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311から3か月が過ぎ

また久しぶりの更新です。
前回の更新が4月だから、あれからもう2月以上が経つ。

その間に自分の環境も変わった。NPOに関する基金訓練を受け始めた初っ端にたまさか今働いている事務局長にエレベーターの中でばったり出会い、そして現在の札幌市に被災で移動してきた震災被災の方々の生活支援のための情報提供や、相談などの仕事をしている。
ペーパー資格は持っていたが、実務経験が無かったため、企画力や支援のためのむすびや連携の方法論を持てずに苦労しているのだが、同時期に入った2人の同僚が非常に有能なので、私はどちらかと言えば今は裏方に回って内部の基盤整備、社会保険や経理などの事務的なことを中心に行っている。実はそちらも社会保険労務士の資格があるとはいえ、こちらもペーパー資格なので緊張し通しやら、小さなミスやらで大変だ。

どんな仕事であれ、仕事に自分の内面を託すなどということは難しいことを改めて学んでいる。
続けるためのポイントは事務局長の高い福祉マインドとボランティアスピリットにレスペクトしているのと、けしてリーダーとして叱責しない優しさのおかげでもある。

そういう環境でなかったなら、なかなか難しいと思う。
状況は動くし、既定の道はなく、作っていく作業がある。それは出来る才能を持つ同僚がいるので、自分はそれを見て学ぶ(とはいえ、見ているだけでは難しいのは確か)方向性しかない。事務屋さん的な仕事が常にあるというわけではないからだ。

もう一つは被災避難者の問題に関われる、という仕事の原点があることが大きい。
そのために情報を集めることは苦にはしないつもりだが、いかんせん、福祉の専門勉強も通信での随分前のことだし、伝える力の弱さを感じる。
ただ一つ自分に可能性がある分野があるとすれば、「聴く力」ということになるだろうか。

「聴く」というのは実は簡単な事ではないと思っている。語り手の思いの背後にあるものも含めて、聴くというのは表の意味も、その背景の意味への想像力も、両方必要になるからだ。本来、真剣に聴くなら、語り手の文化的な背景もおおげさにいえば、知っておきたい。文化的というのは、狭義の意味ではなく、広い意味でのその人が生きてきた環境への思いをはせるような感じだろうか。

大層立派な言い方になってしまうけれど、実はその力とて、自分はまだまだ全然だ。唯一可能性がある分野はそこだろう、と思う、という話だ。

しかし、今の仕事のように大きなグランドになると、そのような個別的な話を聴くことでカタルシスを得てもらうような状況にならないのも現実だ。

ところで、この夏を契機に福島県を中心に子どもたちを中心に北海道に受け入れようという動きが出てきている。
私は福島は大層危機的な状況にあるという認識を持っているし、本日の健康調査の話や、子どもたちに線量計を渡すような話が現実化していることを考えると親たちが深刻に移転を考えだすのは人として自然な感情のようにも思っている。

しかし、避難する後にどんな生活が始めるのか、両親ともになのか、母親のみなのか。住まいは公営か、民間賃貸なのか、身寄りに住まうのか。
知らない土地でなじめるか。それら生活の細やかなことを深刻に考えての移転なのか、あるいは移転を呼び掛ける団体の深い想像力なのか、ということも考えてしまう。

あまり深い所まで踏み込んだことは今は書かないけれど、本格的な原発事故というこれこそ未曾有の事態を生みだした罪は深いというしかない。それは、東電から電力供給を得ている立場にない自分も負う罪だ。北海道には泊に原発があって、そこでだいぶ供給されているのだから。
やはり、一線を超えるものを日米安保に匹敵するほどの安全神話を作り上げてしまったものだから、余計にパニックを恐れて初動も遅れ、今も原発だけは明るい展望を描けないでいる。

今回の大震災のクライシスは、復興・復旧に向かう日本人の自然との長い身の処し方も踏まえ、襟を正さざるを得ないほどの被災地の人々の自生的な力に感心させられたけれど、残念ながら、「原発」に関してだけは暗い絵図として残ってしまった。

