やはりそれはある。おかしいこともともかく、行政、官僚の一種の「不可変更力」のようなものが一番問題なのではないか。国民と国家の契約である年金制度が象徴的。年金の所得代替率が50%を維持できるという根拠が国民年金保険料の納付率80%だという非現実的な計算から出てくる発想にも唖然とさせられるわけで。昨年は61%の納付率を行かない。(この納付率も純粋に全額納付した数字なのだろうか。免除世帯をはぶいているのだろうか?。)これは悪質滞納者がいてこういう結果になっているわけではないだろう。例の昨年秋以降の経済恐慌による、あるいはその前からの生活格差により、現実に納付が出来ない層が膨大にいることを容易に想像させられる。今後、納付が60%を割ってしまうかどうか。改めて大きな政治課題になると思う。今年はそれが十分結果として出てくる予感がする。

 仮に社会保険自己負担で月収13万円程度の単身20代の世帯がいるとする。現行ひと月14660円の国民年金保険料と、おそらく年収が200万いかなくても国民健康保険料は国民年金保険料よりも多くかかるのではないだろうか?すると、月10万いかない生活費で一月の生活をする。文化的な生活をするのは相当厳しいと見るべきなのが普通。よほど生活の工夫をする能力がない限りにおいては。(まぁ、普通はないですわ。)

 そのような状況の人びとが多数居ることが十分ありうべき国民にとって、国家に対する信頼というものは、長期の信頼に頼る年金制度にまっすぐに教科書のように「世代間助け合い」といってみてももはや通用するものだろうか。それよりも何よりも、今の生活が大変な非正規の人びとにとってはだんだん「今しかない」。今、本日しかなくなっていく。
 大変に危うい。

 年金の維持は、現実的な経済的条件の中で、本当に可能な保険料の納付の方法と、そして本当に、ともすると消費を煽るかのような文化条件の中で、長期納付(40年!)に対応する生活保障給付がつりあわないままだと、若い世代は見限るに決まっている。

 現に、今のところ、年金の所得代替率は現在の受給者たちはおそらく60%を越えているだろう。それをまあ、おそらくこれから15年後には50%をなんとか維持したいということだから、それだけでも不公正が最初から決まっている。
 若いときこそ、計算高い損得勘定があるし、若いときこそ青い理想もある。それらを裏切ってしまったらどうする、どうする?という話はNEWS(ニューズ)とは別に、何度もこの社会に持ち上がってくるシリアスな問題だと思う。どこまで行っても、社会保障制度と社会福祉のありようが今後一番の政治問題だ。この確信は僕の中では変わらない。
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by ripit-5 | 2009-05-16 16:04 | 社会

夜のニュースから

・最高裁にて日本国籍を取得できない少女、違憲判決。すがすがしい顔の少女の顔が美しい。率直に。勝利とか敗北とかいう言葉は好きではないが、このような形の勝利の顔は本当に生き生きとした美しさ。さすれば、人間の顔の美しさとは「生き生きしていること」?
 それにしても、胎児段階の日本人男性の認知であれば国籍要件が認められ、生まれた後の認知では認められないとは。法律とは不合理なもの。(後段の話につながりあり)。

・オバマ氏とうとう民主党からの実質、大統領候補に。頑張ってもらいたいなぁ本当に。
確かに確実にカリスマ性がある。であるが、やはりこの人の著作を読んで感銘を受けたことを僕は強調したいです。ライフログにも「合衆国再生」を入れているのはアタクシ一人。ちと淋し。

・ボ・ディドリー、死亡。あの独特のジャングルビートですな。R&Bの偉大な功労者。というか、やはり逆の面で。
 どうしてもボ・ディドリーやマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフやジョン・リー・フッカーを演奏した英国人のグループーすなわち、ローリング・ストーンズの慧眼とブルース、リズム&ブルースの普及の功績を思ってしまったな。「ノット・ファイド・アウェイ」がてっきりボ・ディドリーの曲かと思っていたら、バディ・ホリーの曲だったと言うのにはちょっと驚いたことがあったんだけど、バディがボ・ディドリーの影響で作ったんだよね。

・今日のニュースじゃないけど、新しい「SIGHT」。年金特集はこれは慧眼、慧眼!フォーカスを当てるポイントも見事。編集の兵庫氏、宮嵜氏がロッキン・オン誌の編集委員だったので思い込みで今ひとつ信用していなかったのは当方大きな勘違い。年金制度の勉強もよくしているし、着眼も鋭い。おみそれしていました。本当に。

にしても、「昔軍隊」、「今厚労省(というか、厚生省)」だったのか。。。
オレは騙されていたよ。。。人が良すぎらぁ。
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by ripit-5 | 2008-06-04 22:02 | 社会

後期高齢者医療制度の騒ぎ

先週は我が家でもちょうど年金支給日とつながり、例の後期高齢者医療制度による年金からの保険料天引き、ついでに年金給付者を優先とする年金加入期間を列挙した年金特配便が届いたりで、ずいぶん母からいろいろ説明を求められ、大変だった。(父は元々納税やこの種の公共料金については昔から一切興味なし)。

