昨日、北星学園大学で行われた「貧困と格差を考える:夏期講習会」に参加して湯浅誠さん(「反貧困」の著者で、NPO法人・自立支援生活センター・もやいの事務局長)の講演を聴いてきました。写真は当日のものではなく、ネットで検索した写真ですが、アップした写真同様にラフな格好で、実に自然体で現在の日本社会の労働・社会問題の大変な状況を語ってくださいました。
大変に理性的な喋り口で説得力があり、それだけに聞いているこちら側も自分の問題として重く受け止めざるを得ませんでした。いま、若く優秀な社会の先端にある問題に取り組んでいる力強い人たちがおり、大変に心強い気がします。以下、講演の要約をと思いましたが、まとめる才能が無く、いたずらに長くなってしまいましたけれども、長文ながら講演の趣旨を書いてみました。なお、内容の語りは自分(私)なりの編集が相当入っています。いくつか、段落分けをして、見出しをつけてみましたが、その見出しも私が勝手につけたものです。湯浅さんが伝えたい点から大きくずれていないことを祈るばかりです。
宜しければお付き合いください。
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湯浅さんはラフな格好で登壇。背がかなり高く面持ちはやや色白で細面のやせた顔つきながら、体格のよさと温和な表情ゆえに神経質な感じがない。
先生と呼ばれて紹介された湯浅さん、第一声は「私は先生ではなく、いち活動家です」という前置きから始まった。
※知らされない公的機関
まず資料で配られた20代男性のもやいへの相談メールをケースとして、話の切り口が始まった。それは非常に巧みな文章の書き手だと思われるものだった。湯浅氏は「ご覧の通り、とても上手いメールだと思います。彼は自分のいま抱えている問題と、そこに至るまでの経緯を簡潔に伝える能力を持っています。ですがここで私が気になったのは、立派な文章ながら、そこに公的機関に相談するというメッセージが全然伝わってこないことなんです」と。もやいに相談に来るメール、あるいは電話はほぼ進退窮まった状況にある人たち。日雇い派遣なら、明日現場に行く電車賃もない、あるいは生活費がなく、家賃も払えない。公共インフラもとめられてしまった。いよいよ路上生活なのかと思うと不安で仕方がないといった状況。
もともと90年代の半ばに路上生活者の支援を始めたのが「もやい」の活動の始まり。それがこの2000年代を過ぎたあたりから20代や30代の若い人らの相談が急激に増えた。ただ誤解して欲しくないのは、実は相談者の世代構成は非常に幅が広く、今日20代の相談に乗ったと思えば次の日には80代の高齢者の相談に乗るということもあり、日々実感として、日本の社会の貧困層の幅と広がりの大きさを感じている。
その中で、特に若い人の場合は公的機関に相談するということ事体を知らないケースが相当多い。生活保護の受給申請を進めるケースがどうしても増えてくるが、世間が考える生活保護受給者のイメージと違って、働いても生活できないというケースが本当に増えている。ある40代で腕の良い職人さんが相談に来た。その人はコーティングのベテラン職人だが、最近は都のマンション不況で請負単価がダンピングされ、また規制緩和のため参入者が多くなり、30万の請負仕事を10万円台まで下げて請け負わざるを得なくなった。この人の場合、家族がいたので家族を食べさせられなくなり相談に来た。このケースも生活保護につなげるまでいろいろあったが、以前では考えられないことだ。
※労働者の分断
今の日本の労働環境を見ると、まず正規社員がいる。その正規社員も一枚岩ではなく、会社の中核社員と周辺的な社員、例えばマクドナルド裁判で有名になった「名ばかり管理職」が周辺的な社員と呼べるだろう。彼の場合、厚労省の定める過労死危険水準よりもはるかに長時間の労働をしていた。店は彼を除いてみんなパートかアルバイト。パートが急に休んだり、ローテーションに穴が開いたりすると彼が埋めなければいけないし、その他の勤務管理や店舗管理全般、売上管理など全ての責任が彼に覆いかぶさる。そのうち手が震えてきてしまい、これはさすがにまずいと思い本部に連絡したら逆に「自己管理がなっていない」と叱責された。周辺社員にはそのような人たちがいる。その外側に非正規社員たち。これがつまり派遣社員やパートタイマーの人たち。いま労働条件や賃金水準で問題になっている大きな層。現在、1千万以上の人たちが年収200万円以下で暮らしていますが、この層の人たちです。それから、労働市場事体の外側にいるのが失業中の人たち。
これらのもろもろの形態の中で、いままで「もやい」などの生活相談を受ける人は失業している人たちやそもそも労働市場に入っていけない層だったのだが、最近は先に話したように、本来組合やあるいは労働行政機関に相談に行くと思われた労働市場内の人たちが生活相談に来るようになった。働いても食べていけない層が確実に増えている。
※日本の社会保障制度
それでは日本の社会保障、セーフティ・ネットはどうなっているのか。本来労働者は年金、健康保険の社会保険と雇用保険・労災保険の労働保険があるが、いま派遣や短時間パートの広がりによって社会保険未加入の人がすごく増えている。私たちは3層のネットと呼んでいるが、まずは「雇用のネット」。その下に支えとして「社会保険のネット」があるのだけれども、例えば社会保険に加入していない人は医療と年金のセーフティ・ネットがない。また、雇用保険はこのところの法改正で締め付けられ、現在失業者全体10人に2人の割合しか受給していない。今まで30代で10年以上勤務していた人で100何十日分以上は失業給付されていた人が給付期間を減らされ、いまでは90日までに減らされている。