避難退避の動きは呼びかけ団体も含め、これからも少しずつ底流で動くのだろう。非常に残念ながら、今回の大震災において、もっともつらい歴史的記録のひとコマであるのだろう。
それだけに経産大臣がまだ終息しない福島原発の事故の渦中で、原発の再稼働をお願いするその空気の読めなさに慄然としてしまうのである。

# by ripit-5 | 2011-06-18 22:44 | 社会

戯れの果て

福島原発の状況。過去チェルノブイリにしかなかったレベル7の最悪基準になり、にわかに福島原発1号機から4号機までの現在進行形の状態が気になる日々です。
NHKのニュース画面でもちらっ、と福島10㎞圏内にも警察の人たちが入って捜索活動を始めた映像が見えましたが、何度被災地の映像を見ても呆然とするしかない。まるで廃棄物処分場のような状態です。自然の力は圧倒的に人間が作った物理的構造を壊すんだな。まるで嘲笑うかの如くに。

私は、実利を考え、昔取得した社会保険労務士の復習を、現在DVD付きの教材で学び直しています。同時に考えているのは、既成現実からちょっとずれたところにニーズがある仕事が出来得るならという夢をいまだ抱えつつ、迷いながらも法律が持つ保守性と意味性の両方考えながら記憶の想起作業をしています。

それはともかくとして、労働基準法とそこから派生した労働安全衛生法をとりあえずおおむね終える段階ですが、この安全衛生法は機械や化学物質の取り扱いについて、あるいは元請けや下請けが登場する業界の法令的な取り扱いについてなど、もともと興味関心の外にある前から最も苦手な社会保険労務士の科目なのですが、いま現在、原発事故の発生地で働いている東電の協力社員(本当は下請けというべきでしょう)や日立、東芝など関連社員たちがどのような作業環境で働いているのかと考えると、もはやそれも法令的にもほとんど想定外と言うか、想像外な気がします。法令にも原子力発電所の有害業務について具体的に書かれていないので。。。この安全衛生法は労働災害の防止が一義的な目的なので、たまさか今回の原発事故の関連でも関心を持たざるを得ない科目となりました。(頭が痛くなるのは、やっぱりありますが)。あそこでの作業環境がどうか、など私も正直そうですが、みな普通の人は想像もしたくないでしょう。

それにしても、今回の原発事故はまだ自分にはあの津波の映像のようにどこかで受け入れられないような非現実的な感触が残っており、それは政治家も含め、この、人間たちが本来制御不能な怪物的な技術物を前に、どこかで一瞬ブラインドを降ろすような心理になったのだと思いますが、残念ながら案の定、初動の判断に生じた少しの迷いや躊躇があっという間の水素爆発まで発展するところまでいった。そのことは最悪から想定する癖が持てなかった人災であり、世の中の印象として、どこか「戦争の敗北」に比する何かがあるとすれば、やはりそれはきっと敗北であり、それは敵の無い、自分たちが作った技術の自然に対する明確な敗北でした。
今後の社会生活、経済生活をまず今、先立って考えようという立場に立とうと、立ち止まって考えよう、という立場に立とうと、「技術の自然に対する敗北」は明白に認めざるを得ません。
私はそこにまず、市民の共通認識に立つところから始めるべき、と考えます。

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今月の岩波の月刊誌『世界』は大震災特集です。
この雑誌。日常的に云えば、極めて教養主義的、観念的、現実応用性が低い社会人文系の学問人や教師たちのための社会系専門誌と思う人も多いでしょう。私とて、日常的にはそう思っている一人です。時に難しく、時に教養臭が鼻につく時もある。
ですが、今号も最初はその気分はあったのですが、一つ一つと最初から読み進めるうちに、私の今の気持ちに言葉がすっと入ってきたのです。
内橋克人、坂本義和、宮田光雄、池内了、松谷みよ子、岩田靖夫、中野佳裕、木田元。いまの時代の言論人からいえば、保守系雑誌『文芸春秋』とならぶような革新系の「昔の名前で出ています」風情の書き手たちも多く、その意味だけで云えば、震災前に発行したのであろう復刊版の『朝日ジャーナル』のほうが遥かにアクチュアリティの書き手たちが揃っています。