おまけにやはり、年金記録については分かりにくい。母親の場合、所謂国民年金には第1号から第3号まで経験がある。つまり、働いていた期間もあるし、自分で支払った部分もあるし、父の配偶者であった期間もある。(国民年金第3号期間)。ただ、年齢から行って任意加入の時期が一番長いのだ。(合算対象期間とか、カラ期間という)。
 その中でも昭和36年以前に看護婦として働いていた期間が脱退手当金を受給したため、その36年以前の分がごっそりと記録から抜けている。しかし、年金給付期間には調べるとその期間数字には残っている。すなわち、記録には間違いないのだけれど、昭和36年以前に勤務していた事業所の、そして厚生年金なのか共済年金なのかがハッキリしないのだ。勤めていた病院が当時の半官半民的な病院だったため。その期間が事業所名を含め全く書かれていない。年金相談の電話をしたら、「別の記録には加入記録があったとの返事」とのこと。その別の記録をちゃんと載せなければならないではないか。

この辺りの説明が残っていないし、僕は報道に接して良く聴く「3月以前」に送付された記録、これは間違いなく怪しい記録なのだから、もっと記録に注意深く見るべく僕ら市民の側にも責任がないのかなぁ?と、実は思ったりもしていたのだが、いや、認識が間違ってましたね。これは確かに記録が分かりにくい。

(追記:脱退手当金の期間は厚生年金保険料納付と判明。当時脱退手当金の支給を受けた人に関してはどうやら年金記録の中から事業所名も消されているようだ。)


今は後期高齢者医療制度で大騒ぎだけれども、制度が発足する前に、なぜこのような事態が当然想定されると考えてマスコミはこの法案を批判的に報道を全くしないできたのだろうか。強行採決されたこの法案を。
やはり、それは当時の時代の雰囲気に呑まれていたのだろう。前に記事に書いたように。小泉政権のメディア操縦術はいやはや大変なもの。

民主党もマスコミも、僕が思うところは卑小な、といったら問題があるけれども、もっと根本的な問題に切り込む気は無いのか、ということ。特に、この件は野党に問いたい。もともと、骨太の方針、によるプライマリー・バランス優先、すなわち政治家では与党議員だってこの高齢者医療制度などはよくわかっていなかったのではないだろうか。いわば、厚生労働省が出した法案を丸呑み、厚生労働省は骨太方針、すなわち財務省の方針に頭をひねって社会保障給付費を如何に達成年度まで減らすかにキュウキュウなのではないのか。

そもそも、国の赤字はバブルのときの銀行の不良債権を公的資金でジャブジャブ救済したのが端緒だろうに。

つまり、民主党に今の財務省の財政の異常な財政引き締め策に対し、あるいは大衆からの税金徴収攻めに対し、国の財をどう配分するのか、きっちりここで方針を示してほしいのだ。

NHKの世論調査の微妙なバランスが納得できる。福田政権の支持率は落ちる。だが、民主党の支持率も落ちている。暫定税率の廃止はイエスではない。一般財源化は可否半数。つまり、おそらく主体的に何も出来ない福田政権にはNO、だけども民主党は個別の論点を政局として利用している、そういうイメージに違いない。

僕はここら辺に一般人の答えがあるのだと思う。国民を語って実は国民の一番関心事項から離れた争いをやっているから、愛想をつき始めているのだと思う。
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by ripit-5 | 2008-04-19 21:03 | 社会

明けまして。。。

おめでとうございます、と行きたいところだが。実際は、余りおめでたい気分でもないんだ(苦笑)。まぁ、社会人たる者、形式として年がみな、ともどもに無事明けることができたこと自体おめでたい事とというわけで、「おめでとうございます」というべきでしょうが。いずれにしても、こんな前提発言で始めたこと自体、しらけますわな。

今年もこんな身も蓋もない調子ですが宜しくお願いします。

年始は今年もラジオを興味深く聞いていた。昨年の年頭は民放で「アクセス!」という番組。
今年はNHK第1放送だ。「21世紀・日本の自画像」という番組を3日までの三夜連続放送を注意深く聴いていた。アナウンサーの木村知義さんという人がNHKとしては実に突っ込んだ形で問題提起を、解説として寺島実朗氏、初日は経済学者の金子勝氏を相手にドキュメント構成ののちに、質問していた。NHKもやるな!真剣に問題に取り組む姿勢だな、と思ったし今年は昨年に引き続き、否、昨年以上に「生活問題」が大きな社会的比重を占めるだろうという思いを痛烈に感じた。

何より、元旦に放送した「生活に苦しむ若者たちーワーキング・プアと格差社会」はシリアスでヘヴィーだ。そして、年収200万以下で生活する日本社会の今や3分の1を占める生活者たち。
小泉構造改革ご破算の上の総決算がこれなのである。
僕は随分前に日記で書いた折、小泉氏が内閣改造し、本格的に竹中自由主義路線と民間の諮問会議路線に舵を取ったとき、政権に社会的視点を持つ人物がいない、と書いたことがある。実際に、単純な経済成長主義の人たち以外、社会的な問題が「外部不経済」問題として立ち現れるとき、それに対処する人物はいなかった。本当に誰もいなかったのである。

