日本型レジームの転換とつながりの再構築(2)

 昨年12月22日に北大で行われたシンポジウムの続きです。まず前回の記述では北大の山岸教授の「安心社会から信頼社会へ」をベースにした基調講演に基づき日本社会のレジーム・チェンジを主に取り上げてみました。「安心」と「信頼」の違いを端的に述べるとすれば、信頼は「社会的不確実性」の中で相手の人間性ゆえに相手を信じることだが、安心の関係はそもそも「社会的不確実性」を考えない、ということ。
 山岸氏の新書によると欧米において「信頼研究」が行われるようになった90年代はまさにその「信頼」が揺らぎはじめているゆえであったが、日本の場合「信頼」の前に「安心」が揺らいでいるという。だから日本の場合はまず安心とは何かを考え、その上で信頼とは何かを考えなければならない二重の問題がある。

 一応シンポの全体的なとりまとめを行っていた宮本太郎氏の最新の新書『生活保障-排除しない社会へ』は日本の社会保障制度を、特に就労現役世代の保障の枠組みを再構築する観点から書かれているので、日本社会のレジーム転換は、山岸理論を受けてそこからどう社会で「つながり」を再構築するかという問題意識へと繋がる。そして日本の現役世代における時代変化の波にもまれた状況を詳細に分析する。宮本氏の話や新書の内容、あるいは山岸理論を読みながら自分がしきりに考えたことは、昨年お亡くなりになった、『甘えの構造』を著した精神分析医・土居健郎氏の日本人論であった。

 土居氏によればこうなる。まず日本人の生活は一番内側に身内の世界がある。これは遠慮のいらない、甘えが通ずる世界だ。そしてその外側に「世間」がある。そこでは窮屈な心遣いが必要だ。すなわち社会性である。しかしその世間は「学校」や「会社」「会社の顧客・取引先」等々までで、その外側は茫漠としている。茫漠としてとりとめがない世界であるため、まったく遠慮も考慮もいらない「他人(よそ)の世界」となってしまう。「身内」と「世間」の外側がそのような世界ならば、平気で「無関心」にもなれるし、「旅の恥は書き捨て」にもなれる。-乱暴に云えばそんな感じだろうか。

 山岸理論を聞いて思ったのは「安心社会」とは「身内」と「世間」のことで、「信頼社会」が考えなければならないものとはこの「世間」の外側の世界か、ということだった。

 宮本氏の関心も同じようなところにあるはず。「甘えの構造」的な日本の会社社会が崩壊の過程にある中での今後の現役世代の生活保障はどうあるべきかということは、社会保障問題の政策に限られない。安心社会の崩壊にも意を介さざるを得ない。なぜなら社会保障制度を再構築するためには、社会的合意が必要になるからだ。そしてその合意を得るには社会の意識が大きく変容しているのだということも合意として必要となる。

 その合意、すなわち「つながりの再構築」のためにはまず、「日本型レジームの転換」、すなわち安心社会から信頼社会へ向かう時代の認識が必要だということから山岸氏に基調講演をお願いしたのだと思った。

 それでは宮本太郎氏の日本型生活保障の再構築の議論に入ってみよう。当日の宮本氏の話は短かかったので、以下の記述は主に新書『生活保障』に依っています。



 まず戦後の高度成長の時代を前段として、日本ではもともと西欧への追いつき型の近代化のために、社会保障よりも経済成長に直結する雇用保障に力点が置かれてきた。それゆえに政官と業界団体が二人三脚で常に経済を成長主導することにより、雇用の安定確保を図れるようにしてきたと云ってよかろう。

 そのような沿革の上にあったので、いままでの日本型生活保障には以下の特徴があった。
1.まず社会保障への支出は小さかった。(現在は社会保障給付費は国家予算の半分を超えるがその大半は「年金」と「医療」で、現役世代よりも引退世代への拠出額が大きい)。
2.雇用の実質的な保障によって、格差が相対的に抑制されていた。
3.現役世代の生活保障が雇用と家族に委ねられたゆえに、相対的に小さな社会保障支出は、会社に頼れなくなり、家族の力が弱まる人生後半にシフトしていた。
4.家計補完型で低賃金の非正規労働市場の存在があった。(故に非正規・派遣問題は元来そのようなパート型の制度設計に拠っているため、不安定雇用時代において、そこに多くの現役世代が流入することにより、いびつな現象を起こしてしまっている。税制上の問題や社会保険料の問題が解決されないままの雇用状況にある)。
5.そこで、「仕切られた生活保障」とでも云うべき企業や業界ごとの雇用保障と、職域ごとに区切られた年金や健康保険がある。それがいまの時代にまた一つの格差問題として浮かび上がってくる。