ですが、この雑誌の書き手の文章の一つ一つが沁み入るような気がするのは何故なのか。それはまだ上手い言葉は見つかりません。ただそこに率直な「畏れ」の感覚がある、その意味で自分の気持ちと繋がり、自分の感性としていま、とても分かるところがある。そんな気がします。

中でも東北大学名誉教授の岩田靖夫氏の体験から始まる文章はとても考えさせられる文章でした。被災地、あるいは被災地の周縁にいるということはインテリとして学問の世界で生きていたとしても、津波や、津波で制御が利かなくなった原発のように、剥き出しの、裸の人間がそこではさらされてしまう。
すると、これは僕が勝手に感じた感想で書かれた本人には申し訳ないですが、高齢者で身近に他者の大きな救援の手が無いとほとんど日常の自分が持つ安定的基盤を失う、極めて心細い厳しい状況に置かれる。
幸い、岩田氏は仙台から娘さんが助けに来てくれたようですが。

自分に照らして、はたしてこのような巨大地震が起こりえる国で、いったいどのような自分自身のセーフティネットがあるのか?いまではなく、未来と近未来の中間あたり、つまり70代、80代になった自分が生きている時の前提を想像するとちょっと空恐ろしいものがあります。

阪神大震災の時も、というか日本はこの戦後世代中心の世の中において、2度の巨大地震に遭遇している訳ですが、ここ最近の猛暑や寒波も加えるならば、自然の力が大きくせり出している時代にどのような自分の生を全うできるのか、ということはやはり考えてしまいます。

テレビやその他、日常性の延長を続けたいという社会経済の思惑はあり、それは続くでしょう。しかし、私たちはどこかでその限界をしかと見てしまったと思いますし、私はもうここが限界だと思っています。

それでも、私はこの日常に喰らいついているのです。いつかは終わる、それが想像できるものは沢山ある。しかしそれらを断ち切ってはいないし、断ち切れないものもある。その関係性も両者ともに変化しながら移行していくだろう。
そんなことを改めて考えさせられます。

一言でいえば、自然の刃は危うい地盤の上に立つ僕らの現代社会に覚醒を迫りにやってきた。911とリーマンショックでアメリカが敗北したように、いま、日本は長い連れ合いである自然猛威によって、また敗北を迫られたのですね。

# by ripit-5 | 2011-04-14 22:57

感傷的な文章。

 陸中海岸は行ったことはありません。宮古、大船渡、陸前高田、気仙沼、相馬。まだ行ったことはありません。しかし、その地には確かに、職住一致していたような、共同体やコミュニティがあったでしょう。津波はそれらを一挙に押し流した。日本的なるコミュニティは再生するでしょうか。出来れば同じ場所でなくても、鮮やかに再生してほしいと思います。

 三陸の海で、例えば昼のNHKテレビで新鮮な魚をレポーターが食べる、それを照れくさそうに、でも少し誇らしげに釣り上げた漁師の親父さんがいたのじゃないか。

 確かに人は簡単なものではないので、風景の一点のように見てはいけないのですが、黙々と土と向き合ったり、魚場の世界は知らないけれど、自然と向き合ってふと夕焼けの風景に何とも言えない充実感を感じた人たちが、その感覚が分かる人たちがたくさんたくさん。あの広範な土地の人びとにあったのではないでしょうか。

 切れ切れにぼくは自分の一人旅をしてきた風景の瞬間瞬間が記憶から想起される。列車から見えた、たんぼで線路を走る僕を乗せた列車を見ながらおにぎりを食べていた農家の人たち。奈良の飛鳥路で、蘇我入鹿の墓所跡から見た、たんぼの真ん中にあった祠に手を合わせていた農家のご夫婦。明日香路を散策しようと駅から自転車で立て看の地図を見ていたら、「こっちだ。ついてきなさい」と自転車で先導してくれた名もない、でも曰くがありげなおじさん。彼は黙って飛鳥寺まで連れてきたら去って行ったっけ。

 山口県の萩市を旅した時、東萩から松下村塾に向かうこれまた農道の路を、球のように現れた地元の小学低学年とまだそこまでいかないと思われた姉妹たち。「一緒に行ってあげるよ」と全く屈託がなかった素朴な表情。