そのような構造改革路線=諮問会議路線は、ホリエモンや村上さん以上に、労働者そのものが被害者として呼び込むことになった。象徴として、グッドウイルの折口社長である。介護の民営化で、そして労働者派遣事業の大幅な規制緩和で、抜け目なく労働者から搾取した。ある意味ではペーパーマネーでぼろ儲けした人物よりも実害があったのである。人材派遣業ほど、労働法令に精通しなければならない業種はない。労働者の基本法である労働基準法が正規社員のように固く守られる場所にないからだ。しかし、明らかにグッドウィルは労働者派遣法を知った上で、法令違反をしていた確信犯としか思えない。
これは、労働市場の規制緩和と、雇用の調整弁としての派遣労働者という社会的雰囲気に完全に調子に乗ったとしか思えず、社会環境としてのネットカフェやハンバーガー・ショップに居住地なき難民たちを生み出した遠因ではなく、近因である。
その意味では、派遣事業を大幅緩和し、労働者を裸のままに労働市場に放り出す政策を押し込んだ産業団体も酷いし、それを食い止め切れなかった連合のような大労働組合組織も酷い。

金子教授の弁を借りる形とはいえ、NHKアナウンサーの口からベーシック・インカムという言葉が発せられること自体が画期的だ。
自分が過去「社会」でブログ・カテゴライズした日記の流れがおおむね間違いなく(不幸なことに)進んでいることにどう考えたら良いか分からなくて、考え込んでしまう。
あえて、ここでもう一つ調子に乗ってみようか。今年は雨宮処凛さんの動きに注目してよい。早くもバッシングが起きつつあるかもしれないし、そういう動きが起きること自体が社会から目を背けられない労働=若者、年金=高齢者、図式としては単純だが、社会的弱者に思い切り強烈なプレッシャーが与えられ、もう黙っていられないと言う空気が醸成されていると思う。その中で社会が動く。

いずれにしても、労働者派遣法は見直さないと駄目だ。労働の規制緩和は完全に失策である。

社会保障制度。やはりこれが現在のビック・イシューである。
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by ripit-5 | 2008-01-04 17:50 | 格差・貧困 & 中流崩壊?

新しい時代の社会保障制度

燎原の火のように広がる年金の未記帳・基礎年金番号の未照合問題。そして介護保険料の不正受給。

今この段階でこれらの問題が教えてくれるものは、究極的には今後どのような社会保障制度を構築するかということだと思う。もう一度制度の設計のありようを考えなおすべきじゃないだろうか。

昨日は少々感情的になってしまったけれど、今若い人も非正規社員が増え、派遣労働で生活する不安定な状況(自分もそのひとり)は景気が良くなり、団塊世代のリタイアが始まっても、なかなか状況は好転し難いと思う。

考えてみると、年金制度が上手く廻ったのは高度成長期とのセットという部分もあった。昭和36年の国民皆年金制度の発足は高度成長期に入り口に入った時代状況と合わせ、多くの大人が終身雇用のサラリーマンとなり、一部、国民年金に自覚的な一次産業従事者と違って、年金制度に思い至ることはなかったはず。ただ、源泉徴収される社会保険料の高さに嘆くぐらいで。

今、現在、終身雇用が崩れ、昨日書いたようなことはさんざん過去にも書いたことなので繰り返さない。

新しい時代の公的年金、そして超高齢化社会の社会的介護の支えあいの問題。これを現行の国民年金制度のありかた、介護保険制度のありかたでは持たないだろうと僕は深刻に思うのだ。

それを教えてくれているいまの事態なのではないだろうか?

改めての繰り返しだけど、急速なる高齢化が始まった日本、その日本はまさに新時代の良かれ悪しかれ経済システムの世界に他の先進国のパターンの中のどのようなシステムを取り入れるか、あるいは独自な何かを作りえるか。

もし、政治が必要なら、ここにいま日本の政治は試されていると思う。
北欧型福祉は何故出来ないか。一つは政治不信だろう。政治不信はつまり国家不信だ。では、なぜ北欧は国家を信頼できるのだろう。

もう一度、北欧や大陸欧州の社会保障制度の歴史と制度をわれわれは学べないか。そして政治に生かせないか。

ただいえることは、民主的手続を取っているとは一応いえるとはいえ、基本的に一党独裁体制がひかれている日本の現実だ。
権力は安泰である以上、やはり間違いなく腐敗する。

政治に緊張感をもたらさなければいけないし、それには僕らも別に政治の勉強ではなく、このような国の基盤の制度のゆらぎを機会に社会システムを少し学び考えることでもずいぶん政治に緊張が生まれ、弛緩の結果の困った状況を少しでも変えていけるのではないかと。生意気にも思います。

日々、こんなことばかり考えているから、友達も出来ないし、もちろん彼女も出来んのよ。とほほ。。。
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by ripit-5 | 2007-06-13 22:39 | 社会