その下に社会保険のネットからも落ちて公的扶助、すなわち生活保護制度が最後のネットとしてあるが、若い人で制度を知らないでいるケースや、また特に若い人だと「水際作戦」といって、申請を窓口ではねつけるケースが大変多い。例えばネットカフェ難民の人なら「住居がないと申請できない」など。嘘なんですよ。法律では申請できるんです。あるいは「若いのだから頑張って仕事をしなさい。派遣の仕事とかあるでしょう」などといわれて断られる。ところが私たちがついていくとあっさり申請が受理されるようなことが多い。実は福祉事務所の現場も労働環境が悪化している。人員の配置が厳しさを増しています。ですから、社会福祉を学ばず突然100人ものケースを担当させられるようなことがある。いま、病気休職している人は学校の先生と社会福祉事務所職員が一番多いのではないでしょうか。全人的な対人サービスを行っている、いわゆる聖職と呼ばれる仕事の人が追い詰められている感じですね。
※中間層の危機
かつての日本社会は“ちょうちん型社会”と呼ばれた。つまり、中間層が非常に厚くて上流層と下流層の人が少なかった。現在の日本はだ円形の社会になっている。中間層が細くなり、富裕層と貧困層が増えた。現在富裕層と貧困層はほぼ同数になっている。このままでいけば将来の可能性は「砂時計型」。これは日本がアメリカ型の社会になるということ。それでいいのか、という話です。
※五重の排除
貧困の背景には、私は「五重の排除」というものがあると思っている。それは「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」そして「自分自身からの排除」です。
まず、経済環境の悪化によって高等教育を受けることが難しい層が増えている。そしてご存知の通り、社会保障を埋めていた企業福祉が今は喪失している。家族が一番の福祉機能だが、その家族の機能が急激に落ちて来ている。そして、国はなるべく生活保護をうけさせないようにする。
そして何より、貧困の当事者本人が自分自身を自分から排除してしまう現象がみられる。「自己責任論」を内面化してしまっているんです。若い人で生活保護を受ける人は怠けた結果だとか、あるいは特殊な条件が積み重なったのだろうという世間の思い込みがあるが、実際は当事者は徹底的に自分の力で何とかしようとして、何ともならなくなってしまっている。むしろ世間の風潮に自分を積極的に合わせて、「自分で頑張らないと」と考え、生活できないところまで頑張り、相談に訪れるときには「自分は駄目な人間だ」と考えている。相談に訪れた多くの人は「わざわざ私のために時間を割いてくれてすみません」という形で切り出す人が多い。この考え方は実はいわゆる正社員の人にも多い。自助努力という考えをもとに頑張りすぎて、病気になったりうつ病にかかったりするケースが増えている。誰も誰かに直接、頑張れとも、自助努力なんだと言われたわけではないのに、そのような考え方が強く内面化されている。
※人権に基づくのが本来
たとえば、昨年あたりからNHKでワーキングプアの特集などが組まれていますが、本当は個別のAさん、Bさんというケース、一人一人の個別の人間として見てしまうのは危険なんです。なぜなら、頑張っているのに報われないのは可哀想と思いつつ、別のケースで自分から見て頑張っているようには見えない人については貧乏になってもおかしくないんじゃないの?という見方に陥る可能性があるからです。
皆さんの中にもそういう風に見てしまうことがありませんか?選別的に人を見てしまう。それは人権じゃないんです。そうでしょう?人権は全ての人が生きる価値があるということです。目に見える努力の形のある人とない人の比較じゃない。そもそもすべての人が生きる権利は比較することなど出来ないものです。私たちは個別のケースだけじゃなく、何故このような状況になったのか、その社会の構造を考えなくてはならない。
※人と人との分裂
実は労働者の間でも分裂があります。正規の人と非正規の人との対立。非正規は正規の人との賃金の違いに怒り、正規の人は非正規の人は責任がないのが妬ましく思っている。中核労働者も大変です。なぜなら労働の非正規化が進むことによって、中核の人の労働強度がものすごい。その上、いつでも下ぶれ圧力がある。代わりはいくらでもいるよ、という話です。そういう圧力の下、ものすごいストレスを感じている。
厚生労働省でヒアリングを受けたことがあります。その後の雑談で厚生労働省の局長さんがポツリと「このままだと日本はどうなるのかなぁ」と(笑)。それはオマエがいうことじゃないだろう、と思いましたが(笑)。その人の話だと「いや、厚労省なんて財務省に首根っこを押さえられているんです」なんて云っていましたが。それは彼が本当のことをいったのかどうかは定かではありません。さだかではありませんが、一つの発言だな、と。背景には政府による「社会保障給付費の年間抑制2200億円」の方針がありますから。
日本の社会は非常に高コスト体質になっているんじゃないでしょうか。労働者は労働者としての高コストを払い、その労働力が報われていないことを知っている。だから労働者は消費の場で「消費の王様」になりたがる。ですが、ご存知の通り、消費者は労働者なんです。消費者として生きる、なんてことは出来ないんです。
いま、わたしたちはいろいろな専門の支援者たちと共同して反貧困キャラバンという全国キャンペーンを行っています。
貧困が日本の社会を照らしている。貧困から日本の社会が照らし出されるということではないでしょうか。 (2008.8.28)
特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター もやい
Amazonによる「反貧困」の書評・レビュー。
これが大変素晴らしいです。文才がない自分が悲しいですが、まだこの本は未読だという方はぜひこの書評だけでも読んで見ませんか。本の内容の本質を言い当てています。どのレビューも読み応えあり。