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検察というのは一体どうなってしまったのだ!?

Excite エキサイト : 社会ニュース

 昨年「郵便制度悪用事件」というのがありました。障害者向けの郵便割引制度が悪用されたという事件です。それは実体のない「凛の会」という組織に厚生労働省が偽の証明書を発行した。それを上層の意を受けた村木さんという当時の厚生労働局長が同省係長偽装した証明書を発行するように命じた。それもその上層には政治家の意向が働いていたらしい、という嫌疑での逮捕であり、当時の報道でした。

 ところが裁判が始まったここに来て、あろうことか「検察側証人」そのものが村木労働局長の関与を認めるどころか、検察調書の作成からして自分たちの本意ではなかったことを法廷で語りはじめているということです。

 すなわち、当事者である「凛の会」のメンバー、元会員は「取り調べ中『調書は検察の作文だ』と訴えたが『いいんだ、サインしろ』と言われた。脅迫もあった」と。(脅迫ですよ!)。かつ調書どおり村木被告から証明書を受けとったと認めた会長が「受け取った日が見当たらない」とあいまいな供述に転換。
 
 このような検察側証人でもう一つ大きいことは、捜査の段階で「石井一・民主党議員から口添えがあった」と認めたとされる村木局長の上司である厚労福祉部長が法廷で「調書は事実ではなく、検察側に作られた記憶だ」「国会議員の口添えも、村木被告への指示もなかった」と語気を強めた、と報道されていることです。

 このように公判そのものが成立しないような驚くべき証言が続く中、決定的な話として、偽装の実行者とされる村木局長の部下である係長である上村被告は「村木被告にも他の上司にもまったく相談していない。証明書を作ったのも、渡したのも全部一人で実行したことです」と法廷で証言したそうです。

 これでは村木被告をそもそも犯罪者とする構成要件も立証の根拠も完全に喪失しているではありませんか。

 その上で、上記の係長が書いていたとされる「被疑者ノート」のエキサイト・ニュースです。

 一体、この驚くような検察の事件構成はどこから生まれるのでしょうか?まさに「瓢箪から駒が出るような話」と皮肉るしかないような驚くべきずさんさです。

 このありえないような実態の事件で村木局長は半年近くも拘留されていたというのですから、慄然としてしまいます。まして局長は非常に有能かつ人物も大変良くできている人だという話で、なぜこのような理不尽がまかり通ったのか、公権力が不起訴にせず起訴して裁判にまで持っていったのか不可解極まることです。

 購入した「週刊朝日」の記事中ではいろいろな推察が書かれていますが、それだけを見るとまるで検察キャリアの個人的なプライドが事件を捏造しているようにさえ見えてきます。「推定無罪」どころか「推定有罪」「疑わしきは犯人」。否、それどころか今回の事件は「疑わしさ」さえあったのか。新聞記事や週刊誌記事を読む限りそれさえ疑問です。

 これもまた検察権力の驚くような失態ではないでしょうか。
 マスコミもこの事件を余り大きく取り上げないのはちょっとおかしいのではないかと思う。私の場合は地元紙ですが。足利事件、小沢秘書疑惑、そして今回。余りに検察権力の濫用を伺わせる事件が多すぎて、私は怖くてたまりません。

 ところが人柄が多くの人に称えられている村木局長はやはり強い人。会見の席で娘さんらへの気持ちとしてこのように話されたそうです。

 「人生には、今回の事件だけでなく、病気にしろ、事故にしろ、まったく見に覚えのないことがふりかかってくることがある。娘が困ったときに『母さんも頑張ったから大丈夫』と言えるように頑張ろうと思っている」と。

 先ほどNHKハイビジョンの『100年インタビュー』で蓮池薫さんの1時間半に渡るインタビューを見てその運命に翻弄された日々を極めて冷静にかつ熱く、そしていろいろな悲しい思いを溜めながら語ることばを聞きながら、心底凄い、素晴らしい人がいるものだと大変感銘を受けたので、この母としての局長の言葉もまた、胸を衝きます。

 しかし、人生に不条理がまかり通ってはやはりいけないのです。まして警察・検察の役割は日本人が日本という法治国家の中で秩序に守られて生きることが出来る、大切なある意味聖職のはずです。仮にもそのような立場の人たちが暴走したら私たちは日本人として安寧を根本から揺るがされることになってしまいます。

 不安がベースの社会は人々を運命論者にさせます。運命論が跋扈する社会は必ず宗教社会になるでしょう。人知を超えた運命に人が生きねばならないのなら、そこには人知を超えた存在を基底することになるからです。それが宗教国家や宗教社会です。

 しかし、自然災害や病気や事故は逆らえないものですが、人為や故意は全く別なものとして峻別されなければなりません。「法の番人」がそれを破るなら、それを行った人間が罰されねばなりません。人がせっかく築いた生活を壊すわけですから。

by ripit-5 | 2010-02-25 22:43 | 社会