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この一年

 この12月から「朝日ニュースター」というニュース専門局を聴取している。この局は非常に質が高く、見甲斐がある。
 この時期、やはりこの1年を振り返る番組が増える。ニュース専門局とはいえ、ニュースを切り口に論評や討論をする番組が多数で、地上波民放はもちろん、NHKでもなかなか云えない所まで踏み込むところがいい。ニュース専門局と言うより、ニュースを素材に社会を考える、「ジャーナリズム専門局」、というほうが正確かもしれない。

 さて、今日はNHKでも今年を振り返る毎年のニュースこの1年をやった。1年のレンジが事件の多さゆえに忘れていることが非常に多いだけに、このニュースでふり返る1年は貴重。
 なのだが、今年は若い女性アシスタントや言葉は悪いが甘いゲストによるトークの時間を増やし、例年のようにただニュースを編集し、流し続けるオーソドックスなスタイルを捨ててしまった。
 NHKはおもねらなくていいと思うのだ。何もかもが分かりやすくていいのかな?

 それはともかく、凶悪事件に関する今年の人々の微妙な変化が何となく感じる1年だった。秋葉原の無差別殺人、厚生省事務次官連続殺傷事件は20年前だったら加害者に轟々たる敵意が世間でむき出しなったと思う。
 それは、アキバ事件と同時期に死刑になった連続幼女殺人の宮崎勤への世間の反応との違いで明らかだ。

 だが、今年の加藤容疑者。そして犯罪動機に「これは年金テロではない」と宣言し、理解不能な理由を語る事務次官殺傷の小泉容疑者に関しては特に、事件が起きた直後はネットでの反応は「殺傷は良くないけれども」という留保つきながら、「事務次官、狙われてもやむなし」のネット世論が瞬時沸いたのがなんとも「気になる」ところだった。

 多くの人の中で常識的に云えば、個人の精神の逸脱に違いないと客観的に理解できる事件にも社会的な意味を汲み取っているようだ。自分にはそれが気になる。

 この年末は多くの派遣切りされた人々の悲しい後姿が映し出された。おそらく多かれ少なかれ、どこかで人は意識している。今は個人の理由無き、もとい、理由とその行為の間の飛躍がズレている事件でさえ、社会的文脈で捉えてしまう自分が居ると言うことを。

 来年、願わくば暴動が起きているギリシャのような映像が日本から流れないことを!
 ここから先は政治の責任だ。

 また、どんなに今の政治家に呆れさせられても、それ以上に非道な企業経営者の姿が顕わになったのも今年の特徴であった。
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来年はみんな分かりやすい切り口で物を見るのをよそう。

 メディアが流布する言説の分かりやすい切り口を疑おう。そして、その逆にネットに多い何事にもウラがあるというウラあり言論も疑ったほうがいい。
 とても高度なメディアリテラシーが求められるような状況。
 それは個人のブログに対しても求められること。

 発信は自分にも責任があることなので、自分にも問題の責任がたびたびあるかもしれないことを気をつけたいと思うけれど。
 

by ripit-5 | 2008-12-30 21:36 | 日々