 そして、愛媛県は松山市からほんの少し離れた城下町、大洲町の古い朝ドラの舞台になった「おはなはん」通りの時間が止まったような、至福なる古風な趣の小さな歴史的街づくり。その時の感覚はいまでも身体に残っている。今でも夢のように、甘美なものとして。
 そこで出会ったおばさんたちから路を教えてもらい「お気をつけて」と声をかけてくれた、独特な気品とその土地に長く生きた地に足がついた空気。

 また振り返って萩の街のきれいな庭のさま。京都の町衆の庭にかけるエネルギー。みんな早い時間から庭掃除をして丹精していたっけ。

 まだ世界遺産になる前に熊野の地、中辺路歩きの中途で継桜の峠の茶屋で放し飼いにされた犬がぼくを先導し、国道からとうとう古道の中まで入ってしまい、こちらが困り果てたこと。つかず離れずでずっとついてきたあの少し不細工な犬との道中二人。やっと見つかった公衆電話で継桜の茶屋を探して電話したら「ああ、また行きましたか。その犬は人について熊野大社まで行っちゃう犬ですからうっちゃっといてください」と言われて、力が抜けたこと。
 熊野市の「イザナギ、イザナミ」の神話とゆかりのある「花の窟」で独自の神話解釈をしてくれたどことも知れない知的なおじいさん。帰る時間が迫らなければ、もっとその解釈を聴いてみたかった。

 ひとり旅を年に1回、毎年続けた30代の頃、けっこう日本の原風景に触れたけれど、数は多くなかったとはいえ、確かにその土地に根ざした、風景の美しい点描のような人との一瞬の出会いがいくつかあった。それらはとても心地よい記憶として残っている。何故だかそれらはいつも晴れた日の記憶と繋がっている。

 おそらく、三陸海岸を旅する機会があれば、きっと似たような出会いはあっただろうと思う。絶対に。

 奈良の大麻時で中将の姫が一日で編んだという曼荼羅のタペストリーの模倣を見て、とても印象深い当麻寺を後にして、二上山に沈む夕日にアッ!と息を呑む美しさを思いだす。それは僕が幼少のころに見てとても綺麗だと思った夕日の沈む姿に近いものだった。中将の姫が編んだ二上山に現れた弥勒菩薩をきっと感じられたように、確かに二上山は美しかった。そこには僕の無防備な何かがあったように思う。

 とはいえ。僕は自然崇拝であれ、信仰の中には生きられない汚れた現代人だ、心の底から邪念なく「祈る」ということはもう出来ない人間となってしまったけれど、でも「綺麗さ」の前に一瞬自分の何かが止まった。そんな一瞬は確かに何度かはあったのだと。その記憶に嘘はないだろう思っている。

 その対極のような自然の猛威が僕の記憶の中に津波の濁流と、その後の被災地という形で、全ての時間が止まったような記憶への鮮明な焼きつきが確かにあったけれど。。。
 人々の日々の営みから生まれたような、自然の一点のような一瞬の交流はけして死なないと思いたい。

 自粛だ自粛だといいながら、今を生きる俗なる僕らの世界ではいまこのひと時、人の名前の連呼が激しいノイズを響かせながら、通り過ぎるけれど。そんな彼らの中にも一瞬、風景の美しさや人の小さな通わせてくれた心にふと立ち止まることが出来るのだろうか。きっと(当然)出来るのだろうと思う。

 一瞬、みんな立ち止まってみないか。春が絢爛になったら、旅に出ないか。大勢ではなく、ひとりで、あるいは気兼ねない本当にこころの分かるカップルで。静かに。沈黙を共有できる世界の中で。多くの人たちの無念に祈りをその時。ぜひ捧げたい。。。
 

# by ripit-5 | 2011-04-08 18:34

想像を超えた世界

 大変な地震が起きてしまいました。
 どこまでいっても、浮ついた言葉、手垢まみれの言葉にしかなりませんが、非災に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 生まれてから阪神大震災と言う凄まじい事態をテレビ画面の向こうで見てきており、利便性が高い快適な現代社会も、自然の一撃においてひとたまりもない、と不遜なことを思ったものでした。でもそれはどこかでずっと心に沈澱していて、いつでも飛び出す思考の何がしかでした。
 今回の地震の広がりにおいて、自分の身体に例えれば中枢を撃たれた、というか、根底から想像を絶するような事態を聞くばかり。正直、心理的に動揺しています。

