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「反貧困と市民社会」シンポ

 湯浅誠さんや山口二郎氏、中島岳志氏らの集う北大のシンポ、聴いてきて帰ってきたところです。う~む。会場が大学の教室というのは厳しいものがあったな。やはり関心が高い以上、北大にも一般のシンポに向くエルム会館とかクラーク会館といった会場があるのでそちらを使って欲しかった。平日の午後4時半ということで、学生や先生連が中心になると思ったのかな?そんなことはなかったですよ。

 基調講演を湯浅さんが行ったのだけど、やはりこのシンポも僕らの心情を打った意味では湯浅誠さんが一番の主役であると率直に思いました。司会の方の話で湯浅氏を活動家であり理論家、と評していましたが、まさにその通り。眉根を吊り上げた活動家のイメージと違い、冷静に貧困実体の理論として斬新で納得できる筋道を作った功績は大きいですし、これからもこの人の活動は大げさでなく日本のためになってくれると思います。山口二郎さんのような人の場合、やはり天下国家の論理にずっとかかわりが長くて、大きな政策理論に引っ張られて、ビビットな湯浅さんの目に比べると少し学者的かな。「虫の目と鳥の目」を両方を持っているというのがどれだけ大変なことで説得力あることかと思いましたよ。

 だけど、湯浅さんの話を聞いていると本当に大変だ。湯浅さんのような活動家の立場からは今の状況は悠長じゃないということだ。リアルな話、今年は役所が28日ではなく26日で終わるし、年明けは4日ではなく5日。その年末年始がホームレスに転落しかかっている人、派遣や期間社員の人にとって非常に危ない時期だという話だ。ゆえに、26日まで何とか公的扶助の申請を間に合わせられるよう、緊急ホットラインも使って対応するという。まして今年は報道どおり、大量のリストラが年内にすでに予定されているので緊急度が極めて高い。ホットラインで対応しても全体の1割くらいしか助けられないと思う、と経験則に照らして語られていた。
 そこで政治の出番だけれども、今回は意外なほど対応が早いので少々驚いていると語っていました。例えば雇用促進住宅。廃止の方向だったけれど、「住居喪失離職者入居支援」という名目で使える雇用促進住宅は入居させる。そして雇用保険の1年以上の入職要件を半年にする。受給期間も広げる。これらの制度は今までであれば悠長に構えるのが政治だが、かなり早いスピードでやろうとしている。財務省の厳しさも少し緩んでいるようで、厚労行政の人たちも動き易くなっているようだ、と話していた。それが政治の人気取りでもあるだろうけど、同時に政治の側の危機感も感じている、との話であった。う~む、その伝が正しければ、午前中の僕の思いも多少の早とちりがあるかもしれない。(苦笑)。

 後は非正規社員と正社員の認識のギャップ問題だけど、そこはぜひ湯浅さんの「反貧困」を読んで欲しいし、シンポでも全体の共通認識になっていたと思うけど、もう正規と非正規の人の関係は精神論での溝は作れない。こっちとあっちはもう地続きで、すなわちリーマンショック以降の世界を見て分かるとおり、社会構造上の問題であるのがはっきりしてきたわけだ。

 宮本先生という人が云っていたけど、40:30:30という定義?があるそうな。つまり40%の安定職、30%の不安定職、30%の年金受給者という社会がこれからの先進国の共通項になるような。だから40%の人が30%の人をどう見るか。それをなりたくないものとして排除するのか、あるいは逆に明日のわが身として連帯の可能性を内側に認めるか。
 そんな感じのことも語っていた気がします。

 最後に少々の時間会場に質問票を配ってそこで質問を受け付けるとのことで、質問を書いている間に湯浅さんが貴重なことを語っていた気がする。質問をまとめていたのできちんと聞かなかったのが残念だけど、確か社会的な声を挙げる表現の方法の伝承がすごく難しくなってきていないか。沈黙をしている社会は好きなようにやられますよ、みたいなことを言っていたと思う。