 しかしながら、やはり安定した継続的雇用というものは、グローバル化と脱工業化が進展する中で、洋の東西を問わずに、まずはじめに崩れていく部分なのである。

 そのような時代状況になったいまも問題になることは、では制度の枠組みを組み替えましょうとするとき、人々が改革の方向について合意し、連帯することもまた難しくなっている。なぜだろうか。
 日本における行政不信の問題は大きいが、合意と連帯を妨げるものはそれに留まらない。正規労働者と非正規・派遣の労働者の亀裂が深刻になったという事実それ自体が、広範な人々がリスクをシェアしながら相互に支えあう条件を崩してしまった。

 生活保障の課題は単なる所得の保障だけではない。人々に必要なのは誰かとのつながりを得て気にかけられることで、生きる意味と張り合いを見出す事ができる。そのような場があるなら、人々は場合によっては多少の困窮にも耐えられるかもしれない。しかし、そのような「生きる場」から切り離されたときに生き難さは決定的に高まる。日本型生活保障の衰退に伴い、職場であれ商店街のコミュニティであれ、人々の「生きる場」となりうる”つながり”が解体している。

 そのような「つながり」と「非正規・派遣」の両面から象徴的な事件だったのが一昨年の秋葉原連続殺傷事件といえよう。社会学者・見田宗介によるとあの事件は”他者の「まなざし」を気にする社会から、他者のまなざし「不在」の時代へ、真空の空間で承認を求める叫びに似た事件”と捉える。

 たしかに”つながり”が解体されたかもしれない。しかし同時に、あの「新自由主義の時代」は人々は息苦しい「仕切られた日本型生活保障」の組織からの自由な空間に思いをはせたのかもしれなかった。しかしもともとその仕切りの「外」の関係は「希薄」なのであって、その空気は「薄かった」。

 以上が宮本氏が概観するいまの日本の雇用保障と社会(人間)関係の話である。かなり乱暴にまとめてしまいましたけれども。まさに「仕切られた日本型生活保障」の外は「身内」も「世間」もない「社会」・・・。(最近の私たちは好んで「世界」と呼ぶが)。
 こう見てくると何やら展望のないような重い話になってしまうようだが、生産、雇用、消費をめぐる経済関係において伝統的な「安心社会」に戻れない以上、新しい生活保障(擬似家族的企業無き時代の社会における生活保障)と、新しい人間としてのつながりの場(社会的承認と包摂の場)が必要になってこよう。  
宮本氏はこの新書にてスウェーデンの職業訓練を中心とする雇用保障制度をかなり詳しく述べ、また新しい提案として注目を浴びているベーシック・インカムについても記述されている。

 新しい生活保障の形としては「アクティベーション」と「ベーシック・インカム」を二種の具体例として掘り下げているように思われる。残念ながらまだ私自身はそこまで読み込んではいません。これからこの新しい方法論の提示について勉強してみます。
(一つ参考資料として、こちらを)。

 ただ、宮本氏の分析によるこの新書にて、現役世代の雇用生活問題が顕在化していても、制度と空気を含めそれをどのように考えたら良いか検討を付けにくかった新しい時代の問題をかなり交通整理してくれたように思います。今までの日本型雇用保障が崩れはじめた現在、新しく再構築する方途はどのようなものがあるのか。まずはその認識を共有すること。そこから社会的な合意に向けた建設的な議論が成り立つのではないかと思います。

 そのような意味で、昨年12月22日の講演とシンポは自分も自分自身の問題として、いろいろ刺激を受ける貴重な機会だったのでした。

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

宮本 太郎 / 岩波書店



 ※宮本太郎氏のこの新書についてはすでに多くの真面目な書評がネット上で見られます。検索をかけて参考としてみてください。その上で関心が深まればぜひこの本をひも解いていただきたいです。
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by ripit-5 | 2010-01-08 22:25 | 社会