 何しろ想像を絶する津波災害、今も予断を全く許さぬ福島原発、計画停電や買い占め騒ぎなど、都市住民のミニパニックも含め、これは日本全体に渡る大災害なのだと改めて実感しています。わからないではありません。静岡の地震も今回の3・11の地震との因果関係が分からないとなれば、もしかしたら東京でも?という心理状態に陥るのでしょう。こちら札幌では余震はもはや全くありませんが、関東ではあるでしょうから。
 いま、日本人の心理として、自分を支える安定感の基盤がどこか揺らいでいるのでしょう。少し時間がかかる。

 それにしても、もどかしい気持ちです。
 宮城や岩手の避難所の人たち、孤立した地域に避難している人たち、雪風の追い打ちをかける厳しさ。水、石油、食料、薬、テッシュペーパー、生理用品、情報。何とか届けられないのか。道路は通れないのか。実態はどうなのか。
 同じ日本人だからとかではなく、同じ国土に住む者として、ただ座視しているような今の自分のこの感じは何とも言えないざわつきがあるものです。

 福島県知事の怒り、わかります。青森県知事の内閣への陳情。強く心打たれました。県民の本当の気持ちを知事の人たちは分かっている。

 いつも巨大な地震の映像を見るたびに思うのは、高齢者が多い所や生活弱者が多い所を一番に直撃する、ということです。

 それを都市でミニパニックに陥った人は安易な言い方かもしれないが、想像してほしい。少なくとも直下型の地震が来ない限り都市住民は飢えはしない。

 でも、このままでいけば、東北の元々三陸海岸地域のような道路インフラも厳しそうな土地の孤立した人たちは、日本人が今まで想像もしなかった、「飢え」「寒さ」「病気」でお亡くなりになる高齢者や赤ちゃんが出てくる可能性があります。夏場でないおかげで悪性伝染病にはならないかもしれませんが、インフルエンザの流行も考えられます。そこに思いいたしたいものです。

 偶然にもなんの被害も受けなかった土地に住む人間として出来ることは今現在は思いをいたす、そのことしかないです。

 そして幸いにも現地の人からの声が届くならば、その声を一つでも多くマスメディアは届けてほしい。そしてどうすれば、その土地に必要なモノを届けられるか考える手立てを語り合ってほしい。

 「ジャパン・プラットホーム」という被災に関するNPOやNGOのプラットホームになっているNGOの方が言っていました。何か出来るとしたらまずは募金。そしてボランティアを現地でしたいと考える人はまず社会福祉協議会へ連絡を。社協はこのようなとき、ボランティアセンターを含め、大きな力を果たす組織なようです。
 そして足りないガソリンを補給するために、給油車を調達でき、現地に輸送できれば良いとの話。無駄な消費を抑え、ガソリンが被災地に少しでも届くようにしたいものです。

 食料に関しては。例えば、空中から食料は投下できないでしょうか?石油、ガソリン、水は無理ですが、パンやカップめん、糖分を含んだ菓子やジュース、缶詰、テッシュ、トイレットペーパー、紙おむつ、生理用品など空から投下できないものでしょうか。

 今なお多くの行方不明者がおり、痛ましい限りですが、いま現在困難に陥っている人たちを最大優先順位において動いて欲しいです。

 そして今後大きな課題は落ち着いた後。心理的ケアが大きいでしょう。今は生きるために必死な人たちも生き残った後の問題に直面する筈だからです。

# by ripit-5 | 2011-03-16 19:58 | 社会

特上カバチ 第22巻

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 超お久しぶりです!ツイッターの簡便さにヤラレて、本当に久しぶりのブログ更新です。次の更新が早いかどうかは今のところ未確定ですが。。。なんとか頑張りたいです。もう年末ですな。

 けっこう前なんだけど、とても久しぶりにマンガ喫茶に行って手に取ったのがこの「特上カバチ」第22巻。思い切り引きこまれ、恥ずかしながら涙が出てしまいました。で、こちらのブログにも感想を書きたくなった次第。