 質問は幸い自分が書いたものが読まれた。「北欧のような社民主義を参照する知的な蓄積は日本人にあるはずなのに、なぜそこから遠いのか。また、今回のサブプライムショックで北欧の社民主義は継続可能でしょうか」と書きました。
 シンポジストは難しい質問だなぁと云ってまして、特に難しいと思ったのは後半の質問に関してかもしれません。山口教授が「日本は財務省が赤字をこれ以上出したくないというのがありまして」しかし「やはり市民の税負担がポイントになるんじゃないですか」といっていた。山口さんが元々税はもっと負担すべきと思っているのは知っているので耳新しくはないのだけれど、実は本当に質問として聴きたかったところは、質問を読まれた際にははぶかれたのだけど、「アメリカ型の政治に寄り過ぎたせいではありませんか?」という点と、もう一つ。何だかんだいっても日本人の知的レベルは高いはず。センター試験を見ても分かるとおり。また何だかんだ云っても、真面目で勤勉な国民性だとも思う。本当に。僕なんかはその点において本当につくづく怠け者だという自覚があるし。でも、なぜ社会システムについては関心が低いのかなぁ?って。素朴に思うのです。何故社会について語られることがないのかなぁ?って。そういうことなのです。これは自分自身の日常を含めてですね。自問自答に近いことです。つまり空気を感じ、空気に弱い。その弱さについて、僕は特に弱いという自覚がある。
 でも、日本人の知的センスがあれば、もう少し社会的な仕組みのあり方を考えるだけで、そして参照すべきものは参照して法制でも何でも変えられるものは変えればいいはずなんですよね、本来は。
 後一つ、書ききれなかったのはマスコミの影響ですね。これは「空気」ともつながる。

 同時にこれはしかし、湯浅さんが質問前のシンポで云っていたことですが、日本では福祉は企業の補助から始まる形しか作ることが出来ず、官僚の社会保障に関するスキルが低いんじゃないか?という話に繋がることなのかもしれません。マスコミもその中に含めていいんでしょう。長い長い流れの中、新聞も社会保障や社会福祉は「くらし」や「生活」欄に押し込められ、政局、経済や外交からは一段低いところに置かれっ放しでしたからね。(いや、それは現在進行形かもしれないです)。でも生活が不安定になれば社会も当然不安定になるわけでね。廻りまわって関係ないものが関係せざるを得ないものとなる。

 セーフティネットを筆頭に、これらの社会政策の哲学の変化は「変化」だけに難しいものなのかもしれません。人間は習慣に生き、習慣の力は強いと思うから。
 僕だってそう。僕の人生に対するスタンスや保守的な生活スタイル、考えの志向性はそうそう変更できるものではない。
 そういうことと密接に関係しているのかもしれません。
 でも、そういって、そこに居直るわけにもいかない局面もある。そういう局面がいまという時代なのかなという気がします。

 そういう時代にはおそらく、湯浅さんのように実践家であるだけではなく、実践家兼理論家が生まれる。そんな気がしました。しかし帰ったら根室の公立高校でナント生徒の5分の1が就学援助を受けていて、それでも経済的理由でかなりの中途退学者が出ているというドキュメントをやっていてびっくり。これはまるで僕が子どもの頃に聞いた話だ。昭和40年代の初期に日本は戻ってしまったみたい。おそらく、それをはねかえそうとバネにして当時のお父さんたちはモウレツに働いたのでしょうけど。結局、一回転して元に戻ってしまったのかなぁ。。。
 それだけに「新しい時代の社会政策」のはず、なんだよね。

 中島岳志さんも関っているといっていたビッグイシュー日本版。実は勤務先に行く途中で販売している人がいるんです。ずっとこのところ財布の中身が厳しく、悪いなぁと思いつつ通り過ぎていました。昨日のシンポの後、ローリング・ストーンズ&マーティン・スコセッシ監督が表紙のものを買った。15日の給料日が来たら、今度は販売員の人から購入します。
 ストーンズのライブ映画をスコセッシが撮って、「シャイン・ア・ライト」というタイトルで公開されているはずだね。確か『メインストリートのならず者』に収録されている邦題「ライトを照らせ」という曲からとられているんだろう。ゴスペルタッチな名曲だ。

ビッグイシュー日本版|バックナンバーNo.108号
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 今回のメイン企画はミック・ジャガーのインタビュー。単純に雑誌の質としても高いのでぜひ気楽に販売員の方から購入を、とナマイキに呼びかけたい(笑)。
 ホームレス人生相談というコーナーもあって、ホームレスの人の相談の答え方が人間味があって僕の感性にはすごく合うぜ、と思ったな。


by ripit-5 | 2008-12-12 22:13 | 湯浅誠