人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日曜日の新聞書評欄から。内田樹「街場の教育論」

 評者は教育評論家の尾木直樹氏である。

 「たまたま書店でこの本を手にとってしまったら、できたら頁をめくらずにそのまま書棚にお戻しください。ぜひ」という書き出しでこの本は始まるらしい。現代において忘れられつつある”世間的良識”的なるもの、あるいは昔ながらの”大人的関係性”のようなものにつねに鋭い着眼をしている筆者らしい自負が逆に感じられる気もする。

 「せっかく人々が教育について論じるのに飽きてきた頃合」なので、「政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に任せて、放っておいてほしい」。しかも、それが本書で述べる「ほとんど唯一の実践的提言」だ、と言い切る。
 著者が言うとおり、「教育は惰性の強い制度」なので、小中一貫校、学校選択制、二学期制などと形ばかりをいじくる必要はまったくない、と論じている旨。

 内田氏はさらに、今の日本のように閉塞的な状況下で「競争を強化しても学力は上がらない」と断言し、「『よい教師』が『正しい教育法』で教育すれば、子どもたちはどんどん成熟するという考え方」は、「人間についての理解が浅すぎる」と批判する。
(大意要旨)。

 大きな失敗をした新自由主義は生活の隅々まで自由と選択という美名のもとでのイデオロギーが支配した時代といえるが、それはあからさまにいえば人間は欲望に忠実でいいのだ、と『欲望に忠実な人たち』が叫び続けた時代だとも言える。その世界観は我を張り、心理的に武装をしている個々の人間がいるだけで、「社会」がなかったといえよう。
 政策的にはすべて事後処理。事前規制を排除することで、法律が持つ事後の問題への予測を奪った。-乱暴な云い方をすれば、だが。
 また、永遠に日々の現在があるだけで、過去がない。過去がないから未来を描けなかった。そういうことなんじゃないのかな。

 別の切り口では作家の橋本治は大意、教育や勉強は束縛されて詰め込まれものだが、そこから逃げ切り自由を手に入れるもの、という趣旨のことをかつて書いてていたと思う。僕は大学で勉強をしなかったため、今となって後悔する身の上だが、高等教育のレベルでは生徒が教師とそのような(教える側と教えられる側の間の)素晴らしい緊張関係が育まれる可能性があるともいえよう。(理想を言えば)。

 生徒が教師を抜く瞬間のダイナミズムを喜べる教師こそが真の才能のある教師であろう。また、師を抜いた寂しさと有り難さを身にしみる生徒こそ、真の生徒だろう。

 何にせよ、教師としての才覚は永遠に学ぶ喜びにとりつかれた者にこそあるのだろうと思う。

by ripit-5 | 2009-03-10 21:52