 この巻の内容は子どものネグレストの話です。理不尽に捨てられた母が、その捨てた夫に似ているということで、愛してたが故に憎さ倍増になって元の夫の面影が顔に見える息子を虐待。
 それを良い意味でのおせっかいにより子どもの救済に向かう行政書士事務所勤務の栄田。
 彼にも複雑な家庭事情が背景にある。暴力をふるう父に育てられたのだった。であるがゆえに、理屈を超え、世間体を超え、彼が身体で知っている「真実」とともに走る!
 同時に彼は虐待する母親を責めたりしない。母親が置かれた経済的苦境や独りで子を育てねばならない苦しさ、それを受け止められない周囲や社会があることがわかるから。彼は母も「何か」の犠牲者だと認識しています。
 密閉された部屋でヒステリカルになった母親に折檻される子ども。謝り続ける子ども。それでも、そんな母親でも唯一、自分を守ってくれる存在だと疑わず、全面的に自己の身を捧げている男の子。そんな場面には思わずグッときます。
 そのようないたいけさに触れるとき、流石に母も自責をし涙するんだけど、やはり日が経つと同じ間違いに戻ってしまう。これも、現実にありそうな本当に悲しい事態。

 最終的には折檻が高じて子どもが救急車で運ばれる事態にまで悪化してしてしまうのだけれど。。。

 その後の展開はこのマンガで確認してほしいですよね。

 このマンガの主人公は行政書士の田村くん。まだ書士になってからそんなにキャリアを積んでない(?)若者なんですが、極めて真面目な、だけど若いが故にまだ少し世間の深いところを知らないところがある。(人のことがいえるか!←自分にツッコミw)。
 しかし、彼の良さは失敗を糧として深く自省して次の段階に一段一段上っていくところ。おそらく一番サラリーマン層読むであろう、この「週刊モーニング」誌読者にとって、一番感情移入できるのは彼でしょう。

 しかし、この巻に限らず彼の先輩に当たる栄田氏は人情モノに関して主人公になると、実に泣ける、泣ける。特にこの巻は自分の子ども時代の具体的な家庭生活が記憶として描写され、そのシーンも泣けるのだ。
 男気に溢れ、細かな事務作業は苦手でも、他者が関わりにくい人の心の機微に触れるときは大概腹を据えて彼は入って行くんだけど、その時の馬力は半端ない。

 彼らの直の上司であるシゲさんは基本的に他人の家庭のプライバシーに法律家は踏み込んではならない、がポリシーであるので、一線を超えると栄田氏がその点で価値観の対立が先鋭化し、何度か辞表を用意するところまで行くんだけれど、このシゲさんという存在のバランス感覚と包容力も、実は影の読みどころ。

 原作者の田島隆さんは前も書きましたが、中卒後下積みの仕事を続けながら行政書士の資格を取り、そしてこれだけクオリティの高い等身大の人々のドラマを書き続けてきたのだから、本当に凄い。「カバチタレ!」で20巻くらい?同時にアフタヌーン誌で「極悪がんぼ」も長い。カバチタレ!の継続で「特上カバチ」が現在23巻で、私はこれだけの長期連載でこれほどクオリティが下がらない作品は他に知らないです。

 いままでこれだけの仕事をしてきたのだから、「ロックンロールフェイム」ならぬ「マンガの殿堂」入りしてもおかしくないと思うんだけど(笑)。
 ただ、画を描いているのが「ナニワ金融道」を書いていた青木雄二氏の直系の弟子の東風孝弘という人で、ゆえに絵柄が生理的にどうしても苦手だ、という人が多いのかもしれない。しかし庶民リアルな物語にこの絵はある意味合っているし、もはやこの絵でないと無理、とも思う。

 この東風氏の従兄弟が誰あろう田島隆氏で、故にコンビネーションも良いのでしょう。

 実はいまは亡き青木雄二氏は田島氏から法的な知識を吸収していたようで、「ナニワ金融道」ラストストーリーの圧巻である裁判官を騙す「ゼロ号不渡り手形」作成、というストーリーは田島氏のアドバイスがあったという噂があります。

# by ripit-5 | 2010-12-25 08:37 | 本・マンガなど