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お盆

日頃接点のほとんどない離れた家族が帰ってきて、墓参りだとか。今年は兄とその二人息子の弟の方が帰ってきた。

ぼくは日本人の信仰心というのは極めて曖昧で深層的なものだと思っている。所謂「教義・経典・象徴」の3点に縛られていない。昭和前期の一時期が極めて不自然なのであって、お盆とお墓参りといっても、われわれ、仏教者たちとも思えない(親近性はあるかもしれないが)。

そもそも仏教は本来、葬儀は行わないはずだ。まして祖霊信仰とも関係ないはず。すなわち、本来、釈迦が求めたものは当時のインドを覆っていた「輪廻思想」からの解脱であり、「私はここで輪廻から解き放たれた」。即ち涅槃、即ち、「これっきりですよ、この生で終わりです。安らかに終わります。輪廻終了」という究極の悟り。

つまり長い間、人間にとって「死」は究極のコンプレックスなのだ。おかげで何代かを経て、釈迦は像として作られ、祭られている。別に良い悪いではなく、人間はそういう形でこころの安心を得たいということだろう。

それに、日本人として、お盆が8月15日とぶつかっていることに強い意味を感じる。
狭義の信仰をもたないぼくら日本人が、一番「死」を思い、スピリチュアルな気分が高まるのがこの時期だと思うのである。

仏教に見える墓参りのこの種の風潮は、もともとは日本人の死生観にあった「御祭」の痕跡で、それを日本の仏教が取り入れて一般化した、という話を聴いたことがある。その中で江戸時代の檀家制度の及ぼした影響力は本当に大きかったんだろうなと思う。何回忌とか、いろんな祭りが負担になるほど存在するが(そして現代人の子孫はそれを継続するのが難しくなっているがー家制度の崩壊により)、それらのことを思うと、「江戸時代」はまだ残っているという気もする。もちろん、戦前もかなり残っているだろう。

だけど、灯篭流しとかはいいね。行く夏を思い、いろんな気持ちや記憶を再生しては戻していく感じ。

記憶を忘れやすいのが難点ですがね。水に流す、ってやつで。自分も含めて。

by ripit-5 | 2005-08-15 21:14 | 日々